またまた『徒然草』の師匠モノである。 「またまた」といえば、かつて『パイプのけむり』という随筆があったことを思い出した。 これは正編の評判がよかったのか次々に続編が刊行されたが、これが「2巻、3巻」ではなかったのが面白かった。 『パイプのけむり』『続パイ
『論語を読む』4-小人たち-(新米国語教師の昔取った杵柄73)
「論語」には「君子」という言葉と対で「小人」という言葉が登場することが多い。「小人」は「しょうじん」と読み、「つまらない人間」という意味である。 よく考えてみれば「小人」が単独で登場することはないから、いわば「君子」の引き立て役である。 前に紹介した
『論語』を読む3-人間孔子-(新米国語教師の昔取った杵柄72)
多久聖廟の敷地には孔子世系譜がある。 これには孔子から後の子孫の名前が記してある。何でも孔子の子孫は2000,000人もいるのだそうだ。世界一長い系図としてギネスブックに乗ったこともあるという。 ただ、この石碑には孔子以前については何も刻まれていない。 仕方が
『論語』を読む2-孔子とその弟子-(新米国語教師の昔取った杵柄71)
多久聖廟には孔子の言葉が刻まれた数々の石碑がある。 父の好きだった言葉である。 徳は孤ならず、必ず隣あり。[現代誤訳] 正しい信念を持った人は一時的に孤立してもずっとそのままではない。必ず賛同し助力してくれる人が現れるものだ。 この言葉を私は18の時に読ん
『論語』を読む1-結局ここに帰るのか-(新米国語教師の昔取った杵柄69)
以下の文章は6年前に書いた紀行文だが、『論語』を理解するのに役に立ちそうなのでこのシリーズで再掲する。書かれた情報は、私の年齢など、2024年現在と変化している可能性があることをお断りしておく。 自分を客観視することは本当に難しい。 自分の年齢や性別や職業、
私の農業入門記41-白菜の灰とダイヤモンド-(それでも生きてゆく私328)
今までにいろいな野菜を栽培してきた私だが、山芋と並んで今まで一回も作ったことがない野菜があった。 それは白菜である。 じゃあシーアスパラガスや花山葵や山人参や甘草は作ったことがあるのか、と云われれば、これらの野菜も勿論ないのだが、これらは珍品に属する
私の農業入門記40-形見のつくね芋-(それでも生きてゆく私327)
飽きっぽい私の性格を知っている人はとっくに飽きて放り投げているだろうと思っているだろうことがある。(良くない日本語) それは野菜作りである。 野菜作りには根気がいる。マメな世話が要る。 だからどちらも持ち合わせていない私は一時的には凝ってももう野菜になど
『平家物語』を読む2-何だか俗っぽくないか?「祇園精舎」-(新米国語教師の昔取った杵柄68)
インバウンドの観光客が日本に殺到しているそうだが、彼らの好きそうな日本文化に『平家物語』がある。彼らは「サムライ」が好きであり、 『平家物語』はサムライのチャンバラの嚆矢をなす物語だからである。 外国人に限らず、当時の武士の必須アイテムである仏教思想が凝
『平家物語』を読む1-日本女性史上最高の怪力は誰か-(新米国語教師の昔取った杵柄68)
『平家物語』と云われて日本人の大部分が想起するのはこの話の冒頭部分だろう。[原文] 祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)の鐘の声、諸行無常(しょぎょうむじょう)の響きあり。沙羅双樹(しゃらそうじゅ)の花の色、盛者必衰(じょうしゃひっすい)の理をあらわす。おごれる人も久し
『十八史略』を読む8-鶏口牛後3-鶏口となるも牛糞となるなかれ-(新米国語教師の昔取った杵柄67)
私が日本の1980年代最高のギャグマンガ家だと尊敬している人に「いしいへさいち(仮名)」という人がいる。 この人のデビュー作である『アルバ君(仮名)』は、私のように関西での安下宿生活を送った学生の「座右の書」であった(嘘)。 そもそもこの「いしいへさいち」という
『十八史略』を読む7-鶏口牛後2-鶏口となるも牛後となるなかれ-(新米国語教師の昔取った杵柄66)
さて、韓の全盛時代、昭侯のとき、遊説家の蘇秦がこの国を訪れる。 蘇秦と云えば縦横家の一派で合従策を唱えた論客である。 蘇秦については『戦国策』を取り上げたときに既にその経歴が現在常識とされているものとはかなり違うことを紹介したが、まずは『十八史略』の記
『十八史略』を読む7-鶏口牛後1-韓という国-(新米国語教師の昔取った杵柄65)
