岩手県釜石市橋野町。沢桧川に沿って登っていきます。馬頭観世音。関連記事『瀧澤神社 (釜石市)』『栗橋分工場山神社 (釜石市)』『ヨドマワリの滝 (釜石市)』奥の院鳥居前の橋の上より。ヨドマワリの滝方面。瀧澤神社奥の院と沢桧川…鮫の参拝(遠野物語拾遺三十三)<
岩手県釜石市橋野町。沢桧川に沿って登っていきます。馬頭観世音。関連記事『瀧澤神社 (釜石市)』『栗橋分工場山神社 (釜石市)』『ヨドマワリの滝 (釜石市)』奥の院鳥居前の橋の上より。ヨドマワリの滝方面。瀧澤神社奥の院と沢桧川…鮫の参拝(遠野物語拾遺三十三)<
岩手県釜石市橋野町第32地割。付近には牧庵鞭牛隠居屋敷跡、やや北方に横内館跡、古里の御神楽スギ等があります。神社附近の石碑。観世音などの文字が見えますがきちんと見ていません。鳥居前にも石碑。石造鳥居寄附人名碑(大正8年4月3日)こちらは私には読み取れず。馬頭観
岩手県釜石市橋野町第34地割。橋野川沿い。牧庵鞭牛隠居屋敷跡(ぼくあんべんぎゅういんきょやしきあと)。市指定文化財、平成元年4月27日指定。鞭牛和尚(宝永7年(1710年)~天明2年9月2日(1782年10月8日))は、宝暦5年(1755)、46歳で林宗寺六世住職を辞して隠居し、人
岩手県大船渡市三陸町綾里石浜。綾里漁港の近くです。鳥居(平成24年12月吉日、第七稲荷丸船主千葉幸男・熊谷組株式会社代表取締役熊谷由也献納)社号標(昭和58年8月吉日)顕彰碑(平成16年3月吉日)…『慶安2(1649)年南光院現市杵嶋神社第九世修験者中嶋永公が寺小屋枕洋
『黒森神社 (宮古市)』からの続きです。樅(モミ・マツ科)自生ノ北限地…『推定樹齢1,300年位。日本樹木保護協会代表、樹医山野忠彦先生の鑑定結果。平成2年10月』手水石。社務所。神楽堂。ここに伝わる黒森神楽は、正月になると巡業し、祈祷の舞を演じます。神楽は平成18
岩手県宮古市山口第4地割。一之鳥居(大鳥居)は宮古市黒森町4にあります。結構離れています。※鳥居神額(明治42年9月吉日仙臺處士源守庸敬書※昭和62年6月吉日再製)※黒森町…昭和49年~現在の宮古市の町名。元は宮古市山口字田の神前・中谷地の各一部。町名は北部にある
岩手県久慈市大川目町第8地割。久慈琥珀博物館から比較的近い場所です。大川目は黒森山の東南、久慈川中流域に位置。標高24m。地名の由来は弘仁期の宇漢米(うかめ)公の宇漢米より大川目になったと伝えます。北部の新町の高台には中世久慈周辺を掌握していた久慈氏の居館跡
岩手県花巻市内川目。早池峰神社から鶏頭山登山口を過ぎ、折合沢を目指します。案内板によりますと2.7km、徒歩70分。岳川。馬頭観世音。一基は安政4年8月15日、もう一基は昭和かな。車で来ることは不可能です。ちょっぴりなら車で行けますが距離的にあまり意味がありません。
花巻市には、永い歴史とともに伝承されてきた神楽が多くあり、そうした神楽を次の世代に伝えることと、多くの人が体験できるように、昭和56年岳神楽の伝わる早池峰神社近くに建てられました。館内へ。館内には、神楽を練習するホールと、神楽の道具や衣装、そして早池峰大権
『早池峰神社 (花巻市大迫町)』からの続きです。おもちゃとか色々祀られているこちらは…古峰神社(昭和19年9月18日)参道。参道を振り返るの図。神楽殿。早池峰山と信仰…『北上高知の最高峰・早池峰山(1,917m)は、東に剣ヶ峰、西に中岳、鶏頭山、毛無森を連ねた東西十
早池峰湖(道の駅はやちね)から早池峰神社へ。岩手県花巻市大迫町内川目。早池峰神社(早池峯神社)。早池峰山の登山口に向かう途中の岳集落は、江戸時代には「岳六坊」と呼ばれた修験山伏たちの宿坊がありました。現在も何軒かが民宿を経営しており、宿坊の名残は「大和坊
岩手県花巻市大迫町内川目。早池峰神社に向かう途中で寄りました。大迫・ベルンドルフ市姉妹都市締結30周年記念鉄塔「友好の鐘」(平成7年10月12日)鳴らしておきました。神楽とワインの里、大迫町(おおはさままち)案内板。ずっと「おおさこちょう」って読んでました。ごめ
岩手県北上市藤沢15地割。社号標「藤澤稲荷神社」(春季例祭3月9日・秋季例祭9月9日)境内案内板「正一位稲荷神社」…『【旧社格】村社【鎮座地】北上市藤沢15の201【祭神】保食神【例祭】九月九日【由緒】寛文五年(1665)南部藩士奥寺八左衛門定恒この地に開墾の事を起こし
岩手県遠野市青笹町糠前。河内川沿い。六角牛神社(ロッコウシジンジャ)。近くには遠野郷土人形民芸村があります。六角牛山登山口にもなっています(上糠前口)。案内板を見ると六角牛神社から登山口の間に追分石碑・一番鳥居跡・二番鳥居跡・水飲場・三番鳥居跡があります
岩手県上閉伊郡大槌町安渡2丁目。大槌郷総鎮守大槌稲荷神社(二渡神社)。大鳥居(東日本大震災津波で基礎部分から折られて流されてしまいましたが、その後、奇跡的にそのままの状態で見つかり、現在は流失の扁額部分を新しいものに替えています。)社号標「郷社大槌稲荷神社
岩手県上閉伊郡大槌町上町。県道280号大槌小鎚線沿い。大槌町役場、浄土宗見生山大念寺(三陸観音霊場29番札所)付近。灯籠一対(平成28年9月吉日)小鎚はかつて小槌とも書きました。大槌湾に注ぐ小鎚川の流域に位置しており、北上山地の白見山・小鎚山麓に発した小鎚川が、
