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新令和日本史編纂所 https://blog.goo.ne.jp/reiwanihonshi

従来の俗説になじまれている向きには、このブログに書かれている様々な歴史上の記事を珍しがり、読んで驚かれるだろう。<br><br>

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2019/09/12

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  • プラモデルの断捨離

    老生、男の終い支度として、身の回りの物をほとんど捨てた。その中に趣味で作ったプラモデルが数百点在る。これも業者に綺麗さっぱり全て引き取ってもらった。プラモデルなどというシロモノは興味のない人間にとってはただのプラスチックの厄介なゴミにすぎない。ただ、比較的印象に残っている作品は画像としてクラウドサーバーにUPし保存してある。これはその中の一点だが、当ブログの「小難しい文章」の合間の一服としてお許しいただきたい。武器はどんな綺麗ごとをいっても紛れもない「殺し道具」でしかない。しかし小は拳銃やナイフから戦艦大和まで、その機能と美しさが一致した究極の造形美は事実であり、なんとも不思議で皮肉な人間の性(さが)である。なお、作品のほとんどはリアルさを追求する「汚れ技法」は使っていない。武器が綺麗だということは、戦争がない...プラモデルの断捨離

  • ハリウッド映画 『黒い司法』

    ハリウッド映画『黒い司法』先日CATVで、ハリウッド映画『黒い司法』を観た。数ある「冤罪事件」を扱った実話映画である。民主主義先進国であるアメリカの闇を抉った傑作。日本も冤罪事件は多く、警察官や検事、裁判官にも「教材」として観てもらいたい。正義は真実からしか実現できないという強力なメッセージが込められている。そして主人公弁護士と、死刑囚の「諦めない強い心」が結局勝利を勝ち取る。この映画は、観る者の怒りと人種差別の不条理を増幅させ、死刑囚の悲哀に滂沱と流れる涙と慟哭が止まらないだろう。“黒人であること自体が、罪になる”。2020年2月28日に公開された映画「黒い司法0%からの奇跡」は、そんな“いともたやすく差別が行われた信じがたい事実”を題材としている。物語の主役は、有力な証拠もないのに死刑囚にされた黒人と、彼を...ハリウッド映画『黒い司法』

  • 古代史擬 延暦の日本三十八度線

    古代史擬延暦の日本三十八度線箱根山を境に日本列島を二分したのは、なにも徳川家康が嚆矢ではない。彼は箱根を境に東は「金本位制の四進法」、西は「銀本位制の十進法」と一国二貨幣制度を作った。(「箱根の山は天下の権」に詳細)宝亀十一年つまり七百八十年。陸奥の上治郡の俘囚(日本原住民)が蜂起して、伊治の砦にいた占領軍の紀の広純を討ち、武器食糧を奪還すると、すぐさま、「それッ西へ……失地回復するのは、このときしかない」と雪崩をうって攻めこんだ。この時期、継体王朝系の藤原仲麿が勢力を伸ばしてきてから三十二年たち、弓削道鏡が東へ追われ十年目のことである。翌七八一年は、「天応元年」となり、次の八二年には、「延暦元年」となって恒武帝の世となる頃のことなのである。だが、エビス、エベス、エソとよばれ、エの戸(江戸)以東へ追われていた、...古代史擬延暦の日本三十八度線

  • 北のミサイルはアメリカ製か 武器から見える国際情勢の裏

    北のミサイルはアメリカ製か武器から見える国際情勢の裏アメリカの本質を見誤ってはならない今回は、国際軍事に精通する、危機管理ジャーナリストの丸谷元人氏の記事を引用しての紹介です。2022年に入ってから、まだ1ヶ月も経っていない今日までの間に北朝鮮は4回(計6発)のミサイルを日本海に向けて発射しました。防衛省は、一番最近の17日に発射された2発の弾道ミサイルについて、2019年3月などに発射されたものと同じ型の短距離弾道ミサイルとみられるとし、北朝鮮の軍事動向について引き続きアメリカなどと緊密に連携を図りながら日本の平和と安全の確保に万全を期すと発表しましたが…このミサイルはアメリカの短距離弾道ミサイルである「ATACMS(エイタクムス)」にそっくりだったようです。日本を守ってくれるはずのアメリカがまさか北朝鮮にミ...北のミサイルはアメリカ製か武器から見える国際情勢の裏

  • 日本人の祖国は何処か? 山田長政の目的

    日本人の祖国は何処か?山田長政の目的「よく似ている、日本人にそっくりだ」と、ベトナムからタイやマレーシアへ行くと、びっくりしたり感慨を誰しもうける。それに感心させられるのは農村の水田耕作の方法である。朝鮮や中国方式でない日本の水田は、何処の国からの伝承かと首をひねる人も多かろうと想われる。しかし松林が続く風景や、杉木立などに包まれた周囲を見渡すと、まるで日本内地のおもむきがあるのも、丹念に見直すと日本の野山にあるのと同じ雑草が、ここにも生い茂っているせいであるらしい。もちろん何故に同じ植物が繁茂しているかは、どちらかの種子を人間が持ち込んだせいだろう。が、もっと驚かされるのは、そうした山間地で今もみられる男子の風俗である。日本そっくりな木立の中で、また同じ恰好の人間をみては、誰しもが成程とうなずかされるものがあ...日本人の祖国は何処か?山田長政の目的

  • 太平洋戦争とサンカ

    太平洋戦争とサンカサンカ部族は太平洋戦争になると弾圧はさらに過酷になった。村や町に溶け込んで暮らし、戸籍のある者は村役場の兵事係が次々と赤紙を割当て数だけ出していたが、今日はここ明日は何処か判らぬ戸籍を持たぬサンカ者には召集礼状の出しようはない。しかし、昭和十八年十九年になって老人と子供ばかりしか男は残っていない時世になると、壮年の男はどうしても目につく。もちろん憲兵隊が駐在巡査や消防団員を使って山狩りをするが捕えられるものではない。もちろん旧軍部も、満州事変がひろがりだした昭和九年十月六日に、栃木県下において、当時の関東代表者の大山(ダイセン)五郎と武蔵一の両名に色んなおいしい事を言って、各セブリの統合を命令というより懇願したが、なにしろ千何百年にわたって反権力反体制の者らが、今さらオカミの言うことをきく筈は...太平洋戦争とサンカ

  • 新年のご挨拶

    明けましておめでとうございます。令和二年の今年も皆様にとって良いお年であることを願います。「いいね」を付けてくれた方、「フォロワー」の方この場をお借りして御礼申し上げます。去年(こぞ)を偲び今年を希望(願う)新年のご挨拶

  • プラモデルの断捨離 大砲による戦場の変化

    プラモデルの断捨離老生、男の終い支度として、身の回りの物をほとんど捨てた。その中に趣味で作ったプラモデルが数百点在る。その他、高価なポケールの金属模型やウッディジョーの帆船模型も、一括して業者に綺麗さっぱり全て引き取ってもらった。「高価だから」「思い入れがある」と迷って残すと、死後に家人や子供に負担がかかる。未練を残さないことが大切。プラモデルなどというシロモノは興味のない人間にとってはただのプラスチックの厄介なゴミにすぎない。ただ、比較的印象に残っている作品は画像としてクラウドサーバーにUPし保存してある。これはその中の数点だが、当ブログの「小難しい文章」の合間の一服としてお許しいただきたい。武器はどんな綺麗ごとをいっても紛れもない「殺しの道具」でしかない。しかし小は拳銃やナイフから戦艦大和まで、その機能と美...プラモデルの断捨離大砲による戦場の変化

  • 新撰組異聞 間違いだらけの新選組「原田左之助」

    新撰組異聞間違いだらけの新選組「原田左之助」先日12/20(月)11:30配信ヤフーニュースに、生き延びて中国に渡り馬賊の頭目になった男“原田左之助”が載っていた。(文中黒字はヤフーの記事。青字が調べ上げた記事)剣術に加え槍術を得意としていたと伝わる原田左之助。事実無根だが、坂本龍馬暗殺の犯人として疑われたこともあった。甲州勝沼の戦いのあと、永倉新八ともに新選組を離脱する。新選組結成時からの生え抜きで、常に第一線で活躍した原田左之助(はらださのすけ)。剣客特有の暗さや政治的な動きとは無縁の直情径行な男の生涯に迫る。新選組には、奇妙な体験や人生を歩いた隊士が数人いる。原田左之助もそうした1人であろう。原田は、伊予松山藩の江戸屋敷で足軽の長男として生まれた。天保11年(1840)5月のことである。子どもの頃から頭が...新撰組異聞間違いだらけの新選組「原田左之助」

  • 岸田総理を「姓の法則」から考察する 岸田総理は鵺(ヌエ)になれるのか

    岸田総理を「姓の法則」から考察する岸田総理は鵺(ヌエ)になれるのか第百代と区切りのいい内閣総理大臣に「岸田文雄」氏が選出された。奇しくも同じ時期、野党立憲民主党党首には「泉健太」氏が選出された。この姓のイキヒチニヒミが付く人は、人間的に比較的温厚である。この姓を例によって日本史から考察してみましょう。後段で岸田総理の政治姿勢について記してみたい。この第二横列(アイウエオのイ姓列)のイキシチニを編戸の民(稲束を渡され田夷となって穴居の入り口に目印に筵をはっていた民)とする根本資料は、『延喜式』の授苗腸表及び、太田南畝編『杏花園随筆』及び『寛政家伝指出史料』を参考として、もっとも早く農耕部族となった「原住農耕系」とみなすものです。原住農耕系(仁徳王朝系)─イキシチニヒミ姓列関東では「イカン」「イケマセン」というのを...岸田総理を「姓の法則」から考察する岸田総理は鵺(ヌエ)になれるのか

  • 赤穂義士討ち入り 忠臣蔵

    赤穂義士討ち入り忠臣蔵【前書き】毎年この十二月の時期になると決まってテレビで放映される「赤穂浪士討ち入り」物語がある。元禄十二年十二月十四日、浅野牢人が吉良邸に討ち入って吉良上野介の首を取ったという史実は正しい。しかし、その原因や内容は相も変わらず全く、講談の域を出ていない。そろそろ真実の赤穂事件が出てもよさそうだが、期待できないので、ここにその真相を暴露する。当ブログの十月二十八日の記事「憐れなり赤穂浪士、赤穂義人纂書」と併読して貰えば感幸である。江戸という町は、京の真似をして各町毎に町木戸を作り、番屋を置き番人を置いて、厳しく町人の通行を監視管理し、日没から夜明けまでは鼠しか通られぬようにしていたのである。京は都として碁盤の目のように区切って町並みを作った訳だが、この碁盤という構造は何も住民の便利のために作...赤穂義士討ち入り忠臣蔵

  • 古代史考察 帰れ縄文へ

    古代史考察銅文化石斧や石槍だけが武器だった弥生時代に、何人種が日本列島へ銅器をもちこんできたのか、各地で銅鐸が発掘されるたび問題視される。しかし考古学者も歴史学者も正解は出せないでいる。どうやら従来の通史は、みな誤りなのではないか。土地ブームで宅地開発が進み、宅地造成の際発掘されて、各地で縄文期や弥生時代の物が発見される。土器類はさすが破片として出てくるが、銅鐸だけは金属性の物なので、そのままの型で埋もれていて、考古学上から改めて従来の日本通史が、誤りだらけであったとしきりに糾弾されています。これまでは「弥生時代の青銅器にして、鐘型で5㎝からlmの巨大な物まで中部地方から北九州迄の地域で発掘される。単なる楽器というよりは呪詛的な司祭宝器」というのが歴史家達の説です。そして紀元前15世紀の中国の殷は、青銅文化をも...古代史考察帰れ縄文へ

  • 日本花魁考 「縁は異なもの味なもの」 江戸の川柳に見る歴史の真実

    日本花魁考「縁は異なもの味なもの」江戸の川柳に見る歴史の真実現代ではこの言葉は何気なく口にされている。意味としては、男女の縁はどこでどう結ばれるかわからず、非常に不思議でおもしろいものだということ。理屈では説明できない縁があるという意。多く思いもよらない二人が結ばれるようなときに使う。「縁」とは、人の力を超えたところで、人と人を結びつける力の意。単に「縁は異なもの」ともいう。こういう説明になっており歴史辞典なども同じである。だがもともとの意味は違って、今言う「放送禁止用語」なのである。というのは、これは元来、廓言葉から来ている。廓(くるわ)と謂っても若い人は判らないだろうが、江戸時代の幕府公認の売春場所なのである。因みに現代の日本は「売春禁止法」により売春は禁止されている。が、これは表向きで、管理売春と未成年者...日本花魁考「縁は異なもの味なもの」江戸の川柳に見る歴史の真実

