従来の俗説になじまれている向きには、このブログに書かれている様々な歴史上の記事を珍しがり、読んで驚かれるだろう。<br><br>
日本のサイバー・セキュリティ防衛の実態日経新聞は21日、「サイバー防衛、遅れる日本」と題する記事を掲載しました。自衛隊が来春までにサイバー部隊の人員を3割増加の約290人に増やす一方、米国、中国、ロシアに比べると圧倒的に少ないと紹介している。防衛省は民間からの専門家をヘッドハンティングすることを検討しているものの、その動きは鈍く、体制の強化が遅れると米国との協調に影響が出る可能性もあるとしています。ということは、圧倒的に豊富な情報量の米国からの情報供与が少なくなり、日本は情報の谷間に孤立することを意味する。従って日本はコンピューターに精通した、操作と分析力の強い俊英チームを、早急に大量に増やさなければならない。私案だが、日本も欧米に倣って、内閣直属で少なくとも、5000人規模の「国家サイバー・セキュリティー・セ...日本のサイバー・セキュリティ防衛の実態
※本稿も長文です。NHKの大河ドラマを本物と思い込んでいる方は、その違いに驚かれるだろう。どちらを信じるかは読者の自由です。しかし、興味のある方はプリントアウトして熟読するのもよろしいかと。尚、誤字脱字はご容赦。嗚呼!!大忠臣・明智光秀【第一部】光秀の母の名は〈総見記〉は別名を〈織田軍記〉ともいうが、これに、こう言う話が載っている。「明智光秀は天正七年の五月に丹波へ進攻し、八田、波多、八折の諸城を落した。だが八上城の波多野一族だけは、あくまでも反抗して手をやいてしまった。当時、西丹波から攻めこんだ秀吉は、僅か二十日間で平定して既に播磨へ凱旋していたから、東を攻略できぬ光秀は焦った。そこで、五月二十八日に、己れの老母を人質として八上城へ送り、波多野兄弟を、光秀は、自分の本目(もとめ)の陣へ招いた。ところが信長から...嗚呼!!大忠臣・明智光秀【第一部】光秀の母の名は
異聞 『徳川家康』 徳川家康の妻 松平元康が徳川家康は間違い
異聞『徳川家康』徳川家康の妻松平元康が徳川家康は間違い〈泰平年表〉には家康の母の事を次のように記されている。「西郷弾左衛門清員の養女にて実は服部平太夫郷則の娘にて、実は竜泉院と諡し、駿府の府中に竜泉寺を建立。これに葬る。のち寛永五年七月。従一位を贈位。宝台院と改謚す。俗名おあいの方さま。西郷の局とも申しあげ、台徳院様(徳川秀忠)、薩摩守忠吉の御生母」とあり、〈徳川実紀〉では「家康公正室」と明記されてある。この服部平太夫郷則というのは、家康の若い頃その一党と身を寄せていた鍛冶屋の事である。もちろん、鍛冶屋の平太に、初からこんないかめしい名があるわけはなく、後からこしらえたものであるし、西郷村の弾左衛門というのは、これは非違を糾す当時の役名のようなものが弾左衛門なのである。つまり小伝馬町牢屋敷の江戸の弾左衛門だけが...異聞『徳川家康』徳川家康の妻松平元康が徳川家康は間違い
本の紹介「天下分け目の関が原合戦はなかった」著者紹介(二人の共著になっている)以下は巻末の紹介文からの引用である。乃至政彦(ないし・まさひこ)歴史家。1974年、香川県高松市生まれ。神奈川県相模原市在住。2011年に伊東潤との共著『関東戦国史と御館の乱』(洋泉社)を刊行。代表作に『戦国の陣形』(講談社)、『上杉謙信の夢と野望』(KKべストセラーズ)、『戦国武将と男色』(洋泉社)。その他、多数の書籍の監修に携わる。おもな論文に「戦国期における旗本陣立書の成立:[武田信玄旗本陣立書]の構成から」。NHK『歴史秘話ヒストリア』、BS-TBS『諸説あり!』などの歴史番組にも出演。高橋陽介(たかはし・ようすけ)歴史研究者。1969年、静岡県浜松市生まれ。東海古城研究会・勝永座談会・佐賀戦国研究会・曳馬郷土史研究会に所属。...本の紹介「天下分け目の関が原合戦はなかった」
