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2019/08/22

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  • 薔薇は心のパン

    今日で5月も終わり。大谷翔平が10試合ぶりの14号ホームランを打った。シーズンを約6か月とすれば今年も40本は行けそうである。確か盗塁も13か14は行っている。このまゝ行けばメジャーリーグ初の40本塁打、40盗塁の記録に期待がかかる。NHKの朝ドラ「寅に翼」も丸2か月、全体6か月の1/3を過ぎた。日本で最初の女性弁護士、女性裁判官となった三淵嘉子の生涯を描くドラマだが、戦後に入ったところである。念願の弁護士となったが依頼人から「女には任せられない」と悉く断られ傷心の日々を過ごす。身を固めるのが一番と結婚するが状況に変わりはなく、戦雲濃く依頼も減った弁護士事務所を辞職する。終戦となり、招集された夫が戦地で病死していたことを知り二重の傷心で戦後の混乱に揉まれるが、新憲法の「法の下の平等」に発奮し、初の女性裁判...薔薇は心のパン

  • 過度な食糧輸入依存、施策なし

    今朝の「折々のことば」(鷲田清一、朝日朝刊1面コラム)は、「お金を払うというのは、自分で解決できない問題を他人にパスしているだけなんや。金融教育家田内学」 食料・農業・農村基本法の改正案が参院で可決、来月から施行されるという。「政局絡みで与野党の対話が機能しなかった印象」(元農水官僚、作山明大教授)。つまりほとんど審議されなかったということ。過度な輸入依存からの脱却を図る、などは付帯決議となった。お金を払って海外から食糧を買い続ける、即ち自分で解決できない問題の他国へのパスである。 先日散歩した朝霞台から朝霞への道沿いの花たち過度な食糧輸入依存、施策なし

  • 哲学者、長谷川宏の「語る」(2)

    今月8日に、東大安田講堂の攻防戦までの前半をここに書いた、哲学者、長谷川宏の「語る」の連載が終わった。今日はその続きをまとめてみよう。東大文学部哲学科研究生として参加した全共闘は「大学解体」もスローガンに含めた従来の権威主義的な大学への異議申し立てであった。その大学に職を求めることを潔しとしなかった長谷川は、ある国立大学の講師の誘いを断り「大学外」での研究に踏み出す。同じ思いで大学院を中退した女性と結婚した。その妻は保育士を目指した。長谷川は友人と二人で学習塾「赤門塾」を開いて生計を立てた。権威の象徴である「赤門」としたのは、反語的というか、パロディーである。しっかり教えるが勉強を強制はしない、テストもやらない、小説を読んで語らい盛り上がったらその日の授業は終わり。幅広い知的好奇心をもって考える主体性と、...哲学者、長谷川宏の「語る」(2)

  • 話題の東武東上線、朝霞台~朝霞を歩く

    最近NHKでは東武東上線の特集が続く。その東武東上線沿いの歩行記である。先日の日曜日、社会人になって最初に赴任した朝霞市の工場のOB総会と懇親会が行われた。その工場は数年前に60年の歴史を閉じて、約10万㎡の跡地は、大型商業施設を含む新たな住宅街へと変遷。昨年はOB会の前に様変わりした工場跡地の住宅街に足を伸ばしたが、今年は会場の朝霞市民会館に直行。武蔵野線の北朝霞駅から約2キロのウォーキングとした。武蔵野線と直交する東武東上線の朝霞台駅を抜けると、その自由通路の商店街は何とシャッター街!半端ない人々が通ると言うのに・・・。朝霞市民会館までは東武東上線の西側を黒目川まで下って上る道。朝霞台駅前からの坂道を下ると貸し農園や空き地が広がり、振り返ると抜けて来たマンション群が並ぶ。黒目川沿いに出ると桜並木のナイ...話題の東武東上線、朝霞台~朝霞を歩く