岩手県宮古市沢田。狛犬一対。山門。官軍小西周右衛門の墓(宮古市指定文化財・徒歩5分)…『常安寺墓所内には、宮古港海戦の前年に宮古に立ち寄った備前岡山藩士小西周右衛門の墓があります。当地で病死したことから、宮古代官所と岡山藩役人との相談の上、常安寺に埋葬され
岩手県釜石市鵜住居町第13地割。釜石市立鵜住居小学校付近。御祭神は白山姫命。例祭日旧7月15日。社号標。社殿。正徳5年(1715)7月、泉澤保人先祖にて勧請。拝殿内。権現様(獅子頭)が三頭並べられ、間に不動明王もありました。境内社。間に馬頭観世音らしき石碑と明神社と
岩手県釜石市鵜住居町第13地割。鵜住神社のすぐ隣にあります。鵜住居観音堂から見下ろした鵜住神社の参道鳥居。鵜住居観音堂…『鵜住居観音堂は「小峯山観世音」と号し、本尊は岩手県指定文化財となった木造十一面観音立像 附胎内仏・木造僧形立像(以下、十一面観音と記述)
岩手県釜石市鵜住居町第13地割。鵜住居は東部は大槌湾に面し、鵜住居川が東流して同湾に注ぎます。地内泉沢からは縄文中期の土器が出土。中世の鵜住居は戦国武士鵜住居氏の本拠地。閉伊郡のうち。鵜住居氏は大槌氏の一党。大槌孫八郎広紹(広信)の弟に鵜住居久右衛門広重の
岩手県久慈市長内町第17地割。小屋畑川沿い。参道。長内は久慈湾の西部に位置。長内川下流の南部及び支流小屋畑川の流域を占め、東は久慈湾に接しています。水利の便がよく肥沃。昭和27年地内二子の工事現場で縄文晩期の遮光器土偶(30cm大)が完全な状態で出土(東北地方で
岩手県久慈市中町第1地割。付近には津嶋神社や道の駅くじ(やませ土風館)があります。寺号標「松峯山長福寺」(昭和59年5月吉祥日、為菩提功徳主枇杷辰蔵、中国天童寺少林寺巡拝記念、當寺拾六世佛心泰山代)田村栄一郎顕彰碑「郷土に誇りを」田村栄一郎(田村栄一郎師卒寿
岩手県北上市和賀町岩崎18地割。陸中岩崎城跡。中世の豪族だった和賀氏が最後にこもった岩崎城。模擬天守の岩崎地区公民館は取り壊されて、現在は舞台などが整備されて、北上・みちのく芸能まつりの会場の一つとなっています。本丸橋。岩崎城跡(北上市和賀町岩崎所在)…『
岩手県下閉伊郡普代村第25地割卯子酉。『鵜鳥神社遥拝殿(普代村)』からの続きです。由緒等については前回の記事を参照ください。「お山に登りましょう」ということで、奥宮を目指します。クマ注意。ということで鈴付きの杖を持ちます。案内板によりますと約800m。遥拝殿・
岩手県下閉伊郡普代村第25地割卯子酉。普代は北東流して太平洋に注ぐ普代川と同川支流茂市川流域に位置。北緯40°線が中心部を横断し、普代川流域に集落が集まります。太田名部・力持・白井は海岸部に位置する漁業集落、西部の標高200m程の山間地には茂市・芦渡・芦生・萩牛
岩手県釜石市鵜住居町。釜石ラグビー神社。釜石鵜住居復興スタジアムの裏手に鎮座しております。社殿。本殿。全ての人々が「楕円のご縁」に結ばれて、幸せが訪れますように。あまり詳しくはありませんが、恐らく有名な方々のサインがたくさんあります。丸の内ラグビー神社…
岩手県釜石市鵜住居町。2019年にアジアで初めて開催されたラグビーワールドカップ日本大会の会場の一つが釜石鵜住居復興スタジアムです。フィジー対ウルグアイの試合が行われたこの会場は、開催された15都市のうち唯一新設されたものであり、最も客席の少ない会場ではありま
岩手県釜石市鵜住居町。根浜海岸。「日本の白砂青松100選」に選ばれた名勝。陸中海岸国立公園根浜海岸碑…『釜石市鵜住居片岸財産区は明治二十二年四月一日から七十六年間、根浜海岸一帯の土地を所有していたが、昭和四十九年六月二十八日、釜石市に、この土地を引継ぎ、解散
岩手県陸前高田市高田町下宿。小泉川橋。下宿定住促進住宅は高田松原津波復興祈念公園が面している国道45号線沿いの東側にある5階建ての市営住宅。案内板「下宿定住促進住宅」より…『国道45号の海沿いに建つ下宿定住促進住宅は鉄筋コンクリート5階建ての市営住宅でした。東
岩手県陸前高田市気仙町小渕。旧陸前高田市立気仙中学校です。奇跡の一本松や陸前高田ユースホステル、タピック45が見えます。逆に奇跡の一本松側から見た気仙中学校。案内看板「公園内の震災遺構・気仙中学校」より…『気仙川の河口に面して建つ気仙中学校は、津波が陸前高
岩手県陸前高田市高田町古川。震災遺構タピック45(旧道の駅高田松原)。旧道の駅高田松原(愛称:タピック45)は、1991年(平成3年)に開業した高田松原物産施設の一部。案内板「高田松原物産館の一部」より…『高田松原物産館は2002年(平成14年)11月にタピック45(旧道
岩手県陸前高田市気仙町字砂盛。一緒に写っている松は奇跡の一本松です。Wikipedia「陸前高田ユースホステル」より一部抜粋…『陸前高田ユースホステル(りくぜんたかたユースホステル)は、日本ユースホステル協会に加盟していた岩手県のユースホステル。高田松原公園内に位
岩手県陸前高田市気仙町砂盛。高田松原津波復興祈念公園内。希望のかけ橋とベルトコンベアの基礎。希望のかけ橋とベルトコンベアの基礎(Dream Bridge(Kibou-no-Kakehashi)and the foundation of the conveyor belt)…希望のかけ橋『東日本大震災津波で壊滅的な被害を受け
