chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
arrow_drop_down
  • 藤野先生のこと(どうしても言いたかったこと63)

    1894年、大日本帝国と大清帝国が韓国における支配権をめぐって激突したのが日清戦争である。 小国だと侮っていた日本との戦いで一敗地に塗れた清国では、太平の眠りを貪り押し寄せる近代に眼を背けていた自国への反省が沸き起こった。 反省は自分たちを打ち破った日本に

  • 齢62にして解けたサスペンダーの謎(それでも生きてゆく私324)

    この世には「サスペンダー」というものが存在する。 この道具の用途をよく表しているのは「ズボン吊り」という昔風の別称である。  私は今より30kg以上痩せていた10代の頃から、どういう訳かズボンの「うっさがり」に悩まされてきた。 「うっさがり」というのは熊本方

  • 河童言語聴覚士国試指南 索引

    第1HP「天草の海風」を全面リニューアルしました。[索引]あ行 あ アンチフォルマント どうしても判別出来ない2人4(それでも生きてゆく私160) あ アルゴリズム 飛んで飛んで飛んで回って回って回って忘れる(チャンクの暴走45) い 遺伝形式 武家の娘の商法(

  • やはり「巨人の星」は避けて通れない2リメイク-堀内投手の謎の台詞-(男どアホウ藤崎台18)

    第1HP「天草の海風」を全面リニューアルしました。 「誰も書いたことのない『巨人の星』ネタを」と思っていろいろと調べてみるのだが、「これは?!」というようなネタはほとんどが既に誰かに取り上げられている。なかなか困難な作業である。 「花形満は中学生なのになぜジャ

  • 河童簡単韓国料理26-韓国焼酎の梨サイダー割り-(いやしんぼ116)

      私は韓国料理が好きである。  チゲやクッ(いずれも汁物)などの基本的な料理ならばレトルトの調味料など無くてもチョイチョイと作ってしまえるほどだ。  ただ、韓国の酒となるとどうも頂けない。  勿論マッコリは大好きだし、ビールも値段次第では(日本で売っている韓国

  • 河童君、君こそスターだ!(毒にも薬にもならない話93)

    年末年始は歌番組が多い。 かつ、高齢化を反映してか、「昭和の歌謡〇〇」といった類の番組が多い。 その日、私達夫婦はそうした番組の1つをソファーに寝っ転がって酒を飲みつまみを啄みながら観ていた。 この番組は特に私達60代をターゲットにしたものらしく、一人一人

  • 夫婦は一蓮托生?(それでも生きてゆく私323)

    Happy New Year 2024! さて、正月と云えば初詣である。 私達夫婦も我が大和民族の慣習にしたがって初詣に行ってきた。 本当は再建したばかりの我が氏神「あっそう神社(仮名)」に行きたいのだが、どう考えても難民船のような密密状態で数時間を過ごさなければならないの

  • 孫が教えてくれた事物全体制約(毒にも薬にもならない話92)

    私には孫がウニャウニャ人いる。具体的な数字はプライバシーだから教えられない。 先日その中の4人と玩具屋に行った。 祖父母が孫と玩具屋に行く目的は唯一つ、玩具を買ってやることである。 一番上の孫や二番目の孫は小学校の高学年だから欲しがるものといえば現代の子

  • パチンコを巡る危機一髪('80京都安下宿生活89)

    最近パチンコをしなくなった。 最後にしたのは最初の孫が生まれた時である。 孫はもう来年は中学生だから、もう11年も前である。 待っているのがあまりに暇なので行った。2万円分の景品と交換した(本当は2万円分勝った、と云いたいところだが、当局の眼があるからのう)

  • 患者さんに教わる日々(余は如何にして言語聴覚士となりし乎 外伝27)

    以下の文章はA県言語聴覚士会の会報にコラムとして掲載されたものです。 この度県士会役員を引退したのでブログに掲載します。 書かれてある情報は掲載時のものであり、現在では変化している可能性があることをお断りしておきます。 また、登場する方に関しては掲載の許

  • 最近始めたこと(余は如何にして言語聴覚士になりし乎外伝26)

      以下の文章はA県言語聴覚士会の会報にコラムとして掲載されたものです。 この度県士会役員を引退したのでブログに掲載します。 書かれてある情報は掲載時のものであり、現在では変化している可能性があることをお断りしておきます。 私は養成校の教師である。 したが

  • リズミックワールドへようこそ(余は如何にして言語聴覚士となりし乎外伝25)

    以下の文章はA県言語聴覚士会の会報にコラムとして掲載されたものです。 この度県士会役員を引退したのでブログに掲載します。 書かれてある情報は掲載時のものであり、現在では変化している可能性があることをお断りしておきます。 また、登場する方に関しては掲載の許

  • 君はあの日の私('80京都安下宿生活)

    以下の文章はA県言語聴覚士会の会報にコラムとして掲載されたものです。 この度県士会役員を引退したのでブログに掲載します。 書かれてある情報は掲載時のものであり、現在では変化している可能性があることをお断りしておきます。 子どものころなりたかった職業は医師

  • 君はあの日の私('80京都安下宿生活89)

    以下の文章はA県言語聴覚士会の会報にコラムとして掲載されたものです。 この度県士会役員を引退したのでブログに掲載します。 書かれてある情報は掲載時のものであり、現在では変化している可能性があることをお断りしておきます。 子どものころなりたかった職業は医師

