高崎駅から、E231系の湘南新宿ライン・国府津行きの最終電車に乗って都心へ帰る。スイカグリーン券とおつまみ類を購入し、4号車の2階建てグリーン車サロE230は2階席に座った。 夕方から始まった青春18きっぷデビュー編の旅も、新宿駅でこの電車を降り
蒸気機関車とブルートレインを買い取り、JR線上を走る「動く寺子屋」設立という大目標に向けて教育研究に歩む熱血先生のブログサイト! 機関誌ガンバレール9は第2号まで発刊。第3号作成中。RM誌にも寄稿の、色えんぴつによる鉄道人物絵が伝家の宝刀!
製作中の拙ブログ本(機関誌3号)の54~55ページになる部分、 宇宙特急平和号のマイネ24形702号を追い出される最悪の未来視が見える第3話半ば。中学生のころから、博士課程卒の教師を夢見て小6の理科と、体育教師補助としてバレーボールも教えてきた主人公ゆ
製作中の拙ブログ本(機関誌)第3号の32~35ページになる部分より。宇宙特急平和号のマイネ24形702号に住んでる主人公ゆきちゃんは、赤梅学園の不良たちに立ち向かうも、見境無くし大爆発。夜ノ森が助けに入
この絵を描いた2008年は、ブルトレ50周年という記念すべき節目だった。あさかぜ号の遺志を受け継ぐ24系25形金帯車“北斗星”は、当時1往復のみの運行になるなど先行きが非常に心配された。 クルーズトレインを除く、夜行列車の伝統は、ブルーの車
2002年12月改正以前の青森駅では、日本海号、はつかり号、はくつる号が顔合わせする瞬間があった。回送列車としてホームを離れる「はくつる」編成の最後尾がファインダーに入ったその時、午前8時半のことである。なお、この日のはくつる編成は12両全車が金帯
1Mは既に臨時便になりスピードダウンも、夜行特急列車群の中で、宇都宮経由のはくつるに次ぐ俊足で、651系並の速さであった。弘前大学受験に、向かうための乗車の際、撮影。上野駅の今は無き18番線で発進をまつ常磐線経由青森ゆき3M、寝
エキスポライナーは、1985年の科学万博開催に合わせて運転された、常磐線のシャトル輸送快速列車であった。上野~万博中央・土浦間を、長編成キハ58系、403系やボックス席583系で運転されたが、画像のように引退間近のEF80が12系や20系をけん引する運用
国鉄時代の九州ブルートレイン24系25形は、共通運用の出雲1・4号が2両短い編成で運転する都合上、11号車(ロビーカーのあったはやぶさの場合は12号車)にも緩急車オハネフ25が組み込まれていた。 最後尾から、オハネフ・オハネ・オハネフ・・と連
上越線の六日町駅と常磐線を、武蔵野線経由で結んでいた冬季限定の急行列車。 常磐線の始発・終着駅はいわき駅だったと記憶する。尾久客車区に在籍した14系ハザ6連を、全区間でEF81がけん引した。ガンバレールは、大宮から土浦まで1回だけ乗ったことがあ
YTCレイルメイト魅惑のランナーと言う団体旅行に旅立つ前、上野駅でもらったと記憶する下敷き。。今思えば北斗星車中泊含め4泊という豪華旅行を毎夏、挙行してくれた関係者に感謝である。表面はクリアな青函トンネルをゆく北斗
ED79は国鉄時代末に、余剰ぎみだったED75を改造してデビュー。青函トンネル貨物用だ。しかし好景気で機関車不足になり、50番台をバブル期に投入。改造でなく、新製で何台かつくられた。性能はほぼ同じで国鉄型の増備だ。しかしEF81形450
キハ40+48を改造して活躍した常磐線の団体用お座敷気動車「漫遊」ご覧のように緑、紫、赤と、一両ごとに異なるカラーである。さながらフレッシュひたち短編成版だった。1996年ごろ 南千住駅にて撮影にほんブログ村
キハ38は当初、八高線で活躍していたキハ35系グループの車体更新車である。この頃は、クリーム色の車体に赤帯を巻いており、まるで京王線の電車みたいな感じだったと言えよう。 現在は久留里線などに転属し、菜の花カラーをまとって活躍している。 写真は、高校
次世代の豪華寝台車として、1988(昭和63)年に試作された24系25形900番台「夢空間」が、ついにこの3月を最後に引退することとなった。 東北・北海道ブルートレイン「夢空間北斗星」に連結されることも多かったが、その設定も2003年の
1998(平成10)年の8月下旬、東北本線の黒磯~新白河間が水害による路盤流失により運転不能となった。 このため、上野と札幌を結ぶブルートレイン北斗星も、当初は仙台~札幌間での折り返し運転とされたが、同年9月3日の始発駅発車分より、3~6号(当
「ブログリーダー」を活用して、ガンバレールナインさんをフォローしませんか?
