南北朝争乱期に勃興した十市氏は、約250年間、奈良盆地南東部の中心的国人として活躍し、大和では筒井、越智、箸尾と並ぶ有力な国人でした。 その勃興期から16世紀中頃に稀代の名将・遠忠が当主の時代に最盛期を迎え、次代・遠勝以降は筒井氏の圧迫や松永久秀の大和侵攻を受け、大和における戦国末期の混乱に翻弄されて歴史の表舞台から姿を消すまでを詳しく紹介します。
奈良県を中心とした街歩きやおすすめスイーツ、歴史の話題を書いてます。 城跡や城下町、古民家、遊郭、神社仏閣などの古跡に興味がある方は一度ご覧ください。 あと、奈良県(大和国)を中心にした歴史上の人物のご紹介もしていきます。
江戸の町割りと風情を残す穴場の散策スポット、御所まち。商家が並ぶ西御所の町
皆さんこんにちは。 奈良県下には古い町屋の町並みを残した、散策スポットがたくさんあります。 今回ご紹介する、奈良県御所市の中心街区、御所まちも、町屋が並び散策におすすめの町になります。 今井町や五條新町のような伝統的建造物群保存地区ではありませんが、江戸時代以前の町割りが完全に残り、江戸から昭和にかけての古い町屋が軒を連ねる、ノスタルジー溢れる町です。 御所まちとは アクセス(ごせまちセンター) 下街道(高野街道) 魚の棚界隈 本町界隈 葛城川沿い 御所まちとは 御所まちは、御所市役所の周辺、葛城川を挟んで西御所、東御所という二つの町から成るエリアです。 国土地理院HP地図から作成 ともに16…
皆さんこんにちは。 今回は松永久秀の居城として知られる、信貴山城をご紹介します。 信貴山城とは 本丸 本丸~立入屋敷 段状曲輪群~松永屋敷 松永屋敷から東側の曲輪群 大谷池 松永久秀の供養塔 信貴山城跡の動画リンク 信貴山城とは 場所はこちら。奈良県と大阪府の境、奈良県平群町にあります。 こちらが縄張り図。 雄嶽山頂部を本丸とし、その規模は南北880m、東西600mにわたり、大小の曲輪群を備えた、奈良県下屈指の巨大城郭になります。 城域は古代山城の高安城(たかやすのき)に含まれますが、この地に本格的な城郭が築かれたのは、1536(天文5)年頃、木沢長政によるものでした。 長政は、細川晴元の被官…
皆さんこんにちは。 鎌倉時代、それまでの南都六宗、天台宗、真言宗といった、国家から保護された旧来の仏教宗派から、新興の武士や一般庶民に広くその教えを広めていく、いわゆる鎌倉仏教の宗派がたくさん生まれました。 浄土宗の法然、その弟子で浄土真宗の親鸞、時宗の一遍、日蓮宗の日蓮、臨済宗の栄西、曹洞宗の道元らが、いわゆる鎌倉新仏教の開祖として非常に有名ですね。 鎌倉時代、それまで、仏教による救いの外に置かれていた人々にまで、教えを広めていった僧侶たちがたくさん現れました。 その中に叡尊という人物がいます。 興正菩薩(叡尊)像 ところで、叡尊の名は聞かれたことがあるでしょうか。 日本史の教科書で、その弟…
皆さんこんにちは。 今回は、アジサイの名所矢田寺で、コロナ禍で去年、一昨年と中止されていたアジサイ園が、3年ぶりに復活しましたので、その様子をご紹介します! ※矢田寺の詳細については、過去記事で紹介しておりますので、こちらも併せてご一読いただければと思います。 www.yamatotsurezure.com 平日午前中に訪れましたが、たくさんの参拝客の皆さんが、アジサイを楽しんでおられました。 境内 アジサイ園 アクセス・拝観料等 境内 境内に入ると、そこかしこに咲く、色とりどりのアジサイが出迎えてくれます。 矢田寺のアジサイは、1965(昭和40)年頃から境内に植え始められました。 今でこそ…
日本最古の国道交差点の町、八木の町。中街道を八木札の辻、畝傍駅、おふさ観音までめぐる。
皆さんこんにちは 奈良県内で、江戸時代以前の古い町並みを残す場所といえば、あまりにも有名なのが橿原市の今井町ですが、同じ橿原市内に、今井町と並ぶ古い町屋の集中地区があることを、ご存知ですか。 その町は、橿原市の中心鉄道駅、近鉄大和八木駅の東側にある八木地区です。 交通アクセスも良く、散策にもおすすめの場所になります。 八木町とは 北八木町 八木札ノ辻交流館 センタイバ(接待場) 八木町(伊勢街道より南) 畝傍駅以南 八木町とは 八木の場所はこちら。北八木町、八木町、南八木町にまたがるエリアになります 八木は、古代の官道で奈良盆地を東西に貫く横大路と、南北に貫く下ツ道の交差点を中心に発展した町に…
