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歴史逍遥『しばやんの日々』 https://shibayan1954.com/

わが国の歴史は第二次世界大戦後、戦勝国にとって都合の良い歴史に相当書き換えられました。GHQ焚書など戦前の国内外の書物や新聞記事から、歴史の真実を自分なりに探るブログです。

引き続き戦後タブーとされている史実などを考察していく所存です。 著書:『大航海時代にわが国が西洋の植民地にならなかったのはなぜか』

しばやん
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2019/03/14

  • また入院しました

    悪性リンパ腫(びまん性大細胞型b細胞リンパ腫)の治療のために昨年の11月に入院し、途中で新型コロナに感染したために2か月半近く隔離病棟で過ごすこととなり、ようやくPCR検査をクリアして今年3月末に新薬の治療を受けました。その後の副反応など

  • 明治二年正月の横井小楠暗殺を追う

    前回の記事で奇兵隊が明治二年(1869年)に政府に反旗を翻したことを書いたが、明治の初期には政府の要人が相次いで暗殺されている。同じ明治二年の一月に参与の横井小楠(よこい しょうなん)が暗殺され、九月には兵部大輔の大村益次郎、明治四年(1

  • 旧長州の奇兵隊が明治新政府に反旗を翻した事情

    骨抜きされた木戸孝允の「版籍奉還論」 教科書などでは明治維新がスムーズに行われたかのように描かれているのだが、幕府が倒れて政権が朝廷に戻ったといっても当初において朝廷は軍隊を持っておらず、戊辰戦争の征東軍は勤王諸藩から兵を借りて、藩の軍費は

  • 旧長州の奇兵隊が明治新政府に反旗を翻した事情

    骨抜きされた木戸孝允の「版籍奉還論」 教科書などでは明治維新がスムーズに行われたかのように描かれているのだが、幕府が倒れて政権が朝廷に戻ったといっても当初において朝廷は軍隊を持っておらず、戊辰戦争の征東軍は勤王諸藩から兵を借りて、藩の軍費は

  • 『ナチスのユダヤ政策』(昭和16年刊:GHQ焚書)を読む~~その4

    その後の悪性リンパ腫の治療とブログ再開について 昨年11月に悪性リンパ腫(びまん性大細胞型b細胞リンパ腫)の治療のために入院したが、今年1月上旬に私自身が院内で新型コロナに感染したために隔離病棟に移され、さらに細菌感染症に罹ってしまった。高

  • 『ナチスのユダヤ政策』(昭和16年刊:GHQ焚書)を読む~~その4

    その後の悪性リンパ腫の治療とブログ再開について 昨年11月に悪性リンパ腫(びまん性大細胞型b細胞リンパ腫)の治療のために入院したが、今年1月上旬に私自身が院内で新型コロナに感染したために隔離病棟に移され、さらに細菌感染症に罹ってしまった。高

  • 『ナチスのユダヤ政策』を読む・その3

    前回記事で、『ナチスのユダヤ政策』(GHQ焚書・内務省検閲発禁図書)に、ロシア革命の翌年にドイツ革命が少数のユダヤ人の共産主義者によって仕掛けられ、帝政ドイツが打倒された後ユダヤ人は、第一次大戦に向けての戦時体制移行を契機としてドイツ経済

  • 『ナチスのユダヤ政策』を読む・その3

    前回記事で、『ナチスのユダヤ政策』(GHQ焚書・内務省検閲発禁図書)に、ロシア革命の翌年にドイツ革命が少数のユダヤ人の共産主義者によって仕掛けられ、帝政ドイツが打倒された後ユダヤ人は、第一次大戦に向けての戦時体制移行を契機としてドイツ経済

  • ナチスが抬頭した背景を考える~~『ナチスのユダヤ政策』を読む・その2

    第一次世界大戦を仕掛けたのもユダヤ人 前回の記事で『ナチスのユダヤ政策』(GHQ焚書・内務省検閲発禁図書)の中から、ロシア革命もドイツ革命もユダヤ人が仕掛けたことを解説している部分を紹介したが、第一次世界大戦(文中では「第一次欧州大戦」)も

  • ナチスが抬頭した背景を考える~~『ナチスのユダヤ政策』を読む・その2

    第一次世界大戦を仕掛けたのもユダヤ人 前回の記事で『ナチスのユダヤ政策』(GHQ焚書・内務省検閲発禁図書)の中から、ロシア革命もドイツ革命もユダヤ人が仕掛けたことを解説している部分を紹介したが、第一次世界大戦(文中では「第一次欧州大戦」)も

  • ナチス叢書『ナチスのユダヤ政策』(GHQ焚書)を読む

    以前このブログでアルス社の「ナチス叢書」の何点かを紹介させていただいた。当時の「ナチス叢書」の広告を見ると、五十点以上が刊行される予定であったのだが、実際に刊行が確認できるのは二十五点にすぎず、GHQはその殆どすべて(二十四点)を焚書処分

