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未熟児で生まれたけど無事社会人やってます https://konatsu1452.hatenadiary.com/

未熟児で生まれて無事に社会人として生活しているわたしの、生まれてから今に至るまでを書いています。未熟児でもすくすく育つよ!と現在子育て奮闘中のパパママ達に伝えていきたいです。

小夏
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2019/05/12

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  • 男の子っぽい子

    1452gの未熟児で生まれたわたし。 物心ついた頃から 少し男の子っぽい子どもだった。 家で兄と一緒に遊ぶことが 多かったからかもしれないが、 男の子が遊ぶような遊び (野球やミニ四駆など) が好きだった。 小学校に上がると 男の子と鬼ごっこをしたり ドッヂボールをしたりして 遊ぶことが多かった。 それでも女の子とも遊ぶこともあり、 当時流行っていたシール集めや 香り付きペン集めをしたり モーニング娘。の話をしたりと、 割とみんなと仲良く遊べる子どもだった。 小学校5年生になり 担任の先生が変わった時に、 母が先生と二者面談をしたことがある。 そのとき先生が母に 「いじめられていないか?」 と…

  • 子どもの頃の学習方法

    未熟児で生まれ 体力的には問題なく成長したわたし。 学校の勉強は 割とできる方だった。 今振り返ってみると おそらく一人遊びが好きだったことが 影響しているのかもしれない。 4学年上の兄が読んでいた 本や教材などを 一人でじっくり読むのが好きな 少し変わった子どもだった。 一般的な子ども向けの図鑑も好きで 特に宇宙や昆虫、植物などに くわしい子どもだった。 あとは自分からよく ことわざ辞典を読んでいた記憶もある。 それから レインボーことば絵じてん というのも大好きで よく読んでいた。 これはとてもオススメなので紹介。 https://www.amazon.co.jp/%E3%83%AC%E3…

  • おばあちゃん パート2

    おばあちゃんの話の続き。 前回の話はこちら https://konatsu1452.hatenadiary.com/entry/2019/05/04/200735 わたしが生まれる10日前に 亡くなった母方の祖母は 母曰くわたしの守護霊になり 度々わたしを救ってくれた。 一度、母が昼寝をしていて わたしがその隣で1人で遊んでいると 母が勢いよく起き わたしの名前を大声で呼んだことがあった。 どうやら母はその昼寝中 祖母の夢を見たのだそうだ。 そして決まって祖母が夢に出てきたときは 発熱や怪我など わたしの身に何か起きているらしい。 そして物心がついてから わたし自身、祖母に守られているな と感…

  • 敏感な子(HSC)

    未熟児で生まれたものの、 身体的には健康に育ったわたし。 ただ、他の子より少しだけ 敏感な子どもだった。 例えば、 タイツを履くと痒くなってしまう。 母はアトピーと疑ったが 検査結果は異常はなかった。 それでもわたしが嫌がるので タイツを履くことはあまりなかった。 (母は女の子なので 可愛い格好をさせたかったようだ) それから、時々 部屋の電気を眩しく感じてしまう。 それまで普通に過ごしていても なぜか急に眩しく感じて 「まぶしい!電気消して!」 と母に訴えることもあった。 しかし、それも目には異常はなかった。 他の子よりも少しだけ 敏感な子どもだったのだと思う。 そんな子どものことを 今では…

  • 骨折

    5歳のとき 一度だけ骨折したことがある。 わたしが住んでいた家の周辺は 同年代の子どもが多く住んでいて、 近所の子どもが自然と集まって 一緒に遊ぶことが多かった。 その中でわたしは1番年下で 1番年上の子は10歳くらいで、 だいたいいつも10人くらいで 鬼ごっこやかくれんぼをしていた。 その日もみんなで かくれんぼをしていた。 記憶は断片的だが、 わたしは確か だれかの後を追って 階段を上ろうとしたときに 前に転んでしまった。 そして運悪く 手をついたのがちょうど 階段側面だった。 転んだ勢いもあり 右手首が一瞬、90°以上に 曲がってしまったのだ。 だが不思議と 泣きわめくことはなく、 「手…

  • 痩せっぽっち

    わたしの体が小さいのは 生まれたときだけで、 物心がついた頃には 平均的な大きさになっていた。 幼稚園に入園したときも 背の順は真ん中のあたりで、 ごく標準的な身長だった。 ただ、体重は あまり増えない子どもだった。 食事はしっかり食べるし おやつも大好きだったにも かかわらず、 肥満度はいつも マイナス10前後だった。 それでも大きな病気はしないし 風邪もめったにひかない 外でよく遊ぶ とても健康的な子どもだった。 ちなみに 痩せていたのは小学校高学年までで、 中学生になってからは 思春期特有のぽっちゃり型に 無事変貌をとげました。笑