『万葉集』については一応昔から云いたかったことは云ったのでまた漢文に戻る。 『十八史略』である。 先に述べたようにこの本は歴史初学者のために纏められた入門書である。 『十八史略』を読む-『十八史略』という本-(新米国語教師の昔取った杵柄47) 入門書であるか
『万葉集』を読む12-大伴家持のヒトとイエに引き裂かれた魂-(新米国語教師の昔取った杵柄64)
お客様から身辺調査のご依頼のあった大友家持さん、結論から申し上げますと、とんだ「寂しんぼう」でしたぜ。[和歌] うらうらに照れる春日(はるひ)にひばり上がり心悲しもひとりし思えば[現代誤訳] 麗らかに陽の照っている春の日に野原の中から雲雀がピーチクピーチクと
『万葉集』を読む11-大伴家持に関する素朴な疑問-(新米国語教師の昔取った杵柄63)
私が大伴家持と云われて最初に思い浮かぶのは防人歌である。 ただ、『万葉集』に防人歌を多数収録したのは大伴家持である。 何故かと云えば、当たり前の話なのだが、大伴家持は『万葉集』の最も主要な編纂者なのである。 私が高校の時分に国語だか歴史だかで習ったのは
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またまた『徒然草』の師匠モノである。 「またまた」といえば、かつて『パイプのけむり』という随筆があったことを思い出した。 これは正編の評判がよかったのか次々に続編が刊行されたが、これが「2巻、3巻」ではなかったのが面白かった。 『パイプのけむり』『続パイ
古文初学者向けの『徒然草』で忘れていたものがあったので一つ。 それは「公世の二位のせうと」という話である。 これは歴史的仮名遣いの良い勉強になる外に、話としてもなかなか面白い。 まず、初学者は「せうと」が読めない。 これはローマ字で考えると分かりやす
『枕草子』で「春はあけぼの」と並んで定番なのが「うつくしきもの」である。 「うつくし」は例によって先生が、「古文の『うつくし』は『美しい』ではありません。『可愛い』です。」と声を張り上げそうだが、これまた「をかし」や「あはれなり」と同じく生徒に印象付け
久し振りに『枕草子』である。 しかもド定番の『春はあけぼの』。 この段はほとんどの人が中学の時に習っていて、かつ、暗誦させられて今でも諳んじられる人もいるかもしれない。[原文] 春は、あけぼの。やうやうしろくなりゆく山ぎわ、すこし明かりて、紫だちたる雲の
教科書に載っている『徒然草』はなぜか人生訓や説教じみたものが多い。 前回取り上げた「友とするに悪しきもの七つあり」なども教訓と云えなくもない。 これまたよく教科書に取り上げられる52段「仁和寺にある法師」もまた最後は教訓である。[原文] 仁和寺にある法師
青春は悩み苦しむ時期である。 「自分とは何者なのか」「自分はどうやって生きて行けばいいのか」 いわゆるアイデンティティについて、初めて真剣に考える時期だからである。 自分の長所だけではなく、短所をも、これまでそうしてきたような直感的な把握ではなく、初め
久々の『徒然草』である。 古文初学者の教材としてよく用いられるものに109段「高名の木登り」がある。 [原文] 高名の木登りと言ひし男、人をおきてて、高き木に登せてこずゑを切らせしに、いと危ふく見えしほどは言ふこともなくて、降るるときに軒たけばかりになりて、
高校生の古文入門編として、「児のそら寝」と共にもう一つよく使われる『宇治拾遺物語』が「絵仏師良秀」である。[原文] これも今は昔、絵仏師良秀といふありけり。家の隣より火出で来て、風おしおほひてせめければ、逃げ出でて、大路へ出でにけり。人の描かする仏もおは
高校で古文を習う時、入門として最初に教わる教材として、『宇治拾遺物語』が使われることが多い。 特に多いのは「児のそら寝」である。[原文] 今は昔、比叡の山に児ありけり。僧たち、宵のつれづれに 「いざ、かいもちひ せむ。」と 言ひけるを、この児、心寄せに聞
無情の雨で二つの花は散ってしまった。 どういうものか牡丹札の撮影は雨に祟られる。 それでもまだ1個だけ牡丹が咲いている。 これに今年最後の望みをかけて「牡丹に蝶」撮影は休日である4月19日(韓国では学生革命の日である。全然関係ないけど)の午後一杯を使って行わ
牡丹スカ札と「牡丹に青丹」の作成が終わり、いよいよ次は「牡丹に蝶」の撮影開始である。 というより、私は今年の牡丹が咲いた瞬間からあわよくばまず「牡丹に蝶」を撮影するつもりであった。 それ以外の札はそれからでも十分間に合う。 ところが、花が咲いたのはいつ
