「自分とは何なのか」「生命とは」「人間とは」など医学や科学では解明できない「よくわからない謎」を探求していきます
シルバーバーチの書籍を読んでいますと、「肉主霊従ではなく、霊主肉従で生きるようにしなさい」という言葉が書かれています。 この「霊」という言葉が、みなさんにはボヤッとしかわからないようなので、説明させていただきたいと思います。 これはまず、「人間は霊である」ということが大前提になっています。 それは「霊」とは「生命(いのち)」のことを指す言葉だからです。 霊能者の中には「人間は死んで霊になる」と言っている方がいますが、それは正確ではありません。 なぜって、みなさんは今もこうして生きておられるからです。 生きているということは、「生命」が自分のどこかに宿っているからに他なりません。 それがよく分からなかろうが何だろうが、とにかく今みなさんには霊というエネルギーが宿っているということなのです。 霊というのは、活性化しうる生命という名前のエネルギーのことであり、この見え..
シルバーバーチの書籍を読んで感動された方は多いと思います。 私も自分の本質が肉体ではないと知った時の驚きにも似た感動は筆舌に尽くし難いものでした。 シルバーバーチは今、遠い星のどこかに住んでいると思います。 人間は肉体がなくなると、自分の本質・本体である「霊魂」になります。 死というのは、肉体と霊魂を繋いでいるシルバーコードと言われるパイプが切れることです。 一番太いシルバーコードは肉体のおへその下あたりと頭のてっぺんから出ていて霊魂と繋がっています。 もちろん自分という霊魂です。 ただし少し複雑なのは、自分という霊には自分以外の自分という魂が複数存在するということです。 その数は自分も含めて6〜7存在しているようです。 同じ霊の中には、今の自分よりも霊性の高い魂が居て、その魂が今の自分を四六時中守っています。 この霊魂のことを守護霊と言います。 ..
自分とは一体何なのか? を紐解いてみると 脳、神経、細胞、肉体、心・・・などという言葉が浮かんでくると思います。 しかし、実はこれらは結果に過ぎません。 つまり二次的に発生しているものであり、自分の元、源ではないということです。 ではこれらの元、源である一次的な自分、自分の本質・本源とは何なのか? 答えは 魂と霊 です。 みなさん自身の本当の源は 霊魂 なのです。 しかし、自分が 霊魂 であるという真理を受け入れるのは簡単ではありません。 簡単ではありませんが、私たちが生まれてきた目的の一つは 自分が霊魂である と言うことを受け入れる自分を作って行くことにあると言っても過言ではないのです。 なぜならば 自分は霊魂である 人間は霊魂である ということを受け入れていくことこそが 生命とは何か ということが解る唯一の道であると言えるからです。 霊魂が..
今日は宇宙について、知的生命体について語ろうと思います。 宇宙には無数の天体があります。 そして同じく宇宙には無数の知的生命体がいます。 知的生命体を宇宙にいる人、つまり宇宙人と呼ぶこともあります。 このように宇宙には無数の天体とそこに住んでいる無数の知的生命体がいます。 太陽系には地球以外の星にも知的生命体はいます。 地球の衛星である月、惑星である金星、火星、木星、恒星である太陽、どの星にも知的生命体はいます。 私がそういうと、「月にはアポロが行ったけど、誰も住んでいなかったし太陽は熱くてとても生命がすめるような場所ではない」と反論されます。 確かにその通りです。 ただしそれは肉体の視覚で見た視野には見えないということです。 視点・視野には肉体的な視点と生命的な視点があります。 肉体と生命は違います。 肉体は生命そのものではありません。 そう言う..
人間は不完全であるということ。 これはとても大切なことです。 不完全な人間が作っている法律も組織も社会の仕組みも、不完全であるということを知ってください。 今の法律や組織や社会の仕組みはまだ欠陥だらけなのです。 ですからそんなものにいちいち腹を立ててたらキリがありません。 法律や組織や社会の仕組みを完全に近づけていくためには、それらを作っている人間が完全に近づいていくしかありません。 では完全とは何でしょうか? そもそも完全なものがあるのでしょうか? あります。 宇宙には完全なものがあります。 それは生命というエネルギーです。 生命というエネルギーは完全なものです。 この本来は完全なはずの生命エネルギーが、人間には完全には働いていないということなのです。 そのために人間は病気になったりするのです。 本来は完全なはずの生命エネルギーがなぜ不..
「人間は霊である」ということが真理であるということを悟る方法
気づきと悟りとは違います。 悟るというのは、自らが体験を通して「腑に落ちる」ということです。 体験をしなければ「腑に落ちる」ということはあり得ない、私はそう思っています。 例えば「シルバーバーチの霊訓」を読めば「人間は霊であり、霊とは生命のことである」と書いてあります。 中村天風の「心を磨く」を読めば「人間は霊魂という気体である」と書いてあります。 本を読めば「生命とは霊(魂)のことである」ということは分かります。 しかし、まだ体験ができていないので頭では分かっているが、魂では分かっていません。 魂が分からなければ「腑に落ちる」ということはありません。 シルバーバーチはこのことを「魂の琴線に触れる」出来事と表現しています。 ではどうすれば「生命とは霊のこと」や「人間は霊である」ということを体験することができるのでしょうか? 方法はあります。 それは霊的な摂..
病気を治す哲学〜意識と食事が変われば病気は自分で治すことができる〜
「医者が治せない病気は自分で治すことができる」 私はそう思いますし、中村天風もシルバーバーチも同じことを言っています。 病気は肉体と精神に現れるものです。 しかしほとんどの病気は霊的な影響を受けている場合が多いです。 ですから霊的な影響を受けにくい自分というものを作っていくということがすごく大事になってきます。 具体的には、意識と食事を変えることです。 意識が変わり、食事が変わると、肉体を形成する細胞が変わってきます。 人間の細胞は50〜60兆あると言われていて変わるのに数年かかりますが、効果は数ヶ月くらいで現れてきます。 まず「意識を変える」ということですが、何の意識を変えるのかというと、「自分とは何か」という意識です。 「自分は肉体である」という意識を変えることが絶対条件です。 どう変えるのかというと、「自分の本質本体は霊魂である」という意識に変えて..
絶対に揺るがない信念、哲学、背骨、理念はどうやって作れば良いのか?
シルバーバーチと中村天風には共通点があります。 それは地球上の人類に「人間は霊魂である」という真理をあの手この手で伝えようとしていたことです。 中村天風はそれを伝えるために天風会を作りました。 35年ほど前に私も天風会の練成会に通ったことがあります。 覚えているのは気合いで紙のコヨリで竹を割ったことくらいで、あとのことはほとんど記憶に残っていません。 その時に霊魂の話はなかったと思いますがもし聞いていたとしても、当時の私はとても理解できる意識のレベルではなかったです。 中村天風は難病の結核に罹りインドの山の中で治すことができましたが、そこではヒエと野菜しか食べなかったと記しています。 白米も禁じられていて、とにかく生きて動くものは食べることができなかったと記しています。 中村天風の書籍は私も好きで何冊か読みましたが、なぜ生きて動くものを食することが禁じられていた..
戦争とは侵略することです。国が他の国に侵略することを戦争と言います。 戦争には過去の歴史や宗教など様々な言い訳がありますが、侵略して領土を我が国のものにしたいからに他なりません。 そもそも過去の歴史を言い出したらキリがありません。 あくまでも現在の国を基準とするべきである、私はそう考えています。 今の国連にはなんの力もありません。 悲しいかな戦争を止める力がないのです。 なぜ戦争が悪なのか? それは武器や武力を使ってイノチを奪うことだからです。 どのような理由があろうとイノチを奪うことは許される行為ではないということです。 今日本でも「ウクライナのように攻められたらどうするんだ?」という防衛上の論点で武器や武力が必要であり、そのための増税が国会で決められようとしています。 国民の多くは「戦争は嫌だけど、仕方ないんじゃないの?」という思いでいるようです。 ..
哲学者中村天風氏「人間の正体は霊魂という気体である」について
上記は中村天風氏の「心を磨く」という書籍に記されています。 天風氏は「哲学は悟りである」と言っています。 この書籍の中で天風氏が最も言いたかったことは「人間は自分が何なのかを知る必要がある」ということであり、そのことで考察→実践を繰り返すうちに、「人間は霊魂である」という悟りに行き着いたということだと思います。 そしてこの「悟り」を得るのに16年もかかってしまったと記しています。 悟りというのは、真理を魂で知ることです。 これに対して脳の知識や心で思うというのは、悟りではなく気づきですが、気づきを繰り返すうちにある日魂の琴線に触れるような悟りに到達するのではないかと思いますが、私は「悟り」は何回も訪れると思っていますので、悟りを得ても決して気を緩めることがないようにさらなる精進を続けることが大切であると思っています。 というのは背後霊から「先祖の中に悟ったと思った者..
霊のことを知ることは人間にとって非常に重要であるのは間違いないと思う。 「霊とは生命のことである」あるいは「人間は霊である」と言ってもピンとこないかもしれない。 世の中の多くの人は霊のことを誤解していると思う。 霊というと幽霊とか霊能力とか、その程度のことしかわからないし、何か謎めいたもののように思ってしまう。 「霊とは何か」については「シルバーバーチの霊訓」に詳しく書いてあるが、今の私はこう理解しているということを記してみたいと思う。 「人間は霊である」のだから、自覚するしないに関わらず、人間には必ず霊能力というものが現れてくるものである。 霊能力はどうやって現れるのかというと、五感の延長として現れてくる。 五感とは、目、耳、鼻、口、皮膚の五つである。 具体的には、見えないものが見え、聞こえないものが聞こえ、匂わないものが臭い、自分ではない霊が自分の口を使って..
今の世の中は昔に比べると良くなったと思う。 何が良くなったのかというと、暮らしが快適になり、生活が便利になってきていると感じる。 仕事がリモートワークになり、買い物もインターネットで注文をすると翌日には届くし、ニュースもリアルタイムでインターネットで見ることができる。 モノが豊かになって便利に快適になってきているのに、人間の心というものはそれほど進歩していないと感じるのは私だけだろうか。 みなさんは週刊文春がスクープした木原事件というのがあるのをご存知だろうか。 この事件はテレビや新聞などの大手メディアはほぼスルーして取り上げていないので知らない人も多いと思うが、この事件は司法、行政、立法を巻き込んだ大変に重要な事件である、と私は思っている。 この事件を見ていると、警察と内閣そして官僚はズブズブの関係である、ということが見て取れるのである。 そしてそこに米国の圧力..
