南北朝争乱期に勃興した十市氏は、約250年間、奈良盆地南東部の中心的国人として活躍し、大和では筒井、越智、箸尾と並ぶ有力な国人でした。 その勃興期から16世紀中頃に稀代の名将・遠忠が当主の時代に最盛期を迎え、次代・遠勝以降は筒井氏の圧迫や松永久秀の大和侵攻を受け、大和における戦国末期の混乱に翻弄されて歴史の表舞台から姿を消すまでを詳しく紹介します。
奈良県を中心とした街歩きやおすすめスイーツ、歴史の話題を書いてます。 城跡や城下町、古民家、遊郭、神社仏閣などの古跡に興味がある方は一度ご覧ください。 あと、奈良県(大和国)を中心にした歴史上の人物のご紹介もしていきます。
皆さんこんにちは。 悪いことをしたら捕まって、裁判を受けた後、罰を受けます。 現在では当たり前のことなんですが、前近代、とりわけ中世以前では、その様子はずいぶん違ったものでした。 今回は、そんな今と違う前近代の刑罰事情や治安のあれこれをご紹介します。 平安時代に「死刑」はなかったのか 盗みは殺人と同じ!? 殺人事件はほったらかしの無法地帯 平安時代に「死刑」はなかったのか 平安時代は「死刑」がなかったと聞くことがあります。 巷間よく広まっているのは、平安初期に起こった薬子の変(810年)で藤原仲成が処刑されてから、保元の乱(1156年)の戦後処理で処刑が実施されるまでの間、政府公認の死刑は行わ…
開業100周年を迎えた東信貴ケーブル(東信貴鋼索線)廃線跡をたどる
皆さんこんにちは。 大阪府と奈良県の府県境にある信貴山は、「信貴山の毘沙門さん」こと朝護孫子寺で有名ですね。 こちらへのアクセス経路としては、現在自動車の他、大阪府八尾市の信貴山口駅からケーブルカーがありますが、かつて、もう一つルートがありました。 奈良県三郷町の信貴山下駅から信貴山駅までをつないでいた近鉄・東信貴鋼索線、通称東信貴ケーブルです。 2022年、その開業から100周年を迎えた、その廃線跡をたどってみました。 東信貴鋼索線とは 信貴山下駅前 廃線路跡 旧信貴山駅 表参道 東信貴鋼索線とは 東信貴鋼索線は1922(大正11)年、現在の近鉄生駒線の前身となる信貴生駒電気鉄道が、信貴山朝…
皆さんこんにちは。 2022年大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で、今まで日本史では、戦国や幕末維新に比べて人気のなかった平安末期から鎌倉初期の時代が、にわかにスポットを浴びました。 このドラマのタイトルにある13人とは、鎌倉2代将軍源頼家のとき形成された、幕府有力者たちによる合議体制のメンバーが、13人だったことに由来します。 史上初の本格武家政権となった鎌倉幕府の草創期、中核だったこの13人のメンバーはその後内部で、血で血を争う凄惨な権力闘争を繰り広げ、最終的に北条氏が鎌倉時代を通じて権力を掌握。北条氏得宗家による独裁体制を築いていくことになります。 一家、また一家と滅亡・没落する中、生き残った…
皆さんこんにちは。 2022年7月8日、安倍晋三元首相が遭難した場所として、にわかに全国的な注目を受ける場所となってしまった、近鉄大和西大寺駅。 近鉄沿線の奈良県民には、とても馴染み深い駅が、全世界を震撼させるような事件の現場となってしまったことを、非常に残念に思います。 さて、大和西大寺駅を利用したことのある方でも、その駅名の由来となっている西大寺に参拝された方は、もしかしたら多くないかもしれません。 駅名で馴染みはあるんだけど、実際にお寺は行ったことがない。 私もそんな奈良県民の一人でしたが、4月末に初めてお参りしてきました。 西大寺とは 境内 南門 四王堂 護摩堂 本堂 東塔跡 愛染堂 …