  • 壬生道ウォーク2日目、楡木(ニレギ)に到着。

    壬生道ウォーク2日目の後半。鹿沼市に入ると歩道が左(西)側になる。どちら側でもあれば有難い。鹿沼市の市長選があるようだ。ゴールの今市までは31キロ。今日このあと10キロ、新鹿沼駅まで歩けば残りは20キロほどとなって1日でも可能な距離になると「妄想」するが無理は止めておこう。鹿沼市入って1キロ地点の「判官塚古墳」が見えて来る。源九郎判官義経が兄、頼朝に追われ奥州に逃げる際に隠れたことで「判官塚」と呼ばれる。そうだ、あの古墳の上で昼飯としよう!水田の中のアクセス道を歩き麓に着く。口碑脇の巨石は石室に使われていたもの。全長70メートルの前方後円墳で、前方の幅の方が後円の直径より大きいことから6世紀後半のものとされる、など口碑から学ぶ。高さ5メートルの「登山」をして「前方」の上に出る。大木の木陰で下界を眺めながら...壬生道ウォーク2日目、楡木(ニレギ)に到着。

  • 皐月の満月はフラワームーン

    3日前の満月、月の出の7時前からずっと雲が出てなかなか丸く撮れない。7時過ぎ9時前就寝時間ギリギリの10時近くやっと丸く撮れた。5月の満月をアメリカの農事暦ではフラワームーンという。花の多い季節の月ということだろう。さて、壬生道ウォーク2日目の続きは、円仁慈覚大師生誕の地、壬生寺を出て本格的な街道ウォークに入ったところ。本丸一丁目の交差点のすぐ先で右カーブする国道352号線、右だけに歩道がある。しばらくは概ね北西への一直線、田植えが終わった田んぼや収穫直前の麦畑が広がる風景、時折の杉並木の名残りを見ながら黙々とひたすらに歩くが、ダンプや大型トラックとすれ違う時は風圧に身構える。約2キロ、北関東道を潜り上稲葉の交差点を過ぎた田んぼの中にポツンとあるのは「金売り吉次の墓」。奥に見える鳥居のところにお堂があると...皐月の満月はフラワームーン

  • 壬生町の壬生城と壬生寺を巡る

    壬生道(壬生通り)ウォークの2日目。スタートの壬生町巡りの続きは壬生城址公園。裏口とも言える北西隅にある精忠神社から入ると歴史民俗資料館と公民館ホールの間に出る。壬生城は天守や櫓のない館造り。歴史民俗資料館に展示されるという模型の写真を口碑から。その本丸あたりを眺めるのがこの位置である。壬生城は十五世紀の中頃、ここに来る前に訪れた常楽寺の西側に壬生胤業(タネヨリ)が最初の館(壬生古城)を建て、二代目の綱重がこの地に築城した。五代義雄の時、秀吉の小田原征伐で北条氏と共に壬生家は滅び、関ヶ原の後で信州高島城から日根野氏が入封。十八世紀の初めに入封した鳥居忠秀以降八代に渡って鳥居家が城主(藩主)を務め明治維新となり廃城となる。壬生城跡は一時中学校にもなったがそれも移転し、平成の初めに最後まで残っていた本丸前の堀...壬生町の壬生城と壬生寺を巡る

  • 文科省、報道の自由を侵す

    教員の定額残業代を4%から10%に増額すると言う働き方改革について「定額働かせ放題の枠組みは残る」としたNHKの報道に文科省は「一面的で遺憾」と抗議文を送ったという。教師はもちろん多くの国民も「働かせ放題の定額残業制」の本質が変わっていないことを知っている。「国民に誤解を与える表現」という文科省の「本質を誤解させよう」とする意図である。壬生道ウォークの2回目。まずは城下町かつ宿場町の壬生見物。地図を睨みながら、大師町南の交差点で西に曲がる壬生道の内側に点在する見どころをグルグルと左回りに巡ることにする。まずは壬生駅入口から少し北に歩いた本陣跡。「自転車屋さんのあたり」という先達の表現に、この増田輪業店だろうかと道を渡る。先達が歩いたころはなかった(?)口碑がしっかりと立つ。実はこれより手前にもっと「らしい...文科省、報道の自由を侵す