  • ナチス叢書『ナチスのユダヤ政策』(GHQ焚書)を読む

    以前このブログでアルス社の「ナチス叢書」の何点かを紹介させていただいた。当時の「ナチス叢書」の広告を見ると、五十点以上が刊行される予定であったのだが、実際に刊行が確認できるのは二十五点にすぎず、GHQはその殆どすべて(二十四点)を焚書処分

  • 悪性リンパ腫の治療状況について

    新年のご挨拶で書きましたが、昨年の11月に悪性リンパ腫(びまん性大細胞型b細胞リンパ腫)の治療のため入院しました。予定では今月の末から来月の初め頃には退院できると考えていましたが、同室に新型コロナ感染者がいたために私自身も感染してしまい、

  • 関東大震災の悲惨な状況を伝えた関西の新聞記者

    前回の記事で少し触れたが、東京や横浜に本社を構えていた新聞社は各社とも大正十二年(1923年)九月一日の関東大震災で壊滅的な被害を受けたために、関西の新聞記者が関東に出張して各地の情報を収集して報じている。最も早い記事は関東大震災翌日付の

  • 『敗走千里』の著者・陳登元はその後行方不明となり、残余原稿を元に『督戦隊』(GHQ焚書)が纏められた

    百万部を超える大ベストセラーとなっ『敗走千里』 前回は日本に留学していた陳登元が帰省した際にいきなり徴兵され、支那事変に従軍したことを記録した『敗走千里』を紹介させていただいたのだが、彼はその続編を書くことを指導教官の別院一郎に約束していた

  • 中国からの留学生が書き記した支那事変体験記『敗走千里』(GHQ焚書)

    復刊された『敗走千里』 GHQが焚書処分した本の中に、日本に留学していた中国人が帰省時に徴兵されて、支那事変を戦った手記が残されている。『敗走千里』という名の本だが、五年ほど前にハート出版から復刊されているので、すでに読まれた方も多いかもし

  • 中国からの留学生が書き記した支那事変体験記『敗走千里』(GHQ焚書)

    復刊された『敗走千里』 GHQが焚書処分した本の中に、日本に留学していた中国人が帰省時に徴兵されて、支那事変を戦った手記が残されている。『敗走千里』という名の本だが、五年ほど前にハート出版から復刊されているので、すでに読まれた方も多いかもし

  • 日貨排斥により対中貿易の拡大を狙ったアメリカ

    日貨排斥を「千歳一遇の絶好機会」と捉えたアメリカ 元々中国の日貨排斥はアメリカが仕掛けたものなのだが、中国学生を煽動して日本商品の不買運動を定着させた後で,アメリカ商品の輸出を狙っていたことは容易に想像がつく。そのことはアメリカの雑誌に実際

  • 日貨排斥問題解決をこじらせた日本側の要因

    日貨排斥を煽動したのはやはり英米の宣教師 中国の排日運動はまもなく日本製商品の排除に動き出している。教科書などではサラッと書かれているが、実態はかなり酷いものであった。当時の状況は各紙が英米の宣教師が背後で動いていたことを報じている。五四運

  • 支那・朝鮮で排日運動が仕掛けられてわが国政府はどう動いたのか

    朝鮮では米国宣教師により独立運動が仕掛けられた 戦後の歴史叙述では、一九一九年三月一日にソウルで起きた「三・一独立運動」について、「日本統治時代の朝鮮で発生した大日本帝国からの独立運動」とされ、三月一日以降朝鮮全土に拡大していったことや、北

  • GHQ焚書の全リストを掲載した本が「国立国会図書館デジタルコレクション」でネット公開されている

    「国立国会図書館デジタルコレクション」を利用するようになって十一年になるのだが、先日偶然にGHQ焚書の全リストを掲載した本がネット公開されていることを発見した。この本が編集発行された理由など 昭和24年(1949年)に文部省社会教育局が編

  • 中谷英雄『上等兵と支那人』(GHQ焚書)を読む~~その2

    戦闘の叙述 前回に引き続き『上等兵と支那人』から、支那軍との戦闘の緊迫した場面から紹介しよう。「第一小隊は右、第二小隊は左、第三小隊は中央。命令があるまで待機」と命じるや、中隊長は地隙(ちげき:地表が割れて出現した隙間)へと通じた道路を前進

  • 中谷英雄『上等兵と支那人』(GHQ焚書)を読む~~その2

    戦闘の叙述 前回に引き続き『上等兵と支那人』から、支那軍との戦闘の緊迫した場面から紹介しよう。「第一小隊は右、第二小隊は左、第三小隊は中央。命令があるまで待機」と命じるや、中隊長は地隙(ちげき:地表が割れて出現した隙間)へと通じた道路を前進

  • 東洋史研究者が書き残した支那事変体験記『上等兵と支那人』(GHQ焚書)~~その1

    中谷英雄 著『上等兵と支那人』,清水書房,昭和18 GHQが焚書処分した支那事変の体験記録はいくつかあるが、今回は『上等兵と支那人』という本を紹介したい。著者の中谷英雄は京都帝大の東洋史科を卒業後長野県の飯山中学校に奉職したが、昭和十三年に