岩手県上閉伊郡大槌町新町。旧大槌町役場跡です。震災遺構として保存されることはなく解体されています。小さな建物がありました。行ってみます。建物内。大槌町東日本大震災慰霊(平成23年3月11日、犠牲者1234名)地蔵菩薩。お知らせ…2014年(平成26年)8月3日に、認定非営
岩手県上閉伊郡大槌町末広町1。大槌町文化交流センターおしゃっちの隣、御社地公園内。江戸時代に創建された東梅社(御社地)は東日本大震災の津波により破壊されましたが、町民有志によって、また太宰府天満宮のご配慮を賜って天満宮の勧請を許され施工されました。三陸御社
遠野市綾織町新里。社号標(奉納者:綾織村字寒風、菊池亀之助、昭和6年旧6月24日建之)石碑等がたくさんありますが、ちょっぴり鬱蒼としているのできちんと見ていません。湯殿山、金毘羅大神、三峰山、山神、参宮紀念、庚申塔等々愛宕神社…愛宕さんは城下町を守る境の神で
青森市浪岡。2025年2月閉業。かなりの人気店だっただけに衝撃。
岩手県遠野市下組町。卯子酉様(卯子酉神社)。『五百羅漢 (遠野市綾織町)』『程洞稲荷神社 ・ 程洞のコンセイサマ (岩手県遠野市)』新奥の細道「五百羅漢のみち」…『このコースは、起点卯子酉様から愛宕神社、五百羅漢、程洞コンセイサマ、鍋倉城址や、なべくら展望台
岩手県紫波郡紫波町赤沢田中。赤石薬師堂境内に「白山神社」への案内板があります。また、「白山神社」の鳥居神額らしきものがあります。更に「藤原経清の母の墓」という案内板もあるので…それに従って白山神社が鎮座する音高山(白山館遺跡)方面へ少し進みます。赤沢薬師
岩手県紫波郡紫波町赤沢。赤沢薬師堂(七仏薬師)。※紹介している鳥居及び社号標は白山神社のものになりますが、当日の時間の都合上、白山神社には行くことができなかったため紹介いたしません。社号標(昭和10年11月30日、除隊記念)鳥居。鳥居額束神額(岩手県知事中村直
岩手県遠野市綾織町新里。開運カッパ様が祀られていました。遠野市全体的に昔よりカッパ推しが強くなっている気がします笑かつて水虎様を探しまくった私にとってはありがたいことです。苔玉。蛙に見えるけどこれもカッパなのかな。カッパパフェ。カッパフェでいいじゃん。カ
岩手県大船渡市赤崎町鳥沢。鳥沢の大船渡湾に突き出した尾崎岬に鎮座。一之鳥居前にはかつて駐車場があったそうですが、東北大震災による地盤沈下によって沈んだそうです。赤崎は大船渡湾の東側に位置。大股山の山麓が西に傾斜し大船渡湾にせまっており、平野地が少なく集落
岩手県大船渡市大船渡町鷹頭。下船渡駅の西方。神社参道入口は大船渡町宮ノ前。一之鳥居前に宮ノ前公園があります。下船渡貝塚も近いです。下船渡月山権現。私の地図には載っていない社で、たまたま通りかかって参拝いたしました。石灯籠一対。大船渡は大船渡湾の西岸に位置
岩手県釜石市大平町3丁目。関連記事:『釜石大観音』仏舎利塔の紹介です。釜石大観音に隣接する仏舎利塔には、昭和50年(1975)にスリランカ共和国から寄贈された、お釈迦様のご遺骨(仏舎利)お祀りしています。高さ24m。内部の仏舎利安置堂の形に合わせ、天にそびえる塔が
『釜石大観音』からの続きです。さて、釜石大観音へ向かいましょう!釜石大観音建立趣意…『昭和四十年夏千体に及ぶ身寄りない無縁仏を慰霊するため石応寺境内に無縁多宝塔を建立合祀するや、その直後よりしばしば三陸一体無数の無縁仏の悲悩を霊感し遂にその慰霊のために大
岩手県釜石市大平町3丁目。石應禅寺釜石大観音。仲見世鎮守多福明神。参道門建設設置至近寄進者芳名碑(平成6年4月17日落成、釜石大観音仲見世商店会建立)仲見世通。表参道入口。釜石大観音全景図。釜石大観音碑(株式会社髙吾社長高橋五郎奉納)山門(昭和51年7月)石灯籠
岩手県久慈市中町第1地割。道の駅くじ(やませ土風館)の近くです。中町は昭和47年~現在の久慈市の町名。第1・2地割があります。元は久慈市裏町で、地内の整備が進み一新し、当地が市街地の中央部に当たることから中町と改称。県立病院があることから病院通りとも称しました
岩手県花巻市下シ沢前田。一之鳥居(紀元2600年、照井休四郎建之)下シ沢(くたしざわ)は北上川支流の豊沢川沿いに位置。奥羽山脈中にあって周囲を山岳に囲まれています。豊沢川に注ぐ下シ沢川の川名が地名になったものと考えられます。江戸期の下沢村は稗貫郡のうち。下シ
青森県八戸市尻内町大仏8。大仏神社(神明宮)です。大仏地区では他に水ヶ森神社(大仏7、大仏生活館西側)や大仏薬師堂(大仏6、個人所有地内、古くから知られた歴史ある堂であり、村内外から目を患った人々が参詣に訪れ、境内の池の水で目を洗って治癒したと伝わり、堂内に
『横山八幡宮 (宮古市)』からの続きです。女坂。写真の順番が滅茶苦茶ですが私は男坂から来ました。狛犬一対(平成8年6月吉日)横山八幡宮は旧郷社。御祭神は品牟陀和気命。創建年代は不詳ですが社伝では寛弘年間の創立といい、また一説では和銅年間猿丸大夫が当地に遠流と
岩手県宮古市宮町2丁目。宮古閉伊郡総鎮守横山八幡宮。宮古地名発祥の地。社号標「横山八幡宮」(昭和22年3月15日)大鳥居齋殿道路改修費寄進者芳名碑。参道。石灯籠二対。参道途中左手に宮古市立第一中学校があります。石灯籠一対。二之鳥居手前。御手洗(水舎)。立派な手
『北上市和賀郡総鎮守諏訪神社 』からの続きです。手水舎(昭和19年)石灯籠一対(明治4辛未年4月)Wikipediaより一部抜粋…『【主祭神】建御名方神、天照皇大神、大山津見命、品陀和気命、菅原大神保食神【社格等】旧郷社【創建】大同2年(807年)【別名】北上諏訪神社、お