  • 過去の自分がくれた釜山旅行28-韓国雑感2023釜山編-(河童亜細亜紀行668)

    4年振りの韓国雑感釜山編である。  肉類の日本への持ち込みを禁止するポスター。 これについてはレトルト食品も何故駄目なのかという問題提起をしたことがあるが、韓国ソウル再会旅行34-韓国雑感まとめ、というよりその他-(河童亜細亜紀行) 今回はそれについてではない

  • 過去の自分がくれた釜山旅行27-最後のグルメは大失敗?-(河童亜細亜紀行667)

    暴徒と化した群衆(大嘘)に踏みつぶされることもなく、無事に乗船した私達夫婦である。 時刻はもう20:30過ぎ。 昼飯を食べたのは12:30位だから、いい加減腹が空ききっている状態である。  早速「S食堂」開店である。 我が家での宴は妻の頭文字を取ってS食堂と呼ばれて

  • 過去の自分がくれた釜山旅行26-行列を守れない韓国人と日本人-(河童亜細亜紀行666)

    釜山港で出国手続きを終えて「笑ってトンヘ号(仮名)」 への乗船を待っている私達夫婦である。 ゲートの前には乗船客の荷物がずらりと並んでいる。 私達は2時間も前に出国手続きをしたので、相当前の方である。 この船には荷物を並べた順に乗船するという不文律があるの

  • 過去の自分がくれた釜山旅行25-無事釜山港へ辿り着き、再び釜山駅へ-(河童亜細亜紀行665)

    「足が棒」というところまではいかなくても、「足が芋茎木刀(いもがらぼくとう)」くらいまでにはなって釜山港に辿り着いた私達夫婦である。 まず移動の足枷になっている大きな荷物を港の預かり所に預ける。 これは案内所に「クロークは何処?」と云って通じず、「荷物を預

  • 過去の自分がくれた釜山旅行24-釜山港へ向かって陸橋を歩く-(河童亜細亜紀行664)

    ホテルに行って荷物を受け取った私達は地下鉄の駅に向かう。  このホテルは立地抜群であるから、駅はすぐ近くである。 本当に、もし「鍵」がちゃんとしていたら、蛾がいなければ、布団がちゃんとあったら、お湯がちゃんと出たら、スタッフが深夜もいたら、どんなに素晴

  • 過去の自分がくれた釜山旅行23-ロッテマートで暇潰し-(河童亜細亜紀行663)

    美味しいテジクッパに舌鼓を打った私達であった。 さて、時間は12時半を一寸過ぎたところである。 これから何処で何をしようか。 帰りの船への乗り込みは20:30。手続きは18:30開始である。  今から海雲台なり西面なりに行っても十分帰って来られる時間なのだが、問題

  • 過去の自分がくれた釜山旅行22-釜山名物のテジクッパを堪能す-(河童亜細亜紀行662)

    私達の乗ったタクシーは大通りから一歩外れると、裏道らしいところを走り始めた。 少しだけ心配になったが、制限速度を大幅に超えることもなく、私の体内地図が「こちらが南浦洞でっせ(なぜか大阪弁)」と指している方向に一直線に向かう。 車は15分ほどで南浦洞の駅に到

  • 過去の自分がくれた釜山旅行21-妻の機転で南浦洞に無事帰還-(河童亜細亜紀行661)

    「白い海岸の文化村」は、なかなか楽しかった。 韓国と云う、日本人にとっては異国で、更に地中海という「異国情緒」を味わおうとは。 ただ、ここからどうやって南浦洞に帰ればいいのだろうか。 ここに沿っている道は結構狭く、タクシーの溜まり場になるような場所はさ

  • 過去の自分がくれた釜山旅行20-ヒンヨウル文化村を歩く-(河童亜細亜紀行)

    さあ、ヒンヨウル文化村の散策開始である。 この看板には「今、ここ、私達は、ヒンヨウル(に来ている。)(日本誤訳)」と書いてある。 ちなみに「ヒンヨウル」とは直訳すれば「白い瀬」という意味で、もう少し意訳すれば、「ヒンヨウル文化村」は「白い海岸の文化村」とい

  • 過去の自分がくれた釜山旅行19-歌う運転技師-(河童亜細亜紀行659)

    チャガルチ市場を一通り回った私たちは、一旦ホテルに戻る。 シャワーを浴びたかったからだ。 昨夜の中途半端な気候による寝汗と、朝から動き回ったためにかいた汗でなーんとなく「ベタベタ」だったからだ。 交渉の結果別の部屋のシャワーを使わせてもらえるようになっ

  • 過去の自分がくれた釜山旅行18-やっぱりチャガルチ市場は面白い-(河童亜細亜紀行658)

    最大の懸案(何時そうなったのか知らないが)である海苔問題があっけなく解決してホッとした私たちは乾物市場に隣接するチャガルチ市場の散策に出かける。  前回はちょっと奇抜な格好をしていたために誰からも声を掛けられなかった。 何せこれである。 熊本の新市街当た

  • 過去の自分がくれた釜山旅行17-キンパ用の海苔は瞬時に調達-(河童亜細亜紀行657)

    私はかつて自分の海苔愛について告白したことがある。 海苔愛について告白させてほしい  その中で私はこう述べている。 「海苔を食ったら死刑」という法律ができたとしたら、地下に潜って命を懸けて抵抗運動を続けるに違いない。捕えられて処刑されるときには「海苔万

