またまた『徒然草』の師匠モノである。 「またまた」といえば、かつて『パイプのけむり』という随筆があったことを思い出した。 これは正編の評判がよかったのか次々に続編が刊行されたが、これが「2巻、3巻」ではなかったのが面白かった。 『パイプのけむり』『続パイ
魅惑の歌声Sondia4-외딴길에서/人里離れた道で-(韓国ドラマに一喜一憂4)
Sondiaを語るうえで私にとって外せない歌は「외딴길에서/ウェッタンギレソ」(人里離れた道で)である。 この歌について論じてこのシリーズを〆たい。 前々回、「그대는 슬픔이 아니다/クデヌン スルプニ アニヤ(君は悲しみじゃないの)」という歌の話をしたが、もし離
魅惑の歌声Sondia3-Away-(韓国ドラマに一喜一憂3)
聞き流しではなくちゃんとK-POPを聴くようになってからとても新鮮だったのが、ㅂやㅍ、日本語の発音で云えば「パ行」の音である。 現代の日本語には外来語を除けば「パ行」で始まる音はない。 古代の日本語にはあったらしく、有名ななぞなぞにこんなのがある。 「母には
魅惑の歌声Sondia2-그대는 슬픔이 아니다/あなたは悲しみじゃない-(韓国ドラマに一喜一憂2)
さて、突然心動かされた曲「어른オルン(大人)」と歌手Sondiaについて調査を開始した私である。 「オルン」については大体分かった。 ただ、歌っているSondiaについてはほとんど情報がない。 私以前に興味を持った人(日本人)がいたらしく、いろいろと調べているような
魅惑の歌声Sondia1-어른/オルンとの出会い-(韓国ドラマに一喜一憂1)
ある休日の夕方のこと。 私は夕食で飲む自家製サワーを作るための柑橘の買い出しの帰りに車を運転していた。 この自家製サワーは私の棲む熊本県の地元で採れるさまざまな柑橘、温州ミカン、レモン、カボス、スダチ、ライム、ネーブル、キズ、ポンカンなどをハンドジュ
韓国ソウル再会旅行34-韓国雑感まとめ、というよりその他-(河童亜細亜紀行)
さて、たった3日行った旅行を1ヶ月以上に亘って骨の髄までしゃぶりつくした感のあるこの旅行記もいよいよまとめに入った。 まとめといっても何せ私のまとまりのない頭脳から繰り出される文章である。まとめというより「その他」か。 まだ言い足りないことを思いつくまま
韓国ソウル再会旅行33-韓国雑感南大門編-(河童亜細亜紀行254)
人生の時間の半分をここに賭けているA社長のような人には申し訳ないのだが、私は南大門という街に決してポジティブなイメージを持てない時期が長く続いていた。 直接的な原因となったのは88以前のこの街でA君と共に服屋のヒョン(アンちゃん)たちから拉致されたことだ
韓国ソウル再会旅行32-韓国雑感仁寺洞編-(河童亜細亜紀行253)
既に書いたように仁寺洞という街は外国人就中日本人にとっては定番中の定番の観光地である。 だから韓国語を知らない日本人でも大抵の人はこれを「じんじどう」などと3月の定例行事と間違えそうな(それは「じんじいどう」だろ)読み方はせず、「いんさどん」と韓国風に読む
韓国ソウル再会旅行31-韓国雑感鍾路編-(河童亜細亜紀行252)
鍾路(チョンノ)は日本人にはあまり馴染みのない地名である。 日本でも東京の浅草・銀座から新宿・池袋へ(関東大震災が契機)、さらに原宿・渋谷(戦争と敗戦が契機)へと流行の中心地が移動していった(田舎者なのでその後の変遷は知らない)。 韓国ソウルでも旧市街→新市街
韓国ソウル再会旅行30-韓国雑感明洞編-(河童亜細亜紀行251)
さて、本当に久し振りの韓国雑感である。 久し振りだから言いたいことが沢山ある。地区別に分けてそれを取り留めもなく書く。 実はこのツアーでは「再会旅行」ではない別ツアーが実行されていた。娘たちの御一行の明洞ツアーがそれである。 それは私達夫婦のツアーよ
韓国ソウル再会旅行29-旅行最大の危機は最後に-(河童亜細亜紀行250)