3年越しの執念が実り牡丹スカ札を手にした私であったが、本命の「牡丹に蝶」を作成する前にもう一つの課題が残っていた。 「牡丹に青丹」である。 現在までに私が最も出来が良いと思っている青丹札は「紅葉に青丹」である。 リアル写真で花札を作る29-紅葉青短の芸術-(
全国のリアル花札ファンの皆様(推定100名)、お待たせしました。 我が「(株)リアル花札本舗(架空)」が2年振りに放つ新商品、「牡丹スカ札」でございます。 思えば、植木屋に騙されて添付の写真とは似ても似つかないピンクの牡丹を買わされたのが2年前。 しかも花が咲い
垓下を約800騎で脱出した項羽は、漢軍の5000騎に追跡され、20数騎まで数を減らして烏江(うこう)という河の畔までやって来る。 ここを越えたらもう江東である。かつて会稽の郡守殷通を殺して兵を挙げたところだ。[書き下し文] 是(ここ)に於(おい)て項王乃(すなわ)ち東(ひ
[書き下し文] 項王則ち夜起(た)ちて、帳中(ちょうちゅう)に飲(いん)す。美人有り、名は虞(ぐ)、常に幸せられて従う。駿馬(しゅんめ)の名は騅(すい)、常に之(これ)に騎(き)す。是(ここ)にて項王乃ち悲歌忼慨(ひかこうがい)し、自ら詩を為(つく)りて曰く、「力は、山を抜き、
遂に天下二分の和睦が結ばれた。 最初の形勢からするならば信じがたいことである。 和約は鴻溝を境として東を楚、西を漢とするものであった。鴻溝は黄河と淮河を結び南北に走る運河である。 項羽が約に従って東に帰ろうとしたとき、突如として漢軍が背後から襲い掛かる
その後も楚漢は戦っては項羽が劉邦を走らせるという状態が続いたのだが、次第に争闘が長期に亘った影響が出てくる。 それを象徴するのが次の場面である。[書き下し文] 漢王、則(すな)ち兵を引きて河(かわ)を渡り、復(ま)た成皋(せいこう)を取り、広武(こうぶ)に軍し、敖
遂に反項羽の烽火を上げた劉邦だったが、これを項羽は一蹴する。これぞ鎧袖一触である。[書き下し文] 項王乃(すなわ)ち西のかた粛(しゅく)より晨(あした)に漢軍を撃ちて東(ひがし)し、彭城(ほうじょう)に至り、日中(にっちゅう)に大いに漢軍を破る。漢軍皆走り、相随(あい
劉邦のいなくなった咸陽に項羽が入った。 劉邦は咸陽入りしたときにその煌びやかな財宝に眼が眩んで略奪しようとしたのだが、部下の張良や樊噲に諫められて泣く泣くこれを封印したのだ。 しかし、項羽にはそうした部下がいなかった。 何故いなかったか、それを示すの
自分が先に秦都咸陽に入ったことで項羽が激怒していることを知った劉邦は、側近の張良に云って旧友で項羽の叔父の項伯にとりなしてもらい、項羽と面会する。後に「鴻門(こうもん)の会」と呼ばれる。[書き下し文] 沛公(はいこう)、旦日(たんじつ)、百余騎を従え来たりて項
さて、竹取の翁と媼の子供となったかぐや姫はすくすくと育つ。 これがどれくらい「すくすく」だったかといえば、三月くらいで成人の大きさに育ってしまったのだ。 すると翁は早速姫の成人の儀式を始める。 考えてみれば三か月の幼女をいきなり成人させてしまったのだか
「竹取物語」といえば古くから日本人に親しまれてきたおとぎ話である。 だが、話の内容はといえば、竹取の翁が竹の中に小さなお姫様を見つけたこと、そしてそのお姫様が月に帰って行ったことしか知らない人が 多いのではないだろうか。 これは「金太郎」が小さい頃熊に跨
さて、「大和物語」の第149段「沖つ白波」である。 題名は勿論幼馴染の妻の夫の無事を願う歌から取っている。 「沖つ白波」は「筒井筒」の幼馴染の話をすっとばし、いきなり[原文] 昔、大和の国葛城の郡に住む男・女ありけり。で始まる。これについては現代誤訳は要らな
さて、「業平、人としてどうよ」という部分にやってきた。[原文] まれまれかの高安に来てみれば、初めこそ心にくくもつくりけれ、今はうちとけて、手づから飯匙取りて、笥子のうつわものに盛りけるを見て、心憂がりて行かずなりにけり。[現代誤訳] たまーに例の河内の
「17の純愛」を貫いて一緒になった業平とその妻であったが、二人を「現実」「生活」が襲う。[原文] さて、年ごろ経るほどに、女、親なく、頼りなくなるままに、もろともに言うかひなくてあらむやはとて、河内の国、高安の郡に、行き通う所出できにけり。[現代誤訳]さて、
