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歴史好きの徒然日記 https://www.yamatotsurezure.com/

奈良県を中心とした街歩きやおすすめスイーツ、歴史の話題を書いてます。 城跡や城下町、古民家、遊郭、神社仏閣などの古跡に興味がある方は一度ご覧ください。 あと、奈良県(大和国)を中心にした歴史上の人物のご紹介もしていきます。

やまとこおりやまん
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2019/06/30

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  • 祝・国史跡指定!紅葉色づく晩秋の郡山城城跡を巡る。

    2022年11月に国史跡に指定された郡山城跡は、桜の名所として有名ですが、晩秋、柳沢文庫付近を中心に紅葉が鮮やかに色づきます。 郡山城の内郭を中心に見どころをご紹介します。

  • 多武峰街道、大和鯖街道の終着地と桜井発祥の地を歩く~桜井まち散歩2

    奈良県桜井市の札の辻、多武峰街道沿いに桜井魚市場の石碑があります。江戸時代、遠く熊野灘で水揚げされた鯖は大和の鯖街道を通って桜井まで運ばれ、三輪そうめんと並ぶ桜井の看板商品でした。多武峰街道沿いや桜井の地名由来の旧跡をご紹介します。

  • 江戸~昭和初期の町屋・建築が残る旧伊勢街道とアーケード街~桜井まち散歩1

    今回ご紹介する奈良県桜井市の中心市街は江戸時代にお伊勢参りで賑わった伊勢街道の宿場町でした。今も往時をしのぶ町屋をはじめとした江戸~昭和初期の建物や街道沿いの宿場町に特徴的な道筋がのこります。また、町内寺院には明治の廃仏毀釈で姿を消した興福寺大乗院の貴重な移築建築が現存して、見どころある散歩スポットです。

  • 思ってたんと違う(11)「洞ヶ峠の順慶」にあらず。山崎の戦いのキャスティング・ボートを握った男・筒井順慶

    筒井順慶は戦国大和を代表する戦国武将ですが、一般的には「洞ヶ峠の順慶」として有名です。山崎の戦いでは日和見を決め込んで後日秀吉に叱責された優柔不断な武将というイメージが巷間流布していますが、実は山崎の戦いの結果に重大な影響を与える重要な立場にあった武将でした。

  • 中世大和一向宗の拠点・吉野。蓮如創建の飯貝御坊・本善寺は美しい桜と近世真宗建築の宝庫

    奈良県吉野町の飯貝御坊・本善寺は中世以来、吉野を中心とした本願寺教団の布教拠点だっただけでなく、大和国では一家衆寺院として最高の寺格を持って崇敬を集めました。境内には近世浄土真宗建築の特徴を伝える堂宇が建ち並び、春境内を彩る「懐桜」は大変美しい名木です。

  • 思ってたんと違う(10)ヤクザ、右翼~近代議会政治と暴力はいかに結びついたか~政治と暴力2

    現在では議会政治の場で公然と暴力を振るうことは考えられませんが、かつては議会政治において暴力は密接な関係にありました。吉田磯吉など現在なら暴力団の首領といえる人物が国会議員となり、政党政治家が博徒を糾合して公然と右翼団体を設立することもあったのです。現在もなお安倍元首相の殺害事件で明らかなように、暴力は厳然として政治へのインパクトを持っているのです。

  • 中世大和における一向宗の一大拠点・吉野。下市御坊・願行寺は蓮如ゆかりの古刹

    奈良県下市町の下市御坊・願行寺は奈良県で二つしか現存しない室町時代の枯山水の庭園のほか、室町から江戸中期までの建築が現存する浄土真宗寺院で、穴場の散策スポットです。 中世の本願寺教団が大和国で最初に教線を伸ばした吉野。その拠点寺院の一つが願行寺でした。その歴史や現在の境内の様子をご紹介します。

  • 思ってたんと違う(9)志士、ヤクザ、壮士、院外団~日本の政治と暴力の切っても切れない関係はどのように作られたか~政治と暴力1

    コンプライアンスが徹底され全国各地に暴排条例が作られている昨今、ヤクザなどの暴力集団が公然と政治にかかわることは現在考えられないことになています。 しかし、最近まで日本の政治と暴力は強く結びつき、それは日本の議会政治の発展とともにありました。幕末の志士から近代のヤクザ、博徒、壮士、そして院外団らがどのように政治に影響を与え関係を深めたのかを解き明かします。

  • 般若寺~15万本のコスモスが境内を埋める奈良坂のコスモス寺は花と歴史があふれる場所

    お花の寺として有名な般若寺は初夏と秋のコスモスがとくに有名でコスモス寺の愛称で親しまれています。境内には国宝の楼門、重文の十三重宝塔があり境内に咲き誇るコスモスと堂宇のコントラストが美しいだけでなく、相次ぐ戦乱に晒され、平重衡、護良親王所縁のお寺でもあります。コンパクトな境内に花と歴史が詰まったお寺、般若寺の拝観をより深く楽しめる情報をお届けします。

  • 奈良きたまち散歩・多聞山城や話題のスポット旧奈良監獄など見所いっぱいの奈良坂エリアを散策

    皆さんこんにちは。 奈良市内で散策エリアといえば、興福寺の門前町だった「ならまち」エリアが有名ですが、現存する唯一の明治五大監獄、旧奈良監獄が重要文化財に指定され、人気ホテルチェーンの星野リゾートによって日本初の監獄ホテルになる計画が進んでいることもあり、最近「奈良きたまち」が新たな散策スポットとして注目されつつあります。 今回、奈良きたまちの中でも、旧奈良街道が走る奈良坂エリアを中心に散策してきましたので、ご紹介します。 旧奈良監獄以外にも、城跡あり、寺院ありと見ごたえ一杯のエリアでした。 奈良きたまち、奈良坂とは ロートフィールド奈良(鴻ノ池運動公園) 多聞山城跡 北山十八間戸~般若坂界隈…

  • 知られざる島左近ゆかりの城跡スポット・平群中央公園(2)西宮城

    皆さんこんにちは。 二つの中世城郭が敷地内に含まれる都市公園・平群中央公園。 前回は公園内の城跡のひとつ、下垣内城をご紹介しました。 www.yamatotsurezure.com 今回は公園内のもう一つの城跡、西宮城をご紹介します。 馴染み深いご近所の児童公園が、実は有名な戦国武将ゆかりの城跡。 西宮城跡は、そんなことが実際に体感できる場所になります。 妻の実家のすぐそばにある公園で、子どもを連れて実家に帰った際によく遊びに行く場所なんですが、今回は城跡巡りも兼ねて訪れました。 西宮城とは 現在の城跡 おすすめの宿 西宮城とは 西宮城の場所はこちら。 近鉄生駒線の平群駅と竜田川駅の中間付近に…

  • 知られざる島左近ゆかりの城跡スポット・平群中央公園(1)下垣内城

    皆さんこんにちは。 奈良県平群町の平群中央公園は、多目的広場やテニスコートの他、ジョギングコースや巨大スライダーが目玉遊具の冒険広場など、大人から子どもまで楽しめる平群町民にはお馴染みの公園です。 実はこちらの公園、その敷地内に中世城郭の跡が二つもある珍しい公園で、両城とも、石田三成の懐刀として名高い戦国武将・島左近ゆかりの城跡なのです。 ※島左近については、下記の記事等で詳しく取り上げていますので、よろしければこちらもご一読ください。 www.yamatotsurezure.com 有名な戦国武将ゆかりの城跡なんですが、城跡としての知名度は高くないらしく、筆者の妻は公園の近所に生まれ育ったに…

  • 環濠の成立年代が確定された貴重な中世集落・若槻環濠集落で中世以来の美しい水堀を巡る

    皆さんこんにちは。 中世、外敵の侵入を防ぐため集落のまわりを堀で囲んだ、いわゆる環濠集落が全国各地に出現しましたが、奈良県は中世以来の環濠集落が、現在も数多く残されていることで知られます。 県内の多くの環濠集落が、南北朝時代から戦国時代にかけて成立していったと「見られている」のですが、実は、環濠がいつ頃築かれたのか、史料上明らかになっている集落って、ほとんどありません。 ほとんどの環濠集落の成立年代が実際のところ不明な中、奈良県大和郡山市の若槻環濠集落は、その環濠の成立過程・年代が文献史料で特定されている、全国的にも珍しい集落になります。 その貴重さにもかかわらず、稗田環濠集落などに比べると、…

  • 思ってたんと違う(8)決して衰退していない!室町・近世の建築・仏像文化

    皆さんこんにちは。 筆者の地元、奈良県は飛鳥・奈良時代から伝わる建築や仏像彫刻の宝庫です。 法隆寺や薬師寺の東塔、興福寺の奈良、鎌倉時代の仏像群は、現在残っているだけでも貴重なうえに、その造形の素晴らしさからも、文化財として高い評価を受けていますね。 私も法隆寺の壮麗な伽藍や、興福寺、東大寺に伝わる天平や慶派の仏像の圧倒的存在感に、心打たれる者の一人ですが、一方で日本の建築・彫刻(仏像)は、鎌倉時代までが「文化的」に顕著な発展と特徴を示し、特に近世(江戸時代)以降のものは文化的な価値が低いといった言説を耳にすることがあります。 極論すると、古代から鎌倉初頭にかけては、日本の彫刻・建築は目覚まし…

  • 横田環濠(横田平城)・筒井順慶の重臣・松倉右近の旧跡を巡る

    皆さんこんにちは。 大和国の戦国大名と言えば筒井順慶が有名ですが、順慶を支えた重臣として知られるのが、島左近と松倉右近。 今回はかつて松倉右近が本拠とした、現奈良県大和郡山市横田町の横田環濠をご紹介します。 島左近は、後に石田三成の家臣として関ヶ原の戦いなどで活躍したこともあって、知名度が高い戦国武将ですが、同じ順慶の家臣であった松倉右近の知名度は、いささか低いかもしれませんね。 歴史に詳しい方なら、子孫の松倉重政や勝家が、転封された肥前で暴政を働き、島原の乱を誘発したことで、記憶にとどめていらっしゃる方もおられるかなと思います。 平群町などで島左近が、町を代表する人物として顕彰される一方、松…

  • 十市城~水田に消えた中世城郭の面影

    皆さんこんにちは。 今回は奈良県橿原市にある中世城郭、十市(とおいち)城の周辺を散策してきましたので、ご紹介します。 堀や土塁などの遺構はほとんど見当たりありませんでしたが、外郭の市場町であったと推定される、現在の十市町の集落は、遠見遮断の路地が入り組む中世環濠集落の特徴を色濃く残す町でした。 十市城とは 城跡周辺 十市城とは 十市城の場所はこちら。 近鉄橿原線の新ノ口駅の北東1Kmほどの場所にあります。 奈良県民にはお馴染みの、運転免許センターから寺川を挟んですぐ北側になります。 奈良県民でも「あれ、あんなとこにお城なんてあったっけ??」と頭にクエスチョンマークが出る方も多いかもしれませんね…

  • 思ってたんと違う(7)倒幕に失敗した後鳥羽上皇は日本史上屈指の帝王だった!?