  • 日本史解説 ラッパ、スッパ こがもん、いがもん ほら貝縁起

    日本史解説ラッパ、スッパこがもん、いがもんほら貝縁起(注)現代では彼らを忍者として、当て字で「乱波」「素破」と書くが間違いである。戦国乱世のころ、なんといっても山野をかけめぐって先陣を勤めたのは、このラッパとスッパなのである。さて、いまでも、サキソフォンや、トランペット、テナーサックスのような吹奏楽器のことを、どれもこれもバンドの連中は、ラッパとよんでいる。しかし真ちゅうの軍隊ラッパも、なかなか音をだすのに苦労したらしいが、その時代のラッパときたら何も、その目的にあわせて作ったものではなくて、ホラ貝のカラだった。つまり他の生物の移動家屋を、勝手に人間が中の家主を追いだして、ラッパにしてしまったものだから、これまた大変だった。なにしろ大陸沿岸でとれる海のものが、日本列鳥の山で使われるのは、おかしな気もするが、法螺...日本史解説ラッパ、スッパこがもん、いがもんほら貝縁起

  • 当ブログの紹介です

    学校では教えてくれない、日本史の真実に迫ってみました。従ってこのブログの全ての記事は、俗説、通説とは大きく違う。だからこれを「信じられぬ歴史」とし、俗説、通説を天壌無窮のものとするのは自由である。しかし、調べられる限りの史料、資料を読み解き、出典文献、確定史料は全てあげているばかりでなく、原文その儘を誤解のないよう引用している箇所もある。だから、もし意外性に驚かれても、疑問をもたれる向きは、どれでも抜き取りで参考資料とつき合わせて確かめて頂きたい。つまり、これは本当は意外史でも何でもなく、此方のほうこそ正しい真実を徹底的に調べ上げているのである。どうか安心して読んで頂きい。従来の俗説になじまれている向きには、このブログに書かれている様々な歴史上の記事を珍しがり、読んで驚かれるだろう。しかしデカルトが、すべては疑...当ブログの紹介です

  • 源実朝と金槐集の考察 頼朝の子として生まれながら、悲しくも哀れな生涯の実朝

    源実朝と金槐集の考察頼朝の子として生まれながら、悲しくも哀れな生涯の実朝現在ウイキペディア等ではこの歌集は次のように解説されている。『金槐和歌集』(きんかいわかしゅう)は、鎌倉時代前期の源実朝の家集(歌集)。略称で『金槐集』とも呼ばれる。成立は藤原定家より相伝の『万葉集』を贈られた建暦3年(1213年)12月18日頃とする説が有力。全一巻、663首(貞亨本では719首)掲載されている。『金槐和歌集』の「金」とは鎌の偏を表し、「槐」は槐門(大臣の唐名)を表しているため、別名鎌倉右大臣家集といわれている。但し、実朝の大納言(亜槐)や大臣(内大臣、右大臣)叙任は建保6年1218年である。昭和4年(1929年)に佐佐木信綱によって発見された定家所伝本と、貞享4年(1687年)に版行された貞享本の2系統が伝えられている。...源実朝と金槐集の考察頼朝の子として生まれながら、悲しくも哀れな生涯の実朝

  • 漫才屋 太田光

    漫才屋太田光総選挙の結果を予想し、各テレビ局の「選挙特番」では視聴率競争が激しく、司会者やメーンキャスターの起用には苦労したようだ。中でもTBSの番組で漫才屋の片割れ、太田光の傲慢不遜と下卑た毒舌がネットでは、批判と擁護の書き込みが喧(かまびす)しい。この男、相棒の田中とは人間性がまるで違う。テレビで跋扈している「悪質性人間」の一人である。同じくプレバト司会者で、出演者を馬鹿にし直ぐに頭を叩き、「ガハハ」と馬鹿笑いの浜田と双璧をなす下種悪相、芸無し、悪質漫才屋である。私なら頭に手が来た瞬間、みぞおちに一発喰らわしている。落選した甘利氏や二階氏にも礼儀を弁えぬ物言いをしていたが、言われたほうの対応も「男」として情けない。こうしたテレビの口舌の徒の無礼には「下郎ッ。下がれッ」と一喝するのが正しい。今やテレビは「テレ...漫才屋太田光

  • 論考 古事記 古事記は「骨事記」であり「乞食(こじき)」

    論考古事記古事記は「骨事記」であり「乞食(こじき)」昭和十一年「竹内文書不敬事件」が起こった。日本史の「根本史料」とされている「古事記」「日本書紀」と対立する「偽書」として徹底的に弾圧されたのがこれである。(注・竹内文書)竹内文書(たけうちもんじょ、たけのうちもんじょ、磯原文書、天津教文書ともいう)は、古代の文書を装ったとされる偽書。神代文字で記された文書と、それを武烈天皇の勅命により武内宿禰の孫の平群真鳥が漢字とカタカナ交じり文に訳したとする写本群と、文字の刻まれた石、鉄剣など、一連の総称。天津教の聖典とされる。原本が存在する立場からは、後述の裁判に提出されたのちに焼失したと主張される。平群真鳥の子孫であるとされる竹内家に、養子に入ったと自称する竹内巨麿(たけうちきよまろが、1928年(昭和3年)3月29日に...論考古事記古事記は「骨事記」であり「乞食(こじき)」

  • プラモデルの断捨離 大間のマグロ漁船

    プラモデルの断捨離大間のマグロ漁船何百と作った模型の中で、ただ一つ漁船のモデルです。左舷前方マスト下に見える「赤い箱」が函館市に本社がある「東和電機製作所」製のマグロ自動巻き上げ機です。マグロ釣り機DR-Zと呼ばれ、コンピューターによって巻き下げアシスト機能により、軽い錘でもスムーズに下がり、糸ふけしません。正確な水深計測機能で、ドラム径やラインの巻太りの補正量を設定可能。ヒット検知機能が充実しており、シャクリ動作中にヒットすれば即時自動で巻き上げます。ヒットして糸が繰り出されると自動で巻き上げます。マグロ漁船の「命」ともいうべき優れもので、テレビでもお馴染み。(以下ウイキペディアからの転載)大間崎の前沖5キロメートル付近の近海で大間まぐろは獲ることができる。大間町民の約半分が漁師だという。マグロ漁は例年8月頃...プラモデルの断捨離大間のマグロ漁船

  • 日本史解説 考察 江戸の旗本奴 何故白衣を着るのか 旗本奴 水野十郎左衛門

    日本に伝わる史料の内、信長秀吉関係は、「誰が何のために筆写したり版本にして、ひろめ伝えたか」と、その目的意識をさぐると、どうも茶湯をはやらせその蔭の儲けようという道具屋さんが、カタログ用にと意企し年代を古くみせて配布したものが多いようである。なにしろ猫の飯くい茶碗でも、もっともらしく、「松影の井戸碗」などと名をつければ、「名物」として莫大な金になったから、歴史の先生にいろいろ加筆挿入させたのだろう。「信長公記」あたりでさえ、信長が妹婿の浅井長政に背後をつかれ、死にものぐるいで逃げかえってきた時点あたりにおいても、「信長名物狩りなされ候て、かくかく、しかじか」とずらりと名称を列記し、「天下の名物みな集めて」などと、ぬけぬけとかいている。これで相当にスポンサーの道具屋は儲けたろうが、困るのは後世の私どもである。「歴...日本史解説考察江戸の旗本奴何故白衣を着るのか旗本奴水野十郎左衛門

  • 映画「マーシャル・ロー」の紹介

    映画「マーシャル・ロー」の紹介。この映画は2001年のアメリカ同時多発テロをモデルにしたものではなく、公開は1998年だから、まるで多発テロを予言したような内容である。以下が配役である。デンゼル・ワシントンやブルース・ウイルスに関してここでの論評はしないが、女優のアネット・ベニングについての感想を少し。まず美人である。清純さと色気が混じりあった大人の女の魅力がある。何度もアカデミー賞候補になっているが一度も取っていない。この映画ではCIA工作員になって、利用できれば協力者にも肉体を与える凄腕の女を演じ最後は撃たれて壮絶に死ぬ。「アメリカン・プレジデント」では大統領(マイケル・ダグラス)と恋に落ちるラブストーリーの清純なヒロイン役が印象深かった。決して肉体派ではないが、均整の取れた肉体を晒し「濡れ場(SEXシーン...映画「マーシャル・ロー」の紹介

  • 「日本書紀」考察 天智天皇と天武天皇との謎 桃太郎

    「日本書紀」考察天智天皇と天武天皇との謎桃太郎伝説御伽噺から見える日本史の真実先ず、「日本書紀」の編纂者は誰か不明である。そして書紀には「天皇家の祖先や祖神が、日本列島においては遅れて来た者達であり、神武(イワレヒコ)が大和盆地に侵入して」その地において新たに王朝(?)を建てたという立場をとっている。神武の即位を辛酉の年においた識緯説の神武天皇の即位を辛酉の年において識緯説の辛酉革命論は、神武の大和侵入及び征服は前王朝(考古学的には「銅鐸国家」の顛覆)が前提となっている。中国古代史を通読してみれば王朝の交替は明記されている。前王統に連なる者であるとか五世の孫であるとかの記述はない。その中国文化を範とした大和政権が、何故王朝交替を隠匿したのかの疑問がある。日本にのみ固有のこの血統の継ぎはぎ現象の動機が不可解なので...「日本書紀」考察天智天皇と天武天皇との謎桃太郎

  • みずほ銀行の問題点

    みずほ銀行の問題点最近新聞には、みずほ銀行のトラブルを取り上げ、次のような見出しが躍っている。「みずほ障害多発」「怒りの金融庁直轄」「検査待たず応急処置」「自助能力の欠如露呈」「金融庁の行政処分」「みずほ銀に改善命令」「金融庁がシステム監視」その他等々。これは金融庁が、みずほ銀行の基幹システムを事実上の「直轄」とする非常手段に乗り出したからである。障害の連鎖に歯止めがかからず原因も特定できない現状に、監督官庁の堪忍袋の緒が切れたということだろう。銀行業務の屋台骨であるシステムの成り立ちを疑問視する声も上がり、今後の成長戦略にも影を落とす。私は四月にこの問題が起きたとき、以下の記事で指摘したが、一部書き足しての再掲載である。ITに遅れた日本の銀行日経新聞に、「金融、IT競争力が左右」と題する記事が掲載されていた。...みずほ銀行の問題点

  • プラモデルの断捨離

    プラモデルの断捨離老生、男の終い支度として、身の回りの物をほとんど捨てた。その中に趣味で作ったプラモデルが数百点在る。これも業者に綺麗さっぱり全て引き取ってもらった。プラモデルなどというシロモノは興味のない人間にとってはただのプラスチックの厄介なゴミにすぎない。ただ、比較的印象に残っている作品は画像としてクラウドサーバーにUPし保存してある。これはその中の一点だが、当ブログの「小難しい文章」の合間の一服としてお許しいただきたい。武器はどんな綺麗ごとをいっても紛れもない「殺し道具」でしかない。しかし小は拳銃やナイフから戦艦大和まで、その機能と美しさが一致した究極の造形美は事実であり、皮肉でもある。なお、作品のほとんどはリアルさを追求する「汚れ技法」は使っていない。武器が綺麗だということは、戦争がないということだか...プラモデルの断捨離

  • 日本軍ハワイ占領 山本五十六と日本の戦略の失敗

    日本軍ハワイ占領山本五十六と日本の戦略の失敗近頃、テレビの下らぬ馬鹿番組に辟易して、古い映画のDVDを観ている。そのうちの一つに、映画の山本五十六について。主演の役所はそれなりの演技で無難に演じていた。しかし脚本は山本を美化しすぎ、形而上的に捉えすぎている。原作は故半藤一利だが、先に亡くなった阿川弘之著「山本五十六」の方が秀逸といえるだろう。この山本を演じた役者は私の知る限り歴代8人居り、時系列では以下となる。大河内伝次郎、佐分利信、藤田進、三船敏郎、小林桂樹、古谷一行、丹波哲郎、役所広司。一番はまっていたのは小林桂樹ではなかったろうか。さて、米国の国力を知り尽くしていた山本が、「一年や二年暴れてみせる」等と嘯くのは所詮は軍人の悲しいさがでしかない。この山本を名将と評価する人も、凡将という人もいる。山本は米軍戦...日本軍ハワイ占領山本五十六と日本の戦略の失敗

  • 河野太郎新総理大臣で「北方領土」は還ってくるか。

    河野太郎新総理大臣で「北方領土」は還ってくるか。河野太郎行政改革担当相は9月10日の自民党総裁選の出馬会見で、対ロシア外交について「北方領土問題を解決し、平和条約を締結していくというのは非常に重要なことだ」と語った。河野氏は安倍前政権下の外相とし3年間、日口交渉に携わっている。安倍晋三前首相が18年11月の日口首脳会談で、日ソ共同宣言を交渉の基礎に位置付け、事実上の2島返還方針に転換したことへの評価について、河野氏は「現時点で申し上げるのは避ける」と述べた。ここで先ず北方領土が盗られたそもそもの経緯を振り返ってみる必要がある。何故なら日本人は「ソ連が悪い」と一方的に思い込んでいる。これに全く異論はないが実は原因はアメリカに在るという事実に目を向けるべきだろう。ソビエト極東軍が突如、国境を越えて満州に進攻したのは...河野太郎新総理大臣で「北方領土」は還ってくるか。