  • ひとみしり

    子どもには人見知りの時期がある。 わたしは特に人見知りのひどい子どもだった。 わたしの母は 子どもが小さいうちは 家にいて子育てに専念する といった考えを持った、 いわゆる専業主婦だった。 そんな母は児童館などでの サークル活動に積極的で わたしをいろんなとことに 連れ出してくれていた。 例えば、幼児サークル。 同年代の子と親が参加し、 一緒にレクリエーションをするところ。 他にも、母の趣味だった手芸サークルや 産後太りを気にした母が興味を持った 親子エアロビクスなども。 わたしと同い年くらいの子どもも 親に連れられて一緒に来ていて、 部屋の隅のスペースで子ども同士 一緒に遊んだり、 一緒にエ…

  • はしか・水ぼうそう

    生後52日でようやく退院したわたし。 その後1ヶ月ごとに検診を受けていた。 首が座る、おすわりをする、 はいはい等は 平均よりやや遅れていたが、 特に大きな問題はなく すくすくと育っていった。 ただ、病気を立て続けに したことがあったそうだ。 1歳6ヶ月のときのはしかと 1歳11ヶ月のときの水ぼうそう。 はしかは予防接種実施前だった。 さすがに両親も心配したようだが、 なぜだかわたしの実家には 当時の写真がたくさんある。 ぶつぶつの顔で 楽しそうにピースしているわたし。 母はきっと おもしろがっていたのだろう。 ほとんどの親は 子どもが病気になると 心配するだろう。 ただ、わたしの母は 心配し…

  • 退院

    守護霊である祖母や 両親に名付けられた名前のおかげで わたしは生後の3日間を無事に過ごし 4日目を迎えることができた。 ただ、それでもまだ小さかったので 相変わらず保育器生活は続いた。 ちなみにわたしは予定日前とはいえ 38週で生まれたため 早産ではない。 ではなぜ未熟児だったのか。 病的因子はなく、単純に 母が39歳と半年の 妊婦としては高齢だったことと 母の体が小さかった(148cm)こと。 この2点が原因だったようだ。 現在は医療が発展し 40代の高齢でも 体が小さくても 安全に子どもを生めることが増えている。 しかし当時の医療にとっては かなりリスクの伴うことだったようだ。 しかし、そ…

  • 名前

    出産前に性別を知り 事前に子どもに命名することが主流の 今とは違い、 当時の29年前は 出産後に性別を知る人が 多かった。 両親も例にならって 出産後に性別を知り、 私の名前を考えたそうだ。 ちなみに父は田舎の長男のため、 私の兄は「長男の長男」ということで 父方の祖父が名付けたらしい。 ということで第二子の私は 両親にとって初めて 名付けをする子どもとなった。 父は知人に姓名判断の本を借りて 良い字画になるように、 などさまざまなことに気をつけながら 私の名前を考えていたらしい。 そんな中、 生後の3日間を戦っているわたしを思い、 医師が両親にこう助言したらしい。 「両親の名前から一字ずつ取…

  • おばあちゃん

    母方の祖母が亡くなったのは 私が生まれる10日前だった。 母の実家は長崎の離島で 当時住んでいた東京から 臨月の母が向かうのことは とてもできず。 葬儀には父と3歳の兄のみ 出席したそうだ。 母は、自分の親の葬儀に 出られなかったことや 孫の私の顔を祖母に 見せられなかったことが 心残りだったのかもしれない。 わたしを生んだ日の夜、 母が病室で窓から夜空を見ていると 祖母の声が聞こえたらしい。 「わたしが守るからね」 この出来事から、 母は何かあるたびに 私の守護霊は祖母だと言う。 このことに関してはこれからも 少しずつ伝えていきたい。 それから 生まれてすぐにわたしは 保育器の中で1ヶ月以上…

  • 生まれた日

    わたしが生まれるのは 8月下旬。 の予定だった。 しかし母の陣痛がきたのは 8月13日、 お盆真っ只中の 夕食どきだったそうだ。 順調であれば 近所の産婦人科で出産予定だったのだが、 その日はお盆で休診日だったそうで、 母は陣痛の痛みに耐えながら、 車で15分程のところにある 総合病院へと向かった。 母は病院でトイレで力もうとしたが、 おや、様子が違う、 これは排泄でなく子どもだ、 と気がついてくれたようで。笑 分娩時間2時間28分 スピード出産の末 夜の10時頃 わたしは生を受けた。 自然分娩。 アプガースコア9点。 ※出生時の新生児の健康状態を 10点満点で評価したもの ただ、 生まれたば…

  • はじめに

    ときどき 生きていることが 苦しくなる 何のために生きているのだろう どうして生まれたのだろう そして これから先 何を目指して生き続けるのだろう そんなとき、ふと 両親のことを思い出し、 申し訳ない気持ちになる 両親は私が生まれたとき 喜びとともに 私の幸せを願ったはずだ それなのに 私はその両親の願いを 裏切っている その罪悪感に包まれながら 同じ毎日を繰り返している このままじゃだめだ だれかに伝えなくては 私がどんなふうに生まれ どんな人生を歩み それにともなう両親の思いと どう向き合ってきたのか 私は低体重で生まれた 今、子育てをしている中で 様々な苦難に向き合っている方、 子どもが…

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