農業や畜産業は公務員なんかよりもずっと困難で、ずっと頭脳労働だ。有権者に失礼だからではなく、バカだから辞任したのだと思う。世の中のことがよくわかっていないのだ。
書籍『市民ランナーという走り方(マラソン・サブスリー。グランドスラム養成講座)』『通勤自転車から始めるロードバイク生活』小説『ツバサ』執筆者。
生きることへの恋歌を綴っています。
「普通の人が好き」おつきあいするならば、なんら人から突き抜けた特色なんかないほうがいい。とびぬけた何者かになろうという野心なんかないタイプの方が、パートナーである女性を幸せにしてくれる可能性が高いでしょう。そういう彼女の知恵深さが、人生経験を積めば積むほどわかったのです。
【群衆パニックの恐怖】原材料が植物繊維のトイレットペーパーが、オイルショックで買い占められた理由
トレぺは植物の繊維からできています。基本的には石油製品ではないはず。それなのにどうしてオイルショックでトレぺが買い占められたのでしょうか? みんなが殺到して買い占めたらトレぺはなくなってしまいます。理性的、冷静な判断も役に立ちません。群集心理というのはこれほどまでに恐ろしいものなのです。
ウクライナ戦争をきっかけに、今、自衛の論争が盛んですが、自衛隊がかつての日本軍のイメージで戦っても、弱い弱い軍隊になっていると思います。かつての面影はまったくない、今のロシア軍のように。
若い頃の読書は、どんな生き方が描かれていても、自分もその生き方を選ぶことができるから、自分のこととして読むことができます。逆に、若く感受性が繊細すすぎると作品世界のヒリヒリした純粋さに影響されすぎて現実が辛くなる境地がありえます。本を読みましょう。
単細胞生物が寄せ集まってよくまあこんな精密な肉体ができたものだ
横隔膜には穴が開いていました。トランポリンのような一枚布ではないのですね。人体って不思議だなあ。よくまあ単細胞生物が寄せ集まってこんな精密なものができたもんだ!!
『荒野のおおかみ』は寓話です。もっと遊びたかった。恋したかった。ダンスしたかった。楽しみたかった青春。愛されたかった自分。二度と戻らない青春。一回きりの人生。果たされなかった思い。荒野のおおかみの叫び。そのことに気づいて、ケリをつけにいく物語がステッペンウルフだったのだと私は思います。
【文学至上主義】戦争やってるのに、戦争なんかまるでなかったみたいな純文学を執筆した作家
太宰治の小説なんか読んでいると、太平洋戦争やってるのに、戦争なんかまるでなかったみたいな純文学を書いていて驚いたことがあります。普通、頭上に爆弾落とされて、近所の子が戦死したりしている状況で、それは自分の文学には関係ないことだから、と完全無視できるというのは、よっぽど芸術至上主義じゃないとできることじゃないと思うのですが……。
万人に通用する理論なんてものはありません。人の傷、人の真理は個人的、具体的なものです。プライマリー理論にぴったりと合致する人がいます。そしてそうでない人もまたいるのでしょう。人の数だけ苦痛と解放の闘争があるのです。
私たちがこうして注視することが、侵略者の行動を抑制するというのならば、それを成し遂げたのはゼレンスキー大統領ではなく、ウクライナ美女です。世界に見られることがウクライナを救うというのならば、国を救ったのはウクライナ美女たちです。美人が国を救うのです。
スティーブ・ジョブズはIT長者というよりも成功したヒッピーだ
スティーブ・ジョブズはIT長者というよりも成功したヒッピーだ生きているあいだにパソコンを、マウスを、USBを、ipodを、iPhoneを普及させて世界を変えたといわれるスティーブ・ジョブズ。彼のことをIT長者だと思っている人も多いと思います
それはウサギが切り株に当たったような一瞬の出来事であり、時がすすめば今の自分の思想も世の中と会わなくなり古くなってしまう日が来る。韓非子も君主に近づいて、そして殺されてしまいました。「君子あやうきに近寄らず」も韓非子だったらよかったのにね。
なんか腰のあたり、お尻の割れ目の上部が痒いと思って皮膚科の医者に診てもらったら、「脂漏性皮膚炎」だと診断されました。最初に聞いた時には「白性皮膚炎」(しろせいひふえん)と聞き間違えました。皮膚がポロポロに剥がれて白くなっているから白性皮膚炎なのかと(笑)。