ここに書くことは霊的な視点・視野で記しています。 霊的というのは生命的という意味です。 ここに書くことは私たち自身の未来図ではなく、私たちの子孫の未来図です。 私たち自身がこの地球上に生まれ変わることはまずありません。 新しいまだ地球上に生まれたことがない魂が生まれてくることになりますが、彼らが私たちよりも霊的に進化している理由は、彼らは私たちの影響を受けて誕生してくるからです。 だから当然私たちよりも魂が進化しているのです。 魂が進化してくると、他の生命を大事にするようになります。 それは生命というのは永遠の時間をかけて一つになっていく、ということが何となく解るようになり、併せて彼らの寿命をまっとうさせてやりたいと思うようになるからです。 具体的にいうと彼らとは、動物、鳥、魚、虫たちです。 人間の意識がこのように変わってくると、l彼らを食するという行為はしな..
これは生命の法則です。 別の言い方をすると、霊的な摂理、あるいは大自然の法則とも言います。 他の生命を大事にすれば、自分という生命が大事にされます。 逆に言えば、他の生命を大事にしなければ、自分という生命も大事にされません、ということなのです。 しかし、「他の生命を大事にする」という意識が今の世の中にあるでしょうか? 今の世の中には残念ながらそういう意識はないです。 自分の生命は大事にする、そういう意識はあると思います。 しかし、自分以外の他の生命を大事にする、という意識はほとんどないと思います。 しかし、生命には鏡の原則が働いていて、他の生命を大事にすれば自分という生命も大事にされる、という法則が確実にある、ということを知っていただきたいと思います。 例えばガンという病気があります。 ガンは自分という細胞の一部が自分に反旗を翻して悪性になって増殖し..
なかなかピンとは来ないかもしれませんが、魂は精神の素(もと)にあるものであり、肉体を通して精神は表れているものであり、精神は魂の道具である、ということができると思います。 肉体は何かと言いますと、魂と霊の道具である、ということができると思います。 つまり肉体に現れることは結果であり、原因は霊魂、中でも自分という魂にある、ということができると思います。 従って、霊魂とは何かを知ることは非常に大切なことであり、ことさら自分という魂の状態を知ることが大切であり、それ無しには自分を成長進化させることは非常に難しくなると私は思っています。 さて、魂とは何かですが、魂とは意識と意志のことである、私はそう思っています。 通常、人間以外の生物の意志には自由に決められる自由意志というものはありません。 要するに予め決められた意志しかなく、これを本能と言っています。 虫よりも小さい目..
みなさんは日本人として、あるいは外国人として、この世に生まれてきました。 国籍はどこであろうと関係ありません。 実は真理としては、あの世からこの世に生まれてきたのです。 真理というのは、隠された、知られざる、本当のこと、です。 あの世(霊界)にいた時は、あなたは霊魂でした。 霊魂は、生きているエネルギー及び意識と意志のことで、この2つは一体不離のものです。 その霊魂がこの世に誕生する時に肉体という身体を持って生まれてきたわけです。 肉体は物質であり霊魂は非物質です。 つまり私たちは知らず知らずにうちに今霊界に生きているわけです。 なぜならば霊魂は霊界で生きるものだからです。 真理としては、霊界はここにある、と言うことです。 さて、あなたを産んでくれたのはお父さんとお母さんという両親です。 あなたはこの2人の遺伝子を50%ずつ受け継いでいます。 しかし、遺伝..
最初にお断りしておきますが、私はキリスト教の信者ではありません。 しかし、他の宗教に帰依しているわけではなく、いわゆる無宗教です。 ここでは宗教論ではなく、1人の生命哲学者としてイエスについて語りたいと思います。 イエスは約2000年前に誕生した歴史上最大級の「霊能(力)者」だったと私は思っています。 霊能(力)者というのは、五感(目、耳、口、鼻、皮膚)の延長線上にある、いわゆる霊的な力が開発された人のことを言います。 ここでは「イエスの復活」について述べたいと思います。 イエスはなぜ復活できたのか? ですが、その答えは「彼は霊能(力)者だったから」です。 そして弟子たちはなぜ復活したイエスを見ることができたのか? ですが、その答えは「弟子たちは霊能(力)者だったから」に他なりません。 彼らは特別な存在だったのかというとそうではなく、ただ霊性が他の人間よりも開発..
人生、生きていると本当にさまざまなことが起こります。 喜びも悲しみも、本当に色々なことが起きます。 起こることはひとりひとり違います。 人にはそれぞれ自分に起こることがあります。 そしてそれは決して偶然に起きているのではありません。 大事なのはその起こったことに対して「どう対処するか」と言うことだと思います。 例を挙げてみましょう。 ❶「何でこんなことが自分に起きるのか?」と怒って人を責める ❷「嫌だ嫌だ」と言って起きたことから逃げる ❸「もう死んでしまいたい」と言って何もかも放り投げて死を選ぶ ❹損得で考えて、自分が損しない程度に最低限の対処をする ❺起こったことに対して、どんなことににも手抜きをせず最善を尽くす 霊的な摂理に則って考えれば、正解は❺しかありません。 なぜ❺なのかを説明します。 先ほども言いました通り、ひとりひとり自分に起き..
人間は霊魂です。知らず知らずのうちに霊魂は霊魂の影響を受けています
魂、霊、など形のないものを言葉で伝えるのは本当に難しいです。 まず初めに 人間とは何か を説明します。 人間は 魂、霊、そして 肉体、精神 の4つで出来ています。 これは私が今時点でそうだと思っていることです。 魂と霊が一つのグループであり、肉体と精神が一つのグループです。 みなさんはおそらく、肉体と精神は意識できるけど魂と霊は意識ができない、そういう立ち位置にいるのではないでしょうか。 この4つはすべて自分なのですが、精神は魂の道具であり、また肉体は霊の道具であるという主従の関係にあります。 主は霊と魂であり、肉体と精神は従です。 精神と肉体はこの地上という世界を生きるために与えられた霊魂の道具であるということです。 主はあくまでも霊と魂という2つです。 このことが腑に落ちるようになってくると、死が怖くなくなってきます。 そして、この霊と魂は一体..
人は皆旅人である 魂の進化の道を進んでいる旅人である 進化の程度は誰にも隠せない 見る人が見れば全てわかってしまう なぜわかるのかと言うと、それはかつて自分が辿ってきた道だからだと思う 見ただけで人のことがわかるようになるには、魂を磨いて霊性を向上させるしかない そうすれば写真を見ただけで、わかるようになる 何がわかるのかと言うと、謙虚さである 謙虚な人は見ればわかる 逆に「俺が、オレが」「私が、ワタシが」の人もわかる 人は何も隠せないのである 普段の生き方が如実に出てしまうのだ 顔は全てを物語ってくれている 人間だけ一人一人の顔が違う 本当に不思議だと思う 「目は口ほどに物を言う」と言うが、目ではないと思う なんと言うか、顔全体である 顔全体の雰囲気がその人の魂を表している、そう思えるのである 顔の作りが良いとか綺麗だとか、..
ヒーリングは今から40〜60年前頃に英国を中心に盛んに行われていました。 中でもシルバーバーチの書籍にたびたび登場するハリー・エドワーズや「私は霊力の証をみた」のモーリス・テスターは特に有名です。 なぜあれほど霊的な治療が盛んに行われたのかと言いますと、シルバーバーチをはじめとする高級霊団が普及に力を入れたからではないか、と私は思っています。 今高級霊団が力を入れているのはヒーリングではなく、飲食の方だと私は思っています。 最近日本でも大豆ミートや豆乳クリームやプラントチーズなどの植物由来の食品が数多く出回ってきています。 これらはもともと欧米から来たものですが、まずは動物性の食品を食べない習慣を普及させようと天では考えているようです。 なぜならばそれが健康を害する理由の一つであるからです。 霊的な視点で生命を見ればそれは一目瞭然ですが、物的視点では生命を肉体だと思ってい..
霊的な現象や霊障は、その時がくれば、誰にでも起きる可能性があります。 その時というのは、眠っていた魂が目覚める時です。 シルバーバーチは「魂の琴線に触れる」という言い方をしています。 悲しみ、病気、危機的な状況などの大きな苦難や困難で目の前が真っ暗になった時が触媒になるようです。 これを原因と結果の法則に照らして見てみましょう。 原因は人間が霊魂だからです。 霊魂こそが生命の本質であり、肉体という身体はこの世を生きるための道具に過ぎません。 私たちの多くは肉体が生命だと思っていますが、肉体は結果です。 全ての原因は自分という霊魂にあります。 霊的な現象は五感の延長線上の現象として現れてきます。 人に見えない霊的な者が見えるようになることがあります。 人に聞こえないモノが聞こえるようになることがあります。 人に匂わないモノが匂うようになることがあります..
霊>魂>精神>肉体 不等号の左が原因であり右が結果です
現在の医学や科学には生命(いのち)とは何かを解明する力は残念ながらありません。 その理由は、生命(いのち)は物質ではないからです。 私たちの身体は大きく分けると、実は二つの身体からできています。 一つは肉体という物質の身体です。 そしてもう一つは霊体という非物質の身体です。 肉体は肉眼という物的な視点でしか見る事ができません。 一方、霊体は霊体に備わっている霊的な視点でしか見る事ができません。 シルバーバーチの霊訓 第1巻 第1章に書かれている通り、生命とは霊のことであり、霊とは生命のことですので、生命を認識するためには、どうしても非物質的な視点が必要になります。 今の世の中を見ればわかるように、まだまだ生命的には人間は過渡期にいます。 まだ自分のことが何者だか良く分からない、生きているのに生命(いのち)のことがわからないので、どうしても見える肉体や物質を..
こんにちは、命チャンネルです。 みなさんはもうシルバーバーチの霊訓 第1巻をお読みになったでしょうか? この章でシルバーバーチが一番言いたかったことは「人間は霊である」ということです。 いえいえ、亡くなってから霊になるのではなく、いまあなたは霊だということなのです。 シルバーバーチというのは約3000年前に他界した霊魂です。 どうやってこの霊魂が本を書いたのかは、この本をお読みになれば詳しく書いてあります。 みなさんビックリするかもしれませんが、このように亡くなった霊魂というのは皆生きています。 みなさん、私は違うとか言わないでください。 みなさんも同じなんですよ。 どこで生き続けるの? もちろん霊界でです。 では霊界はどこにあるのか? それはこの宇宙です。 実は宇宙のすべてが霊界なのです。 ということは我々は今霊界に生きているということ? そ..
