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  • 映画レビュー 『三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実』

    『三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実』を観た。 正直に言えば、 この貴重な記録をできればノーカットで観てみたかった気持ちはある。 しかしながら、全体の記録の一部とは言え、現代社会において『不適切』とされる内容が多分に詰まったこの映像を公開に踏み切った製作関係者の心意気は、高く評価したいと思う。 また、しばしば挟まれる各関係者への現在のインタビュー映像も中々効果的に配されているように思う。 特に、学生運動時の若く血気盛んな青年達と、その当人達が齢70を越えた姿を、 共に一つの映画の流れの中で見る事ができるのが面白い。 そして、 現代と過去の映像を織り交ぜながら観せる事で、この映画は、 現代…

  • カルトについて考えた

    カルトとは何か カルトは怖い、と我々は漠然と刷り込まれている。 怪しい集まりに誘われて変な石を売りつけられた、とかそういった具体的な被害にあった人間ならいざ知らず、カルトとは何の関わりもない日常を送ってきた人間がカルトに対して感じる違和感、漠然とした恐怖は一体どこから来るのか。 怖いカルトとしてすぐ思い浮かべるのは、かつてサリン事件などを起こしたオウム真理教などが典型である。 一家惨殺したり、サリン撒いたり、まあ、むちゃくちゃなのだが、サリン事件当時は連日オウム関連の報道で持ちっきりだった。 そういった報道で強調される「ポア」や「シャクティパッド」など、意味のわからない表現や信者の佇まいの不気…

  • 飛び魚礼賛

    自然界は残虐で過酷 この映像、良く撮ったなと思う。 撮影も編集も素晴らしい。 https://youtu.be/bk7McNUjWgw 大型の肉食魚から逃れるために飛び魚は飛ぶ術を発達させたというのに、飛んだら飛んだで空には別の捕食者、海鳥達が待ち受けている。 みも蓋もない残酷。 飛び魚の獲得した飛ぶ能力が逆に仇となるわけだ。 未だ種の絶滅には至っていないわけで、生存戦略として大局的には、飛び魚という種は正しい方向に舵を切ったのかもしれないが、この映像に登場する「前門の虎、後門の狼」状態の飛び魚達からすると、神を呪わずにはいられないだろう(知能があったなら)。 一体何のために飛ぶ力を授かったの…

  • 生きながら死ぬこと

    因果応報とは良く言ったものだ 何かを為せば、それは相応の報いの原因となる。 簡潔に世界の原理をあらわしているように思う。 高くのぼればのぼるほど落下した時のダメージが大きくなるように、人生においても幸福が大きければ大きいほどそれを失ったときの衝撃は計り知れない。 「我々は幸福になるために生まれきた」というような、ハッピーエンドを推奨するハリウッド映画的プロパガンダには、実は大きな罠が仕込まれている。 こういった幸福の捉え方に潜む罠を看破したのが、かつての仏教者ではなかったか。良い暮らしがしたい、もっと欲しい、という人の上昇欲求を「煩悩」として、それを切り捨てる事こそが、真の幸福、心の平安、悟り…

  • すかんぴんのススメ

    僕らは日々何らかのゴールを定めて生きている 預金を幾らまで貯めようだとか、結婚し幸福な家庭を築こうだとか、もっと小さい話で言えば、仕事の後美味しい夕飯を食べにいく事だったり、夏休みの旅行の予定だったり。 そして、それら大小それぞれのゴールまでの道のりはあくまで過程であり、多くの場合、耐えるべき退屈な時間、あるいは、人によっては苦痛の伴う時間ですらある。ゴールが蠱惑的であればあるほど、それまでの時間は相対的にはつまらなく感じる事だろう。とはいえ、この耐えるべき時間は半面夢の膨らむワクワクできる時間であるとも言える。例えば、旅行を計画している段階は、あれこれ想像を膨らませて楽しいものである。 この…

  • ヤケクソに考えた

    先日とても辛い事があった。 しかし、心に穴の空いたような痛みの半面で、音楽活動へのモチベーションが、なぜだろう、沸々と高まっているのを感じる。 父親と育ての親である祖父母が立て続けに他界した時もそうだった。 悲しくてやりきれない気持ちから逃れるための逃避先として何かに没頭しようとするのは、ある種の生存本能のようなものだろうか。 生存本能と言える半面で、何だろうか、このヤケクソ感。このヤケクソ感は、死へ欲動に近いものとも言えるかもしれない。 人間は辛さが限度を超えてしまうと、精神がぶっ壊れたり、果ては自殺に至る。 そういった病や自死に至る、何歩か手前にヤケクソ状態があって、そういう時、人は倒れる…