廃仏毀釈で廃寺となった、大神神社の神宮寺(大御輪寺、浄願寺、平等寺)を巡る
皆さんこんにちは。 以前廃仏毀釈で廃寺となった、奈良県桜井市にある大神神社の3つの神宮寺についてご紹介しました。 www.yamatotsurezure.com 今回は、明治に廃寺となった大神神社神宮寺である大御輪寺、浄願寺、平等寺の現在の姿をご紹介します。 訪れる場所は、こちらの境内図で赤丸で囲った3か所。 大神神社境内図(大神神社HPから転載) かつて三所寺と呼ばれ、神仏習合の三輪神道の中心にあった場所が現在どうなっているか、見ていきたいと思います。 大御輪寺 浄願寺 平等寺 大御輪寺 大御輪寺は、3つの神宮寺の中で最も古く、既に奈良時代には大神寺の名で成立していたとされます。 1285(…
談山神社は夏の穴場スポット。如意輪観音と涼風薫る青紅葉に癒される空間
皆さんこんにちは。 奈良県桜井市にある談山神社は、紅葉の名所として知られます。 場所はこちら。 奈良盆地南東の山間にあります。 実はこの談山神社、江戸時代以前は、多武峰妙楽寺と呼ばれた巨大な仏教寺院でしたが、明治初頭の神仏分離令により、全山がそのまま神社に転身したという、非常に珍しい場所です。 ※談山神社の由緒や廃仏についての詳細は過去記事をご一読いただければと思います。 www.yamatotsurezure.com こちらは江戸時代の妙楽寺境内図。 多武峰之図(奈良県立図書情報館蔵・江戸後期19世紀初め頃) 明治の神仏分離によって、多くの神仏習合の寺院では、従来の伽藍が失われました。 しか…
奈良は「何もない」と思われている地域の「中世」が面白い!奈良の中世史と町の成り立ち
皆さんこんにちは。 飛鳥から奈良時代にかけての、古代史ロマンにあふれるスポットが注目されがちな奈良。 しかし、中世から近世にかけての遺構や人物も、奈良は見所いっぱいの場所であることを紹介したい。そんな思いで書き始めた当ブログも、2022年7月8日で丸3年となりました。 ここまで書き続けられたのも、読者様のお陰と心から感謝です。 今後ともよろしくお願いします。 さて、奈良県内の一般的な観光スポットと言えば、世界遺産となっている3つの地域、東大寺、興福寺、そして薬師寺のある奈良市中心部と西ノ京地域、法隆寺を中心とする斑鳩地域、桜が有名な吉野山周辺、そして古代ロマンあふれる飛鳥や、山の辺の道といった…
忍性菩薩像(称名寺蔵) 皆さんこんにちは。 忍性という僧をご存知ですか。 鎌倉時代に師匠、叡尊とともに戒律の復興運動に取り組んだ律僧として、日本史の教科書に載っていたなとご記憶の方もいらっしゃるかなと思いますが、同時代の鎌倉新仏教の開祖たちと比べ、概して知名度が低い印象がありますね。 しかし、その事跡を追うと、それまで支配者たちから一顧だにされなかった、非人と呼ばれた最下層の人々や、ハンセン病患者たちにまで救済の手を差し伸べ、果ては動物愛護の施設まで設けるなど、当時としては先鋭的な社会福祉事業を、数多く興した人物でした。 その事業の根底にあったのは、最愛の母から受け継いだ文殊信仰だったのですが…
江戸の町割りと風情を残す穴場の散策スポット、御所まち。圓照寺寺内町、東御所の町
