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どうなってんの? マントル細胞リンパ腫闘病記 https://www.aboba.net/

脾臓摘出・生検の結果、判明した病型は標準治療も定まっていないマントル細胞リンパ腫(MCL)だった…。MCLと闘う50代オバさんの記録。

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2019/06/24

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  • 春のベランダにて

    長かった冬もそろそろ終わり。球根からつぼみが顔を出し、ハーブが花芽をつけて春一歩前の気配が漂う。ベランダに出て剪定ばさみを手に植物の手入れをしていて、ふとこんなことを考えた。 命にかかわる病気を経験するのは「摘心(てきしん)」に似ているな、と。園芸に親しむ人ならご存知と思うが、摘心は茎の先端(成長点)を摘んで、枝分かれを促す行為だ。結果、枝数が増えてこんもりと茂った株になり、花も実も収穫が増える。しかし、摘心するのは勇気がいる。必要なことだとわかっていても、今日芽が出るか明日出るかと見守ってきた苗の先端を自ら切り取ってしまうのだから。それでも意を決してエイヤッと摘み取る。 あのまままっすぐ、自…

  • 3. 大腸内視鏡検査

    家に帰ったわたしは、日経メディカルの記事と、JCOG(ジェイコグ)(日本臨床腫瘍研究グループ) のサイトからJCOG0406の実施計画書をプリントアウトした。これには大まかなレジメン(薬剤の種類や量・期間・手順など)も載っており、自分がどんな治療を受けるのか把握することができた。この二つのプリントは入院中ずっとわたしのお守り代わりになった。 それにしても、なぜ、M先生はあんなに焦っていたのか。理由は翌日明らかになった。 7月16日(木)。大腸内視鏡検査。 前日は検査食を食べ、当日下剤でおなかを空っぽにして内視鏡検査室へ向かう。この病院には内視鏡科専属の専門医がたくさんいて、主治医のオーダーに従…

  • 2. 運命の治療法

    Kがん病院の初診から、また検査と診察の日々が始まった。 ・7/ 2(初診日)CT ・7/ 7 胃内視鏡 ・7/ 9 骨髄穿刺、心臓超音波 ・7/10 PET/CT ・7/15 再診 ・7/16 大腸内視鏡 家からKがん病院までは電車で1時間半ほどかかる。何度も通うのは骨が折れそうなものだが、この時点でなんの自覚症状もなく、体調良好なわたしは通院を楽しんでいた。 というのも、病院の近くに市場があり、検査の後は散策・買い物ができるのだ。市場の近くには、これまた以前から行きたかった鶏肉専門店「宮川食鳥鶏卵」があった。博多出身で、肉といえば「かしわ」で育ったわたしは、保冷袋に保冷剤を詰めて病院へ行き、…

  • 1. Kがん病院 初診

    2015年7月2日(木)。Kがん病院、初診。 紹介状や病理標本などの資料一式を受付で提出し、外来の診察室へ向かう。大きな病院のわりに、あまり待たされない。受付のシステムがよくできているように感じた。セカンド・オピニオンも含めると相当な患者数だからこそ、システムも練られているのかもしれない。 名前を呼ばれ、診察室に入る。 診察デスクの前に担当のM医師が座っていた。その奥にボブヘアの看護師さんがひとり控えていた。 M先生の第一印象は "あったま良さそう!" であった。キリッと上がった眉、まだ若そうだが絵に描いたようなエリート、に見えた。 軽い問診のあと、横になり触診。頸、腋、鼠径部など。 あれ、ま…

  • 2. 難敵

    やっと敵の正体が見えた。それは予想していたよりずっと難敵であることがわかった。家に帰るなり、すぐに手持ちの本やネットでマントル細胞リンパ腫について調べた。 日本では悪性リンパ腫の約 3% を占め、高年層の男性 (男女比2:1) に多い → 3% のうち、男女比 2:1 なら女性は 1% ってこと? 患者の5年生存率は30%未満、予後不良の病型 標準治療が確立していない 骨髄、消化管(食道‐胃‐小腸‐大腸)に浸潤する頻度が高く、診断時に80%以上は進行した病期(Ⅲ、Ⅳ期)である →わたしも骨髄に浸潤しているのでⅣ期。 脾腫が4割弱に認められ、腹部膨満感が主症状になることもある →まさにわたしがこ…