  • ネットに溢れる有象無象とのつきあい方

    ネットにおける科学的とされる情報は井戸端会議の噂話レベルの信頼度である ここ最近のコロナ禍は、ネット社会の本質を浮き彫りにしたように思う。ネットには様々なコロナに関する持論、極論、憶測溢れかえり、混迷の様相を呈している。コロナなどただの風邪だとする陰謀論系の人達から、コロナ脳と揶揄されるコロナ危険論者まで様々だ。それら多くの、それぞれの持論には、それぞれの科学的根拠、持論の依拠するエビデンスがあったりする。こうなってくると科学的根拠=客観的根拠、つまり答えは一つであるとは言えなくなってくる。なぜそう言うことが起こるのかと言えば、結局データというものはそれを計測する定規に依拠していて、定規のメモ…

  • 猛暑にスマホ

    暑すぎてやってられない。 何か始めなければと思うだけで、スマホ弄って時間がダラダラと浪費されていく。 スマホの、手の平一つに収まるという、その小ささは実に画期的、悪魔的発明だと思う。 パソコンの前に座るのすらダルいときには、ゴロゴロしながら指一本で遊べる。 驚くべき無為な時間。 まさに時間を潰している。 ネットに刺激的な情報が転がっている事は稀だ。 というのも、ネット上の大概の情報は底が抜けている、即ち、大概の情報には反証があり、その反証にもまた反証がある。反証と反証に対する反証が、山のように積みあがっていく現在進行形のプロセスを前にして、もはや無常感しかない。 ダラダラゴロゴロしながらのスマ…

  • 小さな事からコツコツと→諦めのススメ

    毎日コツコツと積み上げるのは難しい ブログやYouTubeなど、今の時代、個人が発信する手段は無数にあるが、発信したところでそこに反響が帰ってくる事は稀だ。本ブログの如く、閑古鳥が鳴きまくって耳が痛い人は多いのではないか。 友人にブログに反応が帰ってくるどころか、その収益化に成功している者がいるが、彼曰く、最低百記事は必要らしい。 百記事… 僕のような怠け者にとっては途方もない数字である。とても到達できる気がしないはるかな高みに思える。 だから、ここでは 如何にして継続的にブログを積み上げて百記事に到達する事ができるのかを、考えてみよう。 やはり何らかの「手応え」を感じない限り、ブログを続ける…

  • 映画レビュー 『小さいおうち』

    今日は山田洋次監督の2014年に公開された『小さいおうち』という映画を観て考えたことを書こうと思う。 『小さいおうち』 /監督:山田洋次/製作国:日本/製作年:2014年 <あらすじ>健史(妻夫木聡)の親類であった、タキ(倍賞千恵子)が残した大学ノート。 それは晩年の彼女がつづっていた自叙伝であった。 昭和11年、田舎から出てきた若き日のタキ(黒木華)は、東京の外れに赤い三角屋根の小さくてモダンな屋敷を構える平井家のお手伝いさんとして働く。そこには、主人である雅樹(片岡孝太郎)と美しい年下の妻・時子(松たか子)、二人の間に生まれた男の子が暮らしていた。 穏やかな彼らの生活を見つめていたタキだが…

  • 新元号という石ころについての考察

    たまに電車に乗った時、ふと吊り広告を見ると、結構過激に右寄りな雑誌の広告がフツーにあったりして、その違和感が凄い。知らぬ間に、自分はパラレルワールドにでも迷いこんでしまったのではないかと、想像さえする。「令和を貶める人たち」これ、その中の一つの記事の見出しである。 デーヴ・スペクターやら田原総一朗やら「令和」のネーミングを批判をした人たちやり玉に挙げる内容の様だ。 しかし、、、ちょっと笑ってしまうトコないですか?いい年した大人が顔真っ赤にして怒っている姿が目に浮かんでしまうもの。その切れまくってる人にとって、元号て、そんな大切なのものなのだろうか。うん… きっと彼にとっちゃあ、それがとても大切…

  • ひきこもりのすゝめ

    人それぞれ様々に縁を持つ。生まれたての頃は親兄弟だけだった縁も、身体の成長に伴って横に縦に広がっていく。 親類、学校の友達、上司に部下、配偶者、子供。 やがて、ひとしきり広がった縁は徐々に収束していき、最後に死と向き合う時は、とうとう独りになるのである。人の一生はよく線香花火に例えられる。 最初はぼそぼそと始まって、パチパチ火花を散らし、最後はしゅんとなって闇に落ちるわけだ。 縁が徐々に広がってやがては独りになる、そんな一連を連想させる。 ところで、 三十半ばの僕は、 ちょうど働き盛りであり、今まさに線香花火がパチパチ弾けている状態。 縁が縁を呼ぶ、そんな確変状態な訳だ。ただし、 僕が理想的な…