福岡空港を出ると後は熊本まで一瀉千里である。 どこにも寄らず、私と妻と娘の3人は懐かしの我が家に帰ってきた。 自宅から駐車場までは少し距離があるので、まず車を自宅の前に停めて荷物を家に運び込む。 3つのスーツケースは物凄い重さである。どれも上限の
韓国ソウル再会旅行27-妻が麻薬犬に懐かれる-(河童亜細亜紀行249)
遂に懐かしい日本に帰ってきた私達である(大袈裟)。 入国手続きを済ませて手荷物を取りに行く。 荷物が出てくるのを待っていると、あちらから犬がやって来た。 殆どまっしぐらに妻の方に向かい、妻に抱きついた。まるで我が家の飼い犬のようだ。 妻は犬好き
韓国ソウル再会旅行26-妻が空港地下鉄のドアに挟まれる-(河童亜細亜紀行248)
無事に無罪放免(無罪とは云えないか)になった妻である。 飛行機の時間の関係で昼飯が食べられないので搭乗時間が来る前にブランチ(朝昼兼用食)を食べることにする。 搭乗口はLCCの例に漏れず空港地下鉄に乗っていったところである。 以前そこのフードコートで食
韓国ソウル再会旅行25-妻が空港放送に呼び出される-(河童亜細亜紀行247)
空港に着いた私たちは搭乗予定の「エアのプーさん(仮名)」の窓口に行き、スーツケースを預ける。 物凄い重さだが、1つ当たり15kgになるように既にホテルで調整済みである。 私たちが泊まったホテルには荷物の重さを計れる機械が設置してあるのだ。 今回接客の悪
韓国ソウル再会旅行24-ソウルから仁川空港まではピカピカの新型車で-(河童亜細亜紀行246)
冒頭の絵と内容が全く関係ないことをお詫びします。 いよいよ最終日である。 飛行機は11時過ぎだが、アクシデントに備えて迎えの自動車は7:00にホテルに来てもらえるようにしている。 最後の身支度を整えて約束の時間より10分くらい前にホテルのロビーに降りてチェック
韓国ソウル再会旅行23-鐘路三街の牛肉屋でチャドルバギを食す-(河童亜細亜紀行245)
明日の車代のための両替を済ませ、A君のスマホを無事に取り戻した私達は心からホッとした。 それまでは食事どころではない心境だったのだが、初めてかなり腹が減っていることに気付いた。 実はこの旅行では同行者がいることもあり全ての食事でその場所を予定していたのだ
韓国ソウル再会旅行22-スマホ捜索隊仁寺洞出動-(河童亜細亜紀行244)
どうにか間一髪で明日の車代の支払いのための両替を済ませた私たち夫婦である。 さて、これからA君の携帯を探しに行かなければならない。 しかし、昨日あの飲み屋に行ったときには既に相当酔っぱらっていた。 キーワードは「老人保護地域」という言葉だが、一体あれ
韓国ソウル再会旅行21-親切な人のおかげで間一髪で両替完了-(河童亜細亜紀行243)
南大門市場の後は明洞に戻って「寄って百貨店(仮名)」の地下で食料品を買い込む。 以前は見るもの全てが初めて見るものばかりだったが、最近は日本に韓国食品のマートが出来たので、「これは日本で売ってる」「これも日本で売ってる」というものが増えた。 以前のように
韓国ソウル再会旅行20-謎の帽子で注目の的になる-(河童亜細亜紀行242)
A社長の店を出た私たち夫婦は南大門市場で散策兼買い物をすることにする。 店で買った人参と海苔はA社長がホテルまで届けてくれるという。相変わらずの至れり尽くせりである。 配達先も一軒二軒ではないだろうに、忙しいことである。 まず真っ先に買ったのが我が家で
韓国ソウル再会旅行19-南大門市場で逢いましょう-(河童亜細亜紀行241)
脚がパンパンになりながら私たちは遂に南大門市場のある会賢駅に辿り着いた。 市場の入口に聳え立つ「月世界デパート(仮名)」を仰ぎ見るうちに、「帰ってきた」という実感が湧き上がる(大袈裟)。 既にA社長からは朝「ドナウ(仮名)」で「今日は南大門市場ですよね。久し
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またまた『徒然草』の師匠モノである。 「またまた」といえば、かつて『パイプのけむり』という随筆があったことを思い出した。 これは正編の評判がよかったのか次々に続編が刊行されたが、これが「2巻、3巻」ではなかったのが面白かった。 『パイプのけむり』『続パイ
