左端は、女形の初代岩井紫若(1804-1845、岩井半四郎/七代目)である。江戸のファッションは役者絵が推進役
過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記
先日、近所からさばいたばかりの鹿肉をいただいた。和宮様は前日まで生きていたという鹿の生肉の多くは冷凍にして、一部を圧力鍋で蒸しあげた。「毒味をせよ」というご下命があったので、食べてみると柔らかいうえにさっぱりした旨みのある食感だった。イノシシの狼藉はすさまじいものがあるが、シカは狡猾かもしれないくらいの食害がジワリとくる。この間も、ニンジンの畝に侵入して葉っぱを食べたり、ビーツの葉がお気に入りのようだったし、インゲンのモロッコの若い芽を食べ尽くしてしまった。さすがに悪いと思ったのか、葉のないビーツやニンジンを畝にプレゼントしてくれた。さらに、キクイモの柔らかい葉っぱや枝を食べたり、萩や紫陽花の若い芽や葉を食べてしまい樹の成長をストップさせてしまった。萩の周りを囲ったいたらどうどうと上から食べてしまう始末だ。その...わけあり鹿肉が届いた
水道の検針は集落の共有作業となっている。当番が回ってきたので各戸にある数量計を確認しに行く。たまたま国道を通ったらハクビシンが転がっていた。きっと車に轢かれたのに違いない。近所でハクビシンを見たのは初めてだった。近所のトウモロコシを毎年食べる犯人がハクビシンと言われていた。最近、やっと小さな害獣の違いが分かるようになってきた。農業被害から言えば、シカ・イノシシ・サル・ツキノワグマに次いで、第5位に入賞しているハクビシンでもある。メダルには届かないが、甘い果物がきわめて好物だ。わが畑はシカ・イノシシ・アナグマの順に被害が多いが、ハクビシンの姿は確認していなかった。ハクビシンは「白鼻芯」と表記するように、鼻筋が白いのですぐわかる。尻尾がけっこう長いことや足先が黒いのも特徴だ。ハクビシンは欲を出してわが家の方に遠征し...ハクビシンの交通事故
山猿さんからいただいた綿花の種を荒地に撒いたものの成長はゆったり。毎日の酷暑にもかかわらず定植した苗は95%くらいは立派に根を伸ばしている。ときどき様子を見るが、硬くなった大地には手こずっているようだ。酷暑に綿花は強しされど…
先週から和宮様お手製の梅干しづくりが始まった。空を見上げながら梅干しを一つひとつそろえながら干していく。しばらくして梅を裏返すなどけっこう細かい作業がある。この作業を三日ほど続けて仕上げに夜露に晒す。今回は無理しないで少量にしたようだ。干すのを終えて瓶詰めしてまずは完成へ。あとは熟成を待つのみ。そのクエン酸で夏の疲労をとろうというわけだ。戦国時代は、武士は梅干しの肉・米粉・氷砂糖の粉末を練り上げて携行し、戦時に備えたそうだ。江戸時代になると庶民にも広がり、大晦日や節分の夜には梅干しに熱いお茶をかけた「福茶」を飲んだという。また、明治にはコレラの猛威や外地の伝染病対策としても殺菌力が見直された。コロナ禍にも梅干しで対応することにすべし!?天気をにらみ梅干しづくり
労働意欲がなくなるとウォーキングに出かける。気分転換と筋肉のリハビリのためでもある。ふだんはついつい車の利用に頼る中山間地ではあるが、ときに歩いてみるといろいろ発見がある。先日は、道路の小さな隙間から「タケニグサ」(ケシ科)が2m以上の高さで伸びていた、その生命力は驚嘆するっきゃない。裸地へ進出するパイオニア植物だ。わが抜根跡地にもすでにやって来てあっという間に大きくなった。姿かたちから外来植物に見えるが日本の自生種だ。「遠くから見るとその種のようすが竹に似ている」説から「竹似草」となった。また、竹細工をするため青竹と一緒に似ると竹が柔らかくなるという俗説から「竹煮草」とも表記される。子どもの頃はこの茎を折るとオレンジ色の乳汁が出るのを楽しんだ記憶がある。しかし、この汁は強力な有毒なので注意が必要だ。ど根性「タケニグサ」
夕飯まじかの食卓に透明の翅をつけた昆虫がやってきた。なんとなくいつものカゲロウだろうと思っていたら、ヘビトンボのミニ版かも、と考え直す。しかも、頭の下にゴミのようなものが見えた。ゴミのように見えたのは折りたたんだ前足だった。大きさは約2cmくらいの小ささだ。愛用の小学館の図鑑で調べてみたら、「ヒメカマキリモドキ」(ヒメカマキリモドキ科)をやっと見つけ出した。上半身がカマキリ、下半身がクサカゲロウ・スズメバチの形をしている、ウスバカゲロウの仲間だった。頭部は確かにカマキリの三角頭とでかい目ん玉。その鎌で小さな昆虫を捕食する。幼虫は徘徊性のクモに飛びつきその体液を吸いながら産卵を待ち、生まれた卵を食べながら成長していくという寄生性の昆虫だった。そういえば、天井にクモの卵塊ができてしばらくだが、ひょっとしてっそこから...カマキリ?カゲロウ?ハチ?
