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2019/10/03

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  • 矢羽積研究会活動報告~大月市①~

    こんにちは。矢羽積研究会です。少し汗ばむ陽気の春の日、大月市に石積調査に行ってきました。今回は、その調査の様子を紹介します。矢羽積研究会ってなあに?という方はこちらをごらんください。今回の調査の目的は、ずばり、大久保石工がはじめて矢羽積石垣を積んだ場所を探すこと。そのためにまずは、笹子トンネルの確認に行きました。大月市側のトンネル入り口笹子トンネルは中央線に伴い、明治29(1896)年に着工、明治35(1902)年に完成したトンネルです。現在も、トンネルの中を中央線が走っています。格好いい石積のアーチや、伊藤博文の筆による扁額など、笹子トンネルの見どころはたくさんありますが、今は、トンネル袖や、線路脇の石積に注目したいと思います。石積に注目!!どちらも、ほぼ同じ大きさの石を一直線に並べた「布積」です。布積...矢羽積研究会活動報告~大月市①~

  • こんなところに古い石積みが?

    私たちの生活の中に溶け込み、当たり前のように通り過ぎている……そんな石積みの中にも、意外と古いものが残っていることがあります。前回の記事でご紹介した、山梨の石工集団である大久保家。彼らが残した石積みのひとつと思われるものが、山梨市に残っています。これは、県立日川高校の南側に残る石積みです。大久保森造氏の父である善次郎氏が積んだという記録が残っており、造られた時期は高校が開校した明治34(1901)年と考えられます。積み方は、ほぼ同じ大きさの石を整列させた状態に積み上げる、「布積み」を使用しています。大久保森造氏が記した『石垣の秘法とその解説』では、布積みの石積みは橋梁のピア(基礎部分)、鉄道のホーム台、屋敷の周囲などに適していると書かれており、実際にこのような場所では布積みの石積みを見ることができます。ま...こんなところに古い石積みが?

  • 矢羽積研究会始動中!

    写真⇧のような石垣、見かけたことはありませんか?このように、石を斜めに重ねて積んでいく積み方を矢羽積と言います。私たちの日常に当たり前のように存在しているこの石垣ですが、一体いつ、どのように生まれ、定着していったのでしょうか。そのカギを握る?かもしれない存在が、実はここ山梨にいたことがわかっています。明治時代から戦前頃にかけて、山梨県内を中心に河川工事や中央線敷設工事に関わった、大久保家という石工集団。この集団のひとり、大久保森造氏の著書、『石垣の秘法とその解説』(1958)には、大久保家の石工らが、笹子トンネル東方約1里の場所にある森林付近の現場で、石積みを「ウタテ」がえし積にすることに成功し、以後この積み方が普及し、誰というとなく矢羽積ともいうようになった……という内容の記載があります。また、「大正の...矢羽積研究会始動中!

  • 第1回フォーラムが開催されました

    4月20日(日)の午後、山梨県立文学館を会場に、本フォーラムの最初の講義・講座を開催しました。50名近くのご参加をいただき、初回としてまずまずのすべり出しとなりました。今回の内容は、塩澤法政大学教授と出月フォーラム副代表による講義「山梨の歴史文化の魅力の再認識・再評価」で始まり、続いて西海甲府城研究会会長による講座「甲府城の歴史」(写真上)でありました。いずれもこれからの本フォーラムが繰り出そうとする「山梨の歴史文化の魅力」の引き出しの多様なことをしめしたい、というところが底辺にありました。前半の講義の終了後には、会場内に用意された甲府城絵図(複製資料)の解説などもあり、参加者が知りたいことに応える場面が演出されたものとなりました。次回のフォーラムは、5月25日(日)13時30分~@山梨県立文学館となりま...第1回フォーラムが開催されました

  • 街中の明治期のレンガ造り

    史跡甲府城跡(舞鶴城公園)の南側エリアが整備され、甲府市の歴史文化交流施設、交流広場がこの4月19日(土)にオープンします。(山梨県甲府市丸の内1丁目250‐1)甲府市ホームページこの場所は、近世では甲府城の城下町の武家屋敷地でした現在、その場所にたたずむレンガの壁。壁は、今から117年前の明治41年に建設された甲府税務署のレンガ壁です。西側の境界の壁とされています。高さは1.9m程。レンガの積み方は、フランス積みと呼ばれる工法。レンガの小口(短い面)と長手(長い面)を交互に積み重ねて積み上げています。目地の美しさがありますね。イギリス積み(小口と長手を一列にそれぞれ並べて積む工法)に比べ、フランス積みは強度が弱いとされ、この時期のフランス積みの構造物が残っているのは貴重だそう。〇イギリス積みの構造物:2...街中の明治期のレンガ造り

  • レンガでできた鉄道施設〜長禅寺架道橋〜

    新年度がはじまり、早いものでもう一週間ですね。山梨から新天地へ旅立った人もいれば、山梨で新しい暮らしをはじめた人もいるでしょう。そんな私たちの移動を支えるものの一つに鉄道がありますよね〜特急あずさ号やかいじ号に乗ったことは、みなさんも一度や二度ではないはず?(あずさ2号は現在ダイヤにないとか・・・)特急あずさやかいじ号の走る中央本線の歴史は、今から120年以上も昔。中央本線の開通に至る歴史について今回詳細は省きますが、八王子を起点とする現在のルートの建設は、明治29年から工事が始まりました。その後、明治34年に、八王子から上野原の区間まで開通し、明治35年には、当時日本で最も長いトンネルであった笹子隧道が完成し、明治36年(1903)6月に甲府駅まで開通します。今日は、そんな近代の歴史を物語る鉄道施設を紹...レンガでできた鉄道施設〜長禅寺架道橋〜

  • 富士山へ向かう道と道標

    盆地には春がやってきましたが、富士山はまだ雪景色です。今回は、そんな富士山の麓、鳴沢村にあるこちらの道標を紹介します。道標は、漢字のとおり、道しるべのこと。道路の向かう先や目的地などが書かれています。近寄ってみましょう。向かって右側には「人穴道」、左側には「山道」と書かれています。(人穴に向かう道についてはまた次の機会に!)「山道」は、青木ヶ原を通って現在のスバルライン五合目にある小御岳神社に向かう道です。この道は、地元の方がきのこの採取など、生業に使う道だったそうです。富士山といえば、信仰の対象として有名ですが、地元の方にとっては親しみのある生活の場でもあったと思うと、私にも身近に感じられてきます。富士山へ向かう道と道標

  • 法泉寺の桜~武田勝頼の歯髪塚

    桜があちらこちらで咲き始めました。みなさん、春ですね!さて、今日は桜にちなんだ山梨のむかしばなしをひとつ。写真は、甲府市にある法泉寺にある武田勝頼の墓所です。戦国武将武田勝頼は武田信玄の息子としてうまれ、後継者として激動の時代を生きた人物です。近年の大河ドラマ「どうする家康」では、眞栄田郷敦さんが演じて話題となりましたね。天正10(1582)年3月、甲斐国は織田信長と徳川家康の連合軍の侵攻を受けました。武田勝頼は居城である新府城を焼き払い、東へとむかい再起を図ることとしましたが、最期は天目山のふもと田野というところで自害したとも討ち死にしたともいわれています信長の配下に打ち取られた勝頼の首級は、息子信勝の首級とともに首実検に供するため西へ西へと運ばれていきました。そして現在の長野県で信長と対面したのち、さ...法泉寺の桜~武田勝頼の歯髪塚

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