冒頭の絵と内容が全く関係ないことをお詫びします。 さて、「伊勢物語」の中で最大の問題作、第23段「筒井筒」について語らねばならない時がやってきた(別に義務じゃないけどね)。 この「筒井筒」は昔は問題作でも何でもなかった。 戦前の昭和歌謡「湯島の白梅」にも
さて、業平一行は更に旅を続け、武蔵国と下総国の国境にやってきた。 武蔵国は今の東京、埼玉、神奈川に跨がっており、下総国は千葉県と茨城県に跨がる領域である。 今では全国でも一番人口が密集している地帯だが、業平が生きた時代にはドの付く田舎である。 ここ
河童国の東上りは前回で終わってしまったが、人間国の東下りはまだ続く。 一行は歩きに歩いて駿河の国まで来た。今でいう静岡県である。 「宇津の山」というところに至ると、一行の行く道はどんどん人気の無い心細い道になってゆく。 「えうなき者と思いなし」(自分を役
河童国の東上りは前回で終わってしまったが、人間国の東下りはまだ続く。 一行は歩きに歩いて駿河の国まで来た。今でいう静岡県である。 「宇津の山」というところに至ると、一行の行く道はどんどん人気の無い心細い道になってゆく。 「えうなき者と思いなし」(自分を役
「業平、都辞めるってよ」の報に「え、一人で行くってヤバくね?」「ヤベーよ!」と色めき立った不良貴族たち(決めつけるな)に連れ添われて、東へと向かう列車で、じゃなかった、勿論その頃にはそんなものはないので、徒歩で東へと向かった業平一行は三河の国、八橋と云うと
「業平、都辞めるってよ」の報に「え、一人で行くってヤバくね?」「ヤベーよ!」と色めき立った不良貴族たち(決めつけるな)に連れ添われて、東へと向かう列車で、じゃなかった、勿論その頃にはそんなものはないので、徒歩で東へと向かった業平一行は三河の国、八橋と云うと
冒頭の絵と内容が全く関係ないことをお詫びします。 私の本職(前職?)の言語聴覚士国家試験の過去問に次のような問題がある。 第16回PM8 40歳の男性、商社の営業課長。几帳面な性格。休日も出社して仕事をしていたが、2週間前から不眠、全身倦怠感、食欲減退がみら
冒頭の絵と内容が全く関係ないことをお詫びします。 私の本職(前職?)の言語聴覚士国家試験の過去問に次のような問題がある。 第16回PM8 40歳の男性、商社の営業課長。几帳面な性格。休日も出社して仕事をしていたが、2週間前から不眠、全身倦怠感、食欲減退がみら
「芥川」と云われれば多くの人は芥川龍之介を思い出すであろう。 ただ、伊勢物語第6段に同名の話があり、私は平安朝に関する知識が深く「王朝物」と呼ばれる小説群を残した芥川龍之介はこの段から自分のペンネームを取ったのだろうと長いこと思っていた。 芥川龍之介の「
「芥川」と云われれば多くの人は芥川龍之介を思い出すであろう。 ただ、伊勢物語第6段に同名の話があり、私は平安朝に関する知識が深く「王朝物」と呼ばれる小説群を残した芥川龍之介はこの段から自分のペンネームを取ったのだろうと長いこと思っていた。 芥川龍之介の「
どういう風の吹き回しか国語の教師をしている。 教師は授業をしなければいけないから授業の準備をする。 今年の3月までは医学の授業をしていたから準備では医学のことを調べていたが、今は国語のことを調べている。 これまでに「羅生門」「宇治拾遺物語」「竹取物語」の
どういう風の吹き回しか国語の教師をしている。 教師は授業をしなければいけないから授業の準備をする。 今年の3月までは医学の授業をしていたから準備では医学のことを調べていたが、今は国語のことを調べている。 これまでに「羅生門」「宇治拾遺物語」「竹取物語」の
以下の文章は4年ほど前にある言語聴覚士県士会の会報に掲載されたコラムである。定年に伴って県士会理事を引退したので改めて個人的なブログとして掲載する。 なお、まだパンデミックの最中に書かれた文章であるため、現在では変化している情報が含まれていることをお断り
バーチャル博物館「沢村栄治記念館」http://sawamuraeiji.yomibitoshirazu.com/で再開しています。 公立学校から学習塾、そして医療の世界へと渉り、さらに学校教育へと戻ってきた私は、最近学校と塾との関係性について改めて考え直している。 この文章は10年以上前に書い
以下の文章は過去にある学会誌に掲載されたものです。 一旦医学の世界から離れ教育職として働いている私の原点になる部分だと思うのでブログとして再掲載します。 ここに書かれている情報は5年以上前のものであることをお断りしておきます。言語聴覚士(ST)としての私~デ