集落の中心を貫く国道法面の草刈りを午前中に行う。主婦二人を含む7人が草刈機や鎌をもって雑草を駆除していく。その前々日には、きょう出られない二名が事前に草刈りを行ってくれていた。オイラは昨日、レンギョウのてっぺんを覆ったクズを駆除していく。毎年のことだが、クズの猛威にはほとほと困っている。そのため、農薬を使って除去しようという声も少なくない。農薬の使用はできるだけ控えるというのがオイラの趣旨なので、昨日、鎌をもってクズの除去をしに行く。2時間弱で主なクズは取り払うことができてきょうを迎える。さいわい、クズの話が出なかったので農薬による除去は実施されていないでいる。酷暑の中での作業はますます集落の共同作業の困難さを見せつける。背中はみんな汗でびっしょりとなっている。あと何年続けられるかとつぶやいてしまう。それでも、...草刈という「結仕事」
この灼熱地獄の中では、畑や庭の水撒きが日課となる。ときおりの雷雨・夕立はむしろ手抜きができるので歓迎だ。それでも、この作業だけでも1時間以上はかかってしまう。すべてを水撒きするには2時間以上はかかってしまうので、半分ずつやるのが精いっぱいだ。そんな水撒きの途中で、1cmくらいの小さな昆虫がブルーベリーの葉っぱで遊んでいた。相変わらず、ピントを外してしまう未熟さが残念だが、動く生き物をとらえるのはいつも難問だ。ちょっとみると、ハチなのかハエなのかアブなのかわかりにくかったが、複眼のようすからハエの仲間だと推察する。しかしあまり見たことのないハエだ。調べてみたら、「コンボウナガハリバエ」(ヤドリバエ科)のようだ。腹部が棍棒状なのはわかるが、ナガハリはわかりにくい。ヤドリバエは剛毛というから、それが「長い針」状態だと...水撒きしていたらナニコレ…
国道沿いに咲く「ヤマユリ」はそろそろ終わりに近づいてきた。群生していた見事なヤマユリを撮ろうとしていたがつい機会を失う。それほどにふつうに咲いている日本原産のヤマユリなのだ。幕末にやってきた外国のプランターがこうしたヤマユリの群立した美しさに驚愕したのが報告されている。狭い国道で対向車とすれ違う時、車がヤマユリにぶつかって折ってしまうこともある。発芽から開花までには約5年以上はかかり、さらに栽培も難しいのを聞いて、あらためて存在の貴重さに気づく。それにしても、大輪の花を支える茎の細さが気になる。咲いている半分以上が倒れ掛かっていたり、折られたりしているのを目撃する。存在の重さに耐えられないいのちの発露は、華麗な姿のなかに残酷な生の寂寥が込められている気もしないではない。先日、大河ドラマでウイーン万博(1873年...幕末のプランターが驚愕したヤマユリ
家の隣に小さな花壇があるはずなのだ。というのも、花壇には花はなく、放任ジャングルになっている。このままでは植栽している樹木が枯れてしまうと、急いでジャングルを切り拓いていく。よくみると、オニドコロなどのツル性植物が樹冠を覆っている。やっと花壇の奥まで到達したところ、野鳥の巣が見えてきた。今までだと巣は留守か、放棄された巣なのがほとんどだった。しかし、念のためと覗いてみたらなんと卵が1個入っていた。あわてて和宮様に報告する。10年以上住んでいるというのに卵を見るのは初めてだった。巣はとても見事に作られていた。清潔でもある。家のすぐ隣の数mであるのによくぞ作ったものだ。初春にはジャングルがなかったから、この巣は新しいはずだ。外からはまず見えない隠れ家にあったのに感心する。卵の大きさは鶉よりやや小さいように思えた。卵...野鳥の卵を発見
茶畑の茶樹を抜根した枯れ木の山はなかなか減らない。しかし、ブルーベリーの周りや野菜の周りに配置すると、害獣の被害が少なくなったのがわかった。その茶樹もすっかりカラカラに乾いてきた。それを「ガーデンシュレッダー」にかけて細かい木片にしていく。すると、枯木の山がだんだん少なくなっていくのがわかる。この機械はきわめて優れものだ。事業用だと数百万もするが家庭用だと数万円で手に入る。庭木の剪定にはもってこいの機器となる。投入口に樹を入れるとあれよという間に小さく刻まれていく。これで肥料にしていってもいいが、抜根跡の土壌を養生するのにこれを撒いていこうという算段だ。いっぱいあった木片を抜根跡に撒いていくが、すぐになくなってしまう。これは気長に作っていくしかないのがわかった。一気にやれるはずもない。物事は思い通りには進まない...抜根した茶樹を刻んで
週2回和宮様を病院へ送るアッシー役を仰せつかっている。その空き時間にぶらりとその周辺を散策することがある。一途な「クズ」の向かった先は
わが人生の師匠でもある作家・高尾五郎氏より何冊かの本が届いた。アメリカの古典と言われる、H.D.ソローの『森の生活/上下』(飯田実訳、岩波文庫、1995.9)をさっそく読み始める。以前から読んでみたいと思っていた本だった。自給自足をしながら湖と森の自然のなかで描いた思索のエッセイだ。五郎氏からの「これを読んで自らを内省せよ」という暗黙の宿題と受け止めた。1854年、著書はアメリカで刊行された。1830年代にはインディアン強制移住法とか奴隷解放運動が起こり、40年代後半にはゴールドラッシュが始まる。森で生活しているところどころにはそうした背景が反映されている。ソローは、そうしたマイノリティーや労働者には共感のまなざしを向けている。それは、この森の中の動植物や湖のたたずまいを観察するソローの詩人・科学者・哲学者・文...『森の生活』は魂のゆりかご