「生まれてから死ぬまで」・・自分の人生を考える時、恐らくそう思うのではないでしょうか? なぜこのように思うのかと言いますと、それは本当の自分に気づいていないからではないでしょうか。 「シルバーバーチの霊訓 第1巻 第1章」の「あなたとは何か」には「人間とは何か」が書かれています。 そして、そこには「人間は霊である」と書かれています。 私はこの「人間は霊である」という言葉は、「すべての疑問を解決する」と書きましたが、「自分の人生」を考える上でもそうだと思っています。 そもそもみなさんが考えている人生は、自分のことを「肉体」としてだけ見ています。 確かに肉体の人生もあります。 それも重要なのは確かです。 しかしもっと重要なのは、「霊としての自分の人生」なのではないでしょうか。 みなさん、「生命」って何でしょうか? みなさんは生命のことを肉体だと思っていな..
人生で成功するために理念、哲学、背骨は絶対に持った方が良いです
ユニクロとは30年ほど前に共同駐車場で店舗を出したことがあります。 その時にユニクロでは朝来た人に牛乳を配っていました。 名前の通り本当にユニークなサービスを考える企業だなあと思ったものです。 ユニクロを作った柳井さんは成功者ですが、実は始める前に散々失敗をしています。 確かビリヤード店、カラオケ店など8〜9くらいの業種をやったが全てうまくいきませんでした。 最後にはお父さんがやっていた洋裁店からユニクロへと発展していくのですが、成功の秘訣は「あきらめずにチャレンジし続けたこと」ではないでしょうか。 マザーテレサはこう言っています。 「神様は成功したか失敗したかなんて気にしてません。大事なのはチャレンジすることです」 よく「もう50歳だから」とか「60歳だから」と年齢を言い訳にする人がいますが、私は何かを始めるのに年齢は関係ない、そう思っています。 「どう..
昨日夜に霊界に行って亡くなった父と会ってきました。 実家の近くの風景によく似たトンネルの中で、父が向こうから歩いてくるのがわかりました。 亡くなった頃のようにやはりおじいちゃんでゆっくりとした歩調でした。 私が近づこうとすると父は私を避けようとして危うく車にぶつかりそうになったので私は父を歩道側に引っ張りました。 私がサングラスを掛けていていたせいで、父は私だと気が付かなかったようです。 私がサングラスを取ると、一瞬私を見て「ああ」という感じでまたそのまま歩いて行ってしまいました。 これは私が昨日見た夢です。 夢というのは、このように自分が霊界に行ったことを断片的に覚えていることがあります。 人間は寝ている間「自分という肉体」を休ませてはいますが、「自分という霊」と「自分という魂」は活動しています。 昨日私が行ったのは霊界の中でも地球に近いところにある場所です。 ..
なぜ霊性の向上に、父と母を許すこと、が必要なのでしょうか。 生命の誕生の影には、必ず父と母がいます。 人間だけではなく、どの生命にも必ず父と母がいます。 人によっては産みの親と育ての親が違うかもしれません。 あるいは離婚や死別によって、片親で育てられた人もいるでしょう。 あるいは様々な事情で施設に預けられて、そこで育った人もいるでしょう。 どの生命にも共通しているのは、必ず産みの父と母がいるということでしょう。 さて、皆さんは自分の産みの父と母を心の底から許して、認めて、受け入れているでしょうか? なぜこのようなことを聞くのかと言いますと、産みの両親を許し、認め、受け入れることこそが、自分を愛することになるからです。 自分を愛するということは、自分を許し、認め、受け入れることです。 人間は霊であり魂であるのですが、この地上では肉体という身体を持っ..
宇宙に宇宙人とか知的生命体とかは本当に存在するのか? についてお答えします
これはどのような視点とか視野で見ているかによって違います。 ですから答えはイエスでもあるしノーでもあります。 見た人は「絶対にいる」と言うでしょうし、見ていない人は「バカを言うんじゃないよ」というでしょう。 こういう議論はナンセンスであると言えます。 視点には二つの視点があります。 一つは人間の肉体で見る「物的視点」です。 そしてもう一つは人間の霊体で見る「霊的視点」です。 霊体の説明をしておきましょう。 霊体というのは「霊の身体」のことであり、人間ならば必ず肉体に重なるように誰もが所有しています。 所有しているというのは少し表現がどうかと思うのですが、意識していようがなかろうが、誰でも持っています。 なぜならば、この「霊の身体」こそ人間が「生命」とか「いのち」と呼んでいるものだからです。 「霊の身体」という表現には「魂」と呼ばれている「意識」や「意志」を..
「病気になるのは霊的に見て間違っている生き方をしているからである」、シルバーバーチはそう言っています。 では「霊的に正しい生き方をすれば病気に罹ることがなくなるのか」ですが、まさにこの事を私は今自分で実験しています。 そしてもう一つ、「人生は自分の思った通りになる」ということも併せて検証しています。 と申しましても、同じような目的や目標をを持った人が一カ所に集まって怪しげなことをしているわけではありません。 あるいは一人ぼっちになり、どこかのポツンと一軒家で検証しているわけでもありません。 ごくごく普通の家に住み、仕事をしながら、家庭を持ちながら、日常の中でこの壮大な実験?を行っています。 「本当にそんなことできるんですか?」と疑問に思われる方もいらっしゃると思いますが、本当に出来ております。 でも、苦労がないわけではありません。 ご存知のように、私は 肉、魚介..
なぜ今あなたの前に問題が起きているのか? それはあなたにとって必要だから起きているのです。 しかし、解決できない問題は起こりません。 ですから決してあわてて何かをしないようにしてください。 まず、心を落ち着けて、カフェインレスティーでも飲みながらこのブログをお読みください。 しかし、問題を解決するためには、「自分自身で率先垂範して問題を解決する」ことが絶対条件です。 つまり、人任せにしない、他力本願ではない、と言うことが大事なのです。 なぜかと言うと、この問題はあなたという魂を鍛えて強くするために起きている問題だからです。 あなたに起きていることは、困難、障害、病気、悲しみ、聞き的ば状況、のうちのいずれかの苦難だと思いますが、何の心配もいりません。 あなたには〜自覚しているしていないに関わらず〜意識と意志があります。 この意識と意志のことを「魂」と言いま..
ここで「生命とは何か」のおさらいをしておきましょう。 生命は、見る角度によって全く違うものに見えます。 例えば円錐は真上から見れば丸い円に見え、真横から見れば三角形に見えますが、斜め上方から見て初めて本来の円錐に見えます。 同様に生命には二つの見え方があります。 一つは私たち人間が普段使っている肉眼で見た時の見え方です。 肉眼ですと人間の肉体しか見えません。 このように肉体を生命だと思う見方を「物的視点」と言います。 これは円錐に例えれば円に見えることであり、本当の生命を見ることができません。 「物的視点」ではモノしか見ることができないため、モノではない生命を見ることができないのです。 生命の本当の姿を見るには「霊的視点」と言われるものが必要になります。 霊能力が開発されると、最初に出てくるのは「霊的視力」です。 「霊的視点」にはさまざまな段階があり、この..
自分の魂を自分で自覚、認識するのは本当に難しいと思います。 魂というのは自分の意識及び意志のことである、と私は思っています。 シルバーバーチの霊訓には「精神とは自分を制御するコントロールセンターである」と書かれています。 精神とは「肉体を通して自覚、認識することができる魂」のことである、私はそう解釈しています。 人間は例えば事故で肉体の一部がなくなっても、無意識の時には肉体の一部がなくなったことを忘れてしまっています。 それと同様に、死後には私たちは肉体を置いて霊界に帰るわけですが、しばらくの間は肉体を通した精神で霊界で生活するようになります。 実際には肉体はないのですが、霊体が肉体の代わりをするのです。 もう少し詳しく言うと、霊界では自分が思った通りになりますので、肉体があると思うと霊体が肉体に見えてしまうのです。 ただ条件があって、あくまでも「霊的な摂理」の..
「生まれ変わりたい」と言って自死する人がいる。 本当に悲しいことであるが、一体「死んで生まれ変わる」とはどういうことだろうか? これは物的視点ではいくら見てもわからない。 霊的視点で見て初めて真相がわかってくるのである。 例えば霊的視力で「あなた」と言う人間を見てみよう。 「あなた」を霊的視力で見ると、肉体は見えず、霊のみが見える。 霊というのは「非物質の生きているエネルギー体」のことである。 この「あなたという霊」に「あなたという魂」が宿っているのだが、ここは少し複雑である。 何が複雑かと言うと、この「あなたという霊」には「あなたという魂」以外の「あなた」が存在するからである。 この「あなた以外の魂」には、もうすでに地上に生まれたことのある魂もいれば、まだ生まれていない魂もいる。 つまり「あなたという霊」にはあなた以外の魂が複数いるということである。 ..
霊能力は半分は疑ってかかるべきである、私はそう思います。 疑うという意味は、シルバーバーチのような高級霊のフリをしている霊魂が多いからです。 10年ほど前にある霊能者と話をした時、その霊能者の背後にフワフワと浮いている霊魂がいました。 私がその霊魂をジッと見つめていると、なんとその霊能者が突然、「なぜ私を見ているのか?」と言い出しました。 私が見ていた背後にいる霊魂がこの霊能者の口を借りてしゃべったのです。 私はまだ霊能力が出てから間もなかったので、本当にびっくりしました。 この霊能者は、背後にいるこの霊魂のことを「神」だと信じていましたが、この時私は「これが霊言というもののカラクリなのか」と目が覚めた思いでした。 というのも、この頃私は自分にでた霊能力を磨くべく、多くの霊能者を訪ねたり、勉強会に行ったり、様々なことをしていたからです。 そして気がつきました、「..
わたしは楽しいとか、面白いとか、嬉しいとかという気持ちを無くしたいと思っている。 何かがうまく行った時に心の中で「ニンマリ」する自分に気がついた時、「ああ、また喜んでいる自分がいる」と自分に辟易とする時がある。 この時には2人の自分がいることになる。 1人はニンマリとしてほくそ笑んでいる自分である。 もう一人はそういう甘い自分に対峙する厳しい自分である。 どちらも自分であることに変わりない。 光と闇は同じ棒の両極であり、善と悪も同じ棒の両極である、とシルバーバーチは教えてくれた。 楽しいことと苦しいことは同じ棒の両極にあり、悲しみと喜びは同じ棒の両極にある。 これらはシーソーのようになっていて、棒の中心を支点として上に行ったり下に行ったりする。 それが嫌なら、真ん中の支点から動かさなければシーソーも動くことはない、ということである。 「人間万事塞翁が馬」..