岩手県北上市諏訪町1丁目。諏訪町という地名の由来は、鎮守諏訪神社への参詣道として発達したことによるものです。社号標(昭和28年10月岩手縣知事國分謙吉)石灯籠一対(明治44年)案内板「諏訪神社」…『江戸時代から今日まで、本地方で広く振興を集めている代表的神社で、
岩手県花巻市下シ沢牛角。下志澤自然公園・やすらぎの滝。山の駅 ・ 昭和の学校から下志沢橋渡り歩いていきます。すぐ着きます。豊沢川へと注ぐ下志澤川渓流。やすらぎました。やすらぎの滝は本来の滝の名称ではなく、近年になって命名されたものでしょうね。ゴリラ岩。
岩手県花巻市下シ沢牛角。花巻市立前田小学校は、テレビドラマ「鬼ユリ校長、走る!」(主演:樹木希林)のロケ地として使用されました。至誠報徳を刻む二宮尊徳像。『古くから名湯が点在する花巻南温泉郷内に、2014年11月にオープンした「山の駅 昭和の学校」。2012年に閉
岩手県花巻市鉛字西鉛。結びの宿愛隣館。上質な3つの自家源泉を17のお風呂で楽しめる愛隣館。鉛って面白い地名ですね。ってことで鉛についてです。鉛は北上川支流の豊沢川沿いに位置。奥羽山脈中にあって周囲は山岳で囲まれています。地内の鉛温泉では春先・秋口の2回、夜半
岩手県久慈市大川目町第13地割。大川目は黒森山の東南、久慈川中流域に位置。標高24m。地名の由来は弘仁期の宇漢米(うかめ)公の宇漢米より大川目になったと伝えます。北部の新町の高台には中世に久慈周辺を掌握していた久慈氏の居館跡があり新町館(久慈館とも)跡と称して
菊池雄星 ・ 大谷翔平選出記念モニュメント (花巻東高等学校)
岩手県花巻市松園町。2024年締めくくりに相応しい記事はやっぱりこれ!?花巻東高等学校。さすが大谷さん人気。結構観光客がおりました。2023 SEASON HOME RUN KING 44HR AMERICAN LEAGUE MVP.SHOHEI OHTANI.「2021MLBオールスターゲーム 菊池雄星・大谷翔平選出記念モニュメ
part21part22part23part24part25part26part27part28part29part30part31『ブラユキ写真館 ~ まとめ (part1~20)』
一見何でもないものがYUKIさんの目を通すと面白く見えてくるブラユキ写真館のお時間です…とか言いつつもネタ不足のため面白くないです。コロナの影響です。秋田県北秋田市川井才ノ神。川井神明社の目の前。何かはわかりませんが結構目立ちます。※たぶん民家私有地内。大館
岩手県花巻市湯口。大沢八景画帳…『慶応年間(1865~8)に第四十世藩主南部利剛が、侍臣らと共に、藩の湯治場のあった鉛温泉に保養した際に、隣郷の大沢温泉に遊んだ。このとき、大沢温泉の周景八つを選び、有度(川口月嶺)が描いた美しい色彩絵に、利剛公をはじめとする八
岩手県花巻市湯口大沢。ちなみに大沢金勢神社はここから少し離れた大久保山山中にあります。県道12号花巻大曲線沿いの分岐点に案内看板があったような気がします。なお、当記事で紹介するのは仮宮(御神体の分身)のみになります。大沢金勢祭り…『毎年4月末に温泉地にて催さ
岩手県花巻市下シ沢大久保。豊沢川沿い。豊沢川は北上川水系の支川。1級河川。花巻市を流れます。延長33km。水源は市の北西部、岩手郡雫石町境。上流に豊沢ダムが造られ豊沢湖(人造湖)があります。上流は山間部を流れますが、中流から下流にかけては灌漑用水の役割を果たし
『玉崎駒形神社(奥州市)』からの続きです。山之神掛(棧)樋収蔵棟。掛樋。奉納山之神掛樋収蔵棟…『山之神の掛樋は熊野田橋のそばで人首川に注ぐ小川を渡る千刈田堰に架設してあった。それは玉里字矢ノ目沢地内米沢五日月堂に聳えていた樹齢およそ二百年程の姥杉で、明治
岩手県奥州市江刺玉里玉崎。玉崎駒形神社(玉崎神社)・玉崎館跡。県道8号水沢米里線と人首川を南方に見下ろす高台に鎮座。源義経が実は平泉で死なずに落ちのび、この神社に詣でて武運長久と道中の無事を祈願したという義経北行伝説があり、義経にまつわる品々を保存していま
青森県三戸郡新郷村戸来東袋。県道220号(石無坂鹿田線)沿い。戸来については弥栄神社の記事を参照ください。鳥居の先は岩で行き止まり…ではなく、ちゃんと参道があります。この岩は何だろう…未確認ですが中に入れるようです。防空壕にも見えませんしね。倉みたいな感じ。
青森県平川市松館浅井。松館は津軽平野南部、岩木川支流の平川と引座川により形成された氾濫原上の平川右岸に位置。引座川は地内北端で平川に合流。地名の由来は不詳ですが、中世この地にあった大光寺城の支館である松館に関係するものと考えられています。以下の記事にて情
青森県黒石市南中野不動舘。訪れたのは11月中旬。例年の見頃は10月下旬~11月上旬、今年の見頃予想は11月上旬~11月中旬(11月2日~4日頃)※ライトアップは10月19日~11月10日。参道鳥居。神社参拝観光入山される皆様へお願い…『享和三年(1803)弘前津軽九代藩主寧親公が
岩手県上閉伊郡大槌町吉里々々第27地割。三日月公園付近。蓬莱島(ひょっこりひょうたん島)が目の前に見える場所です。石段。参道。鳥居(平成13年旧5月28日、岡谷喜良・喜左衛門・喜惣治建立)吉里吉里(きりきり)は吉里々々とも書き、船越湾の南に面する吉里吉里半島の基