カゲロウの仲間だと思っていた体長約2cmくらいの虫がやってきた。ときどきやって来てはとことこと家の中を徘徊する。海から陸上にあがった4億年前の昆虫を発見
梅雨も明けそうでいよいよ、夏野菜の出番だ。インゲンは好調で安定的な収穫を保持している。遅れて、このところ急に、キュウリが実ってきた。ここ数年間、キュウリの失敗はほとんどなくなってきた。完全無農薬を保持してきたわりにはホッとする。ナス科は病気に弱い。トマトやナスは毎年病気が出てきて収穫の自信がない。ピーマン・シシトウ・甘長トウガラシは大収穫のときもあったが、今年はそこそこというところ。昨年もそうだったが土壌づくりが手抜きだった結果だ。言い訳をすれば、イノシシ対策に追われて間に合わなかったせいにしておこう。数日前まで、ブルーベリーが紫色になり、黒くなればGOサインなのだ。つまみ食いをしながら味の酸味を確認する。昨日まではまだまだとの判断だったが、きょうはグイと黒い実が出来上がってきた初日となった。収穫してみて、採る...キュウリにブルーベリーにいよよ
玄関から敷地の入口に向かって歩いていたら、な・なんと裏山から小さな土石流を発見。3m上の直近の斜面から土砂が崩れていた。今回はさすがに石垣は落下していなかったが、拳大の石が歩道まで転がっていた。以前、ここでイノシシが穴を掘ったせいで大きな石垣の石が転がっていたところだ。周りの枝を伐りはらって現場に直行すると、三つの穴が開けられていた。石や木の根っこが縦横に入り組んでいるのに、なんと見事に40~50cmくらいの深さはあったろうか。とても人間では作業はできない。ツルハシを振り上げて穴掘りすることは樹木が密集しているので不可能だ。ということは、以前やってきたイノシシと同じ犯人なのだろうか。さっそく、ナフタリンもどきの防虫剤を木に吊るして次の襲来に備える。具体的な対策をすると、イノシシは警戒してしばらくはおとなしくなる...イノシシの土石流!?
朝起きてみると、和宮様が「大変じゃあー。やられたのじゃー」とこわごわと窓の外を挿す。指先の廊下の窓から見ると、緑の雑草群落のなかにくっきりと泥の空間があった。かつても同じ場所をやられているので同じ犯人なのだろうか。裏山にイノシシが降臨なさったのだ。寝室と現場とは4~5mくらいしか離れていない。昨夜か明け方か、まったく掘り上げる音を確認していない。現場に行ってみると、掘られた場所は2か所だった。前回は危うく石垣を崩される寸前だった。ここ数日、出るはずのイノシシの痕跡がないので安心していたのだ。掘られた形状は「ぬた場」のようだった。石垣のある近くにはとりあえず砕石をまき、石垣崩壊の補強もどきをする。そこへ、U字型のペグに匂いのキツイ衣類防虫剤を台所排水口用ネットでくるんで埋め込む。この防虫剤は畑の柵でも取り付けてい...寝てる隣でイノシシが
先月でのこと、和宮様が国道脇の空き地に咲いていた「ウツボグサ」を発見した。人によってはむかしは道端で普通に咲いていたという。オイラは山歩きしたとき出会った「ウツボグサ」はその紫のパワーに感嘆したものだった。それは「ミヤマウツボグサ」らしかったが。西洋では「セルフヒール」と呼んで自然治癒の薬草・ハーブとして親しまれていたという。与謝野晶子は「なつかしき春の形見かうつぼ草夏の花かや紫にして」と詠んでいる。初夏に咲いたウツボグサが秋を待たないで夏のうちに枯れたようになるので、別名「夏枯草(カゴソウ)」の名がある。この花穂を乾燥させたものが生薬として、口内炎や利尿に効くと愛用されてきた。そんな身近にあったウツボグサが珍しくなってきたことを考えると、晶子の「春の形見か」という哀愁・詠嘆がダブってしまった。晶子が見たウツボグサの哀愁
雷雨の予報があった午前中、作業服が突然郵便受けに届いた。娘からだった。「ワークマン」が作業ワークだけでなくアウトドアや日常生活にも使えるアクティブなウエアを開発したものだった。ワークマンが肉体作業をするおじさんの店から、女性や若者も来れるような改革をした象徴でもあった。そのウエアは、防虫加工をした「フィールドコア」ブランドとしての「カーゴパンツ」だった。「カーゴ」とは貨物船の意味があり、そこで使う道具を太ももの大きなポケットに入るように工夫された作業パンツだ。それが米軍のパラシュート部隊に採用されミリタリーデザインとしても注目された。さっそく使ってみると、きわめて軽く作業しやすいフィット感がある。ポケットだけでなく体形に合うな工夫が感じられる。製造はミャンマーだった。ワークマンのウエアだった
裏山の「ヤブカンゾウ」が咲き出した。花色が鮮やかな緋色なのが魅力的だ。道路傍によく見かけるが踏まれたりして群生しているわりには大切にされていない。蕊(シベ)の一部または全部が花弁化するため八重咲となる。一重咲きの「ノカンゾウ」は道で出会ったことがない。トイレへ行く時の廊下から見えるヤブカンゾウの花だ。雑草だらけの裏山にくっきりと緋色が映える。葉がススキやスゲの葉に似ているので、「萱草」の字が使用されている。中国の別名では「忘憂草」という。すなわち、この花をつけると悲しみや苦しみを忘れるという。そのため、万葉集などの歌にも使われているほどだ。漢方でいう「カンゾウ」は、マメ科の「甘草」でよく混同される。ヤブカンゾウの若葉を収穫して味噌汁に入れて食べたことがある。ほんのりした甘みがあるのが忘れられない。収穫時期が遅...ヤブカンゾウで辛いことを忘れる
このところ、インゲンを大量に収穫している。インゲン病に感染か!?