  • 横浜市教育委員会の嘘

    教育委員会は決して「教育者」ではないことを横浜市教育委員会も暴露した。教師の性加害裁判の傍聴に職員を動員して一般傍聴者を締め出したという。被害者(児童)のプライバシーを保護するためと言うが、もちろん被告教師(加害者)や教育委員会の体面の保護であることは明白。みえみえの嘘をつく「教育関係者」である。いじめ問題の報告書の提示要求を巡り、本人と母親に3年にも渡って様々な「いじわる」を繰り返した川口市教育委員会も、横浜と同じく教育者ではない。 さて、昨日は壬生道(日光西街道)2日目を歩いて来た。最低でも楡木宿(11キロ)、出来たら樅山(14キロ)か鹿沼宿(17キロ)までと思ったがやはり暑さでバテバテ。最低の目標に留まった。その詳細な紹介は明日からとし、とりあえず壬生(ミブ)の街中を出た左手(西)の風景を一枚。1...横浜市教育委員会の嘘

  • 経済制裁、イラン大統領を殺す?

    ライシ・イラン大統領一行が乗ったヘリが悪天候で墜落、全員が死亡したという。イスラエルの関与は否定されているが、半世紀も前に米国から輸入されたヘリで、その後の経済制裁で新たなヘリが輸入できず、老朽化していたのが遠因とも言える。そういう意味で「犯人の一人は米国だ」とイランの元外相が言う。 さて、壬生(ミブ)道ウォークの初日の続き。飯塚古墳群に寄り道して小山市から下野市に入ったところ。今度は右手の下野国分寺跡に寄り道。一昨年、3キロ東方の日光街道(国道4号)を歩いた時に足を伸ばそうかと思ったが往復5キロの寄り道はパスした。今回は往復1キロの寄り道で済むはずだったが、トイレを探して国分尼寺跡近くまで行ったため2キロを超える寄り道となった。南側の天平の丘公園、万葉植物園を含めた広々とした空間に距離感覚が狂ったのも...経済制裁、イラン大統領を殺す?

  • 壬生道沿いの飯塚古墳群

    壬生(ミブ)道最初の宿場、飯塚宿に入ったところ。大きな敷地の入口の棟門。ひょっとしての思い通り、本陣の札が掛かる。壬生道は日光街道脇(西)往還とも言うから「日光街道」でも可なり。街道を進むと今度は大きな屋敷の入口に立派な薬医門が立つ。ここも本陣か脇本陣だったかと思うが特に表示はない。因みに本柱2本に屋根が載った門が棟門、本柱の後ろに控え柱があるものが薬医門、本柱4本が四脚門である。薬医門は医院の門の多かったからというが諸説あるようだ。四脚門はお寺さんの山門に多い。飯塚宿も終わりあたりの台林寺の交差点を右折すると、栃木県で最大の琵琶塚古墳、それに次ぐ摩利支天古墳などがある飯塚古墳群である。まだ9時半なので寄り道することにする。曲がってすぐの道脇にあるのが飯塚三十五号古墳。高さ4.5m、全長40mの前方後円...壬生道沿いの飯塚古墳群

  • 日光街道脇往還、壬生道は古墳の道

    壬生(ミブ)道ウォーク初日の続き。喜沢(キザワ)追分から数百メートルで小山ゴルフクラブが始まる。初日のゴール壬生宿までは一貫して県道18号を歩く。ゴルフ場入口から100メートルほど、ゴルフ場の中に一里塚の標識。喜沢追分から700メートルで一里塚?日光街道の小山一里塚からはちょうど4キロだから日本馬橋から二十里目の一里塚である。これは西塚だが、県道を挟んだ左手の茂の中も何となく盛り上がっている。坂道を上り続けるとやはり左手ゴルフ場の中に盛り上がるのはこの壬生道沿いに多い古墳群の一つ。ゴルフ場のフェンスが途切れて口碑まで近づくことが出来る。小山ゴルフ場の中に5つの古墳が取り込まれていると書かれる。坂を上り切ると広々とした田園風景。黒々とした畑土の大きな農家、ビニールハウスの風景が続き、梨や野菜直販の看板が...日光街道脇往還、壬生道は古墳の道

