農業や畜産業は公務員なんかよりもずっと困難で、ずっと頭脳労働だ。有権者に失礼だからではなく、バカだから辞任したのだと思う。世の中のことがよくわかっていないのだ。
書籍『市民ランナーという走り方(マラソン・サブスリー。グランドスラム養成講座)』『通勤自転車から始めるロードバイク生活』小説『ツバサ』執筆者。
生きることへの恋歌を綴っています。
ダーウィン・エジソン時代。人間が神の被造物であることから決別した時代
は1859年のダーウィンの種の起源(進化論)と、1879年のエジソンの白熱電球をひとつの時代を画するものと考えています。ダーウィンも、エジソンも、神の支配下にあった人間から、そのくびきを取り払ったのです。パソコン、スマホをふくめて、電気の力にどっぷりつかっているわたしたちは、1979年以前の人類とは違った人類だといえましょう。
いちばん悲しいときに、忙しくて悲しみ過ぎないことが、いい意味で語られるのならば、もっとも祖母が感情をあらわにした「最後の別れ」のシーンで、花を渡しまくって泣くのを邪魔しまくった大手葬儀社のアレは、ひょっとしてプロの気遣いだったのかしら?
コーチ理論と引退哲学。ズルズルと負け続けると負のマインドセットになって自分のノウハウに自信を失い、よい指導者になれない。
いくらやっても勝てないマインドになる前に、勝ったマインドのままに去った方がいいと考える。これがアスリートが引退して、二度と試合会場に戻ってこない最大の理由です。引退せずズルズルと負け続けると負のマインドセットになって自分のノウハウに自信を失ってしまいます。するとよいコーチになることができません。
カセットコンロの赤い炎は危険信号。不完全燃焼の可能性あり! 一酸化炭素中毒に注意!
ガスの炎は青く燃えるのが正常で、赤く燃えるのは異常のサインなのでした。ガスコンロから赤い炎があがっている際、『不完全燃焼を起こしている』可能性が濃厚なのだそうです。さすがに不完全燃焼のガスコンロを車内で使うわけにはいきません。カセットコンロだけは、お金を惜しまず買い替えようと思います。お金よりも、健康の方が大事です!!
『ドクトル・ジバゴ』翻訳ロシア文学は人名を統一したら読みやすくなる試案
ロシアでは、相手に呼びかける「言い方」でその人物のあいだの親密感がわかる、といわれています。しかし日本人の読者にはわかりません。ひとりの人物を何通りにも呼ぶのは、一般読者からすると読みにくくて仕方がありません。読者を混乱させるだけではないでしょうか?
ウクライナ戦争の和平案。核ミサイルさえ使わなければプーチンを許してやる。命の保証をするかわりに、政権を手放してもらう
独裁制は過去の悪しき政治体制として葬り去られることを希望します。独裁者も自分の寿命がまだあるうちは自滅の道は歩まないだろうと思います。でも寿命がなくなった場合、死なばもろともで核ミサイルのボタンを押さないとも限りません。核さえ使わなければプーチンを許してやる、といった提案をしないかぎり、人類が危急存亡の秋にあると思います。
【あぐら腰痛】椅子に座ると平気なのに、胡坐をかくと腰が痛くなるのはなぜだ?
あぐら腰痛を避けるためには、なるべく腰椎が本来のS字カーブをそこなわないような姿勢をとることが重要です。腰がまるくなってしまう(くびれがなくなってしまう)のは骨盤が寝ているためです。 お尻の下にクッションを敷くなどして、腰が寝ないようにしましょう。
日本人が海外でマリファナをやると、基本的には犯罪を犯したことになり、罰せられます。でも、なんかおかしくないですか?
本来、法律は平等、公平であるべきではないのですか? 現状では、海外の大麻合法の国であっても、日本人がマリファナを吸ったら犯罪になります。 でもそのことを規定している法律が、他の法律とくらべて、あきらかに構図が違っています。他の法律と同じような扱いをしていません。
ホテルのサブスク。マンスリー賃貸。その違い。注意すべきこと。
ホテルのサブスクもマンスリー賃貸も、手持ちの家具を処分しないことには、倉庫を借りつつ、宿泊費用を払うという「二重払い」になってしまいます。これでは意味がありません。 やはり、さすらいながら生きていくためには、どうしても家具を断捨離する必要があります。
【YouTube撮影中の死亡事故】自動車のバック運転。嫁に轢き殺されそうになった話し
車のかげにいた子どもに気づかず轢き殺してしまう親のニュースをときどきテレビで見ますが、あれと同じ状況です。もし事故になっていたら「YouTube撮影中の事故」としてマスコミにも取り上げられていたでしょう。へたにYouTubeなんかやらなきゃよかったのに、と周囲の物笑いのタネになるところでした。
図書館で予約した本を借りるときに困ったこと。「厚い」「古い」「旧字体」!!!