摂理というのは、大自然の摂理とか霊的な摂理とかと言われるものであり、生命の法則とも言います。 これはシルバーバーチが発見したわけでもなく、太古の昔から宇宙に存在するものです。 私は宇宙が存在する理由は、生命のために存在していると思っています。 生命が進化して、進化するというのは身体的にではなく霊的にという意味です、完全になるまでに進化する、その過程を過ごすため、そして完全を実現するための場所として、この宇宙は存在しているのだと思っています。 生命という言葉は、霊のことも、魂のことも、そして肉体のことも指す言葉ですので、曖昧ですので、生命ではなく霊という言葉を使いたいと思います。 霊というのは、宇宙に豊富に存在する、「生きているエネルギー」のことです。 「そんなもの存在するのか」と思われるかも知れませんが、確かに存在しています。 私は以前「霊的な治療」をしていた..
好きと嫌い、苦と楽、正直と不正直、この世とあの世・・ これらは全部対照、対峙するものです。 シルバーバーチは、闇があるから光のありがたさがわかり、悪があるから善のありがたさがわかる、と言っています。 右と左、男と女、過去と未来、こことあそこ、 これらもすべて対照、対峙するものです。 しかし、これらがあるのは、この世だけであり、あの世にはこれらはない、と私は思っています。 ただし、ある程度意識が向上した場合にこれらが消えてなくなるのではないかと思っています。 そして苦と楽、好きと嫌い、正直と不正直、この世とあの世、などもすべて意識が向上すれば目の前から消えてなくなるのではないかと思っています。 「それはこの世じゃなくて、あの世でのことじゃあないの」そう思われるかもしれません。 でも意識が向上すれば、この世にいたとしても、これらの対峙するものは消えていき、対峙する..
心で思うことと頭で考えることは同じであるとも言えるし違うとも言えると思います。 それは人間がどういうふうにできているかという構造を見ればわかります。 まず宇宙に最初にあったのは霊という生命の源である生きているエネルギーです。 そこに魂という意識と意志が宿ったのです。 この二つを合わせて霊魂といい、生命とも言います。 そしてこの地球に生まれる時に、それぞれの霊性にあった肉体を身につけて誕生するわけです。 霊魂が宿っている身体は大きく分けて6つに分類されます。 人間、動物、鳥、魚介類、虫、単細胞あるいは無細胞の極小の生物、です。 植物は生命ですが、魂の質が上の6つとは全く違います。 植物は最も原始的な生命である、とも見えますし、人間よりもはるかに霊の完全性を現している、とも見えます。 植物が上の6つの生物の右側に位置するのかあるいは左側に位置するのか、今の私には..
大学病院や総合病院に行きますと様々な科があります。 精神科を除いては、ほぼ肉体的な科となっています。 精神科は肉体を通して現れている意識や意志が正常に働かなくなった場合に診てもらうところです。 意識や意志のことを魂と言います。 魂は常に霊というエネルギーと共にあります。 霊というのは非物質の生きているエネルギーのことであり、魂は霊があるから存在していられるのです。 今の世の中で人間が生命と言っているのは、残念ながら霊魂のことではなく、肉体のことを言っています。 何故かと言いますと、人間にはまだ霊的視点、霊的視野で物事を見ることができないからです。 物的な視点、肉体的な視点、視野でしか見ることができません。 これは霊魂の魂に備わっている霊性がそこまで発達、成長、つまり進化していないからです。 霊性とは、魂が霊の完全性をどれほど現しているかの物差しです。 地上..
人間は自分を過大評価する人と過小評価する人に分かれます。 今日は自分を過小評価する人について記したいと思います。 親や教師から「あなたは何をやってもダメだ」と言われると、本当に何もできなくなります。 一つには言われていることが心に染み付いてそこから抜け出せなくなることなのですが、もう一つは彼らに対して憎しみの念から「本当にダメになって見返してやる」と言う思いが働くからです。 これらの感情は環境から来てるとはいえ、本当にもったいないことだと思います。 しかし、本人にとってはある意味「死活問題」とも言える大きな問題なのです。 テレビでも「ファミリーヒストリー」という芸能人が自分のルーツを追って「先祖に偉人がいた」と言って喜んでいる番組があります。 確かに両親や祖父母をはじめ多くの先祖は自分のルーツの一部ではあります。 でも彼らは自分のルーツのほんの一部分でしかない、..
病気には病気になる原因というものがあります。 その原因は物的視点で見た時と霊的視点で見たときでは違います。 例えばガンですが、物的視点で見るとガンは細胞が悪化して侵食するので、やはり物的なものを用いてガンを取り除こうとします。 この場合には細胞も物質として見ているわけです。 ガンは霊的視点で見ますと、全く違う原因が見えてきます。 霊的視点で病気を見た場合、肉体に現れるのはあくまでも結果であり、本当の原因を取り除かない限りまた増殖する可能性があるわけです。 細胞は生きています。 生きているということは、そこには霊つまり生命というエネルギーが宿っているわけです。 人間の身体には数十兆の細胞があると言われていますので、それと同じ数のエネルギーが宿っているのです。 この霊というエネルギーは本来は病気も老いも死もなく完全なものなのです。 この完全であるはずの霊が完全性..
これを書くと何か般若心経の一節では無いかと思われるかもしれませんが、そうではありません。 生命には生老病死はありません、それは断言できます。 それなのになぜ私たちは病気になったり、年老いたり、そして死ぬのでしょうか? 生老病死が起こるのは、肉体です。 しかし肉体は生命ではないのです。 ここがなかなか理解されないのですが、それは物的視点で見ているからです。 霊的視点で見ると、生命は全く違う様相を呈します。 生命というのは霊魂のことであり、まさに霊や魂のことです。 それが私たち自身の本質・本体なのです。 肉体が病気になるのは、大自然の法則に反しているからです。 ただそれが反映されて病気になるだけなのです。 大自然の法則とは、霊的な摂理、生命の法則のことです。 そもそもこの大宇宙は生命のためにあります。 なぜこんなに無限というほどの大きな空間が必要な..
ここには「人間は霊である」と書かれています。 そして「霊とは生命のことであり、生命とは霊のことである」と書かれています。 私たちは確かに生きています。 生きているのに「生命の本質」が分からないのは、物的視点で物事を見ているからです。 視点や視野には物的なものと霊的なものがあります。 霊的な視点というのは、見えないものを見る洞察力のようなものです。 そもそも宇宙には物質の空間と霊的な空間があります。 異空間と表現するのが良いのかそれとも異次元と表現する方が良いのかわかりませんが、とにかく宇宙はこの二つの空間が混ざり合うように存在しているのです。 今私たちが生きているこの地球という天体も同様に二つの異次元が混ざり合うように存在しています。 一つは物質の世界です。 肉体も物質の一つです。 そしてもう一つは生命の世界です。 生命というのは霊魂のことです。..
最初にイノチの説明をします。 あなたが「自分である」と思うあなたというイノチは、唯一無二の存在です。 でも自分のことがよくわからずに「自分っていったい何者なんだろう?」そんな疑問を持っているのではないでしょうか? では、あなたというイノチを解明していきましょう。 イノチには生命と精神(意識と意志)があります。 生命というのは肉体のことではありません。 肉体はイノチではありません。 では肉体は何なのか? 肉体はイノチが進化するためにイノチに与えられた「物質」です。 人間はこの物質に翻弄され過ぎていますが、肉体はイノチの本質ではありません。 従いまして、死によってイノチが死ぬことはありません。 死によって無くなるのは「肉体」という物質であり、イノチが消えて無くなることは決してありません。 地上には目で見える世界と目では見えない世界があります..
あなたが人間として生まれ、生きているのは、「生命全体の進化に寄与するため」です。 なぜ全体なのかと言いますと、生命というのは究極は一つだからです。 これは絶対に変わらない真理です。 だからシルバーバーチは「とにかく人のため」ということを説いているのです。 人間だけではなく、すべての生命は「宇宙に存在している生命の進化に寄与するため」にこの地上に生まれ、そして死んでいくのです。 ただし、生と死をこの地上だけで見ていたのでは、なぜ生と死があるのかは分かりません。 それは、生命というのは永遠に生き続けていくものだからです。 なぜ永遠に生き続ける必要があるのかといいますと、「生命の完全性」を現すためには、永遠の時がかかるからです。 つまり私たち生命は、永遠の時を生きていて、その過程の中で今こうして地球という天体の上で肉体という物質を身にまとって生きている、それが地上にいる生命の..
宗教にしろ何にしろ、他力は所詮自分ではない、ということです。 「絶対に儲かるよ」と言われてそれに投資したら損をした、という話は枚挙にいとまがありません。 信じれるのは自分自身しかないのです。 ところがその自分が頼りにならない、頭が真っ白で何をして良いかわからない、そういう事態に遭遇することがあります。 いわゆる「想定外」というものです。 自分のキャパシティを超えた何かに遭遇すると、人間はこのような精神状態になるのです。 その原因は、自分に絶対に揺るがない「理念」がないからです。 理念、言い換えれば哲学、背骨とでも言いましょうか。 ブレない「判断の基軸」です。 他力を頼るのは、自分にブレない判断の基軸がないからです。 そもそも「想定外」というものをつくってはいけないのです。 そのためには自分という「魂」が信じ切れる理念を自分で作ることが大事です。 魂は..
苦しい時は「死にたい」と思う 死んだら、きっと今の苦しみから解放される、そう思う時がある 本当に死んだらこの苦から逃れることができるのだろうか? このような考えは 物的視点で見ているから出てくる考えである 物的視点に対して、霊的視点という見方がある この地上は物的にできているし、物的なものしか見えない だからモノが全てである そう錯覚しても無理はない たとえば心や精神や愛はモノではない、が確かにある 確かにあるが今の科学ではあることを証明できない 霊もそうである 科学では霊を証明できない 人間は霊であるのに 霊の存在が証明できないのである 霊とは何か? 霊とは生命、イノチのことである 自分が生命である という意識は誰もが持っている ところが生命が見えないが故に 生命を軽んじてしまう つまり 生命とは肉体のことである そう思いこんでしまうのであ..
この世は自分という不完全な生命を少しでも完全な方向に近づけていく、そういう場所です。 「自分はなんとダメな人間なのか」・・そう思っている人もいると思います。 霊的視点で見ると、そういうふうに自分を客観的に見れるという目を持っている人は、有望です。 なぜならば、人間ほど不完全極まりない生き物はいないからです。 この地上に誕生した人間は、この地上で自分という生命として初めて自由意志というものを持ちました。 今までも生命としては生きてきましたが、自由意志はありませんでした。 それが初めて自由に決められる意志を持ったのです。 と言いましても、自由には範囲が決められています。 その範囲は自分の霊の完全性がどれほどの位置にいるのかという霊性というものによって決められています。 霊性というものが向上すればするほど、自由意志の範囲は広がります。 勝手気ままに自分が思った通り..