  • わが終活 「もうろくたかって死ぬの忘れた」

    わが終活「もうろくたかって死ぬの忘れた」老人が多くなった昨今、老生、人生の頽齢期を迎えて、いくら長命の時代とは言え、神がいるなら、お目にかかる日はそう遠くないだろうと覚悟している。世間は武漢病毒悪性肺炎や政治の混沌で騒然としているが、己の身辺整理にいそしんでいる。紅灯緑酒の巷で気違い水を呑み、泥水家業のホステスとの交遊も断って十数年。「死に損ないの老いぼれ野郎」と呼ばれぬよう、静かに、世間様の迷惑にならぬよう、暮らしている。「鶴は千年、亀は万年、我は天年」と喝破したのは禅僧仙崖だが、生きようとして叶わず、死のうとして叶わず、これ全て寿命という天の配剤に依るという意味になる。「人生、古(いにしえ)より誰か死なからん」とは南宋の政治家、文天祥が詠んだ詩句の一節だが、これが私の死生観である。終活は現在の流行りだが、老...わが終活「もうろくたかって死ぬの忘れた」

  • 自民党戦国バトル 総裁候補乱立

    自民党戦国バトル総裁候補乱立それ倩(つらつら)想ん見る秋の自民党総裁選挙。老生、今回の自民党総裁選を見るにつけ、日本国をどうするのか、どんな国にしたいのか、大きな構想力に、強い意志とリーダーシップのある政治家が居ないことに失望している。どの候補者も小粒で、日本の将来を考えたとき暗澹たる気持ちを禁じ得ない。女では高市早苗氏と野田聖子氏が立候補が取り沙汰されてはいるが。菅氏は、元々が「総理になろう、なりたい」という強烈な願望と意思の無かった男である。棚ボタでひょんなことから最高権力者の座に就いたから大変である。彼の人気は最低だが、大局的に政策は決して間違ってはいなかったし、無難にこなしてきたし、公約もほぼ実施している。武漢病毒悪性肺炎(新型コロナウイルス)対策にしても、中国のような共産党の恐怖政治で押さえつける手法...自民党戦国バトル総裁候補乱立

  • 今甦る!! 令和に必読の書 『さらば星座』(黒岩重吾)

    今甦る!!令和に必読の書『さらば星座』(黒岩重吾)久しぶりに書庫から「黒岩重吾」の小説「さらば星座」の全巻を取り出し読み終えた。全2400ページにも及ぶ大冊である。戦火で父母を失い、敗戦後の大阪の廃墟を逞しく生き抜いた「春日正明」11歳から30歳までの物語である。正明と同じ境遇の恋人であり、紆余曲折を経て夫婦になる悦子との愛の遍歴でもある。これは作者黒岩が多くの本に書いているように、実体験の投影でもある。この二人を取り巻く登場人物も多彩で、香港(中国)人、朝鮮人、警察官、弁護士、元軍人、教師、役人、ヤクザ、娼婦、政治家、総会屋、ホステス、新聞記者と、社会のあらゆる階層の人間が登場し、社会派作家と謂われた黒岩の面目躍如たるものがある。日本は連合国に原爆まで落とされ、完膚なきまでに叩かれ、国土は廃墟と化し、国民の命...今甦る!!令和に必読の書『さらば星座』(黒岩重吾)

  • 奴隷日本人秘話奴隷日本人秘話 日本レジスタンス史 タリバンの戦術から学ぶべきこと

    奴隷日本人秘話日本レジスタンス史タリバンの戦術から学ぶべきこと日本人が戦国時代に奴隷に売られて、男は印度から馬来半島方面のポルトガル領の植民地に、容色のよい女は、魔女裁判によって多くの女性を焚殺したヨーロッパへ送られていたことは、あまり知られていない。しかし、「朕、国王は、この勅令をもって布告す」とし、「従前印度地方における奴隷日本人に関し、朕の得たる報告において正当なる事由なし。よって今後は日本人を奴隷に捕らえたり購入したる者は、その財産没収となしその一半を朕の国庫に納め、一半を告発する者に下付すべし、1571年3月12日」ポルトガル国王ドン・セバスチャン」の勅令も、現存している。この年号は日本の元亀二年、織田信長が姉川合戦で勝った翌年で、延暦寺の焼討ちをして僧俗数千を殺した年にあたっている。さて従来の日本史...奴隷日本人秘話奴隷日本人秘話日本レジスタンス史タリバンの戦術から学ぶべきこと

  • 考究・大江匡房 『遊女記』 (王朝貴族のSEX生活)

    考究・大江匡房『遊女記』(王朝貴族のSEX生活)大江匡房は平安時代の、支配階級である貴族でもあった。11世紀から12世紀にかけて、後三条、白河、堀河の各天皇さまの侍講を勤め、「本朝神仙伝」「続本朝往生伝」「江家次第」の著述があるのはよく知られていても、彼の「くぐつ記」と「遊女記」は何故か一般の歴史家は取り上げようとしない。以下に原文を記しておきます。□は欠字となっていて、そのまま記してある。白山城国与渡津。浮巨川西行一日。謂之河陽。往返於山陽南海西海三道之者。莫不遵此路。江河南北邑々処々分流向河内国。謂之江口。蓋典薬寮味原樹。掃部寮大庭庄也。到摂津国有神崎蟹島等地。比門連戸。人家無絶。倡女羆群。掉扁舟。看扮舶以薦枕席。声過渓雲。韻瓢水風。経廻之人莫不忘家。州慮浪尤。釣翁商客。舳艪相連。殆如無水。益天下第一之楽地...考究・大江匡房『遊女記』(王朝貴族のSEX生活)

  • 坂上忍という男

    坂上忍という男坂上は本名だという。「バイキング」という情報番組の司会をやっている。だがこの番組は、情報番組などとおこがましい。バラエティー番組とも言えない。「オチャラケ、野次馬、阿保馬鹿番組」が正しかろう。何しろ雛壇には、気色の悪いオカマや頭の悪そうな漫才屋と売れないタレントを並べ、これらは全て坂上のイエスマンで統一している。コメンテータと称する四流の連中も、何かといえば「坂上さんのおっしゃるとおりです」と迎合する者ばかり。先日も、政府の武漢病毒悪性肺炎(新型コロナウイルスの正式名称)の対応を批判して、「こんな番組に毎日引っ張り出されて・・・・・・」とやっていた。自分の番組に、しかも高額ギャラで契約出演しておきながら、何という思い上がった言い草だろう。たまに台本から外れたり、坂上の意向と合わないことを言おうもの...坂上忍という男

  • 鍋島直茂 化け猫騒動(第一話) 竜造寺の後家

    鍋島直茂化け猫騒動(第一話)竜造寺の後家始めに、この竜造寺という姓は非常に珍しく、現在はほとんど聞かない。姓としてこの「り」という姓は戦国人名辞典にも「竜造寺」と、豊臣秀次に仕え、後浅野家に仕えたという「竜神覚太夫」のみである。現在でも、竜崎、林保、陸田、笠、くらいなのである。元々が原住農耕系の民族で、朝鮮半島からの移住民と想われる。だから、竜造寺家は地理的に近い九州で覇を唱えてはいたが鍋島家に乗っ取られてしまうのも、少数民族ゆえの帰結なのであろう。豊臣秀吉が絶賛した竜造寺の後家、その名を「寧子」という。昭和28年頃、清純なお嬢様女優だった入江たか子は、化け猫女優として鮮烈なデビューを果たした。鍋島の猫騒動を扱った「怪談佐賀屋敷」などの御家騒動、化け猫映画が一世を風靡したものである。このため、「猫を虐めると化け...鍋島直茂化け猫騒動(第一話)竜造寺の後家

  • 津軽外三郡誌の考察 論考・津軽史料

    津軽外三郡誌論考・津軽史料これは、津軽(青森県)は大和朝廷とはまったく異民族の土地なりとして、別個の歴史をもち、京方と戦いつつ、別個の王国だったとする内容である。即ち、大和民族は単一民族となす説に反対する文献なのです。そしてまだ儒学が全盛の江戸期に書かれたものである。それに寛政五年からは、津軽から福島までは未曽有の大飢饉で、津軽領だけでも二十万人もの餓死者を出している。こんな時代に、手分けして各地を回り聞き書きをしに、餓鬼地獄の中を矢立をもって歩いて記したという、現実にそぐわぬ可笑しな部分もある。こうした点は心して読む必要がある。しかし、記紀を金科玉条とする史観より、見るべきものは多く、一笑に付すものでは決してない内容である。以下にその考察をしてみたい。「東日流外三郡誌」というのは、青森県北津軽郡市浦村の村史編...津軽外三郡誌の考察論考・津軽史料

  • 論考 『足利義満』▲▼▲▼足利義満と金▼▲▼

    論考『足利義満』▲▼▲▼足利義満と金▼▲▼NO-1現在の高校歴史教科書で採用されている『詳説日本史』には「足利義満は尊氏の孫であって、細川、斯波、畠山氏らによって守護領国制も確立し、六十年の長きに及んだ南北朝の対立も合体させ、幕府の全国統一を成した。従一位太政大臣となって勢威をふるい、応永十一年には勘合符をもって官船の日明貿易を始めたが、中国の伝統的外交方針である属国の朝貢という形式がとられたゆえ<日本国王臣源>と義満は臣下の礼をとり、その代わり多くの貿易上の利益を収めた。勘合船は中国南支沿岸の寧波で査証を受け、首都北京で交易に当たったが、朝貢形式のため関税も掛らず滞在費、運搬費、帰国費まで明側で負担したので、その貿易の利潤は大きかった」とあり、その後に続いて「1392年の明徳三年ついに李成桂が、明の援助によつ...論考『足利義満』▲▼▲▼足利義満と金▼▲▼

  • 「大本営参謀の情報戦記」 堀 栄三著作 第五部 戦略爆撃と米軍暗号の解読

    「大本営参謀の情報戦記」堀栄三著作第五部戦略爆撃と米軍暗号の解読日本は戦争も後半に入ると、B29爆撃機によって激しい爆撃を受け、東京をはじめ各都市は壊滅状態だった。この爆撃機は高度一万メートル以上を悠々と飛んできた。星型二重のエンジンに、排気タービン過給機を付け、四発エンジンは、巡航速度が467k/hと戦闘機並みでは、日本の戦闘機は一撃離脱戦法がやっとだった。これに立ち向かう日本戦闘機は、高空の薄い空気の為、エンジン出力不足で苦戦を余儀なくされた。それでも、全戦期を通じて、400機を撃墜したとの記録が残っているが、アメリカ側の発表と合わなく、この数には疑問符が付く。斜め機銃を背中に乗せた、夜間戦闘機の「月光」や「雷電」迎撃戦闘機が有名である。この20mm斜め搭載機銃は、B29の夜間爆撃に対抗して考案された。夜間...「大本営参謀の情報戦記」堀栄三著作第五部戦略爆撃と米軍暗号の解読

  • 奇怪 仮面の秀吉 天皇になろうとした秀吉 第一代豊臣天皇

    奇怪仮面の秀吉天皇になろうとした秀吉第一代豊臣天皇前記「豊臣秀吉出世噺秀吉の生まれ」の項で、秀吉は日本原住民の内、サンカ部族の「木の陰族」の出身と記した。これは、弁護士で在野の古代史研究家、鹿島昇氏の説を借用した。しかし、一方では(秀吉原住民説)とは正反対の、大陸の血を引く外来系種族の出自とという説もある。どちらが真実なのかは、読み比べて読者の判断に委ねるしかない。以下。阿弥とは何か?さて、豊臣秀吉の異父弟で、羽柴大納言秀長がいる。だがこの二人は世にも不思議な兄弟だった。秀長の父はその名を筑阿彌(ちくあみ)といった。阿彌という名が付くということは、これは紛れもない原住民系で、宗旨は神徒なのである。此処で少しこの「阿彌」についての解説をしておく。日本語は明治まで漢字は音表文字だから「阿弥」でも「阿彌」でも、あみと...奇怪仮面の秀吉天皇になろうとした秀吉第一代豊臣天皇

  • 豊臣秀吉は猿ではない

    豊臣秀吉は猿ではない「うん、うぬは猿そっくりじゃな。まこと珍妙なつらじゃ。よし、今日よりは、猿めとよんでつかわそうかい」「はい、はい、召し使うてさえ頂けるものなら、てまえは猿でもなんでも、結構にござります」と信長に奉公の初めから、いと気軽に、「さるめ、さるめ」といわれた事に、あらゆる書にも『太閤記』にもされている。しかし、『両朝平壌録』という朝鮮の役のときに向こうから交渉にきた者の、帰国後の見聞録ともいうべき報告書には、「つらつら関白秀吉を、間近かに観察するに、左頬に黒あざのごとき汚点(しみ)が数点浮きでており、口が尖っていて、その顔つきは一見、犬に相似していた」とでている。日本の講談では、猿だとか猿面冠者とあるが、実際に面会した人間は、はっきりと秀吉を、「犬に似ている」といい切っているのである。はたして、どち...豊臣秀吉は猿ではない

  • ビートたけしよ、思い上がるな。 ビートたけしが菅政権に大苦言!