  • 東洋史研究者が書き残した支那事変体験記『上等兵と支那人』(GHQ焚書)~~その1

    中谷英雄 著『上等兵と支那人』,清水書房,昭和18 GHQが焚書処分した支那事変の体験記録はいくつかあるが、今回は『上等兵と支那人』という本を紹介したい。著者の中谷英雄は京都帝大の東洋史科を卒業後長野県の飯山中学校に奉職したが、昭和十三年に

  • 中国の五四運動を煽動した黒幕は新聞にしっかり報じられていた

    二十一ヵ条要求を提出した当初には排日運動は起きていない このブログで何度か書いたが、中国人に排日運動を仕掛けたのはアメリカ人の宣教師であったことが戦前の書物や新聞記事に明確に記されている。おそらくこの時代に生きた日本人にとってはそのことはそ

  • 全面リニューアルされた「国立国会図書館デジタルコレクション」の活用方法について

    「国立国会図書館デジタルコレクション」の全面リニューアル 昔は何度も図書館に通ったり、欲しい古本を買い求めなければできなかったことが、今ではネット環境とパソコンがあれば「国立国会図書館デジタルコレクション」の「個人向けデジタル化資料送信サー

  • 2023年 新年のご挨拶

    新年 あけましておめでとうございます。 旧年中は拙い私のブログにお付き合いいただき、まことにありがとうございました。大阪府能勢町 久佐々神社 鳥居 何度も訪問して頂いた方や、私の記事にリンクして頂いた方、ランキングの応援をして頂いた方、コ

  • 布教権を中国市場開拓の武器とした米国に関する新聞記事を読む

    中外商業新報「支那に於ける米国勢力」を読む 前回の記事で、中国に利権を得た欧米列強が宣教師を送り込み学校や病院を建設した一方、わが国は清国との条約上布教の自由が認められていたにもかかわらず、欧米の圧力に屈した支那政府から拒絶され、我が政府は

  • 中国に権益を得た欧米列強はいかにして中国民衆を味方につけたか~~大正4年の新聞記事を読む

    このブログで「中国排日」について何本かの記事を書いてきた。中国に於ける排日運動が活発化したのは、第一次大戦後の一九一九年(大正八年)に開催されたパリ講和会議においてわが国が提案した人種差別撤廃案が否決された以降のことである。この時に中国人

  • 欧米列強による中国侵略~~『アジア侵掠秘史』を読む:その3

    中国周辺から中国本土侵略へ 戦後出版された本では中国周辺諸国や中国本土が欧米列強に侵略されていったことについては、詳しく書かれている本は少ないと思うのだが、桑原三郎『アジア侵掠秘史』(GHQ焚書)第十七章には次のように記されている。 われら

  • ロシア・英国の中央アジア侵略を知る~~『アジア侵掠秘史』を読む:その2

    前回に引き続き、桑原三郎著『アジア侵掠秘史』(GHQ焚書)のなかから、戦後日本人にあまり知られていない歴史を紹介したい。 今では世界最大の国土面積をもつロシアだが、そのルーツは、現在のロシア北西部、ウクライナ、ベラルーシにかつて存在した「

  • 悲惨だったアジア人奴隷~~桑原三郎『アジア侵掠秘史』(GHQ焚書)を読む その1

    「国立国会図書館デジタルコレクション」で「個人向けデジタル化資料送信サービス」の手続きをすることで、大半のGHQ焚書が読めるようになる。今回は昭和十六年に刊行された桑原三郎 著『アジア侵掠秘史』という本を紹介したい。この本は、過去五百年近

  • 昭和16年報知新聞『アメリカの地底政府』を読む~~2

    前回に引き続き、昭和十六年に報知新聞に連載された、ユダヤ国際金融資本が戦争にどうかかわっていたかについて書かれたレポートである『アメリカの地底政府』を読み進みたい。ハリウッドはウォール街とともにユダヤ地底政府の本丸であった ユダヤ人は世界

  • 昭和16年報知新聞連載『アメリカの地底政府』を読む~~1

    以前このブログで、戦前の新聞でユダヤ問題についてどのような分析がなされているについて紹介させていただいたが、昭和十六年六月二十三日から七回に分けて報知新聞に連載された『アメリカの地底政府』という解説は、現在の世界情勢を理解する上でも重要な

  • 満州事変後の中国の世論工作~~大泉忠敬『支那新聞排日ぶり』(GHQ焚書)を読む その2

    前回に引き続き、『支那新聞排日ぶり』の内容の一部を紹介しよう。満州事変直後、ソ連もアメリカも出兵したと報じた中国 今もお隣の国の報道をそのまま信用することは危険だが、その点については昔も同様で、この国の新聞は平気で世界に嘘情報をまき散らす

  • 中国は満州事変をどう伝えたか~~大泉忠敬『支那新聞排日ぶり』(GHQ焚書)を読む その1

    以前このブログで、「国立国会図書館デジタルコレクション」で「個人向けデジタル化資料送信サービス」の手続きをすることにより、GHQ焚書の大半が自宅のPCなどで読めるようになったことを書いたが、このサービスの手続きをすることで閲覧できるように

