日暮門の二十四孝彫刻のご紹介は今日で最後になります。子どもの格好をして両親の前で踊る老莱子。 僕まだ子どもだよ!だから父さん母さんもまだまだ若いってことだよ!とアピールしていますがさすがに無理があると思います。 息子は忘年会の余興の練習でもしているのかねえ、なんて話してそう。 今回撮影し忘れた「孟宗」「楊香」「王祥」に関しては、またいつか柞原八幡宮を参拝した折に忘れず撮影してきます。 ーーー 大分市 柞原八幡宮南大門(日暮門)の二十四孝彫刻 終 ーーー
社寺巡りをしていると、お堂や社殿に彫刻が施されているのを見ますよね!日本の神話や中国の仙人、鳥や動物。その中でも中国の孝子たち、「二十四孝」の彫刻に絞って見ていきます。
夫と東北旅行をしたとき、鶴岡市の善寳寺に行くことになりました。有名なお寺なの?と夫に尋ねたところ「西山ひとみの”庄内平野”という歌に出てくる」とのこと。 私は西山ひとみさんも「庄内平野」という歌も知りませんでしたが五重塔があると聞いて喜んで参詣しました。駐車場から道路を横断して境内へ。 すると最初にくぐる「総門」に大舜ちゃんがいるじゃありませんか。 彫刻、凝ってますねー。 鍬を担ぐ大舜、象が二頭。鳩系の鳥が地面や象の背中にいます。左側の象の頭上を飛んでるのもいますね。 総門の次にくぐる山門も大変立派です。 見ごたえのある彫刻が山盛りで、彫刻好きな人にはたまらないお寺でしょうね。五重塔も風格あり…
ラストは孟宗。雪がたくさん積もってます。タケノコは三本。 このお寺に二十四孝の彫刻があることは知りませんでした。予想外で二十四孝に会えると妙に嬉しいですね。
山門の内側には郭巨と孟宗。 左側が郭巨です。 両手を合わせる郭巨は、この絵のように天を仰いで感謝を捧げていることが多いのですが・・・。 この彫刻の郭巨は俯いています。 釜を掘りだした鍬に感謝??
額の右側は楊香。 楊香もお父さんもひらひらした服着てますね。虎の尻尾の付け根が欠損してるので尻尾が浮いて見えます。
山門の額の下、中央は龍の彫刻。左の彫刻が大舜。 草は生えているけど鳥がいません。破損したのかな?
8月末~9月にかけて東北旅行に行きました。芭蕉の句碑があるということで立ち寄った 秋田県にかほ市の蚶満寺。山門に二十四孝の彫刻がありました。明日から4点ご紹介していきます。 芭蕉は江戸からここまで来たのね~。50歳前後のときだったらしいので、まだまだ健脚よね。芸能人なら草彅剛さんが今年50歳。そう考えると芭蕉の足取りは意外と軽やかだったかも。 昔松島で買った奥の細道ハンカチ。東北旅行に携帯しました。
一昔(二昔?)前は冬に毛皮のコート着てる人多かったんですけどねー。今はほとんど見なくなりましたね。鹿皮のコートは見たことないですが。動物愛護の点を考えると毛皮コートが復活することはないんでしょうね。 『和漢廿四孝』(東北大学附属図書館所蔵) 出典: 国書データベース,https://doi.org/10.20730/100445689 剡子(ゑんし)剡子は周の世 伽夷国の人也生れ得て孝心ふかく 父母年よりて両眼をわづらひ鹿の乳を薬にせんことをもとむゑん子孝心あつきものゆゑ 工夫して鹿の皮を身にまとひ鹿おほき山に入りて乳をもとむ猟人これを見て弓に矢をつかへ すでに射んとす剡子おどろき われはまこ…
米を運んで母を養った仲由。やがてお金持ちになったとき、母はこの世にいませんでした。貧しくても親と一緒にいた時間が懐かしい仲由。 『和漢廿四孝』(東北大学附属図書館所蔵) 出典: 国書データベース,https://doi.org/10.20730/100445689 仲由(ちうゆう)仲由は周の代 孔子の御弟子 子路の事なり母につかへて孝心あつし 家貧にして食とぼしく人にやとはれ米を百里の外におひゆきそのちん銭をもつて母をやしなふ孝志のふかきめぐみにや 母死て后(のち) 楚国につかへ富貴を得てしとねをかさね かなへ(鼎)をならべよき身のうへとはなりけり此とき子路たんじて曰今おやの命ありて孝をつくし…
実の娘がいたとしても、こんなことしてくれないわよねー。 『和漢廿四孝』(東北大学附属図書館所蔵) 出典: 国書データベース,https://doi.org/10.20730/100445689 唐婦人(たうふじん)唐婦人は唐の代 (さいくわん)が妻也しうとめ長孫夫人としおいて歯一まいもなく食もつをくらふことならず嫁のとう婦人これにつかへて至孝なればしょくもつのかはりに乳をあたへて飲(のま)しむること四五年姑しょくせざれども そく才也かくて長そん夫人 老病にうちふし親ぞくあつまりて看病すその時ろう母みなみなにいふやうわれこれまでよめの乳にて命ながらへたる恩をいまだむくはずなにとぞ若きものども よ…