    皆さんこんにちは。 日本史上、唯一官軍が破れた戦いである承久の乱。 鎌倉時代初頭の1221(承久3)年、それまでの支配勢力であった京都の朝廷と、新興勢力として台頭した鎌倉の武家政権、いわゆる鎌倉幕府が軍事衝突して幕府側が勝利。武家による全国支配が以後、600年以上も続く切っ掛けとなった兵乱です。 この戦いを鎌倉幕府に仕掛け、結局敗退して隠岐に配流されてしまった人物として知られるのが、今回取り上げる後鳥羽上皇です。 歴史の教科書には、主に承久の乱の敗者として取り上げられ、その他の事跡としては、新古今和歌集の編纂を命じたことくらいしか、取り上げられることも少ない人物かもしれません。 承久の乱があま…

  • 皇紀2600年で消えた寺内町、畝傍御坊・信光寺

    皆さんこんにちは。 今回ご紹介するのは、大和五ヶ所御坊の一つ、奈良県橿原市の畝傍御坊・信光寺です。 大和国内、とりわけ国中(くんなか=奈良盆地内)における本願寺教団の布教拠点として、戦国時代から江戸時代の初期にかけて建立された、今井、御所、田原本、高田、そして畝傍の各御坊は、周囲に濠を巡らした寺内町を形成し、江戸期を通じて隆盛を誇りました。 現在も各御坊の周辺は、その多くが寺内町の往時の町並みを残しますが、今回ご紹介する信光寺は、大和五ヶ所御坊の中では、たいへん数奇な運命をたどった寺院です。 畝傍御坊とは 皇紀2600年祝典事業による移転 現在の信光寺と旧寺内町 畝傍御坊とは 信光寺の歴史は、…

  • 日本で2番目に小さな町の太子道が縦貫する中世環濠・伴堂環濠

    皆さんこんにちは。 今回は、奈良県三宅町の伴堂(ともんどう)環濠をご紹介します。 「ともんどう」って、少し変わった読み方ですが、コンパクトな中にも見所の多い環濠集落でした。。 伴堂環濠とは 環濠 太子道 三宅町交流まちづくりセンターMiiMo 伴堂環濠とは 伴堂環濠の場所はこちらです。 奈良県三宅町の町役場東側一帯で、町の中心集落です。 ちなみに三宅町は奈良県内で最も面積の小さな町で、全国でも2番目に面積の小さなコンパクトシティ。 伴堂は6つある大字の一つになります。 鉄道の最寄駅は近鉄田原本線の黒田駅。 お車でお越しの場合は、町役場の駐車場が便利です。 伴堂環濠は南北に細長い環濠集落で、集落…

  • 思ってたんと違う(6)江戸時代のサムライは意外と実力主義

    皆さんこんにちは。 江戸時代の身分制度というと、筆者が学生だった時分は、士農工商に分かれ、基本的に生まれついた身分から、別の身分にはなれないものと習った方も多いかと思います。 2000年以降は、江戸時代には士農工商といった身分制度と、上下関係は存在しなかったことが明らかになり、文部省の検定済教科書からは削除されたそうですが、一般的に武士に生まれたらずっと武士、農民なら農民のままというイメージが、まだまだ強いんじゃないでしょうか。 しかしその実態は、現在ほどではないにしても、身分間の流動性がある社会だったのです。 武士も、武士の家に生まれたら、自動的に武士になれる…という人たちばかりでは、なかっ…

  • 環濠の森に立つ室町の美しい神社本殿~奈良県景観資産・藤森環濠

    皆さんこんにちは。 2022年、新たに国の重要文化財として登録されることになった、奈良県大和高田市にある十二社神社本殿は、中世からの環濠に囲まれた小さな集落、藤森環濠集落にあります。 場所はこちら。 中和幹線の藤森交差点を下街道沿いに少し北に向かった場所になります。 今回十二社神社本殿が 藤森環濠とは 十二社神社 環濠 南西側 北西側 北東~北側 南西~南側 藤森環濠とは 藤森環濠は、成立年は明らかではありませんが、大和国で多くの環濠集落が形成され始める南北朝期以降、集落が形成されていったと見られます。 中世以来、奈良と五條、紀州を結ぶ主要交通路であった下街道のすぐ東側に位置し、領主居館の館城…

  • 思ってたんと違う(5)前近代の罪と罰

    皆さんこんにちは。 悪いことをしたら捕まって、裁判を受けた後、罰を受けます。 現在では当たり前のことなんですが、前近代、とりわけ中世以前では、その様子はずいぶん違ったものでした。 今回は、そんな今と違う前近代の刑罰事情や治安のあれこれをご紹介します。 平安時代に「死刑」はなかったのか 盗みは殺人と同じ!? 殺人事件はほったらかしの無法地帯 平安時代に「死刑」はなかったのか 平安時代は「死刑」がなかったと聞くことがあります。 巷間よく広まっているのは、平安初期に起こった薬子の変(810年)で藤原仲成が処刑されてから、保元の乱(1156年)の戦後処理で処刑が実施されるまでの間、政府公認の死刑は行わ…

  • 開業100周年を迎えた東信貴ケーブル(東信貴鋼索線)廃線跡をたどる

    皆さんこんにちは。 大阪府と奈良県の府県境にある信貴山は、「信貴山の毘沙門さん」こと朝護孫子寺で有名ですね。 こちらへのアクセス経路としては、現在自動車の他、大阪府八尾市の信貴山口駅からケーブルカーがありますが、かつて、もう一つルートがありました。 奈良県三郷町の信貴山下駅から信貴山駅までをつないでいた近鉄・東信貴鋼索線、通称東信貴ケーブルです。 2022年、その開業から100周年を迎えた、その廃線跡をたどってみました。 東信貴鋼索線とは 信貴山下駅前 廃線路跡 旧信貴山駅 表参道 東信貴鋼索線とは 東信貴鋼索線は1922(大正11)年、現在の近鉄生駒線の前身となる信貴生駒電気鉄道が、信貴山朝…

  • 鎌倉殿の13人~後世まで子孫が生き残り栄えたのは誰の家か

    皆さんこんにちは。 2022年大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で、今まで日本史では、戦国や幕末維新に比べて人気のなかった平安末期から鎌倉初期の時代が、にわかにスポットを浴びました。 このドラマのタイトルにある13人とは、鎌倉2代将軍源頼家のとき形成された、幕府有力者たちによる合議体制のメンバーが、13人だったことに由来します。 史上初の本格武家政権となった鎌倉幕府の草創期、中核だったこの13人のメンバーはその後内部で、血で血を争う凄惨な権力闘争を繰り広げ、最終的に北条氏が鎌倉時代を通じて権力を掌握。北条氏得宗家による独裁体制を築いていくことになります。 一家、また一家と滅亡・没落する中、生き残った…

  • 西大寺~荒廃と復興を繰り返した不滅の法灯

    皆さんこんにちは。 2022年7月8日、安倍晋三元首相が遭難した場所として、にわかに全国的な注目を受ける場所となってしまった、近鉄大和西大寺駅。 近鉄沿線の奈良県民には、とても馴染み深い駅が、全世界を震撼させるような事件の現場となってしまったことを、非常に残念に思います。 さて、大和西大寺駅を利用したことのある方でも、その駅名の由来となっている西大寺に参拝された方は、もしかしたら多くないかもしれません。 駅名で馴染みはあるんだけど、実際にお寺は行ったことがない。 私もそんな奈良県民の一人でしたが、4月末に初めてお参りしてきました。 西大寺とは 境内 南門 四王堂 護摩堂 本堂 東塔跡 愛染堂 …

  • 廃仏毀釈で廃寺となった、大神神社の神宮寺(大御輪寺、浄願寺、平等寺)を巡る

    皆さんこんにちは。 以前廃仏毀釈で廃寺となった、奈良県桜井市にある大神神社の3つの神宮寺についてご紹介しました。 www.yamatotsurezure.com 今回は、明治に廃寺となった大神神社神宮寺である大御輪寺、浄願寺、平等寺の現在の姿をご紹介します。 訪れる場所は、こちらの境内図で赤丸で囲った3か所。 大神神社境内図(大神神社HPから転載) かつて三所寺と呼ばれ、神仏習合の三輪神道の中心にあった場所が現在どうなっているか、見ていきたいと思います。 大御輪寺 浄願寺 平等寺 大御輪寺 大御輪寺は、3つの神宮寺の中で最も古く、既に奈良時代には大神寺の名で成立していたとされます。 1285(…

  • 談山神社は夏の穴場スポット。如意輪観音と涼風薫る青紅葉に癒される空間

    皆さんこんにちは。 奈良県桜井市にある談山神社は、紅葉の名所として知られます。 場所はこちら。 奈良盆地南東の山間にあります。 実はこの談山神社、江戸時代以前は、多武峰妙楽寺と呼ばれた巨大な仏教寺院でしたが、明治初頭の神仏分離令により、全山がそのまま神社に転身したという、非常に珍しい場所です。 ※談山神社の由緒や廃仏についての詳細は過去記事をご一読いただければと思います。 www.yamatotsurezure.com こちらは江戸時代の妙楽寺境内図。 多武峰之図(奈良県立図書情報館蔵・江戸後期19世紀初め頃) 明治の神仏分離によって、多くの神仏習合の寺院では、従来の伽藍が失われました。 しか…

