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ブログタイトル
四国お遍路・小さな旅
ブログURL
https://blog.goo.ne.jp/teruakinakaie
ブログ紹介文
2014年3月 四国お遍路旅も無事、満願成就!<br><br>自然と花を巡った小さな旅の 気まぐれブログ。
更新頻度(1年)

26回 / 365日(平均0.5回/週)

ブログ村参加:2019/09/26

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てるちゃんさん
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四国お遍路・小さな旅
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四国お遍路・小さな旅

てるちゃんさんの新着記事

1件〜30件

  • 第11回 佐野王子~市野々王子

    佐野王子跡佐野松原の西端、祓川(王子川)の近くにある熊野九十九王子社の一つで若一王子社とも呼ばれ、神域一帯は「若一王子の森」と呼ばれていたそうだ。少なくとも、熊野詣が盛んであった鎌倉前期にはその存在が知られ、後には熊野那智大社の末社となったようで、明治の神仏習合で佐野宇山田にある神社に合祀され廃絶となったそうだ。熊野詣の折は、佐野の浜で拾った小石を衣の袖に入れ、熊野那智大社に奉納する習慣があったとも伝えられている。佐野王子社跡の石碑の近くには尼将軍供養塔やお地蔵さん、神武天皇聖績狭野顕彰碑などが立っている。浜の宮王子社跡(熊野三所大神社)浜の宮王子社は、三所権現、あるいは渚宮とも呼ばれ、熊野詣が盛んだった頃には、熊野九十九王子社の一つで、中辺路・大辺路そして伊勢路の分岐点となっていた。現在は熊野三所大神社と称さ...第11回佐野王子~市野々王子

  • 第10回 熊野速玉大社~浜王子

    熊野速玉大社古の参詣者たちの多くは熊野本宮大社から熊野川を舟で下り、熊野速玉大社に参拝したという。神門熊野速玉大社は熊野本宮大社、熊野那智大社と供に熊野三山を構成する大社。神倉神社のゴトビキ岩に降臨した熊野権現を勧進するため、景行天皇の時代(西暦128年)に、まだ社殿の無い原始信仰、自然信仰時代の神倉山から、現在の社地に真新しい社殿を建て「新宮社」と号したそうだ。平安時代から伝わる熊野速玉大神像と熊野夫須美大神像をはじめ、七体の御神像が保存されているという。主祭神は熊野速玉大神と熊野夫須美大神の夫婦神。樹齢千年の梛の大樹は熊野権現の象徴として信奉篤く、古来から道中安全を祈り、この葉を懐中に納めて参ることが習わしとされている。熊野牛王の御神符と梛の葉をいただくことが、難行熊野詣を無事果たす大きな支えとなったそうだ...第10回熊野速玉大社~浜王子

  • 第 9回 伏拝王子~熊野本宮大社

    伏拝王子跡京の都より長く厳しい道を歩いてきた熊野参詣者が、熊野三山巡拝の最初の目的地である熊野本宮が、遥か彼方の熊野川の中州に鎮座する光景を目の辺りにして、感動のあまり「伏して拝んだ」といわれる。また、この王子社には熊野本宮を目前にして、にわかに月の障りとなり、参拝を断念しようとした女流歌人・和泉式部を、熊野権現が快く受け溶れたという伝説もあるそうだ。伏拝王子の石祠和泉式部の供養塔和泉式部の歌晴れやらぬ身の浮き雲のたなびきて月の障りとなるぞかなしき王子社跡から熊野本宮を望む。写真の右中の白い点に見える所が本宮の旧社地「大斎原」らしい。伏拝王子跡から三軒茶屋跡に向け、地道の古道に入る。爽やかな緑に囲まれた、緩やかな下り道が続いて行く。遠くに見えるは熊野古道小辺路ルートの果無山脈。三軒茶屋・九鬼が口関所跡三軒茶屋跡...第9回伏拝王子~熊野本宮大社

  • 第 8回 猪鼻王子~水呑王子

    熊野古道、京都から大阪・和歌山を経て田辺に至る紀伊路、そして田辺からは険しい山道を分け入り熊野本宮に向かう中辺路。古代から中世にかけ、本宮・速玉・那智の熊野三大社の信仰が高まり、上皇、女院や庶民にいたるまで、旅人の切れ目がなく行列ができた様子から「蟻の熊野詣」と例えられるほど多くの人々が熊野に参詣したと伝えられている。新型コロナウイルス(COVID-19)感染予防の為、今春より行動を慎んでいましたが、感染予防に配意しながらGoToトラベル、熊野古道(中辺路)散歩を再開する事とした。三越峠から発心門王子に向かう途中、赤木越分岐付近から発心門王子間は豪雨災害で通行止めとなっていた。(発心門王子から林道を下り、災害復旧工事現場から川沿いにそのまま林道を徒歩で進むと猪鼻王子、船玉神社に向かう事が出来た)船玉神社船玉神社...第8回猪鼻王子~水呑王子