これは湧き水と言うレベルじゃないわね。 『和漢廿四孝』(東北大学附属図書館所蔵) 出典: 国書データベース,https://doi.org/10.20730/100445689 姜詩(きやうし)姜詩は後漢の代 廣漢の人也父をうしなひ一人の母につかへて考道しごくせり妻のホウ氏(ほうし)も しうとめに事(つかふ)るにまめやか也母つねに三十丁ほどはなれたる江湖の水をこのめりホウ氏つねにゆきて その水をくみ来る又母うをのなますをこのめり夫婦つねにととのへ母にすすめてよろこばしむかかる孝行のとく天に通じけん姜詩がいへのかたはらに江湖の水わきいでおのづから池となり朝ごとに鯉ありて労せずして心のままに母に孝…
老親の前で子どものフリして踊る。いろんな形の親孝行がありますね。日本の二十四孝には出てこないタイプの親孝行ですね。 『和漢廿四孝』(東北大学附属図書館所蔵) 出典: 国書データベース,https://doi.org/10.20730/100445689 老莱子(ろうらいし)老莱子は周の代の人也年七十にして父母をもてり 親につかゆるに つねにしょくもつも小児のごとく 七十におよべども年老たるといはず 衣ふくも子どものごとく訳もなき遊びたはむれをなして 二親をなぐさめ きうぢなどに わざとつまづき転びて持たる物をおとし 小児のごとく泣わめき 稚きふぜいをなす これふたおや わが子年おいて餘命なく …
命がけの親孝行。体温で氷を融かすのは時間かかりそう。 『和漢廿四孝』(東北大学附属図書館所蔵) 出典: 国書データベース,https://doi.org/10.20730/100445689 王祥(わうしやう)王祥は晋の世の人 継母朱子につかへて孝也 朱子はわが産の子 王覧をのみ愛して 王祥を( )されども孝のこころざしを(う?)つさずある時母冬月に生魚を食せんことをのぞむ王祥池にゆきて見るに氷とぢて魚をもとむるに便なしいかにもして母のねがひにみてんと赤裸となりて氷の上にふす孝心天につうじてや 氷おのづからとけて鯉二ツふたおどり出たりよろこび取かへりて継母朱子にそなへけりそれよりかの池の氷の上…
母親を車に乗せて曳く江革。江革が登場しているということはかわりにカットされた孝子がいるということですね。あとから仲由も出てきます。カットされたのは張孝兄弟・田真兄弟ですね。 『和漢廿四孝』(東北大学附属図書館所蔵) 出典: 国書データベース,https://doi.org/10.20730/100445689 江革(こうかく) 江革は後漢の代の人なりをさなくて父にはなれ 家貧にして母につかへ孝をなす折ふし戦国となりければ母を車にのせてわきの国へにげゆくところに ぬす人江革を見てつれゆかんとすこうかく悲みていふやう われここに老母ありたよるかたなければ はなれがたきよしをわぶる賊ゆるしてはなせし…
「たちばな二つ」と文中にありますが挿絵では三つ転がってます。頭の上でお香を焚く庾黔婁に比べれば、どうということはないです。 『和漢廿四孝』(東北大学附属図書館所蔵) 出典: 国書データベース,https://doi.org/10.20730/100445689 陸績(りくせき)陸績は後漢の人 年六才の時 袁術といふ人にまみゆ袁術 りくせきのもてなしに橘を出したり陸績たちばな二つをふところにしてかへる時礼をなすとて とりおとしければ袁術見とがめ 幼きとて非礼也といふその時りくせき ひざまづき つつしんで申すやうわか母橘を好めり家にかへりて母にそなへんとぞんじてしょくせずして もちかへらんとすと答…
母をたずねて何千里。中国広いから探すの大変そうね。 『和漢廿四孝』(東北大学附属図書館所蔵) 出典: 国書データベース,https://doi.org/10.20730/100445689 朱壽昌(しゆじゆせう)寿昌は宋の世の人 母は七才の時 父にりべつせられて他へ行たり寿昌せいてうして神宗帝につかへけれども産の母をしらずして一日も孝養をなさざるをなげき官禄をすてて母をたづねに出つひに秦の国にてたづねあたるそのとき母の年七十にあまれりたがひに涙をながしよろこびて 寿昌は孝をつくしつかへけり此事神宗帝にそうもんするものありしにえい感ななめならず 官をすてし罪をゆるし母子ともみやこにめされ もとの…
この庾 黔婁はどうして頭の上でお香を焚いてるんだろう。 『和漢廿四孝』(東北大学附属図書館所蔵) 出典: 国書データベース,https://doi.org/10.20730/100445689 庾黔婁(ゆきんろう)庾黔婁は南斉の人にて 父につかへて孝なりしが ある時父大病をわづらふその善悪を医師にとふに医師こたえて病人の糞をなめてしるべし苦きはよし 甘くば やまひ いゆべからずといふ黔婁 やすきことなりとて ひそかに病人の糞をなめこころみるにその味(あぢは)ひ甘かりしかば 黔婁うれひかなしみ香をたきて北斗星にいのりねがはくはわが命をちぢめ父の命にかへやまひ平癒なさしめ給へと丹精をこらしければ日…
