「日出處天子致書日没處天子無恙云云」・・・遣隋使

「日出處天子致書日没處天子無恙云云」・・・遣隋使

推古天皇15年(本当は押坂彦人大王15年)である607年に聖徳太子(押坂彦人大王)は、小野妹子、鞍作福利を使者とし隋に国書を送っています。隋書の「東夷傳俀國傳」に記述があります。有名な「日出處天子致書日没處天子無恙云云」(日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙無しや、云々)の記載があった国書です。この「日出處天子」とは大王だった聖徳太子ことであり、押坂彦人大王のことです。本来、大王と天皇は異なります。これが解らない限り古代の歴史は謎解けません。この国書を見て隋の煬帝は立腹し、外交担当官である鴻臚卿に「蕃夷の書に無礼あらば、また以て聞するなかれ」(無礼な蕃夷の書は、今後自分に見せるな)と命じたと記述されています。聖徳太子の事跡を語る上では外せないエピソードです。強大な統一王朝である隋に対して、対等な立場...「日出處天子致書日没處天子無恙云云」・・・遣隋使