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全ての受験生に贈る高校日本史「すべ日」 https://www.sube-nichi.com/

ちょっと深く、されど、受験日本史において本当に必要な情報だけを紹介する、全ての受験生に贈る高校日本史ブログです。 —桓武天皇が選んだ遷都の先はなぜ「京都」であったのか。― 自信を持って説明できますか?

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2019/09/10

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  • 【藤原頼通の不遇な人生】栄華一転、摂関政治はなぜ終焉したのか。外寇や地方反乱まで頼通の時代に起こった出来事を解説!【平等院鳳凰堂】

    さて、これまでの記事で繰り返し述べてきたことではありますが、藤原氏内部における‘‘氏の長者‘‘争いは、最終的に道長の一人勝ちに終わり、 藤原摂関政治および藤原摂関家は藤原道長・頼通父子のときに全盛期を迎えることとなります。 今回は、藤原頼通についてのお話です。 あまりに偉大な道長の息子として、難しい政治の運営を迫られることになった頼通は、強運の持ち主であった道長と比べてなんとも運がなく、 そしてその時代もなかなかに不遇なものでありました。 今回は、そんな不遇であった藤原頼通の時代について、さらには全盛を迎えた道長・頼通の時代の後に一転して摂関政治が衰退・終焉を迎えることになってしまった背景について、 順番に分かりやすく解説していきま

  • 【氏の長者争い-後編-】道隆VS道兼、道長VS伊周。栄華を極めた藤原道長の人生。その政策は?なぜ道長は関白にならなかった?【徹底解説】

    さて、後編では藤原道長を中心として、どのような氏の長者争いが展開されたのか、 さらにはその最終勝者として権力のトップに躍り上がった藤原道長の人生について解説していきます。 前編で紹介した図と同じものではありますが、復習を兼ねてここでもう一度、藤原氏北家の家系図を確認しましょう。 前編では、大きな回り道を経ながらもついに摂関の地位まで上り詰めることに成功した兼家の生涯についてまで解説しました。 その死後には、今度はその子供たちによって激しい争いが展開されていくこととなるのですが、後編ではその以下2つの氏の長者争い、 ❑ 道隆[兄] vs 道兼[弟] ❑ 道長[叔父] vs 伊周[甥] について解説していきます。 ⇓⇓⇓授業ノートはコチ

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