  • 日光壬生道を歩く(初日)

    好天の昨日、武蔵野線の一番電車で出発して壬生(ミブ)道を歩いた。先月末に次は壬生街道と書いたが、壬生道あるいは壬生通りと呼ぶのが一般的らしい。その他日光西街道、日光街道西往還などもあるが、以降「壬生道」としよう。壬生道はスタートの小山宿(の北)からゴールの今市宿まで約48キロ(十二里)、飯塚、壬生、楡木(ニレキ)、奈佐原、鹿沼、文挟(フバサミ)、板橋の七宿がある。日光街道の小山・今市間よりも5キロ強(一里半)短いので日光詣でにはこの壬生道を歩く旅人も多かったという。例によってのんびりウォークだから、多分4回(日)となろう。歩行記もなんびりである、まずはその初日。JR、東武、JRと乗り継いで7時前、宇都宮線小山(オヤマ)駅に着く。壬生道の起点は北へ3キロの喜沢(キザワ)追分。2年ほど前に歩いた日光街道...日光壬生道を歩く(初日)

  • 文化欄のちょっと気になる記事

    哲学者、長谷川宏の「語る」が連載される朝刊(朝日)の文化欄にちょっと気になる政治的記事が載った。上野西洋美術館(西美)の企画展「ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえて来たか?」会場で、出展した美術家などの有志がイスラエルのガザ地区への攻撃をジェノサイドとして抗議する文書を読み上げたという。併せて、上野西洋美術館が公式パートナー契約を結ぶ川崎重工業がイスラエルから輸入した武器(無人機)の実証実験にも抗議している。田中館長は「他の作家へ迷惑をかけたことは遺憾だが、言論や思想信条の自由の観点は尊重したい」と慎重に振る舞った。しかし、その後の抗議活動は制止され警官が抗議者を外へ連れ出したという。美術館側では警察(上野署)には連絡や相談はしていないというが、たまたま警察官が企画展を見に来て抗議活動に遭遇し...文化欄のちょっと気になる記事

  • 彩の国のスポーツパワー

    彩の国、埼玉のローカル話題、スポーツ編。まずは女子サッカー、三菱重工浦和レッズレディースがWEリーグ2連覇、これによって来季から始まる女子ACL(アジアカップ)の出場権を獲得した(ACLプレ大会でも優勝)。ここ数年J1で中位に甘んじる男子の浦和レッズも何故かACLには強い。その男子のACL活躍に刺激されたという。次は男子バスケットB2リーグで越谷アルファーズが2位以内確定。来季のB1に昇格が決まった。越谷アルファーズの元は実業団チーム、大塚商会。最近までスポンサーだったが今は降りたらしい。バスケットリーグは一時揉めに揉めたが、地域密着型のBリーグ制度になって興隆している。日本三大阿波踊りの街である越谷市は男子のバスケットボールでも有名になりそうである。 日の出散歩の帰り道の花たち(2)   彩の国のスポーツパワー

  • 「あかんやん」を封じた鋼索技術者

    「新・プロジェクトX」、夢の架け橋、明石海峡大橋建設秘話の続き。原口神戸市長の「夢」を実現した技術者たちの話である。まずは「パイロットロープの渡海」。主塔が完成しいよいよ橋桁を吊る鋼索張りである。まずパイロットロープと呼ばれる細い鋼線を「船」で渡して張り、これを使って順次本番の鋼索を渡せるような太い鋼線にして行く。しかし、一日1500隻もの貨物船が通る明石海峡を船で横切るのは至難の業、というより危険である。そこで吊り橋工事では初めてのヘリコプターを使うことになった。40歳を少なからず過ぎそろそろ現役引退かと思っていたベテランパイロットの朝倉に白羽の矢が立つ。引退の思い出にと「ヨッシャ」と引き受けたが当日は強い風。強風にあおられながら順次後ろに伸びていく鋼線に引っ張られる。「後ろ髪を引かれる思い」なんて言っ...「あかんやん」を封じた鋼索技術者

