新令和日本史編纂所
住所
出身
ハンドル名
布衣草莽さん
ブログタイトル
新令和日本史編纂所
ブログURL
https://blog.goo.ne.jp/reiwanihonshi
ブログ紹介文
従来の俗説になじまれている向きには、このブログに書かれている様々な歴史上の記事を珍しがり、読んで驚かれるだろう。<br><br>
自由文
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布衣草莽さんのブログ記事

1件〜30件

  • 琉球哀歌 尊王攘夷は沖縄製

    琉球哀歌尊王攘夷は沖縄製沖縄の首里博物館が今あるところの前に古びた池がある。あまり見事とか美しいとは、お世辞にもいいかねる。ただ周囲の青々とした熱帯樹の茂みに眼がひかれる。しかし、この竜潭池というのは琉球王朝が華やかな頃には、丹青色の船が浮かび、下々の者は近づけない高貴な場所だった。さて、〈尊王攘夷〉なる言葉がある。今では日本の幕末の勤皇志士あたりが、東山三十六峰を背にして新選組と、「いざこい来れ」と斬り合いをしながら、悲壮な叫びをあげたもののように考えられ、そう想われて居る。しかしそういうものの、(勤皇……なら判るが、日本では天皇を王様といわないのに変てこではないか?)といった疑問を、投げかける者はなかったかどうか……歴史家さんは誰もこれまで書いていない。なにしろ日本の歴史は講談や芝居によって、歪められた優で...琉球哀歌尊王攘夷は沖縄製

  • イロハ歌留多の解説。 「札高し、愛宕さんには月詣り」江戸時代、庶民の借金地獄

    イロハ歌留多の解説。「札高し、愛宕さんには月詣り」江戸時代、庶民の借金地獄これは関西に広まった歌留多で、その意味としては以下に記す。昭和になってから映画が盛んになり、中でも時代劇が全盛で、多くの男優が綺羅星の如く活躍したが、中で小林重四郎は映画「国定忠治」の劇中歌を唄い評判を得、ポリドールよりレコードも発売。歌う映画スターのはしりとなった。そして「飴屋の唄」として江戸時代には良く歌われていたこの唄を劇中で復活させ、「伊勢にゃ七度、熊野にゃ三度、愛宕様には、さあ月詣り」と頭上に棒つきの飴を並べ、小太鼓打っての唄で、レコード化され、当時は大いにこの唄は流行した。しかしその歌の意味の事実は全く伝わっていない。テレビの大岡政談などで、「年に一割八分までが、お上の法定利子だ」などと真面目くさって越前守の台詞があったが、あ...イロハ歌留多の解説。「札高し、愛宕さんには月詣り」江戸時代、庶民の借金地獄

  •  津軽弁と古代海人族

    津軽弁と古代海人族熊をオヤジ、山者をマタギと呼ぶのは東北全体だが、船頭を弁財天とよぶのはアイヌ語でも同じ。(宝)船に乗って日本列島へやって来た人間、つまり古代海人族が列島各地に住み着いて和人となったという意味。宝船には、恵比寿、大黒天、毘沙門天、弁財天、福禄寿、寿老人、布袋が乗っていて、顔からも想像できるが、中国系、インド系、アラブ系、ポリネシア系等と長頭型や短頭型と、様々な民族が居る事が解る。そこで日本語の原型だが、古代ヤマト言葉に相似しているのが、邪馬台国系だと謂うが、渓谷をガロとか、多大をテペイ、深山をカチカチ、猫をチャペ、蛾をバケラコと呼ぶなどは、これは明らかに古代アラブ語その儘なのが非常に興味深い。そして、津軽弁のイントネーションが驚くほど似ているとも言われる。縄文時代から半島や大陸勢力に武力征服され...津軽弁と古代海人族