  • 1. 不意打ち

    入院中、N医師に確定診断が出るまで退院後1か月以上かかる、と言われていた。もともと生検に時間がかかる上、この病院に月1で来院する病理の権威の先生にも診てもらうため、とのことだった。 時間はかかっても、ていねいに診てもらえるのは何よりだ。脾臓摘出前の診察で、N先生には「生検しないと正確にはわからないが、おそらく脾辺縁帯リンパ腫ではないかと思います」と言われていた。病気の進行が遅いので、脾臓を取ったあとは経過観察になるだろう、病気が進行したときに抗がん剤治療をしましょう、とも。わたしとしても脾臓がかなりゆっくりペースで大きくなったという実感があり、脾臓の腫れ以外に自覚症状はまったくなかった。脾辺縁…

  • 6. 退院

    週明け。月曜のイケメン回診で、K先生は「うーん、まだ炎症の値が高いね。退院の判断は当日(明日)の朝だね。抗生剤も明日の朝まで入れましょう」という。でも、後ろの方にいる他の先生たちが「なんか元気になってるよね」とヒソヒソ話しているのが聞こえた。ほんの数日前「感染症じゃないんですか」と大騒ぎしたからなぁ。お恥ずかしい。この様子なら、たぶん予定通り明日退院だろう。 19日(火)朝。病室をすべて片づけ、荷造りを済ませて回診を待つ。イケメン集団がやってきて、うしろの方の先生たちが「あっ、もう片付けてる」とクスクス笑っている。K先生は「まだ炎症の値が高いけど、おそらくこれはリンパ腫から来ているものだろうと…

  • 5. バッハを聴く

    K先生の「退院」の一言で、身体の中からむくむくと生きる意欲のようなものが湧いてきて、カラカラに乾いた喉が水を欲するように音楽が欲しくてたまらなくなった。 それまでテレビもiPhoneも光ってるものを見るのがつらくて、最低限しか見ていなかった。音もあまり耳に入れたくなくて、テレビのニュースは音なし。音楽もまったく聴いていなかったのに。 イヤホンを装着し、iPhoneに入れていたバッハの「マタイ受難曲」プロローグの合唱と最終合唱を再生する。わたしはクリスチャンではないし、こんなときにキリストの受難をテーマにした曲を聴くのは変かもしれない。しかし、なぜか学生時代から数年に一度、わたしの中でマタイブー…

  • 4. イケメン回診

    外科病棟の朝は早く、回診はいつも7時前後である。 この病院の外科のドクターはみなとても若く、とくに主治医K先生のチームは「顔で選んだのか?」と勘繰りたくなるくらい顔面偏差値が高い。まわりのおババ患者はみな「イケメン集団」と喜んで回診を心待ちにしていたが、わたしは正直どうでもよかった。それより、そんな若くて腕のほうはダイジョウブか、と青息吐息で案じていた。 手術から5日目、土曜朝の回診。カーテンを開けて先生方がゾロゾロと入ってきた。K先生は手早くウインスローうしを抜去。うしよ、ありがとう。さようなら! と別れを惜しむ間もなく、 「抗生剤点滴は週明けまで。退院は火曜日かなぁ。まだ炎症の値が高いので…

  • 3. ウインスローうし

    翌日も熱は下がらず。なんとか尿のカテーテルはとれてトイレには行けるようになったが、呼吸の苦しさも痛さもまったく良くなる気配がない。うつらうつら眠って目が覚めると相変わらず「うーん、うーん」とうなっている。ICUに移ります、と言われるのを今か今かと待っているのに、そんな様子は一向にない。 同室の患者さんにおしゃべりなおばちゃんがいて、お見舞いの人と話をしていた。カーテンごしに聞くともなしに耳に入ってきたのは 「歌舞伎役者のナントカさんは手術はうまくいったんだけど、熱が下がらなくてね、感染症で亡くなったんだよ」 というおばちゃんの声だった。これがわたしの耳元でささやいているかのようにハッキリ聞こえ…