  • コスモス(秋桜)

    コスモス(秋桜)コスモスの花名「cosmos」の由来は、スペイン人がメキシコから持ち帰ったことが始まりで、美しいという意味のギリシャ語「kosmos」に由来する。このことから、星がきれいに美しくそろう宇宙のことを「cosmos」と呼び、また、花びらが整然と並ぶこの花も「cosmos」と呼ぶようになったと言われている。日本では秋に桜のように群生して咲くことから、アキザクラ(秋桜)と呼ばれていた、という説と、花びらの形が桜花に似ているからこう呼ばれている、という説があり、明治12年に日本に渡来した時に「秋に咲く桜のような花」という意味で「アキザクラ(秋桜)」という名前になったそうだ。近所の軒下では干柿が日差しを浴びて輝いていた。美味しそう!コスモス(秋桜)

  • 南紀白浜へ

    結婚45周年、妻への感謝の気持ちを込めて、南紀白浜へ1泊の小旅行に出かける。GoToトラベルを活用した旅行だ。三段壁、千畳敷、白良浜、円月島を眺め、今宵のお宿へ。眺める海と夕暮れのひと時、宿の食事にお腹が応える。満足な料理だった。浜千鳥の湯でゆったりと浸かり、幾年の労苦をねぎらった。ありがとう・・・南紀白浜へ

  • 彼岸入り

    お彼岸は春分の日と秋分の日を中日として、前後3日間、合計7日間をお彼岸の期間とされ、自然やご先祖様に感謝を捧げる仏教の伝統行事。春分の日は「自然をたたえ、生物をいつくしむ。」秋分の日は「祖先をうやまい、なくなった人々をしのぶ。」と、自然や先祖を大切にする日本ならではの伝統文化として現在まで続いている習慣だそうだ。お彼岸を象徴する花「彼岸花」秋の彼岸の頃に畦に地中から花芽を出して赤い花を咲かせているのを見る。近くの田圃では稲刈りが始まっていた。彼岸入り

  • 盛夏に咲く酔芙蓉

    芙蓉芙蓉は、夏を代表する花木の一つ。暑さにも寒さにも強く排気ガス等に強い性質があり、道路の路肩などの植え込でも良く利用されている。夏になるとピンク色や白色の大輪の花を咲かせ、朝に咲いて夜にはしぼむ1日花だが、次々と花を咲かせる。朝の咲き始めは白、昼間はピンク、夕方には紅色に花の色を変えることから、酔って顔が赤くなることにたとえて「酔芙蓉」とも呼ばれているようだ。芙蓉の全般的な花言葉は「繊細な美」「しとやかな恋人」。芙蓉の花は1日でしぼむ儚さ、穏やかな色味で咲いている花姿のイメージが美しい女性の例えとして使われてきた。古くから美しい女性を「芙蓉の顔」と表現、まさに女性の美を称賛するときにピッタリの植物だ。連日の酷暑もそろ楚々収まるか・・・・・盛夏に咲く酔芙蓉

  • 梅雨明け

    大阪管区気象台は「近畿地方が梅雨明けしたとみられる」と発表があった。平年より10日遅く、昨年より7日遅く、統計開始以来、3番目の遅い梅雨明けだそうだ。これから酷暑の毎日がやって来る。九州・中国・東海・東北・・・・全国各地の豪雨災害。コロナ禍の中での早期な復旧を望む。百日紅も夏空の中で咲き誇ってった。梅雨明け

  • ランタナの花言葉

    ランタナ(七変化)の花言葉和名で「七変化」と呼ばれるランタナ。その名の通り、徐々に花の色が変化する不思議な常緑性の花木だ。外側から内側へ咲き進むにつれて花の色が変化することから和名では「七変化」と呼ばれている。開花時期は5~11月頃と長いのが特徴。何時でも花が咲いているので、花壇や鉢に植えて飾っておくと見栄えが良い。ちなみに、ランタナの開花時期と、花の色が変化することから、同じ特徴をもつアジサイと混同されがちだが、まったく別の種類の植物だそうだ。ランタナ(七変化)の花言葉は?「心変わり」「合意」「協力」「厳格」花言葉の「心変わり」は、花色が徐々に変化することに由来し、「合意」「協力」の花言葉は、小花が一緒に何かをしているように見えて咲く姿から花言葉に繋がっている。そしてランタナは、花の色を変化させながら半年以上...ランタナの花言葉