  • 奈良は「何もない」と思われている地域の「中世」が面白い!奈良の中世史と町の成り立ち

    皆さんこんにちは。 飛鳥から奈良時代にかけての、古代史ロマンにあふれるスポットが注目されがちな奈良。 しかし、中世から近世にかけての遺構や人物も、奈良は見所いっぱいの場所であることを紹介したい。そんな思いで書き始めた当ブログも、2022年7月8日で丸3年となりました。 ここまで書き続けられたのも、読者様のお陰と心から感謝です。 今後ともよろしくお願いします。 さて、奈良県内の一般的な観光スポットと言えば、世界遺産となっている3つの地域、東大寺、興福寺、そして薬師寺のある奈良市中心部と西ノ京地域、法隆寺を中心とする斑鳩地域、桜が有名な吉野山周辺、そして古代ロマンあふれる飛鳥や、山の辺の道といった…

  • 忍性・慈悲に過ぎた窮民救済の超人的実践者

    忍性菩薩像(称名寺蔵) 皆さんこんにちは。 忍性という僧をご存知ですか。 鎌倉時代に師匠、叡尊とともに戒律の復興運動に取り組んだ律僧として、日本史の教科書に載っていたなとご記憶の方もいらっしゃるかなと思いますが、同時代の鎌倉新仏教の開祖たちと比べ、概して知名度が低い印象がありますね。 しかし、その事跡を追うと、それまで支配者たちから一顧だにされなかった、非人と呼ばれた最下層の人々や、ハンセン病患者たちにまで救済の手を差し伸べ、果ては動物愛護の施設まで設けるなど、当時としては先鋭的な社会福祉事業を、数多く興した人物でした。 その事業の根底にあったのは、最愛の母から受け継いだ文殊信仰だったのですが…

  • 江戸の町割りと風情を残す穴場の散策スポット、御所まち。圓照寺寺内町、東御所の町

    皆さんこんにちは。 前回に引き続き、奈良県御所市の中心街区、御所まちをご紹介します。 ※前回ご紹介した西御所の記事はこちらです。 www.yamatotsurezure.com 今回ご紹介するのは、葛城川を挟んで東側、東御所です。 前回ご紹介した西御所は、商家町をルーツとしていますが、東御所は大和五ヶ所御坊の一つ、御所御坊圓照寺を中心とした寺内町として、発展した町となります。 場所はこちら。 近鉄、JR御所駅からも近く、京奈和道の御所インターチェンジからのアクセスも便利な場所です。 東御所のエリアは西御所に比べると一回り小さなエリアになります。 国土地理院HP地図から作成 大橋通周辺 圓照寺 …

  • 江戸の町割りと風情を残す穴場の散策スポット、御所まち。商家が並ぶ西御所の町

    皆さんこんにちは。 奈良県下には古い町屋の町並みを残した、散策スポットがたくさんあります。 今回ご紹介する、奈良県御所市の中心街区、御所まちも、町屋が並び散策におすすめの町になります。 今井町や五條新町のような伝統的建造物群保存地区ではありませんが、江戸時代以前の町割りが完全に残り、江戸から昭和にかけての古い町屋が軒を連ねる、ノスタルジー溢れる町です。 御所まちとは アクセス(ごせまちセンター) 下街道(高野街道) 魚の棚界隈 本町界隈 葛城川沿い 御所まちとは 御所まちは、御所市役所の周辺、葛城川を挟んで西御所、東御所という二つの町から成るエリアです。 国土地理院HP地図から作成 ともに16…

  • 奈良県最大級の中世山城、信貴山城。松永久秀の夢の跡をめぐる

    皆さんこんにちは。 今回は松永久秀の居城として知られる、信貴山城をご紹介します。 信貴山城とは 本丸 本丸~立入屋敷 段状曲輪群~松永屋敷 松永屋敷から東側の曲輪群 大谷池 松永久秀の供養塔 信貴山城跡の動画リンク 信貴山城とは 場所はこちら。奈良県と大阪府の境、奈良県平群町にあります。 こちらが縄張り図。 雄嶽山頂部を本丸とし、その規模は南北880m、東西600mにわたり、大小の曲輪群を備えた、奈良県下屈指の巨大城郭になります。 城域は古代山城の高安城(たかやすのき)に含まれますが、この地に本格的な城郭が築かれたのは、1536(天文5)年頃、木沢長政によるものでした。 長政は、細川晴元の被官…

  • 叡尊~旧仏教の改革者か新仏教の開祖か

    皆さんこんにちは。 鎌倉時代、それまでの南都六宗、天台宗、真言宗といった、国家から保護された旧来の仏教宗派から、新興の武士や一般庶民に広くその教えを広めていく、いわゆる鎌倉仏教の宗派がたくさん生まれました。 浄土宗の法然、その弟子で浄土真宗の親鸞、時宗の一遍、日蓮宗の日蓮、臨済宗の栄西、曹洞宗の道元らが、いわゆる鎌倉新仏教の開祖として非常に有名ですね。 鎌倉時代、それまで、仏教による救いの外に置かれていた人々にまで、教えを広めていった僧侶たちがたくさん現れました。 その中に叡尊という人物がいます。 興正菩薩(叡尊)像 ところで、叡尊の名は聞かれたことがあるでしょうか。 日本史の教科書で、その弟…

  • 3年ぶりのアジサイ園復活!あじさい寺・矢田寺(2022年)

    皆さんこんにちは。 今回は、アジサイの名所矢田寺で、コロナ禍で去年、一昨年と中止されていたアジサイ園が、3年ぶりに復活しましたので、その様子をご紹介します! ※矢田寺の詳細については、過去記事で紹介しておりますので、こちらも併せてご一読いただければと思います。 www.yamatotsurezure.com 平日午前中に訪れましたが、たくさんの参拝客の皆さんが、アジサイを楽しんでおられました。 境内 アジサイ園 アクセス・拝観料等 境内 境内に入ると、そこかしこに咲く、色とりどりのアジサイが出迎えてくれます。 矢田寺のアジサイは、1965(昭和40)年頃から境内に植え始められました。 今でこそ…

  • 日本最古の国道交差点の町、八木の町。中街道を八木札の辻、畝傍駅、おふさ観音までめぐる。

    皆さんこんにちは 奈良県内で、江戸時代以前の古い町並みを残す場所といえば、あまりにも有名なのが橿原市の今井町ですが、同じ橿原市内に、今井町と並ぶ古い町屋の集中地区があることを、ご存知ですか。 その町は、橿原市の中心鉄道駅、近鉄大和八木駅の東側にある八木地区です。 交通アクセスも良く、散策にもおすすめの場所になります。 八木町とは 北八木町 八木札ノ辻交流館 センタイバ(接待場) 八木町(伊勢街道より南) 畝傍駅以南 八木町とは 八木の場所はこちら。北八木町、八木町、南八木町にまたがるエリアになります 八木は、古代の官道で奈良盆地を東西に貫く横大路と、南北に貫く下ツ道の交差点を中心に発展した町に…

  • 仏法の種をまいた名僧、高田好胤(9)

    皆さんこんにちは。 百万巻の写経勧進による白鳳伽藍復興という空前の事業を興した、薬師寺管長高田好胤とはどのような人物だったのか。 景観問題を乗り越え、1981(昭和56)年4月1日、ついに西塔は再建されました。 www.yamatotsurezure.com 西塔落慶法要の挨拶で、好胤が西塔再建を提言した棟梁西岡常一を壇上にあげ、写経した人々への挨拶を促すと、西岡は持ち前の諧謔で、好胤へ白鳳伽藍のさらなる復興を促します。 「私が西塔の仕事をさせてもらっていましたら、スズメが飛んできて『ちゅうもん(中門)、ちゅうもん』と鳴きました。また、カラスが『かいろう(回廊)、かいろう』、ハトは『コードー(…

  • 雪丸の寺、王寺町の達磨寺は見所がギュッと詰まった名刹

    皆さんこんにちは。 今回は王寺町の観光プロモーション動画でも有名になった、雪丸ゆかりのお寺、達磨寺をご紹介します。 こちらが話題になった空飛ぶ雪丸の動画。今見てもかわいいです。 www.youtube.com 達磨寺はコンパクトな境内に、見所がギュッと詰まったお寺です。 達磨寺とは 達磨寺境内 達磨寺とは 奈良県王寺町にある片岡山達磨寺は臨済宗南禅寺派の寺院です。 場所はこちら。JR王寺駅の南口から1kmほどの場所にあります。 創建年は不明ですが、寺伝によると、日本書紀にも記載されている片岡山飢人伝説に由来するとされています。 日本書紀によると、推古天皇21(613)年、聖徳太子(厩戸王)が片…

  • 仏法の種をまいた名僧、高田好胤(8)

    皆さんこんにちは。 百万巻の写経勧進による白鳳伽藍復興という空前の事業を興した、薬師寺管長高田好胤とはどのような人物だったのか。 金堂落慶のあと、景観破壊との批判を乗り越え、西塔再建を開始した薬師寺。 www.yamatotsurezure.com 白鳳伽藍復興に向けて、意気上がる薬師寺にあって、気がかりは好胤の師である前管長橋本凝胤の病状でした。 凝胤遷化 米朝と掛け軸、真宗寺院で般若心経 東西両塔相並ぶ 凝胤遷化 1975(昭和50)年から、凝胤は持病の糖尿病と高血圧が悪化し、入退院を繰り返していました。 金堂落慶法要の際は、本人の意向で人目の立たない場所から、その様子を見守っていたと言い…

  • 奈良県最古の在銘石仏・みろくさんと緑地化された巨大環濠を巡る。南郷環濠(南郷城)