  • 2. 院長回診

    朝がやってきた。長く苦しい夜がやっと明けた。 しかし痛みは相変わらずで熱もある。リカバリー室にいるのは手術当夜だけで、翌日は元いた病室に戻されると聞いていたが、こんな状態で大丈夫なのだろうか。死ぬんじゃないのか。病室よりICUに連れていってくれまいか。 などと青息吐息で考えていたら、看護師さんがやってきて「これから院長の回診ですから」という。月に1回だか2回だか、めったにないことらしく、看護師さんはセカセカと緊張ぎみだ。しかし、こちとら院長だろうが王様だろうが大臣だろうが、誰が来ても苦しいことに変わりはない。どうでもいいよ。それどころじゃないんだよ。 しばらくすると、部屋にたくさんの人の気配が…

  • 1. 入院・手術

    2015年5月8日(金)。夫の付き添いでK病院外科に入院。 脾臓っ子(夫命名)の摘出手術は翌週月曜だ。すぐに入院・手術のオリエンテーションを受け、執刀医のK医師と面談する。 K医師はハーフっぽい優しい顔立ちのイケメンで、見るからに若い。診察してくれたベテランのM医師が切ってくれるんじゃなかったのか… と軽く落胆する。命を預けるなら見た目より実績である。 が、話しをはじめた若いK医師はまったく物おじしない堂々とした態度で、テキパキとわかりやすく説明してくれた。どうもそれなりの経験を積んでいるようだ。これなら大丈夫だろう。心の中でGOサインを出す。夫も良い感触を得たようだった。 説明中、K医師は「…

  • 6. 外科受診と検査の日々

    2015年3月18日(水)。 血液内科の初診から数日後、同病院の外科を受診した。診てくれたのはベテランのM 医師。外科部長・消化器病センター長らしい。声とリアクションが大きく、いかにも外科医という感じ。 第一声、「手術するとなると、連休明け、5月10日の週になりますね」5月…。あと1か月半もある。それまでに脾臓が破裂しないだろうか。しかし、この病院の外科はとても混んでいるのだそうだ。仕方ない。 M 医師としても、これほど大きくなった脾臓は取るしかない、という見解だった。病理組織診断もないとなれば、摘出した脾臓で生検するしかない。術式は開腹。脾臓が大きいからね、と M医師。とにかく、これからでき…

  • 5. 転院 はじめての血液内科

    翌週。U病院の紹介状を手に、K病院の血液内科に向かった。初診を担当してくれたN医師は、年のころは私と同じくらい、白髪交じりの穏やかな印象の医師である。N先生は、この病院でのわたしの主治医となった。初診のこの日、たっぷり時間をとって問診、診察をしてくれた。「血液のデータからいって、悪性リンパ腫は間違いないでしょう」とN先生。「リンパ腫の場合、型によって治療法が違うので、生検で型を調べなければならないんですが、あなたの場合、首や脇などのリンパ節が腫れてない。腹腔内のリンパ節は少し腫れているけれど、反応性かもしれないし、お腹の深いところにあるので開腹しないと取れない。やはり脾臓を摘出して生検するしか…

  • 4. 内科受診

    悪性リンパ腫の疑い、と告げられた翌週。同じU病院にて造影CT、エコー検査を経て、内科を受診した。名前を呼ばれて診察室に入ると、F医師はわたしを見るなり「あらっ、お元気そうですね!」と意外そうな表情で迎えてくれた。脾臓の痛みが治まり、自覚症状はまったくない状態だったからだ。 F先生は物腰の穏やかな、タレントの田中律子似のなかなか素敵な女医さんである。問診、触診のあと、「脾臓がものすごく大きくなってますね。これはね、重いですよ」重い、と言われてそんなに重篤な状態なのかと一瞬怯んだが、続けて「5~6kgはあるんじゃないかな」と。重量のこととわかって、ちとコケる。「一番大きいところで26cmくらい。ラ…