    ビートたけしよ、思い上がるな。ビートたけしが菅政権に大苦言!タレントのビートたけしはテレビ朝日系の情報番組「ビートたけしのTVタックル」13日の放送で、コロナ禍に打ち勝つことを目的に東京五輪の開催へ突き進む政府の動きに対し、「(戦争)晩年の日本兵みたいなもの。負けるとわかっていて戦争を続けているようなもんじゃないか」と苦言を呈した。私は、芸能人やコメンテーターと称する「業者」が、何をどう話したとてそんなことに興味はない。所詮は彼らの言は浅薄で低級でしかないから贅言(ぜいげん)に値しないと思っているからである。しかし、今回は先祖を侮辱した言で看過出来ない。たかがやくざ映画がヒットしたぐらいで「世界の北野」だとは、おへそで茶を沸かしたい。この男も漫才屋上がりで「芸能界遊泳術」に長けた軽薄タレントの一人である。近頃は...ビートたけしよ、思い上がるな。ビートたけしが菅政権に大苦言!

  • 事大主義の国「韓国」慰安婦強制連行の嘘 強制徴用、強制労働の嘘

    事大主義の国「韓国」慰安婦強制連行の嘘強制徴用、強制労働の嘘「事大主義」、この意味は、朝鮮半島国家の生存戦略であり、馬韓、弁韓、辰韓の時代から新羅、高麗、李氏朝鮮全ての時代を経て、現在の大韓民国に至るまで、中国に従ってきたことを指す。従って「事大主義」とは、(「強い勢力に従う」という外交方針)なのです。現在は北朝鮮にはおもねり、へつらい微笑外交。アメリカには追随する振りをして、恐ろしい中国には媚びて二股外交。ロシアにも陰では相当へつらっている。朝鮮は、バルカン半島諸国と同じ地政学的には、これが国家の生きる道と宿命づけられている。一つ想像して貰いたい。半島が封建時代だった頃。地政学的視点から、朝鮮半島に立ち、南に目を向けたとき、背後には恐ろしい虎(中国)と熊(ロシア)が居る。眼下は日本海で、半島を湾曲して取り囲む...事大主義の国「韓国」慰安婦強制連行の嘘強制徴用、強制労働の嘘

  • サンカの生活実態 吉良上野介の妻上杉家の三姫

    サンカの生活実態吉良上野介の妻上杉家の三姫夫馬小太郎三角寛本ブログではサンカの考証をしている。彼らについての良質な史料的書物は少なく、有名なのは三角寛の物がある。東京朝日新聞記者だった彼は、警察、即ち体制側からの視点でサンカを「反体制部族」として断定し、さらに海洋渡来系(赤サンカ)と騎馬民族系(白サンカ)をごっちゃにしている。以下は、三角寛著作の「サンカの社会性」の書物を引用して、その間違いの部分の考察をしてみた。先ず「ヰツキ」の意味である。ヰツキは、半永住の「ササメイホリ」のことである。これは篠笹を厚く立てて、三方を囲んで、その先を丸屋根にして、中にコモを張る。これを「タチゴモ」という。これは神代から、天の火明命の一族が、蝮や「赤士刺(ツチカミ)」とよぶサソリを防ぐために考案して作ったものであると伝承されてい...サンカの生活実態吉良上野介の妻上杉家の三姫

  • 『評決のとき』

    『評決のとき』久しぶりにCATVで『評決のとき』を観た。この映画は25年前の名作である。主役は弁護士役のマヒュー・マコノヒー。被告役の黒人俳優サミエル・ジャクソン検事役ケビン・スペイシー主役を助ける法科学生役サンドラ・ブロックテレビ映画24シリーズや、「宿命の大統領」で活躍しているキーファー・サザーランドが悪役を好演。同じく名作「針の目」で、ドイツのスパイを演じた名優キーファー・サザーランドが、主役の恩師。そうそうたる俳優たちの布陣である。名作「十二人の怒れる男」(ヘンリー・フォンダ主演)と同じく黒人対白人の人種差別が根底の物語である。舞台はミシシッピ州にある架空の街クラントン。物語は人種差別主義の白人青年ビリーとウィラードの二人が10歳の黒人少女を強姦し暴行を加えたところから始まる。少女の父親カール・リー・ヘ...『評決のとき』

  • 新選組と芹沢鴨 「新選組史録」

    新選組と芹沢鴨「新選組史録」さて、「新選組史録」という本が刊行されている。平尾道雄は今を去る1928年に『新選組史』を出し、その後二十五年後に、その改訂版を出し、またまたその改訂版を出しだのがこれである。私蔵の二回目のものに比べると、さすが四分の一世紀かけただげあって、これは完ぺきに図版から名鑑表まで揃っている。研究書としては、一人の人間が四十年の余うちこんだ精魂こめた労作として、これは認められるべきであろう。とまず敬意は表するが、おかしい点はすこしも直っていない。「文久三年に殺される芹沢鴨」が、翌元治元年年六月に、はじめて世にあらわれてくる天狗党のくずれなどとでているのは、ご本人はどう思っているのだろうか。このため映画の「新選組」までが、「天狗党くずれの芹沢鴨」とやってしまっている。芹沢鴨というのは「長岡屯集...新選組と芹沢鴨「新選組史録」

  • 受難の日本書紀 焚書に焚書、改竄に改竄された日本書紀

    受難の日本書紀焚書に焚書、改竄に改竄された日本書紀学校歴史の古代史は、北条政子の歿った西暦1225年までを一括して、安易に教えている。という事は、七世紀の世変りを匿しこんでしまう意図から、十三世紀まで引っぱって延長した期間を、アミカケ方式で制定している。「日本人の歴史好き」というのは、なにも向学心の現れや、真実追求のものではないらしい。「侵略」を「進出」と変えてしまって、韓国や中国から抗議を烈しく浴びているくらいで、日本の歴史は、「臭いものには蓋をしろ」と、なんでも自分に都合よく過去は美化してしまう伝統がある。それまで幕末までは各地方面に、民間に口から耳へと伝承の歴史があったのを、東京を首都とし中央集権制度をとったから、日本全国を一つの検定した教科書で洗脳するみたいに統一教育を歴史にまで及ぼして、他の国ではディ...受難の日本書紀焚書に焚書、改竄に改竄された日本書紀

  • 独ソ戦(絶滅戦争の惨禍)

    独ソ戦(絶滅戦争の惨禍)著者の紹介大木毅1961年生まれ.立教大学大学院博士後期課程単位取得退学(専門はドイツ現代史,国際政治史).千葉大学ほかの非常勤講師,防衛省防衛研究所講師,陸上自衛隊幹部学校講師などを経て,現在,著述業。一九七〇年代以来、日本人の独ソ戦理解を決定づけたのは、『バルバロッサ作戦』と『焦土作戦』である。こうした回想録をはじめとする、さまざまな戦記本であった。なかでも影響力が大きかったのは、『砂漠のキツネ』『バルバロッサ作戦』『焦土作戦』などの一連の著作で知られる、パウル・カレル、本名パウルーシュミットであろう。ナチス政権のもと、若くして外務省報道局長の要職に就いた人物だ。戦後、本名や経歴を隠して、パウル・カレルの筆名で書いた著作は、日本でもベストセラーとなり、独ソ戦に関する研究書がほとんどな...独ソ戦(絶滅戦争の惨禍)

  • 役立たず、金食い虫の地方議会は廃止せよ

    役立たず、金食い虫の地方議会は廃止せよ下の表は私の住む北海道の地方議員の給料一覧である。上位から二十位までを抜き出してみた。ろくな仕事もしてないのに、この高額なのである。この他に、使い放題の「文書交際費」が国会議員の真似をして月額数十万も入る。全く美味しい仕事である。さらに道議会議員はさらに高額で、選挙の際「道議会議員庁舎を新設します」と公約を掲げたものは一人もいなかった。にもかかわらず当選したらシレッとして、百億円もする議会新庁舎を作っている。そして自民党のジジイ議員は「喫煙室を造れ」と、このご時世に勝手な熱を吹いている。議会と対立を恐れる弱腰の鈴木知事は反対のポーズだけは示したが、結局室内喫煙所設置を容認した。こういう道義や市議の特権を取り上げ、その予算を福祉政策や住民サービスに回すべきではないか。全国規模...役立たず、金食い虫の地方議会は廃止せよ

  • ITに遅れた日本の銀行

    ITに遅れた日本の銀行日経新聞に、「金融、IT競争力が左右」と題する記事が掲載されていた。要約すると、みずほFG(みずほ銀行)は、一連のシステム障害を受けて、みずほFGがまとめた報告書によると、基幹システムの運用を担う専門の人材を減らしてきたことが明らかになったと紹介している。金融庁の統計によると、米大手銀行は全従業員に占めるITエンジニアの割合が30%なのに対して、日本は4%に留まり、システムの維持と更新に追われ、中長期的な競争力を生む投資が手薄になっているとしています。ゴールドマン・サックスは、10年以上前から「投資銀行はテクノロジーカンパニー」と認識し、エンジニアの採用を積極的に行っています。今では新規採用の約半数はエンジニアで、給与も技術力も高い人材を揃えています。それに対して、日本の金融機関では、いま...ITに遅れた日本の銀行

  • オリンピックの即時中止!! 菅総理よ「オリンピック中止」を即刻決断せよ

    オリンピックの即時中止!!菅総理よ「オリンピック中止」を即刻決断せよ思い起こせば、東京オリンピックはトラブル続きだった。ザハ・ハディド氏による新国立競技場設計案の撤回、デザインの盗用疑惑がかかった公式エンブレムの取り下げ、競技会場の新設問題、「コンパクト五輪」という当初のコンセプトに反して膨れ上がった予算問題のほか、開催都市のトップである東京都知事が2人(猪瀬直樹氏、舛添要一氏)続けてスキャンダルで辞任したのも世界に恥を哂した。とどめのすったもんだは、開催まで1年を切った段階になってからのマラソン・競歩の札幌への開催地変更である。そして今回の武漢病毒悪性肺炎(新型コロナウイルス)の蔓延である。こんな状態で、世界から一万人もの選手や関係者が来日した場合、彼らを安全に守る医療体制は日本にはない。そもそも世界は選手の...オリンピックの即時中止!!菅総理よ「オリンピック中止」を即刻決断せよ

  • 女上位の根津遊郭

    女上位の根津遊郭江戸時代、吉原遊郭は有名だが、あまり知られては居ないが、幕末まで栄えて流行した根津権現の根津遊郭が在る。幕府公認の遊郭である吉原は夜間営業が専門だが、此処根津は違った。「根津の昼遊び」といって、此処で働く女達は亭主を仕事に送り出し、夕食の支度まで根津で客をとって、そ知らぬ顔で帰宅するというシステムで売春業に精出していた、珍しい場所なのである。現代でも旦那の仕事中、妻がデリヘル等で稼いでいるのも居るが、根津はそのハシリの様な所だった。そして此処の女達は「馬乗り」とか「お馬さん」と呼ばれて話題になっていた。つまり此処は吉原などの正上位と違って、全ての女が女上位で、男の上に跨るから、上からだと硬く勃起して無くては挿入できないが、鞘かぶせとなると御隠居さんのふにゃちんでも何とか咥え込んでくれるので喜ばれ...女上位の根津遊郭

  • 秀吉の家臣が書いた「天正記」による本寺の描写

    秀吉の家臣が書いた「天正記」による本能寺の描写(主君の秀吉を喜ばせたい為書かれたのが「天正記」なのである)なにしろ、この六月二日というのは目が眩みそうな暑熱厳しい日で、みな、それでなくても、蒸し暑い京の町で、うだるように悶え喘いだにしても、まだ夜明け前の午前四時では、太陽も出ていない。前日の大雨で、本能寺のさいかちの森も、まだぐっしょり濡れた侭だったろうし、本能寺の周囲の濠も、溢れるように水が湛えられていた。だから、本能寺の便殿も客殿も、本堂も、厩小屋の屋根も、まだ、雫をたらし、しっとりと湿った侭だったろう。ところが<信長公記>では、「既に御殿に火をかけ、焼け来たり候」としか、出ていないが、<天正記>では、「御殿に、お手ずから火をかけ」となる。当時の事なので、ガソリンをまいたり灯油をかけて放火したのでもなかろう...秀吉の家臣が書いた「天正記」による本寺の描写