皆さんこんにちは。 前回に引き続き、奈良県御所市の中心街区、御所まちをご紹介します。 ※前回ご紹介した西御所の記事はこちらです。 www.yamatotsurezure.com 今回ご紹介するのは、葛城川を挟んで東側、東御所です。 前回ご紹介した西御所は、商家町をルーツとしていますが、東御所は大和五ヶ所御坊の一つ、御所御坊圓照寺を中心とした寺内町として、発展した町となります。 場所はこちら。 近鉄、JR御所駅からも近く、京奈和道の御所インターチェンジからのアクセスも便利な場所です。 東御所のエリアは西御所に比べると一回り小さなエリアになります。 国土地理院HP地図から作成 大橋通周辺 圓照寺 …
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南北朝争乱期に勃興した十市氏は、約250年間、奈良盆地南東部の中心的国人として活躍し、大和では筒井、越智、箸尾と並ぶ有力な国人でした。 その勃興期から16世紀中頃に稀代の名将・遠忠が当主の時代に最盛期を迎え、次代・遠勝以降は筒井氏の圧迫や松永久秀の大和侵攻を受け、大和における戦国末期の混乱に翻弄されて歴史の表舞台から姿を消すまでを詳しく紹介します。
当ブログでは鎌倉時代から江戸時代までの大和武士たちの活躍や動向を、当時の畿内史と関連付けながら21回にわたって「大和武士の興亡」として奈良の戦国史を詳しく紹介しました。 今回は奈良の戦国史について切り口を変え、戦国の大和で活躍した大和武士の一族たちに焦点を当てて、ご紹介していきます。 最初にご紹介する大和武士の一族は、戦国末期に大和国の覇権を握って近世大名へと躍進することになる筒井氏です。 筒井氏の出自 筒井氏歴代 順覚(南北朝~室町初期) 成身院光宣と順弘、順永(河上五ヶ関を巡る抗争と応仁の乱) 順尊、順賢(筒井氏の没落と大和復帰) 順興(筒井氏の戦国大名化) 順昭(大和を武力統一した最初の…
奈良県高取町の貝吹山城は、戦国時代に南和で大きな勢力を誇った越智氏の築いた中世山城です。 城域には古墳時代最末期の古墳群があり近世以降は里山として利用され、古代から現在まで連続した土地利用の過程が残る、貴重な遺構です。
現在の奈良県高取町を中心に活躍した越智氏は大和の中世を語る上で外せない国人です。 その本拠。越智谷には今も越智氏ゆかりの旧跡が残っています。 かつての居館跡や菩提寺を巡り、戦国末期に滅亡した越智氏の足跡をたどります。
奈良市南郊の窪之庄城は戦国時代は筒井順慶と松永久秀の抗争で最前線となった城郭。 中世国人館城の土塁と堀が良好に残る貴重な城跡です。
奈良市のJR帯解駅周辺には、帯解寺、龍象寺と安産祈願で信仰を集める帯解地蔵尊が二つあり、円満寺には奈良県内では5つしか残されていない貴重な和算の算額を見ることができます。 中世の街村をベースに近世に発展した帯解の注目スポットをご紹介します。
奈良市の今市城は奈良の戦国史を語る上で外せない重要な城郭。 城域は現在住宅地となっていますが各所に堀跡など城郭の痕跡が残っています。 今市城の歴史と現在の様子を紹介します。
奈良県天理市の竹之内環濠集落は県内の環濠集落で最も高所にあり環濠越しの眺望がすばらしいスポットです。 戦国時代は城郭としても使用され、大和戦国史のターニングポイントとなる戦いもありました。 見所を含めて詳しくご紹介します。
奈良県天理市の萱生環濠集落は県下でも有数の古墳密集地帯にある環濠集落で、古墳の周濠を濠としたり墳丘を集落中央の神社とするなど集落防衛に地域の特性を大きく活用して独特の環濠風景を持つ集落です。
奈良県生駒市上町の長弓寺は中世建築の傑作と評される国宝本堂で知る人ぞ知る名刹。 失われた三重塔の数奇な運命やかつての鎮守社にまつわる古代史ロマンを紹介します。
