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  • 暑中お見舞いとお詫び・・・

    暑中お見舞い申し上げます。長梅雨に続いてのこの猛暑、どうぞお元気でお過ごしくださるようお祈り申し上げます。病人からのお見舞いに、首を傾げつつ発信していますが、この夏の猛暑は格別につき、ご容赦ください。ところで、私、この暑さもあって体調が思わしくなく、ブログの発信を暫く休ませていただきたいと存じます。体調と気力が快復した後に再開したいと思っています。何とぞご理解賜りますように、お願い申し上げます。元気で再会できることを楽しみにして療養に努めます。2020.08.10広瀬亮石鎚山全景暑中お見舞いとお詫び・・・

  • ツィッター政治に戦略なし・・・

    ツィッターは、瞬時にリーダーの意思表示ができる。使い方によっては有効な戦略兵器になりうる。半面、リーダーの感情の入り込む余地が大いにあり、「話し合い」もせずに、成り行き次第で「報復合戦」になってしまっている。危ういことこの上なしだ。専門家による協議と戦略性に欠ける危険性が待ち受けている。重要な政治案件は、「場当たり足り的」であってはならないし、長期視点に耐えるものでなければならないはずだ。メディアによって発せられる政治的判断は、思い付きであっては混乱を招き、危険極まりないように思う。相手の出方を伺う「牽制球」の意味もあるのだろうが、危険球を投げ合うのは、止した方がよい。大事は「蟻の一穴」からも起こりうるのだ。ツィッターと軽く扱う勿れ・・・。寂地峡の滝ツィッター政治に戦略なし・・・

  • 口は禍のもと・・・

    昔から「口は禍のもと」と言われてきた。一寸した不注意な発言が思わぬ災いを招くことがある。悪気がないと油断して発言した心算のジョークが、相手の心に思わぬ傷を与えてしまうこちともある。身近な家族でも、不容易な発言は相手に大きなダメージを与えることがある旨諭された。言葉使いには、油断があってはならないと心に刻むこととなった。言葉使いには気を付けてきた心算だが、気を許した仲でも油断があってはならないのだ。狎れ合ってはならないのだ。ザルツブルグの大聖堂口は禍のもと・・・

  • オーバーシュート(爆発的感染)が始まっている…

    緊急事態宣言が解除されて、「GoーToーTravel」が実施されて、コロナの感染が全国的に広がってきた。自粛規制が解除されて以降、政府は重い腰を上げようとしない。このまま経済優先策を継続すれば、先々、オーバー・シュートが懸念される。政府は専門家の意見を無視したと聞くが、自信あっての判断とは到底思えない。経済と感染防止の2兎追うものは、失敗るように思えてならない。先ずはコロナ退治に徹するべきではないか。連日発表される数値が心配でならない。手遅れになってしまえば、取り返しがつかないことになる。シェーンブルン宮殿の庭オーバーシュート(爆発的感染)が始まっている…

  • 広島に原爆が投下されて四半世紀が・・・

    本日、広島に原爆が投下されてから、四半世紀を迎えた。広島の街が、最も熱くな日だ。世界各国から多数の来賓を迎え、盛大に平和を祈念する式典が行われる予定であった。今年はコロナの流行も影響して、式典は縮小されて寂しい集会になってしまった。しかし、式典が小規模になっても、平和の宣言は世界に向かって高らかに発したい。如何なる理屈があろうとも、「戦争=核兵器の使用」は止めなければならない。核兵器は「人類抹殺の兇器」となるからだ。声を大にして叫ぼうではないか。被爆者の遺影広島に原爆が投下されて四半世紀が・・・

  • お国柄アラカルト・・・

    国語の教科書で習った言葉に、今でも、強烈な印象が残ってのがある。元朝日新聞の論説主幹だった笠信太朗さんによる「ヨーロッパ人の性格を見事に表した言葉だった。曰く「イギリス人】は歩きながら考える【フランス人】は考え終わると走り出す【スペイン人】は走り終わってから考える【ドイツ人】はみんなが走り始めると走り出す【イタリヤ人】は情熱で走り出す」短い言葉で彼らの特徴を見事に表現している。イギリスのE・U離脱等現代にはそぐわない事項も散見されるが、言いえて妙である。日本人は、思考が停止して、動こうとはしない、と言えるのではないか。昨今のコロナ対策に見られるように、スピード感がないのに象徴される。世界の旗振り役を担おうとすれば、せめてイタリア人並みの「情熱」が求められる。東京駅ー丸の内南口お国柄アラカルト・・・

  • コマーシャルの低俗化・・・

    日本のテレビ・コマーシャルは何故、かくも品性に欠けるのが多いのだろうか。ただ、騒々しいのみで、何を訴えようとしているのか意味不明なものが多い。折角、高額な費用をかけて、逆効果になってはいないか。視聴者のレベルに合わしているのだろうか。経営者の品格を疑いたくなる。私は、下品なコマーシャルをやっている会社の製品は、絶対に、購入しないことにしている。美しい音楽、優雅で気品あふれる画面、ユーモァのあるコマーシャルには、思わず魅せられてしまう。コマーシャルを提供している会社の経営陣は、気にかけて御覧になっているのだろうか。経営陣には、厳しい目で観察している人間のいることをお忘れなく・・・。ザルツブルグのトロリーバスコマーシャルの低俗化・・・

  • 大自然の見えざる秩序が破壊される・・・

    大自然は大きな秩序によって守られてきた。その秩序が、いま、危険に晒されているのではないか。自然には、本来、自然回復力があって、バランス良く保たれている。自然回復力を遥かに超える力が加わって、秩序が破壊されているのではないか。地球温暖化がその最たるものである。世界各国のエゴによる国家間紛争、経済優先策、ゴミ処理問題等々秩序を破壊する動きが急ピッチで進んでいる。この勢いで進めば、見えざる「大きな秩序」によって守られている地球は間もなく終焉の時を迎えることになるだろう。地球が生き物であるとするならば、暫しの休養と癒しの時間が必要ではないか。ノイシュバンシュタイン城大自然の見えざる秩序が破壊される・・・

  • 新聞は、社会の木鐸というが・・・

    デジタルメディアが普及する以前は、新聞がしゃかいの木鐸と言われたいた。新聞が社会を映しだす、鏡とされたきたからだ。メディアの普及と「活字離れ」の結果、様子が様変わりしてきた。社会正義を主張するツールが多々登場して、今や、スクープは「誌週刊」の独壇場になっている。インターネットで知識は吸収できるが、この先、活字文化はどのように展開していくのか、想像もできない。新聞活字文化は、何か新機軸を打ち出さない限り、廃刊に追い込まれてしまう。「漫画」や「アニメ」等劇画が主流の世界になっていくのか。「頭脳」で記憶して、思考する能力は衰退していくのか。かつて「漫画」に描かれたきた頭でっかちの火星人のようになってしまうのか。「思考力」が無くなれば、漫画の世界になっていくのは、必然のように思えてならない。レマン湖からの眺望新聞は、社会の木鐸というが・・・

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