  • 過去の自分がくれた釜山旅行16-朝食はウニスープとアワビがゆ-(河童亜細亜紀行656)

    時刻は2日目の7時まで遡る。 私達は2日目の朝は何処で何を食べるとはっきり決めていた。 これは日本人御用達「弁韓観光ホテル(仮名)」に泊っていた時からの習慣と云っていい朝食である。 と云っても今回が4回目に過ぎないが。 それは「済州屋(仮名)」という店で、私は

  • 過去の自分がくれた釜山旅行15-シャワーのお湯がでないっ!-(河童亜細亜紀行655)

    1つしかなかった掛布団を危うく確保し、旅行初日を終えようとしている私達夫婦である。 浴室にシャワーを浴びに行っていた妻が憮然とした顔で戻ってきた。憮然とした顔つきは、何があったかを私に話そうとした瞬間に憤然たるものに変化した。 「シャワーのお湯が出ないよ

  • 過去の自分がくれた釜山旅行14-布団がないっ!-(河童亜細亜紀行654)

    美味い豚肉と牛肉を鱈腹喰った私達夫婦は「美味しかった」という台詞を残して店を出た。  夕方から降っていた雨はもう止んでいるが、降っている間に屋台は殆どが店仕舞いしてしまったらしく、極僅かな店に客が座っているだけだ。 いつもはこのBIFF通りには様々な屋台が

  • 過去の自分がくれた釜山旅行13-計123歳の夫婦が豚と牛を計600g平らげる-(河童亜細亜紀行653)

    さて、1日目の夕食はテジカルビ(豚カルビのタレ漬け焼き)と決めていたので、ホテルの外に出た私達はそれを喰わせる店を探す。  店はすぐ見つかった。ホテルを出てから100mも行かない場所である。 「豚」の一文字が目立つ。 私は韓国の看板のこの直截さが好きだ。 「2

  • 過去の自分がくれた釜山旅行12-蛾を10匹叩き潰してから夜の街へ-(河童亜細亜紀行652)

    地下街の店のアジュンマ(おばちゃん)のくれた傘のお陰で濡れることもなくホテルに着いた私たち夫婦である。 さっそくフロントに向かう。 前回の旅行では絵のような光景が繰り広げられたので、宿賃が安いこともあり私はまた似たようなことになるのではないかと覚悟してい

  • 過去の自分がくれた釜山旅行11-道を尋ねて傘をもらう-(河童亜細亜紀行651)

    釜山港から釜山駅までの関門を無事クリアして南浦駅に向かう地下鉄に乗った私たち夫婦である。  この列車は車両の内側にもラッピングがしてあったのでカメラを取り出して写真を撮ろうとすると、妻から腕を「グイッ!」と引っ張って阻止された。 見ると私のカメラを向けた

  • 過去の自分がくれた釜山旅行10-タクシーがいないっ!-(河童亜細亜紀行651)

    昼飯を食べ、あれこれ船内を探索し、デッキに出て大海原を眺め、眠くなって惰眠を貪っているうちに、船は次第に釜山に近づいてきた。 生憎の曇り空で霞んでいるが、海雲台の超高層ビルが見えてきた。 もう暫くするとはっきり見えてくる。 釜山は超高層ビルの立ち並ぶ大

  • 過去の自分がくれた釜山旅行9-カメリア船内の様子-(河童亜細亜紀行650)

    さて、「私も船に乗って韓国に行ってみようかな」という人のために「笑ってトンヘ号(仮名)」の船内の様子である。 まず船室である。 私達が予約したのは過去の自分のお陰で1等船室(洋室)である。  丸テーブルを挟んで椅子が2つ。ただしこの椅子は固定されていて動かせ

  • 過去の自分がくれた釜山旅行8-韓服の老人に出逢う-(河童亜細亜紀行649)

    日本人が何かあったら和服を着るように、韓国人も何かあったら韓服を着る。 その何かとは何かといえば、例えば結婚式、例えば成人式、例えば観光地での記念写真。 日本ではまず間違いなく和服(この場合は振袖に袴という戦前の学生の風俗)を着るだろう上級学校の卒業式で

  • 過去の自分がくれた釜山旅行7-日韓航路乗客様変わり-(河童亜細亜紀行648)

    私は日本-釜山間の航路をもうかれこれ35年くらい使用している。 現在よく利用する「笑ってトンヘ号(仮名)」の就航は2004年だが、それ以前から、下関-釜山航路は何と1905年から続いている。 私が初めて渡韓したのは1987年、往路は飛行機だったから、復路に関釜フェリー

  • 過去の自分がくれた釜山旅行6-妻の予知能力により弁当を美味しくいただく-(河童亜細亜紀行647)

    無事船上の客となった私たち夫婦である。 時刻は12:30。 昼食を摂るに相応しい時刻である。 ただ、この文章の時刻はここから14時間ほど過去に遡る。 私たち夫婦は妻の実家の寄生先の2階の狭いスペースに二人のスーツケースを広げて、あれやこれや云いながら荷造りをし

  • 過去の自分がくれた釜山旅行5-父の導きにより無事に乗船-(河童亜細亜紀行646)

    思った通りだった。 私がかつて船内昼食用の寿司を買ったショッピングモールの向かい側には大きな立体駐車場があり楽々駐車できるスペースがあったのだ。といっても結構満杯に近かったが。 しかし、寿司やらなにやら美味しそうなものが沢山売られていたスペースは空き店