第二次世界大戦が終わって74年が経ちました。 私たちは一体なんのために戦争をしたのでしょうか。 原爆で数十万の人が亡くなり、数百万の人が負傷しました。 そして私たち日本人は多くの人を傷つけました。 こんなに酷いことなのに、なぜ戦争は起きるのでしょうか。 それは私たちの内に、もっと自分がよくなりたいという欲や感情があるからです。 自分と人は違うという思いがあるからです。 みなさんは、自分と人は同じだと思いますか? それとも違うと思いますか? 正解をいうと、個としては違いますが、全としては同じなんですよね。 個というのは肉体という物的視点で見たときのお話です。 これに対して、洞察力という霊的視点で見たときには、個でもあり、全でもあるわけです。 自分のことを肉体であると思っている間は、人と自分が同じ命であると思うことはできません。 自分のことを霊であると思うこ..
私は戦争は人殺しだと思っています。 ところが戦争では、いくら人を殺しても罰せられません。 どのような理由があっても戦争をしてはいけません。 こう書きますと、「じゃあ、一方的に攻めてこられたらどうするのか」と反論されます。 こういう時は「生命の法則」を説きます。 生命には法則があります。 生命というのは読んで字の如く、「生きているいのち」のことです。 私たち人間は生きています。 生きている者はいつか必ず死にます、そう私たちは教えられていますし、私たちもそう思って生きています。 しかし、真理(本当のこと)は違います。 そのことがわからないから、私たちは間違いを犯すのです。 その根本的な原因は、人間が「いのちとは何か」ということが理解できていないからです。 なぜ理解できないのかというと、まだ人間がそこまで進化していないからです。 ここでいう進化というのは..
なぜオナラは臭いのか、臭くなる原因をなくせばオナラは臭くなくなります
皆さんは、生命と肉体、そして精神という三つの自分で出来ていますが、普段意識するのは肉体としての自分だと思います。 そして、それは普段の生活にも反映されています。 少し汚い話をしますが、オナラって皆さんしますよね。 健康な人なら誰でも出る、ガスですね。 皆さんのオナラ、臭いですか臭くないですか? あのー、オナラだけではなく、ウンチも臭いか臭くないか、これは生命的に生きているか生きていないかによって変わってきます。 それから歳をとってくると出てくる加齢臭、嫌ですよね。 これも同じ原理なんですね。 要するに肉体から出る匂いというのは、ほぼほぼ意識によって、つまり生命的に生きているかどうかによって変わってきます。 もし皆さんのウンチやオナラが臭いのなら、それは生命的に生きていないという証拠です。 つまり肉体的に生きている、ということです。 皆さんの中で..
そして、なぜ、何のために地球に生まれてきたのでしょうか? それを知るためには、まずあなた自身のことを、知らねばなりません。 あなたという人間は、一体何から出来ているのでしょうか? その身体があなた自身なのでしょうか? それとも身体以外の何かが、あなた自身なのでしょうか? 身体は、若い時には言うことを聞いてくれますが、歳を重ねるごとに言うことを聞かなくなってきます。 ですからいつまでも「自分は身体である」と思っていますと、身体に無理をさせることになりますから、ますます言うことを聞かなくなるのです。 身体は本当のあなたではありません。 あなたの身体は、あなたという自分をこの地上で表現するために、そしてあなたという自分を成長、進化させるために、この地上だけで与えられた物質だということです。 生命(いのち)は物質ではありません。 つまり、生命は身体ではな..
みなさん、こんにちわ。 命チャンネルです。 どこの組織にも属さない一匹オオカミです。 祖父は浅草にあるお寺の住職でしたが、私は無宗教です。 経営者として約20年間、順風満帆に株式上場を目指していました。 しかし従業員数が200名を超えた頃、様々な問題が噴出してきて人の上に立つのが嫌になり、50歳でハッピーリタイアしたいと思うようになりました。 そして50を少し過ぎた時に、一部上場企業に株式を譲渡してM&Aをし、その後は海外旅行にゴルフとなるはずでした。 ところが2011年の3.11で私に意識の変容が起きたのです。 あろうことか、私に霊的な能力が顕現し始めたのです。 それは、視える、聴こえるから始まって、匂う、感ずる、そして他の霊が私の口を使って喋る霊言と言われるものまで、つまり五感の延長線上のすべての霊能力を体験させられたのです。 なぜ「させられた」という表現を使っ..
だからシルバーバーチは、「とにかく、人のために」と口を酸っぱくして言っているのです。 「人を苦しめたことなんか一度もない」、そう言い切れる人がいるでしょうか? もしかしたら、今でも誰かを苦しめているかもしれません。 人という言葉を霊に置き換えてみて、では、「霊を苦しめたことなど一度もない」、と言い切れる人はいるでしょうか? 霊というのは「生命」のことです。 人間という霊、、動物という霊、鳥という霊、魚介類という霊、虫という霊、それから自分の守護霊、あるいは愛で結ばれた霊たち・・ 全ての霊に対して、苦しめるようなことをしてこなかったでしょうか、直接間接を含めて、私たちは今でもなお彼らの誰かを苦しめ続けている、それが現状ではないでしょうか? 食事、薬、革靴、革製品・・さまざまなことで毎日、間接的に彼らを殺傷していないでしょうか? 「別に悪いことしてないよ。それが..
病気は自分で治せる (「シルバーバーチの霊訓第5巻第8章」より)
病気は自分で治せるか? 未来の人類は自分で治せるようになる、私はそう確信しています。 では現在の人類はどうなのでしょうか? それは一人一人の意識の立ち位置によって変わる、私はそう思っています。 なぜ自分で病気が治せるのか? それは自分という霊の中にある大きな意識を使うことによって病気が治せるのではないか、私はそう思っています。 何か禅問めいてきましたけど、これは霊魂とは何かを理解して、霊の力を最大限に活用するということだと思います。 自分という個の霊の中には、自分以外の魂が存在します。 まずそれを理解しないと先に進めません。 自分よりもはるかに叡智を持った、守護霊と言われる魂です。 指導霊は守護霊ではないという見方もありますが、私は同じように考えております。 つまりすべて守護霊という言い方で統一して良いと思っています。 シルバーバーチは上記のことにつ..
また変異株が見つかりましたね。 そして新しいワクチンを開発する、こういうのをイタチごっこというのでしょうか。 変異株に「オミクロン株」という名前がつきました。 もう30カ国に広がっているそうです。 感染力が相当強そうです。 三密を避ける、マスクと手洗い、うがいをする、ワクチンの接種、これが現在個人でできる予防策だと言われています。 本当にそうでしょうか? なぜそういう疑問を投げかけているかというと、これらの予防策は身体的な予防策であって、生命的な予防策ではないからです。 では、生命的な予防策は何か? それは植物を除いた他の生命を食べないことでしょう。 正確にいうと、他の生命を殺生して食べないということだと思います。 「じゃあ、スーパーに並んでいるのは食べてもいいの?」 いえ、それは生命的な視点で見れば、間接的ですが殺生しているのと同じなので勿論ノ..
私たちには自分が生きているという意識がありますよね。 つまり間違いなく生きている、それは自分が生命であるという証です。 ところが生命は見えません、それで生命のことがよく分からなくなるんですね。 生命という素材は絶対に見えません。 霊能者に見えているのは生命そのものではなく、生命の身体だと私は思っています。 霊能者の人の霊の見え方には、さまざまあるようです。 ある霊能者は人の形に見え、ある霊能者は霊の身体の形に見える、という具合にです。 いずれにしろ、見えるのはこの地球に近いところにいる霊だということです。 シルバーバーチのように遠い星にいる霊は人間にはまったく見えません。 地上の人生を卒業して霊界に旅立つときに、肉体を置いて霊魂になるわけです。 霊というのは生きているエネルギーであり、魂というのは精神という道具として現れています。 この二つが「いのち」の原..
最近大豆ミート市場が熱いです。 これは喜ばしいことです。 喜ばしいことなのですが、私は少々ガッカリしています。 大豆ミートは肉を食べないために作られた食材です。 もちろんこれは健康のためです。 誰の健康かって、もちろん人間の健康です。 人間様の健康であり、動物の健康のためではありません。 その証拠に、街で売られている肉を使わない大豆のバーガーやハンバーグは、肉の味や色を出すために、動物の肉汁や魚介類、卵、乳製品などを使っているものが多いのです。 「何もそこまでめくじらをたてなくても良いではないか」と思われる方がいるかもしれません。 しかし私は嫌なのです。 なぜかって、もちろん生きて動くものの生命に対して責任を感じているからです。 動物や魚介類や鳥や虫は何のためにこの地上に生まれてきたのでしょうか。 それは食用や研究用のためではなく、生命を「霊的に進化..
歳をとってきますと身体のどこかが痛くなったり動かなくなったりします。 それは一つには身体が歳をとってきたからです。 でももう一つ理由があります。 私は、人間は歳を取るに従って霊的になっていく必要がある、と思っています。 意識を肉体主導から霊主導へと変えていく必要がある、そう思っています。 そうしないと生命エネルギーが枯渇して身体が思うように動かせなくなっていきます。 そうは言っても意識が霊的になるには時間がかかります。 そこで生命エネルギーを取り入れる方法をお伝えします。 寝て目覚める時に、手足をぐーっと伸ばしてノビをすることが多いのではないかと思います。 そうするとすごく気持ちが良いですよね。 私は毎朝目覚めた時に「ウーっ」と大きな声で手足を思いっきり伸ばして、さらにゆっくりと時間をかけてノビをします。 なぜそういう声を出すかというと、私という身体に私と..
人間はつい「俺が俺が」「私が私が」という「我」が出てきます。 しかしこの「我」という自覚できる自分は、自分という生命の一部に過ぎないということなのです。 すみません、ちょっと哲学的で難しいですよね。 みなさんと言う生命、いのちには今自覚している自分以外の意識が存在していると言うことなのです。 みなさんはその存在を「守護霊」と言っています。 この地上に生まれて守護霊のいない人は1人もいないと思います。 つまり誰にも守護霊という自分とは違う意識が自分という生命の中に存在しています。 しかも複数の意識が存在しています。 じゃあ人間は皆統合失調症なのかというと、そうではありません。 統合失調症というのは自分という生命の意識に他の生命の意識が入り込んでくることを指す言葉です。 私が言っているのは、自分という同じ生命の中に存在する他の意識のことです。 みなさんはお..