高崎駅から、E231系の湘南新宿ライン・国府津行きの最終電車に乗って都心へ帰る。スイカグリーン券とおつまみ類を購入し、4号車の2階建てグリーン車サロE230は2階席に座った。 夕方から始まった青春18きっぷデビュー編の旅も、新宿駅でこの電車を降り
元101系の黄色で寄居(よりい)駅まで来た。ここで秩父鉄道の切符を手放し、また青春18きっぷを使ってJRに乗り換える。 八王子に出て東京に帰ることも検討したが、せっかくの18切符・初体験でもある。八高線を北上して高崎に向かおう。 キハ110
すっかり日も暮れた。 その後、留置線にはスカイブルーの編成がやってきたけれども、何本待っても、ホームに入線してくる元101系国電は白地の標準色ばかり。あと1台待って国鉄復刻カラーが来なければ、白い1000形でもいいのでとにかく乗ろうと決めた。
熊谷駅に着くと、かろうじて空がまだ明るかった。 これから、八高線との接続駅である寄居(よりい)を目指すことにするが、もちろん寄居までは別途、秩父鉄道の乗車券が必要。 さっそく秩父線の改札を通って、元国電の101系改め秩父鉄道1000形の撮影に
ガンバレールは、まさに青春まっただ中だった「18」歳の時に1度だけ、青春18切符を買ったことがあったけれども、結局忙しくて使う時間がないために駅に返却した。 しかしこのたび、2009年3月31日にもなってようやく、生まれて初めて18切符の旅をす
JR東日本は10日、2027年春にも特急ときわ・ひたちで使用されているE657系1編成を改造し、新たな夜行特急列車を導入すると発表しました。
どうでもいい話題はなるべくこのライブドアブログに記していくこととなる。どうしてもエックスのほうに書きたくなった場合は、トレンドの言葉を文末に2、3記すことにする。収益を復活させるためには、インプはどのポストも数100を超すようにし、いいねが最低でも2、3つくよう
リスペリドンの効果が強いためか、最近は全く射精したいとは思わぬ。いまもボッキよりはポッキーである。いよいよ、伊予伊与明日ということになったが、きみはこの数年旅立ちがやはり全くできずにいる。まさか、夏の青春18きっぷ3日用を買って3日連続そこら辺の電車を乗り
いよいよ明日となった。もしもこのあと寝逃げをしてもせまるものはせまる。どうしようもな い現実である。きみは南のほうの私鉄線の近くまで歩き、きのうは石焼き芋をまた買ったが、夕方というものはただちに日没し、てんてん拍子に深夜がくる。口さみしさをまぎらわすため
エックスのフォロワーはさらに増えて、10680人にもなった。ブルバ2000人も早くも盤石と思え、1900人台に逆戻りはもうな いであろう。
食べすぎに気をつけたい。ラングリーというビスケットを食べるが少しでいい。
あしたですとなる瞬間がせまっている。いよいよ、とは、伊予や伊与が近づくことを意味し、西南への期待感や、後継者への希望がつながることでもある。そこまでにいたらずとも、ひらめきみたいなものは明日おとずれる可能性はある。
こっちのシステムに書くのはいいが、エックスに書くことはできな い。エックスにどうでもいい話題をふらっと書いてしまえばエンゲージメントが下がり、ますます収益から遠ざかるためだ。
リサーチも大事な収入源。毎月3000円は貴重。
家族のPCの電源をいれてecナビとペックスをやる。それが終わったらアイスを食べていい。
昼間のニュースみたいに、何時になりました、ニュースをお伝えします、で始めればよし。おはようございますやこんばんはを冒頭に入れる必要はな い。
このスマホを充電します。
バンドエイドがはがれた。
したからには、下に行き庭を見ることにした。
失敗した。したならば下に行くかはわからぬ。
上越新幹線連絡の速達特急として、北斗星などが誕生した1988(昭和63)年3月改正で誕生した特急。 長岡~金沢間に、当初はオール普通車指定席で2往復を設定。北越号よりも停車駅が少なく、直江津、富山、高岡のみの停車であった。このため、ヘッドマーク
戦後間もない1950(昭和25)年から1958(昭和33)年にかけて製造された車掌車。 平成20年現在、JR北海道に2両が残存。SL列車の展望車として活躍中だ。写真のヨ4350号車は、旧型客車時代のノロッコ号用として活躍し、当時は白を基調とした