  • 生きた記録を残す事

    子供に向かって大人は、「自分の頭で考えなさい」 とかよく言うけれど、果たしてどれだけの大人が自分の頭でものを考えていると言えるのだろう。世の中には様々な考えや意見が溢れている。 だが、それらの元を辿れば多くは、どこかで誰かから聞きかじった事、本やネット、テレビの情報、だったりする。 そして、人がさも自身の考えかの様に喧伝する事の多くはそれらの情報を中継しているだけだとは言えないだろうか。 思い出してもみてほしい。 あなたが昨日友人に話した事。 それはあなたが自分の手や足や耳鼻や目を使って、直接仕入れた情報だったか? あなたが自分の頭で考えた?本当に?通勤電車で目に入ったつり広告、昨日寝る前にス…

  • 妄想世界をブラついて

    ほぼ無職の僕が毎日をどうやって過ごしているか。ゲームをする。本を読む。映画を見る。 ネット徘徊。YouTubeを見たり云々。要するに、日々の多くを、どこかの誰かが創り出した世界で過ごしている。だが、きっとそれは僕に限った事ではない。たまに電車に乗れば、皆スマホを弄ってゲームやネットで何やらやっている。今では皆スマホに夢中だが、僕が高校生の頃は、電車の中では本や雑誌を読んでいる人が多かった。 心此処にあらずの感じは、メディアは異なれどよく似ている。そもそも、 云千年前から、暇があれば人は神様についての物語に熱心に耳を澄ませていた。その頃からずっと、人は何処かの誰かが妄想した世界の中で遊んでいたの…

  • 『レッド・デッド・リデンプションII』 暴力と荒野について考えたこと その2

    前回記事では、『レッド・デッド・リデンプションII』(以下RDR2)における暴力行使の軽快さについてあれこれ書いたが、今回記事では、これについてもう少し踏み込んでみたいと思う。RDR2における、暴力の行使へのハードルは低く、拳銃のトリガーは羽の様に軽いのは確かだが、それはあらゆるシチュエーションに共通して言える事ではない。暴力行為が軽快に成されるシチュエーションというのは、とにかく人目が少ない場所、つまり荒野である。町において銃をぶっ放す事自体は簡単な事ではあるが、すぐに法務執行官がやってきて銃撃戦に突入する事は必至である。必然、町における無法行為には、それなりの覚悟が必要とされ、ここでの暴力…

  • 『レッド・デッド・リデンプションII』 暴力と荒野について考えたこと その1

    『レッド・デッド・リデンプションII』(以下RDR2)を遊んで考えたこと。ストーリーについては、他に書いてあるだろうから此処では特に触れない。 なのでネタバレなしです。 ロックスター・ゲームスのGTAシリーズなどは、しばしばその暴力性が社会問題とされたが、今回のRDR2では今までの同社のシリーズにも増して、軽はずみに暴力を行使してしまう自分がいる。特にそこが人の気配のない荒野であるならば、ちょっとした「はずみ」で人を撃ち殺してしまう。金目的や正当防衛、気に障った等々、理由は種々あれどひたすらに銃のトリガーは軽い。何故だろうか。キャラクターの動作はもっさりと重いが、それ故に殴る蹴るの手応え、質量…

  • マニーと名誉

    僕は雀の涙程の金額を日雇いで稼ぐ以外は貯金を切り崩す生活という、ほぼほぼ底辺無職なのだが、それゆえにお金について日々考える機会が多い。 お金とは何か。 それは、死なないため、毎日を心地よく暮らしていくための万能交換チケットだ。 ありすぎて困ることはない、腐ることはない。 金、カネ、Money。 日本語のカネという響きよりも、英語のマニー、にはハニーに似た甘美な響きを感じる。 花の蜜に群がるミツバチよろしく、人はみなマニーの匂いにクラクラ引き寄せられてしまう。 そんなみんな大好きマニーなので、それを他人から譲ってもらう事は極めて困難なのだ。 労働という長時間の肉体的精神的拘束や、よほど魅力的なモ…

  • エイプリルフール2019

    ものは試しに思ったまま、なるだけ客観を意識せずに、ブログなるものを始めてみようと思う。 まあ、見栄え良い文章にしようと気張ると続かんやろうから。 自分は音楽やってるのだが、はっきり言うとその広報のためだ。 一切客が増えずに困っている。 広報その1 rosetown-焦土 ?? バンド名がrosetownで、曲名が焦土??という。 広報終わり。 あとは、ブログが日々の肥溜めになってくれれば尚のこと良い。

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三十代無職の妄想放浪記
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