本の紹介 「ザ・フォツクス」著者 フレデリック・フォーサイス 定価・本体1800円(税別)
本の紹介「ザ・フォツクス」著者フレデリック・フォーサイス定価・本体1800円(税別)フォーサイス、久々の新刊である。英軍特殊部隊がとらえた、ハッカー(フォックス)。米国国家安全保障局に侵入したのは、まだ高校生だった。この時、英国首相の国家安全保障関係の個人的助言者である、サー・エイドリアン・ウェストンは米国大統領に、ある取引を持ち掛ける。その内容は、敵対する国のシステムに痕跡も残さず侵入し、秘密工作を行わせ、その情報の全てを提供するという「トロイ作戦」の発動である。こうして「フォックス」を使い、ウエストンの暗躍が始まるのだが、国際謀略小説の第一人者フォーサイスの筆力は健在である。舞台は米国、英国、ロシア、イスラエル、イラン、北朝鮮と広範で、各国の秘密情報機関の暗闘は凄まじい。この本の訳者黒川敏行氏の後書きを一部...本の紹介「ザ・フォツクス」著者フレデリック・フォーサイス定価・本体1800円(税別)
いろは歌留多から見える日本史の真実 「川中で、尻を剥ぐ」 、「ヨシの孔から天を覗く」
いろは歌留多から見える日本史の真実「川中で、尻を剥ぐ」「カ」のつくものでは、一般では「蛙のつらに小便」といって、図々しい奴のことを言うのだが、サンカ側では「川中で、尻を剥ぐ」となる。その意味は、昔の尼さんというのは日本建国この方、舶来の方のみ、つまり仏教側だけが、男は坊主に、女は尼になれたのである。これはれっきとした官僧とされ、権威があった。それまで日本列島にいた先住民(原住民)の女たちは、説教されて尼さんになろうと願望する者がいても、髪を尼さんなみに、つるつる坊主には剃れないという掟があった。それは「比丘尼(びくに)」と呼ばれ、髪は残しておかねばならぬのが掟であったのである。江戸期になるとこの比丘尼たちも、本山へ上納金を納めねばならぬようになり、やむなく頭を布で包み隠して客をひき、「春比丘尼」とか「船饅頭」と...いろは歌留多から見える日本史の真実「川中で、尻を剥ぐ」、「ヨシの孔から天を覗く」
いろは歌留多から見える日本史の真実 笑う門には福きたる ワラ束ねても男
いろは歌留多から見える日本史の真実西歌留多には「笑う門には福きたる」という、これも有名な唄がある。家の門の前でアハハと大口開けて笑っていたら、口の中ヘアブや蚊が入ってきて厄介なことになる。とても、福どころの騒ぎではない。この笑うというのは、ワラウの事で、江戸時代の「笑い絵」と同じで、春画、即ちポルノ画像のことである。「門」もカドではなく、女体の秘所のことである。カはカカア、つまり奥さんのことである。女権の強い地方では「オッカド」とも云い、おっかあ、つまり奥さんの奴隷のように、よく尽くせという意味でにもなる。だからこの「ド」は奴隷のドなのである。つまり夫が女房へ、夫の義務であるSEXをよくはたして満足させている処は、夫婦円満で(七)福が訪れるとされ、今も信州の野沢の旧家では、昔から正月には玄関の入口に、大きなカと...いろは歌留多から見える日本史の真実笑う門には福きたるワラ束ねても男
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