内科の内というのは、内臓の内。外科の外というのは、本流(医術の王道であった内科)の外という意味です。元々は差別的につかわれていた言葉だと思いますが、それがそのまま定着してしまいました。でも言葉なんてただの発音だから、気にすることはありません。
花粉症だから海外移住したい。いいえ、外国にも花粉症はあります。
花粉症だから海外移住したい、という人がときどきいますが、そんなに単純な話ではありません。その国の植物分布とあなたのアレルゲン次第です。海外でも花粉症になることがありますからご注意ください。
韓国の安いラブホテル。下は酷暑、上は極寒という恐怖のサンドイッチでした。蒸し焼きのようになって朝をむかえました。あのような睡眠体験をしたのははじめてでした。
天然ボケ妻語録。えだだれさくらってどんな桜? 「オヤジィ!」ヤクザの親分の息子
おれぁヤクザじゃないからさ。詳しくは知らないけど、可愛がってもらったいた子分は親分さんのことをオヤジって呼ぶんじゃないの?
韓国には、異端といってもいいぐらい本来のものとはかけ離れた「キリスト教」もあるようです。教祖が自分は救世主だと自称してシャーマンのように神がかりになるような新宗教や、キリストの生まれ変わりだと主張するような新宗教の信者が韓国人キリシタン30%の中にカウントされてしまっているのです。
人間が短い生涯の中で富士山の噴火を見ることは稀。見たくもあり、見たくもなし
同時代の作品でも、外国の小説は風俗が違うので、SFやファンタジーのように読めたりするのですが、日本の小説だとそうはいきません。富士山の噴火を人間が短い生涯の中で見ることができる人は稀です。見たくもあり、見たくもなし、ですね。
コロナ禍で、なるべく人と人が接しないようにと、いろいろなことが変わりました。ついでに花粉症の薬ぐらいは処方箋なしで去年と同じ薬を出してもらえるようになるとありがたいと思います。花粉症って厳密には病気じゃありません。病気じゃないもののために医院で待たされて新型コロナウィルスにかかったのではわりにあいませんぜ。
株はギャンブル。『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方2015』
人の知らない情報をもっていれば、小説家になれます。殺人のマニュアル本は出版できませんが、探偵小説なら微に入り細を穿ったリアルな描写で殺人を描いても何の問題にもならず、それどころかかえって高評価されることもあります。脱税の指南書は書けませんが、小説なら書けるし、むしろ褒められもするはずです。
ザ・ダルマ・バムズ(禅ヒッピー)。生きる意味をもとめてさまよう
出かける時がやってきたのだ。リュックサック大革命を起こしてやるのだ。禅の風狂の精神で放浪するんだ。「世界中をリュックサックを背負った放浪者で埋めつくしてやるのだ」ビートニクのこの願いはヒッピーたちによって程度実現しました。
たとえば「ロードバイクに名前をつける」というような記事は、プロのライダーにはなかなか書けません。なぜならプロのレーサーの機材は所属チームからの提供です。吟味の上で選択した機材ではありませんし、そもそも自腹購入ではありません。いい機材があれば次々と乗り換えていくので「愛着」なんて湧いてる暇もないからです。
自転車バイクパッキング・キャンプ・ツーリング(ロングライド)のやり方
バックパッキングツーリング。私の場合、もっともダメージが来たのが手のひらでした。ロングライドしていると手のひらへの振動衝撃も半端ないものとなります。手の骨は小さく、普段から鍛えてもいないので、手が痛くてこれ以上乗りつづけられない、という状況に遭遇しました。予想外でした。
【羞恥心】ゼスチャーという身振り手振りの限界を思い知った話し
どうやって下痢をゼスチャーすればいいでしょうか? 和式便所に座った格好をして、お尻の下から何かが噴出しているように、手でゼスチャーすれば、たぶん下痢だということはわかってもらえただろうと思います。しかし恥ずかしくてできないゼスチャーというものがこの世にはあるのですよ。
【医者ぎらい】「風邪かどうかは、これから診察しておれが決めるんだ」と怒る先生
診察室があけっぴろげで、患者のプライバシーがまったくない診療所近くの町医者に行くと、こういうことってありませんか?診察室があけっぴろげで、患者のプライバシーがまったくない診療所が?私のまわりの町医者の診察室は、こういうタイプばかりです。紹介
漫画家・松本零士は『宇宙戦艦ヤマト』『銀河鉄道999』の原作者だといえるのか?