うだる暑さの午前中に、茶畑の外側の草刈りを行う。そして午後、道路際を見たらスズメくらいの大きさの「カワラヒワ」(アトリ科)がその草の実を食べに来ていた。距離があったので手持ちのキャノンの安いデジカメでは捕捉できない。それでもなんとか、かわいい様子は伝わってくる。ときどき飛んでいる場面に出くわすことがあったがなかなかカメラに収める機会はなかった。「ひわ」とは、「小さくてひよわい可愛らしい」という意味がある。和服の「ひわ色」はこういう黄緑色のことをさすらしい。ウグイス色とは微妙に違う。なんとも平和なひわ軍団に心が和む。そういえば、三日前に保存しておいた電線に止まっていた三羽の小鳥はこのひわ軍団だったのかもしれない。集団見合いするという「かわらひわ」も、強い者からつがいができていくそうだ。電線にいたこの小鳥の正体がわ...カワラヒワを撮ってみたが
害獣のせいでトウモロコシ栽培を断念しているが、その味は忘れられない。そのため、農協の直売所に行ったときはトウモロコシを買うことにしている。先日買ったのは、耕作放棄地を再生しようとする地元の若手農家と学生サークルらが結成した「春野耕作隊」が栽培した「スウィートコーン」だった。その品種は、「サカタのタネ」が開発した「ゴールドラッシュ」だった。そこそこ甘みが充満する。しかし、何回か買ってみるが味や食感にばらつきがある。隣の森町の「かんかん娘」にはまだ届かないが今後を期待するしかない。「春野耕作隊」は、2014年ごろ活動を開始している。そのころから注目していたが情報がまったく届かない。HPをひらいても最新の情報も出てこないことが多かった。いつもながらだが、崇高な初心を貫くには持続的な発信という心意気を醸成することが肝要...耕作放棄地再生を掲げる心意気
前々からサルスベリの紫色の花が気に入っていた。サルスベリを衝動買いして
ついにやって来た。きっと世代交代した新人に違いない。到来
しばらく音沙汰がなかったイノシシがついにやってきた。近くの空家付近にねぐらがあるようでちょこちょこやってくるようだ。野菜の被害は今のところないが、裏の畑の入口の茂みのミミズを食べているようだ。そこら辺は、草刈りの手を抜いていたところで身を隠すのに絶好の茂みとなっていた。一週間前にはアナグマのような掘り返しがちょこっとあったが、一昨日はいよいよ「やってきたよ」という挑戦状を持ってきた証拠だ。そしてきょうは、ミミズ起こしが拡大されローラー作戦が開始した。合わせると5m四方くらいにはなるだろうか。これが畑に侵入すると一気に畝が荒らされる。安心安全は神話だった
天気晴朗でない日々、連日草刈りに追われる。草刈機を持つ手がしびれてきたり、汗が土石流となる。そんなとき、和宮様ご手製の「梅ジュ-ス」で水分補給をする。しかしコップ一杯だけでは足らない。ついつい飲み過ぎて胃が混乱する。そんな毎日を繰り返すと昼寝タイムも長くなる。氷砂糖とキビ砂糖を入れた「梅シロップ」もすでに完成。梅の持つクエン酸は夏バテ・疲労回復に効果がある。冷凍梅を使えば、半分の一週間くらいで飲めるようにもなる。高齢者だらけの過疎地には梅を採らない家が続々と多くなってきている。わが家の梅は石ころだらけの所にあったので植えてから結実には難航している。娘にも「梅シロップ」を送る。梅シロップに水を3~5倍入れれば十分美味しく飲める。炭酸水を使えばより美味いのはわかっているがくせになるのでいくつかの氷片でよしとする。こ...梅ジュースで夏バテをしのぐ
畑の隅に今年もやってきた。「西洋ノコギリソウ」は傷薬だった
この長雨の影響による伊豆の土石流の映像は迫力があった。それは山津波そのものだった。直面したらとても逃げられるものではない。わが家の隣の小さな道はすでに川となっていた。近くの小さな山からの水が流れているのだ。その雨水は澄んでいるのでいつもの風物詩のように眺めたものだ。農作業が終わるころ、土で汚れたツルハシやスコップを洗うのにちょうど良い。和宮様は野菜をざっと洗うのに重宝している。わが家より上に住んでいる人もいない。今まで一番ひどいときは20cmほどの深さになったが、今回は10cmほどだった。これによって付近の降雨量の尺度がわかる。しかし、茶畑があった石垣の隙間からは雨が止んでもどくどくと雨水が流れている。それが10か所くらいもある。もし、容量以上の雨が注いだら石垣を破壊して土石流が発生することも覚悟しなければなら...土石流は来ないだろうね
一日中雨模様だったので、晴耕雨読ではなく撮りためた映画の録画を久しぶりに観る。60年前に製作された映画、オードリヘップバーン主演の「ティファニーで朝食を」(1961年制作、米国、B・エドワーズ監督)だった。オードリが演ずる主人公はセレブを相手に小遣い稼ぎをするのだが、この小説の原作者はアメリカン・芸者を想定したという。ティファニー宝石店のウィンドウ越しにパンとコーヒーの粗末な朝食をする当初のシーンが主人公の置かれた立場を象徴する。同時に、その美貌はもちろんのことだが、それを支えたのは先端のファッションでもあった。オードリの魅力を引き出すために作られた映画のような気がした。その当初の華麗なファッションは最後のシンプルなファッションに監督の意図を感じられる。というのは、偽りの愛から本物の愛をつかもうとする主人公の覚...「ティファニーで朝食を」は…
わが家のねぐらは屋内用テントの中にある。というのは、隙間だらけの古民家なので虫やクモなどの訪問者が多いからだ。ムカデはずいぶん少なくなったが徘徊していることは間違いない。このテントのおかげで蚊からも解放されている。しかし、先日寝ようと布団を持ち上げたら先客がいたのだ。それが、15mmほどの「アトボシアオゴミムシ」(オサムシ科)だった。頭と胴部は、メタリックな緑胴色をしている。後ろの翅には一対の黄色い斑紋がある。真ん丸かと思いきやいびつなホシ型だった。テント内に侵入するはずがないにもかかわらず、ちょっと油断した隙間から侵入したようだ。ゴミムシとはゆえ、やはりメタリックな色彩にはまずはホッとする。まずは、テントから退場してもらった。これから、夏に向かって夜の訪問者たちが多くなってくるのは間違いない。ねぐらを寝取られ...ねぐらを寝取った犯人は!?