黄山谷(黄庭堅)は高官ながら親の世話を人任せにしなかった偉い人。 『和漢廿四孝』(東北大学附属図書館所蔵) 出典: 国書データベース,https://doi.org/10.20730/100445689 黄山谷(くわうさんこく)黄庭堅は宋の代の人 山谷老人と号す若き時 東坡が門弟となり 詩章に達し官高く平生親につかへて孝なりその身たかきくらゐにのほり 妻もあり あまたのめしつかひもあれど つねに母の大小便の器は人の手をからすみづからそのけがれたるを洗ひその餘 子たるものの おやにつかゆるのみちをつくさずといふ事なしその孝道天理にかなひ りつしんいよいよあつくつひに大史官といへる高官にのぼる尤(…
いくら蚊に喰われてもじっと耐えた呉猛はやがて仙人になりました。 『和漢廿四孝』(東北大学附属図書館所蔵) 出典: 国書データベース,https://doi.org/10.20730/100445689 呉猛(ごまう)呉猛は晋の代 濮陽(ぼくよう)の人なり少(わか)きより孝行の聞(きこへ)ありとし八歳の時 夏にいたれども家貧にして蟵(かや)もなくよろづ心にまかせざれば わが衣を親にきせあかはだかになりて そのかたはらにふし 蚊にあかしめてはらはず はらへば親のかたへ蚊のゆかんことをおそれわが肌をよもすがら蚊にくはせてねむりにつかざりしとぞその他の所行はおしてしらるまことに孝行のあつきこころざし …
王裒が墓参りして泣いている間、両親は天国で楽しく暮らしてたりして。 『和漢廿四孝』(東北大学附属図書館所蔵) 出典: 国書データベース,https://doi.org/10.20730/100445689 王裒(わうほう)王裒は晋の世 営陵の人なり父は王儀とて文帝につかへしに罪なくして命をたたれ 王ほう これを恨(うらみ)一期のあいだ都の方へむかひて座せずつねに父の墓にまうでかなしむ 泪にてかたはらの木もかれたりとぞ母そんざいのとき雷をおそるる人也ければ みまかりてのちも 風雨らいめいするときは王裒はかしよにいたり世にあるときのごとく母ぎみ らいをおそれ給ふな ここにつきそひ奉るとなみだをなが…
この本での「黄香」の読み方は「くわうきやう」なので現代仮名に直すと「こうきょう」ですね。ほかの本では「わうきやう」「くわうけう」「くはうきやう」「くわうかう」など様々。発音にすると「おうきょう」「こうきょう」「こうこう」のどれかかな。今のところ「おうこう」はなかったような。 『和漢廿四孝』(東北大学附属図書館所蔵)出典: 国書データベース,https://doi.org/10.20730/100445689 黄香(くわうきやう)黄香は後漢の世 江夏安隆の人なり九才のとき母におくれ 父につかへて孝心ふかし夏のあつさ つよきときは 父の床のうちをあふぎすずしくして寝さしめ冬のさむき夜は わが身のぬ…
嫌な予感がするので薪を担いで山を駆け降りる曽参。母の身に何か!? ・・・母の身は問題ありませんでした。アポなしのお客さんが来てました。 『和漢廿四孝』(東北大学附属図書館所蔵) 出典: 国書データベース,https://doi.org/10.20730/100445689 曽参(そうしん)曽参は周の世 孔子の高弟子にて つねに孝志あつきゆゑ孔子も道統の伝をつがしめ 孝経をときしめし給ふある時曽参山へ たき木を取にゆきけるるすにしたしき人きたりしかど 元より貧しけれはもてなすこともならず曽参はやく かへれかしとて母ゆびをかみければそのいたみ曽参に通じて にはかに胸いたむゆゑいそぎ たき木をになひ…
追い出されそうになった継母と、その子二人。三人とも泣いています。継母は嘘泣きだと思います。 『和漢廿四孝』(東北大学附属図書館所蔵) 出典: 国書データベース,https://doi.org/10.20730/100445689 閔子騫(びんしけん)閔子騫は周の世 孔子の御弟子にて十哲の一人也子騫が母は はやく世をさり 父継母をむかへたり後の母 子二人をもちて まま子の子けんをにくみ冬 芦の花を衣服にいれて びん子にきせわが実子二人には綿をいれてきせたりある時 父 車をびん子に引(ひか)せけるに芦の花を入れたる衣ひえて體(からだ)こごへむながひを取はづしければ 父も継母のあしきを知りてりべつせ…
話の分かる虎でよかったねー。 『和漢廿四孝』(東北大学附属図書館所蔵) 出典: 国書データベース,https://doi.org/10.20730/100445689 楊香(やうきやう) 楊香は晋の代 魯国の人 楊豊がむすめ也年十四の時 田園に出 粟をとらんとせしに虎来りて父を引くはえゆかんとす楊香女のことなれば すべきやうなしされども日ごろ孝心ふかきものなればわが身に乕(とら)をすこしも怖れず虎の平首にとりつき 父をたすけてわれをくらふべしとなげきければたけき無心の獣なれど この孝心に感じてや 楊香をはなし 猛き勢ひもくぢけけん尾をたれて山のかたへにげさりけり至孝の篤(あつき)にあらずんはか…