  • 国家統合情報省の新設 イスラエルの情報機関モサド 戦前日本の情報機関

    国家統合情報省の新設イスラエルの情報機関モサド日本の情報機関として有名なものに内閣官房の内部組織で内閣情報調査室(内調)がある。内調は主に情報の集約やオシントを行っている。またその他の情報機関として、警察庁警備局(公安警察)、外務省国際情報統括官組織、防衛省情報本部、法務省公安調査庁、海上保安庁警備救難部などが挙げられる。(注)オシントとは、OSINTとはオープン・ソース・インテリジェンス(opensourceintelligence)の略称です。これは諜報活動の一種で、一般に公開され利用可能な情報を情報源に、機密情報等を収集する手法を指します。一般に公開され利用可能な情報とは、合法的に入手できる情報で、トップに対するインタビュー記事や企業のプレスリリース、書籍、インターネット情報等が挙げられます。これらを合法...国家統合情報省の新設イスラエルの情報機関モサド戦前日本の情報機関

  • イロハ歌留多から見える日本史の真実 『五木ひろしが売れた訳』

    イロハ歌留多から見える日本史の真実『芋の煮えたの御存じなく』『鰯の頭も信心柄(からではなく、がらが正しい)』『五木ひろしが売れた訳』『五木の子守歌』の謎芋の煮えたの・・・・・この唄は、八代将軍吉宗が、芋学者と呼ばれる青木昆陽に命じ、小石川薬園で栽培した種芋を関八州に栽培させ、ついで東北から西国ににも広めさせた。処が享保十七年夏から、関西から九州へかけて、イナゴの大群が発生して、収穫前の稲穂を殆んど食い荒し大凶作となったことがあった。だから、江戸表にも西国より回送米は送られてこず、米価は、うなぎ昇りになって、町民は一升買いしたくも、辛うじて十分の一の一合しか人手できぬ有様となった。「唐芋」つまりカライモと呼ばれた今の薩摩芋は、稲と違って地下根ゆえ、イナゴに地上の葉は食われても助かったので、どっと江戸へも出荷されて...イロハ歌留多から見える日本史の真実『五木ひろしが売れた訳』

  • 尾張「いろはかるた」の考察(第一部)いろはかるたから日本史の「闇」を考究する

    尾張「いろはかるた」の考察(第一部)いろはかるたから日本史の「闇」を考究する「序」「尾張名古屋は芸どころ」と昔から言われ、下手くそな芸は受けつけられないとされている。それゆえ現在でも俳優座にしろ文学座でも、まず名古屋で初公演をして観客の反応を観察してから、演出効果の手直しをするし、配役変えまですることさえある。といって今でこそ名鉄ホールがあるけれど他は御園座ぐらいで、昔は四方拝の火縄を信者にわけてくれ若宮さまの脇の末広座とても今はない。大須の演芸ホールでさえ滞納家賃が溜りすぎて危ぶまれていると聞いていたが今はどうなったのか。しかも名古屋育ちの芸人は名古屋からでは絶対に売れず、育たないとまで古来いわれている。今では名古屋での芸ごとは西川流の踊りぐらいのもので、やはり中部の東海地方だけに限定されているのが現状である...尾張「いろはかるた」の考察(第一部)いろはかるたから日本史の「闇」を考究する

  • 王毅外相・暴言と属国根性 もう二度と中国の下風に立ってはいけない

    古代シャモロ国地図による日本人ルーツ中近東→インド→マレーシア→ベトナム→日本これからの中国との関係二階幹事長の無様な姿侵略国家中国タイのバンコック博物館には、秘蔵古代シャモロ国地図がある。それによると、現在でこそメコン川上流のケンカン市の先で、雲南の車里となっており、ソンコイ川のラオカイの上流の川口から、江河と名が変わって、そこはベトナムの国境になっている。そこからインドシナ山脈を境にして四川省までが雲南省と、全くトンキン湾から遠ざけられ、山国の感がある。だがシャモロ国の栄えていた頃の古地図では、ソンコイ川までが、ずっと版図に入っていたのである。つまり今いう雲南が、かつては南シナ海に面していたのである。日本のラテン語呼称のヤバアン、ヤバアーナの語源ともなっているマレーシアことヤバンからは、黒潮暖流でボルネオ海...王毅外相・暴言と属国根性もう二度と中国の下風に立ってはいけない

  • 考察 原日本人

    考察原日本人日本人は、頭の小さなのは大陸、朝鮮系。長頭や大頭系が西南渡来系の先祖をもつとされていますだが、日本人をユダヤ系だなどと盲説を唱える者もいるが、そんなことはなく、れっきとした大陸渡来系と海洋渡来のサラセンの黄色人種なのである。日本人の元祖は……といっても、ジャワの「ピテカントロプス」とよばれる処の、〈ジャワ原人〉と、「フンナントロプス」とよばれる〈北京原人〉のいずれかしか考古学上では考えられはしません。なにしろ五十万年位前の人間が進化して地球に出現してきた頃は、日本も大陸と地続きです。「更新晩期」から中期の時代には、ジャワも今のように赤道の向こうではなく、大陸と繋かっていたからでしょうが、上海の新聞には、江蘇省の鎮江地区丹徒県で、北京原人と同時代らしい別個の古代人の化石が発見されたといいますが、やはり...考察原日本人

  • 北朝鮮、韓国は泥棒国家 帰属財産とは 覇権国家中国

    北朝鮮、韓国は泥棒国家帰属財産とは韓国はいわゆる「従軍慰安婦」と「強制労働者」問題を蒸し返し、反日政策を展開している。一方の北朝鮮は日本人を拉致し、何十人もの人間を国内に隠し、拉致問題は「解決済み」と惚けている。「解決済み」という言葉は日本が云うべき言葉なのに、恥知らずにも程がある。そして朝鮮を併合したことに謝罪し、金を寄こせと言っている。この条件をのまなければ対話に応じないと、勝手な熱を吹いている。全く二国とも「泥棒国家」でまともな対話ができない現状である。朝鮮半島は日本が戦争に負けたため、アメリカが一時統治したのは衆知のことです。1945年にポツダム宣言によって第2次世界大戦が終わりました。そして、それまで日本に統治されていた朝鮮半島がソ連とアメリカによって統治されます。ソ連:北緯38度線から北の地域(今の...北朝鮮、韓国は泥棒国家帰属財産とは覇権国家中国

  • 『疫病2020』著者 門田隆将

    『疫病2020』著者門田隆将この本、『疫病2020』は大変な力作であり、今世紀初頭の「啓蒙書」といえる。氏は短期間で台湾、中国、日本、各地を調査し、これほど包括的な新型コロナウイルスに関する本はおそらく世界広しといえどもこの一冊だけだろう。2020年6月に出版という早い段階でこれほど包括的かつ深く掘り下げたのは門田氏の本だけである。この一冊があれば十分理解できる。武漢病毒悪性肺炎(新型コロナウイルスは中国がつけた名称)の中国の隠蔽、日本の情けない内幕から台湾の驚くべき対応、米中衝突の行方まで書かれている。2020年1月、2月の中国の動きを、公開情報を綿密に分析して積み上げ、真相を炙り出す手法は、好漢門田氏の面目躍如たるものである。もちろん取材の裏付けがあるわけだか、氏は公開情報を使用したというところが凄い。なぜ...『疫病2020』著者門田隆将

  • 信長が「一掃」しに本能寺に来た訳 第二部

    信長が「一掃」しに本能寺に来た訳第二部信長謀殺の黒幕(犯人)はあなたなのか犯人京都地区のカリオン司祭は、「六月二十日(日本暦六月一日)明智軍は、銃器の火縄に点火して引金に挟むことを命ぜられ、槍も鞘又はキャップ代用の藁をとかれ、臨戦体制で進軍を命ぜられた。そこで兵士は、これは織田信長の命令によって、信長の義弟(これは間違い)にあたる三河王の徳川家康、及び、その部下を一掃するものと、考えた」とこの当時、その報告書を本国に送っている。これはやはり上洛してきた謎の一万三千は、明智の寄騎衆か、又は丹波亀山衆に間違いないようである。明智光秀への寄騎衆といえば、高山右近をはじめ、みな信者か、さもなくば細川のように(信徒同様に思ってくれ)と師父に宣言するような者たちばかりである。もし丹波亀山衆とすれば、これまた内藤ジョアンの旧...信長が「一掃」しに本能寺に来た訳第二部

  • 信長の野望とは何か? 信長が本能寺で「一掃」したかったのは何か?

    信長の野望とは何か?信長が本能寺で「一掃」したかったのは何か?公卿たちは本能寺に何をしに行ったのか<当代記>には「一左右(いっそう)次第中国へ可罷立之旨曰く(まかりたつべしといわく)」と記されている。<信長公記>にも「御一左右次第、罷り立つべきの旨おふれにて」と書いてある。「信長公記」には、信長が京の本能寺へ入り「ごいっそう」と書かれていて、従来これの解釈が曖昧になっている。この「一掃する」という言葉を、口の中で日本語に直して繰返すと、どうしても、すぐ思いたってくるのは、天正十年の五月二十九日に、はたして何を一掃しに、信長は上洛してきて、本能寺に入ったのかという事になる。蒸し返すわけではないが、信長は、その四年前の天正六年の四月に、在任してまだ足かけ六ヵ月目にすぎない「右府(右大臣)」を、さっさと弊履のごとく投...信長の野望とは何か?信長が本能寺で「一掃」したかったのは何か?

  • 韓国が敵国になる日 日本は韓国の態度に動じるな

    韓国が敵国になる日日本は韓国の態度に動じるな韓国外交部(外務省に相当)のチョン・ウィヨン長官が就任後初めて「日韓間の葛藤事案について、米国の仲裁を要請する可能性もある」と話し、日本政府がこれに反応するかどうか注目されている。現在、日本政府は韓国政府の日韓関係改善の意志表明に応じずにいる。チョン長官は18日、国会外交統一委員会の全体会議で「日米韓の三ヶ国協力を進めながら、日韓間の問題、必要ならば米国の支援を受けることができる」と発言した。日韓関係の改善が進展する兆しを見せないため、米国の“仲裁”の可能性を取り上げたのだ。現在、日韓関係は行き詰まり状態だ。強制徴用、従軍慰安婦問題などにより始まった歴史問題が外交問題へと発展した。チョン長官就任後、茂木敏充外務大臣との通話が行われておらず、先月就任したカン・チャンイル...韓国が敵国になる日日本は韓国の態度に動じるな

  • 『反日種族主義』『反日種族主義との闘争』『反日への最後通告』

    『反日種族主義』『反日種族主義との闘争』『反日への最後通告』この三冊の本は、正しい史観で歴史を観れば真実に到達できる、という証拠を示してくれた大変な「良書」である。李栄薫氏などは、膨大な日本、韓国、英文資料を渉猟し、その努力の跡が窺われ、日本にとっても素晴らしい仕事をしてくれた。本来なら、こうした研究は日本の学者が達成するべきなのだが、一人として現れないのは学者どもの怠慢。私は、学術会議問題で批判した日本の学者の成すべき事の一つに、軍事研究も挙げたが、歴史問題にも期待できないとは、全く情けない。これらの本は是非とも英訳して世界に発信し、日本の正当性を知らしめて貰いたいものである。以下は両執筆者の経歴である。『反日種族主義』とその続編『反日種族主義との闘争』著者は韓国人、李栄薫(イ・ヨンフン)ソウル大学で韓国経済...『反日種族主義』『反日種族主義との闘争』『反日への最後通告』

  • 大本営参謀の情報戦記」本の紹介 第四部

    参謀本部「ソ連班」はドイツの敗北を分析していた第二次大戦前、日本は、日独伊の三国同盟を国策として締結した。そして、ドイツがソ連に攻め込むと、ドイツの勝利を疑わなかった。だがこれは、何々をすればドイツが勝つだろうという、予想と願望を基にした甘い判断だった。しかし、参謀本部情報課第五課は「ドイツ敗北」の判断をしていたのであるが、参謀総長はこれを無視してしまった。日本にも正しい情報判断をしていた人や部署があったというのに、惜しみて余りある話である。以下p-50-からの引用。西郷大佐の第十六課の情報への取り組み方は、何といっても大島浩という近来稀な大物武官(のち大使)を持っていて、ドイツの権力の中枢であるヒットラー、ヘス、リッベントロップといった重要人物と、あまりにも容易に会って意見を聞き得る立場にあり、彼ら中枢の意図...大本営参謀の情報戦記」本の紹介第四部