岩手県上閉伊郡大槌町本町1。大槌駅前です。大槌駅の2階展望テラスより。鳥居。御祭神は猿田彦大神(道祖神)・天鈿女命(宮比神)。三陸屋台村おおつち〇〇横丁HPより一部抜粋…『三陸屋台村おおつち〇〇横丁は、東日本大震災ですべてなくなってしまった地で再び明るくとも
岩手県上閉伊郡大槌町本町1。大槌町のシンボルひょうたん島(蓬莱島)をイメージして作られた屋根が特徴の駅舎で観光案内所や飲食店も併設しています。Wikipedia「大槌駅」より一部抜粋…大槌駅は、岩手県上閉伊郡大槌町本町にある、三陸鉄道リアス線の駅である。駅の愛称は
岩手県上閉伊郡大槌町の大槌湾内に浮かぶ島です。大小二つの大岩が連なる周囲約200mの小さな島です。大槌湾は北を筋山半島、南を箱崎半島に抱かれ、東北東に湾口を開くU字型の湾です。湾内には安渡・白石・赤浜・箱崎・白浜などの漁業集落が発達しており、近くの海域ではホ
三戸郡三戸町蛇沼本村。旧蛇沼小の南西、蛇沼やまびこ会館及び三戸町消防団第15分団の西方。薬師堂大銀杏。推定樹齢三百年、幹周5.67メートル、樹高25メートル。カラクリ人形の里(荒田バッタリ村)のからくり水車小屋内にあった貼紙「巨木あれこれ~三戸町蛇沼薬師堂の銀杏
弘前公園外濠。東門。つがるんるん動物園~大浦城っ子の動物たち~毎年好評を博している市民協働制作作品。弘前城ともゆかりの深い大浦城跡地に建つ弘前市立津軽中学校の生徒さんが制作した作品が追手門と東門の入り口に登場します。自分たちの生まれた「日本そして郷土のほ
岩手県胆沢郡金ケ崎町西根鶴ケ岡。鶴ケ峰熊野神社。「村社熊野神社參道開通・鳥居建設記念」(昭和14年10月17日)参道。熊野社橋(平成2年3月完成)。宿内川を渡ります。擬宝珠。法雲寺が見えます。ちなみに一之鳥居からではなく、法雲寺方面のこの看板(下の写真)から向か
岩手県胆沢郡金ケ崎町西根鶴ケ岡。曹洞宗亀鶴山法雲寺。西根は北上川に注ぐ胆沢川支流黒沢川流域に位置。宿内川が扇状台地上を東流し北上川に合流。地名の由来については城西根村の城を削って西根としたとの記録がありますが、西の山(奥羽山脈)の山麓に位置するので「西の
青森県三戸郡新郷村戸来川台。戸来については弥栄神社の記事を参照ください。三川目川。諏訪神社。一之鳥居。参道は結構な急勾配ですが階段があって助かります。新しく設置されている階段下に昔の石段があります。ジェットコースターみたい。上から。最初の階段を上った先に
岩手県釜石市橋野町。国内の他資産と共にユネスコの世界文化遺産「明治日本の産業革命遺産」に登録された、現存する日本最古の高炉がある高山跡。一連の製鉄工程を把握できる産業遺産で、日本の製鉄技術の近代化の先駆けを物語っています。鉄は文明開化の塊なり!基本的に現
岩手県遠野市青笹町糠前。笛吹峠。笛吹峠は釜石市橋野町と遠野市青笹町地区の境にある峠です。鵜住居街道が通ります。標高862m。遠野盆地を囲む峠の1つで、遠野方面からは青笹を経て河内川沿いに六角牛山(1,294.3m)と権現山(970m)の鞍部と釜石市橋野町青ノ木に越えます。
岩手県北上市川岸1丁目。北上駅東口。地図では近くに「天神橋」という表記もありましたが、小川はあったものの橋はよくわかりませんでした。川岸は昭和42年から現在に至る町名ですが、その由来は北上川べりに位置しており、江戸期~明治前半期に北上川舟運の河岸として賑わっ
岩手県釜石市鵜住居町。根浜シーサイド・レストハウス付近。根浜富王姫神社。パンフレットには御神木・鉄の鳥居とあります。昭和55年、佐々木實奉納。桜花咲く根浜(国際ソロプチミスト倉敷・高梁、NPO法人21世紀の環境づくりを進める会・玉島、根浜復興支援実行委員会・玉島
岩手県上閉伊郡大槌町本町。県道280号大槌小鎚線沿い。大槌町で最も古い寺院という曹洞宗海龍山江岸寺の墓地に連なっている感じで鎮座。参道はこのようにやや雑草で埋もれていました。もう一つ参道があるのですが、そちらの方は奇麗でした。江岸寺。この後、江岸寺へ行き、当
青森県三戸郡新郷村戸来笹森。戸来については弥栄神社の記事を参照ください。県道220号(石無坂鹿田線)沿い。滝沢生活センターの近くです。立派な鳥居と階段があったので、普通に社殿があるのかと思いましたが、写真のように小祠が並んでいました。すべてが道祖神社であるの
岩手県大船渡市末崎町大浜。碁石岬案内図。えびす浜付近から海神様を奉った東屋・碁石崎灯台を経由して碁石岬の碁石岬展望台へ向かいます。碁石海岸は大船渡湾の南に突き出た末崎半島南東端一帯の海岸。陸中海岸を代表する景勝地。昭和16年6月15日に国の名勝及び天然記念物に
岩手県大船渡市末崎町大浜。碁石岬の駐車場から歩いて行くことができます。碁石浜のすぐ近くで地図上の碁石浜ではありませんが、こちらの浜も碁石海岸に面し、碁石のような石で覆われています。碁石浜は波によって磨かれた黒い玉砂利が一面に敷きつめられた海岸。この黒い玉
岩手県大船渡市末崎町大浜。「碁石海岸レストハウス」と「世界の椿館・碁石」前にあるおもい出岬歌碑(作詞:阿久悠、作曲:川口真、歌:新沼謙治)日本百選碁石海岸…『一、日本の白砂青松百選(昭和62年1月認定)一、日本の音風景百選(平成8年6月認定)一、日本の渚百選(