  • 能勢の古社寺を訪ねて~~岐尼神社、月峰寺、久佐々神社、湧泉寺、倉垣天満宮

    岐尼神社昼食休憩を終えて岐尼神社(きねじんじゃ:能勢町今西103-3)に向かう。岐尼神社 鳥居 能勢町には古い神社がいくつかあるが、この神社も「延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)」に名前の出ている由緒ある神社である。「延喜式神名帳」

  • 紅葉の季節に能勢の古社寺を訪ねて~~妙見堂、今養寺、真如寺等

    紅葉の季節に能勢町を巡って来た。能勢町には小規模ながら由緒ある社寺が少なくなく、明治の廃仏毀釈の影響も比較的小さくて、古い仏像や昔ながらの風景がそのまま残されているところが魅力である。第1回目は能勢妙見堂とその本寺である真如寺などをレポートしたい。

  • 尼港事件を目撃して奇しくも生き残った日本人の証言を読む~~尼港事件2

    大正九年の尼港事件で、尼港に居住していた七百数十名の日本人の殆んどが共産パルチザンによって殺害されたのだが、わずかながら生き残った日本人がいて、毛皮商人と海軍士官の二人の証言が残されている。

  • 岩佐圭奨『嵐の世界』(GHQ焚書)を読む~~ユダヤ問題を考える その2

    前回に引き続き、ユダヤ人問題研究者・岩佐圭奨著『嵐の世界』の文章を紹介させて頂く。ユダヤ人は、世界史上の数々の重要事件に関与して来たのだが、戦後の歴史叙述ではそのような史実が解説されることはほとんどなかったと言って良い。 ユダヤ人問題につ

  • 戦後の長きにわたりタブー視されてきた尼港事件の新聞記事を読む~~尼港事件1

    黒龍江がオホーツク海に注ぐ河口にあるニコラエフスク(尼港)には7百人を超えるの日本人が住んでいたが、1920年1月に共産パルチザンに市全体が包囲されてしまった。救援隊を要請したのだが、厳冬のため港には砕氷船が近づくことが出来ず、同市にいた日本人の殆んどがパルチザンに殺害されてしまっている。

  • 岩佐圭奨『嵐の世界』(GHQ焚書)を読む~~ユダヤ問題を考える その1

    今回紹介したい『嵐の世界』の著者・岩佐圭奨(いわさ けいぞう)という人物はネットに殆んど情報がなく、どのような経歴の人物であったかはよくわからない。 全国大学図書館の蔵書を「Cinii Books」で検索してもこの人物の著作は一冊も見当た

  • 「張作霖爆殺事件」の真相を追う~~その3

    ソ連には以前より張作霖暗殺計画が存在した。1926年の時は爆弾が発見されて失敗したが、1928年の計画書には「日本軍に疑いがかかるように行われること」が明記されており、張学良と関東軍を巻き込んで、計画通り張作霖殺害の罪は日本に着せることに成功したことになる。

  • 統制派が国政を牛耳るようになった頃の新聞記事を読む~~ファシズム3

    昭和十一年(1936年)二月二十六日に二・二六事件が起きた。反乱を起こしたのは陸軍の皇道派のメンバーであったのだが、皇道派と統制派についてWikipediaにはこう解説されている。 皇道派は天皇を中心とする日本文化を重んじ、物質より精神を

  • 「張作霖爆殺事件」の真相を追う~~その2

    張作霖爆殺事件は関東軍大差であった河本大作が殺害を認める発言をし、現場には関東軍がやったと疑われる工作がなされていたことから、政府も関東軍を疑った。しかし、現場に残された状況を調べると河本の証言内容と著しく矛盾していた。

  • ファシズムと結びつき軍部が政治力を強めていく頃の新聞記事を読む~~ファシズム2

    昭和七年には物騒な記事が多いのだが、この年の二月に井上準之助、三月に団琢磨が暗殺され、五月に五・一五事件が起きている。以前このブログで五・一五事件を起こした海軍の青年将校が記した檄文を紹介させて頂いたが、この檄文を読めば彼らが共産主義思想

  • 「張作霖爆殺事件」の真相を追う~~その1

    昭和3年6月4日、中華民国陸海軍大元帥の張作霖を乗せた特別仕様の列車が、瀋陽駅に到着する寸前で爆破され、張作霖は瀕死の重傷を負い数時間後に死亡した。この事件に関する当時の報道や記録は、戦後のこの事件に関する解説とは大きく異なる。英国の公文書にはソ連に犯罪の責任があると書かれているのだが、最近のロシアの研究者の結論と同じである。

  • 戦前期にファシズムが台頭していった頃の新聞記事を読む~~その1

    戦後の歴史叙述では「ファシズム」について、共産主義や社会主義への台頭への反動といういうニュアンスで解説されていることが大半だが、わが国における「ファシズムの台頭」の経緯について、当時の新聞記事で確認してみたい。 「神戸大学新聞記事文庫」に

  • 『日英外交裏面史』(GHQ焚書)を読む~~その2

    国際連盟と英国 前回に引き続き『日英外交裏面史』の中から、戦後の歴史叙述ではまず出てこないような解説をいくつか紹介したい。1920年11月15日にジュネーブで開かれた国際連盟第1回会合(Wikipediaより) 「国際連盟」については、第一

