【氏の長者争い-前編-】兼通VS兼家の摂関の地位をめぐる対立。藤原氏のトップはどのように変遷した?【徹底解説】
平安時代半ば頃、969年の「安和の変」の以後には摂関の(ほぼ)常置体制が確立され、藤原摂関政治の全盛期が訪れるのですが、 この「安和の変」にて源高明の排斥に成功すると、もはや藤原氏を脅かすような他氏の存在はいなくなり、 以後藤原氏内部の勢力・トップ争い、いわゆる‘‘氏の長者‘‘をめぐる争いが激しく展開されていくことになります。 しかし、いくら「争い」といっても、武力同士が激しくぶつかり合うような表面的なものではありません。 繰り広げられたのは、藤原氏内部での権力を求めていく「政争」だったのでした。 今回のテーマはズバリ、藤原氏による「氏の長者」争いです! 藤原道長・頼通親子のときに、藤原氏北家ないし藤原摂関政治は全盛期を迎えるのです
2020/01/17 16:46