  • 過去の自分がくれた釜山旅行4-駐車場がないっ!-(河童亜細亜紀行645)

    さて、いよいよ過去の自分がくれた釜山旅を開始した私たち夫婦である。 私たちが寄生している妻の実家の2階から重いスーツケースをえっちらおっちら降ろし、気のせいかも知れないのだが何となく冷たく感じる岳父たちの視線を浴びながら出発である。 目指すは博多港。 博

  • 過去の自分がくれた釜山旅行3-旅のお供はDマウントレンズ-(河童亜細亜紀行644)

    さて、交通手段と宿が決まって、次は何時ものように旅のお供のレンズ選定である。  持って行くのは何時ものようにDマウントレンズである。 これも何時ものように説明するが、Dマウントレンズとはかつてシネレンズと呼ばれた動画撮影レンズである。 これも何時ものよう

  • 過去の自分がくれた釜山旅行2-目当てのホテルはもう満室-(河童亜細亜紀行643)

    交通手段は確保できたから次は宿である。 釜山旅行と云えば最近ここばかり泊っているのは「弁韓観光ホテル(仮名)」である。 ここはやや設備は古いが、 観光地から近くて便利で、何よりスタッフが親切である。かつ、日本語が喋れる。一部では「日本人御用達」という声のあ

  • 過去の自分がくれた釜山旅行1-タダ券のことを思い出す-(河童亜細亜紀行642)

    事の発端は2年前、2021年に遡る。 まだCOVID-19パンデミックは続いていたが、そろそろのこの感染症の性質が明らかにされ、有効なワクチンも開発されて接種が進みつつあった。 しかし、我が日の本ではまだ世界に名を馳せたマスク警察が全国民に睨みを利かせていた。    

  • 元禄・嘉永井手に驚嘆す4-国有地ということの意味-(河童日本紀行641)

    かつて、「国鉄スワローズ」というプロ野球球団があった。実名である。現在は「ヤクルトスワローズ」と名乗っている。 1987年(昭和53年)に物心付いていた人は少なくとも「国鉄」がどういう意味の言葉かは知っているだろう。 「日本国有鉄道」である。それ以後の読者には

  • 元禄・嘉永井手に驚嘆す3-水争いは何故起こらなかったのか-(河童日本紀行640)

    九十九トンネルに始まり、元禄嘉永井手を調べ始めた私の感動の涙が急に引っ込んでしまった訳。 それはこの井手が収まっている地図にあった。  前回書いたようにこの嘉永井手は元禄井手、尾多良川、亀谷川という3つの川を合流させ、それを九十九トンネルを通して更に矢形

  • 元禄・嘉永井手に驚嘆す3-水争いは何故起こらなかったのか-(河童日本紀行640)

    九十九トンネルに始まり、元禄嘉永井手を調べ始めた私の感動の涙が急に引っ込んでしまった訳。 それはこの井手が収まっている地図にあった。  前回書いたようにこの嘉永井手は元禄井手、尾多良川、亀谷川という3つの川を合流させ、それを九十九トンネルを通して更に矢形

  • 元禄・嘉永井手に驚嘆す2-嘘だろうと言いたくなる偉業-(河童日本紀行639)

       さて、家に帰った私は、九十九トンネルの石碑の写真から碑文を書き起こし、吉無田水源の説明書きも参考にしながら地図と照合する作業を開始した。    ところが、碑文にある地名や川の名前をゴーグル先生(仮名)の地図に入れても表示されないものが多々ある。   また

  • 元禄・嘉永井手に驚嘆す2-嘘だろうと言いたくなる偉業-(河童日本紀行639)

       さて、家に帰った私は、九十九トンネルの石碑の写真から碑文を書き起こし、吉無田水源の説明書きも参考にしながら地図と照合する作業を開始した。    ところが、碑文にある地名や川の名前をゴーグル先生(仮名)の地図に入れても表示されないものが多々ある。   また

  • 元禄・嘉永井手に驚嘆す1-九十九トンネル-(河童日本紀行638)

       とある日曜日。   私たち夫婦は「まみこうロード」から吉無田高原に抜ける山道で車を走らせていた。   「まみこう」は益城町、御船町、甲佐町という熊本県の3つの町を通る広域農道の語頭音を取ったものであり、実名であって私の造語ではない。   大型車だったら

  • 元禄・嘉永井手に驚嘆す1-九十九トンネル-(河童日本紀行638)

       とある日曜日。   私たち夫婦は「まみこうロード」から吉無田高原に抜ける山道で車を走らせていた。   「まみこう」は益城町、御船町、甲佐町という熊本県の3つの町を通る広域農道の語頭音を取ったものであり、実名であって私の造語ではない。   大型車だったら

  • 祝! 国宝指定 ! 熊本人の宝 通潤橋2-(河童日本紀行498)

    ※私たち熊本人の誇り、通潤橋の国宝指定を祝い、通潤橋の記事を再録します。 通潤橋にはストーリーがあり、美しいだけではない。 何よりも当時のハイテク技術が満載なのである。  通潤橋は熊本以外でも有名だから(そう思ってるのは熊本人だけ?)他県の人からこの橋に

  • 祝! 国宝指定! 熊本人の宝 通潤橋1-(河童日本紀行497)

    ※私たち熊本人の誇り、通潤橋の国宝指定を祝い、通潤橋の記事を再録します。  ある土曜日、私は阿蘇にあるご先祖の墓にお参りをした後、去年の言語聴覚士国家試験のお礼参りと新しいお札をもらうためとで高千穂に行ったのだ。  その帰り、私は自分が現在日本一美味しいと