  • 梅雨入り 2020

    梅雨入り新型コロナウイルスは世界を震撼。皆さん如何お過ごしでしょうか?穏やかな春をマスク姿で過ごし一息ついた後、長雨が続く梅雨の季節がやって来た。今日、気象庁から中国地方、近畿地方、東海地方の梅雨入りが発表された。平年と比べ、中国地方と近畿は3日遅く、東海は2日遅い梅雨入りだそうだ。「梅雨」とは春から夏に移り変わる時期に雨や曇りの日が多くなる「雨季」の一種で、日本の他に中国や韓国など東アジア地域で見られる気象現象で、気象庁は毎年梅雨入り時期の速報を「梅雨に関する気象情報」として発表しており、「梅雨入り」とは「梅雨の季節に入ること」だそうだ。また、「入梅」とは雑節の1つで、「入梅」は太陽の黄経が80度に達した日とされているが、以前は立春から数えて135日目。更に古い暦では、二十四節気の1つである芒種(ボウシュ)...梅雨入り2020

  • フラワームーン

    今宵の夜空を飾る月は満月日本では、秋のイメージかもしれないが、英語圏に目を向けると、満月には様々な呼び名があるそうだ。5月の満月は「フラワームーン」と呼ばれ、まさに新緑の季節で、花が咲き乱れる時期なので、ピッタリの呼び名だ。ステイホームが呼び掛けられている中、今夜は、花の香りの余韻と伴に満月を眺めてみるのも良いものである・・・。フラワームーン

  • 第 7回 熊瀬川王子~湯川王子

    小広峠下のトイレを過ぎ、熊野古道案内・道標に従い谷川にかかる橋を渡ると、草鞋峠の上り坂が始まってくる。上り初めて少しで、地蔵さんそして熊瀬川王子が現れた。熊瀬川王子跡熊瀬川の地名は、草鞋峠の登り口付近一帯を指しており、王子跡は此処が妥当と考えられている。しかし、中世の熊野参詣記には、熊瀬川王子の名が見当たらず、そのため小広王子と熊瀬川王子を同一の王子であるとし、熊瀬川王子自体の存在が疑問視されているようだ。草鞋峠の上り坂、つづら折れの急な女坂を下り、仲人茶屋跡へ。2011年6月に紀伊半島を襲った大雨により、熊野古道は仲人茶屋跡からつづら折れの急な男坂を上り、中辺路の難所として知られた岩神峠を越えての蛇形地蔵間は通行止めとなっている。その間は迂回路の古道?で結ばれ、岩神王子跡は拝めなくなっていた。岩神王子跡岩神峠...第7回熊瀬川王子~湯川王子

  • 第 6回 継桜王子~小広王子

    比曽原王子から東へ約1km進むと次の継桜王子に着く。急な石段の神社で、王子社跡の碑と社殿とが共存する王子社だ。継桜王子跡この王子は若一王子権現ともいわれ、野中地区の氏神でもある王子社で、社殿は石段の上の高所にある。熊野古道「継桜王子」の名前の元となった継桜とは、12世紀初めには語られていたようで、天仁2年(1109)熊野参詣した藤原忠宗は「道の左辺に続桜の樹あり、元は檜でまことに稀有なこと」と日記に記してあるそうだ。とがの木茶屋継桜王子社を少し行くと「とがの木茶屋」がある。昨年(2019)9月に94歳で亡くなった名物女将、玉置こまゑさんは熊野古道を歩く若者にいつも声を掛けていたそうだ。茶屋は地域住民の協力で古道を歩く人達の休憩所として開放。今も玉置こまゑさんを偲び多くの旅人が訪れているようだ。継桜王子名の継桜が...第6回継桜王子~小広王子