紙質がダメージを負いまくっている本とか、もはやほとんどの市民には読めない(読む気になれない)旧字体の本などは、もう現役から引退させてあげたらいいのではないでしょうか? 普通に借りられる状態にある現役本ではなく、どこか本の歴史的価値を蒐集する博物館行きにしてしまえばいいのではありませんか?
登山系ランナーの全力の主張「気持ちいいのはランニング。死ぬ前に思い出すのは登山」
ときには、肉体を壊すつもりで走る。ゴールしたら倒れるつもりで走る。そうしてこそ印象に残る。いつも自分を守ってばかりのニコニコペースでは、本当の意味で、生きている実感を感じることはできない。生きがいは、本気で取り組んでこそ。それは人生も同じことでしょう。
なんでこんなスローガンが採用されたのだ? という疑問に対しては、すべて「兵隊が欲しいから」という理屈で説明できます。未来、人間の存在価値は、兵隊でも労働力でもなくなっていくはずです。それが新時代です。世間にはいまだに昭和十三年の結婚十訓みたいなことをいうオッサンがときどきいますが、笑い飛ばしてやりましょう。
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農業や畜産業は公務員なんかよりもずっと困難で、ずっと頭脳労働だ。有権者に失礼だからではなく、バカだから辞任したのだと思う。世の中のことがよくわかっていないのだ。
スポーツ部活動に熱中した方が、受験勉強に熱中するよりも人生にいい影響を及ぼす、というのをいちおうの結論とさせていただきます。しかし、やっぱり人によるでしょう。やりたいほうをやればいいのです。やりたいことをやらないことが、一番よくないことです。
タクシーはいくらでもいるのです。ヤバいと思ったら、別のタクシーに乗りましょう。それがお客様という権力です。お金を払う方に選択権があるのです。地の利は向こうにありますが、お金という武器はこちらが持っているのです。お金を払う方が偉いのですよ。それがお客さまという権力です。その武器、権力の力を信じて闘ってみてください。 ぜったいに勝てないと思っていたボッタクリタクシーとの闘いに勝てるかもしれませんよ。
死のプログラムがなくて個体がずっと生きていると、子孫はエラーのある遺伝子ばかりになってしまい、種が生きのびる可能性が減る。種のために個は死ななければならないのだ。これが私たちが死ななければならない理由である。
はじめたばかりの初心者は、この際、自分を風よけにつかってもらおう。そして自分より弱い人を牽引してあげよう。その献身さが「風よけ」認定されて、仲間に入れてもらえるようになるだろう。冬の友こそ真の友なのだ。
全身マッサージなどしてもらうときに粉瘤もちの人は注意してください。あまり強く揉みしだかれると粉瘤は爆発します。熱をもって化膿し、コブの袋が破けて、穴から臭い汁がダラダラ流れ出します。粉瘤大爆発です。
結局、どこに住むかというのは、ロケーション、ロケーション、ロケーションなのである。敷地面積とか、新築だとか築何年の家とか、そういうことはどうでもいい。ロケーションが悪ければ、どれだけすばらしい家に住もうとも魅力的とは言えない。
はじめてのコースだどこが危険かわからないので、常に周囲に気を配りながら走ることになります。同じコースを走るデメリットは、刺激が少ないということでしょう。しかし外界の刺激がすくなければ、自分の心の奥深くにまで沈潜して、そこに刺激をもとめればいいのです。
仕事が忙しかったり、自分の生活に懸案事項があるときには、わたしにとって文学は、頭に入ってこないものなんだなあ。これがわたしにとっての文学です。文学なんてその程度のものなのです。この世界の謎を解き明かしてくれたりとか、すべての悩みを消し去ってくれる悟りの境地を教えてくれるとか、そういう幻想を抱きがちですが、そういうものはないのです。
『赤毛のアン』は、思いがけないことから子供をもつことになった女性(マリラ)の話しだと捉えることも可能です。まるで「かわいい子犬を飼ったら家族はどうなるのか実験」のようなものです。小さなアンは暗くなりがちな兄妹の生活を明るく照らし、かけがえのない存在へとなっていったのでした。
シャーロット・ブロンテは現代日本に生まれていたら、作家ではなく少女漫画家になっていたんじゃないかな、と思います。それほど『ジェーン・エア』は少女マンガに欠くべからざる要素が詰め込まれた元祖のような作品でした。
これから葬儀をやる人は、とくに「小さな祭壇なんて恥ずかしい」と感じる人は、いっそ家族葬はやめて一般葬にすることも検討していいと思います。たくさん人が来れば、香典が増えてペイできるからです。
誰でも他人のウンコの方が自分のウンコよりも臭く感じるはずです。それはつまり他人のウンコは新しい病原菌に感染する可能性があるから気をつけろ、と強烈なアラームが鳴っているからです。臭気というのは「病原菌に感染」を警告するアラームなのです。
走らずには、他のもっと大切なものが成立しない。わたしにとって走るとは、気持ちよく生きるためのベース、それがわたしにとっての「走ること」だ。 あなたにとってランニングとは何ですか?