都会にいたときの隣人から「鳩サブレー」が届いた。そう言えば、鳩サブレーはしばらく食べていなかったのに気づく。同窓会をしたときのように懐かしく味をしたためる。宅急便のなかに「鳩のつぶやき」というパンフレットが入っていた。「豊島屋」の創業者が鳩サブレー創出のためにいかに刻苦勉励したかの絵物語だった。絵は懐かしい那須良輔だった。外国人からもらったビスケットの味に衝撃を受けた明治の創業者が、味はもちろんネーミングや戦火の中でこだわってきた気骨の歴史だった。このパンフレットの文章が長いのでもっとコンパクトにならないものかと考えてしまった。ちなみに、「サブレー」とはビスケットの焼き菓子のことで、サクサクとした食感がフランス語の砂を意味する「サブル」からきているという説がある。また、17世紀のサブレー侯爵夫人がふるまった焼き...創業者の汗が今も甦る
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左端は、女形の初代岩井紫若(1804-1845、岩井半四郎/七代目)である。江戸のファッションは役者絵が推進役
初代歌川豊国の「役者見立ての渡し船の図」の役者絵に注目した。浮世絵は謎解きの絵図
先日、近隣から「ルバーブ」の苗をいただく。以前、栽培したこともあるが失敗している。今回いただいた苗は、根っこが木のようにがっしりしたものだった。これなら失敗はないと安心して、株分けしてすぐ畝に植え付ける。ルバーブの和名は食用大黄(ダイオウ)。一度植えれば4~5年間は収穫できるが、収穫は2年目から始める。利用するのは葉柄部分だが、酸味とえぐみが強いため、砂糖で煮てジャムやお菓子に利用するのが一般的。一本だけ花ができたが花は食用にならないうえ、根株から栄養を奪うので摘み取らなければならない。また、葉にはシュウ酸が多く含まれているので食用にはならない。ルバーブは植物繊維が多いので肉食の多い欧米ではふつうに摂取されているという。さて、レシピは何がいいのか宿題だ。そして「ルバーブ」に「あまりん」に
鶏を飼っている近所から和宮様にたくさんの卵が献上された。数えてみると40個もあった。こんなに大きな卵ケースは見たこともないし、その数も半端ではない。ときどきいただいていた卵は和宮様じきじきのご手製の「まやく卵」が作られた。今回は卵の数が多かったが、謝意を込めてすべてを「まやく卵」にして近所や関係者に進呈した。「まやく卵」は、「まやく卵」で進呈する
以前、「笑いの大学」の「舞台版」のDVDを観て、唸るほどの感動があった。その「映画版」があるというので急いで観ることにした。監督はドラマ「古畑任三郎」の「星護」、原作・脚本は三谷幸喜、公開は2004年、制作はフジテレビ・パルコ・東宝、主演は役所広司と稲垣吾郎。時代背景は日独伊軍事同盟締結・大政翼賛会が発会した戦時体制の1940年(昭和15年)。情報統制が一段と厳しくなった当時の、警視庁保安課検閲係・役所広司と劇団「笑いの大学」の座付き作家・稲垣吾郎との上演許可をめぐる物語である。これにはモデルがいたようで、エノケンの座付き作家・菊谷(キクヤ)栄への鎮魂が込められている。波乱万丈に生きてきたエノケンのパワーを引き出した菊谷は、菊田一夫を凌いだとも言われていて、のちの井上ひさしにも大きな影響力があった。三谷も...「笑いのない喜劇にしろ」ってか??