  • 満開の桜&桃源郷

    さくら近くの道路脇に桜の花が満開を迎えていた。春たけなわ桜の花は人の心を落ち着かさせる。吹く風も心地よい。紀の川市桃山町、まさに桃源郷。桃色の霞とほのかに甘い香り・・「桃源郷」で栽培される桃は、「あら川の桃」として全国的に有名だ。桃の原産は、中国の黄河上流、陝西省の高原地帯だといわれ、日本には縄文か弥生時代に伝わったとされている。摘花作業が始まっていた。満開の桜&桃源郷

  • 第 5回 大坂本王子~比曽原王子

    昨年末より休止していた熊野古道(中辺路)散歩を再開した。富田川の中流、滝尻王子を右岸に見ながら国道311号線をひた走り、逢坂トンネルを抜けて、道の駅「熊野古道中辺路」より大坂本王子を目指して足を進める。大坂本王子社跡大坂(逢坂峠)の東側の麓にあるからこの王子社名が付いたようだ。坂尻の谷川の側に大坂本王子跡はあった。今は杉林の中であるが、社跡とみられる石や大木の切り株が残されていた。石造の笠塔婆が王子跡をとどめているようだ。天仁2年(1109)熊野参詣をした藤原宗忠は「坂中に蛇形の懸かった大樹がある。昔、女人が化成したと伝えられる」と日記に書いてあるそうだ。静寂さがなにか霊気を漂わせてくれる。谷川のせせらぎを聴きながら、杉木立の中を牛馬童子に向けて歩く。箸折峠の牛馬童子像と役行者像熊野御幸の花山法皇が、この峠で昼...第5回大坂本王子~比曽原王子

  • さくらの開花

    和歌山市(紀三井寺・標本木)も一昨日、桜の開花を宣言した。此処、和歌山県緑花センターでもソメイヨシノの開花を見た。ソメイヨシノは、大島桜と江戸彼岸桜の自然交配によって生まれたと考えられている。江戸時代末期に江戸染井村の植木屋から「吉野桜」として売り出されたのが由来であり、その後、奈良の吉野山の山桜と紛らわしいために「染井吉野」と呼ばれるようになったそうだ。付近の山桜は満開を迎えた木々もあり、ソメイヨシノとは違った優雅な花を咲かせていた。山桜の見た目はソメイヨシノとほぼ同じだが、開花と同時に葉が出るのが特徴だ。また、山桜は開花時期に個体差があるため一気に散るということが無く、長期間にわたってお花見が楽しめる。奈良県「吉野の桜」で有名な山桜。日本の象徴ともいえるこの桜は野生の桜の代名詞となっている。春が一気にやって...さくらの開花

  • 夕焼けと虹

    オレンジ色の夕焼けに輝く虹の競演の競演だ。夕日の沈む僅かなひと時、東の空に夕焼けと虹の競演をみた。昨日の朝は濃霧。自然の情景は私達に素晴らしい美の感動をもたらしてくれる。夕焼けと虹

  • 早春・梅花の香り

    早春四季のある日本は、冬が終わりに近づくと早春を迎える。寒い冬季には、暖かくなる春を待ち遠しく感じる・・・。立春を過ぎたといえまだまだ寒い日も多い2月、陽射しが暖かく気温も上がった昨日、和歌山県植物公園緑花センターに梅の香りを求めて出かけてみた。寒空にほんのりと漂う梅の花の香りは、五感で春を感じさせてくれる。緑花センターでは清楚で凛として、青空に映える白梅ピンク色や紅色の紅梅小梅、南高梅、鹿児島紅、寒紅梅・・・ほのかな香りを漂わせていた暖かくなる春が待ち遠しい早春・梅花の香り

  • 故郷呉の景色

    先日、久しぶりに呉に立ち寄った。法事に向かう途中だ。「アレイからすこじま公園」では、何時もの「黒いクジラ」が停泊していた。昨日、海上自衛隊護衛艦「たかなみ」が横須賀基地から中東派遣への不安の船出をした。隊員の安全と任務遂行を祈る。中東情勢の悪化、世界経済の不安定化等、予断を許さない。戦争・貧困・環境不安等の無い「世界平和の実現」には程遠いものを感じる。「軍港呉」の懐かしい風景をまた、目に留め置いた。第二音戸大橋を渡り、音戸大橋のループ橋を遠望する。バイパス道路が出来る迄のこの橋での停滞状況が目に浮かぶ。幾度と無く通過したものだ。そして、もう1橋「早瀬大橋」だ。多島美を誇る瀬戸内の島々はこうして、橋で繋がれた生活を送っている。我が故郷はもうすぐだ。故郷呉の景色