サイクルジャージは記号です。このチームの一員ですよ、というシグナルを発しているのです。だから一番上に着ないと意味がありません。いちばん上に着てこそスイミー効果が発揮できるのです。
自分にとって最高の小説は、自分にしか書けない。私はこう思っています。最後の作品は「まだ見ぬ未来の作品」ではなく「あなたの作品」こそ選びたいのです。だから最後の一作はあなたの「その作品」を。
単一作物の栽培はそれほど難しくありません。小麦の奴隷になったといいますが、小麦だけなら難しくありません。農閑期というのは暇なんですよ。常に飢餓に追い立てられているのは狩猟採集民の方でしょう。従来の学説は間違いで、暇なのは農耕民族で、忙しいのは狩猟採集民なのではないかな?
生きていくことはたたかいだから、どんな物語でも、すべてはバトル(心の葛藤)ものなのです。少年マンガは肉体的に打ちのめされるのですが、少女マンガは精神的に打ちのめされるのです。人生を学びたいなら少年マンガよりも少女マンガを読むべきでしょう。接触系バトル漫画やバトルゲームばかりしていると、非接触プレイばかりの現実社会に適応できなくなるぞ。
私はすでに表現者であって、受け取り手ではないため、大人のつくったコンサートに我を忘れて熱狂することができないのです。だってそれは演出されたショーだから。作り手になると、創作物を昔ほど純粋に楽しめないのです。映画や芝居でも同じことになります。
日本各地に存在する農業試験場さん。これからの植物の品種改良はここじゃないでしょうかね? 「いちご」や「ぶどう」など他の植物も根粒菌を利用できるように品種改良すること。 そうすれば、たくさんの肥料を撒く必要がなくなります。痩せた土地でも作物が育つようになります。
国際線特典航空券の渡航先。JALとANA、どちらのマイルをためた方がいいのか? 2023年現在、「JALマイルをためやすい人はJAL。条件が同じ人はANA」これが結論です。「提携社特典航空券」を使ってもしょせんはJALがANAに勝てる見込みはありません。
アンクルウェイトをつけて歩くと、負荷が軽すぎて退屈だった散歩が急におもしろくなりました。見慣れた散歩道がいきなりプレイフィールドに変わったかのようです。歩くことが人生に意味づけられるとしたら、それはアンクルウェイトで重さに耐えながらの足取りのときだけではないでしょうか。
「一般的な日帰り人間ドック」の検査で、脊髄腫瘍(ガン)が確認できるか、調べてみました。臓器のガンで死んでしまったら、坐骨神経痛がいくら治ってもまったく意味がありません。腫瘍マーカー検査や、アミノインデックス・リスクスクリーニング検査を受ければ、よりガンの可能性がはっきりします。
『八月の光』で主役をはれるのは苦悩があるクリスマスです。超克のあったハイタワーは批判者にすぎず、時代の評価に耐えられる生き方をしたリーナは主人公を張ることができませんでした。とっくに解決済みの問題を、避けようもない宿命だなんて大袈裟だ、というのが本作の大欠点だといえるでしょう。
専門家と議論するとき、自分に資格がないからといって怯むことはありません。相手の資格がプレッシャーに感じるなら、資格を持つ人が書いた書物を盾にたたかえばいいのです。資格を盾に議論する人間は、資格に弱いものです。業界の大家の意見に尻尾をまいて逃げ出すかもしれませんよ。
明確な手術ミスによって下半身不随などの重大な後遺症が生じた場合、医療過誤の損害賠償請求はできます。手術前にどんな契約書、同意書を取り交わしていようとも、それが憲法、法律に違反する内容であった場合、取り交わした内容はそもそも無効なのです。
結婚式の花嫁の介添え人は、幸せな気分をおすすわけいただけるでしょうが、結婚する本人ほど幸せではありません。旅はアテンドではなく、お客として行くのがいちばんいいのです。このことだけは覚えておいてほしいと思います。