連休中はほとんど自宅や畑から外に出なかった。それほどに農作業に追われていたというと都合はいいが、心と体の気分転換にしようと自宅から300mほどにある郵便ポストへ出かける。久しぶりのウォーキングとなる。すると、まぶしい春をいくつか確認できた。国道沿いに「コウゾリナ」の群落があった。花だけを見るとまるでタンポポである。閉じこもってはいけません
ゴールデンウィークが終わるというのに、この期間中はやはり毎日のように草刈りに追われる。外に出るということは畑界隈の外作業をするということを意味する。実際に、早朝から聞こえてくる音は新茶を刈る機械音が廻りから聞こえてくる。ムカデ注意報発令
浮世はゴールデンウィークのさなかだが、きょうもわが家は相変わらず草取りに追われている。そんな浮世に抗して、晴耕雨読ならぬ「静耕有読」の時間をなんとか確保したいと思う。そのわずかな時間から、伊集院静『愚者よ、お前がいなくなって淋しくてたまらない』(集英社、2014.4)を読む。著者の愛妻を病魔で亡くして以来、酒とギャンブルと絶望に明け暮れていたころを回想した自伝的な物語だ。以前、著者の『いねむり先生』を読んでえらく感動したものだった。本著書はその姉妹編ともいうべき作品で、内容が重複するような場面もあり、流行作家らしい瀬戸際の自分の限界との葛藤も伝わってくる。『いねむり先生』は、難病のさなかでも自分を失わず爛漫な弱さとギャンブルを武器に作家生活を貫いている「色川武大」(阿佐田哲也)への挽歌と連帯の作品だった。...男たちの絆と挫折と再生とと
「今やるしかチャンスはない」と思って、クリノキの移動を始める。というのは、このまま放置しておけば、枝が電線に引っかかるし、図体が大きくなれば後ろの植物が日陰になり育たなくなるのは時間の問題だ。前日には、大きく左右に伸び切った枝を剪定し、予定の定住場所の穴掘りをやっておく。それだけで、一日かかってしまった。根っこを鋸で切っていくのがやはり時間がかかった。そのため、根っこについていた土がほとんど離脱してしまった。このへんが素人のやってしまうヘマでもあるが、本音としては全体の重量を減らす意味もある。オラの体力では土がついていると一人での運搬はかなりきついと予想された。なにしろ、根元の外径は30cmくらいはあったと思う。クリノキを大移動したよ
友人とともに作ったちいさなビオトープにハスの苗をいくつか植えてみた。深さがやや足りないみたいだが水を足せばよいのだが。そしてその池をよく見たら、青いイトトンボが連結して飛んでいるのを発見。以前、いただいたメダカを放流したがすべてカエルの餌食となった。その後、アメンボ以外には目立った生き物の訪問は確認できなかったが、カエルの次はイトトンボが三番目ということになる。ごそごそ網で掬えば多少の生き物は確認できるだろうが、まずは目測での観察を重視したい。イトトンボの同定はなかなか難しい。普通の図鑑からではまず確証できない。それほどに、その仲間の種類は豊富であるのがわかっていたので、深追いしなかった。しかし、せっかく訪問してくれたのだからと、調べてみると、青みが強い「ムスジトンボ」ではないかと思われる。似た糸トンボに...ちいさな池に小さなトンボ
友人とともに作ったちいさなビオトープにハスの苗をいくつか植えてみた。深さがやや足りないみたいだが水を足せばよいのだが。そしてその池をよく見たら、青いイトトンボが連結して飛んでいるのを発見。以前、いただいたメダカを放流したがすべてカエルの餌食となった。その後、アメンボ以外には目立った生き物の訪問は確認できなかったが、カエルの次はイトトンボが三番目ということになる。ごそごそ網で掬えば多少の生き物は確認できるだろうが、まずは目測での観察を重視したい。イトトンボの同定はなかなか難しい。普通の図鑑からではまず確証できない。それほどに、その仲間の種類は豊富であるのがわかっていたので、深追いしなかった。しかし、せっかく訪問してくれたのだからと、調べてみると、青みが強い「ムスジトンボ」ではないかと思われる。似た糸トンボに...ちいさな池に小さなトンボ
バンクシーのストリートアートは断片的なニュースしか知らなかった。都市は誰のものか・バンクシーのテロ
挿し木で育った樹木がじわじわと増えてきた。一昨年に植えたレンギョウが花をつけて早春のスタートの先陣を切ってくれた。レンギョウの生命力を期待していた通りの結果が少しづつ出てきた。全部で20本ほどの植栽となったが、すべて挿し木による植樹だ。その隣には、道草山から爆発的に自然発生した「ノリウツギ」も移植してある。春の黄色いレンギョウ、夏の白いノリウツギがバタフライガーデンの二大勢力となる。ほんとうは、ハナモモ・ソシンローバイ・ナンテンも咲いていくはずだが、成長が遅かったりシカに食害されたりで難航している。挿し木効果がじわじわと
昨年の第二バタフライガーデンは「マツバウンラン」に占領されてしまった。最初はかわいい花が一斉に咲いたのでこれは素晴らしいと思ったのは束の間、まわりの草木がその圧力で咲かなくなったり、枯れてしまったり、の惨めな結果となってしまった。オラはイスラエルになったのだ
わが畏友のブラボー氏からお借りしたフランス映画のDVD『女だけの都』を観る。1935年制作の白黒のコメディで、監督はジャック・フェデー、主役は監督の妻であるフランソワ・ロゼー。時代は17世紀初頭、謝肉祭目前のフランドルの小都市にスペイン軍が凱旋するということで、殺戮・略奪の恐れがあり国中が右往左往してしまう。世俗的に生きてきた男たちの臆病ぶりに敢然と立ちあがった女たちの物語である。圧巻は主役のロゼーが敵軍の将校を手玉に取る豪胆さが見ものだ。また、フランス映画の重鎮で司祭役の「ルイ・ジューヴ」は、あくが強くなりすぎる手前で、演劇くささを見事にとめてみせる絶妙さでワルを演じきった。男は凡人、女は度胸
知り合いのハンターがわが家の入り口で「モグラ」の死体を見つけた。ハンターが言うには、モグラの毛皮は滑らかでとても貴重なもので、パッチワークのものが高価であったという。確かに触ってみると滑らかで心地よい気がする。死んでいたところはコンクリートのところだったが、7~8m先にはモグラ塚が二つあった。きっとそこからやってきたのかも知れない。以前、「ヒミズ」の死体を見たが、それは手のひらの中に収まるかわいい小ささのものだった。地下の関ケ原の戦い
数株だったコゴミはいつのまにか広い畑となった。日陰だったデッドゾーンがいまやコゴミを踏まないように歩くようになったほどだ。おかげで、最近は食べきれないので近所や友人におすそ分けするようになってきた。ぐうたら農法そのものの真価?が出ている放任極地の畑だ。コゴミの収穫は一週間以内がいのち。一日でものんびりしていると、あっという間に時期を逃してしまう。きょうが最終日となりそうだ。ヤマビルも徘徊しているのでそそくさと収穫して、水洗いして近所に配る。さいわい、近所で栽培している人はいない。一昨日、焚き火会をしたときもその場で収穫して友人に食べてもらう。そのうえで、コゴミの根っこの株をプレゼントしたばかりだ。ついでに、ヤマウドの新芽の酢味噌あえを味わったり、裏山でワラビ採りも行う。近所にコゴミを持っていったら、肥料袋...コゴミはワラビ・八ツ頭となった!?