  • 坊主丸儲け

    ここ2ヶ月の間、近親者等の法事が6回もあった。会社勤めの頃は地元不在が多く、家人代理で済ませていたが、退職後事業を立ち上げてからは、そうもいかず、全部出席した。人は多くても寒寒した葬儀、「親子は泣き拠り」と謂う如く、悲しみの中にもシットリと肉親の情が溢れる葬儀と様々だった。そして、通夜の後に必ず行われるセレモニーで、変わり映えのしない坊主の「説教」には毎度のことながら辟易させられた。仏教の歴史を自派に都合よく歪曲し、宣伝臭ぷんぷんの有難い?下手糞な説教を30分も唸られては、「コヤツ、質問しておたおたさせたろか」と何度思ったか。日頃から末香臭い所が大嫌いな私は一瞬、狂暴な気にさせられる。これも私の体内に沸々と流れ脈打つ日本原住民の怨念と反骨精神のゆえだろう。元来日本人は仏教など全く無縁の民族だった。それが中国勢力...坊主丸儲け

  • 日本韓国の歴史認識の誤り 実証主義的歴史教育が必要

    日本韓国の歴史認識の誤り実証主義的歴史教育が必要日本に、仏教をもって、この列島へ入ってきた外来者の群れが、既住していた日本原住民を屠って、完全にここに彼らの勢力を築きあげたのは〈続日本紀〉によれば、天平時代が終ったあと、西暦七八一年となっている。(この年は、日本年号では、天応辛酉(てんのうしんせい)とよばれ、元日に改元され、その翌年から延暦元年になってしまうような年であって、この年に英邁な桓武帝が即位し遊ばされていられる)そして、この時点から、文武百般の諸様式一切が大陸風に変貌されてしまうのである。そして以前は模糊としてあまり判らないが唯、この桓武帝以降は、比較的、種々と明瞭になり、〈人物叢書の平野邦雄著〉によれば、この時の女御は、百済王媛の教法、百済の永継姫、尚侍(ないしのかみ)には藤原継縄の妻である百済王女...日本韓国の歴史認識の誤り実証主義的歴史教育が必要

  • 「板倉勝該はサンカ」 「加賀騒動」 大槻伝蔵

    「板倉勝該はサンカ」加賀騒動大槻伝蔵江戸城の刃傷史料として残されているのは七件となっている。現代でも有名な浅野長矩が吉良義央に斬りつけ、殺人未遂となった事件は忠臣蔵として人口に膾炙されている。時代順には以下のようになる。寛永5(1628)年8月10日の豊島明重事件。→被害者:井上正就(老中)貞享元(1684)年8月28日の稲葉正休事件。→被害者:堀田正俊(大老)元禄14(1701)年3月14日の浅野長矩事件。→被害者:吉良義央(高家肝煎)享保10(1725)年7月28日の水野忠恒事件。→被害者:毛利師就(長門長府藩主)延享4(1747)年8月15日の板倉勝該事件。→被害者:細川宗孝(熊本藩主)天明4(1784)年3月24日の佐野政言事件。→被害者:田沼意知(若年寄)文政6(1823)年4月22日の松平外記事件。...「板倉勝該はサンカ」「加賀騒動」大槻伝蔵

  • 炎の女「北条政子」の考察と軽視されている日本史の疑問

    炎の女「北条政子」の考察と軽視されている日本史の疑問「一学期が終わっだのに三百四十七ページの日本歴史の教科書は四分の一も進んでいなかった。ところが二学期が始まると、その第一時問めに先生は、受験準備のため教科書は早く終わらせようと、種子島に鉄砲が伝わった所から阿片戦争が日本へ影響を及ぼすまでの、およそ三百年間を一時間で、あっという間にかたづけてしまった」上は、朝日新新聞第五面の「声」の欄に、高校三年生のT泰君が投書していた記事の引用である。いくら受験勉強が先行するとはいえ、日本歴史の学校教育は、三百年分が一時間の先生の棒読みだけで済ませてしまわれる程の価値しかないものだろうか。といって反論するために引用したのではない。戦前の日本歴史は、恐れ多くも天皇さまの歴史として、まず歴代の天皇名の暗記から始まって、有難くも忝...炎の女「北条政子」の考察と軽視されている日本史の疑問