皆さんこんにちは。 百万巻の写経勧進による白鳳伽藍復興という空前の事業を興した、薬師寺管長高田好胤とはどのような人物だったのか。 景観問題を乗り越え、1981(昭和56)年4月1日、ついに西塔は再建されました。 www.yamatotsurezure.com 西塔落慶法要の挨拶で、好胤が西塔再建を提言した棟梁西岡常一を壇上にあげ、写経した人々への挨拶を促すと、西岡は持ち前の諧謔で、好胤へ白鳳伽藍のさらなる復興を促します。 「私が西塔の仕事をさせてもらっていましたら、スズメが飛んできて『ちゅうもん(中門)、ちゅうもん』と鳴きました。また、カラスが『かいろう(回廊)、かいろう』、ハトは『コードー(…
皆さんこんにちは。 今回は王寺町の観光プロモーション動画でも有名になった、雪丸ゆかりのお寺、達磨寺をご紹介します。 こちらが話題になった空飛ぶ雪丸の動画。今見てもかわいいです。 www.youtube.com 達磨寺はコンパクトな境内に、見所がギュッと詰まったお寺です。 達磨寺とは 達磨寺境内 達磨寺とは 奈良県王寺町にある片岡山達磨寺は臨済宗南禅寺派の寺院です。 場所はこちら。JR王寺駅の南口から1kmほどの場所にあります。 創建年は不明ですが、寺伝によると、日本書紀にも記載されている片岡山飢人伝説に由来するとされています。 日本書紀によると、推古天皇21(613)年、聖徳太子(厩戸王)が片…
皆さんこんにちは。 百万巻の写経勧進による白鳳伽藍復興という空前の事業を興した、薬師寺管長高田好胤とはどのような人物だったのか。 金堂落慶のあと、景観破壊との批判を乗り越え、西塔再建を開始した薬師寺。 www.yamatotsurezure.com 白鳳伽藍復興に向けて、意気上がる薬師寺にあって、気がかりは好胤の師である前管長橋本凝胤の病状でした。 凝胤遷化 米朝と掛け軸、真宗寺院で般若心経 東西両塔相並ぶ 凝胤遷化 1975(昭和50)年から、凝胤は持病の糖尿病と高血圧が悪化し、入退院を繰り返していました。 金堂落慶法要の際は、本人の意向で人目の立たない場所から、その様子を見守っていたと言い…
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南北朝争乱期に勃興した十市氏は、約250年間、奈良盆地南東部の中心的国人として活躍し、大和では筒井、越智、箸尾と並ぶ有力な国人でした。 その勃興期から16世紀中頃に稀代の名将・遠忠が当主の時代に最盛期を迎え、次代・遠勝以降は筒井氏の圧迫や松永久秀の大和侵攻を受け、大和における戦国末期の混乱に翻弄されて歴史の表舞台から姿を消すまでを詳しく紹介します。
当ブログでは鎌倉時代から江戸時代までの大和武士たちの活躍や動向を、当時の畿内史と関連付けながら21回にわたって「大和武士の興亡」として奈良の戦国史を詳しく紹介しました。 今回は奈良の戦国史について切り口を変え、戦国の大和で活躍した大和武士の一族たちに焦点を当てて、ご紹介していきます。 最初にご紹介する大和武士の一族は、戦国末期に大和国の覇権を握って近世大名へと躍進することになる筒井氏です。 筒井氏の出自 筒井氏歴代 順覚(南北朝~室町初期) 成身院光宣と順弘、順永(河上五ヶ関を巡る抗争と応仁の乱) 順尊、順賢(筒井氏の没落と大和復帰) 順興(筒井氏の戦国大名化) 順昭(大和を武力統一した最初の…
奈良県高取町の貝吹山城は、戦国時代に南和で大きな勢力を誇った越智氏の築いた中世山城です。 城域には古墳時代最末期の古墳群があり近世以降は里山として利用され、古代から現在まで連続した土地利用の過程が残る、貴重な遺構です。
現在の奈良県高取町を中心に活躍した越智氏は大和の中世を語る上で外せない国人です。 その本拠。越智谷には今も越智氏ゆかりの旧跡が残っています。 かつての居館跡や菩提寺を巡り、戦国末期に滅亡した越智氏の足跡をたどります。
奈良市南郊の窪之庄城は戦国時代は筒井順慶と松永久秀の抗争で最前線となった城郭。 中世国人館城の土塁と堀が良好に残る貴重な城跡です。