    皆さんこんにちは。 奈良県には、中世に外敵から集落を守るため、周囲に濠を巡らした環濠集落が、現在まで多く残されていることで知られています。 今回はその中でも、奈良県下最大級の規模を誇る環濠集落、南郷環濠集落をご紹介します。 長大な濠跡が水路として残っており、とにかく巨大な環濠集落でした。 南郷環濠集落とは 環濠北側 石像浮彫・伝弥勒菩薩坐像 環濠西側 環濠南側 城ノ内(居館跡)~南郷城石碑 環濠東側 南郷環濠集落とは 南郷環濠集落は奈良県広陵町の広陵町役場の南側に広がる環濠集落です。 場所はこちら。 Googleマップでもくっきりと環濠が見えますね。 南郷は環濠大国の奈良県内にあっても、最大級…

  • 仏法の種をまいた名僧、高田好胤(7)

    皆さんこんにちは。 百万巻の写経勧進による白鳳伽藍復興という空前の事業を興した、薬師寺管長高田好胤とはどのような人物だったのか。 金堂再建の最後の難関であった木材の調達をクリアし、無事起工式と上棟式を終えて、工事は順調に進みました。 www.yamatotsurezure.com いよいよ、金堂再建も佳境となった1973(昭和48)年、棟梁西岡常一は一通の上申書を好胤へ送ります。 西塔再建の上申書 金堂落慶 西塔再建、伽藍復興の決意 西塔再建の上申書 写経の数が50万巻に到達した1973年8月、西岡は常々心に抱いていた、西塔再建の思いを綴った上申書を、好胤に手渡しました。 両塔並び立つ姿こそ、…

  • 美しき三重塔。謎多き寺院、奈良県広陵町の百済寺

    皆さんこんにちは。 奈良県内にはたくさんの美しい寺院建築があります。 法隆寺や興福寺など世界的に有名な場所もたくさんありますが、観光地としてあまり知られていない場所でも、見事な建築があるあたりが、奈良の底知れぬ魅力かと思います。 今回ご紹介する百済寺三重塔も、そういった名建築です。 百済寺とは 境内 百済寺とは 百済寺(くだらじ)の場所はこちら。奈良県広陵町百済の地にあります。 周囲を田園に囲まれ、奈良盆地の原風景が広がるエリアになります。 鉄道駅からは遠いので、自動車の利用をお勧めします。 公共交通機関ご利用の場合は、近鉄高田駅発着のコミュニティバス、広陵元気号南部支線が利用可能です。 ww…

  • 仏法の種をまいた名僧、高田好胤(6)

    皆さんこんにちは。 百万巻の写経勧進による白鳳伽藍復興という空前の事業を興した、薬師寺管長高田好胤とはどのような人物だったのか。 前回は金堂再建のために講演と写経勧進に東奔西走する好胤と、日本建築界を代表する碩学たちが結集し、不世出の宮大工西岡常一を棟梁に迎えて、いよいよ実現に向けて動き出した伽藍復興の姿をご紹介しました。 www.yamatotsurezure.com 設計も固まり、再建にあたって最後に残った課題は、木材の調達でした。 千年のヒノキ 足を向けて寝られない 金堂の棟札 千年のヒノキ 好胤が金堂再建にあたって、強く要望したのは以下の三つです。 一、金堂は木造とすること 一、用材は…

  • 大師信仰と中世水堀の姿が残る集落・番条環濠(番条城)

    皆さんこんにちは。 中世、外敵に備えて村を濠で取り囲む環濠集落が、日本各地に発生しました。 近代以降、都市化の波にのまれて多くの濠が埋め立てられ、その姿を消していった中、奈良県は全国的にも比較的多くの環濠集落が往時の姿をとどめていることで知られています。 そんな奈良県内で全国的にも有名なのが稗田環濠集落。 こちらは以前当ブログでも紹介させていただきました。 www.yamatotsurezure.com この稗田環濠のすぐ南に、実はもう一つ、中世環濠の姿を実によくとどめた番条という集落があります。 史跡として整備されている稗田環濠と比べ、こちらは特に史跡として整備はされていませんが、地元の人々…

  • 仏法の種をまいた名僧、高田好胤(5)

    皆さんこんにちは。 百万巻の写経勧進による白鳳伽藍復興という空前の事業を興した、薬師寺管長高田好胤とはどのような人物だったのか。 前回はいよいよ薬師寺管長となった好胤が、その晋山式で多くの聴衆を前にして金堂の復興を誓い、写経勧進によって浄財を募ることを決意したことをご紹介しました。 www.yamatotsurezure.com 目標金額10億円。 必要な写経は百万巻。 それは、いつ到達できるかもわからない、途方もない数字が並ぶ道程でした。 また、金堂復興は、ただお金が集まればできるというものではありません。 どのような設計とするのか。 どのように施工するのか。 誰が大工の指揮を執るのか。 巨…

  • 茶人大名、片桐石州のもてなしに触れる癒しの空間 慈光院

    皆さんこんにちは。 今回は奈良県大和郡山市の禅宗寺院、慈光院をご紹介します。 ところで、皆さんは慈光院という寺院をご存知でしょうか。 茶道に詳しい方なら、或いはご存知の方も多いかもしれませんが、ピンとこない方も多いかもしれないですね。 慈光院は江戸時代の初め、1万3千石の大名でありながら高名な茶人でもあった片桐石見守貞昌(通称、石州)により創建された寺院で、境内全体が茶席の演出空間として設計されているという、稀有な特徴を持っています。 そして、その書院や茶室は国の重要文化財、庭園が国の名勝、史跡に指定されています。 今回はその境内をじっくりとご紹介します。 片桐石州と慈光院 一之門~茨木門 書…

  • 仏法の種をまいた名僧、高田好胤(4)

    皆さんこんにちは。 百万巻の写経勧進による白鳳伽藍復興という空前の事業を起こした、薬師寺管長高田好胤とはどのような人物だったのか。 前回は、結婚、そしてテレビ出演によって全国的な知名度を得るようになり、薬師寺副住職として活躍する好胤の姿をご紹介しました。 www.yamatotsurezure.com 副住職になったあと、独創的な方法で精力的に仏法を広める活動を展開する好胤は、いよいよ白鳳伽藍復興に取り組むこととなります。 金堂復興の誓い 百万巻写経勧進 金堂復興の誓い 好胤の師であり、薬師寺住職であった橋本凝胤は、70歳を目前にしたころから糖尿病を患っていたこともあり、体力的な衰えを自覚する…

  • 忽然と消えた西の日光、内山永久寺の跡を巡る(永久寺跡~石上神宮~なら芸術文化村)

    皆さんこんにちは。 現在の奈良県天理市にあった内山永久寺は、江戸時代までは大和国の中でも屈指の大寺院であったにもかかわらず、明治の廃仏毀釈で跡形もなく消え去った寺院として知られます。 内山永久寺のあった場所はこちら。石上神宮の南側にありました。 内山永久寺は永久年間(1113~1118年)に鳥羽天皇の勅願により建立された寺院で、本尊は阿弥陀如来。興福寺大乗院の末寺で、折からの本地垂迹説の流行から近隣の石上神宮の神宮寺となり、室町時代には大きな勢力を誇りました。 当記事冒頭の絵図からもわかるように、池を中心とした浄土式回遊庭園の周囲を、本堂をはじめとした多くの堂宇が取り囲み、天正期には56の塔頭…

  • 仏法の種をまいた名僧、高田好胤(3)

    皆さんこんにちは。 百万巻の写経勧進による白鳳伽藍復興という空前の事業を起こした、薬師寺管長高田好胤とはどのような人物だったのか。 前回は、学徒出陣からの復員と復学、大学卒業後に薬師寺副住職となり、修学旅行に訪れる生徒たちへ「青空説法」を始めた若き日の好胤の姿をご紹介しました。 www.yamatotsurezure.com 「寺を訪れた人々に仏法の種をまきたい」 この一念から始まった「青空説法」が評判を呼び、好胤は「薬師寺の話のおもしろいお坊さん」として、その名が広く知られるようになっていきます。 戒律を破った幸福 写真家たちとの交流 テレビ読経 戒律を破った幸福 好胤の青空説法は多くの修学…

  • 江戸から昭和にかけての町並みが残る寺内町、大和高田

    皆さんこんにちは。 これまで、今井、田原本、箸尾といった奈良県内の寺内町ルーツの町をご紹介してきた当ブログですが、今回は大和五ヶ所御坊の一つ、専立寺の寺内町から発展を遂げた大和高田市中心市街をご紹介します。 ※これまでの寺内町の記事も是非お読みいただければと思います。 www.yamatotsurezure.com www.yamatotsurezure.com www.yamatotsurezure.com 大和郡山市民の筆者には、大和高田は同じ奈良県内ながら近くて遠い町でしたが、念願かなってようやく足を運ぶことができました。 観光イメージはあまりない町でしたが、実際歩いてみると、町の歴史を…

  • 仏法の種をまいた名僧、高田好胤(2)

    皆さんこんにちは。 壮麗な復興伽藍で知られる奈良薬師寺。 この白鳳伽藍再建を開始したのが、薬師寺管長であった高田好胤です。 度重なる戦災と明治の廃仏毀釈に飲み込まれ、一時は住職も不在となった薬師寺を復興した高田好胤とはどのような人物であったのか。 前回は、その少年期を中心にご紹介しました。 www.yamatotsurezure.com 戦争により大学生活を中断された好胤は、終戦を招集後配属されていた千葉県四街道で迎えます。 除隊して奈良に戻った好胤は、龍谷大学に復学することになりました。 もう一人の師 青年僧好胤 青空説法 もう一人の師 終戦により復学した龍谷大学文学部には、好胤が橋本凝胤と…

  • 巽高取雪かとみれば雪でござらぬ土佐の城~高取城

    皆さんこんにちは。 近年、竹田城や備中松山城といった、高い山上に築かれた山城が、観光地としても非常に注目され、人気を集めています。 今回は、全国でも屈指の規模を誇る山城、高取城をご紹介します。 高取城とは 土佐の町~下子嶋 黒門~二の門 国見櫓~千早門 三ノ丸~二ノ丸 本丸 高取城とは 高取城は、奈良県高取町に築かれた山城です。 場所はこちら。 標高583m、比高350mの高取山山上に、三層の天守と小天守から成る豪壮な連立式天守を持つ、山城としては異例の城郭でした。 連立式天守とは、天守と2基以上の小天守や隅櫓を渡櫓で連結して本丸を囲む、非常に堅固な守りを誇る天守です。 姫路城や松山城が代表格…