心残りもなく任務終了とばかりにあっけなく去っていく織姫。 『和漢廿四孝』(東北大学附属図書館所蔵) 出典: 国書データベース,https://doi.org/10.20730/100445689 董永(とうえい)董永は後漢の人也稚き時母におくれ 父とし老て貧きうなればその身 人にやとはれ わづかの賃銭をとりて孝行を尽しけるが父死して葬ることあたはず人にわが一生の身をかき入れとなし 銭をかりて そう礼をいとなみさてその家にいたらんとせし道にて美女にあいしに 御身の妻にならんといふ董永さい三いなめども 聞ず ぜひなく ともなひて主人のいへに至りしさいをつぐれば 主人曰 汝が妻 絹三百疋おりたらは暇…
桑の実採取中の蔡順は珍しいですね。大抵悪者の前で籠を二つ並べて正座してますよね。 『和漢廿四孝』(東北大学附属図書館所蔵) 出典: 国書データベース,https://doi.org/10.20730/100445689 蔡順(さいじゆん)蔡順は前漢の末 汝南といふ所の人にてをさなくして父にはなれ母につかへて孝行也このころ王莽といふもの むほんして天下 大いに乱れ田みのらず 飢饉におよひ 蔡順 粮(かて)つきて椹(くはのみ)をとるに うつはものを二つにしてわかち入るる 此時又赤眉の賊といふありここにとほりかかり さい順がくはの実を二つにわかつを見てその故をとふに蔡順ききんにて かてなく このみを…
わが子を埋めようとしたら黄金の釜を掘りだした郭巨。子どもの命を失わずに済んだ奥さんが涙を流しています。この「黄金の釜」は「黄金のたくさん入った釜」ですね。黄金製の釜ではなく。 『和漢廿四孝』(東北大学附属図書館所蔵) 出典: 国書データベース,https://doi.org/10.20730/100445689 郭巨(くわくきよ)郭巨は後漢の代 河内といふ所の人也家まづしくて母をやしなひ 二才なる一子あり母つねにその孫を愛してわが食をわけあたへける郭巨つまにむかひいふやうつねに母の食をみてるほど勧ることあたはずしかるにその内を又わけて孫にあたへ給ふを見れば食とぼしくてしのびがたししょせんふうふ…
両親のありし姿を木像にして祀り、日々敬った丁蘭。それが面白くない奥さんが木像を針でつついたところ血が流れ、丁蘭の前で涙を流しました。その夜丁蘭の夢に木像が現れ、妻の所業を訴えたので丁蘭は妻と離婚しました。 『和漢廿四孝』(東北大学附属図書館所蔵) 出典: 国書データベース,https://doi.org/10.20730/100445689 丁蘭(ていらん)丁蘭は後漢の代の人なりをななき(をさなき?)時 二親にはなれ孝をもつて やしなひ つかふることなきをなげき母は胎内のくるしみ有 父にはやういくの重恩ありわれ此おんを報ぜざらんやとて父母のすがたを木にてつくり朝ゆふ いける人につかふるがごとく…
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日暮門の二十四孝彫刻のご紹介は今日で最後になります。子どもの格好をして両親の前で踊る老莱子。 僕まだ子どもだよ!だから父さん母さんもまだまだ若いってことだよ!とアピールしていますがさすがに無理があると思います。 息子は忘年会の余興の練習でもしているのかねえ、なんて話してそう。 今回撮影し忘れた「孟宗」「楊香」「王祥」に関しては、またいつか柞原八幡宮を参拝した折に忘れず撮影してきます。 ーーー 大分市 柞原八幡宮南大門(日暮門)の二十四孝彫刻 終 ーーー
訪問先で出されたミカンをこっそり持ち帰ろうとして見つかっちゃった陸績。 挨拶する時に袂からミカンが転がり落ちてしまったのでした。悪いことは出来ませんね、というお話・・・ではありません。美味しそうなミカンを母親のために持ち帰ろうとしたのでした。 鹿沼市千手院観音堂の陸績。ミカンが転がってます。 こちらの彫刻ではミカンが見当たらない。 陸績の足元がなんか怪しい。 画像を調整してみました。「浩」の下あたり、赤丸部分にミカンが数個あったのでは。ガリガリ削った跡があるし。これでは陸績が何を咎められているのかわからないですね。
性格悪くて追い出されそうになった義母を庇う閔損。 岡田玉山の閔損。義母の連れ子二人は置いていくのね。 絵本二十四孝(岡田玉山)「ARC古典籍ポータルデータベース」arcBK02-0319より 自分の実子二人には優しく、冬には厚着をさせていましたが、先妻の子である閔損には寒くてたまらない服を着せていた後妻。 反省なんかしてないでしょうねー。 激怒する父親をなだめる閔損。お義母さんがいないと子ども三人ともこごえます!お義母さんがいれば僕は寒くても小さい子二人は暖かくしてもらえます!という謎理論で父親を説得。もっと自分を大事にしてほしいものです。 父親は閔損の謎理論に納得してしまったのか、後妻は家に…