  • これ、絶対ヤバい奴だ!(それでも生きてゆく私322)

    以下の文章はA県言語聴覚士会の会報にコラムとして掲載されたものです。 この度県士会役員を引退したのでブログに掲載します。 書かれてある情報は掲載時のものであり、現在では変化している可能性があることをお断りしておきます。  砂漠を彷徨っている夢で目覚めた休

  • ワレンの涙と私の涙(どうしても言いたかったこと62)

    以下の文章はA県言語聴覚士会の会報にコラムとして掲載されたものです。 この度県士会役員を引退したのでブログに掲載します。 書かれてある情報は掲載時のものであり、現在では変化している可能性があることをお断りしておきます。ワレンの涙と私の涙 1846年10月16日は

  • 魅惑の歌声Sondia4-외딴길에서/人里離れた道で-(韓国ドラマに一喜一憂4)

    Sondiaを語るうえで私にとって外せない歌は「외딴길에서/ウェッタンギレソ」(人里離れた道で)である。 この歌について論じてこのシリーズを〆たい。 前々回、「그대는 슬픔이 아니다/クデヌン スルプニ アニヤ(君は悲しみじゃないの)」という歌の話をしたが、もし離

  • 魅惑の歌声Sondia3-Away-(韓国ドラマに一喜一憂3)

    聞き流しではなくちゃんとK-POPを聴くようになってからとても新鮮だったのが、ㅂやㅍ、日本語の発音で云えば「パ行」の音である。 現代の日本語には外来語を除けば「パ行」で始まる音はない。 古代の日本語にはあったらしく、有名ななぞなぞにこんなのがある。 「母には

  • 魅惑の歌声Sondia2-그대는 슬픔이 아니다/あなたは悲しみじゃない-(韓国ドラマに一喜一憂2)

    さて、突然心動かされた曲「어른オルン(大人)」と歌手Sondiaについて調査を開始した私である。 「オルン」については大体分かった。  ただ、歌っているSondiaについてはほとんど情報がない。 私以前に興味を持った人(日本人)がいたらしく、いろいろと調べているような

  • 魅惑の歌声Sondia1-어른/オルンとの出会い-(韓国ドラマに一喜一憂1)

    ある休日の夕方のこと。 私は夕食で飲む自家製サワーを作るための柑橘の買い出しの帰りに車を運転していた。  この自家製サワーは私の棲む熊本県の地元で採れるさまざまな柑橘、温州ミカン、レモン、カボス、スダチ、ライム、ネーブル、キズ、ポンカンなどをハンドジュ

  • 韓国ソウル再会旅行34-韓国雑感まとめ、というよりその他-(河童亜細亜紀行)

    さて、たった3日行った旅行を1ヶ月以上に亘って骨の髄までしゃぶりつくした感のあるこの旅行記もいよいよまとめに入った。 まとめといっても何せ私のまとまりのない頭脳から繰り出される文章である。まとめというより「その他」か。 まだ言い足りないことを思いつくまま

  • 韓国ソウル再会旅行33-韓国雑感南大門編-(河童亜細亜紀行254)

    人生の時間の半分をここに賭けているA社長のような人には申し訳ないのだが、私は南大門という街に決してポジティブなイメージを持てない時期が長く続いていた。    直接的な原因となったのは88以前のこの街でA君と共に服屋のヒョン(アンちゃん)たちから拉致されたことだ

  • 韓国ソウル再会旅行32-韓国雑感仁寺洞編-(河童亜細亜紀行253)

    既に書いたように仁寺洞という街は外国人就中日本人にとっては定番中の定番の観光地である。 だから韓国語を知らない日本人でも大抵の人はこれを「じんじどう」などと3月の定例行事と間違えそうな(それは「じんじいどう」だろ)読み方はせず、「いんさどん」と韓国風に読む

  • 韓国ソウル再会旅行31-韓国雑感鍾路編-(河童亜細亜紀行252)

    鍾路(チョンノ)は日本人にはあまり馴染みのない地名である。 日本でも東京の浅草・銀座から新宿・池袋へ(関東大震災が契機)、さらに原宿・渋谷(戦争と敗戦が契機)へと流行の中心地が移動していった(田舎者なのでその後の変遷は知らない)。 韓国ソウルでも旧市街→新市街

  • 韓国ソウル再会旅行30-韓国雑感明洞編-(河童亜細亜紀行251)

    さて、本当に久し振りの韓国雑感である。 久し振りだから言いたいことが沢山ある。地区別に分けてそれを取り留めもなく書く。 実はこのツアーでは「再会旅行」ではない別ツアーが実行されていた。娘たちの御一行の明洞ツアーがそれである。   それは私達夫婦のツアーよ

  • 韓国ソウル再会旅行29-旅行最大の危機は最後に-(河童亜細亜紀行250)

      福岡空港を出ると後は熊本まで一瀉千里である。   どこにも寄らず、私と妻と娘の3人は懐かしの我が家に帰ってきた。  自宅から駐車場までは少し距離があるので、まず車を自宅の前に停めて荷物を家に運び込む。   3つのスーツケースは物凄い重さである。どれも上限の

  • 韓国ソウル再会旅行27-妻が麻薬犬に懐かれる-(河童亜細亜紀行249)