  • 仏法の種をまいた名僧、高田好胤(1)

    皆さんこんにちは。 奈良の西ノ京にある世界遺産・薬師寺。 奈良時代から残る国宝の東塔や鎌倉時代築の重文・東院堂などの古くから残る貴重な建築だけでなく、創建以来の度重なる火災や自然災害、兵火により失われた大伽藍を復興したことでも名高い名刹です。 この白鳳伽藍復興事業は、1967(昭和42)年、薬師寺管長となった高田好胤が金堂復興を発願したことから始まりました。 金堂復興に始まり、西塔、中門、東西回廊と次々に再建された復興事業は、好胤が1998(平成10)年に世を去った後も続き、講堂、食堂と再建されて現在まで続きます。 白鳳の大伽藍を復興させるという、空前の大事業を始めた高田好胤は、私(1974年…

  • 第61回お城まつり(大和郡山)、今年は夜桜も行ってきました。

    皆さんこんにちは。 今年も奈良県大和郡山市では、昨年に続いてコロナ禍の中で第61回の「お城まつり」が、「日本さくら名所100選」にも選出されている郡山城址で開催されました。 ※2年ぶりに開催された昨年の様子は下記記事をぜひご参照ください。 www.yamatotsurezure.com 昨年同様、残念ながらパレードや露店の出店が中止されたり、城址内での飲食が禁止となる中、桜が満開となった4月1日の日中と、4月2日は夜桜見物に訪れましたので、その様子をご紹介したいと思います。 日中の様子 郡山城の夜桜 日中の様子 さて、近鉄郡山駅方面から城址公園に向かいます。 かつて柳曲輪と蓮池堀の間にあった土…

  • 幻の五新線と旧街道の町並みが残る五條新町をめぐる

    皆さんこんにちは。 前回は旧筒井家重臣で、五條新町や肥前島原城築城で知られる松倉重政の事跡を中心にご紹介しました。 www.yamatotsurezure.com 暴君として悪名高い松倉重政ですが、重政が発展の礎を築いた五條新町は、江戸時代初期から現在まで生活の息吹が続く、ノスタルジックな町並みが名高いスポットとして知られます。 今回は五條新町を中心に、見所のスポットやエピソードをご紹介します。 五條新町とは 五新線新町高架橋 神田橋~新町橋 新町橋~鉄屋橋 鉄屋橋以西 五條代官所~天誅組関連史跡 五條新町とは 江戸から昭和初期にかけての町屋が、旧紀州街道(伊勢街道)である新町通り沿いに立ち並…

  • 二見城跡~名君にして暴君、五條に遺る松倉重政の事跡を巡る

    皆さんこんにちは。 松倉重政という武将をご存知でしょうか。 安土桃山時代から江戸初期にかけて活躍した武将で、一般には肥前島原で苛烈なキリシタン弾圧と圧政を敷いて、江戸時代最大の反乱である島原の乱の原因を作った人物として知られています。 歴史小説の大家である司馬遼太郎にも「日本史の中で松倉重政という人物ほど忌むべき存在はすくない。」(街道をゆく17島原・天草諸道)と言わしめた、日本史上最悪の暴君の一人というのが、重政の一般的な評価でしょう。 しかし、この重政を名君と慕う町があります。 その町とは、重要伝統的建造物群保存地区として知られる奈良県五條市の五條新町で、重政は町の礎を築き、善政を敷いた名…

  • あじさい寺でお遍路!矢田寺四国八十八ヶ所霊場巡り

    皆さんこんにちは。 さて、以前あじさい寺として有名な奈良県大和郡山市にある矢田寺をご紹介した時、ミニ遍路道があるとご紹介しました。 www.yamatotsurezure.com 今回念願かなって矢田寺のミニ遍路で「結願」することができましたので、へんろ道をご紹介したいと思います。 矢田寺四国八十八ヶ所霊場巡りとは 徳島県(第一~二十三番札所) 高知県(第二十四~三十九番札所) 愛媛県(第四十~六十五番札所) 香川県(第六十六~八十八番札所) 矢田寺四国八十八ヶ所霊場巡りとは 「矢田寺四国八十八ヶ所霊場巡り」は大正末期から昭和の初期にかけて、矢田寺本堂裏の地蔵山に開設されたいわゆる「ミニ遍路」…

  • 額安寺~平端 額田部の郷を巡る

    皆さんこんにちは。 以前、中世武家館城の面影を残す「中家住宅」をご紹介しました。 www.yamatotsurezure.com 中家住宅のほど近くを、中世から近世にかけて、奈良と五條を結ぶ下街道が通っています。 中家住宅から下街道に沿って北東、郡山の方へ少し進むと額田部地区という歴史ある地域があり、大和郡山市民ながら、今まで訪れる機会がなかったので、中家住宅を訪れたこの機会に足を延ばしてみました。 歴史ある古寺、古跡に趣ある旧街道筋の風情が残る場所でしたので、今回ご紹介したいと思います。 額安寺(かくあんじ) 額安寺は、奈良県大和郡山市額田部寺町の真言律宗寺院です。 場所はこちら。大和郡山市…

  • 奈良・山の辺の里の戦争遺跡、柳本飛行場(大和海軍航空隊大和基地)跡

    皆さんこんにちは。 奈良・山の辺の里といえば、石上神社や大神神社などの古社や、箸墓古墳、崇神天皇陵といった巨大墳墓が集まる古代史ロマンの里ですね。 以前、この山の辺の里のイメージから少し離れたスポットとして、近世織田氏の城下町、柳本、芝村地域をご紹介しました。 www.yamatotsurezure.com 今回も従来イメージとは離れたスポット、柳本飛行場跡をご紹介します。 飛行場と言っても民間空港ではなく、第二次世界大戦の末期に旧帝国海軍が建設した航空基地でした。 戦後まもなく飛行場は取り壊されましたが、滑走路の一部と防空壕2棟が、のどかな田園風景の中に遺されていますので、ご紹介していきまし…

  • 箸尾城と教行寺~中世城下町から近世寺内町へ

    皆さんこんにちは。 今回は、近鉄箸尾駅の南側に広がる箸尾の町をご紹介したいと思います。 場所はこちら。馬見丘陵公園の東側になります。 一般的な観光地ではない地区なのですが、北和と南和をつなぐ下街道が町内を南北に貫き、中世、筒井氏、越智氏、十市氏と並んで大和の有力国人であった箸尾氏の拠点として始まった、たいへん歴史のある町です。 箸尾氏が没落して、箸尾城が廃城となった後は、教行寺の寺内町として栄えました。 現在も古くからの街並みが残る箸尾地区を散策していきたいと思います。 下街道沿いの街並み 箸尾城と環濠 教行寺(箸尾御坊) はしお元気村 下街道沿いの街並み 箸尾地区の北側に、近鉄田原本線の箸尾…

  • 中世武家居館の面影を残す中家住宅と伝多聞山城門

    皆さんこんにちは。 奈良県は稗田環濠集落をはじめ、中世環濠が良好な形で残っている例が多いことで知られていますが、中世武士の居館の佇まいを、現代に伝える場所があることをご存知でしょうか。 奈良県安堵町の「中家住宅」は、二重の堀がほぼ完全な形で残り、中世在地領主の居館の様相を現代に伝える貴重な場所といえます。 特筆すべきは、現在なお中家のご子孫が居住しておられる、現役の住宅ということ。 堀まで備えた中世的な武家居館が、「遺構」ではなく、現役の住居として受け継がれているところが、とてつもなく貴重な文化財だと思います。 場所はこちらになります。かつて奈良と五條を結んだ下街道のほど近くにあります。 Go…

  • 山の辺の織田氏旧跡を巡る~柳本・芝村陣屋跡

    皆さんこんにちは。 さて、奈良県内に戦国随一の有名大名家である織田家の城下町があるのをご存知でしょうか。 戦国の覇者だった織田信長ですが、織田家は彼の横死後に小大名に転落し、江戸時代大名家として残ったのは、次男信雄の家系と、茶人として有名な弟有楽斎(長益)の家系だけでした。 この内、有楽斎の家系が現在の奈良県、天理市から桜井市にかけて広がる山の辺の里に、城下町を営んでいたのです。 本能寺の変の後、豊臣家の家老となっていた有楽斎は、他の豊臣直臣の多くがそうであったように大和国に領地を持っていました。 大坂夏の陣を前にして大坂城を脱出した有楽斎はしぶとく生き残り、子孫に領地を遺します。 4男長政が…

  • 思ってたんと違う(4)源平合戦その2

    皆さんこんにちは。 前回、源氏と平氏の関係性について、巷間広まっているイメージとは異なるものであったことをご紹介しました。 www.yamatotsurezure.com 源平の戦いについては、有名な個別の戦いについても、世間一般に広く知られているイメージと、実像が全く違うものがあったりします。 今回は「思ってたんと違う」源平の戦いをご紹介したいと思います。 富士川の戦い 屋島の戦い 壇ノ浦の戦い 富士川の戦い 1180(治承4)年に、以仁王の令旨に呼応して挙兵した源頼朝と、これを追討するため派遣された平維盛が、駿河国富士川で激突した富士川の戦いは、頼朝が平氏の大軍勢を打ち破った戦いとして知ら…

  • 運慶(3)~神格化された名工

    皆さんこんにちは。 日本の彫刻史上、最も有名な人物の一人として知られる運慶を取り上げて今回が3回目の記事になります。 前回は、壮年の運慶の活躍を中心にご紹介しました。 www.yamatotsurezure.com 新たな時代の支配者として台頭しつつあった東国武士と、関係を早くから構築した奈良仏師は、源頼朝が全国的な権力を掌握後、南都復興における仏像造像の中心的な存在となっていきます。 父、康慶最後の大仕事となった大仏脇侍の造像に、棟梁として初めて臨んだ東大寺南大門金剛力士像の造立で、慶派の南都復興における存在感は、最大のものとなっていきました。 今回は、その後の運慶と、没後の評価の変遷をご紹…