  • 人生すべからく夢なくしてはかないません

    今日のタイトルは戦後の神戸市長、原口忠次郎の「名言」である。内務省の役人として四国にも赴任した経験から、四国が阪神地域と「橋」で繋がることが双方にとってメリットが大きいと確信した。連絡船は度々難破してそのたびに多くの犠牲者を出していた。土木技術者でもある原口は明石海峡を跨ぐ橋の建設を、国に請願し、市議会に調査費を提案するが、原口の「白昼夢」と笑われた。幅4キロ、強い潮流の明石海峡に橋を架けるなんてまさに夢の夢。それに反論したのが「人生すべからく夢なくしてはかないません」だ。原口の長年の調査活動などを知る議会は皆圧倒された。原口の生前に橋の建設が始まるかに見えたがオイルショックで起工式の直前に延期。原口は「墓は橋が見えるところに建ててくれ」と言って3年後に没する。明石海峡大橋の袂に「夢レンズ」というモニュメ...人生すべからく夢なくしてはかないません

  • 懐かしの大衆車1号

    ハイキングの最中に動けなくなったサザエさんとマスオ君。運よく通りかかった車に乗せて貰った途端にエンスト。降りて一緒に押す羽目に・・・。1961年10月17日の「サザエさん」。この約4か月前の6月30日に「トヨタ・パブリカ」が発売された。「サザエさん」の漫画の車はこのパブリカに似ている。700cc、28馬力で最高時速100キロ、価格は38万9千円。今の軽よりほんの一回り大きいだけ。今の価格では600万円相当の高額であった。その6年前の、時速100キロ、価格15万円以下という通産省(当時)の「国民車構想」の下に開発されたが、価格目標は無理だった。その上、価格を抑えるために「質素」にし過ぎて売れ行きは芳しくなかったという。(昨日の朝日土曜版の「サザエさんをさがして」から)この5年後(1966年)に発売されたトヨ...懐かしの大衆車1号

  • 復刻の味、半田「カブトビール」

    連休に愛知へ旅行した方に戴いたお土産はレトロな復刻ビール、半田市の「カブトビール」。グラス付き2本入りのパッケージから写真を、同梱のパンフレットからその歴史を紹介しよう。大阪から仕込釜、福岡から大麦、東京から瓶を調達し明治22年に三千本出荷された。明治31年からは「半田赤レンガ建物」で生産され、昭和16年まで生産された。明治33年(1900)のパリ万博では金賞受賞。ビール産業黎明期の工場の姿を遺す赤レンガ建物は国の登録有形文化財になっている。明治から大正期の日本のビールは麦汁濃度が高かったので色が濃く赤褐色、味は重厚で甘味、苦みが強かった。一方炭酸ガスが少ないためやや気が抜けた味で清涼感が欠けていた。大正末期以降はそれまでのしつこさを脱し、色も琥珀色、炭酸ガスが増えて心地よい刺激で飲みやすく、杯を重ねるの...復刻の味、半田「カブトビール」

  • 後ろ姿は全き完了形

    久しぶりに朝刊(朝日)一面「折々のことば」(鷲田清一)から。「自分の後ろ姿は全き完了形として手も眼も加えることが出来ない。思想史家藤田省三前や横を向いて歩く人間にどうしても見えないのが自分の後ろ姿。それは自分の「絶対的な過去」。人のまなざしには常に死角がある」 背中が語る、背を見て育つなどと言われるが、「絶対的な過去」と言われてはもう遅い。せめて残り短い人生は少し背中を意識しよう。久しぶりに晴れの明け方。早めに出て鉄橋の南側で日の出を待つ。玄関先は9℃だったが川は2,3度低い。今日から3日好天とな。   後ろ姿は全き完了形