岩手県大船渡市末崎町赤土倉。碁石海岸を訪ねるみち…『①吉浜の津波石…吉浜の津波石は、1933年の昭和三陸地震の津波で海側から約200m運ばれてきた巨大な花崗岩です。1960年頃の道路整備で埋められましたが、2011年の東北地方太平洋沖地震の津波で道路が流され、再び姿を現
岩手県北上市川岸1丁目。川岸は昭和42年から現在に至る町名ですが、その由来は北上川べりに位置しており、江戸期~明治前半期に北上川舟運の河岸として賑わった地域であることによると考えられます。鳥居。地図では諏訪神社と記されていますが、社殿・本殿を持たない社でした
岩手県北上市川岸3丁目。諏訪神社の近くです。北上川にも近く、住所に土地の記憶を留めています。また、住吉神社のはす向かいには造船所跡がありました。造船所跡…『御船繕所といわれ、藩営で北上川舟運に用いられた船を造ったり、修理した所で、黒沢川の落ち合い左岸に接し
リアス海岸の中でも比較的開けた船越湾に位置しており、広く太平洋を望むことができる浪板海岸。波が寄せては返さない「片寄せ波」で知られた砂浜です。遠浅で波の力が緩衝されやすいこと、寄せた波が粗い砂の間に吸われてしまうことで返す波がないように見えましたが、東日
岩手県和賀郡西和賀町沢内鍵飯19地割。和賀川沿い、七ツ釜のすぐ横です。手水石。こちらは私には読み取れず。社殿。御祭神は七ツ釜神。例祭日9月19日。由緒については不明ですが、七ツ釜に関連して建立されたことは間違いありません。拝殿内。神額「瀧上神社」本殿。本殿横に
岩手県和賀郡西和賀町沢内鍵飯19地割。志賀来山の西。水が流れ落ちている岩肌に大小7つの穴があいていることから七ツ釜と呼ばれているようです。現在は底の浅い岩穴となっていますが昔は底が見えないほど深かったと言われています。和賀川に注いでいます。下から写真を撮って
岩手県北上市和賀町藤根17地割。最寄りは藤根駅です。鳥居紀年銘(昭和54年11月8日建立)野中農村公園。農村感はないですけど。藤棚。藤根は北上盆地のほぼ中央西部、和賀川中流左岸の金ケ崎段丘面上にあり、後藤野扇状地の扇央部に位置。北西部がやや高く、南東部に緩やかに
三戸郡三戸町蛇沼荒田。蛇沼荒田と蛇沼七屋敷の境くらいに鳥居があります。防空壕ですかね…それとも自然の穴を倉庫か何かとして利用してるのでしょうか。水が溜まっていて未確認です。一部には窓ガラスが組み込まれているので何かに利用されてたことには間違いないようです
青森県三戸郡三戸町蛇沼荒田。鎮座地はカラクリ人形の里(荒田バッタリ村)です。鳥居脇の石碑。「荒田村」とだけ読み取れました。鳥居は平成30年6月26日建立。「三神社責任者長岡慶治」とありました。石殿が4基あります。内2基は完全に不明。こちらは青面金剛像庚申塔。紀年
2024年、世界一の扇ねぷた。絵師西谷昇仙。相も変わらず迫力満点!これ、世界一になる理由は何かあるんでしょうか?2位じゃダメなんでしょうか!?絶対ダメです。鏡絵「老将、北信愛勇戦之図」…『北信愛(1523~1613)は、戦国時代から江戸時代初期にかけて南部氏を支えた
青森県三戸郡三戸町蛇沼。GoogleMapでは「からくり水車小屋」と表示。バッタリとは水車(主に農作業で使用される)のことらしいです。いつしかのテレビ番組を見て知った場所です。令和6年3月竣工の荒田橋。蛇沼は猿辺川の支流小猿辺川流域の山間地に位置。蛇沼館は蛇沼集落の
岩手県上閉伊郡大槌町浪板第9地割。わけあって知人を連れて行ってきました。軽い気持ちで行くような場所ではありません。よって当記事の内容もWikipediaによる説明と注意事項に留めております。風の電話のご利用にあたってのお願い…『最近(2019年12月)、周辺の住環境が静
岩手県大船渡市末崎町峯岸。細浦漁港。かつては海に浮かぶ島だったかのような雰囲気。船のせい!?末崎は大船渡湾の西に位置し、東・南部は半島状に海に突出、その先端が碁石岬。海岸はリアス式で北面に細浦湾、南面に門之浜湾。北には飛定地山が聳え山麓が海岸までのびてい
令和に入って山道町の姿が大きく変わろうとしていました。そこで山道町の姿を少しでも記録として残すべく続けてきた山道町シリーズの最終章です。護穀・住吉神社はとても目立つようになりましたね。かつてはやや薄暗く、狭い一方通行であったため、鍛冶町からの飲酒運転取締
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岩手県釜石市橋野町。沢桧川に沿って登っていきます。馬頭観世音。関連記事『瀧澤神社 (釜石市)』『栗橋分工場山神社 (釜石市)』『ヨドマワリの滝 (釜石市)』奥の院鳥居前の橋の上より。ヨドマワリの滝方面。瀧澤神社奥の院と沢桧川…鮫の参拝(遠野物語拾遺三十三)<
岩手県釜石市橋野町第32地割。付近には牧庵鞭牛隠居屋敷跡、やや北方に横内館跡、古里の御神楽スギ等があります。神社附近の石碑。観世音などの文字が見えますがきちんと見ていません。鳥居前にも石碑。石造鳥居寄附人名碑(大正8年4月3日)こちらは私には読み取れず。馬頭観
岩手県釜石市橋野町第34地割。橋野川沿い。牧庵鞭牛隠居屋敷跡(ぼくあんべんぎゅういんきょやしきあと)。市指定文化財、平成元年4月27日指定。鞭牛和尚(宝永7年(1710年)~天明2年9月2日(1782年10月8日))は、宝暦5年(1755)、46歳で林宗寺六世住職を辞して隠居し、人