  • 3. おれは白鳥(夫のこと)

    話は逸れるが、夫とわたしは趣味の釣りが縁で知り合い、17年前に結婚した。 子供には恵まれなかったが、趣味が同じなのでケンカのネタもなく仲良くやってきたといえるだろう。 夫はなかなか豪快な人で、海上を走る遊漁船のミヨシ(前方)に仁王立ちして、船頭さんがたまたま見つけたメカジキに銛を撃って命中させたことがある。 週末、休日はほぼ海の上にいるので色黒。というか赤銅色。とても普通の会社員には見えない風貌だ。結婚してもきっとやりたい放題で家庭を顧みず、奥さんはさぞ苦労するだろうなぁ。と、結婚前は他人事のように考えていた。しかし、実際結婚してみたら夫は家庭人としては結構まともだった。真面目に働くし、浪費は…

  • 2. 最初の告知

    2015年3月はじめ。左上腹部の痛みが強くなり、日によっては仕事どころか歩くのもつらくなってきた。 見かねた上司の強い勧めで、仕事を早退して大腸ポリープを取ったU 病院へ。診てくれたのはポリープを切除した医師ではなく、若いがしっかりした感じのA医師だ。軽い問診のあと、ベッドで触診すると、「あれっ」と顔色を変えた。「すぐCT取りましょう。あと血液検査も」検査後、CT画像と血液検査の数値を見ながらA医師はこう言った。「脾臓がすごく大きく腫れています。身体の中のリンパ節もポコポコ腫れていて、血液は血小板が少ない」すこし間をおいて、とても言いにくそうに、こう続けた。「これは…リンパ腫の疑いがあります」…

  • 1. ことのはじまり

    2014年夏。職場の健康診断で便潜血陽性を指摘される。9月末の内視鏡検査を経て、11月に一泊入院にて大腸ポリープ1個を切除。 せっかくだから、と胃にも内視鏡を入れたが、軽い胃炎とのことだった。大腸のほうは、後日の診察で医師より「ガンになる可能性のあるポリープでしたが、きれいに取りきれていますよ。よかったですね」と笑顔で言われ、一安心。 夏あたりから気になっていた左上腹部の痛みについて訊くと、「少し憩室気味ですね」とのこと。治療が必要なほどではなく、次は念のため一年後に検査をしてくださいと言われ、めでたく無罪放免となった。…はずだった。

  • プロフィール

    自己紹介。 1961年生。九州は福岡、博多の出身。現在は関東の海沿いの町に在住。 既婚、子供はなし。以下、冗長なので興味と暇のある方だけどうぞ。 子供の頃は魚やザリガニを捕りに川へ出かけるのが日課だった。先祖は博多の下級武士で、鯨で稼いでこい、と長崎五島に遣らされた。廃藩置県後そのまま五島で捕鯨の網元を営み、相当羽振りが良かったそうだが、祖父の代から博多に戻っている。 中学高校は私立の女子校。のびのびとした環境で、音楽(合唱)と美術に明け暮れる日々だった。地元の大学の芸術学部へ進学。大学を卒業してからステンドグラス工房、美術館の監視員、広告プロダクションで丁稚(バイト)、テレビ局のコンピュータ…

  • ようこそ

    R&Bに「What’s Going On」という大ヒットした名曲がある。マーヴィン・ゲイが繊細な高音で反戦を歌い上げるこの曲は、日本語にすれば「何が起きてるんだ?どうなってんの?」という意味だ。 このブログは、マントル細胞リンパ腫(MCL)という血液がんの闘病記である。病気に無縁だったわたしがこの病気だとわかったときの心境は、まさにWhat’s Going On、どうなってんの!?であった。 悪性リンパ腫には多くの病型がある。MCLは高齢者、しかも男性に多い。ジイさんの病気である。それが、なんの因果かオバさんのわたしが罹ってしまった。 2015年、Ⅳ期でMCL発覚。初発の治療で寛解して自家移植…

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