  • 韓国の近代化はわが国の資金援助や民間投資がなければ不可能であった

    韓国の近代化は、わが国の莫大な資金援助や民間投資がなければ不可能であったのだが、戦後はその史実が殆んど封印されている。 わが国の財政支援が開始されたのは1904年以降のことで、韓国の財政の過半から2/3を日本が支出し、さらに民間投資が積極的に行われ、ダムや鉄道などが建設されていった。

  • 柴田俊三『日英外交裏面史』(GHQ焚書)を読む~~その1

    このブログの江戸幕末期に関する記事で、GHQに焚書処分された柴田俊三著『日英外交裏面史』という本の一節を三度ばかり紹介させていただいたのだが、もう少しこの本の内容を紹介させていただくことにしたい。 著者の柴田俊三がどういう人物であるかはよ

  • 一進会の李容九に影響を与えた樽井藤吉の『大東合邦論』

    1885年に清国、ロシア、英国が朝鮮を狙う動きがあり、隣国の問題はわが国にとって国防上の危機でもあった。福沢諭吉は『脱亜論』隣国には何もするなと書いたが、樽井藤吉はアジアを白人の侵略から守るためにまず日韓合邦すべきと説き、この考えが一進会の李容九に多大な影響を与えた。

  • 共産主義に関する戦前期の記事を読む~~「転向」を考える

    前回記事で、コミンテルン(1919年にレーニンの指導のもとに創立された共産党の国際組織)による日本赤化(共産主義化)工作が進み、昭和七年に五・一五事件が起きた記事までを紹介した。赤化工作は軍部と青年に向けて重点的に行われていたのだが、対策

  • なぜ日本政府は安重根の凶行とすることで幕を引いたのか~~伊藤博文暗殺3

    伊藤博文の暗殺事件の犯人は、伊藤の近くにいた室田義文の証言によれば安重根ではありえない。室田の証言が葬り去られた理由は「日ロ国交上」の理由であった。伊藤はロシアにとって日露協商・満韓交換論路線の裏切者であり、ロシアに出向いたことが寿命を縮める原因となった。

  • 共産主義に関する昭和初期の新聞記事を読む

    前回は大正時代の記事を紹介したが、昭和に入り急速にわが国で共産主義思想が広まっていった。大正十一年(1922年)に堺利彦、山川均、近藤栄蔵らが日本共産党(第一次日本共産党)を設立し、十一月にコミンテルン*に加盟し、「コミンテルン日本支部 日

  • 伊藤博文を撃ったのは安重根だったのか~~~伊藤博文暗殺その2

    明治42年の伊藤博文暗殺事件の犯人は安重根というのが定説になっているが、伊藤の随行員として最も近くにいた室田義文は、犯人が別の人物であることを証言している。伊藤の体内に残っていた銃弾は、安重根の放ったものではなく、安重根が真犯人でなかったことは明らかであった。

  • 共産主義に関する大正時代の新聞記事を読む

    今の若い世代には共産主義国家を理想国家と考える人は少ないと思うのだが、現在六十八歳である私の後輩や先輩には、一時期そのような考えに染まった経験を持つ人は少なからずいる。しかしながら、その親の世代である明治末期から昭和初期にかけて生まれた人

  • 伊藤博文暗殺事件を機に日韓併合が早まった~~~伊藤博文暗殺その1

    明治38年に韓国統監府が設置されると伊藤博文はその初代統監に就任し、その後三年間で韓国は大きく近代化していった。しかし明治42年に伊藤はハルビンで暗殺されてしまう。伊藤自身は韓国併合に長らく反対していたが、彼が暗殺された後日韓併合が早まる結果となった。

  • 日本地政学の見地から「大東亜」を考える『地政学上より見たる大東亜』を読む~~2

    英国によるオーストラリア大陸侵略 前回記事で小牧の地政学について一部紹介させていただいたが、今回はこの日本地勢学の考え方から「大東亜」の各地について解説している部分を紹介させていただく。最初は小牧が「南アジア大陸」と呼んでいいとしたオースト

  • 小牧実繁 著『地政学上より見たる大東亜』(GHQ焚書)を読む~~1

    戦後の長きにわたりタブー視されてきた「地政学」 「地政学(geopoliics)」という学問は、民族や国家の特質を、主として風土・環境などの地理的空間や条件から説明しようとする学問であるが、小牧実繁は戦前・戦中においてこの分野で活躍した代表

  • 日韓併合前の朝鮮の人々の暮らし~~荒川五郎『最近朝鮮事情』その2

    朝鮮では大雨が降ると洪水の危機に曝され、人々は働かない。河川が濁っても、これを濾して用いるという考えもない。また道路については、王道と称えていた京城の道もわずかに牛馬が通行できる程度の広さしかなく、橋梁は極めて少なかった。貨幣制度は頗る紊乱していて、度量衡も地域でバラバラであった。