  • 大本営参謀の情報戦記」本の紹介 第二部

    大本営参謀の情報戦記」本の紹介第二部軍事指導者は何を書き残そうとしたのか昭和陸軍の軍事指導者たちの手記の類は、戦後七十五年の今、私家版も含めると、三百冊ほどになるのではないか。こうした類の書にふれてきた者として言えることは、次のような特徴に注目して分類が出来る。①昭和陸軍の軌跡と自らの軌跡を同一化した書(全く反省の色がない書)②昭和陸軍の中枢にいたが、自らはその政策に疑問を持っていたとの書(自分と組織を二元化した書)③昭和陸軍の軌跡に関わりなく自らの歩んだ道を説く書(史観なき自分史で反省なし)④昭和陸軍を擁護し、自己正当化するだけの書(自已賛美に終始した鼻持ちならない書)⑤徹底した昭和陸軍の実態批判の書(自己弁護の書)⑥客観的に昭和陸軍と自己の歩みを綴った書(史料になりうる書)⑦次世代に語り継ぐために書かれた書...大本営参謀の情報戦記」本の紹介第二部

  • 日本史に見る「悪女」の系譜 日本悪女考

    日本の悪女とは、誰に対して悪い女かという事がまず命題になる。男と女はまるで違うのであるから、男にとって思うようにならぬ存在として見れば女で悪女でないのは珍しいくらいのものである。ではその女自身にとって悪いのが、それでは悪女かと云えば、これまたそうでもないらしい。何しろ女は良い結果は自分の所為にしたがるが、そうでないのは他のせいにするからである(ここは女性には異論の在るところでしょう)では何だろう?となってしまう。勿論明快にして簡単な区分法もある。○消極的に他に気兼ねしながら生きたのが、善女。○積極的に思いの儘に生きたのが、悪女。といったのが、有りふれた解釈なら、○無名で埋もれてゆき、忘れられるのが善女。○有名で死後も取り沙汰されるのが悪女。こうした判別の仕方もあるだろう。とは言え、後世にその名が残るという事は、...日本史に見る「悪女」の系譜日本悪女考

  • 手形の元祖 天王寺屋五兵衛

    まるで浪花遊侠伝の一人のようだが、彼は侠客でも何でもない。『日本商業経済史』の中でも「我が国における手形振替による為替制度の創始者、西国浪人にして旧姓を大眉氏(大眉蔵人)と云い、大阪表へ移って天王寺屋を名乗る」とある。『戦国人名辞典』にも同じように出ている。しかし、残念ながらその深い内容にまでは触れられていないので、ここでそれを解明してみたい。そして、手形決済とか、為替振込といういうと、今の人は最初は大阪江戸の間で行われだしたように考えている。が、実際はそうではなく手形決済の起源は、山陰道と山陽道間が、史実の上でも間違いのない事実のようである。云うなればこの始まりは、山陽道を押さえていた毛利元就方と山陰地方の尼子晴久との間での、双方決済がこの為替制度の起こりである。といって、毛利と尼子は明け暮れ戦をしていたのだ...手形の元祖天王寺屋五兵衛

  • 大本営参謀の情報戦記 第三部

    大本営参謀の情報戦記第三部参謀本部「ソ連班」はドイツの敗北を分析していた第二次大戦前、日本は、日独伊の三国同盟を国策として締結した。そして、ドイツがソ連に攻め込むと、ドイツの勝利を疑わなかった。だがこれは、何々をすればドイツが勝つだろうという、予想と願望を基にした甘い判断だった。しかし、参謀本部情報課第五課は「ドイツ敗北」の判断をしていたのであるが、参謀総長はこれを無視してしまった。日本にも正しい情報判断をしていた人や部署があったというのに、惜しみて余りある話である。以下p-50-からの引用。西郷大佐の第十六課の情報への取り組み方は、何といっても大島浩という近来稀な大物武官(のち大使)を持っていて、ドイツの権力の中枢であるヒットラー、ヘス、リッベントロップといった重要人物と、あまりにも容易に会って意見を聞き得る...大本営参謀の情報戦記第三部

  • 山本五十六と日本の戦略の失敗

    山本五十六と日本の戦略の失敗年末から正月にかけ、テレビの下らぬ番組に辟易して、古い映画のDVDを観た。そのうちの一つに、映画の山本五十六について。主演の役所はそれなりの演技で無難に演じていました。しかし脚本は山本を美化しすぎ、形而上的に捉えすぎている。原作は半藤一利だが、亡くなった阿川弘之著「山本五十六」の方が秀逸といえるだろう。この山本を演じた役者は私の知る限り歴代8人居り、時系列では以下となる。大河内伝次郎、佐分利信、藤田進、三船敏郎、小林桂樹、古谷一行、丹波哲郎、役所広司。一番はまっていたのは小林桂樹ではなかったろうか。さて、米国の国力を知り尽くしていた山本が、「一年や二年暴れてみせる」等と嘯くのは所詮は軍人の悲しいさがでしかない。この山本を名将と評価する人も、凡将という人もいる。山本は米軍戦闘機に座乗し...山本五十六と日本の戦略の失敗

  • 信長の武将 滝川一益 やくざの発祥ヤシ テキヤ

    信長の武将滝川一益やくざの発祥ヤシテキヤ織田信長の武将達には次の者達が有名である。羽柴秀吉前田犬千代毛利新助丹羽長秀蜂屋頼隆川尻与平滝川一益蜂須賀小六明智光秀柴田勝家斉藤内蔵助森乱丸この者達は皆、永禄元年から天正年間に活躍しているが、藤吉郎時代の秀吉と同僚だった滝川一益の方はあまり知られては居ない。秀吉が藤吉郎と呼ばれ、まだ小者だった時代、織田家の長屋で隣同士だったこともあまり知られていない。この二人の出世には後に大きな差がつく。関東管領として五十万石も取っていたが、最後は三千石にまで落ちぶれた、悲劇の武将にここでは光を当ててみたい。山科言継卿日記<山科言継卿記第六巻>の、「天文二年七月二日の条」を見ると、何しろ応仁の乱このかた戦国時代で、すっかり生計不如意になった京の公卿が、当時の言葉で言うなら「少しドサ廻り...信長の武将滝川一益やくざの発祥ヤシテキヤ

  • 天海僧正は、明智光秀か 信長殺しは家康か

    天海僧正は、明智光秀か信長殺しは家康か上野公園にある寛永寺とか、埼玉県川越市の喜多院住持として、天海は有名であり、『真宗伝記』の著作もよく知られている。が、一般には1536年(天文五年)生まれで1643年(寛永二十年)に没、つまり百八歳までの長寿を保ったという点で、「平均寿命が伸びた現在でさえ百歳以上は珍しい」のに、「人間僅か五十年」が定年制だった時代に、そういう高年齢は信ぜられぬので、疑問をもたれている。というのは昔から、「めでたやな、めでたやな、三浦の大助百八ツ」という長寿祝い唄があるごとく、百八という年齢は、実際年齢をさすのではなく、長寿を象徴する熟語であるからである。そして、この年齢不祥の僧正については多くの異説があるが、武田信玄をたよって、延暦寺の僧徒と交流があり、七福神法の慧心流の幽旨をきわめ、天正...天海僧正は、明智光秀か信長殺しは家康か

  • 鉄砲軽視由来記 大量生産 なまくらの昭和新刀

    鉄砲軽視由来記大量生産なまくらの昭和新刀それは奇妙なことかも知れないが、昔からして、「槍一筋の家柄」とはいうが「鉄砲一挺の家柄」とはいわない。「街道一の弓取り」は、立派な武将のことをさすが、「街道一の鉄砲打ち」となると、これは猟師の事となる。それに『信長公記』などには、信長が鉄砲を習ったようにでているが、一般には、「鉄砲」というと、「足軽鉄砲」とされている。だからでもあろうか前大戦でも、アメリカ軍は、閣下とよばれる準将クラスでも肩章をとって自動小銃を小脇にバリバリ撃ちまくって突撃してくるのに、これに対する日本軍は、下士官の軍曹や伍長あたりでも、斬れもせぬ昭和刀をぶら下げて、「日本刀は武士の魂だ」とばかり、鉄砲は足軽なみで、豪いのは刀だとやっていた。だから、つい弾薬の補給もおろそかになったのか、各地で弾丸がなくな...鉄砲軽視由来記大量生産なまくらの昭和新刀

  • 哀れなり築山御前

    哀れなり築山御前以下がウエキペディアに書かれている、築山御前の記事で、現在、通説になっている。徳川家康の正室。名は未詳。一般的には築山殿、築山御前(つきやまごぜん)、または駿河御前(するがごぜん)ともいわれる。「築山」の由来は岡崎市の地名である。父は関口親永(氏純とも)。母は今川義元の伯母とも妹ともいわれ、もし妹ならば築山殿は義元の姪に当たる。夫の徳川家康と同じ歳とする説、2歳年上とする説、12歳近く年上の1廻り歳上だったとする説がある。『井伊年譜』や『系図纂要』『井家粗覧』の系図によると井伊直平の孫娘で、先に今川義元の側室となり、後にその養妹として親永に嫁したという。その場合だと井伊直盛とはいとこ、井伊直虎は従姪に当たる。近年では、関口親永と今川氏との婚姻関係を否定する説(親永の実兄である瀬名氏俊が義元の姉を...哀れなり築山御前

  • 日本史解説 春の海ひねもすのたりのたりかな

    日本史解説春の海ひねもすのたりのたりかな与謝野蕪村の詩で有名な「春の海ひねもす(一日中)のたりのたりかな」というのがある。意味として、うららかな春の海で、一日中ゆったりと寄せては返し、寄せては返しする波の様子が詠まれた句です。穏やかな春の海の情景、そしてそれをぼんやり眺めながらまどろむ心地良さがうまく表現されている。しかし、蕪村は知らなかったろうが、元々はこんな「ホンワカ」した状態と違って「過酷」なものだったのである。「ひねもす、のたりのたりかな」の「の」が東北では訛って、「も」となる。昔は焼畑耕作だったから、燃え残った雑草を一本ずつ引き抜き除く作業は、一見のろのろ見えるせいからである。「モタツク」と、スローの事をいう語源もこれからであります。現在でも「もたもたするな」と使われている。他国では雑草がすこし位残っ...日本史解説春の海ひねもすのたりのたりかな

  • 『大本営参謀の情報戦記・情報なき国家の悲劇』 第一部 山下奉文の金塊

    『大本営参謀の情報戦記・情報なき国家の悲劇』第一部山下奉文の金塊『大本営参謀の情報戦記』・・・・この本は1996年から2019年まで27版も重版された、大変貴重な本である。筆者は、元帝国陸軍情報参謀の堀栄三氏である。戦後、陸海軍軍人たちの残した著作の中で、現代にも幅広く読まれる書として、含蓄深い書である。というのは、現在にも通じる「情報」を駆使した問題解決のヒント満載だからである。今や、個人、企業、国家でも問題解決のプロセスが求められている。本質的問題を発見して、情報を収集して分析する。そして、解決策の立案をし、整理統合して纏め上げ、実行に移す。しかし、日本では、情報の世界では常識の、こうした方法が確立されているとはとても思えない。日本は国家として、大切な情報を無視した結果、戦略を間違い、多くの軍人、軍属、民間...『大本営参謀の情報戦記・情報なき国家の悲劇』第一部山下奉文の金塊

  • 考察 日本武尊(やまとたけるのみこと)

    考察日本武尊(やまとたけるのみこと)ウイキペディアの記述では以下のようになっている。ヤマトタケル(生年不詳-景行天皇43年)は、記紀などに伝わる古代日本の皇族(王族)。『日本書紀』では主に「日本武尊(やまとたけるのみこと)」、『古事記』では主に「倭建命(やまとたけるのみこと)」と表記される。現在では、漢字表記の場合に一般には「日本武尊」の用字が通用される。第12代景行天皇皇子で、第14代仲哀天皇の父にあたる。熊襲征討・東国征討を行ったとされる日本古代史上の伝説的英雄である。現在、このお方は、国民的英雄ということになっているのに、古事記と日本書紀ではてんで臆病者扱いや、泣き虫にされている。こうした、別個に削って匿している差は、民族と信仰の相違ではあるまいか。ということは、尊はれっきとした日本原住民出身で、宗教はお...考察日本武尊(やまとたけるのみこと)

  • 日本史解説 ぬま(沼)の考察

    日本史解説ぬま(沼)の考察このぬまというのは「沼」と当て字されていて、湖が一番大きく池よりも小さなものと軽視されている。天武帝の八色下姓(やくさのかばね)の際に、大陸渡来の人間は、当時開発途上国だった日本列島の、日本原住民と違って貴種なのであると傲慢にも自尊した。そして彼らは、渡来人として判りやすいように、ウクスツヌフムユの発音が付く姓を付けたのである。(上田、宇佐美、工藤、楠、鈴木、菅原、土田、津島、沼田、額田、藤原、福田、村上、武藤、湯川、由良など)<景行記。訓〉には「その拠る所、沼の地なり」と、要害にある官軍の本営を、ヌとしています。<天武記・訓>では「政治の沼は、軍事なり」と、重点であり、肝心かなめの大切な処なりとされている。発掘される銅鐸にしても<古事記>の下には「もも伝うヌテゆらくも」と「ヌテ」と呼...日本史解説ぬま(沼)の考察