  • 大和郡山城外堀を行く(4)外堀東側

    皆さんこんにちは。 大和郡山城の外堀巡りも今回でいよいよ最後のエリアとなる東側です。 前回は、市街中心部にも近い外堀南側を紹介しました。 www.yamatotsurezure.com 今回ご紹介する外堀の東側は、秋篠川の旧流路を利用したエリアで、現在一部が外堀緑地として公園化されています。 外堀緑地(高田町大門以南) 薬園八幡神社 外堀緑地(高田町大門以北) 宮本上池~高付上池 鍛冶町大門~葉本家住宅 郡山散策にオススメの駐車場 外堀緑地(高田町大門以南) 藺町通りに面した外堀緑地南門からスタートします。 郡山南小学校の北側に緑地公園が広がります。 すっかり地元の方々には、お馴染みの憩いの場…

  • 大和郡山城外堀を行く(3)外堀南側

    皆さんこんにちは。 大和郡山市街をぐるりと約5.5Kmにわたって取り囲む、外堀の遺構を巡る第3回です。 前回は外堀西側をご紹介しました。 www.yamatotsurezure.com 今回は、中心市街地にも近い南側のエリアを巡ります。 箕山裏池~高塚池 矢田筋裏池 八幡堀池~東岡町 大門~郡山八幡神社 洞泉寺裏池 箕山裏池~高塚池 大納言塚から東に抜け、引き続き箕山裏池になります。現在の田北病院南側にありました。 かつての堀端の南側が細い道路となっています。 田北病院の東側に、箕山裏池の東端を示す石碑があります。 田北病院に隣接する看護学校前の道が高塚池跡になります。 幅が21間(約37m)…

  • 僧兵~仁義なき戦い

    皆さんこんにちは。 僧兵と聞いて、どんなイメージを持たれるでしょう。 記事先頭の絵巻に描かれたように、五条袈裟を頭に巻いた、裏頭(かとう)と呼ばれる装束で、薙刀や槍で武装した僧侶の姿を思い浮かべる方が多いんじゃないでしょうか。 源義経に仕えたと伝承される武蔵坊弁慶など、まさにこのイメージですね。 平安時代末期には南都北嶺と呼ばれた奈良の興福寺と比叡山延暦寺の僧兵は、時に朝廷をも屈服させる武威を振るい、中世までは諸国の大寺院は必ずと言ってよいほど僧兵を抱えて、武士とともに主要な武装勢力といえました。 寺の意に沿わないことがあれば、武装して押しかけるというイメージが強いかと思いますが、どうして彼ら…

  • 大和郡山城外堀を行く(2)外堀西側

    皆さんこんにちは。 大和郡山城の外堀巡りの第2回です。 前回は、外堀の北側をご紹介しました。 www.yamatotsurezure.com 今回はお城の西側エリア、蛇ヶ池から大納言塚までをご紹介したいと思います。 ↓の地図の赤線で囲んだエリアになります。 こちらのエリア、実は堀の遺構はほとんど残っていません。 現在はほとんどが住宅地や道路と化しており、地形に残る痕跡をめぐることになります。 蛇ヶ池(大職冠池)近辺 大クスノキ~大職冠裏池 西矢田辻番所~箕山裏池跡 大納言塚 蛇ヶ池(大職冠池)近辺 尼ケ池から、郡山中学校の南側に回り込むと、蛇ヶ池尻の石碑に行き当たります。 目の前に広がるのは一…

  • 大和郡山城外堀を行く(1)外堀北側

    皆さんこんにちは。 色々ありまして、ちょっと気を病んでしまい、会社をしばらくお休みすることになりました。 病気は残念なんですが、図らずも時間は沢山出来たので、前からやりたいと思っていたことを、この機会に無理のない範囲でやれないかなと思ってます。 そこで、今回、常々チャレンジしたいと考えていた、地元大和郡山の郡山城外堀巡りを、実行することにしました。 郡山城の詳細については、過去記事をご覧いただければ幸いです。 ※当ブログの最初の記事は、実は郡山城の記事でした。 www.yamatotsurezure.com www.yamatotsurezure.com 郡山城は、1580(天正8)年に筒井順…

  • 運慶(2)~大仏師運慶

    皆さんこんにちは。 日本史上最も高名な仏師といえば、まず運慶の名が上がるでしょう。 日本仏像彫刻の一つの到達点とも評価され、「天才」の二つ名で語られることも多い運慶は、平安から鎌倉へと時代が移り、貴族に替わる新たな支配層、武士にその作風が愛され、時代の寵児として栄光の生涯を送ったとされてきました。 しかし、そのあまりに高すぎる評価ゆえに、実像が見えにくくなっている人物でもあります。 そんな運慶の実像を紹介する、今回は2回目です。 前回は、仏師の成り立ちと、運慶が属する奈良仏師の系譜、そして慶派の祖となる父、康慶と、運慶の登場までをご紹介しました。 www.yamatotsurezure.com…

  • 思ってたんと違う(3)源平合戦

    皆さんこんにちは。 さて、源氏と平氏といえば、源平合戦に代表されるように、一般にライバル関係にあった一族という見方をされる方も、少なくないんじゃないでしょうか。 年末の風物詩、紅白歌合戦の紅白も、源氏が白、平氏が紅い旗を使っていたことに由来しますし、私が子どもの頃は、夏に人気の昆虫、カブトムシは平氏、クワガタムシを源氏という呼び方があり、とかく並立つものの代名詞となってきた感があります。 また、武家政権は源氏と平氏で交代していくという源平交代思想という、トンデモ論も、未だに根強く語られるほど、両氏は武家のツートップとして認識されています。 やはり、平家物語で描かれた源平の争乱のイメージが、その…

  • 運慶(1)~慶派誕生

    皆さん、こんにちは。 運慶という仏師の名はご存知の方も多いでしょう。 同時代を生きたもう一人の著名な仏師快慶とともに、平安末期から鎌倉時代初頭にかけて、一世を風靡した仏師集団慶派の全盛を主導し、仏像表現に革命的な変化をもたらしたとされる人物です。 日本の伝統的な彫刻美術といえば、やはり仏像ということになりますね。 飛鳥時代から始まる日本の仏像彫刻。 運慶はその発展の到達点として位置づけられ、江戸、そして明治時代にその評価は飛躍的に高まりました。 そして日本の彫刻史上、最大の偉人として評価され、現在もほぼその評価は揺るがないものといえます。 一方で、そのあまりの名声ゆえに、実像からかけ離れた評価…

  • 黒滝村 森の交流館は松茸、大和牛を堪能できる秋もおすすめ!

    皆さんこんにちは。 毎年のように家族で訪れている、奈良県黒滝村の森の交流館に、先日2年ぶりに宿泊で訪れました。 www.yamatotsurezure.com 新型コロナウィルス感染症の流行で、なかなか旅行も行きづらいところで、去年は結局宿泊できなかったのですが、今年は満を持して行ってまいりました。 場所はこちらになります。 丹生川沿いにある宿泊施設で、夏休み中は、お宿のすぐ前を流れる丹生川での川遊びや河辺でのバーベキューが大人気で、中々予約が取れないお宿です。 子どもたちを連れて、家族で夏のレジャーを楽しめる場所なのですが、私のオススメは秋の味覚を堪能できる9~11月。 我が家(というか私と…

  • 奈良県の「ここだけ」の話、「一番」の話

    皆さんこんにちは。 奈良県といえば、古代ロマンあふれる史跡や趣のある古社寺、豊かな大自然といった豊富な観光資源を誇る、観光県というイメージが強いと思います。 また、大都市圏である京阪神地区へのアクセスの良さから、ベッドタウンというイメージを持たれる方も、関西を中心に多いんじゃないでしょうか。 今回はそんな奈良県の全国で「ここだけ」「一番○○」といった事例をご紹介していこうと思います。 やっぱりそうかというものだけでなく、意外なところもありますよ。 奈良県の基礎データ 観光・文化財の一番あれこれ 交通のあれこれ 金魚の出荷数日本一 その他いろいろ 奈良県の基礎データ まず奈良県の基礎データから。…

  • 思ってたんと違う。(2)廃仏毀釈

    皆さん、こんにちは。 突然ですが、廃仏毀釈ってご存知でしょうか。 仏教を排撃して、寺院を破壊したり、仏像、仏典を破棄したりすることを指しますが、1868(慶応4)年に布告された神仏分離令をきっかけに、明治初頭、神道国教化運動の中で仏教が排撃を受け、多くの寺院が破却され、仏像、仏具仏典が失われた事件、時勢、社会風潮がもっとも知られているかと思います。 一般的には、仏教が一方的に排撃され、神社の地位が上がり、大事にされるようになったと受け取られることが多いかと思いますが、実際は多くの神社も破却され、祭神が変更されるなど、廃された神々も多くあったことは、意外に知られていないんじゃないでしょうか。 明…

  • 奈良の人物~中世から現代

    皆さんこんにちは。 2021年7月9日で当ブログも2周年になりました。 中世以降の奈良の歴史や遺構、街並みなどを中心にご紹介してきましたが、奈良県域ゆかりの歴史上の人物を、有名人から一般的な知名度の低い人物までこれまで数多く、とりあげてきました。 そこで今回は、これまで取り上げてきた人物を、時代を追ってあらためてご紹介していきたいと思います。 中世の人物 戦国の人物 近現代の人々 中世の人物 桓武天皇の長岡京遷都により、平城京は廃され、中央としての機能を失いました。 しかし、奈良時代から大きな力を蓄えた大寺院は、長岡京、平安京への移転を許されなかったこともあって大和にとどまり、やがて巨大な荘園…

  • 思ってたんと違う。(1)中世武士の実像

    皆さんこんにちは。 実像とイメージがかけ離れていることって、世の中いろいろありますよね。 とくに、歴史上の人物だったり、事象であったり、遠い過去の話となると、その後作られた創作物などによってイメージが形作られ、実像を知ると「思ってたんと違う」といった印象を受けた、そんな経験された方も多いんじゃないでしょうか。 日本人にとって馴染みの深い武士も、時代によってさまざまな側面を持ち、その実像は一様でなく、時代劇などで形作られたイメージとはかけ離れているところも少なくありません。 今回は、そんな「思ってたんと違う」武士の実像をご紹介したいと思います。 恐ろしい中世武士 鎌倉殿と関東武士たち 撫民による…