  • 一九〇五年に朝鮮半島を訪れた荒川五郎の『最近朝鮮事情』を読む~~1

    1905年に朝鮮半島を視察した荒川五郎が著した『最近朝鮮事情』に、当時の朝鮮社会がどのような状態であったかを詳細に記している。山は禿山ばかりで、川は自然のままに放置されていて何度も洪水を起こしていた。支配階層にも常民にも国のためという考えはなく賄賂が横行し、中央政府も地方政府も腐敗していた。

  • 神戸大学「新聞記事文庫」で古い記事の探し方と利用方法(改訂版)

    神戸大学附属図書館のホームページが全面リニューアルされたことにともない、神戸大学経済経営研究所の「新聞記事文庫」の仕様も大幅に変更され、URLも変更された。 このブログでこれまで「新聞記事文庫」の記事内容や紙面の画像をいくつか紹介させてい

  • 小松緑「赤化運動の経緯」を読む 2

    赤化(共産主義化)はどこの国でも起こり得る時代 前回紹介した小松緑「赤化運動の経緯」(中外商業新報:昭和三年九月二十四日~十月一日)の続きだが、小松は共産主義思想は、資本主義でない国でも伝播していくものだと述べている。そもそも国民の大部分を

  • 日韓共栄を目指した一進会はなぜ解散させられたのか

    わが国が日露戦争で勝利をつづけたことから、これまで両班に搾取されていた平民や知識人たちの多くは、次第に日本に好意を寄せるようになった。李容九は一進会を設立し、日本と韓国が軍事同盟を結びロシアに対抗することを主張し、鉄道建設に協力したほか、1909年に『韓日合邦を要求する声明書』を提出した。

  • 小松緑「赤化運動の経緯」を読む 1

    小松緑は明治大正期の外交官で、アメリカ公使館書記官,朝鮮総督府外務部長など勤め、大正五年(1916年)に退官後は著述家として活躍した。小松緑(Wikipediaより) 十冊程度の著書を残しているようだが、電子図書で『明治外交秘話』というタ

  • 日露戦争緒戦で日本軍が勝利したのを見て親日に一変した韓国

    日露戦争緒戦で日本が勝利すると韓国は俄に態度を親露から親日に一変させ、日韓議定書が締結され、財政と外交の顧問を受け入れることに同意した。わが国は同国を近代化させるために保護国化したのだが、当時の韓国は非常に貧しく、英米はわが国の対韓措置に異議を挟まなかった。

  • 佐々木一雄『日本の脅威 武装の赤露』を読む~~その3

    共産主義国家・ソ連という国 前回に引き続き、佐々木一雄著『日本の脅威 武装の赤露』の一部を紹介したい。 共産同志と彼ら政権は「被圧迫民族を解放する」と大声に叫びながら、国内における自己の民族を圧迫している。しかもその状態が世界に現れぬように

  • 日本が近代国家に改革しようとした李氏朝鮮を狙ったロシア

    李氏朝鮮は当初から中国の属国であり、中国の属邦の中でも貧しく地位も低かったのだが、日清戦争でわが国が勝利して、晴れて独立国家となることができた。しかしながらこの国は兵力も乏しく、いつロシアに占領されてもおかしくなかった。わが国は朝鮮が近代国家に改革され、自立した国家となることを熱望していた。

  • 佐々木一雄『日本の脅威 武装の赤露』を読む~~その2

    スパイの国 ソヴィエト・ロシア 前回に引き続いて、佐々木一雄著『日本の脅威 武装の赤露』の一部を紹介したい。 ロシアはある一つの犯罪を除いては、事実上死刑が廃止されたということである。「それはどういう犯罪か」というと「スパイ」である。だから

  • 蒋介石はいかにして英米を味方につけたのか

    蒋介石はドイツ軍事顧問たちのアドバイスを受け、上海の国際租界で日本軍に対する攻撃を仕掛けたが、日本軍は蔣介石の攻撃の意図を理解し、他国の干渉を招く原因となる行動はとらなかった(第二次上海事変)。その後蒋介石はプロパガンダを強化して、嘘で世界のシンパシーを獲得することに成功する。

  • 佐々木一雄『日本の脅威 武装の赤露』を読む~~その1

    佐々木一雄という人物は、他の著書に陸軍大佐という肩書きがあるので陸軍の軍人であったことは間違いないのだが、詳しい経歴についてはわからない。彼の著した著作の内十二点がGHQによって焚書処分されているのだが、そのうち「国立国会図書館デジタルコ

  • 当時のアメリカ人ジャーナリストが記した中国の排日・抗日運動

    中国で排日運動を英米が仕掛けたことを、当時アメリカ人ジャーナリストであったフレデリック・ヴィンセント・ウィリアムズが、1938年11月に出版した”Behind the News in China”(邦訳『中国の戦争宣伝の内幕』)に記している。その後わが国はなぜ日中の戦争に巻き込まれたのか。

  • ユダヤ財閥が世界的に影響力を持つに至った経緯~~「国際秘密力研究叢書」を読む5

    前回に引き続き「国際秘密力研究叢書」シリーズの本を紹介させて頂く。今回は叢書の第十一冊の鹿島健 著『英国を支配するユダヤ力』(昭和十六年刊)である。著者の鹿島健は昭和十七年に同文館より『米国に於けるユダヤ人問題』を刊行した人物であることは