とあるカレンダーに幕末から明治に活躍した豊原国周(クニチカ)の役者絵を見た。明治の国周の役者絵は独壇場
裏山の麓に「コゴミ」が一気に伸び始めた。山菜を食べ始めた
一頭のオスジカの侵入は、和宮様のご令嬢夫妻が一日かけて構築された防獣網を数分のうちにほぼすべてを破壊した。網のスタート地点隣にあった桜のブルーの囲みも見事?になぎ倒した。ここにはなんども若芽や幼枝を食害されてきた桜が囲いのおかげでようやく大きくなってきたばかりだった。さいわい、桜の木は折れてはなかった。ただし、近くに植えた買って間もない花桃の若い枝が二か所折れたのが最大の損傷だった。それにしても、シカのけん引力は牛と変わらないくらいのパワーだった。ふだんは、歩行がてら気ままに食害しているので、「まあしょうがないかー」くらいで済んでいたのだが、イノシシと変わらない戦跡を残していった。オスジカの剛毅な角が網に絡まって今回は仇となった。角のない雌だったらとっくに自由への逃走を実現できたであろうに。防獣の支柱はい...荒涼とした戦渦となった
十数年前には考えられなかった。畑の周りに防獣柵をめぐらすなど全く考えもしなかった。それがいまや、これなしでは安全な農的暮らしを続けられない段階に至ったということだ。[山城]を作るシカない!?
小さな場末の都会で喫茶店を始めたという著者の深さと自由に感銘する。株式会社の憂鬱
昨年からだが、見慣れない樹木が成長していた。葉が異常に大きいので、「桐」ではないかと見当を付けていたが、今年もやや大きい葉がついていた。植えた覚えはないのに、これはどうしたわけだろうか。どこから来たんだ?
とある駐車場で今まで会いたいと渇望していた光岡自動車のエンブレムにやっと会えた。この瞬間を待っていましたぞ!!やっとこさ!!
秋に種を蒔いた「山クラゲ」が大きくなったので収穫する。別名が茎レタスとかステムレタスと言われる中国原産の野菜だ。カルシウム・鉄分たっぷりというので初めて挑戦してみた。茎の太さは根元で3cmくらいだった。かなり固いので食べられるのか心配になる。葉も食べられるが、本命は茎だ。厳密に言うと、茎レタスを乾燥させたものを山クラゲという。多くは中国産。王様しか食べられなかったので、「皇帝菜」「貢菜」と言われてきた高級食材だ。まずは試しにキンピラ風に調理をしてみる。生の茎を皮を剝き、スライスしてからフライパンで炒めキンピラ風に調理をする。1本からかなりの量が取れる。確かにザーサイのようなコリコリとした食感がいい。しかし、厚い皮をしっかり剝いていなかったので料理としては失敗だ。硬い繊維は吐き出しながらだったが、柔らかいと...「山クラゲ」を食らう!?
夜間また、ゴミムシがやってきた。今まではオオゴミムシの訪問が多かったが、今回はオオホソクビゴミムシのようだ。仲間が多過ぎるとね…
桜の木にいたやや太っちょのアオムシくんはスズメガではなかった。ルーキーは夜盗虫だった!!
4月中旬に花が緑に色づきはじめた「オオデマリ」。ライムグリーンから純白へ
世はゴールデンウイークだが、わが家は相変わらず畑仕事に追われる。不気味な「地獄虫」と言われ…
一昨年あたりから、近くで美しい声で啼く野鳥がいた。イカルやクロツグミの声に似ているがどうも違う。しかも、いろいろな啼き方をするので人間が攪乱させられてしまう。なにしろ、いつも藪の中で啼いているから姿もわからない。それがそれがなんと、藪からではなく畑から聞こえてくれではないか。どうも、仲間との交信に夢中のようだ。だから、そおっと近づいていっても気が付かなかったようだ。愛のささやきだったか。画像を大きくしたら見覚えのある野鳥だった。白い眉が特徴的な中国原産のガビチョウ(チメドリ科)だった。江戸時代からペットとして輸入飼育されていた。その後、1970年代の飼鳥ブームで人気となったが、1980年代以降は人気がなくなり、大量の在庫を抱えたペット業者が放鳥したため野生化していったらしい。さらには、啼き方が大きいので騒...七色の声を出す正体が!??
わが畑と荒野の隣に花開いた桜が満開だったのは今月の中旬だった。桜の息吹を食べる!?