古文初学者向けの『徒然草』で忘れていたものがあったので一つ。 それは「公世の二位のせうと」という話である。 これは歴史的仮名遣いの良い勉強になる外に、話としてもなかなか面白い。 まず、初学者は「せうと」が読めない。 これはローマ字で考えると分かりやす
『枕草子』で「春はあけぼの」と並んで定番なのが「うつくしきもの」である。 「うつくし」は例によって先生が、「古文の『うつくし』は『美しい』ではありません。『可愛い』です。」と声を張り上げそうだが、これまた「をかし」や「あはれなり」と同じく生徒に印象付け
久し振りに『枕草子』である。 しかもド定番の『春はあけぼの』。 この段はほとんどの人が中学の時に習っていて、かつ、暗誦させられて今でも諳んじられる人もいるかもしれない。[原文] 春は、あけぼの。やうやうしろくなりゆく山ぎわ、すこし明かりて、紫だちたる雲の
教科書に載っている『徒然草』はなぜか人生訓や説教じみたものが多い。 前回取り上げた「友とするに悪しきもの七つあり」なども教訓と云えなくもない。 これまたよく教科書に取り上げられる52段「仁和寺にある法師」もまた最後は教訓である。[原文] 仁和寺にある法師
青春は悩み苦しむ時期である。 「自分とは何者なのか」「自分はどうやって生きて行けばいいのか」 いわゆるアイデンティティについて、初めて真剣に考える時期だからである。 自分の長所だけではなく、短所をも、これまでそうしてきたような直感的な把握ではなく、初め
久々の『徒然草』である。 古文初学者の教材としてよく用いられるものに109段「高名の木登り」がある。 [原文] 高名の木登りと言ひし男、人をおきてて、高き木に登せてこずゑを切らせしに、いと危ふく見えしほどは言ふこともなくて、降るるときに軒たけばかりになりて、
高校生の古文入門編として、「児のそら寝」と共にもう一つよく使われる『宇治拾遺物語』が「絵仏師良秀」である。[原文] これも今は昔、絵仏師良秀といふありけり。家の隣より火出で来て、風おしおほひてせめければ、逃げ出でて、大路へ出でにけり。人の描かする仏もおは
高校で古文を習う時、入門として最初に教わる教材として、『宇治拾遺物語』が使われることが多い。 特に多いのは「児のそら寝」である。[原文] 今は昔、比叡の山に児ありけり。僧たち、宵のつれづれに 「いざ、かいもちひ せむ。」と 言ひけるを、この児、心寄せに聞
無情の雨で二つの花は散ってしまった。 どういうものか牡丹札の撮影は雨に祟られる。 それでもまだ1個だけ牡丹が咲いている。 これに今年最後の望みをかけて「牡丹に蝶」撮影は休日である4月19日(韓国では学生革命の日である。全然関係ないけど)の午後一杯を使って行わ
牡丹スカ札と「牡丹に青丹」の作成が終わり、いよいよ次は「牡丹に蝶」の撮影開始である。 というより、私は今年の牡丹が咲いた瞬間からあわよくばまず「牡丹に蝶」を撮影するつもりであった。 それ以外の札はそれからでも十分間に合う。 ところが、花が咲いたのはいつ
3年越しの執念が実り牡丹スカ札を手にした私であったが、本命の「牡丹に蝶」を作成する前にもう一つの課題が残っていた。 「牡丹に青丹」である。 現在までに私が最も出来が良いと思っている青丹札は「紅葉に青丹」である。 リアル写真で花札を作る29-紅葉青短の芸術-(
全国のリアル花札ファンの皆様(推定100名)、お待たせしました。 我が「(株)リアル花札本舗(架空)」が2年振りに放つ新商品、「牡丹スカ札」でございます。 思えば、植木屋に騙されて添付の写真とは似ても似つかないピンクの牡丹を買わされたのが2年前。 しかも花が咲い
垓下を約800騎で脱出した項羽は、漢軍の5000騎に追跡され、20数騎まで数を減らして烏江(うこう)という河の畔までやって来る。 ここを越えたらもう江東である。かつて会稽の郡守殷通を殺して兵を挙げたところだ。[書き下し文] 是(ここ)に於(おい)て項王乃(すなわ)ち東(ひ