私たちは確かに生命です。 本来、生命には飲食は必要ない、私はそう思っています。 しかし、私たちには肉体があります。 これまでブログで述べてきたように、肉体は生命ではありません。 生命ではありませんが肉体は地上で自分を表現するための大事な媒体です。 その肉体を維持するために飲食はどうしても必要なものです。 飲食は必要ですが、一人一人の意識により何が必要なのかその内容が決まってきます。 つまり何をいつ食べるのかは、一人一人の意識が大きく関わっているということです。 意識を私たちは意識することができます。 たとえば「自分である」という意識です。 人間には他人とは違う、自分という個性としての、個としての意識があります。 生命は人間に生まれて初めて個を確立します。 動物までは個は確立されません。 それでも犬や猫などはかなり人間に近いものは持っています。 ..
老衰で死ぬのは良いが、病気で死ぬのは間違っている、私はそう思っています。 現在はあまりにも病気が多い、そうではないでしょうか。 人間歳をとってきますと肉体のどこかが悪くなってきます。 胃腸、心臓、腎臓、肝臓などの臓器、足や手、頭、目、鼻、口、歯、それから排泄機能などです。 客観的に考えれば、私たちは彼らを毎日休みなく何十年も酷使し続けているわけです。 私たちは一日8時間以上は働きたくないし、週2日以上の休みが欲しい、そう思っています。 でも彼らのことは休みなく働かせていてそれが「当たり前」だと思っている、そうではないでしょうか。 モノは酷使すれば痛みます。 多くの病気はそうやって起きているものなのです。 その原因は、私たちは「自分は肉体である」そう思っているからです。 「いや、自分は精神的に生きている」そうおっしゃる方もいるかもしれません。 しかし、霊的に..
私は先日ファイザーの新型コロナワクチンの2回目の接種を終えました。 その感想を記したいと思います。 まず1回目ですが、接種した当日は注射の箇所の痛みが少しある程度でしたが、翌日に違和感が出ました。 言うなれば風邪の初期の症状に似ている感じです。 症状としては、何となく熱っぽい(がほぼ平熱〜平熱は6度3分)、何となくだるい、少しムカムカ感がある、ノドに違和感が少しある、などです。 夜はよく眠れました。 翌々日になるとこれらの症状は3分の1程度に低減しました。 そして3日後には症状は完全に消えて、元の状態に戻りました。 従いまして、違和感があったのは接種した翌日と翌々日の2日間だけでした。 そして1回目から21日後に2回目の接種をしました。 2回目は症状が重いと聞いていましたが、私の場合には全く逆でした。 2回目は接種した当日に注射した箇所が少し痛む程度で、他には..
肉、魚介類を食べない人のことをベジタリアンといいます。 このベジタリアンがさらに卵と牛乳やチーズなどの乳製品を食べなくなった人のことをヴィーガンと言います。 ヴィーガン食は体に悪いという人もいます。 これは意識の問題である、と私は思っています。 肉や魚を食べなければ充分な栄養が摂れないという思いがあれば、それだけで肉体がそう反応します。 例え話をします。 なぜ泥棒が捕まるのでしょうか? 泥棒は捕まろうと思って盗んでいるわけではありません。 しかし泥棒の意識には「自分を捕まえて欲しい」という潜在意識があります。 みなさんは、もし自分の家に泥棒が入って大切なものを盗まれたらどうでしょうか? 誰でも「許せない」と思うでしょう? 泥棒も同じなんですよね。 「許せない」という思いが心の中にあるのです。 自分だけは許されて、他人は全て許せない、それはどう考えても通らない道..
命チャンネル主催者の ひろあき です。 スピリチュアルヒーリングを始めます。 スピリチュアルヒーリング(霊的な治療)について説明をします。 スピリチュアルヒーリングとは、私自身の霊界の守護霊や指導霊の力を借りて、宇宙にある霊(生命)という「生きているエネルギー」をクライアント(患者)の霊体(生命)に、私の霊体を通して注ぐものです。 霊(生命エネルギー)の媒体となるヒーラーは、より洗練された生命エネルギーを通せるように、日常を過ごさねばなりません。 何故ならばヒーラーの霊性によって宇宙から取り入れられる生命エネルギーの質とか量とかが決まってくるからです。 たとえば、私は「日常こそ修行の場」であると捉えていて、二つのことに取り組んでいます。 一つは食事です。 私は肉、魚、卵、乳製品は食べません。 さらにグルテンフリーであり、カフェインレスです。 もちろんお酒も飲みま..
自分の身体なのに思った通りにならない・・ご高齢になってきますと皆さんそうおっしゃいます。 足が上がらなくなります。 手も上がらなくなります。 膝がガクガクするようになります。 多くの方が何かしらのいわゆる病気を抱えることになります。 病気・・身体の不具合です。 身体の不具合が精神をも侵します。 逆に精神的なものが身体にも出てきます。 身体と精神はお互いに連携をしているからです。 ですから身体が悪くなっても、精神まで侵されないようにしなくてはなりません。 絶対に変わらない、不屈の精神を持つ必要があるのです。 と言いますのは、どんなに健康になろうと思って生活していても、病気にはなる可能性があるからです。 それは、人間は、否、今の地上の人類は、まだまだ未完成であり、生命(いのち)として不完全だからです。 この不完全な自分という生命(いのち)を完全にしてい..
死んだらどうなるのか? 人間は死後は霊魂になります。 なぜ人間は自ら死を選ぶのか? それは生きるのが苦しく辛いから、死んで楽になりたいと思うからです。 あるいは自分には生きる価値がないから死んでしまいたいと思うからです。 自殺というのは、自分で自分を殺すことなのです。 なぜこのような残酷なことができるのでしょうか? それは自分のことを、生命のことを肉体だと思っているからです。 生命を殺すことはできません。 何人といえども生命を殺すことはできないのです。 それは自分が死んでみれば分かります。 今までこの地上に生まれて死んでいった人は、全員が生きています。 人間は「生命を絶つ」ことができないのです。 肉体は生命ではありません。 肉体は生命の道具に過ぎません。 では生命とはなんでしょうか? 生命とは霊のことです。 目には見えない、非物質の..
なぜ「この世」は「修行の場」なのでしょうか? 修行というと私たちはすぐに お坊さんや滝行や何かの宗教などを思い浮かべますが、そういう特殊なものではなく、私たちの毎日の生活そのものが修行である、私はそう思って生きています。 どうしたらそういう心境になれるのか、なぜそんなことをしているのか、そんなことをしてどんな意味があるのかをこれから説明したいと思います。 まず何の修行かということですが、魂の修行です。 私たちには一人一人に魂というものがあります。 魂というのは言葉でいうと、個性とか意識とか意志とか精神とか、そういう物資的ではない生命的なもの、霊的なものを指します。 魂は霊的ではありますが、霊そのものではありません。 霊というのは、生命のことです。 霊は完全です。 しかし霊から誕生した魂は不完全です。 その不完全を完全にしていく過程を、私は「修行」と呼んでいま..
❶なぜ自分は生まれてきたのか? ❷何のために生きているのか? ❸死んだらどうなるのか? ❹宇宙はどうなっているのか? ❶人間は霊界にいた霊魂が肉体を持ってこの地上に生まれてきたものです。 霊魂の霊とは生命の素のことであり、生きているエネルギーです。 魂というのは個としての意識のことであり、精神は魂の道具です。 なぜ肉体が必要なのかというと、地上では自分を表現する道具として肉体が必要なのです。 ○○家に生まれたのは、自分という霊魂にとってその環境が最も修行になるからです。 ただし、家系の遺伝というのは肉体的なものだけであり、霊魂は遺伝しません。 皆さんが前世と言っているのは、個として生まれてきたあなたという魂の前世ではなく、同じ霊に属する別の魂の過去生のことです。 あなたという霊はあなたという魂だけではないということです。 守護霊と言っている魂は、あなたと同じ霊に..
私という魂は 寄せ集めの魂である 今朝ふとそう思った たくさんの魂が 私という個性を作っている シルバーバーチが言うには 人間は何百万年も生きてきているそうである なぜ「そうである」などと言う書き方をしたかと言うと 私には全くその記憶がないからである しかし客観的に見ると 人間になるまでにそれくらいの年月は必要なのであろう と妙に納得している自分がいるのも確かである 霊は離合集散するというのが霊的な摂理であるが これは一体どういうことなのだろうか? 人間で考えた場合 霊ではなく霊魂が離合集散するという方が分かりやすい言い方だと私は思っている つまり人間は多くの魂が寄せ集められて作られた霊の集合体なのである なぜそう思うのかというと 魂というのはそういうふうにできているからである アフィニティというのがある 一つの霊の集合体にある二つの魂が この地上にほぼ..
これって変な質問ですよね。 でも私はみなさんに真面目に聞いているのです。 いかがでしょうか? 大方の人は「ウィルスなんて好きな人がいるわけないでしょう」と思うはずです。 それが正常であり、その他の人は「精神的におかしい人」というレッテルを貼られるに相違ありません。 つまり世の中から見れば、私という人間は「精神がおかしい人間」な訳です。 なぜって、ウィルスが嫌いではないからです。 では好きかというと、好きなわけでもありません。 つまり好きでも嫌いでもないのです。 かと言って、どうでも良いわけではありません。 私はウィルスを物質的視点ではなく、霊的な視点で見ているからです。 ウィルスというのは、間違いなく生きています。 生きているということは、生命が宿っているということです。 生きて動いている生命には、必ず霊魂が宿っています。 では霊魂とは何..
みんな、月に行きたいと思ってるかい。 それはナンセンスだと思う。 なぜって、月にはロケットで行くものじゃあない、僕はそう思ってる。 人間には絶対に必要なものがある。 光、空気、飲食、住居、運動、そのほかにも衣服、睡眠、排泄など様々なものが必要なのだ。 こんなに必要なものがいっぱいある中で、なんで宇宙船に乗って月に行きたがるのかな。 こんな大変な思いをしなくても行くことはできる。 どうやって行くかって? それは死後の楽しみだよ。 みんな人生には死後があることは知ってるよね。 死後には色々な天体に行くことができるんだ。 でもね、条件がある。 それはね、霊性・霊格を向上させなければならない。 そうしなければ他の天体に行くことができない仕組みになっている。 誰が決めたかって? それはもちろん神様だよ。 神様って何かって? 神様とはね、宇..
統合失調症を治すことはできるのでしょうか? もし治せるとすれば、どうすれば良いのでしょうか? 統合失調症と診断された方は、大変に辛い思いをされていると思います。 そしてご本人だけではなく、ご家族の方も大変辛い思いをされていると思います。 統合失調症というのは、昔精神分裂病と言われていました。 要するにジキル博士とハイド氏のように二重人格になってしまう人のことです。 その主な原因は、他の霊魂による憑依です。 憑依というのは精神が他の霊魂に占有されてしまうことです。 精神というのは魂の道具なのですが、自分という魂を意識できるようになるまでは、魂はほぼ寝ているような状態です。 統合失調症は有病率約1%ですので、日本では100万人いることになります。 決して珍しい病気ではなく、ましてやそれよりも軽症である鬱(ウツ)などはほとんどの人が体験をしているのではないでし..