蔡順。左上に「蔡順」と彫ってあるので蔡順。 桑の実の入った籠の横で座っているのが蔡順。なぜか籠が一個しかない。自分用(未熟)と母親用(完熟)、二つの籠がほしいところ。 で、この中央で妙なポーズを決めて、やたら目立っているお兄さんは誰なの。刀背負ってるから盗賊の一味なんでしょうけど。そのポーズの意味はなあに。お米はー?肉の片腿はー?御伽草子の蔡順のお話はこちら。 蔡順:早くご褒美下さいよー。 近所の道路わきに勝手に生えてる桑の木が、ちょうど実をつけてました。 上のように黒っぽくなったら食べごろですねー。桑の木って鳥が種を運んで勝手に生えてくるケース多いみたいですね。
年老いた母親を長生きさせるために、郭巨夫婦は幼い我が子を埋めて殺す計画を立てました。地面を掘ると黄金の釜が出てきたので生活は安泰になりました。子どもの命も救われました。 なんだか掘りにくそうな体勢。 岡田玉山の郭巨。 絵本二十四孝(岡田玉山)「ARC古典籍ポータルデータベース」arcBK02-0319より 郭巨はカメラ目線になっています。 奥さんは泣いてますね。彫刻で、泣いてる郭巨の奥さんは珍しいかも。 重宣の郭巨では奥さん泣いてます。 『和漢廿四孝』重宣 画 (東北大学附属図書館所蔵) 出典: 国書データベース
姑のために遠いところまで水を汲みにいっていた姜詩の奥さん。その献身的な親孝行により神仏のご加護を受け、自宅敷地内から水が湧き出るようになりました。しかも毎日鯉も二匹ずつ捕れる様になりました。 水際にしゃがんで、柄杓で桶に水を汲む女性の図は「姜詩」の絵や彫刻ではスタンダード。 御伽草子 二十四孝 姜詩 国立国会図書館デジタルコレクションより 鯉が二匹水面から顔を出しています。 和漢廿四孝 (柳下亭種員撰 房種画)・9 姜詩 「早稲田大学図書館古典籍総合データベース」より ↑この絵の中に、ご主人の姜詩は不在。 魚を運びながら橋を渡るのは姜詩かな。 水汲み場から奥の家まで結構距離ありそう。もっとも自…
董永。主役の董永は画面右上の遠いところにいます。 拡大しないとよくわからない存在。何か農具を担いで帰ってきた様子の董永。 元にしたと思われる岡田玉山の挿絵では織姫のそばにいるのにね。 絵本二十四孝(岡田玉山)「ARC古典籍ポータルデータベース」arcBK02-0319より 彫刻では無理やり後ろを向かされている織姫。赤い部分は椅子の足なんですよね。普通に椅子に座っているのに上半身は後ろ向き。 江革や曽参、黄香も挿絵では前を向いているけれど彫刻では顔の向きが変わってます。黄香は身体ごと挿絵とは反対向きになってますが。 どうしてもこちらに向いている顔を彫りたかったのかなあ。でも織姫の姿勢は無理矢理す…
服を脱ぎ、身を挺して親の代わりに蚊に刺される呉猛。土の上に何か敷いて寝てるし。親は爆睡。呉猛の孝心に感動するより父親への批判のほうが強そうな場面。 岡田玉山・絵本二十四孝の呉猛。 絵本二十四孝(岡田玉山)「ARC古典籍ポータルデータベース」arcBK02-0319より 挿絵では一応屋根のある場所。 呉猛は丸々と太って血も美味しそう。蚊が狂喜する状況ですね。
漢文帝の右側には大舜。お二人の皇帝が並んでました。 つらい幼少期を過ごしながらも親を恨んだりしなかった舜。 これまでご紹介した彫刻では主に参考にしていたと見られる岡田玉山の「絵本二十四孝」ですが、大舜(虞舜)は一般的な少年時代の大舜ではなく皇帝になってからの姿が描かれてます。 絵本二十四孝(岡田玉山)「ARC古典籍ポータルデータベース」arcBK02-0319より 彫刻の象はこちらが似てる感じ。「二十四孝教近道」の大舜。 国立国会図書館デジタルコレクションより バッグの中には何が入ってるのー。クンクン。
漢文帝は立派な宮殿にお住まいですね。豪邸過ぎて人物が小さくなってます。 岡田玉山の漢文帝。 絵本二十四孝(岡田玉山)「ARC古典籍ポータルデータベース」arcBK02-0319より 彫刻の人物の部分を拡大してみましょう。 赤で囲んだ漢文帝と病床の薄太后、そして黄色で囲んだ男性二人と女性一人が彫刻にも描かれているよう。 こちらの厨房担当?の女性は挿絵には出てこない人ですね。 家の中にはこんなに使用人がいるのに、母親の食事は漢文帝自ら味見をして運んだ、というお話ですね。
夏には寝床を扇いで涼しくしてから父親を寝かせる、親孝行な黄香。 岡田玉山の黄香。 絵本二十四孝(岡田玉山)「ARC古典籍ポータルデータベース」arcBK02-0319より 黄香の立ち位置は違いますが、着崩した父親はよく似てますね。