    遂に懐かしい日本に帰ってきた私達である(大袈裟)。   入国手続きを済ませて手荷物を取りに行く。  荷物が出てくるのを待っていると、あちらから犬がやって来た。   殆どまっしぐらに妻の方に向かい、妻に抱きついた。まるで我が家の飼い犬のようだ。   妻は犬好き

  • 韓国ソウル再会旅行26-妻が空港地下鉄のドアに挟まれる-(河童亜細亜紀行248)

    無事に無罪放免(無罪とは云えないか)になった妻である。    飛行機の時間の関係で昼飯が食べられないので搭乗時間が来る前にブランチ(朝昼兼用食)を食べることにする。  搭乗口はLCCの例に漏れず空港地下鉄に乗っていったところである。  以前そこのフードコートで食

  • 韓国ソウル再会旅行25-妻が空港放送に呼び出される-(河童亜細亜紀行247)

       空港に着いた私たちは搭乗予定の「エアのプーさん(仮名)」の窓口に行き、スーツケースを預ける。 物凄い重さだが、1つ当たり15kgになるように既にホテルで調整済みである。 私たちが泊まったホテルには荷物の重さを計れる機械が設置してあるのだ。   今回接客の悪

  • 韓国ソウル再会旅行24-ソウルから仁川空港まではピカピカの新型車で-(河童亜細亜紀行246)

    冒頭の絵と内容が全く関係ないことをお詫びします。 いよいよ最終日である。 飛行機は11時過ぎだが、アクシデントに備えて迎えの自動車は7:00にホテルに来てもらえるようにしている。 最後の身支度を整えて約束の時間より10分くらい前にホテルのロビーに降りてチェック

  • 韓国ソウル再会旅行23-鐘路三街の牛肉屋でチャドルバギを食す-(河童亜細亜紀行245)

    明日の車代のための両替を済ませ、A君のスマホを無事に取り戻した私達は心からホッとした。 それまでは食事どころではない心境だったのだが、初めてかなり腹が減っていることに気付いた。 実はこの旅行では同行者がいることもあり全ての食事でその場所を予定していたのだ

  • 韓国ソウル再会旅行22-スマホ捜索隊仁寺洞出動-(河童亜細亜紀行244)

    どうにか間一髪で明日の車代の支払いのための両替を済ませた私たち夫婦である。 さて、これからA君の携帯を探しに行かなければならない。 しかし、昨日あの飲み屋に行ったときには既に相当酔っぱらっていた。   キーワードは「老人保護地域」という言葉だが、一体あれ

  • 韓国ソウル再会旅行21-親切な人のおかげで間一髪で両替完了-(河童亜細亜紀行243)

    南大門市場の後は明洞に戻って「寄って百貨店(仮名)」の地下で食料品を買い込む。 以前は見るもの全てが初めて見るものばかりだったが、最近は日本に韓国食品のマートが出来たので、「これは日本で売ってる」「これも日本で売ってる」というものが増えた。 以前のように

  • 韓国ソウル再会旅行20-謎の帽子で注目の的になる-(河童亜細亜紀行242)

    A社長の店を出た私たち夫婦は南大門市場で散策兼買い物をすることにする。 店で買った人参と海苔はA社長がホテルまで届けてくれるという。相変わらずの至れり尽くせりである。   配達先も一軒二軒ではないだろうに、忙しいことである。 まず真っ先に買ったのが我が家で

  • 韓国ソウル再会旅行19-南大門市場で逢いましょう-(河童亜細亜紀行241)

    脚がパンパンになりながら私たちは遂に南大門市場のある会賢駅に辿り着いた。  市場の入口に聳え立つ「月世界デパート(仮名)」を仰ぎ見るうちに、「帰ってきた」という実感が湧き上がる(大袈裟)。 既にA社長からは朝「ドナウ(仮名)」で「今日は南大門市場ですよね。久し

  • 韓国ソウル再会旅行18-鐘路三街駅死の彷徨(大袈裟)-(河童亜細亜紀行240)

       不幸中の幸いで美味しい朝食にありついた私たち一行である。   ここからは別行動になる。  私たち夫婦は知人のA社長に会いに南大門に、娘たち一行は昨日の続きで明洞に出かける。  娘たちは昨日と同じようにタクシーを捕まえて行ってしまった。  私たちは地下鉄で

  • 韓国ソウル再会旅行17-アワビ粥を食べ損なって面目を潰す-(河童亜細亜紀行239)

    翌日の朝は御一行の意向に従って鮑粥の店に行く。 鮑粥といえば釜山の「済州屋(仮名)」が日本人観光客には有名だが、ソウルにはないので仁寺洞の粥屋に案内すると予告していた。 「オネスト(仮名)」で検索して大体この辺りだろうなと当たりを付けておいたのだが、何せ空

  • 韓国ソウル再会旅行16-仁寺洞の夜は更けゆく-(河童亜細亜紀行238)

       黒豚パーティーはお開きとなったが、私とA君は10年振りの再会である。   ここでお別れという訳にはいかない。   ホテルの近くで飲み直すことにする。   一旦ホテルに帰って身支度をしてホテルのホールに降りると、A君がソファーに座って誰かに電話を掛けている。

  • 韓国ソウル再会旅行15-済州島の黒豚を堪能す-(河童亜細亜紀行237)

      A君の知人の店までの無限に思える道のりを歩いている私たちである。  A君はあるときは地下街に降り、あるときはまた地上に戻りして目的地に近づいているようだ。   地下街に入ったのは女性陣をトイレに行かせるためのようだ。全員が一斉にトイレに行く。気の利く男であ