  • 第60回お城まつり(大和郡山)に行ってきました

    皆さんこんにちは。 奈良県大和郡山市の一大イベントである「お城まつり」は、毎年3月下旬から4月初旬に、「日本さくら名所100選」にも選ばれている郡山城址で開催されています。 昨年は新型コロナウィルス感染症の流行で、残念ながら中止になってしまいましたが、今年は2年ぶりに開催されました。 今年は桜の開花が非常に早く、3/27(土曜)あたり満開だったかと思われますが、所用で訪問できず、3/28(日曜)はあいにく雨(泣) 3/29(月曜)、午後から休みが取れたので、郡山城を家族で訪れました。 鉄(くろがね)門前 内堀と追手門周辺 極楽橋 天守曲輪 鰻堀池、鷺池 鉄(くろがね)門前 鉄門前の土橋です。 …

  • 異端の天才、世阿弥はなぜ忘れられたのか(6)

    皆さんこんにちは。 能の大成者世阿弥は、その晩年から死後、20世紀初頭まで一般には忘れ去られた存在でした。 現在では史上最も有名な能楽師の一人である世阿弥はなぜ忘れられたのか、彼の人生から追っていくシリーズの今回6回目です。 www.yamatotsurezure.com 享年81歳で静かに世を去った世阿弥。 世間一般からは完全に忘れられた存在となりながらも、彼の能は次代の能楽師たちによって引き継がれていくことになります。 世阿弥没後の能 世阿弥はなぜ忘れられたのか 世阿弥の復活 世阿弥没後の能 世阿弥が世を去ったと考えられる1443(嘉吉3)年、その父観阿弥が旗揚げした観世座、太夫の地位にあ…

  • 異端の天才、世阿弥はなぜ忘れられたのか(5)

    皆さんこんにちは。 能の大成者世阿弥は、その晩年から死後、20世紀初頭まで一般には忘れ去られた存在でした。 現在では史上最も有名な能楽師の一人である世阿弥はなぜ忘れられたのか、彼の人生から追っていくシリーズの今回5回目です。 www.yamatotsurezure.com 足利義満死後、大きな庇護者を失った世阿弥は、大衆の支持も得られない中、大きな苦境に陥ります。 甥の元重、後の音阿弥が6代将軍足利義教の寵愛を受けて独自の地位を築くと、その苦境はますます深いものとなっていきました。 1429(永享元)年、室町御所多武峰様猿楽における長男で観世太夫の元雅、甥、音阿弥の共演から、世阿弥は次々と苦難…

  • 第10回大和な雛まつり(2021年)に行ってきました。

    皆さんこんにちは。 早いもので2021年も3月に入りました。 この時期、奈良県大和郡山市の風物詩といえば、郡山城で開催される盆梅展と、郡山町内一帯で開催される大和な雛まつりです。 昨年から新型コロナウィルスによる感染症の拡大で、いろいろなイベントが中止されたり規模縮小されておりますが、今年も開催され、最終日の1日前、3/6に町内を訪れました。 メイン会場ともいえる町屋物語館や箱本館「紺屋」だけでなく、町内の商店や寺社でも雛飾りが展示されています。 昨年は町屋物語館の展示だけをご紹介しましたが、今回はその他の会場も含めてご紹介します。 アスモ大和郡山店 箱本館「紺屋」 町屋物語館 源九郎稲荷神社…

  • 異端の天才、世阿弥はなぜ忘れられたのか(4)

    皆さんこんにちは。 能の大成者世阿弥は、その晩年から死後、20世紀初頭まで一般には忘れ去られた存在でした。 現在では史上最も有名な能楽師の一人である世阿弥はなぜ忘れられたのか、彼の人生から追っていくシリーズの今回4回目です。 www.yamatotsurezure.com 高い芸術性を追い求めるうちに、大衆性を失っていった世阿弥の能は、一般大衆の支持を失い、都市部での人気を他の猿楽一座や田楽一座に奪われていきます。 また貴人層でも、義満没後、その後継者義持の贔屓が田楽の増阿弥に移り、世阿弥は興行的には大きな苦境に陥りました。 そして、彼の人生最大の苦境をもたらす人物が、意外なことに身内から出現…

  • 異端の天才、世阿弥はなぜ忘れられたのか(3)

    皆さんこんにちは。 能の大成者世阿弥は、その晩年から死後、20世紀初頭まで一般には忘れ去られた存在でした。 現在では史上最も有名な能楽師の一人である世阿弥はなぜ忘れられたのか、彼の人生から追っていくシリーズの今回3回目です。 www.yamatotsurezure.com 22歳で偉大な父であり師でもあった観阿弥を失った世阿弥は、時の最高権力者である足利義満の後援もあって30代で再び京都への再進出を果たします。 しかし、最大の後援者であった義満は、権力の絶頂期にあった1408(応永15)年に急死。 世阿弥46歳の時でした。 観世座の後退 世阿弥の目指した能とは 観世座の後退 義満死後、後援者を…

  • 異端の天才、世阿弥はなぜ忘れられたのか(2)

    皆さんこんにちは。 能の大成者として知られる世阿弥。 今や、史上もっとも有名な能楽師の一人である世阿弥が、広く一般に名が知れ渡るようになったのはここ100年余りのことです。 不世出の天才能楽師であった世阿弥は、その死後長らく人々から忘れ去られた存在でした。 なぜ、世阿弥は忘れられたのか、彼の人生から探っていくシリーズの、今回は2回目です。 www.yamatotsurezure.com 猿楽の歌舞音曲に革新をもたらした観阿弥。 大和国結崎を拠点として活躍していた観阿弥の評判は京都にも伝わり、ついに時の最高権力者である足利義満のお気に入りとなって、その後援を受けることに成功します。 猿楽能の第一…

  • 異端の天才、世阿弥はなぜ忘れられたのか(1)

    皆さんこんにちは。 日本を代表する芸能に能があります。 同じ能楽でも、世俗の人々の日常をユーモアを交えて演じる狂言に比べると、幽霊や神といった超自然的な存在を題材として、舞踊が中心となることの多い能は、いささかとっつきにくいという人も多いかもしれませんね。 能といえば、所作や台詞、物語の構成など、全体的に幽玄美を漂わせつつ、内容も非常に抒情的ないわゆる夢幻能が、今日一般的な能のイメージとして定着しているといえるでしょう。 この夢幻能を大成させたのが、世界初の演劇論「風姿花伝」を著した世阿弥です。 能楽に詳しくない人でも、歴史の教科書でもおなじみの世阿弥の名は、聞き知っている方も多いと思います。…

  • キリスト教伝道者となった真珠湾攻撃総隊長、淵田美津雄(9)

    皆さんこんにちは。 真珠湾攻撃の空中攻撃隊総隊長を務め、戦後キリスト教への信仰に目覚めて伝道の道に入った淵田美津雄の数奇な生涯をご紹介して、今回9回目。最終回となります。 www.yamatotsurezure.com 敗戦で軍人として職を失い、東京裁判では勝者による一方的な裁きに強い反感を抱いた淵田は、復讐心からアメリカによる捕虜虐待の証言集めを始めます。 しかし、帰国した日本人捕虜たちの話を聞く中で、両親を日本兵に理不尽な理由で殺害されながら、キリスト教への信仰心から恩讐を越え、日本兵捕虜に献身的な奉仕をおこなったアメリカ人女性の話に接して、淵田は深い感動を覚えて、意趣返しじみた自らの証言…

  • 筒井順慶とは何者か

    皆さんこんにちは。 2020年大河ドラマ「麒麟がくる」にいよいよ筒井順慶が登場しました。 戦国時代に関心がある方なら、名前くらいは聞いたことがある、という人も多いかもしれないですが、ドラマや小説などに取り上げられることも少なく、一般的な知名度は正直低いかもしれません。 「元の木阿弥」「洞が峠を決め込む」といったワードを連想する人も多いかもしれないですね。 戦国の大事件、本能寺の変とその後の天下の動向に、深く関わった人物にもかかわらず、今までは大河ドラマでも、ほとんど無視され続けたと言ってよいかと思います。 従来の戦国ドラマは、三英傑を生み、江戸時代のほとんどの殿様たちのご先祖になる、東海地方出…

  • 奈良から名古屋へ新幹線通勤している件(4)ナゴヤで食べるご当地ラーメンいろいろ

    皆さんこんにちは。 奈良から名古屋に通い始めて、はやくも半年あまり経ちました。 残業が多いこともあって、毎日晩御飯はコンビニのパンばかりが続いていましたが、さすがに半年も続けるとうんざりです。 たまには温かいものを食べて帰りたい! という訳で、名古屋駅構内にある、名古屋・驛麺通りに、週末を中心に通うようになってます。 驛麺通りは、名古屋駅で全国のご当地ラーメンが楽しめる場所で、「平日、さっと晩御飯を食べて帰りたい!」という私みたいな人にはうってつけです。 驛麺通りの場所はこちら。 名古屋駅中央コンコースの南側にあります。 新幹線の改札が近いので、私のような通勤客や、出張帰りの方には利用しやすい…

  • キリスト教伝道者となった真珠湾攻撃総隊長、淵田美津雄(8)

    皆さんこんにちは。 日米開戦の火蓋を切った真珠湾攻撃。 その空中攻撃隊総隊長、淵田美津雄をご紹介して今回8回目です。 www.yamatotsurezure.com 敗戦とともに公職追放となって、故郷奈良に帰った淵田。 恩給も止められ経済的には困窮しつつも、家族とともに耕作や自宅の建設と穏やかな日々を過ごします。 しかし、1946(昭和21)年5月から始まる極東国際軍事裁判、いわゆる東京裁判に淵田も否応なく巻き込まれることになります。 東京裁判 丸の内裁判 マーガレット・コヴェル 東京裁判 東京裁判が始まると、淵田も証人として、何度も東京丸の内の郵船ビルにあった占領軍法務部に召喚され、取り調べ…