雷雨の度にお墓へ飛んでいく、お墓参り好きな(?)王裒。 お墓が二つ並んでます。父親と母親のお墓でしょうね。 王裒後方頭上には雷神の姿がありますが・・・。 この画像では何だかよくわからない!今度行ったときには雷神もちゃんと写真撮ってこよう。 龍元さんのブログ「国指定重要文化財 柞原八幡宮 其の二」には可愛い雷神さんのお姿がくっきりと。 岡田玉山の王裒もお墓が二つ。こちらは雷神は不在。 絵本二十四孝(岡田玉山)「ARC古典籍ポータルデータベース」arcBK02-0319より
山で薪を集めていた時、「息子よ、早く帰って来て」という母親の心の叫びをキャッチした曽参。 後ろを振り返りつつ、母の待つ家に急ぎます。薪が誰かに盗まれないか心配してるのかしら。 岡田玉山の曽参。こちらの曽参は前を向いてます。首から下、手足の動きは彫刻と挿絵はよく似てますね。 絵本二十四孝(岡田玉山)「ARC古典籍ポータルデータベース」arcBK02-0319より 謎の薄笑い。 薪と薪の間に桶がぶら下がってます。ここに桶があるのは初めて見ました。
妻子も地位も捨てて、生き別れになっていた母親に会いに行った朱寿昌。 岡田玉山・絵本二十四孝の朱寿昌。 絵本二十四孝(岡田玉山)「ARC古典籍ポータルデータベース」arcBK02-0319より玉山の絵では山中の二人ですが、日暮門の彫刻では母親の背後に家がありますね。 やっぱり朱寿昌が訪ねていった母親の家があったほうが落ち着きますね。
母親を車に乗せて曳く江革。多分戦火が収まって避難先から自宅に帰るところ。 岡田玉山の「絵本二十四孝」の江革。 彫刻の江革は振り向いて母親の様子を見守っています。
将来的に、「時代にそぐわない不適切な表現」という理由で撤去されてしまう可能性も否定できない唐夫人。 岡田玉山の唐夫人。 絵本二十四孝(岡田玉山)「ARC古典籍ポータルデータベース」arcBK02-0319より
鹿の扮装をして山に入り、猟師に狙われる剡子。 岡田玉山「絵本二十四孝」の剡子。 絵本二十四孝(岡田玉山)「ARC古典籍ポータルデータベース」arcBK02-0319より 変な奴!討っちゃえ! 怪しい者ではありません!説得力ゼロだけど!
介護を女性に押し付けなかった黄庭堅。 上の部屋には病床の母親。回廊から母親のお小水を流す黄庭堅。下にはお湯を沸かしている女性。 絵本二十四孝(岡田玉山)「ARC古典籍ポータルデータベース」arcBK02-0319より 滝の音を聴きながら飲み物を運ぶ女性。風流ですねー。 その滝の上流で何やら流す主人。 見ないほうがいいわね~。
今日ご紹介する彫刻は仲由です。 孔門十哲の一人、子路。 岡田玉山の仲由。 絵本二十四孝(岡田玉山)「ARC古典籍ポータルデータベース」arcBK02-0319より 仲由は親と暮らしていた頃、貧しくていつもアカザの実などを食べ、米を運ぶ仕事をしていました。両親の死後、仲由は出世して御馳走が食べられるような身になりました。けれども仲由はアカザを食べながら親を養っていた暮らしに戻りたい、と思い涙するのでした。 彫刻ではテーブルの前の女性はいませんね。 食べ物を運ぶもう一人の女性は回廊を歩いています。 先日外食したとき「キヌアのサラダ」というメニューがあり、「キヌアってなあに?」と思って調べたら「アカ…
さて今日はこちらの彫刻です。「丁蘭」です。 左の祠の中には小さな像が二つ。丁蘭の両親をかたどったもの。 「丁蘭」の話を知らない人がこの彫刻を見たら、中央で棒を振り回す人が丁蘭だと思っちゃいそう。 そして右上の女性は、乱暴な夫から像を守ろうとする健気な丁蘭夫人だと思ってしまいそう。 岡田玉山の「丁蘭」。詳しいお話はこちらをご覧ください。 絵本二十四孝(岡田玉山)「ARC古典籍ポータルデータベース」arcBK02-0319より ということで、この暴徒は丁蘭家の隣人の張叔さんでしたー。 丁蘭は不在です。
体温で氷を解かし、母親の為に鯉を捕まえて持ち帰った王祥。 国立国会図書館デジタルコレクションより 継母人間有 王祥天下無至今河水上 一片臥氷摸 王祥 王祥 いとけなくして母をうしなひ 父また継母をもとめ その名を朱氏といひはべり 継母のくせなれば 親子のなかをあしくいひなしてにくましはべれども うらみとせずして けいぼにもよく孝行をいたしける かやうの人なる程に もとの母 冬のきはめてさむき折ふしなま魚をほしく思ひける故に 肇慶府といふ所の川へ もとめにゆきはべりされども冬のことなれば こほりとぢて うを(魚)みへずすなはち衣をぬぎて はだかになり こほりの上にふし魚なき事をかなしみゐたれば …
母の身に何かあったのではと、薪を背負って山から飛んで帰ってきた曽参。 国立国会図書館デジタルコレクションより 母指纔方噛 児心痛不禁負薪帰来晩 骨肉至情深 曽参 曽参あるとき 山へ薪を取にゆきはべり 母るすにゐたりけるに したしき友来れりこれにもてなしたく思へども 曽参はうちにあらずもとより家貧しければかなはず 曽参がかへれかしとてみづから指をかめり曽参山に薪をひろひゐたるが にはかに むなさはぎしけるほどに いそぎいへにかへりたれば母ありすがたをつぶさにかたりはべりかくのごとく ゆびをかみたるが とほくへこたへたるは 一段の孝行にして 親子のなさけふかきしるしなりそうじて曽参の事は 人にかは…