  • 日本史解説 水戸黄門の世界 虚像大岡越前 家康二人説を暴露した徳川宗春

    日本史解説水戸黄門の世界水戸光圀の実像元禄年間以降あらゆる出版物の統制をした徳川家のために、日本の歴史は、寄らしむべし知らしむべからずといった具合になったから、庶民には芝居とか講釈、そして、でろりん祭文の世界だけが覗き穴的に許されたに過ぎない。それゆえ、まるでそうしたものが、つまり過去の時代を扱ったものすべてが、さながら歴史のごとくにも誤られたので、「稗史、小説」といったいい方もされ、そして、それが、やがて活字によって表現される講談という形になったとき、今でいうサービス精神が庶民に迎えられるような語り口となった。このため、大衆の代弁者としての一心太助を作り、体制のパイプ役に大久保彦左が担ぎあげられたのであろう。つまり、『水戸黄門漫遊記』といったものも、歴史なら事実ありの儘で良くても、銭をとって読ませる為には面白...日本史解説水戸黄門の世界虚像大岡越前家康二人説を暴露した徳川宗春

  • 日本学術会議は速やかに解散すべき

    日本学術会議は速やかに解散すべき菅首相は5日、日本学術会議が推薦した新会員候補の6名を任命しなかったことについて、「推薦された方をそのまま任命してきた前例を、そのまま踏襲していいのか考えてきた」と述べ、今回の判断は妥当との認識をあらためて示しました。また、任命される会員は公務員の立場になるとし、特別国家公務員の任命責任が首相にある点を踏まえた判断だと説明しています。現在、国会でも追及され、誠に苦しい答弁に終始している。実際、排除された6人は平和安全法制、特定秘密保護法、組織的犯罪共謀罪などについて政府と異なる見解を持っている人だったとされている。菅総理はこの際、些末な法解釈論はいじくらないで、国民に向かってはっきりと「本音」を言うべきである。要約すれば、「ここ数十年、北朝鮮や中国が日本に核兵器を向け、我が国に危...日本学術会議は速やかに解散すべき

  • 論考 源氏物語(源氏物語はポルノ本)

    論考源氏物語(源氏物語はポルノ本)以前、尼さん作家による「源氏物語」が出版され、売れ行きも好調だったという。さらに女流マンガ家によるマンガ本も大変な売れ行きだという。両方とも「女の哀れ」に主眼を於いているきらいがあるのだが、それが又受けているのだろう。さらに最近の新聞広告では【源氏大学”99】と銘打って、受講料14000円だという。講師には大学教授、講師、歌人漫画家などだか゜女が多い。また「源氏物語論」において、ある女流評論家は、「読後の私は、少なくともこの小説を知らなかった時の私ではない。そう云えるだけの内部変化を、私はこの作品によって惹起された。悲しいばかりの女の目を見たと思う」と書いている。前もって断って置くが、私は何もとやかくの感情があって、これを俎上に乗せるのではない。「一見確かなようで、実は何一つ不...論考源氏物語(源氏物語はポルノ本)

  • 論考 竹内文書、宮下文書

    論考竹内文書、宮下文書現在見られる、日本書紀を始めとする六国史などは、御所内に散逸してたものを、徳川家に幽閉された後西帝が、皇室を蔑ろにする徳川幕府に対して、京こそ体制側なのだと、閉じ込められた怨念で、書き纏められたものである。これらは勿論漢字で書かれている。しかし、漢字で書かれたものだけの通史が正史ではないのである。富士浅間神社所蔵のものを「宮下文書」といい、茨城大神宮伝承を「竹内文書」と云います。〈旧事本紀〉と〈旧事紀〉は筆写で伝わっている間に、時の体制への遠慮で内容が逆になったり、あべこべに入れ換えられていますゆえ、現在の覆刻本をその儘で読んでは真実を誤るものです。ご用心下さい。その点、茨城の皇祖皇太神宮の竹内文書は、大和王朝成立以前の古代史研究には貴重なもので、宮下文書の底本の感がして貴重である。故田中...論考竹内文書、宮下文書

  • 正説 石田三成

    正説石田三成(NHK放映「真田丸」では、石田三成が登場し、好意的に描かれている。しかし徳川体制では「権現様に敵対したふとどきな奴」という観点から、三成の評判は悪い。だが豊臣家からすれば、裏切ったり、日和見した武将の多い中、最期まで豊家安寧を目指して戦った三成は大忠臣である。ここでは誤解されている彼の実像に迫る。)石田三成、幼名を佐吉という。父親は石田藤右衛門(後に改名して石田正継を名乗る)この正継には三人の息子が居たが、上の二人は早世して一人残った兄が三成と六歳違いで正澄という。この兄は後、三成の取り持ちで秀吉の家臣となり、石田木工頭に任官し堺町奉行になる。父親の石田籐右衛門が後妻に迎えた妻との間に生まれたのが三成で、夫婦の折り合いが悪かったのか、今では原因は定かではないが、幼い(佐吉)三成を置いて出奔し行方不...正説石田三成

  • 戦国の名将 斎藤道三 (第三部) 道三は絶世の美男子だった

    戦国の名将斎藤道三(第三部)道三は絶世の美男子だったそして、この時から自分がその後をおそって美濃の国主になっている。だからといって、これを指して、「国盗り」となし、道三を悪者としてしまう皮相的な見方もとられるらしいけれど、「道三が絶世の美男で、土岐頼芸とはかねて衆道の結びつきがあったのだ」という真実があり、まことに大切な繋りが、それでは黙過され見逃がされてしまうのである。つまり道三が一介の油売りから、頼芸に寵用されて次々と出世させられてゆくのも、なにも道三が武勇抜群だったというわけではなく、二人の交情からそうなっていたのである。といって道三が悪い人間で己が美貌を餌にして、それで頼芸を籠絡したのでもなかろう。「三つ子の魂は百まで」というけれど、幼い時から己が身体を他へまかせるのが、当然のような育ち方をしてきた彼に...戦国の名将斎藤道三(第三部)道三は絶世の美男子だった

  • 戦国の名将斎藤道三 第二部 道三は他国を侵食したことは一度もない

    戦国の名将斎藤道三第二部道三は他国を侵食したことは一度もないなにしろこれまでは織田信長を立役者にする関係上でもあろうが、「悪役」ということに、どうも斎藤道三はされているようである。何故かといえば、幼児は絵本や童話をみるときに、善玉と悪玉が明白に判りやすくしてないと、理解力がこんがらかってプロッ卜の展開についてゆけなくてしまうし、「黄色いリボンをなびかせた騎兵隊や白人たちは良い方で、色の黒いインデアンは悪者である」とする年少者向きの、昔の西部劇の設定が、誰にも判りやすかろうというので、「義務教育で皆が文字を一応は読めるという事は、脳が弱い者でも本を読むことになるのである」とする見解によって、すべからく、「善玉、悪玉のからみ合い」といった方式が利用され、それが一般的に、「読者への説得力」として通用しているのである。...戦国の名将斎藤道三第二部道三は他国を侵食したことは一度もない

  • 坊主丸儲け

    坊主丸儲けここ2ヶ月の間、近親者等の法事が6回もあった。会社勤めの頃は地元不在が多く、家人代理で済ませていたが、退職後事業を立ち上げてからは、そうもいかず、全部出席した。人は多くても寒寒した葬儀、「親子は泣き拠り」と謂う如く、悲しみの中にもシットリと肉親の情が溢れる葬儀と様々だった。そして、通夜の後に必ず行われるセレモニーで、変わり映えのしない坊主の「説教」には毎度のことながら辟易させられた。仏教の歴史を自派に都合よく歪曲し、宣伝臭ぷんぷんの有難い?下手糞な説教を30分も唸られては、「コヤツ、質問しておたおたさせたろか」と何度思ったか。日頃から末香臭い所が大嫌いな私は一瞬、狂暴な気にさせられる。これも私の体内に沸々と流れ脈打つ日本原住民の怨念と反骨精神のゆえだろう。元来日本人は仏教など全く無縁の民族だった。それ...坊主丸儲け

  • NHK虚実の「麒麟が来る」を正す。真実の斎藤道三 戦国の名将「斎藤山城守道三」 第一部

    NHK虚実の「麒麟が来る」を正す。真実の斎藤道三戦国の名将「斎藤山城守道三」第一部NHKでは「大河放送」と銘打って「麒麟が来る」では明智光秀を取り上げている。劇中、光秀とともに重要な役で、本木雅弘は斎藤道三を演じている。私はこの「麒麟が来る」そのものを全く評価しないし、歴史などとおこがましく言わないで貰いたい。真実に迫ろうとする真摯な姿勢が皆無で、だから「講談的劇画時代劇」や「電子紙芝居」と位置づけている。一方、NHKは「NHKスペシャル」という秀逸な番組も制作している。この番組は製作者の大変な意気込みと努力の跡が感じられる。特に2009年8月放送の三夜連続「開戦、海軍あって国家なし」「特攻、やましき沈黙」「戦犯裁判、第二の戦争」は、多くの人が現代日本で起きている問題、自分たちの問題と重ね合わせて考えさせられ、...NHK虚実の「麒麟が来る」を正す。真実の斎藤道三戦国の名将「斎藤山城守道三」第一部

  • 礼儀知らずの記者

    礼儀知らずの記者老生の住む陋屋は、山麓の神韻炒々とした場所にある。下界とはかけ離れた幽邃の自然の中だが、テレビはある。日本国の武漢病毒症候群蔓延の渦中、安倍総理の突然の辞任、中国の世界制覇の足音に騒然とするも、日々粛々とお迎えを待つ現在である。八月二十八日、安倍総理大臣の退任会見をテレビで観た。八年近くの長期政権で、その政治内容には色々問題もあったが、宿痾ともいうべき病魔には勝てず、任期途中での無念の退任だった。ここで安倍総理の政治内容の賛否は置いておく。会見を報じたテレビを見ていて、何点かの気になったことについて触れてみたい。当日のニュース番組で、評論家で弁護士の橋下徹氏が、次のように発言した。「八年近くも激務をこなし、病気で心ならずも辞める総理に、先ずは八年間ご苦労様でしたという記者が一人しかいなかった」氏...礼儀知らずの記者

  • 大久保彦左と一心太助

    大久保彦左と一心太助----これは講談本より抜粋して、まず先に援用してみるとことにする。「大変だ大変だァ、天下の一大事だァ」「なんじゃ太助、騒々しいにも程がある。そうガアガア大声で怒鳴ってばかりおらんと、もそっと落着いて話をしてみい、出来ぬか」「てやあん゛んでえ‥‥おう親玉。おめえさんいくら天下の御意見番大久保彦左衛門だと、威張ってなすったって、年よりだから金つんぼは仕様もねえが‥‥目まで風穴同然。なんにも見えなさらねえのか。情けねえったら有りゃしねえよ」「なんじゃ、太助、うぬは泣いているのか。それでは腕に彫った一心鏡の如しの文句の方が、泣くぞ、いうてみい、なんじゃ」「てへッ、なんだもこうだも有りゃあしません。公害問題を放ったらかしにしようって有様なんですぜ」「えッ、そりゃまことか。それでは天下御政道が、めちゃ...大久保彦左と一心太助

  • 悪人毛利元就 毛利の「三ツ矢」の虚構

    悪人毛利元就毛利の「三ツ矢」の虚構最近つぶれた出版社から出た国定教科書の復刻版が、まだ出廻っているのを見かける。『尋常小学校修身書』も本屋の店先で売られているが、その巻三の、第二十三章をあけると、「三つ矢の教え」というのが出てくる。原文は長くて廻りくどいから要約すると、毛利元就が、その子の隆元、元春、隆景の三人を集めて矢を一本ずつ持たせ、「折ってみよ」と次々に折らせてから、今度は三本かためて渡し、折れぬのをみすましてから、「一本の矢ならたやすく折れるが、三本一緒では折れまい。お前たち兄弟も一人ずつでは敵に負けるかも知れないが、三人兄弟が一つになって仲良く手を握りあえば、決して他から侮られたり、戦を仕掛けられて負けることもない」といってきかせれば、「はい、われらはこの世で三人きりの兄弟、今の御教訓をよく守りますで...悪人毛利元就毛利の「三ツ矢」の虚構

  • 満州人肉食と間男狩り

    満州人肉食毎年、八月十五日の終戦記念日が近づくとマスコミは一斉に関係事象を報道する。しかしこの「終戦」という呼称は間違っている。日本は世界を相手に戦って敗れたのだから、これを「第二次世界大戦」と呼び、従って「敗戦記念日」が正しい。日本は明治から日清戦争、日露戦争と、ずっと戦争を続けていたが、それは一部の兵隊だけが戦争を戦ったわけで、一般庶民にとっての戦争は、新聞で読むか、ずっと想像の産物でしかなかった。従って戦争体験と戦場体験は違うのである。私は戦前から満州に渡っていた関係で、軍隊には行かなかったので戦場体験はないが、以下は敗戦時の戦争体験である。以前「アシュラ」という劇画で、人肉を食うのはいけないという、各地での非難がされたことがある。しかし、中国の満漢全席で生きたサルの脳みそを食べるのや、げてもの食いで芋虫...満州人肉食と間男狩り