岩手県大船渡市三陸町綾里石浜。綾里漁港の近くです。鳥居(平成24年12月吉日、第七稲荷丸船主千葉幸男・熊谷組株式会社代表取締役熊谷由也献納)社号標(昭和58年8月吉日)顕彰碑(平成16年3月吉日)…『慶安2(1649)年南光院現市杵嶋神社第九世修験者中嶋永公が寺小屋枕洋
『黒森神社 (宮古市)』からの続きです。樅(モミ・マツ科)自生ノ北限地…『推定樹齢1,300年位。日本樹木保護協会代表、樹医山野忠彦先生の鑑定結果。平成2年10月』手水石。社務所。神楽堂。ここに伝わる黒森神楽は、正月になると巡業し、祈祷の舞を演じます。神楽は平成18
岩手県宮古市山口第4地割。一之鳥居(大鳥居)は宮古市黒森町4にあります。結構離れています。※鳥居神額(明治42年9月吉日仙臺處士源守庸敬書※昭和62年6月吉日再製)※黒森町…昭和49年~現在の宮古市の町名。元は宮古市山口字田の神前・中谷地の各一部。町名は北部にある
岩手県久慈市大川目町第8地割。久慈琥珀博物館から比較的近い場所です。大川目は黒森山の東南、久慈川中流域に位置。標高24m。地名の由来は弘仁期の宇漢米(うかめ)公の宇漢米より大川目になったと伝えます。北部の新町の高台には中世久慈周辺を掌握していた久慈氏の居館跡
岩手県花巻市内川目。早池峰神社から鶏頭山登山口を過ぎ、折合沢を目指します。案内板によりますと2.7km、徒歩70分。岳川。馬頭観世音。一基は安政4年8月15日、もう一基は昭和かな。車で来ることは不可能です。ちょっぴりなら車で行けますが距離的にあまり意味がありません。
花巻市には、永い歴史とともに伝承されてきた神楽が多くあり、そうした神楽を次の世代に伝えることと、多くの人が体験できるように、昭和56年岳神楽の伝わる早池峰神社近くに建てられました。館内へ。館内には、神楽を練習するホールと、神楽の道具や衣装、そして早池峰大権
『早池峰神社 (花巻市大迫町)』からの続きです。おもちゃとか色々祀られているこちらは…古峰神社(昭和19年9月18日)参道。参道を振り返るの図。神楽殿。早池峰山と信仰…『北上高知の最高峰・早池峰山(1,917m)は、東に剣ヶ峰、西に中岳、鶏頭山、毛無森を連ねた東西十
早池峰湖(道の駅はやちね)から早池峰神社へ。岩手県花巻市大迫町内川目。早池峰神社(早池峯神社)。早池峰山の登山口に向かう途中の岳集落は、江戸時代には「岳六坊」と呼ばれた修験山伏たちの宿坊がありました。現在も何軒かが民宿を経営しており、宿坊の名残は「大和坊
岩手県花巻市大迫町内川目。早池峰神社に向かう途中で寄りました。大迫・ベルンドルフ市姉妹都市締結30周年記念鉄塔「友好の鐘」(平成7年10月12日)鳴らしておきました。神楽とワインの里、大迫町(おおはさままち)案内板。ずっと「おおさこちょう」って読んでました。ごめ
岩手県北上市藤沢15地割。社号標「藤澤稲荷神社」(春季例祭3月9日・秋季例祭9月9日)境内案内板「正一位稲荷神社」…『【旧社格】村社【鎮座地】北上市藤沢15の201【祭神】保食神【例祭】九月九日【由緒】寛文五年(1665)南部藩士奥寺八左衛門定恒この地に開墾の事を起こし
岩手県遠野市青笹町糠前。河内川沿い。六角牛神社(ロッコウシジンジャ)。近くには遠野郷土人形民芸村があります。六角牛山登山口にもなっています(上糠前口)。案内板を見ると六角牛神社から登山口の間に追分石碑・一番鳥居跡・二番鳥居跡・水飲場・三番鳥居跡があります
岩手県上閉伊郡大槌町安渡2丁目。大槌郷総鎮守大槌稲荷神社(二渡神社)。大鳥居(東日本大震災津波で基礎部分から折られて流されてしまいましたが、その後、奇跡的にそのままの状態で見つかり、現在は流失の扁額部分を新しいものに替えています。)社号標「郷社大槌稲荷神社
岩手県上閉伊郡大槌町上町。県道280号大槌小鎚線沿い。大槌町役場、浄土宗見生山大念寺(三陸観音霊場29番札所)付近。灯籠一対(平成28年9月吉日)小鎚はかつて小槌とも書きました。大槌湾に注ぐ小鎚川の流域に位置しており、北上山地の白見山・小鎚山麓に発した小鎚川が、
岩手県宮古市沢田。狛犬一対。山門。官軍小西周右衛門の墓(宮古市指定文化財・徒歩5分)…『常安寺墓所内には、宮古港海戦の前年に宮古に立ち寄った備前岡山藩士小西周右衛門の墓があります。当地で病死したことから、宮古代官所と岡山藩役人との相談の上、常安寺に埋葬され
岩手県釜石市鵜住居町第13地割。釜石市立鵜住居小学校付近。御祭神は白山姫命。例祭日旧7月15日。社号標。社殿。正徳5年(1715)7月、泉澤保人先祖にて勧請。拝殿内。権現様(獅子頭)が三頭並べられ、間に不動明王もありました。境内社。間に馬頭観世音らしき石碑と明神社と
岩手県釜石市鵜住居町第13地割。鵜住神社のすぐ隣にあります。鵜住居観音堂から見下ろした鵜住神社の参道鳥居。鵜住居観音堂…『鵜住居観音堂は「小峯山観世音」と号し、本尊は岩手県指定文化財となった木造十一面観音立像 附胎内仏・木造僧形立像(以下、十一面観音と記述)
岩手県釜石市鵜住居町第13地割。鵜住居は東部は大槌湾に面し、鵜住居川が東流して同湾に注ぎます。地内泉沢からは縄文中期の土器が出土。中世の鵜住居は戦国武士鵜住居氏の本拠地。閉伊郡のうち。鵜住居氏は大槌氏の一党。大槌孫八郎広紹(広信)の弟に鵜住居久右衛門広重の