奈良県生駒市高山町の高山八幡宮は重要文化財の本殿があり、かつての農民層による平座と茶筌師による無足人座という2つの宮座が併存する珍しい神社。 平座の後に発足した無足人座の歴史からは高山茶筌興隆の歴史が見えてきます。
大和国人ながら最盛期には南山城や河内、摂津にも影響力を持ち、畿内の戦国史に大きな足跡を残した鷹山氏と、鷹山氏が拠点とした現在生駒市北部の中世城郭・高山城を詳しく紹介する記事です。
奈良県天理市の古社・大和神社は境外の関連スポットも歴史のロマンと謎が詰まったエリアです。 毎年4月1日に行われる御渡り神事(ちゃんちゃん祭り)の御旅所を中心に紹介します。
天理市の大和神社は記紀神話の時代から近代にいたるまで、多くの所縁や逸話をもつ魅力的な神社です。 参拝したときに、より深く神社を味わっていただける由緒や歴史を詳しくご紹介します。
平安時代から続く山の辺の道の古刹・長岳寺の紹介記事です。 長岳寺は平安・鎌倉時代から残る貴重な建築や仏像といった文化財だけでなく、血天井伝説や名刀伝説といった歴史ロマンあふれる伝承が残る名刹です。
奈良県生駒市有里町の文殊山にある竹林寺は行基と忍性という民衆教化と救済の先駆的活躍をした二人の高僧の墓があります。 鎌倉時代に復興されたものの室町、江戸と衰え明治には一時廃寺となりましたが、1997年に再建されました。
新興住宅地として戦後急速に発展したイメージが強い奈良県生駒市ですが、創建から1300年以上の歴史を持つ古社・往馬大社が鎮座しています。 生駒の町の歴史的背景の土台となる往馬大社とこの社を氏神としてきた中世以来の生駒谷十七郷の歴史について紹介します。
大坂夏の陣が終わった後、江戸時代に大和で大名、旗本として残った旧大和国人は柳生氏と中坊氏だけでした。 江戸時代、新たな領主として大和に入った大名や天領の支配、そして大和を去った国人たちのその後を紹介します。
筒井氏の伊賀転封によって大和国は中世以来の国人支配が解体され、近世武家政権による支配が始まります。 関ヶ原の戦い、大坂夏の陣と戦国の最末期に起きた大戦で、大和国人たちはどのような活躍を見せたのかを紹介します。
筒井順慶が織田信長、豊臣秀吉に臣従することで大和では興福寺を中心とした中世的支配が崩壊し、近世武家政権による支配が確立する。 順慶死後、筒井氏は伊賀に転封され大和には豊臣秀長が入り豊臣政権による大和直轄化が進行して中世以来の大和国人たちは歴史の渦の中に飲み込まれていくことになる。
当ブログでは鎌倉時代から江戸時代までの大和武士たちの活躍や動向を、当時の畿内史と関連付けながら21回にわたって「大和武士の興亡」として奈良の戦国史を詳しく紹介しました。 今回は奈良の戦国史について切り口を変え、戦国の大和で活躍した大和武士の一族たちに焦点を当てて、ご紹介していきます。 最初にご紹介する大和武士の一族は、戦国末期に大和国の覇権を握って近世大名へと躍進することになる筒井氏です。 筒井氏の出自 筒井氏歴代 順覚(南北朝~室町初期) 成身院光宣と順弘、順永(河上五ヶ関を巡る抗争と応仁の乱) 順尊、順賢(筒井氏の没落と大和復帰) 順興(筒井氏の戦国大名化) 順昭(大和を武力統一した最初の…
奈良県高取町の貝吹山城は、戦国時代に南和で大きな勢力を誇った越智氏の築いた中世山城です。 城域には古墳時代最末期の古墳群があり近世以降は里山として利用され、古代から現在まで連続した土地利用の過程が残る、貴重な遺構です。
現在の奈良県高取町を中心に活躍した越智氏は大和の中世を語る上で外せない国人です。 その本拠。越智谷には今も越智氏ゆかりの旧跡が残っています。 かつての居館跡や菩提寺を巡り、戦国末期に滅亡した越智氏の足跡をたどります。