  • 法起寺のコスモス

    皆さんこんにちは。 秋も深まり、朝晩も冷え込んできました。 この時期の代表的な花に、コスモスがありますが、私の自宅のご近所にある斑鳩町の世界遺産、法起寺周辺は、近年すっかりコスモスの名所になってきているようですね。 私にとっては2015年に12年ぶりに東京から地元に戻ってきて、妻の実家がある平群に大和郡山から向かう道中、法起寺の周りに広がる一面のコスモスを見て、こんなきれいな場所だったかなと、奈良のすばらしさを最初に再発見した場所になります。 以来、毎年ハイキングがてら訪れている場所で、今年も先日行って参りました。 ちょうど見頃を迎えてましたので、今日は法起寺のコスモスをご紹介したいと思います…

  • 奈良から名古屋へ新幹線通勤している件(3)コロナ禍のナゴヤでプロ野球観戦

    皆さんこんにちは。 今年は名古屋に職場が移り、コロナ禍もあって、プロ野球の観戦はほとんど諦めてました。 特に贔屓のタイガースは、通常でも週末は甲子園のチケット取るのが大変なのに、今年は入場制限でさらに入手が困難な状況に、、 10月に入り、既に今シーズンの趨勢が決まった感もありますが、なんとか野球を見に行けないか、と思っていたところ、どうやら平日のナゴヤドームは、それほど混雑しないことがわかりました。 今年最後のナゴヤドームの三連戦。 これは都合をつけて行くしかない!と、三連戦の最終日、翌日も仕事であることも度外視して、木曜のゲームを見に行くことにしました! 名古屋駅からナゴヤドームへ ナゴヤド…

  • キリスト教伝道者となった真珠湾攻撃総隊長、淵田美津雄(7)

    皆さんこんにちは。 真珠湾攻撃総隊長として、日米開戦の火蓋を切り、戦後キリスト教伝道者となった淵田美津雄をご紹介して今回7回目になります。 www.yamatotsurezure.com 1945(昭和20)年8月5日、連合艦隊航空主席参謀であった淵田は、出張で広島を訪れ、当日一泊する予定だったところを、急用で奈良に向かうことになり、翌日広島を襲った原子爆弾の惨禍を免れることになります。 広島、長崎と相次いで投下された原爆の調査を終えて、日吉台の海軍総隊司令部に戻った11日の夜、淵田は上官から日本がポツダム宣言を受諾して降伏することに決したことを聞かされました。 無条件降伏 降伏文書調印式 帰…

  • 歴史上の人物に見る「逃げ恥」

    皆さんこんにちは。 「逃げるは恥だが役に立つ」といえば、2016年にTBS系でドラマ化され、主題歌も大ヒットした漫画のタイトルですね。 もとはハンガリーのことわざで、恥ずかしい逃げ方だとしても、生き抜くことが大切であることを意味します。 「逃げる」というと、とかくマイナスイメージが付きまといますが、歴史上成功した人物も、その大業を果たすまでにこっぴどい逃亡劇を演じた人も少なくありません。 源頼朝 足利尊氏 織田信長 筒井順慶 源頼朝 関東の武士をまとめ上げ、鎌倉に武家政権を打ち立てた源頼朝ですが、その人生には2度の絶体絶命の危機がありました。 最初の危機は、平治の乱です。 13歳の頼朝にとって…

  • キリスト教伝道者となった真珠湾攻撃総隊長、淵田美津雄(6)

    皆さんこんにちは。 真珠湾攻撃の現場総指揮官、淵田美津雄を紹介している当記事も、今回6回目です。 1942(昭和17)年6月、日本はミッドウェー海戦で主力空母4隻と多数の航空機を失って大敗します。 www.yamatotsurezure.com 第一航空艦隊旗艦、赤城の飛行隊長であった淵田は、戦いの直前に盲腸を患い緊急手術したため、赤城の艦上で出撃することなく戦いの当日を迎えました。 アメリカの爆撃を受け、大火災を起こした赤城から、両足骨折の大けがを負ったものの生還した淵田でしたが、前線からは離れることになります。 い号作戦・消耗する日本 捷一号作戦・連合艦隊の壊滅 原爆の惨禍を目にして い号…

  • みんな大好き「陰謀論」。黒幕は存在するのか。

    皆さんこんにちは。 今回は巷にあふれる「陰謀論」について取り上げてみたいと思います。 個人的にはいろいろと想像を膨らませてくれることもあり、歴史的事件の陰謀論の類は大好物です。 とはいえ、扱いを誤ると、危険なものにもなりかねないものなので、注意も必要ですね。 世の中は「陰謀」であふれている 本能寺の変に黒幕は存在するか 関ヶ原西軍蜂起は家康の陰謀か 真珠湾攻撃をアメリカは知っていたか 陰謀論との付き合い方 世の中は「陰謀」であふれている さて、世の中には様々な陰謀論が存在してます。 歴史的事件でも、「あの事件は、実は裏で糸を引いていた者がいる」といった黒幕説をともなう陰謀論が数多くあります。 …

  • キリスト教伝道者となった真珠湾攻撃総隊長、淵田美津雄(5)

    皆さんこんにちは。 真珠湾攻撃の空中攻撃隊総隊長、淵田美津雄をご紹介して今回5回目です。 www.yamatotsurezure.com 真珠湾攻撃から始まった太平洋戦争の序盤戦、日本は瞬く間に南太平洋を席捲し、アメリカ、イギリスを圧倒しました。 敗戦続きのアメリカは、空母による東京空襲を計画し、後にドーリットル空襲と呼ばれる日本本土への攻撃を成功させます。 この空襲による軍事的な戦果はほとんどなかったものの、東京を空襲された事実に衝撃を受けた日本海軍首脳は、ミッドウェー作戦を計画、そして実行に移していくことになります。 MI作戦 ミッドウェー海戦 MI作戦 ドーリットル空襲で初めて本土空襲を…

  • 天下人を支えたナンバー2。大和大納言、豊臣秀長

    皆さんこんにちは。 成功する組織には優れたリーダーはもちろんですが、優秀な補佐役となるナンバー2がいるものです。 織田信長の覇業を継承して、天下人となった豊臣秀吉。 下層階級の出身から武士となったと考えられる秀吉が、第一の家臣として、終生最も信頼したのが、実弟である豊臣秀長でした。 劇的な数多くのエピソードで彩られた秀吉に比べると、秀長は存在感があまりありません。 秀吉の生涯を描いた小説、ドラマ等は数多くありますが、秀長が存在感を持って描かれたのは、堺屋太一の小説「豊臣秀長」を原作の一つとした1996年の大河ドラマ「秀吉」と、古田織部を主人公とした漫画「へうげもの」くらいしか、私の頭には浮かん…

  • キリスト教伝道者となった真珠湾攻撃総隊長、淵田美津雄(4)

    皆さんこんにちは。 真珠湾攻撃の現場総指揮官、淵田美津雄をご紹介して今回4回目です。 徹底した隠密行動で真珠湾奇襲を成功させた、日本海軍の第一航空艦隊は、アメリカ太平洋艦隊の主力戦艦の多くを撃沈、大破させ、所期の作戦目的を達成しました。 www.yamatotsurezure.com ハワイ沖から日本に帰国した淵田達を待っていたのは、思いがけない歓迎でした。 拝謁と偽りの大本営発表 南方作戦 ドーリットル空襲 拝謁と偽りの大本営発表 1941(昭和16)年12月23日、真珠湾攻撃を成功させた南雲忠一中将率いる機動艦隊は、無事内地に帰還を果たしました。 艦隊が豊後水道に差し掛かったところで、各空…

  • 明智光秀と奈良

    皆さんこんにちは。 2020年大河ドラマ「麒麟がくる」の主人公として、脚光を浴びている明智光秀。 彼のゆかりの地といえば、領地のあった近江坂本や、丹波亀山、福知山が有名でしょうか。 奈良県域の話題や歴史的な出来事をご紹介する当ブログとは一見無縁の人物ですが、織田信長の配下として、畿内の多くの武将を与力として従えていた光秀。 畿内にあって、細川藤孝と並ぶ有力な光秀の与力が、大和の筒井順慶だったこともあり、信長が関係した大和での出来事にいろいろと顔をのぞかせています。 それほど多くはありませんが、光秀が大和に残した足跡をたどってみたいと思います。 意外と奈良は、同時代の一次史料に乏しい光秀の実像を…

  • キリスト教伝道者となった真珠湾攻撃総隊長、淵田美津雄(3)

    皆さんこんにちは。 真珠湾攻撃隊の総隊長、淵田美津雄をご紹介しています。 日中戦争が泥沼化する中、中国、東南アジアへの日本軍の進出をめぐり、日米は一触即発の緊張関係となっていました。 www.yamatotsurezure.com 1941(昭和16)年11月26日、給油艦6隻を含め30隻を超える大艦隊が択捉島単冠(ひとかっぷ)湾を出航。 一路真珠湾を目指します。 トラ・トラ・トラ 真珠湾攻撃 帰還 トラ・トラ・トラ 現地時間の12月5日、極秘裏に択捉島を発した第一航空艦隊は、アメリカの哨戒網や民間商船に発見されることなく、ハワイの北700浬に到達しました。 この時点で、ハワイに配備された米軍…

  • キリスト教伝道者となった真珠湾攻撃総隊長、淵田美津雄(2)

    皆さんこんにちは。 真珠湾攻撃隊の総指揮官を務めた淵田美津雄の半生をご紹介する、今回2回目となります。 前回はその出生から海軍士官となり、飛行将校として歩みだした淵田をご紹介しました。 www.yamatotsurezure.com 1922年のワシントン海軍軍縮条約以来の軍縮の時代は、1934年に日本が軍縮条約の破棄を通告し、2年後に無条約時代を迎えるに至って終焉を迎えます。 世界は再び軍拡の時代を迎え、日本海軍は大和、武蔵の建造を核とする通称③計画を発動させました。 日中戦争の泥沼化と日独伊三国同盟締結によって急速に日米関係が悪化する中、海軍大学校を卒業した淵田は、転任した空母赤城が所属す…

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