  • 中国の共産主義化と抗日運動

    満州国の独立に刺激されて、内蒙古が中国から独立する機運が盛り上がった。蒋介石は八万の大軍を送り込んで内蒙古軍を制圧したが、その際に全国民に対して民族戦の決起を促したために、中国全土で抗日の機運が盛り上がった。中国共産党は蒋介石を監禁して共産党と手を握らせ、共産党殲滅作戦を止めさせるとともに彼を抗日に転換させた。

  • ユダヤ人はいかにして世界を撹乱してきたか~~「国際秘密力研究叢書」を読む4

    前回に引き続き、『今次大戦と裏のニュース 【世界猶太(ユダヤ)情報】』(国際秘密力研究叢書10)という本の一部を紹介したい。当時の非ユダヤ系報道機関が伝えてくれていたことは、現在の世界情勢を理解するうえでもヒントになる内容が少なからずある

  • 英米が仕掛けた「排日」に中国人が積極的に取組み「抗日」に至った経緯

    英米が仕掛けた「排日運動」は、日本人に対して長い間民族的嫉妬心を抱いていたに中国人に火をつけ、英米と同様に日貨排斥を行った。当初から排日教育が行なわれて、共産主義青年団員が排日運動をリードするようになると、その後国民党が国策として取り組むようになり、抗日暴動が頻発するようになる。

  • 第二次世界大戦に至るまでにユダヤ人は何をしてきたか~~「国際秘密力研究叢書」を読む3

    前回に引き続き、国際秘密力研究叢書の本の内容を紹介したい。今回採り上げるのは、この叢書の中で唯一GHQが焚書処分した『今次対戦と裏のニュース 【世界猶太(ユダヤ)情報】』(国際秘密力研究叢書10)という本である。 この本は、一九三九年九月

  • 中国の排日運動がその後反帝国主義運動となり日本だけが排斥された経緯

    中国の排日運動は、当初は英米が中国大陸から日本を排除する目的で仕掛けたものだが、中国大陸の赤化を狙っていたソ連が中国共産党に反帝国主義運動を始めさせ、最初にイギリス租界に鉾先を向けた。イギリスは租界を返還して反英の動きを止め、さらに蒋介石を抱き込んで、鉾先を日本に向けさせた。

  • 支那事変でユダヤ人は何をしたのか~~「国際秘密力研究叢書」を読む2

    今回は「国際秘密力研究叢書」シリーズの二回目で、赤池濃著『支那事変と猶太(ユダヤ)人』(国際秘密力研究叢書4:昭和14年刊)を紹介したい。著者の赤池濃(あかいけ あつし)は内務官僚で、朝鮮総督府の内務局長、警務局長などを歴任後、大正十二年

  • 英米が排日運動を仕掛けたのは中国だけではなかった

    中国の排日運動の始まりである1919年の「五四運動」に英米人が関与していたことは、当時のわが国の新聞にも多数報道されている。また、朝鮮半島で起きた三・一独立運動も米国宣教師が関与していたと報じられている。これらは、同年一月にわが国がパリ講和会議で人種差別撤廃案を提出したことと無関係だとは思えない。

  • ユダヤ人はドイツに何をしたのか~~「国際秘密力研究叢書」を読む1

    戦後の出版物でユダヤ問題に関するものは数えるくらいしか存在しないが、戦前にはユダヤ人問題に関する本が大量に出版されていて、ユダヤ人問題研究に関する叢書もいくつか出ている。 中でも政経書房が昭和十二年から十六年にかけて刊行した「国際秘密力研

  • 北京で排日運動が開始された背後に英米人の煽動があった

    1919年のパリ講和会議でわが国が提案した人種差別撤廃案が否決された22日後に、北京で最初の排日運動(五四運動)が行われている。当時北京の民家に下宿していた長野朗が当時のことを記録しているが、支那の排日運動を煽動したのは英米人であった。彼らは黄色人種間の分断と、支那において日本が開拓した市場を狙っていた。

  • 戦前の新聞社には、世界戦争を引き起こす影の勢力としてユダヤ勢力を捉える記者がいた

    前回に引き続き、神戸大学経済経営研究所の新聞記事文庫から、ユダヤ問題についての記事を紹介したい。第一次世界大戦とユダヤ人 戦後の通史などでは、第一次世界大戦にユダヤ勢力が関与したことは一切触れられることがないのだが、戦前の新聞には、その点

  • 関東大震災で日本支援に動いたのち米国黒人が白人に抵抗できなくなった経緯

    米国黒人たちは彼らの尊厳を認めてくれる日本人を尊敬するようになっていた。1912年に関東大震災が起こり全米で日本に義捐金を送る動きがあったが、黒人向けメディアが日本支援を呼び掛け、貧しい黒人たちも立ち上がった。しかしながら、連邦政府は「排日移民法」を提出し、黒人と日本人とを引き離そうとした。