冷たい継母の仕打ちにも黙って耐えた閔子騫。 国立国会図書館デジタルコレクションより 閔子有賢良 何曽照(怨?)晩娘尊前留母在 三子免風霜 閔子騫 閔子騫 いとけなくして母をうしなへり 父また妻をもとめて二人の子をもてり かの妻 我が子をふかく愛して 継子をにくみ 寒き冬の日も葦の穂を取りてきる物に入れて着せける間 身も冷へて たへかねたるを見て父 後の妻を去らんとしければ 閔子騫がいふやうは かの妻を去りたらば 三人の子さむかるべし今我一人寒さを こらへたらば 弟の二人は暖かなるべしとて 父をいさめたるゆへに これを感じて 継母ものちには へだてなく いつくしみ もとの母と同じくなれり ただ人…
亡くなった親の像を祀って毎日生きている人に対するように仕えた丁蘭。奥さんはしぶしぶ従ってます。 国立国会図書館デジタルコレクションより 刻木為父母 形容在日新寄言諸子姪 聞早孝其親 丁蘭 丁蘭は 河内の野王といふ所の人なり十五の年 母におくれ ながきわかれをかなしみ母のかたちを木像につくり いける人につかへぬるごとくせり丁蘭が妻 ある夜のことなるに 火をもつて 木像のおもてをこがしたればかさのごとくに はれいで 膿ながれて 二日をすごしぬれば妻のかしらの髪が 刀にてきりたるやうになりて おちたるほどにおどろいて わびことをするあいだ丁蘭もきどくに思ひ 木像を大道へうつしおき つまに三年わびこと…
雪の中から生えてきたタケノコを収穫する孟宗。 国立国会図書館デジタルコレクションより 泪滴朔風寒 蕭々竹数竿須臾春筝出 天位報平安 孟宗 字恭武あざな けうぶ 或子恭 あるひはしけう 孟宗は いとけなくして父におくれ ひとりの母をやしなへり母年おいて つねにやみいたはり 食のあぢはひも たびごと かはりければ よしなきものを のぞめり ふゆの事なるに 竹の子をほしく思へり すなはち 孟宗 竹林に ゆきもとむれども ゆきふかき折なればなどかたやすく得べきひとへに天道の 御あはれみをたのみ奉るとて いのりをかけて大にかなしみ 竹によりそひける所に にはかに大地ひらけて 竹のこ あまた おへ出侍りけ…
漢文帝。着物や床、調度品まで模様が細かく描きこまれてます。 国立国会図書館デジタルコレクションより 仁孝臨天下 巍々冠百王漢廷事賢母 湯薬必親嘗 漢文帝 漢の文帝は 漢の高祖の御子なり いとけなき御名をば恒(ごう)とぞ申侍りき 母薄太后に孝行也よろづの食事をまいらせらるるときはまづみづからきこしめ召 こころみ給へり兄弟も あまた ましましけれども此みかどほど 仁義を おこなひ孝行なるは なかりけりこのゆへに 陳平周勃などいひける臣下達 王になしまいらせたりそれより漢の文帝と申侍りきしかるに孝行の道は 上一人より下万民まであるべき事也としるといへど 身におこなひ心に おもひ入ことはなりがたきをか…
トップは大舜。 国立国会図書館デジタルコレクションより ※文中、人名・地名と「かうかう(孝行)」「父」「母」などは漢字に変換して読みやすくしています。 隊々耕春象 紛々耘草禽嗣尭登宝位 孝感動天心 大舜 大舜は いたつて 孝行なる人なり父の名は 瞽䏂(こそう)といへる 一だん かたくなにして 母は かしましき人なり弟は おほいに おごりて いたづら人なりしかれども大舜は ひたすら 孝行をいたせりある時 歴山といふ所に かうさく(耕作)しけるにかれが 孝行をかんじて 大象が来つて 田をたがやし又 鳥 とび来つて 田のくさを くさぎりかうさくのたすけをなしける也さてその時の天下の御あるじを尭(ぎや…
明日からは「二十四孝教近道」をご紹介します。 国立国会図書館デジタルコレクションより 初代の北尾重政さんは1820年に亡くなられているようです。こちらは二代目の重政さんの挿絵ですね。
とうとうラスト。黄山谷です。 母親のお小水をダーと流す黄山谷。 お小水を入れる容器は桶・タライ・ポット型などがありましたが・・・。 これは壺! ーーー 栃木市 太山寺観音堂の二十四孝彫刻 終 ーーー
さていよいよ残り二つになりました。本堂正面の右側二つの彫刻のうち、今日は右側の彫刻です。 張孝兄弟。服をはだけてないのでちょっと迷いましたが。 こちらの絵の二人もはだけてませんでした。髪を束ねてるリボンみたいなのも彫刻の二人と似てますよね。 「二十四孝教近道」国立国会図書館デジタルコレクションより 悪党は「張孝張礼」の絵とはちょっと違いますね。これは同じ「二十四孝教近道」の「蔡順」ですが、こちらの右端の悪党が彫刻と似てますねー。この絵を参考にしたのかな?