[書き下し文] 項王則ち夜起(た)ちて、帳中(ちょうちゅう)に飲(いん)す。美人有り、名は虞(ぐ)、常に幸せられて従う。駿馬(しゅんめ)の名は騅(すい)、常に之(これ)に騎(き)す。是(ここ)にて項王乃ち悲歌忼慨(ひかこうがい)し、自ら詩を為(つく)りて曰く、「力は、山を抜き、
遂に天下二分の和睦が結ばれた。 最初の形勢からするならば信じがたいことである。 和約は鴻溝を境として東を楚、西を漢とするものであった。鴻溝は黄河と淮河を結び南北に走る運河である。 項羽が約に従って東に帰ろうとしたとき、突如として漢軍が背後から襲い掛かる
その後も楚漢は戦っては項羽が劉邦を走らせるという状態が続いたのだが、次第に争闘が長期に亘った影響が出てくる。 それを象徴するのが次の場面である。[書き下し文] 漢王、則(すな)ち兵を引きて河(かわ)を渡り、復(ま)た成皋(せいこう)を取り、広武(こうぶ)に軍し、敖
遂に反項羽の烽火を上げた劉邦だったが、これを項羽は一蹴する。これぞ鎧袖一触である。[書き下し文] 項王乃(すなわ)ち西のかた粛(しゅく)より晨(あした)に漢軍を撃ちて東(ひがし)し、彭城(ほうじょう)に至り、日中(にっちゅう)に大いに漢軍を破る。漢軍皆走り、相随(あい
劉邦のいなくなった咸陽に項羽が入った。 劉邦は咸陽入りしたときにその煌びやかな財宝に眼が眩んで略奪しようとしたのだが、部下の張良や樊噲に諫められて泣く泣くこれを封印したのだ。 しかし、項羽にはそうした部下がいなかった。 何故いなかったか、それを示すの
自分が先に秦都咸陽に入ったことで項羽が激怒していることを知った劉邦は、側近の張良に云って旧友で項羽の叔父の項伯にとりなしてもらい、項羽と面会する。後に「鴻門(こうもん)の会」と呼ばれる。[書き下し文] 沛公(はいこう)、旦日(たんじつ)、百余騎を従え来たりて項
「後3人…」と、「ボルボ13(仮名)」のようなことを呟いてみる。 数多いるかぐや姫の求婚者のうち、主に身分と財力でエントリーされた5人のうち既に2人が脱落した。 次は阿部御主人(あべのみうし)である。 この人は先の二人のような皇族ではないが、なにせ右大臣である。
「石つくりの皇子」がぶつぶつ云いながら退場した後は、「くらもちの皇子」の登場である。 姫が皇子に課したのは「蓬莱の玉の枝を持ってくること」である。 蓬莱というのは日本から見て西側の大陸にある理想郷である。 ただし、大陸の人たちから見れば東の涯にある理
さて、取り敢えず現実を知った人たちが後景に退いてもなお求婚する5人の人たちに、かぐや姫はそれぞれ難題を出す。 まずは「石つくりの皇子」に対する課題、「仏の御石の鉢」である。 これは釈迦牟尼が生前愛用していた光り輝く椀のことらしい。 私がまだ18歳くらいの時
さて、竹取の翁と媼の子供となったかぐや姫はすくすくと育つ。 これがどれくらい「すくすく」だったかといえば、三月くらいで成人の大きさに育ってしまったのだ。 すると翁は早速姫の成人の儀式を始める。 考えてみれば三か月の幼女をいきなり成人させてしまったのだか
「竹取物語」といえば古くから日本人に親しまれてきたおとぎ話である。 だが、話の内容はといえば、竹取の翁が竹の中に小さなお姫様を見つけたこと、そしてそのお姫様が月に帰って行ったことしか知らない人が 多いのではないだろうか。 これは「金太郎」が小さい頃熊に跨
さて、「大和物語」の第149段「沖つ白波」である。 題名は勿論幼馴染の妻の夫の無事を願う歌から取っている。 「沖つ白波」は「筒井筒」の幼馴染の話をすっとばし、いきなり[原文] 昔、大和の国葛城の郡に住む男・女ありけり。で始まる。これについては現代誤訳は要らな
さて、「業平、人としてどうよ」という部分にやってきた。[原文] まれまれかの高安に来てみれば、初めこそ心にくくもつくりけれ、今はうちとけて、手づから飯匙取りて、笥子のうつわものに盛りけるを見て、心憂がりて行かずなりにけり。[現代誤訳] たまーに例の河内の