  • わが国に支社が存在したユダヤ人秘密結社に関する昭和初期の新聞記事を読む

    引き続き「神戸大学経済経営研究所 新聞記事文庫」からユダヤ人問題に関する記事をいくつか紹介してみたい。国際連盟脱退の背後にユダヤ人の組織が動いていたのか 最初に紹介したいのは、昭和8年2月23日の国民新聞の記事である。 日本脱退を遂に決意

  • パリ講和会議で人種差別撤廃提案が否決されたのち米国で黒人暴動が多発した

    第一次大戦後開催されたパリ講和会議で、わが国は国際連盟規約に人種差別撤廃を明記させようと動き、参加国の多数の賛同を得たものの、議長のウィルソン米大統領は全会一致でないことを理由に否決した。世界の有色人種はこの決定に失望し、米国では各地で暴動が起き、エジプトやインド、パレスチナなどでも暴動が起きた。

  • ユダヤ人問題に関する昭和初期の新聞記事を読む~~「ユダヤ人に悩まされる世界」「惑星ユダヤ人の動き」

    前回はユダヤ人問題に関する大正時代の記事を紹介したが、今回は昭和初期の記事のいくつかを紹介したい。 銀行家の陰謀 最初に紹介したい記事は昭和6年10月19日付の大阪朝日新聞に寄稿された、津村秀松博士の「ユダヤ人に悩まされる世界」である。著

  • アメリカの黒人知識人たちは日露戦争後の排日運動をどうとらえたか

    アメカの黒人たちは日露戦争に日本が勝利したことは、白人が有色人種を支配する神話を打ち砕いたとして歓迎し、日本人の後に他の有色人種が続いて白人優位の世界が崩壊していくことを期待した。白人たちはそうさせないために、『黄禍論』を全米に広めて、日本人とアメリカ黒人たちの分断を図った。

  • ユダヤ人問題に関する大正時代の新聞記事・解説を読む~~北海タイムス「過激主義の根原」

    ロシア革命はユダヤ人による革命であった 以前このブログで、1917年に起きたロシア革命のことを書いた。レーニンらの活動家に資金を支援したのは、日露戦争でわが国に資金支援したユダヤ人のジェイコブ・シフらであり、革命が成就して生まれた新政府の人

  • 日露戦争後に激化したカリフォルニア州の排日運動をアメリカの知識人はどう捉えていたか

    『日米開戦の人種的側面』によると、カリフォルニア州の移民の1/4がアイルランド系で、サンフランシスコ市の労働運動をリードしていて、日本人排斥に特に熱心であった。このカリフォルニア州の排日運動が、マスコミにより1907年以降全米に広がるのだが、アメリカの「オレンジ計画」と無関係だとは思えない。

  • 紫陽花の季節に北摂の久安寺、勝尾寺を訪ねて

    「あじさい寺」で有名な北摂の寺院を参拝してきた。池田市の久宝寺は、本坊の門前にある具足池に「あじさいうかべ」が行われている時期が見頃である。「勝ちダルマ」で有名な箕面市の勝尾寺も、境内に三千六百株のあじさいが植えられていて、見頃を迎えている。

  • 幕末以降西洋造船技術の導入に取組んだ先人たち~~「最新国防叢書」2

    「最新国防叢書」の第10輯は、金谷三松著『海軍艦船機関の話』(GHQ焚書)だが、嘉永六年(1853年)にペリーが来航する以前から、蒸気船を自力で製造しようとした藩の話が出ている。自力で蒸気機関を製造した薩摩藩 老中阿部正弘は安政の改革の一

  • 日露戦争中に始まったカリフォルニア州地方紙の排日キャンペーン

    カリフォルニア州への支那移民が禁止されると、代わって日本人が移住するようになった。しかしながら労働組合が低賃金で働く日本人を問題にするようになり、同州の新聞で排日キャンペーンが開始された。満州に商業的利益拡大を図っていた米国は、同州の排日の動きを利用し、その後全米に人種差別を煽って反日感情を焚きつけていく。

  • わが国の戦艦発達の歴史を知る~~「最新国防叢書」1

    昭和13年に科学主義工業社から「最新国防叢書」シリーズ10点が刊行され、そのうちの4点がGHQにより焚書処分されている。今回はシリーズの第一輯、藤沢宅雄著『戦艦の話』の一部を紹介したい。軍艦の種類 戦後は軍艦の種類について詳しく学ぶ機会は

  • 鉄道王ハリマンの夢を打ち砕いた小村寿太郎

    米国の鉄道王と呼ばれたハリマンが、ポーツマス会議の最中に訪日している。その目的は、彼の描いた世界一周通路の中の一つである南満州鉄道を日米共同で経営することを日本政府に提案するためであった。桂首相や井上馨はその提案に賛成し、桂は覚書に署名したが、ポーツマス会議から帰国した小村は反対した。

  • 『日露戦役の思ひ出』を読む~~日露戦争に関するGHQ焚書3

    かつて陸軍省の中に「つはもの編輯部」という部署があり、兵士や国民向けに、兵士の書いた文章などを集めた「つはもの叢書」というシリーズ本が昭和8年から12年までに14点が出版され、そのうち3点がGHQ焚書に指定されている。今回は『日露戦役の思

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