  • 陽だまりに咲く蓮華花

    陽だまりに蓮華の花が咲いていた。立春もまだ迎えていなのに・・寒風の空の下、寒そうに・・・・蓮華は春になると、野原や田圃などにピンクの絨毯に染め上げる可愛らしい草花です。蓮華の花は小さなマメの花の集合体で、複数の小花を放射状に広げるように咲かせる。蓮華の開花も暖冬・温暖化の影響か?気候変動の危機を予感。身近に出来る温室効果ガス削減に努めよう!農家の庭先で、この時期茎に赤い花をつけるアロエの花が・・・昔から食用・薬用・鑑賞用として馴染みの深いアロエの花だ。周りはまだ冬の季節、気候変動への危機、少し安心した。陽だまりに咲く蓮華花

  • 蠟梅と水仙が見頃

    蠟を塗ったかのように鈍いツヤがある花を咲かせる蠟梅。蠟梅の花は、早春の寒気の中で、甘い芳香が漂う春の到来を告げる花。その甘い芳香は、フルーティーで石鹸のような清潔感のある、水仙に似た香りが漂う。暖かな今日、大阪府立花の文化園(河内長野市)に蠟梅を求めて出かけてみた。園内のアジサイ園の周り小道に蠟梅は咲いていた。ああ、なんと香しい事か。暖かい大温室の中では、すでに春を見せていたが、屋外のバラ園では寒空の中でひっそりと咲き残っていた。梅花(上)と十月桜(下)芝生広場の周りの土手には早くも水仙が咲き誇っていた。水仙の香りも素晴らしい。今度はクレマチス園、ボタン・シャクヤク園が見頃な時期に再来園してみたいな。蠟梅と水仙が見頃

  • 令和2年元旦

    明けましておめでとうございます。皆さま清々しい新春をお迎えのこととお慶び申し上げます。令和初めてのお正月いかがお過ごしですか?今年も・・・初詣本年もどうぞよろしくお願いいたします。令和2年元旦

  • 第 4回 不寝王子~十丈王子

     滝尻王子社から、いよいよ熊野三山の聖域に入る。急な石の登り道が迎えてくれた。 石の登り道をあえぎながら登ると、胎内くぐりの岩、さらに乳岩が現われる。胎内くぐりの岩(右上)この岩穴をくぐる事を、胎内くぐりと呼ばれ、女性が胎内くぐりをすれば安産になると信じられているそうだ。乳岩(右下) 藤原秀衡が妻と熊野詣でに訪れた際、妻が産気つき、乳岩で男児を出産した。秀衡は夢枕に現れた熊野権現のお告げにより赤子をこの岩に置き去りにして出発、無事熊野詣でを終えて戻ってくると、赤子は岩肌を流れる白い乳を飲み、狼に守られて無事であったと云われている。不寝王子跡 乳岩を過ぎ、坂を登れば間もなく不寝王子跡。 不寝王子の名称は中世の記録には登場せず、江戸時代の元禄年間頃に著された紀南郷導記に、ネジあるいはネズ王子と呼ばれる小さい祠の跡が...第4回不寝王子~十丈王子

  • 第 3回 一瀬王子~滝尻王子

    興禅寺(だるま寺)稲葉根王子から国道を北進して市ノ瀬橋を渡ると細い道を上がりきった所にそのダルマ像で有名な興禅寺はあった。境内隣接地には日本一の白いだるま座像があり、全国だるま八名刹に指定され、別名「だるま寺」と呼ばれているそうだ。一瀬王子跡富田川を左に見ながら進むと小山集落の山裾に一瀬王子跡の祠が祀られている。一ノ瀬とは熊野に入るための禊をする最初の川瀬のこと。富田川(岩田川)にちなんだ王子社だそうで、熊野の霊山からの水に触れるわけであり、古道中の神聖な場所であった。平家物語には「この河の流れを一度渡るものは、悪業煩悩無始の罪障消ゆる」と記され、この河による水垢離は厳粛なもので、いままでの罪業がすべて消え去ると広く人々に信じられていたそうだ。鮎川王子跡一瀬王子跡から車道を北上、加茂橋を渡り、更に国道311を北...第3回一瀬王子~滝尻王子