「ああ、そろそろ死ぬ時期が近いかも知れない」私はそう思った。 私はアオムシである。 多分人間からは嫌われているだろうと思う。 なんと言っても見た目が悪い、それに歩くのも遅い。 第一私は地を這って生きる二次元の世界に住んでいる。 何といってもレタスは美味しい。 ところが人間は我々が食べないように農薬とかいうものを撒いている。 全く困ったものだ。 もしレタスを購入してアオムシが居たら、そのレタスは農薬が少ないという証だから喜んで欲しい。 そしてもし見つけたアオムシが生きていたら、草むらに逃がしてあげて欲しい。 なぜって私たちも人間と同じ生命だから。 さて、私はだいぶ年老いてきた。 冬が近くなってきて何だか身体が動かなくなってきた。 それにやけに眠い。 そろそろ寝るとしよう・・・ あーあ、よく寝たなァ。 なんだこの殻は、なんで私はこんな殻の中にいる..
地球に生まれた生き物は みんな修行に来ている なんの修行かというと 魂の修行だ 動物も鳥も魚も虫も みんな人間と同じ魂がある 捕まえようとすると逃げる それは魂があるからだ 人間だって捕まえようとすれば逃げるだろう 捕まって料理されるのは誰だって嫌だよ 魂は進化する宿命にある 進化と言っても肉体じゃあないよ 生命的に、つまり霊的に進化することを義務付けられているんだ 霊的な視点で見ると 生命というエネルギーがあるから魂は活動できる 魂は誕生した時は 本当に小さく未熟なんだ それがだんだん大きくなって やがて人間になる だから本当は他の生命に対して 人間には責任があるんだよ それに気づくには もう少し人間が進化する必要があるんだ 霊的にね 生命エネルギーの完全性を 魂がどれくらい表現できるようになるかが大事なんだよ そのバロメーターを霊性と..
皆さんは今身体のどこかに違和感をお持ちでしょうか? もしそうでしたら、それは結果である、ということです。 なんの結果かと言いますと、自分の人生の結果です。 私は今の前の10年間が大事であると思っています。 ということは今の10年間は次の10年間の礎になるということです。 人生50歳まではある程度無茶をしても、それが学びとなります。 しかし50歳、特に55歳を過ぎたら、肉体はかなり疲れてきていると思って下さい。 私は50台は60歳からの為に、60台は70歳からの為に、70台は80歳からの為に、80台は90歳からの為に、90台は100歳からの為に、そして100台は110歳からの為に生きるべきであると思っています。 そしてもっと言うならば、この地上の人生は次に生きる世界をよりよく生きるための場所にすべきである、そう思っています。 逆にいうと、次があると思えなければ、..
蕎麦(そば)アレルギーというのがあります。 食物アレルギーというのは、生命、いのちにとって良くない食べ物や飲み物のことです。 食べる蕎麦は通常小麦を混ぜて作ります。 この小麦にはグルテンという良くくっついて膨らむ成分が入っています。 古代小麦にはグルテンはほとんど含まれていませんでしたが、人間が改良を重ねてグルテンという成分を多く含む小麦に改良しました。 日常で食べるパンは良くくっついて良く膨らむ強力粉などを使います。 その方が美味しいし良く売れるからです。 この良くくっついて良く膨らむ成分が胃や腸などの消化器官に対して良くない働きをするのです。 考えてみれば、良くくっついて良く膨らむものが、繊細な消化器官にとって良いはずがありません。 生まれたばかりの赤ちゃんというのは、生命、いのちという非物質体が肉体という物質体を持ったばかりの状態です。 従って赤ちゃんは大..
神とは、すべての生命、いのちあるものが自分であるという意識を持っている生命、いのちのことです。 私たち人類の意識はまだ、人は人、自分は自分です。 自分と人とがなぜ同じ生命、いのちであるのかが理解できないのです。 人間がそうなのですから、動物は尚更自分と同じ生命、いのちであるなどとは思えないわけです。 鳥も同じです。 あのカラスと自分が同じ生命、いのちだなどとどうして思えるのでしょう。 魚も自分と同じです。 そして虫たちも自分と同じ生命、いのちなのです。 植物も自分と同じ生命、いのちが宿っています。 だから生きていられるのです。 私は植物しか食べませんが、それでも生きている生命、いのちを頂いているのです。 物質的な視点で人間を見ていたのでは、とても自分と人が同じだなどとは思えないでしょう。 生命の視点、いのちの視点、霊的な視点という見えないものを見る洞..
今の私は虫が殺せません。 たとえばレタスの中に小さな虫を見つけることがあります。 スーパーのレタスには虫が居ませんが、農家直売所の野菜には時々虫が居ます。 よく居るのは黒くて小さな虫です。 見つけると外の草むらに放してあげます。 虫は可愛い、そう思うようになりました。 昔よく家の中に出たゴキブリやムカデはここ2、3年見かけなくなりました。 どうやら虫たちは私の魂の成長に合わせて出現するようです。 生命は繋がっている、霊として一つである、という摂理を実感しています。 肉を食べなくなったのは健康のためではありません。 動物を食べることに違和感を覚えたからです。 ペットを膝に乗せて、同じ四つ足の動物の肉を食べていることがおかしいと思い始めたからです。 それでも最初は、ひき肉入りのコロッケなどは「まあ、このくらいは良いか」と思い食べていました。 やがて魚が食べ..
「最善を尽くす」とはどういうことでしょうか? 果たして私たちは日々最善を尽くして生きているでしょうか? 例えば家庭では両親のお世話や子供の世話をしなければなりません。 結婚をすれば両親は増えます。 子供も生まれます。 そこに仕事が入ってきます。 とても結婚相手の両親まで面倒を見ることができません。 そんなゆとりが無いのです。 なぜ無いのかというと、自分のことで精一杯だからです。 通常はさらにここに遊びや趣味やリラックスする時間が入ってきます。 これは自分のために使う時間です。 最善を尽くすというのは、自分と他人を分け隔てしないことである、私はそう思っています。 イエスが言っている「自分がして欲しいことを他人にしてあげる」ということだと思います。 他人というのは、自分という霊魂以外の者すべての人のことで、家族も入っています。 家族というのは最小..
生命と肉体、その間にあるのが精神です。 自分という意識は、精神の中にあります。 そして精神には、生命的な意識と肉体的な意識との両方があります。 生命も肉体もどちらも自分なのですが、みなさんはどちらも同じくらいに意識できますでしょうか。 おそらく肉体は意識できるけど生命はよくわからないというのがみなさんの精神の立ち位置だと思います。 実は、自分という生命を意識できるようになる、これが今のみなさんに課せられた宿題なのです。 シルバーバーチ風に言いますと、肉主霊従から霊主肉従へと自分の精神を変えていくことなのです。 肉主霊従と霊主肉従は180度違います。 シルバーバーチは生命と肉体、どちらも疎(おろそ)かにするなと言っています。 私は魂の琴線に触れてから今年でちょうど10年になります。 魂の琴線に触れるというのは、大きな悲しみや病気などで魂が追い詰められて自分では..
私たちの通常の意識は「自分と人は別」という意識です。 それは私たち地上の人類の意識の進化の程度がまだそこにあるからです。 進化にはこのように意識の進化と肉体の進化があり、またその両方共に人類全体としての進化があり、またそれぞれ個別の進化があります。 しかし全てに共通しているのは、生命(いのち)という法則の枠内で営まれているということです。 大きな視点で見れば、宇宙というすべての空間は、この生命の法則で統治されています。 もちろん地球も例外ではありません。 そして宇宙にあるすべての天体には生命が住んでいます。 宇宙の生命は、私たち地球の人間から見たら宇宙人です。 すべての天体には宇宙人が住んでいます。 ただこの宇宙人という言い方は正しい言い方ではありません。 もし天体に住んでいる生命が宇宙人ならば、私たち地球の人間も宇宙人になるからです。 では正しい呼び方は..
審神者(サニワ)とは、一人一人に影響を与えている背後にいる霊魂を正確に霊的にジャッジする人のことです。 他界した霊魂の影響を受けていない人は一人もいません。 誰でも必ず他界した霊魂の影響を受けています。 その答えは、人間は霊であり、宇宙は霊界だからです。 霊能者も同じです。 霊能者にも必ず影響を与えている霊魂が背後にいます。 自分では「高い霊界の高級霊と繋がっている」と思っている人でも、実は地上近くにいる浮遊霊であることが多いのです。 高い霊界とつながる場合には、背後には必ずどっしりとした守護霊や指導霊がいるものです。 宙に浮いている浮遊霊は、高級霊とは繋がっていません。 浮遊霊は高級霊とは繋がっていませんが、高級霊的な知識は持っています。 そこが厄介なところです。 まるで高級霊かのように思ってしまう霊能者が多いのです。 どんなに優秀な霊能者でも..
魂は霊から誕生します。 つまり、自分という魂の親は霊なのです。 親という言い方が正しいかどうかは別として、霊と魂というのはそういう関係であるということです。 人間には一人一人に別々の魂というものがあります。 その親は霊という「完全なる生きているエネルギー」なのです。 この「完全なる生きているエネルギー」のことを生命と言います。 つまり自分という魂の親は生命ということです。 もちろん自分も生命です。 違いは親である霊は完全であるが、子である魂は不完全である、ということです。 これが霊と魂の関係です。 すべての魂にとって、親は霊という生命なのです。 否、生命という霊なのです。 ここから導き出せるのは、すべての魂は兄弟姉妹であるということです。 何故ならば、親である霊は同じだからです。 この親である霊のことを、人は「神」と言っているのです。 今お話し..
私たちは生きているのに「いのち」のことがわかりません。 なぜ生まれて、なぜ死ぬのか、一体生命とは何なのかを何も知らずに生きているのです。 知らなければ何をしても許されると言いますが、本当に知らなければ許されるのでしょうか。 もし本当にそうならば生きる苦しみも、老いる苦しみも、病気の苦しみも、死の苦しみもないはずです。 なぜ人間にはこのような苦しみがあるのでしょうか。 この苦しみは果たして無くすことはできるのでしょうか。 人間には「生老病死」という苦しみがあります。 その原因は実は私たち自身が作り上げているのです。 その結果として生老病死という苦が起きるのです。 もしそうならば、いくら結果をなくそうと思っても、原因が無くならない限り結果も無くなりません。 モグラ叩きと同じで、いくら叩いても出てくるのです。 「生老病死」という苦難には必ず原因があります。 そ..