  • 「舟を編む」、辞書に取り憑かれた少年

    5月1日の水俣病懇談会での「マイク切り」問題。最近の政治家や大臣、官僚なる者たちにロクな奴はいないと思っているので今回もその欺瞞的な弁明や謝罪の薄っぺらさにはさして驚かない。ただ、実際にマイクを切った担当職員さんへ。上からの指示とは思うが「切るには忍びない、後で叱られてもしょうがない」と思う気持ちは湧かなかったのだろうか。公僕とは国民に仕える者也。 NHKBSのドラマ「舟を編む」の3回目。「手を差し延べる」の語釈(意味)について。中型国語辞典「大渡海」の編集メンバーの一人であるアルバイトの国文科学生の辞書との出会いは小学生の時だった。観るとお菓子が貰えるというので行った市民センターの映画会。両手の無い女性の映画だった。足でなんでもやってしまうことに驚くと共に、何も背負っていないかのように、何とも闘っていな...「舟を編む」、辞書に取り憑かれた少年

  • 哲学者、長谷川宏の青春

    朝刊(朝日)に連載の「語る」は、いわば日経の「私の履歴書」的なコラムである。昨日の7話目で「タテカン」の写真を使ったのは哲学者、長谷川宏(1940~)。私も学生時代、授業をサボりよくタテカンを書いた。大きなものは、ベニヤ11枚を使って、縦2.7×横7.2メートルもあった。そんな思い出もあって、遡って読んだ長谷川宏の「語る」(3~6話)のまとめ。(4月の1・2話は既に古紙回収に出してしまった) 松江の中学へ通う汽車の中、国語教師からスタンダールの「赤と黒」は読んだかと声を掛けられたのがきっかけで世界文学全集に嵌った。1958年、東大文Ⅰに入る。警職法改悪反対闘争が起きていた。文学部哲学科に進んだ1960年は安保改定反対闘争が起きた。全学連(主流派)と共に国会議事堂に突入した。多数派(与党)の非民主的国会運営...哲学者、長谷川宏の青春

  • 懐かしの「タテカン」

    朝刊(朝日)をめくっていると懐かしい「タテカン」の写真を見つけた。「仏文完全スト」「本日全学ストに決起せよ」などの文字が並ぶ。連載コラム「語る」は哲学者の長谷川宏。今朝の7回目は安田講堂「落城」後の話。「多くの学部で授業が再開される中、文学部のストは続いた」の見出しで始まっている。これは是非昨日までの新聞(紙)を遡って読んでみよう。 連休中、4日続いた好天も今朝は雨。完成間近のマンション工事のスナップ。南棟112室、東棟84室、計196室。外構工事、植栽もほゞ終わりエントランス・ホールは工事の休憩場所か会議コーナーか隣接の商業施設(スーパー)との間懐かしの「タテカン」

  • 次期衆院選、立憲・共産よく考えて

    次回の衆議院選挙の立候補予定者数が、定数の2倍の約900人になると言う。埼玉県の小選挙区は10増10減で1増えて16選挙区となり、合計55人が立候補予定。小選挙区の埼玉の現職議員数は自民12、立憲3。比例区を含め、自民15、公明1、立憲5、維新2、国民1。新14区は公明(比例区から回る石井幹事長)、その他は自民で自公は完全協調。一方、立憲・国民の競合立候補はないが、立憲・共産は9選挙区で競合。裏金問題などで揺れる自公与党を追い落とす気があるのか。今後の「協調」に期待しよう。 連休最終日、昨日までと違い今日は曇りの予報だが明け方は晴れ。4日続けて日の出散歩。ニ十八夜の超眉月は細すぎて(明るすぎて)目を凝らしても見えず。今日も武蔵野線の上り一番電車を見てから土手を降りる次期衆院選、立憲・共産よく考えて

  • 江戸川の日の出、3点セット

    連休後半の4連休は好天続き。3日続けて江戸川へ日の出散歩。だいぶ細くなった眉月を見上げながら土手の石段を上ると、おー、一面の川霧!川霧は下流の流山橋方向が厚く土手からあふれ出すほど。やがて陽が昇る。江戸川の日の出、3点セット