奈良市南郊の窪之庄城は戦国時代は筒井順慶と松永久秀の抗争で最前線となった城郭。 中世国人館城の土塁と堀が良好に残る貴重な城跡です。
奈良市のJR帯解駅周辺には、帯解寺、龍象寺と安産祈願で信仰を集める帯解地蔵尊が二つあり、円満寺には奈良県内では5つしか残されていない貴重な和算の算額を見ることができます。 中世の街村をベースに近世に発展した帯解の注目スポットをご紹介します。
奈良市の今市城は奈良の戦国史を語る上で外せない重要な城郭。 城域は現在住宅地となっていますが各所に堀跡など城郭の痕跡が残っています。 今市城の歴史と現在の様子を紹介します。
奈良県天理市の竹之内環濠集落は県内の環濠集落で最も高所にあり環濠越しの眺望がすばらしいスポットです。 戦国時代は城郭としても使用され、大和戦国史のターニングポイントとなる戦いもありました。 見所を含めて詳しくご紹介します。
奈良県天理市の萱生環濠集落は県下でも有数の古墳密集地帯にある環濠集落で、古墳の周濠を濠としたり墳丘を集落中央の神社とするなど集落防衛に地域の特性を大きく活用して独特の環濠風景を持つ集落です。
奈良県生駒市上町の長弓寺は中世建築の傑作と評される国宝本堂で知る人ぞ知る名刹。 失われた三重塔の数奇な運命やかつての鎮守社にまつわる古代史ロマンを紹介します。
奈良県生駒市高山町の高山八幡宮は重要文化財の本殿があり、かつての農民層による平座と茶筌師による無足人座という2つの宮座が併存する珍しい神社。 平座の後に発足した無足人座の歴史からは高山茶筌興隆の歴史が見えてきます。
大和国人ながら最盛期には南山城や河内、摂津にも影響力を持ち、畿内の戦国史に大きな足跡を残した鷹山氏と、鷹山氏が拠点とした現在生駒市北部の中世城郭・高山城を詳しく紹介する記事です。
奈良県天理市の古社・大和神社は境外の関連スポットも歴史のロマンと謎が詰まったエリアです。 毎年4月1日に行われる御渡り神事(ちゃんちゃん祭り)の御旅所を中心に紹介します。
天理市の大和神社は記紀神話の時代から近代にいたるまで、多くの所縁や逸話をもつ魅力的な神社です。 参拝したときに、より深く神社を味わっていただける由緒や歴史を詳しくご紹介します。
平安時代から続く山の辺の道の古刹・長岳寺の紹介記事です。 長岳寺は平安・鎌倉時代から残る貴重な建築や仏像といった文化財だけでなく、血天井伝説や名刀伝説といった歴史ロマンあふれる伝承が残る名刹です。
奈良県生駒市有里町の文殊山にある竹林寺は行基と忍性という民衆教化と救済の先駆的活躍をした二人の高僧の墓があります。 鎌倉時代に復興されたものの室町、江戸と衰え明治には一時廃寺となりましたが、1997年に再建されました。
新興住宅地として戦後急速に発展したイメージが強い奈良県生駒市ですが、創建から1300年以上の歴史を持つ古社・往馬大社が鎮座しています。 生駒の町の歴史的背景の土台となる往馬大社とこの社を氏神としてきた中世以来の生駒谷十七郷の歴史について紹介します。
大坂夏の陣が終わった後、江戸時代に大和で大名、旗本として残った旧大和国人は柳生氏と中坊氏だけでした。 江戸時代、新たな領主として大和に入った大名や天領の支配、そして大和を去った国人たちのその後を紹介します。
筒井氏の伊賀転封によって大和国は中世以来の国人支配が解体され、近世武家政権による支配が始まります。 関ヶ原の戦い、大坂夏の陣と戦国の最末期に起きた大戦で、大和国人たちはどのような活躍を見せたのかを紹介します。