奈良市のJR帯解駅周辺には、帯解寺、龍象寺と安産祈願で信仰を集める帯解地蔵尊が二つあり、円満寺には奈良県内では5つしか残されていない貴重な和算の算額を見ることができます。 中世の街村をベースに近世に発展した帯解の注目スポットをご紹介します。
奈良市の今市城は奈良の戦国史を語る上で外せない重要な城郭。 城域は現在住宅地となっていますが各所に堀跡など城郭の痕跡が残っています。 今市城の歴史と現在の様子を紹介します。
奈良県天理市の竹之内環濠集落は県内の環濠集落で最も高所にあり環濠越しの眺望がすばらしいスポットです。 戦国時代は城郭としても使用され、大和戦国史のターニングポイントとなる戦いもありました。 見所を含めて詳しくご紹介します。
奈良県天理市の萱生環濠集落は県下でも有数の古墳密集地帯にある環濠集落で、古墳の周濠を濠としたり墳丘を集落中央の神社とするなど集落防衛に地域の特性を大きく活用して独特の環濠風景を持つ集落です。
奈良県生駒市上町の長弓寺は中世建築の傑作と評される国宝本堂で知る人ぞ知る名刹。 失われた三重塔の数奇な運命やかつての鎮守社にまつわる古代史ロマンを紹介します。
奈良県生駒市高山町の高山八幡宮は重要文化財の本殿があり、かつての農民層による平座と茶筌師による無足人座という2つの宮座が併存する珍しい神社。 平座の後に発足した無足人座の歴史からは高山茶筌興隆の歴史が見えてきます。
大和国人ながら最盛期には南山城や河内、摂津にも影響力を持ち、畿内の戦国史に大きな足跡を残した鷹山氏と、鷹山氏が拠点とした現在生駒市北部の中世城郭・高山城を詳しく紹介する記事です。
奈良県天理市の古社・大和神社は境外の関連スポットも歴史のロマンと謎が詰まったエリアです。 毎年4月1日に行われる御渡り神事(ちゃんちゃん祭り)の御旅所を中心に紹介します。
天理市の大和神社は記紀神話の時代から近代にいたるまで、多くの所縁や逸話をもつ魅力的な神社です。 参拝したときに、より深く神社を味わっていただける由緒や歴史を詳しくご紹介します。
平安時代から続く山の辺の道の古刹・長岳寺の紹介記事です。 長岳寺は平安・鎌倉時代から残る貴重な建築や仏像といった文化財だけでなく、血天井伝説や名刀伝説といった歴史ロマンあふれる伝承が残る名刹です。
奈良県生駒市有里町の文殊山にある竹林寺は行基と忍性という民衆教化と救済の先駆的活躍をした二人の高僧の墓があります。 鎌倉時代に復興されたものの室町、江戸と衰え明治には一時廃寺となりましたが、1997年に再建されました。
新興住宅地として戦後急速に発展したイメージが強い奈良県生駒市ですが、創建から1300年以上の歴史を持つ古社・往馬大社が鎮座しています。 生駒の町の歴史的背景の土台となる往馬大社とこの社を氏神としてきた中世以来の生駒谷十七郷の歴史について紹介します。
大坂夏の陣が終わった後、江戸時代に大和で大名、旗本として残った旧大和国人は柳生氏と中坊氏だけでした。 江戸時代、新たな領主として大和に入った大名や天領の支配、そして大和を去った国人たちのその後を紹介します。
筒井氏の伊賀転封によって大和国は中世以来の国人支配が解体され、近世武家政権による支配が始まります。 関ヶ原の戦い、大坂夏の陣と戦国の最末期に起きた大戦で、大和国人たちはどのような活躍を見せたのかを紹介します。
筒井順慶が織田信長、豊臣秀吉に臣従することで大和では興福寺を中心とした中世的支配が崩壊し、近世武家政権による支配が確立する。 順慶死後、筒井氏は伊賀に転封され大和には豊臣秀長が入り豊臣政権による大和直轄化が進行して中世以来の大和国人たちは歴史の渦の中に飲み込まれていくことになる。
当ブログでは鎌倉時代から江戸時代までの大和武士たちの活躍や動向を、当時の畿内史と関連付けながら21回にわたって「大和武士の興亡」として奈良の戦国史を詳しく紹介しました。 今回は奈良の戦国史について切り口を変え、戦国の大和で活躍した大和武士の一族たちに焦点を当てて、ご紹介していきます。 最初にご紹介する大和武士の一族は、戦国末期に大和国の覇権を握って近世大名へと躍進することになる筒井氏です。 筒井氏の出自 筒井氏歴代 順覚(南北朝~室町初期) 成身院光宣と順弘、順永(河上五ヶ関を巡る抗争と応仁の乱) 順尊、順賢(筒井氏の没落と大和復帰) 順興(筒井氏の戦国大名化) 順昭(大和を武力統一した最初の…