坐骨神経痛には別の理由があるかもしれない。坐骨神経痛に悩まされています。お尻が痺れる症状、自分でわかる自己診断方法。坐骨神経痛か、梨状筋症候群か坐骨神経痛になる原因はいろいろなことが考えられます。もっとも有力なのは脊柱管狭窄症、およびその一
椎間板ヘルニアも脊柱管狭窄症のひとつです。椎間板ヘルニアというのは、背骨の椎骨と椎骨のあいだにあるクッションである椎間板の中身である髄核(ゼリー状のゲル)が、椎間板の繊維輪が破れたことにより外に飛び出して、脊髄神経を圧迫することで坐骨神経痛を引き起こすという病気です。
小説『ムグケノ花ガ咲キマシタ』を読むかぎり、統一韓国は核保有国になるのではないか、という気がします。「アメリカなど強国の意志に屈服するな、韓民族よ誇りを持て。そのためには核保有国になるべきだ」というスピリットがこの小説を大ベストセラーにした要因だからです。
賞するならば、賞にあたいする人物を。将来、ノーベル文学賞は廃止され、その代わりに「ノーベル・イノベーション賞」「ノーベル・テクノロジー賞」のようなものが創設されるだろう。作家よりも、社会をよく変えた人のほうがはるかに賞に値いすると思いませんか?
『ローマの慈愛』という絵画のモチーフがあります。餓死刑に処された父親を救うために、娘が母乳を飲ませるという作品です。スタインベックは『怒りの葡萄』という物語のラストに現代アメリカの「ローマの慈愛」を持ってきました。
生きることが意味を持っていないならば、たとえ無限に子孫を残し得ても何の意味も持っていない。子どものいない女性が無意味であるとするならば、人間はその子供のためにのみ生き、その実存の意味はもっぱら次世代のうちに存ずるということであるが、各世代はこの問題を解決せずに次の世代へ押しやるに過ぎない。
死ぬ直前の文豪にしかわかりえない人生の秘儀、そんなものは「ない」のです。文豪にしか書けない「命の結論」「人間の生き方の隠された秘密」みたいなものは何もありません。それを知るために、本を読むのです。自分の死に自分が納得するために。
「イエスが裏切られて十字架の上で死ぬ」というのは定められた神の計画の一部です。そういう意味ではユダに自由意思はありませんでした。だって神の計画を実行した駒に過ぎないんですから。だれが神のプランに逆らえるでしょうか。むしろ選ばれた人だともいえます。
バックパッカーの場合、パスポートや税関、検疫、為替などに関する理解の他、出入国手続きなど得意分野が試験科目に入ってくる総合旅行業務取扱管理者の試験を受けた方が、国内旅行業務取扱管理者試験よりも合格率は上がるんじゃないでしょうか。
「高額紙幣強奪事件」海外では相手の商売人の目の前で財布を広げてはいけません。せっかく貧乏人のふりして長時間かけて値切り交渉したのに財布の中身は高額紙幣がずらりとならんでいたら相手商人に対して失礼ですし、値段交渉が振り出しに戻る可能性がありますぜ、ダンナ。
楽聖耳朶の英語学習が実を結んでいないのは、日本の英語教育が「読む」「書く」偏重で、「聞く」「話す」に重きを置いていなかったからだと思います。日本の英語教育の失敗ではないでしょうか?
「駐車の用に供する部分の面積が五百平方メートル以上ある駐車場」かつ「都市計画区域内にある」かつ「不特定多数が利用する時間貸し駐車場」これらすべてを満たす場合には、駐車場の届出がいるということでした。規制がゆるくてホッとしました。
語り継ぐにふさわしいストーリーをもつ男。劇的な生涯。その姿を見てようやくここにきてようやく男の偉大さにわたしは気づいたのです。燃える闘魂は偉大でした。みごとな生き様だったと思います。