  • 埼玉の連休、二つの100

    加須(カゾ)市の利根川沿いで上げられる大鯉のぼりは長さが100メートル。春日部市(旧庄和町)の江戸川で上げられる大凧は百畳(15×11メートル)。いずれもこの連休中に2回上がる。加須の大鯉のぼりはクレーン車で吊り上げるが、風がなかったり弱かったりすると横になって泳がない。1回目の昨日は午後に風が出て無事横になって大空を泳いだ。春日部の大凧も適度な風がないと上がらないが、人力頼みなので風が強すぎるとコントロールが難しい。事実昨年は突風にあおられて落下し土手下の民家の屋根を壊した。今年は大きなデジタル風速計を見ながら綱を引っ張るタイミングを図って、これも1回目の昨日は無事上がったという。2回目は両方とも明日5日だが、大混雑とアクセスの悪さもあって今年も見送る予定。 江戸川早朝散歩から2キロ以上続く河川敷運動...埼玉の連休、二つの100

  • 憲法記念日に思う夫婦別姓選択

    憲法記念日に思う夫婦別姓問題。いわゆる選択的夫婦別姓(氏)制度である。現行民法の下で結婚後は夫または妻のどちらかの姓を名乗ることとされ、94%が夫の姓を名乗っている。歴代政府は「国民の理解が得られていない」として法改正には反対して来たが、実際は男社会に拘る「守旧派」だけが反対しているに過ぎない。企業内では結婚後も旧姓で仕事する女性も多い。私は時々配偶者を旧姓で呼ぶ。旧姓での○○△子と結婚したという思いを持ち続けるためでもある。当の配偶者は冗談だと思って笑っているが、「そう言えば私は〇〇△子だったのね」とも言う。 さて、ドラマ「舟を編む」について、今日はストーリーというか、ドラマの中で「なるほど」と思ったことについて。「言葉を紡ぐ」、糸を紡ぐようにして言葉を選んで文章をつくる、あるいは話す。真面目な馬締(マ...憲法記念日に思う夫婦別姓選択

  • ドラマ「舟を編む」ロス

    辞書と言う船に乗り暗い海面に浮び上がる小さな光を集める。最も相応しい言葉で正確に思いを誰かに届けるために。もし辞書が無かったら私たちは盲漠とした大海を佇む他ない。辞書は言葉の海を渡る舟、大海を渡るに相応しい舟を編む。これが私たちの仕事です。 上の文は弊ブログ、2月26日の冒頭の再掲で、NHKBSのドラマ「舟を編む~私、辞書つくります~」からの引用である。先々週の日曜日が最終回(10回)だった。今、舟を編むロス状態である。中型辞書(広辞苑クラス)の新規発行の十数年と言う長い苦難の過程が勉強になるが、今日はキャスト面からの感想である。何と言っても主人公の一人、ファッション誌編集から移って来た新人編集部員岸辺みどり役、池田エライザの素直な感性が光った。辞書なんてという最初の思いが日々変わって行く様を好演した。も...ドラマ「舟を編む」ロス

  • 昭和に思いをはせてー埼玉版

    埼玉県の広報誌「彩の国だより」5月号の特集は「昭和に思いをはせて」。「もはや戦後ではない」の30年代、40年代の出来事から。昭和33年川口の鋳物師親子、東京五輪用の聖火台を鋳造昭和36年昭和の大合併で戦後の323市町村から95市町村に昭和37年1月県人口250万人に、12月草加松原団地入居、以降、武里、みさとなどマンモス団地入居、「埼玉都民」昭和40年5月広報誌「さいたまけん」創刊、10月人口300万人昭和42年9-10月埼玉国体昭和44年1月県人口350万人昭和46年11月埼玉百年記念式典、11月14日が県民の日となる昭和47年市の数が38となり全国1位に昭和48年8月埼玉県民となる(私事)尚令和6年現在、埼玉県の人口は約735万人、市は40、町は22、村は1つ(東秩父村)で計63市町村。県都さいたま市...昭和に思いをはせてー埼玉版

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