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2019/04/15

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  • -大東亜戦争調査会叢書10-(GHQ焚書図書開封 第111回)

    GHQ焚書図書開封第111回-大東亜戦争調査会叢書10-「米英の東亜制覇政策」第5章ワシントン会議及びその前後諸外国との緊張緩和を訴え建艦競争に異を唱え、アメリカの7割説(10:7)をとる妥協派全権加藤友三郎(海軍大臣)と、主権国家同士は(10:10)維持を主張する非妥協派主席随行員加藤寛治。この二人がワシントン会議(1921.11.12-1922.2.6)に参加した。支那の門戸開放、カルフォルニアの日本移民の排斥運動、日本が国際連盟規約前文として提案した人種差別撤廃案のアメリカ大統領による拒否、占領した南洋諸島の領土化についてアメリカの未承認、アメリカによる日本の仮想敵国発言などアメリカの覇権確立の下心を見抜いていた日本。ワシントン(華府)会議で日本の海軍力を10:7を下回る10:6まで抑え込んだ英米。英:米...-大東亜戦争調査会叢書10-(GHQ焚書図書開封第111回)

  • -「大東亜戦争調査会」叢書9-(GHQ焚書図書開封 第110回)

    GHQ焚書図書開封第110回-大東亜戦争調査会叢書8-「米英の東亜制覇政策」第5章ワシントン会議及びその前後第一次世界大戦後、ヨーロッパが破壊の原野となったのに対し、地球上に無傷で繁栄の道を歩みつつある2つの若き大国が出現した、アメリカと日本である。アメリカにとって、大戦中、支那に於いて著しく拡大された日本の勢力がアメリカの東亜政策遂行に対して最大の支障となってきた。第一次世界大戦(1914-18)前の、海軍力順位は、1.英2.独3.米4.仏5.伊6.日7.露8.墺であった。1916年の米大海軍を3年計画でつくるダニエル(案)は、まさに、戦後開かれるであろう軍縮会議で有利な条件を確保することと、次の戦争に備えての米の海軍力増強の野望であった。アメリカは第一次世界大戦中、次の時代の覇権をねらって、海軍国イギリスよ...-「大東亜戦争調査会」叢書9-(GHQ焚書図書開封第110回)

  • -「大東亜戦争調査会」叢書8-(GHQ焚書図書開封 第109回)

    GHQ焚書図書開封第109回-「大東亜戦争調査会叢書8」-「米英の東亜制覇政策」第5章ワシントン会議及びその前後アメリカ帝国主義は世界征服的構想をもっており、地域の大国(イギリス、ドイツ、ロシア、日本)の台頭を認めなかった。1921年(大正10年11月12日~大正11年2月26日)のワシントン会議は、東亜における日本の発展を抑圧することにあった。「諸国民の負担軽減」の美名のもとに、将来、アメリカの海軍力が日本を上回るように日本に軍縮をせまった。時の総理大臣原敬は海軍出身の加藤友三郎をワシントン会議の首席全権に選んだ。ところが、会議開始にあたって、アメリカは支那と裏で手を結び、支那から10原則の爆弾宣言をさせた。これらは全てアメリカの国益に沿うものであった。当時の支那は人口が4億人、国家がなく、人間がいるだけの状...-「大東亜戦争調査会」叢書8-(GHQ焚書図書開封第109回)

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