こんな電車で旅したくねえよ(笑)。そう思わされるのが漫画『銀河鉄道999』です。漫画原作では例外の事件ばかりが描かれます。平穏な旅がありません。物語っていうのはこういうものなんですね。例外集、トラブル集といったほうがいいでしょう。例外を描くのが物語なのです。
旅行者って、ポンチョとして売られていても買わないけれど、ジュラバだと言われると買っちゃうんですよ。そういう習性なんです。地元で買えるものは買わないけれど、旅先でしか買えないと思うとつい買っちゃうんです。
ロードバイクを趣味にする人は、最初は完成車を買うと思いますが、熟練するにつれて部品を購入して自分で組み立てるようになります。ですから少しづつ部品の名前をおぼえていきましょう。
「はいよ。チョッパル」妻の肩をとんとん後ろから叩いて、そういって手袋を渡してくれたのです。 なんて親切な人なんでしょう……じゃねえ!! チョッパルってなんだ!? チョッパルというのは豚の足のこと。草履をはいた日本人への蔑称なのです。
ロシアはアメリカに「ウクライナがNATOに入れないようにしてくれ」と依頼したそうです。しかし「入る入らないの意志は主権国家の自由だから」と断られたということです。だったらロシアもNATOに入っちゃえばいいじゃん。「入る入らないの意志は主権国家の自由」なんだからアメリカだって嫌とは言えないでしょうよ。
偉そうに? どうして無名の一般市民が世界史に残る文豪・偉人を上から目線で批評・批判できるのか?
認識とか、発想とかで、人生はそう変わりません。だから相手が世界的文豪でも、しょせんは年下の小僧の書いた認識に対して、おまえはわかってないなあ、と言えてしまうのです。それが年上だということです。涅槃(死。悟りの境地)に近いということなのです。
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農業や畜産業は公務員なんかよりもずっと困難で、ずっと頭脳労働だ。有権者に失礼だからではなく、バカだから辞任したのだと思う。世の中のことがよくわかっていないのだ。
スポーツ部活動に熱中した方が、受験勉強に熱中するよりも人生にいい影響を及ぼす、というのをいちおうの結論とさせていただきます。しかし、やっぱり人によるでしょう。やりたいほうをやればいいのです。やりたいことをやらないことが、一番よくないことです。
タクシーはいくらでもいるのです。ヤバいと思ったら、別のタクシーに乗りましょう。それがお客様という権力です。お金を払う方に選択権があるのです。地の利は向こうにありますが、お金という武器はこちらが持っているのです。お金を払う方が偉いのですよ。それがお客さまという権力です。その武器、権力の力を信じて闘ってみてください。 ぜったいに勝てないと思っていたボッタクリタクシーとの闘いに勝てるかもしれませんよ。
死のプログラムがなくて個体がずっと生きていると、子孫はエラーのある遺伝子ばかりになってしまい、種が生きのびる可能性が減る。種のために個は死ななければならないのだ。これが私たちが死ななければならない理由である。
はじめたばかりの初心者は、この際、自分を風よけにつかってもらおう。そして自分より弱い人を牽引してあげよう。その献身さが「風よけ」認定されて、仲間に入れてもらえるようになるだろう。冬の友こそ真の友なのだ。
全身マッサージなどしてもらうときに粉瘤もちの人は注意してください。あまり強く揉みしだかれると粉瘤は爆発します。熱をもって化膿し、コブの袋が破けて、穴から臭い汁がダラダラ流れ出します。粉瘤大爆発です。