  • 韓国ソウル再会旅行14-宴会前に清渓川を通り過ぎる-(河童亜細亜紀行236)

    全員集合した私たちは早速今晩の会食場所に向かう。 鍾路五街というところにあるA君の知人がやっている焼肉屋で、色々な部位を出してくれるということだ。 A君と私が先頭になり、一行をコンダクトする。 まず地下鉄で移動である。 乙支路入口という駅で乗るのだが、私

  • 韓国ソウル再会旅行13-ロッテ百貨店に集う-(河童亜細亜紀行235)

    西瓜ジュースに癒されて旧友A君との待ち合わせ場所である「寄って百貨店(仮名)」に向かって歩き始めた私たち夫婦である。 通りには色々な屋台が立ち並んでいる。 「クルカンジョン」というお菓子。翻訳のしようがないが、ハチミツ味のサーターアンダギーというところか。

  • 韓国ソウル再会旅行12-4年振りの明洞で西瓜ジュースを貪る-(河童亜細亜紀行234)

    ホテルでタクシーを呼ぶことを拒否された私たちは、大通りに出てタクシーを拾うことにした。 韓国でタクシーを止めるときは右手を遮断機のように横に上げて親指を立てるのが作法である。 ところが、なかなか止まってもらえない。客の乗っていないタクシーは結構走ってい

  • 韓国ソウル再会旅行11-人が代われば態度も変わる-(河童亜細亜紀行233)

    今回宿泊するホテルはまだCOVID-19の感染拡大が始まる前に泊ったことのあるホテルである。 一寸古くて「ウォッス!Let's (仮名)」はないが、部屋は清潔で、スタッフは皆日本語が喋れ、親切である(あった)。 立地も良い。 歩いて数分で鍾路三街という要衝の駅に着く。 こ

  • 韓国ソウル再会旅行10-やっと仁寺洞に到着-(河童亜細亜紀行232)

      空港鉄道の車窓の風景を見ているうちに一寸うとうとしてしまった。 目が覚めると列車はソウル駅に到着間近だった。 ここからはタクシーを拾わなければならない。地下鉄だとホテルの最寄り駅から結構歩いた記憶があったからだ。  ところが列車が着いたのは地下7階であ

  • 韓国ソウル再会旅行9-空港鉄道でソウル駅まで行く-(河童亜細亜紀行231)

      目が覚めると飛行機はもう仁川まで来ていた。  1時間ちょっとのフライトである。  着陸。  早速入国手続きと、行きたいところだが、LCCはそうは問屋が卸さない。ここから地下鉄にのってメインのターミナルに行くのである。  長い長い渡り廊下を通ってやっと入国手続

  • 韓国ソウル再会旅行8-出発の機内で-(河童亜細亜紀行230)

      手荷物検査も終わり、出発ロビーで「デオ林檎(仮名)」を使って韓国語の勉強をしているうちに搭乗時刻が来たので機上の人になる。 バスで随分運ばれてから階段を登る。 またも「羽根の上」、別名「貧乏席」である。 前回ソウルに行ったときは、「最悪の日韓関係」と云わ

  • 韓国ソウル再会旅行7-手荷物検査はいつもドタバタ-(河童亜細亜紀行229)

       やっと手続きの時間になり、列に並んだ私たち一行である。   私以外のメンバーは女性である。 かつ、皆さん初めてもしくは久しぶりの海外であるから、普段よりかなり派手な出で立ちである。 妻の知人たち3人はレインブーツを新しく買ったらしく、嬉しそうに見せびら

  • 韓国ソウル再会旅行6-福岡空港の土産物-(河童亜細亜紀行228)

    逸る心を抑えつけながら車を走らせ、福岡空港に着いた。  もう既に発券窓口には行列が出来始めている。 私達も並ぼうとしたのだが、私達の便名を聞いた職員さんから阻止されてしまった。私達の乗る飛行機の搭乗手続きの開始までまだ1時間くらいあるそうだ。 仕方がない

  • 韓国ソウル再会旅行25-妻が空港保安室に呼び出される-(河童亜細亜紀行)

       空港に着いた私たちは搭乗予定の「エアのプーさん(仮名)」の窓口に行き、スーツケースを預ける。物凄い重さだが、1つ当たり15kgになるように既にホテルで調整済みである。私たちが泊まったホテルには荷物の重さを計れる機械が設置してあるのだ。今回接客の悪さばかり強

  • 韓国ソウル再会旅行5-再会する人(日本人)-(河童亜細亜紀行227)

    もう一人の再会する人は日本人である。 大学時代からの旧友で、長年韓国の南北問題に取り組んできたジャーナリストである。 彼については何度か書いたことがある。 私が最初に渡韓した時の相棒も彼であった。まだ'88ソウルオリンピックが開催される前である。  南大門

  • 韓国ソウル再会旅行4-再会する人(韓国人)-(河童亜細亜紀行226)

    いよいよ旅行初日。 私たち家族は6:00に起きて身支度を整える。 スーツケースに入れる荷物や手荷物については前夜に既に準備完了である 。 スーツケースを二階から降ろして車に積む。 重いっ! 階段を下ろす時に二の腕が攣りそうになる。 一体何が入っているのか。

  • 韓国ソウル再会旅行3-旅のお供はマイベストDマウントレンズ-(河童亜細亜紀行225)