  • 徳川家の三河譜代は居なかった 

    徳川家の三河譜代は居なかった以前ニフティの歴史会議室でこの説を発表したところ、通俗説の勉強家や、歴史畑の住人らしき人たちに、随分食いつかれた。文中にあるように「三河風土記」や「三河後風土記」は、源内が嘘八百で書き飛ばした膨大な虚実の書を史料として信じ込んでいる人が多く、「そんな事は何処にも書いてなく、何々にはこう書いてあるから、嘘だ」と反論される。しかし、江戸時代に建部賢明が暴露している如く、史料等ととてもいえないシロモノを許に反論される馬鹿らしさに辟易し、コメントも付けずほったらかしておいた。三河譜代の旗本について以下のような質問が在りました。どの本を見ても旗本という旗本は、出羽生駒以外は揃って「三河普代の直参」となってる。江戸期の「武鑑」を見ても、譜代といわれる小大名の先祖は、旗本と一緒にどこも三河出身とな...徳川家の三河譜代は居なかった

  • 愛は襤褸(らんる)の如きものか

    愛は襤褸の如きものか過日、若い娘さんたちと色々話す機会があった。みな18~20歳でそれぞれ個性的で魅力的な女性である。新人類だ、アホバカOL、イケイケギャルだと、彼女たちの俗称は芳しくない。実際、欲望と虚栄、損得と感性だけで生きているような手合いも多い昨今である。欺瞞の愛や、陋劣な日常を送る唾棄すべき女も目に付く。今や21世紀、日本の政治も経済も弱りきり、拝金主義が跋扈し、世界は環境汚染や、独裁的指導者が現れている。アメリカもヨーロッパも中国、北朝鮮、ロシア、韓国と、自国第一主義を掲げる指導者の振る舞いは危険である。なにやら人類終末の感がしないでもない。しかし、こんな時だからこそ、真剣に人生に向き合い、悩んで居る女性もまた多いのである。〇「将来は余り明るくないので、だから今の内に素晴らしい恋愛がしたい。しかし日...愛は襤褸(らんる)の如きものか

  •  真説 蜂須賀小六 「絵本太閤記」の希少な訳

    真説蜂須賀小六「絵本太閤記」の希少な訳「どうも世の中間違っとる」蜂須賀党の首領小六正勝は、次弟の甚右正信、末弟の七内正元を見渡しながら、穀つぶが髯につく栗の白酒の土器をもち上げていた。初め美濃の斎藤道三に仕えれば、これが討死してしまう。そこで失業のあげく尾張岩倉の織田伊勢守に奉公すれば、これまた永禄二年(一五五九)三月織田信長に攻められて落城。やむなく次は、犬山城主の織田信清に蜂須賀小六は仕官した。もともと信清というのは、信長の父信秀の弟の信康の子で、信長の従兄にあたる。だから、まさか今度は信長に攻められはしまい、と高をくくっていたら、「二度あることは三度ある」というが、永禄七午夏。信清の妻の異母兄にあたる信長が、又しても攻めよせてきた。そこで蜂須賀党は最後まで踏み止って信清夫婦を避難させたが、とうとう犬山は落...真説蜂須賀小六「絵本太閤記」の希少な訳

  • サンカの生態 信長公記は前田家のお陰 サンカ女郎のストライキ(昭和には映画にもなった)

    サンカの生態信長公記は前田家のお陰サンカ女郎のストライキ(昭和には映画にもなった)当ブログでは「サンカ」についての記事を載せている。しかし、どうも私の文章が悪いためか、理解不足の部分も多いようである。彼らの子孫は現在も多く、日本人の二割は占めていて、その大きな特徴は「子沢山」の家庭である。少子高齢化の現在の日本では、誠に貴重な人たちで、他の家庭もこうであって欲しいと切に願うものである。そして彼らは決して不倫だとか浮気はしない、家族を大切にし動物を可愛がる純粋な民族でもある。昭和三十年代まで日本各地の山や河畔にテント生活(サンカ言葉でセブリという)をしていた。その彼らの生活の実情を、サンカ物を書いた三角寛が聞いた話を紹介しましょう。以下は、武蔵一(明治二十七年八月一日、東京石神井生れ)は、武蔵全体のクズシリ(親分...サンカの生態信長公記は前田家のお陰サンカ女郎のストライキ(昭和には映画にもなった)