鶴見線の大川~武蔵白石間は、急カーブがあるために長年にわたって20メートル車の乗り入れが出来なかった。 このため、同区間ではJR化後も17メートル車の旧型国電クモハ12がガンバレールしていた。定期運用は1994年ごろまで続いたが、JR東日本では
https://youtube.com/@user-cs1ek2hm3m?si=uwhOlFQ0CROu8K0H @YouTube
平成20年度•玉川大学教育学部卒論「子どもの衣食住に見る規範意識の低下」に使った拙イラスト改良版。卒業後も研究続行中。レイルマガジン333に寄稿のこの新幹線今昔も、卒業論文で使った絵を昇華した作品の一つ。新幹線の鼻が長くなるにつれて、少年の半ズボンも私服は
飛鳥山公園 あじさいと湘南新宿ライン 2024年6月
運転開始当日の処女列車“スペーシアきぬがわ3号” 東武鉄道の電車が、21世紀に入ってJR線上を定期的に走行する日が来ようとは、ほんの10数年前までは想像すら出来なかったことで、この、4人用個室もある東武100系を使用した列車の新宿乗り入れはた
常磐線から、乗り換えすることなく新宿や東海道本線方面に直通できた臨時快速電車で、1995(平成7)年のデビュー当初は165系と169系の混結(幕張区)6連が使用されている。なお、この頃の急行形電車は、踏切事故防止対策として運転室前面に強化対策工事が施
秋田駅経由で、盛岡と、青森とを結んだエル特急。九州と同じくクモハ485を改造で連結して最短の3連か、5連に編成の短縮化を実施。のちに、常磐線ひたち号のモノクラス7連化に担当される、サハ481 100番台を混雑時に増結して6両で走ったこ
国鉄時代に設定され、JR化後も94年ごろまで運行されていた、常磐線における夏の風物詩と言っても良い臨時列車であった。 キハ58系5連が使用され、88年までは松戸駅にも停車した。91年以降はATS-P形を装着していないという理由で我孫子以南には乗
新幹線N700系トミックス模型3両セットの、パッケージ裏面/編成表を見ていて感じたことを記しておこう。先頭車の783形は、JR九州を走っている特急電車783系の数字と同じだ。785形という中間車は、北海道にいる特急電車の形式を連想す
昨年4月、石川県輪島市で全日本競歩輪島大会を観戦した。その競歩大会に併設する形で実施されたスピードウォーク in 輪島大会3kmの部に、私も選手として初参加。2020年東京オリンピック開催が決まったが、競歩競技の普及、過疎化の進む地方における鉄道復権など
本年4月、石川県輪島市で全日本競歩輪島大会を観戦した。競歩大会に併設する形で実施されたスピードウォーク in 輪島大会3kmの部に選手として初参加。東京での、2020年オリンピック開催が決まったが、競歩の普及、過疎化の進む地方における鉄道復権などを願い5
富山地鉄がJRをオーバークロスする場所で約30分待ったけれども、ついに両方の電車が交差する瞬間は見れなかった。なので帰京後に絵を作ることにした。 製作中の、ガンバレールナイン第2号(拙ブログ本)に掲載予定のマンガを作る手をいったん休めて着手。
今亡き祖父母の故郷でもある北陸本線・黒部で途中下車。 走っているのは、681(683)系はくたか。駅からそう遠くない位置に、このように富山地鉄がオーバークロスする部分がある。 まず、JRの普通電車が来た。 地鉄の電車が
今年4月、石川県輪島市にて開催された全日本競歩輪島大会を観戦、その競歩大会に併設する形で行われたスピードウォーク in 輪島大会3kmの部に選手として初参加した。東京オリンピック開催が本日決まったが、競歩の普及も願い輪島スピードウォーク、およびSL寝台
東京駅のこの場所に、日曜日の午前中出かけるとなれば、飽きもせず、14系さくら号が来る11時半まで私はカメラを構えてた。これは、父が写してくれた1枚。今思うと、上下黒っぽいファッションのせいか、地味に感じる。真冬なので、さすがに半ズボンでは
最近、くろしお号用の国鉄色381系が岡山に来て、やくも号に連結されたという情報を得ている。懐かしい姿をぜひ見てみたいものだ。 写真はもちろん国鉄時代の物である。写っている小学校6年生当時のガンバレールは、冬2月だったせいもあるが珍しく長ズボン姿
今、出雲区の国鉄特急形381系電車には3種類のカラーがある。 1枚目が、従来からのやくも号カラー。2枚目写真の右側に連結されている車両がスーパーやくも号色で、この画像のように緑色のやくも車と混色で運転されることもある。 3枚目の写真は、新見駅