奈良県高取町の貝吹山城は、戦国時代に南和で大きな勢力を誇った越智氏の築いた中世山城です。 城域には古墳時代最末期の古墳群があり近世以降は里山として利用され、古代から現在まで連続した土地利用の過程が残る、貴重な遺構です。
現在の奈良県高取町を中心に活躍した越智氏は大和の中世を語る上で外せない国人です。 その本拠。越智谷には今も越智氏ゆかりの旧跡が残っています。 かつての居館跡や菩提寺を巡り、戦国末期に滅亡した越智氏の足跡をたどります。
奈良市南郊の窪之庄城は戦国時代は筒井順慶と松永久秀の抗争で最前線となった城郭。 中世国人館城の土塁と堀が良好に残る貴重な城跡です。
奈良市のJR帯解駅周辺には、帯解寺、龍象寺と安産祈願で信仰を集める帯解地蔵尊が二つあり、円満寺には奈良県内では5つしか残されていない貴重な和算の算額を見ることができます。 中世の街村をベースに近世に発展した帯解の注目スポットをご紹介します。
奈良市の今市城は奈良の戦国史を語る上で外せない重要な城郭。 城域は現在住宅地となっていますが各所に堀跡など城郭の痕跡が残っています。 今市城の歴史と現在の様子を紹介します。
奈良県天理市の竹之内環濠集落は県内の環濠集落で最も高所にあり環濠越しの眺望がすばらしいスポットです。 戦国時代は城郭としても使用され、大和戦国史のターニングポイントとなる戦いもありました。 見所を含めて詳しくご紹介します。
奈良県天理市の萱生環濠集落は県下でも有数の古墳密集地帯にある環濠集落で、古墳の周濠を濠としたり墳丘を集落中央の神社とするなど集落防衛に地域の特性を大きく活用して独特の環濠風景を持つ集落です。
奈良県生駒市上町の長弓寺は中世建築の傑作と評される国宝本堂で知る人ぞ知る名刹。 失われた三重塔の数奇な運命やかつての鎮守社にまつわる古代史ロマンを紹介します。
奈良県生駒市高山町の高山八幡宮は重要文化財の本殿があり、かつての農民層による平座と茶筌師による無足人座という2つの宮座が併存する珍しい神社。 平座の後に発足した無足人座の歴史からは高山茶筌興隆の歴史が見えてきます。
大和国人ながら最盛期には南山城や河内、摂津にも影響力を持ち、畿内の戦国史に大きな足跡を残した鷹山氏と、鷹山氏が拠点とした現在生駒市北部の中世城郭・高山城を詳しく紹介する記事です。
奈良県天理市の古社・大和神社は境外の関連スポットも歴史のロマンと謎が詰まったエリアです。 毎年4月1日に行われる御渡り神事(ちゃんちゃん祭り)の御旅所を中心に紹介します。
天理市の大和神社は記紀神話の時代から近代にいたるまで、多くの所縁や逸話をもつ魅力的な神社です。 参拝したときに、より深く神社を味わっていただける由緒や歴史を詳しくご紹介します。
平安時代から続く山の辺の道の古刹・長岳寺の紹介記事です。 長岳寺は平安・鎌倉時代から残る貴重な建築や仏像といった文化財だけでなく、血天井伝説や名刀伝説といった歴史ロマンあふれる伝承が残る名刹です。
奈良県生駒市有里町の文殊山にある竹林寺は行基と忍性という民衆教化と救済の先駆的活躍をした二人の高僧の墓があります。 鎌倉時代に復興されたものの室町、江戸と衰え明治には一時廃寺となりましたが、1997年に再建されました。
新興住宅地として戦後急速に発展したイメージが強い奈良県生駒市ですが、創建から1300年以上の歴史を持つ古社・往馬大社が鎮座しています。 生駒の町の歴史的背景の土台となる往馬大社とこの社を氏神としてきた中世以来の生駒谷十七郷の歴史について紹介します。
大坂夏の陣が終わった後、江戸時代に大和で大名、旗本として残った旧大和国人は柳生氏と中坊氏だけでした。 江戸時代、新たな領主として大和に入った大名や天領の支配、そして大和を去った国人たちのその後を紹介します。
筒井氏の伊賀転封によって大和国は中世以来の国人支配が解体され、近世武家政権による支配が始まります。 関ヶ原の戦い、大坂夏の陣と戦国の最末期に起きた大戦で、大和国人たちはどのような活躍を見せたのかを紹介します。