「人間は自分で自分を治すことができる」私はそう思っていますし、それがスピリチュアル・ヒーリングができる前提条件ではないかと思っています。 サイキック・ヒーリングまでの目的は「病気を治すこと」です。 しかしスピリチュアル・ヒーリングの目的は違います。 病気を治すことではありません。 スピリチュアル・ヒーリングの目的は「魂の開発」にあります。 魂の開発のサポートをすることです。 魂の開発をするのはスピリチュアル・ヒーラーではなく、ヒーリングを受ける本人です。 そうなるようにヒーラーはヒーリングをすることになります。 病気が治るに越したことはありません。 しかしそれよりも大事なのは、魂が開発されて自らの霊性に気づくことなのです。 ヒーラー自身がそういう価値観になっていないと、スピリチュアル・ヒーリングはできません。 皆さんは自分の霊性に気づいていらっしゃいますか..
2020年12月4日の厚生労働省の発表によりますと、11月最終週の1週間のインフルエンザの新規感染者数は全国で46名でした。 2019年の同週は27393名でしたから何と約1/600に減少したことになります。 インフルエンザは毎年9月から4月にかけて発症します。 ですから厚生労働省も毎年同時期に定点観測をして数値を集計してきたわけです。 ではなぜインフルエンザウィルスは急速に減少したのでしょうか? そもそもインフルエンザウィルスというのは何者なのでしょうか? 物的視点では科学的な解明を待たねばなりませんが、霊的視点•視野では霊的な洞察力で解明することができます。 霊的な視点•視野というのは、生命的な、いのちから見た見方です。 ウィルスというのはウィルスという生命、つまりウィルスという霊魂がウィルスという肉体を着ている状態、それを顕微鏡で見て私たちはウィルスと言っ..
人間は若い時に「命」のことや「死」を考える時があります。 それは当然です、「なぜ自分は生きているのだろう」「死んだらどうなるのだろう」と考えるのは人間だからできることなのです。 苦しい時や悲しい時に「自分で自分の命を断つ」という思いがフッと心に浮かぶことがあります。 しかし、これは肉体的な視点・視野でのモノの見方であり、いのちの方からの見方ではありません。 いのちのことを生命と言い、いのち側から見た言葉で生命のことを「霊」と言います。 大事なのは、霊は死なないということです。 霊というのは、いのちのことです。 いのちは死ぬことができない、というのが正しいモノの見方なのです。 ただ「いのち」というとどうしても肉体的な視点・視野のモノの見方になりますので、生命的な視点・視野である「霊」という言葉を使わせていただきます。 いのち=生命=霊、であるということは覚えてお..
あなたも、あなたも、そしてあなたも••人間は誰もが霊能者としての資質を持っている。 その理由は、「人間は霊だから」である。 しかし、聞くと「霊は嫌い」という人が多い。 日本には昔から霊の話はあった。 能や狂言には霊魂の話が沢山ある。 人は「自分が霊である」のに、「自分が霊である」ということになぜ気づかないのだろうか? それは肉体という物質を着ているからである。 「自分は霊である」ということに気づかせてくれるのは、霊的な能力が出てきた時である。 霊的な能力は、五感の延長線上の能力として出てくる。 一番多いのは、霊界の誰かが見えるようになることである。 亡くなった身内の人や薄い青色の絹の衣を着た人を見ることがある。 次に多いのは、ここに居ない誰かの声が聞こえることである。 それは人の話し声だったり、お経だったりする。 匂うというのもそうである。 私の..
今わかってきたことがあります。 それは「病気を治すてあげたい」と思っているうちはスピリチュアルではなく、サイキックであるということです。 シルバーバーチは心霊治療には三つのパターンがあると言っています。 一つは磁気的な治療で、ヒーラーが自分の気を使うものです。 もう一つはサイキックと言われるもので、五感の延長上にある能力を使うものです。 遠隔治療などもサイキックです。 そして完全に霊的な力を使う、それがスピリチュアルヒーリングです。 病気を治してあげたい、という気持ちはとても大切なものです。 しかしこれは自分の欲なのです。 病気は治してもらうものではありません。 「シルバーバーチの霊訓第5巻」には「病気は自分で治すものである」とハッキリと書かれています。 この第5巻は今は中古本で高いものを買うしかありません。 電子書籍だけではなく、紙の書籍として手軽な価格で..
明け方に「う〜っ」という大きな寝言を言って私は目が覚めた。 これが私の日常である。 なぜ大きな声で「う〜っ」と言うのかというと、それは私という霊魂が肉体に帰ってきたからである。 おそらく自分という霊が帰ってきて肉体が伸びるのだろうと思うが、仰向けに寝ながらグーっと背伸びをするような感じである そのときに「う〜っ」という声が出るのだ。 これは「おかえりなさい」ではない。 「ただいま」なのである。 私という霊魂はいつ肉体から出たのか、その時の意識ははっきりしていない。 出る時はどうやらスーッと出るようである。 そしてどこをどう浮遊してくるのか、それともすぐそこにいるのか、そこがまだよくわからない。 意識が夢として捉えていて、何かハッキリしないのである。 だからすぐに忘れてしまう。 ここがもう少しハッキリしてきたら記事として書けるようになると思う。 しか..
科学と思想は、仮説を立てて検証するという同じことをしているのですが、この二つは似て非なるものである、ということができます。 まず、この無限の宇宙には目で見える世界と見えない世界がある、ということを知っていただきたいと思います。 「見える世界」というのはモノの世界であり、これを「物質の世界」と言います。 人間の身体も物質であるし、原子やクォークなども物質です。 これらの物質の世界の未知を明らかにしていく人のことを科学者と言い、この明らかになったものを応用するために創意工夫し、腕を磨いていくいく人のことを技術者と言います。 つまり科学や技術というのは「物質の世界」「見える世界」の話であると言うことです。 これに対して宇宙には目では「見えない世界」と言うのがあります。 見えない世界は科学では検証することができません。 なぜならば科学というのは、万人が「その通りだ」と思うこ..
自分という人間は、肉体という物質を着ている霊魂という非物質なのです。 これが真理です。 自分という人間の正体です。 それをまずは知識として知ることです。 宇宙には物質の世界と非物質の世界があり、この地球という天体は物質が色濃く出ている世界です。 他の太陽や月は非物質が色濃く出ている世界です。 人間も他の生き物も、この地上にいる限りは肉体という物質を勝手に脱ぐことは出来ません。 人間は肉体の上に衣類というものを着ますが、この衣類も丁寧に洗って使えば綺麗で長持ちします。 未来の人間はヴィーガンでグルテンフリーでカフェインレスという食生活になっていきます。 そして120歳という寿命を、ほとんど病気をせずに送ることになると思います。 120歳というと60歳が折り返し点になります。 しかも後の60年間を健康に過ごすことができたら、人生設計は一変するでしょう。 と言..
その謎を解くには、「宇宙は何のために存在しているのか?」という哲学的な問題を解いておかねばなりません。 哲学とは非物質の世界を明らかにしていくことであり、思想とは自分が明らかにした哲学の仮説に対して自分自身の人生で検証していくことである、私はそう思っています。 物質の世界で万人が検証できることを科学と言いますが、非物質の世界も同じように万人が検証できる、私はそう思っています。 さて、宇宙は何のために存在しているのかですが、宇宙は生命のために存在しています。 生命というのは「生きているエネルギー」という非物質であり、これを「霊」と言います。 人間や動物、鳥や魚、虫や植物などは生きています。 生きているものには100%「霊」が宿っています。 霊という生きているエネルギーがなければ、生物は生きていられません。 地上で生物と呼んでいるものは、実は肉体です。 肉体は物質ですから..
みなさんは確かに生きています。 生きているということは、みなさんは生命であるということです。 生命のことを霊と言います。 生命と霊は同義語(同じものを指す言葉)です。 では皆さんにお伺いします。 みなさんという霊は一体全体どこにあるのでしょうか? みなさんは「自分は霊である」という意識がおありでしょうか? そして霊とはなんでしょうか? ご自分の言葉で答えるということに、チャレンジしてみてください。
以前私はこのブログで日本のトップにふさわしいのは、霊的視点で見て「霊性の高い人」と記しました。 さて、新しく日本の総理大臣になった菅義偉という人はどうでしょうか。 官房長官時代に言っていた菅さんの理念は「自助共助公助そして絆」というものでした。 しかしこれだけでは人の器はわかりません。 器には「人間性の器」と「霊性の器」という二つの器があり、この二つは似て非なるものです。 多くの人やマスコミは、人を人間性の器で評価しており、霊性では見ていません。 それは生命には霊性というものがあることを知らないからです。 人間を肉体という視点で見ていれば、人間性のみが見えてしまいます。 人間を見る上で大切なのは、生命に宿っている「魂」です。 魂にはそれぞれの立ち位置があります。 その立ち位置のことを霊性と言います。 霊性とは、どれだけ霊(=生命)の完全性が現れているかのバ..
霊的に視て、子は親を選べませんが、親もまた子を選べません。 親も子も地上で霊性を向上させるべく、つまり霊として魂を磨くべく地上に誕生します。 霊性の向上というのは、言葉を変えると「慈愛」「隣人愛」という愛の大きさを大きく深くしていくことです。 もっとわかりやすくいうと、どれだけ認めて、許して、受け入れるかです。 それをまずは自分の子供で試されるのです。 家族というのは、社会の中で最小単位の組織です。 組織はトップの理念によって、良くもなり悪くもなります。 皆さんには絶対に揺るがない「理念」がおありでしょうか? 理念というのは人間で言うと「背骨」です。 自分の背骨が曲がっていたり、細かったりすると、真っ直ぐに歩くことができません。 中には背骨がないために、人の意見で右に行ったり左に行ったり、右往左往している人もいます。 あるいは背骨がないために、欲や損得で判断してい..
老いは意識からきます。 人はみな老いて死んでいくと思っています。 ですから肉体がその通りになっていきます。 そもそも老いとは何でしょうか。 老いは肉体に現れるものです。 では肉体とは何でしょうか。 肉体は物質です、モノなのです。 モノは丁寧に扱えば長持ちしますが、乱暴に扱えば壊れます。 そうしますと修繕が必要になります、手術や薬などの治療です。 人はまだモノである肉体を自分の全てだと思って生きています。 ですから肉体の年齢をすごく気にします。 みなさんはどうでしょうか、人の年齢を気にしませんでしょうか。 例えば今日会った人が自分より年取っていると「勝った」とか、自分より若いと「負けた」という具合に一喜一憂していませんでしょうか。 これが意識というものです。 なぜこのように肉体の年齢が気になるのかと言いますと、それは自分を肉体だと思っているからです..
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