  • 第 2回 三栖王子~稲葉根王子

    三栖王子社跡報恩寺左側の峰伝い、左会津川を見下ろす田園地帯の見晴らしが良い高台に三栖王子跡の碑が設けられていた。江戸時代には側を流れる左会津川に王子社が映って見えたことから影見王子とも呼ばれていたそうで、当時の社殿は水害で崩壊し、現在は潮見峠へ向かう途中にある珠簾神社に合祀されているそうだ。三栖王子跡標の隣に額田王の万葉歌の碑がある。三栖山の檀弦はけわが夫子が射部立たすもな吾が偲ぶばむ八上王子跡建任元年(1201)の「熊野御幸記」に名を残す由緒ある王子で、西行法師もこの地を訪れ、山家集に歌に詠んでいる。西行の歌碑待ちつきる八上の桜さきにけり荒くおろすな三栖の山風田中神社の森と大賀ハスの栽培地熊野参詣道中辺路の八上王子と稲葉根王子の中程辺りに、田中神社はある。その名の通り、水田の少ない熊野では珍しい、田の中にある...第2回三栖王子~稲葉根王子

  • 南西の空に輝く月と惑星達

    29日㈮、南西の夕空で土星・三日月・金星・木星が並んで輝いていた。月の近くにある金星は、一番明るくすぐに見つかりました。そして、金星の少し右下に木星が輝いています。土星も月の左上に輝いています。夕暮れの三日月と金星美しい眺めとなりました。南西の空に輝く月と惑星達

  • 第 1回 出立王子~万呂王子

    熊野古道は、鳥羽離宮から淀川を下り、摂津の窪津で上陸、河内国、和泉国を通り、紀伊路を南下。中辺路、大辺路との分岐点である田辺市を経て熊野三山(熊野本宮大社・熊野速玉大社・熊野那智大社)に至る古道です。熊野詣でが盛んな平安時代後期(1300年頃)、その道筋に熊野権現の分神が祀られていた。これを「王子」と言い、浪速から熊野の間に置かれ、総評として「九十九王子」と呼ばれています。これから巡る「九十九王子」は、熊野三山に至る熊野参詣道のうち、田辺から本宮、新宮、那智に至る山岳路で「中辺路」と呼ばれ、特に平安時代から皇族貴族が幾度も繰り返した「熊野御幸」では、中辺路が公式参詣道となったそうです。その当時の旅は、長く険しい山道を越えるだけでなく、水垢離をして心身を浄めながら、ひたすら熊野の神々や仏の救いを心に念じ熊野三山を...第1回出立王子~万呂王子

  • 第16回 三鍋王子~出立王子

    三鍋王子跡みなべICを出て南進。JR紀勢本線のガードをくぐりぬけた先の交差点を左折して間もなく、北道会館隣に三鍋王子社が鎮座していた。小栗判官が水を飲んだと伝えられる奇跡の井戸。常陸の国城主小栗判官は熊野「湯の峯」の湯が効果ありと聞き、妻照手姫の献身的な介添えのもと、箱車に乗せられて紀伊路を南下、熊野に向かった。その道すがら、照手姫がこの井戸から水を汲み、判官に飲ませたと伝えられている。鹿島神社みなべ沖にある鹿島の南島にあった鹿島神社は明治42年に天照皇大神、須佐之男命と合祀され、現在の場所に移動したそうだ。毎年8月1日に南部湾で開催される花火大会。起源は、約300年前江戸時代の宝永4年(1707)10月28日に起こった大地震の津波が発生した際に、南部湾にある鹿島が波を2つに分けて被害を最小限に抑えたことへの感...第16回三鍋王子~出立王子

  • 第15回 切目中山王子~千里王子

    切目中山王子跡切目駅北側のガードをくぐり南東へ山道を行くとやがて切目中山王子社に詣でる。切目(切部)中山王子社は元々現社地より東の王子の谷と呼ばれる地にあったと伝わる。徳本上人名号碑熊野詣の旅人が、行倒れることも多くあり、その鎮魂のためと言われている。史跡岩代の結松この史跡も、場所が変遷しているそうだ。松も何代目なのか?謀反の疑いで連行されていく有間皇子が、松を結って祈りを捧げた。有馬皇子が詠んだ挽歌が万葉集にある。磐代の浜松が枝を引き結び真幸くあらばまた還り見む岩代王子跡岩代駅の近くの線路を越え浜に出ると岩代王子跡がある。線路側に咲いた浜昼顔の花(海岸の砂地に生息する多年草。葉の脇から長い柄を出して、花径4~5センチの淡い紅色の花を1つずつ付ける。)岩代王子跡新古今集巻十九(神祇)に「熊野へ詣で侍りしに、岩代...第15回切目中山王子~千里王子

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