いつも通る国道沿いの杉木には藤の花がにぎやかだ。むかしは大型連休あたりが満開だったのを思い出す。人工林ばっかりの単色の中にありながら、ひときわ目立つ藤の花に心を奪われる。「樹上より滝降るごとく山の藤」(遊雀blog)の俳句がぴったりの景色が次々と現れてくる。そのため、車の運転がつい甘くなりがちだが、車の往来が少ない中山間地なのが救いだ。藤原氏の栄華の象徴でもある藤の花だが、藤は長寿・繁殖力抜群の樹木なので家紋にも多く取り上げられる。同時に、沢沿いに控えめながら咲いている「ヤブウツギ」の赤紫色も無視できない。一般的なウツギ系の花はほんのりしたピンク色が多いが、このヤブウツギの濃厚な色は原種のような存在だ。太平洋岸に多く、大気汚染にも強い逞しい樹種でもある。今の季節はしばし、ダイナミックな藤色の滝と控えめな濃...樹上より滝降るごとく山の藤
わがバタフライガーデンはいつのまのか、「富良野」になった、はずはないよね。キレイなんだけど、ラベンダー畑のような紫の花がバタフライガーデンを占拠してしまったのだ。一斉に繁殖したのは、「マツバウンナン」(松葉海蘭)だった。北アメリカ原産で、1941年京都伏見区で発見された。京都を中心に80年代に拡大し、現在は全国を制覇する勢いだ。よく見られるのは乾燥した荒れ地や開発地だ。休耕地にも侵出中。つまり、わがガーデンはマツバウンランによって荒地として不名誉な「認定」となったわけだ。といっても、あまりに綺麗すぎる。一見、ひ弱そうに見えるがすらりとした花姿はスマートな上に群落の強靭さが強烈だ。花言葉が「芯の強さ」というのがうなずける。京都では、「種子ができる前に抜き取る防除対策が必要な被害危惧種」に指定されている。つま...「富良野」を越えたか!??
昨日までのインターネットはADSLだった。しょっちゅう回線が切れたり、遅かったり、おまけにフィッシング詐欺メールにひっかかりかけたり、散々だった。しかも、光回線工事の情報がなくていろいろ調べてやっと回線工事に至ったというわけだ。やっと、光回線となった!!
久しぶりに畑の防虫網をはがすと一面、アカザのたくましい群列が見られた。そういえば、昨年ここでアカザの杖を作ろうと5本ほどしばらく大きくなるのを放置していたっけ。そのこぼれ種が畝にびっしり。ほんとうは、ジャガイモ畑なのだ。和宮様の厳しいご命令が発令されてアカザや周辺雑草を排除することになる。畝が全部で6列あるので、一日2列やれば3日で完了できる。しかしこの格闘は体力的に腰にも腕にも負担がかかる。そのうちに、和宮様が「わらわにもやらせたもう」との申し入れもあり、あわてて2日でやり遂げることとなった。終日草取り労働に明け暮れる。肝心のジャガイモは、やっぱり雑草軍団に肥料を獲られて元気がない。以前は黒マルチをやっていたが手間もかかるということで、今回はマルチなしでやってみたわけだ。とにかく、シカが意外にもジャガイ...アカザ畑だったっけ--??
日本初のカラー映画「カルメン故郷に帰る」をDVDで観る。違和感の中の諷刺とエネルギー
廃校となった小学校の片隅に金次郎は本を読みときに物思いを続けた。柴か薪か論争??
わが土地にも外来種のスミレが侵入して存在感を増してきた。畑の隣に堂々と華麗な一族の逞しさを誇示する。排除しようとも思ったがなかなかそんな勇気はない。そこで、むしろガーデンの外縁で活躍してもらおうと移植作業を開始したというわけだ。「ビオラ・ソロリア」は、欧米では一般的なスミレの代表格で雑草化している剛健な仲間だ。それが日本にも雄飛してついにわが大地にも降臨したというわけだ。ビオラというくらい花も大きいし葉も光沢もありたくましい。農道の道もすっかり雑草絨毯がひかれ、ちゃっかり白のビオラ・ソロリアが占拠を企んでいた。東海のカルチェラタンはさせじと、当局は排除に向かい一本一本引きはがし、外縁に移植したという顛末となった。この白いスミレは、「スノー・プリンセス」とも呼ばれたようで、園芸店では人気があったようだ。ちな...外来種のスミレが野生化
裏の藪近くにコゴミを植えて7~8年はたっただろうか。放任栽培はうまくいっていた。ちょうど藪の繁みが湿地らしき場所になっていて、コゴミには絶好の生育環境になっていたのに違いない。思いついたときには草刈りをするときもあるがほとんど放置状態だった。それでも、毎年のように芽を出し、春の山菜の息吹を与えてくれる。今ではどんどん株が増えて見事な太い根株ができて、つい踏んずけてしまうほどになってきた。むかしは徒党を組んで張り切って収穫しに出かけたが、今では炬燵から這い出してからそのまま裏へ行けばコゴミが待っていてくれるというわけだ。5分もあればこのくらいは収穫ができる。わざわざ道なき山へ行かなくて済むというテイタラク農業なのである。早速その日に1分ほど茹でてから醤油マヨネーズで食べるのが定番だ。しゃきしゃきとぬめりの食...最初に食べた山菜は…
しばらく空き家になっていたミツバチの巣箱を掃除する。すると中から、カメムシのでかいやつを発見。普通のカメムシの3倍くらいはある。形からこれはカメムシの仲間の「サシガメ」だろうと見当をつける。相手はすぐ擬死したように動かない。越冬して惰眠が良かったのだろうか。調べてみると、「オオトビサシガメ」だった。日本産サシガメで一番大きいのがわかった。そういえば、以前、「ヨコヅナサシガメ」というかっこいいサシガメがわが家にやってきたことがあった。それに比べれば、オオトビサシガメはその「横綱」よりでかいが、いかにも地味な装いだ。平べったい体は人家や家屋に滑り込むようにできているらしく、集団で越冬することがあるそうだ。手でつかもうとすると刺されることもあり飛び上がるほど痛いそうだ。針状の口は折り曲げられているらしく見ただけ...横綱の[横綱]がいた!?