    ツアーの立案と手配というツアコンとしての仕事が終わったら今度は自分が旅を楽しむための準備である。 まず持って行くカメラとレンズの選定だ。 後で旅の想い出をブログにまとめるためにも写真は欠かせない。 「スマホで撮ればいいじゃん」と思うかもしれないし、私自

  • 韓国ソウル再会旅行2-ツアコンは大変だ-(河童亜細亜紀行224)

    さて、同行6人の韓国ツアーの立案と手配を命じられた私は、早速これに取り掛かった。 「命じられた」と書いたが、勿論これは日本で普通に行われている無言の圧力による事実上の命令であり、これに対する私の忖度の結果である。日本人のお家芸と云ってよい。 実はその時既

  • 韓国ソウル再会旅行1-4年振りの韓国旅行決定!-(河童亜細亜紀行223)

    もう生きている間は韓国に行くことはないのではないかと薄々思っていた。  一つはCOVID-19の感染がなかなか収束しないことだったが、それ以上に感染によって異常なくらいに高まった内向き意識と排外主義のせいである。 感染症が排外主義の絶好の栄養であることは歴史を

  • 私の農業入門記39-石の上にも三年目の胡瓜-(それでも生きてゆく私321)

    私が熊本県菊陽町に引っ越してきて4年になる。 現在は妻の実家に寄宿中(寄生虫?)である。  私と妻は中学の同級生なのだが、私達がクラスメイトだったン十年前、この辺りは見渡す限りの芋畑だった。 その広い広い農地の持ち主の家がどれだけの大声を出しても互いに届か

  • 朝ドラ「らんまん」のヒロインの意味深な言葉(毒にも薬にもならない話91)

    DHK(大本営放送協会:仮名)の朝ドラを久しぶりに飽きずに見ている。 多分これは3年くらい前の「イエー!(仮名)」以来である。どうもその後の作品は相当我慢して見ようとしたのだがいつの間にか離脱してしまった。 この「春ウララ(仮名)」は植物学の泰斗牧野富太郎をモデル

  • リアル写真で花札を作る45-備えあれば憂いなしで松に赤短ゲット!-(それでも生きてゆく私320)

    とある休日。 私は天草の本渡に向けて車を走らせていた。 目的は家族のための刺身の買い出しである。 同居している義母は天草の出身であり、岳父は釣り好きでしょっちゅう天草に行っている。 天草の魚を喰いなれている人は魚に対して舌が肥える。 かく云う私も刺身と

  • リアル写真で花札を作る44-桐は姿もないが代りに松の花-(それでも生きてゆく私319)

    花札は12ヶ月にそれぞれ季節の花が割り当ててある。 2月の梅、3月の桜、4月の藤、7月の萩、8月の薄、9月の菊、10月の紅葉などは、旧暦であることを割り引いても私の棲む九州での開花時期にほぼ合致している。 ところが、割り当てられた月と開花時期が全く合っていない札

  • リアル写真で花札を作る43-燕が来てくれたのに撮れないのは私が下手なせい-(それでも生きてゆく私318)

    さて、「柳に赤短」の撮影を終えて後は柳に燕が訪れるのを只管待っている私である。 撮影環境については写真の通りである。 なぜかモノクロモードなのでちょっと分かりにくいが、愛機「ペンテコステオバQ(仮名)」に「香具師のん兵衛38mmF1.4(仮名)」を装着し、三脚に設定

  • リアル写真で花札を作る42-柳札は最初から諦め気分-(それでも生きてゆく私317)

    リアル花札を作るのが一番難しいのは柳札であろう。 別に紅葉札(鹿が登場)や萩札(猪が登場)のように身の危険があるわけではない。  困難の原因は柳札の設定にある。 なぜか「動物札」が3つあるのだ。 この人を動物と云っては失礼だが、まあ人間も動物だから。 平安時

  • リアル写真で花札を作る41-牡丹札は来年までお待ちください-(それでも生きてゆく私316)

    リアル花札本舗(架空)である。 全国に30名くらい存在する同志に告ぐ。 私は「リアル花札」の作成を諦めていない。 ただ、さっぱり進んでいないのは事実である。 かといって、私がそのための努力をしていないというような非難に対してはそうではないと反論もしよう。た

  • カメラ河童のシネレンズ図鑑63-ZEIKA ZOOM LENS 1/2to1-1/2 AUTOFOCUS f:3.2-(愛すべき機械たち)

    ZEIKA ZOOM LENS 1/2to1-1/2 AUTOFOCUS f:3.2製造:Zeicaオプティカル株式会社製造時期:1960年代(推定)レンズ構成:レトロフォーカス型(推定)鏡胴デザイン:ビアグラス型・オールクローム焦点距離:13mm~38mm開放値:1:3.2絞りリング(後ろ):時計回り:F3.2, 4, 5.6, 8, 1

  • 旧友は自分の鏡4-テレパシーで話したこと-('80京都安下宿生活)

    黙食は楽しかった。 たとえお上の方針で一言も喋れなくても、以心伝心の私たちはテレパシーで意思疎通ができるからだ(本当)。 彼らは明日は柳川でC君と会食するという。 C君も私にとってはとても懐かしい人物で、40年の時を経てどういう考え方の人物になっているのか是

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、Well肉桂さんをフォローしませんか?

ハンドル名
Well肉桂さん
ブログタイトル
ニヤッとする話
フォロー
ニヤッとする話

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用