「17の純愛」を貫いて一緒になった業平とその妻であったが、二人を「現実」「生活」が襲う。[原文] さて、年ごろ経るほどに、女、親なく、頼りなくなるままに、もろともに言うかひなくてあらむやはとて、河内の国、高安の郡に、行き通う所出できにけり。[現代誤訳]さて、
冒頭の絵と内容が全く関係ないことをお詫びします。 さて、「伊勢物語」の中で最大の問題作、第23段「筒井筒」について語らねばならない時がやってきた(別に義務じゃないけどね)。 この「筒井筒」は昔は問題作でも何でもなかった。 戦前の昭和歌謡「湯島の白梅」にも
さて、業平一行は更に旅を続け、武蔵国と下総国の国境にやってきた。 武蔵国は今の東京、埼玉、神奈川に跨がっており、下総国は千葉県と茨城県に跨がる領域である。 今では全国でも一番人口が密集している地帯だが、業平が生きた時代にはドの付く田舎である。 ここ
河童国の東上りは前回で終わってしまったが、人間国の東下りはまだ続く。 一行は歩きに歩いて駿河の国まで来た。今でいう静岡県である。 「宇津の山」というところに至ると、一行の行く道はどんどん人気の無い心細い道になってゆく。 「えうなき者と思いなし」(自分を役
河童国の東上りは前回で終わってしまったが、人間国の東下りはまだ続く。 一行は歩きに歩いて駿河の国まで来た。今でいう静岡県である。 「宇津の山」というところに至ると、一行の行く道はどんどん人気の無い心細い道になってゆく。 「えうなき者と思いなし」(自分を役
「業平、都辞めるってよ」の報に「え、一人で行くってヤバくね?」「ヤベーよ!」と色めき立った不良貴族たち(決めつけるな)に連れ添われて、東へと向かう列車で、じゃなかった、勿論その頃にはそんなものはないので、徒歩で東へと向かった業平一行は三河の国、八橋と云うと
「業平、都辞めるってよ」の報に「え、一人で行くってヤバくね?」「ヤベーよ!」と色めき立った不良貴族たち(決めつけるな)に連れ添われて、東へと向かう列車で、じゃなかった、勿論その頃にはそんなものはないので、徒歩で東へと向かった業平一行は三河の国、八橋と云うと
冒頭の絵と内容が全く関係ないことをお詫びします。 私の本職(前職?)の言語聴覚士国家試験の過去問に次のような問題がある。 第16回PM8 40歳の男性、商社の営業課長。几帳面な性格。休日も出社して仕事をしていたが、2週間前から不眠、全身倦怠感、食欲減退がみら
冒頭の絵と内容が全く関係ないことをお詫びします。 私の本職(前職?)の言語聴覚士国家試験の過去問に次のような問題がある。 第16回PM8 40歳の男性、商社の営業課長。几帳面な性格。休日も出社して仕事をしていたが、2週間前から不眠、全身倦怠感、食欲減退がみら
「芥川」と云われれば多くの人は芥川龍之介を思い出すであろう。 ただ、伊勢物語第6段に同名の話があり、私は平安朝に関する知識が深く「王朝物」と呼ばれる小説群を残した芥川龍之介はこの段から自分のペンネームを取ったのだろうと長いこと思っていた。 芥川龍之介の「
「芥川」と云われれば多くの人は芥川龍之介を思い出すであろう。 ただ、伊勢物語第6段に同名の話があり、私は平安朝に関する知識が深く「王朝物」と呼ばれる小説群を残した芥川龍之介はこの段から自分のペンネームを取ったのだろうと長いこと思っていた。 芥川龍之介の「
どういう風の吹き回しか国語の教師をしている。 教師は授業をしなければいけないから授業の準備をする。 今年の3月までは医学の授業をしていたから準備では医学のことを調べていたが、今は国語のことを調べている。 これまでに「羅生門」「宇治拾遺物語」「竹取物語」の
どういう風の吹き回しか国語の教師をしている。 教師は授業をしなければいけないから授業の準備をする。 今年の3月までは医学の授業をしていたから準備では医学のことを調べていたが、今は国語のことを調べている。 これまでに「羅生門」「宇治拾遺物語」「竹取物語」の