  • 短歌から分る明智光秀の実像 明智光秀は理想主義者

    「見花」と題されて、「咲きつづく花の梢をながむれば、さながら雪の山かぜぞ吹(く)」という短歌がある。これは、旧候爵蜂須賀家に伝わっているもので、明智光秀の署名があり、明智光秀の真筆として名高いものである。が、これと同じものが明智光秀が迷って出て祟りをせぬようにと、祀られている福知山の御霊社にも余り保存はよくないがある。つまり光秀には、この他にも、「われならで誰かはうえむひとつ松、こころしてふけ志賀の浦かぜ」といったあまりうまくない歌が、『常山紀談』の中に、光秀が唐畸の松を植えたときのものとして書かれているが、真偽不明なのは、そっくり同じ他人の作があるからである。だからして明智光秀の作と認められるのは前掲のものしかないことになる。そしてこの歌は巧拙は別にして、光秀にはきわめて感銘深いものだったといえる。では何故そ...短歌から分る明智光秀の実像明智光秀は理想主義者

  • 白村江で負けたのは百済 多武峰(とうのみね)の歴史

    白村江で負けたのは百済多武峰(とうのみね)の歴史平安京になってからも現在の京都は、表面では京は、大陸勢力の四十六坊の寺の多い仏教の都だった。が、それなら藤原氏は何処に実力を蓄えて当時の日本を、武力で支配していたかという謎が今まで隠されているが、誰も解明していない。だがそれは大和の多武峰と思われる。さて、その前に、「日本の歴史家と称する者で、これまでで誰一人として『歴史の解明』を志した者はいない」と、史学の泰斗の久米邦武がみずから〈日本歴史資史料集大成〉の〈日本幅員(列島)の沿革〉の初めに述べている。ですからでしょうか、その論文のしめくくりの終りの個所に○○をつけて、「義によって百済を助けんとして援兵をだしたものの、白村江の氏礼城の戦いに敗けて兵をひきあげ、百済の臣民をわが内地に移して扶助、九州の筑紫の防禦に力を...白村江で負けたのは百済多武峰(とうのみね)の歴史

  • 煽り運転犯、宮崎文夫の「ミ」姓の考察

    煽り運転犯、宮崎文夫の「ミ」姓の考察先頃「あおり運転」の犯人男女、宮崎文夫と喜本奈津子が逮捕された。連日のテレビ報道で、宮崎の凶暴性がお茶の間には強烈な印象だったろう。姓の法則を研究している私にとっては、このミ姓の凶暴性は別に不思議ではない。直情径行の性格だから、ある一定の条件下ではその「負」の性格が爆発するので、理屈っぽいが、本来は気の小さな男なのである。それにしても、近頃は煽られたり、幅寄せされて、おまけにパンチまで食らって一体どうしたものか。やられたら、こっちが追いかけて行き、相手の車を止め、逃げられぬようにドアを開けキーを抜いてエンジンを切り、相手を引っ張り出して理詰めで唸ってやり、話を付けるのが順当だろう。相手がパンチや蹴りを入れ攻撃してきたらシメたもの。此方が徹底的にぶちのめしてから警察を呼べばよい...煽り運転犯、宮崎文夫の「ミ」姓の考察

  • 滝川クリステル嬢から見える「タ」姓の考察

    滝川クリステル嬢から見える「タ」姓の考察前回は小泉進次郎からの「コ」の付く姓の考察をしました。今回は彼の伴侶となった滝川嬢の姓を日本史から考察してみます。先ず彼女はフランス人の父を持ち、母親は「滝川」姓の日本人である。滝川の「タ」はアカサタナハマヤラワのア横姓に入っている。このア横列は、原住東北系(八幡国群・天<海>の朝系)になる。神話にでてくる天ノ何々のミコトというのが今日の天野さんと呼ばれる人の先祖です。ですから現在でも天野さんという姓が学校の先生や宗教関係に多いのもこのためです。紀元前九十七年頃に、現在の沿海州から満州を抜け、北鮮の羅津あたりから、裏日本へ入ってきた扶余族が、騎馬民族として入ってきたとき、「仲よくしよう」と結びついたのは、崇神帝の御孫の景行帝の妃になられたのがこの系統の八坂姫だったことでも...滝川クリステル嬢から見える「タ」姓の考察