青森県立自然公園「茶臼山公園」令和6年5月18~22日。※開花が早まったため5月14日より準まつり期間。八幡宮へ。蜂に刺されませんように…狛犬(大正7年6月15日、佐藤龍八郎・玉川七・工藤文敏・植田元太郎・玉川守三・)にご挨拶。茶臼山自然植物園(大鰐町)…『1.茶臼山公
青森県上北郡七戸町七戸。青森県七戸町の天王神社で開催されている「天王つつじまつり」へ。ゴールデンウィーク期間に訪れた際の記事です。鳥居。天王神社とつつじ…『牛頭天王神社は応永初年(室町時代)に勧請され、600有余年、在所代々の信仰をあつめております。戦後、馬
岩手県盛岡市西見前15地割。盛岡市西見前の北野神社の東方。西見前洗車場に隣接。鳥居額束神額。社殿。由緒等については不明。西見前についてです。箱ケ森東部、北上川右岸に位置しており、南境を支流の見前川が東流して同川に注ぎます。地内に見前館跡があります。150m×250
岩手県盛岡市西見前17地割。盛岡市西見前の稲荷神社の西方、岩手県立盛岡南高等学校の北方、都南中央公園(多賀神社)の南方。※鳥居紀年銘(昭和8年12月23日・皇太子殿下御降誕記念)ステージ。西見前についてです。箱ケ森東部、北上川右岸に位置しており、南境を支流の見前
岩手県盛岡市永井24地割。都南中央公園の一画。公園の片隅にあった石塔(昭和54年9月2日、小笠原弘高、小笠原信一、小笠原秋巳、岩田甚一、小笠原要市、小笠原美紀)下永井村についてです。江戸期は紫波郡のうち。北上川右岸に位置。盛岡藩領。向中野通に属します。村高は邦
天気が良かったのでコロナフレイル解消のため久渡寺山登山へ。思っていた以上に体力が落ちていました。写真では伝わりませんが、桜の花びらが舞っていて心身ともにリフレッシュできました。なお、写真はほとんど撮っておりません。久渡寺等の説明もございません。過去の記事
秋田県能代市機織轌ノ目。鳥居(寄附者与治兵エ、嗣子藤田与市)社号標(昭和8年舊8月15日建設)手水舎。灯籠一対(機織神明社氏子会、平成12年5月吉日)参集殿。御祭神は天照大御神、八幡大神、水波能売命、大広目命。例祭9月15日 狛犬一対(平成16年9月15日)米代川に近い
何となく桜のイメージがあったので参詣。説明等はありません。写真もほぼ撮っていません。過去の記事を参照ください。天気がよくて気持ちよかったです。以下、過去の記事『小栗山神社 (青森県)』『小栗山神社 (弘前市)』
2024/4/21。園内にはソメイヨシノ・シダレザクラ・ヤエザクラなど約330本の桜があります。「約」なんですね。今度数えてみようかな。それでは写真のみでお楽しみください。つなわたりショー。がんばれー!!あっ、落ちた…猿賀神社参道石灯籠越しの岩木山。以下、関連記事『
平川市猿賀遠林。さるか交流館の近くになります。なぜこんな所に!?っていう感じがします。詳しくはわかりませんが、どうやらこの付近は旧猿賀保育所跡地の一部のようです。秩父宮殿下御休憩記念碑。猿賀村長清藤盛治謹書。碑文のすべてを解読するのはちょっと厳しかったの
弘前公園からも近いのですが、人はあまりいなくてゆっくりできます。梅も桜も綺麗で、岩木山も楽しめる場所。無料でお茶とお菓子も頂けます。以下、関連記事『天満宮 (シダレザクラ・弘前市)』『天満宮梅まつり (弘前)』『天満宮梅まつり (弘前市)』『弘前天満宮 (弘
岩手県紫波郡矢巾町太田第7地割。五内川沿い。県道285号盛岡石鳥谷線側にも参道入口があります。神橋(昭和59年9月9日菅原忠正・菅原孝作奉納)ここまでの写真が県道285号盛岡石鳥谷線側の脇参道。社殿正面の表参道。社号標「太田神社」(岩手県紫波郡矢巾町大字太田第十二
岩手県紫波郡矢巾町煙山第12地割。一之鳥居は平成11年9月1日氏子一同建立。幟立てに「鎮守大木神社」「今上陛下御即位記念」とあります。石塔群。當国三十三所観世音。う~ん…全体的にギリ読み取りにくいです。興味のある方は現地へどうぞ。百万遍供養・卯辰餓死供養塔(
岩手県岩手郡雫石町御明神多賀。社号標「多賀神社」(宮司木村茂妻ミネ謹書)社号標「村社多賀神社」(昭和9年4月9日)『大東亜戦敗戦となるや進駐軍の神道指令に依り全国の官国弊社を始め府県郷村社に■■社格を抹消せらる。当社も村社なるが故に撤去せざるを得ず。然れども
岩手県盛岡市津志田中央1丁目1。並行・隣接して境内には八坂神社も鎮座。八坂神社には津志田町内会館が隣接。大國神社一之鳥居神額(玉澤徳一郎書)社号標(昭和12年9月9日藤澤作十郎建之)石灯籠一対。う~ん…文化かな…頑張れば読み取れます。二之鳥居(大正6年2月15日建
秋田県男鹿市北浦北浦山王林。鎮守は山王社(現日枝神社)北浦は男鹿半島北岸中央部、賀茂川が海に注ぐ所に位置。古くは北ノ浦(秋田風土記)、北野浦(享保郡邑記)とも記します。地名の由来は北岸の入江によります。縄文土器及び土偶残欠を出土した五輪野遺跡があります。
岩手県紫波郡矢巾町土橋。南行山大光院。本山修験宗。早池峯神社向かって左手に隣接(右手に墓地)。入口及び参道途中に鳥居。石塔。紀年銘等は頑張れば読み取れると思います。出羽三山。高祖大士宝塔。諸悪莫作衆善奉行。修験の寺院であり由緒は不明なれど、言い伝えにより
岩手県紫波郡矢巾町土橋第5地割。北方に八坂神社が鎮座、更に北には徳丹城跡(徳田神社)、東の北上川に架かる長徳橋を渡った先には、土橋渡船場の跡や長岡八坂神社(相馬神社)が鎮座しています。土橋についてです。東を南流する北上川と西を南流して同川に注ぐ岩崎川に挟