  • 中国一辺倒の二階幹事長

    中国一辺倒の二階幹事長先頃、米国有力研究機関が日本の対中匡政策形成の実態を調査した。7月下旬に公表されたこの報告書は、安倍晋三首相の対中姿勢に大きな影響を与えてきた人物として、首相補佐官の今井尚哉氏の名を明記していた。また安倍首相の対中政策を親中方向に向かわせる存在として、二階俊博・自民党幹事長や公明党を挙げていた。(公明党の池田大作氏も中国と仲の良いことは有名で、池田氏が中国へ訪問した時には国家主席が歓迎してくれるほどです)また、過剰に中国に媚びる鳩山元首相の名も挙がっている。日本の政治家や、文化人や学者の中には骨の髄から左がかったのや、中国一辺倒、韓国大好き、さらには北朝鮮を称賛する馬鹿者までいる。全くこのご時世にどうかしているのではなかろうか。ここで、二階幹事長について、何故にこうも中国贔屓なのかを考察し...中国一辺倒の二階幹事長

  • 軍用ジンギスカン義経 北条政子は平氏 楠木正成悪党説の由来 徳川家康の先祖は新田義貞

    軍用ジンギスカン義経「源」と、「元」の音読みが、どちらも同じであり、それに源氏の笹竜胆の紋にそっくりなマークを、ジンギスカンが用いていたから、源義経は衣川の館で討死したのではなく北海道へ渡り、そこから大陸へ入って、ジンギスカンになったのである。という説が、大正時代に発表された。丁度その頃、「狭い日本にゃ住みあきた、シナにゃ四億の民がある」といった「馬賊の唄」が、これまた大流行していたので、「どうせ大陸へ渡って馬賊になるなら、ジンギスカン位の大物になろう」と、その本は洛陽の紙価を高めた。だからそれを下敷きにしたものが、戦後にも出版されたが、今や中国は、『共産党独裁国家』の世の中で、馬賊など時代錯誤のせいとなってしまった。そこでオーストラリヤ輸入のマトンをさばく為に、「ジンギスカン鍋」として、その方で彼の名前が宣伝...軍用ジンギスカン義経北条政子は平氏楠木正成悪党説の由来徳川家康の先祖は新田義貞

  • 「清和源氏」はありえない 足柄山の金太郎は源氏 平家は源氏を奴隷として輸出していた

    「清和源氏」はありえない足柄山の金太郎は源氏平家は源氏を奴隷として輸出していた「足柄山の山奥で‥‥」の童謡で名高い坂田の金時は、子供の頃に絵本で散々眺めさせられたが、マサカリ担いで本当に獣を集めて相撲をとらせたり、馬の代わりに熊にのったりしていたものだろうか。また、五月五日の端午の節句には、「金時」の人形が必ずといって良いほど飾られるのは、(勇壮な男児に育ってほしい)といった親の願望だけでなく、金太郎系の原住民が今もかなり多いせいではなかろうか、などとも想える。また、坂田の金時のほかに、渡辺の綱、碓井(うすい)貞光、卜部季武(すえたけ)という、源頼光の四天王の名が、治安元年(1021)に初めて現れてきて、いわゆる源氏の郎党団のはしりをなすのも、それ相応のいわれがあるのでは‥‥と考えられるものがある。そして一般に...「清和源氏」はありえない足柄山の金太郎は源氏平家は源氏を奴隷として輸出していた

  • 契丹秘史 唐を滅ぼした文化の高い契丹 日本史では「北宋」「南宋」を「宋王朝」とする

    契丹秘史唐を滅ぼした文化の高い契丹日本史では「北宋」「南宋」を「宋王朝」とするChinaは現在国連用語だが、インドやアラブ、ベトナムでは中国を今でもキタイと呼ぶところさえある。ソ連でもキタイスキーである。この契丹(宋は)西暦960年から1270年まで、文化的にも唐よりはるかに偉大で、一大文化国として尊敬されていた為であるが、何故か日本では匿しこまれている。日本史では「遼」とか「宋」となっている。さて、「日韓同祖遡源」を大正十五年に発表して、日本と満州族それに韓国人は祖先を一つとすると発表したのが、当時陸軍経理将校だった浜田秀雄で、かつてシベリヤで逮捕処刑されかけた時に、随行した韓国人通訳が身代りとなって銃殺され助かったのを徳としての刊行と、表向きには伝わります。大正十二年の関東大震災で朝鮮人虐殺をしたのが裏目に...契丹秘史唐を滅ぼした文化の高い契丹日本史では「北宋」「南宋」を「宋王朝」とする

  • 明智光秀と細川家記

    明智光秀と細川家記光秀の実体は知られていない。講談では、「明智十兵衛は浪々の生活をしていたから、ある日客を招いたが、そのもてなしに、はたと困った。ところが手拭いを姐さん冠りした妻女が、いそいそと酒や肴をみつくろって出してくれて、それで客に対し十兵衛は恥をかかずにすんだ。が、さて、客の帰ったあとで、『今日の食事にも事欠く吾が家の暮らしに、よくも銭の調達ができたものよな』と十兵衛が不審がれば、妻女は、無言のまま畏って、かぶっていた手拭いをぱらりと取った。それを見た途端、十兵衛は思わず『ウウン』と唸り、『そちゃ、己が黒髪を、女ごの命と知っていて切ったのか。それを売って銭に換え、この十兵衛のため、客のもてなしをしてくれたのか‥‥』と泪ぐめば、『いとしきお前さまが為ならば、髪の毛など切り売りするも、いとやすきこと‥‥夫婦...明智光秀と細川家記

  • 嗚呼!! 大忠臣・明智光秀 【第二部】

    ※本稿も長文です。興味のある方はプリントアウトして熟読するのもよろしいかと。尚、誤字脱字はご容赦。嗚呼!!大忠臣・明智光秀【第二部】殉忠つまり、「光秀が信長を討った」とか「謀叛を企てた」という確定史料は、残念かも知れないが一つもないのが現状なのである。だから、何んとか理由づけようとして、怨恨説や謀叛発心説が、何十となく作られてきている。新井白石でさえも、その、〈白石紳書〉の中で、「井戸若狭守良弘という室町奉公衆の者が、山城の横島城主だった頃、つまり本能寺の変の十年前に、光秀が『われに願望あり、もし手をかしてくれて、それが成就した節には、大国はやれぬが、小さな所なら国主にしてやろう』秘かに言われたことがある。良弘は、そのときは冗談と思って、きき流していたか、後になって『成程そうであったか』と膝を叩いた」という話を...嗚呼!!大忠臣・明智光秀【第二部】

  • 続 津軽史料の考察 「東日流外三郡史」の研究

    続津軽史料の考察「東日流外三郡史」の研究これは、津軽(青森県)は大和朝廷とはまったく異民族の土地なりとして、別個の歴史をもち、京方と戦いつつ、別個の王国だったとする内容である。即ち、大和民族は単一民族となす説に反対する文献なのです。そしてまだ儒学が全盛の江戸期に書かれたものである。それに寛政五年からは、津軽から福島までは未曽有の大飢饉で、津軽領だけでも二十万人もの餓死者を出している。こんな時代に、手分けして各地を回り聞き書きをしに、餓鬼地獄の中を矢立をもって歩いて記したという、現実にそぐわぬ可笑しな部分もある。こうした点は心して読む必要がある。しかし、記紀を金科玉条とする史観より、見るべきものは多く、一笑に付すものでは決してない内容である。以下にその考察をしてみたい。「東日流外三郡誌」というのは、青森県北津軽郡...続津軽史料の考察「東日流外三郡史」の研究

  • 七夕異聞

    七夕祭り明日は七夕祭りである。毎年、全国各地で、竹に短冊で祝う祭りが盛んである。現在七夕はウイキペデアに拠ると以下のような説明になっている。七夕(たなばた、しちせき)は、日本、台湾、中国、韓国、ベトナムなどにおける節供、節日の一つ。旧暦の7月7日の夜のことであるが、日本では明治改暦以降、お盆が7月か8月に分かれるように、7月7日又は月遅れの8月7日に分かれて七夕祭りが行われる。五節句の一つにも数えられる。古くは、「七夕」を「棚機(たなばた)」や「棚幡」と表記した。これは、そもそも七夕とはお盆行事の一環でもあり、精霊棚とその幡を安置するのが7日の夕方であることから7日の夕で「七夕」と書いて「たなばた」と発音するようになったともいう。元来、中国での行事であったものが奈良時代に伝わり、元からあった日本の棚機津女(たな...七夕異聞

  • 古史古伝考察 日本書紀と古事記は偽造されている

    古史古伝考察日本書紀と古事記は偽造されている「日本書紀」と「古事記」の二つを「紀記」とし、郷土史家だけではなく、一般の歴史屋さんも、古代史を解明するのにこの二つを引用援用して、神典とまで崇め奉っているのが今の日本史である。何しろこれしかないのだから、それらを唯一の原点としてしまい、歴史の解明とは本来なら「零からの出発」で有るべきなのに、日本では「紀記」を一として、「一からの出発」をしている。極めて安易なやり方だがそれしか方法がないというのが今までの釈明である。しかもゼロックスもなく、木版で刊行されたのも江戸期の松下見林のものからで、それ以前は筆写に筆写されてきただけで、次々に政権が交替する度に、桓武焚書や時宗焚書にされている。古代史に新しい角度から突入して行こうとする官立大学出でない歴史研究家も居るにはいる。何...古史古伝考察日本書紀と古事記は偽造されている

  • 日本のサイバー・セキュリティ防衛の実態

    日本のサイバー・セキュリティ防衛の実態日経新聞は21日、「サイバー防衛、遅れる日本」と題する記事を掲載しました。自衛隊が来春までにサイバー部隊の人員を3割増加の約290人に増やす一方、米国、中国、ロシアに比べると圧倒的に少ないと紹介している。防衛省は民間からの専門家をヘッドハンティングすることを検討しているものの、その動きは鈍く、体制の強化が遅れると米国との協調に影響が出る可能性もあるとしています。ということは、圧倒的に豊富な情報量の米国からの情報供与が少なくなり、日本は情報の谷間に孤立することを意味する。従って日本はコンピューターに精通した、操作と分析力の強い俊英チームを、早急に大量に増やさなければならない。私案だが、日本も欧米に倣って、内閣直属で少なくとも、5000人規模の「国家サイバー・セキュリティー・セ...日本のサイバー・セキュリティ防衛の実態

  • 嗚呼!! 大忠臣・明智光秀 【第一部】 光秀の母の名は

    ※本稿も長文です。NHKの大河ドラマを本物と思い込んでいる方は、その違いに驚かれるだろう。どちらを信じるかは読者の自由です。しかし、興味のある方はプリントアウトして熟読するのもよろしいかと。尚、誤字脱字はご容赦。嗚呼!!大忠臣・明智光秀【第一部】光秀の母の名は〈総見記〉は別名を〈織田軍記〉ともいうが、これに、こう言う話が載っている。「明智光秀は天正七年の五月に丹波へ進攻し、八田、波多、八折の諸城を落した。だが八上城の波多野一族だけは、あくまでも反抗して手をやいてしまった。当時、西丹波から攻めこんだ秀吉は、僅か二十日間で平定して既に播磨へ凱旋していたから、東を攻略できぬ光秀は焦った。そこで、五月二十八日に、己れの老母を人質として八上城へ送り、波多野兄弟を、光秀は、自分の本目(もとめ)の陣へ招いた。ところが信長から...嗚呼!!大忠臣・明智光秀【第一部】光秀の母の名は

  • 異聞 『徳川家康』 徳川家康の妻 松平元康が徳川家康は間違い

    異聞『徳川家康』徳川家康の妻松平元康が徳川家康は間違い〈泰平年表〉には家康の母の事を次のように記されている。「西郷弾左衛門清員の養女にて実は服部平太夫郷則の娘にて、実は竜泉院と諡し、駿府の府中に竜泉寺を建立。これに葬る。のち寛永五年七月。従一位を贈位。宝台院と改謚す。俗名おあいの方さま。西郷の局とも申しあげ、台徳院様(徳川秀忠)、薩摩守忠吉の御生母」とあり、〈徳川実紀〉では「家康公正室」と明記されてある。この服部平太夫郷則というのは、家康の若い頃その一党と身を寄せていた鍛冶屋の事である。もちろん、鍛冶屋の平太に、初からこんないかめしい名があるわけはなく、後からこしらえたものであるし、西郷村の弾左衛門というのは、これは非違を糾す当時の役名のようなものが弾左衛門なのである。つまり小伝馬町牢屋敷の江戸の弾左衛門だけが...異聞『徳川家康』徳川家康の妻松平元康が徳川家康は間違い

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