高齢の両親の前で子どもの振りして踊る老莱子。両親に老いを感じさせまいとする、老莱子なりの親孝行。 常人には理解し難い。 御伽草子の老莱子。 国立国会図書館デジタルコレクションより 老莱子が持っているのは羽が何枚かついた風車でしょうか。背景のお花と重なっているようですね。 御伽草子の老莱子部分を拡大。 どこかで子育て間違えたんでしょうかねえ、と話し合ってるかもしれない両親。
これは自信あります。孟宗です。 タケノコ掘ってるもんねー。 ササの上に雪が積もってます。季節は真冬なのよ~。これが初夏の風景だったらあまり感動しないですよね。
母親を乗せた車を曳く男性。これは江革でしょうね。車を紐で引っ張る、見たことない図柄ですが。なんでうじゃうじゃと子どもがいるのかしら。 江革なかなかしんどそう。 「親を車に乗せて曳く」というエピソードがあるのは江革のほかには董永と閔子騫がありますけど、どちらも乗っているのは父親です。董永はNo.3で出てるし、閔子騫なら子どもだし。この彫刻では曳いているのは成人男性っぽいし、乗っているのは母親ですよね。ということできっと江革。 子どもたちは手伝っているのか、邪魔しているのか。右端の子は寝てるのかしら。
No.7、No.9に続き太山寺観音堂で三番目のタイトル不明。さてこのお二人さんはどなたでしょう。前の人は男性のようですね。後ろの女性はお茶か何か運んでいます。 漢文帝っぽいんですけどねえ。でもこれが漢文帝だとすると栃木市 太山寺観音堂・7は漢文帝ではない、ということになりますよね。 上の彫刻と比べると、こっちの7のほうが漢文帝っぽい気がする。カーテンの向こうには母親らしき人物もいるしね。 別角度から。 ↑前の人は何か持っているような・・・。 ↑何も持っていないような・・・。 後ろ姿。背中に名前書いておいてくれると助かるのにね。 夫婦で何か運ぶ、というと丁蘭も考えられますが、丁蘭はすでに出ている…
これも間違わない孝子。ひび割れた氷から鯉二匹が踊りだしたところをすかさずキャッチする王祥。 両手で二匹をがっちり掴んでますね。 二匹手づかみは初めて見ました。 王祥のいろんなパターン。 輪王寺糸割符燈篭の王祥。寝転がって頬杖をつき、池から鯉が二匹並んで顔を出しています。スタンダードな構図です。 貞泉寺の王祥は一匹を押さえつけてます。 静岡県八千戈神社と神奈川県真鶴神社の王祥は押さえつけずに下からそっと持ち上げる感じ。 成田山釈迦堂の王祥は意気揚々と二匹ぶら下げて家路につきます。
これもミカンさえ確認できれば間違わない孝子。陸績。 ところがその肝心のミカンが見にくい場所にあるんですよねー。 たいてい彫刻の真下から見上げると見えないようなところにミカンが転がってます。 右のミカンをよく見ると枝と葉っぱがついているようです。 「二十四孝教近道」の陸績。この本も近いうちにテキスト起こししてご紹介しようと思います。 国立国会図書館デジタルコレクションより
背面左から二番目の蟇股彫刻は唐夫人。これも間違えようがないですね。 幼子も直視できない(?)異様な光景。 「二十四孝諺解」の唐夫人。 ARC古典籍ポータルデータベースより
さて今日の彫刻は背面左側から三番目。お墓の前で手を合わせる男性。これは確実に「王裒」ですね。 王裒の背後に忍び寄る雲。雷神の太鼓は見えますが雷神は不在? 王裒と雲の間にある板状の部分には細かい直線が平行に刻まれている様子。これは刻んで雨を表現しているのかもしれない。単に木目なのかもしれない。 そしてひょっとして蛾がここにいた? 何という蛾なのか調べようとしましたが、蛾の種類は国内に5000種以上あるとのこと。早々に諦めました。
先日栃木市 太山寺観音堂・7で下の彫刻について「黄山谷かもしれない」と書きましたが・・・。 黄山谷の彫刻は正面にありましたっ!まごうことなき黄山谷!! 場所は正面、画像中央の蟇股彫刻。左がトップにご紹介した大舜の彫刻です。 ちゃんと自分で作った太山寺観音堂の画像フォルダーに「19黄山谷」って名前を付けて保存してありました(恥)。 じゃあやっぱりこれは漢文帝かなあ・・・。でもなんか左半分の無駄な空間が気になるんですよね。ぶちぶち。
背面右から二つ目の彫刻がこちら。 お父さんがスヤスヤ寝てる!呉猛だわ! いや、ちょっと待って。右の少年は服着てる??? もしかしてこれはお父さんの布団を団扇で仰ぐ黄香の、右手と団扇が欠損してる状況? お茶セットも気になるわね。 この彫刻の元になった絵を調査中。ということでタイトル保留二個目。「黄香」か「呉猛」かで悩んだのは初めてかも。「漢文帝」と「丁蘭」はよく悩みますけどね。