結局、どこに住むかというのは、ロケーション、ロケーション、ロケーションなのである。敷地面積とか、新築だとか築何年の家とか、そういうことはどうでもいい。ロケーションが悪ければ、どれだけすばらしい家に住もうとも魅力的とは言えない。
はじめてのコースだどこが危険かわからないので、常に周囲に気を配りながら走ることになります。同じコースを走るデメリットは、刺激が少ないということでしょう。しかし外界の刺激がすくなければ、自分の心の奥深くにまで沈潜して、そこに刺激をもとめればいいのです。
仕事が忙しかったり、自分の生活に懸案事項があるときには、わたしにとって文学は、頭に入ってこないものなんだなあ。これがわたしにとっての文学です。文学なんてその程度のものなのです。この世界の謎を解き明かしてくれたりとか、すべての悩みを消し去ってくれる悟りの境地を教えてくれるとか、そういう幻想を抱きがちですが、そういうものはないのです。
『赤毛のアン』は、思いがけないことから子供をもつことになった女性(マリラ)の話しだと捉えることも可能です。まるで「かわいい子犬を飼ったら家族はどうなるのか実験」のようなものです。小さなアンは暗くなりがちな兄妹の生活を明るく照らし、かけがえのない存在へとなっていったのでした。
シャーロット・ブロンテは現代日本に生まれていたら、作家ではなく少女漫画家になっていたんじゃないかな、と思います。それほど『ジェーン・エア』は少女マンガに欠くべからざる要素が詰め込まれた元祖のような作品でした。
これから葬儀をやる人は、とくに「小さな祭壇なんて恥ずかしい」と感じる人は、いっそ家族葬はやめて一般葬にすることも検討していいと思います。たくさん人が来れば、香典が増えてペイできるからです。
誰でも他人のウンコの方が自分のウンコよりも臭く感じるはずです。それはつまり他人のウンコは新しい病原菌に感染する可能性があるから気をつけろ、と強烈なアラームが鳴っているからです。臭気というのは「病原菌に感染」を警告するアラームなのです。
走らずには、他のもっと大切なものが成立しない。わたしにとって走るとは、気持ちよく生きるためのベース、それがわたしにとっての「走ること」だ。 あなたにとってランニングとは何ですか?
サイクルジャージは記号です。このチームの一員ですよ、というシグナルを発しているのです。だから一番上に着ないと意味がありません。いちばん上に着てこそスイミー効果が発揮できるのです。
自分にとって最高の小説は、自分にしか書けない。私はこう思っています。最後の作品は「まだ見ぬ未来の作品」ではなく「あなたの作品」こそ選びたいのです。だから最後の一作はあなたの「その作品」を。
単一作物の栽培はそれほど難しくありません。小麦の奴隷になったといいますが、小麦だけなら難しくありません。農閑期というのは暇なんですよ。常に飢餓に追い立てられているのは狩猟採集民の方でしょう。従来の学説は間違いで、暇なのは農耕民族で、忙しいのは狩猟採集民なのではないかな?
生きていくことはたたかいだから、どんな物語でも、すべてはバトル(心の葛藤)ものなのです。少年マンガは肉体的に打ちのめされるのですが、少女マンガは精神的に打ちのめされるのです。人生を学びたいなら少年マンガよりも少女マンガを読むべきでしょう。接触系バトル漫画やバトルゲームばかりしていると、非接触プレイばかりの現実社会に適応できなくなるぞ。
私はすでに表現者であって、受け取り手ではないため、大人のつくったコンサートに我を忘れて熱狂することができないのです。だってそれは演出されたショーだから。作り手になると、創作物を昔ほど純粋に楽しめないのです。映画や芝居でも同じことになります。
日本各地に存在する農業試験場さん。これからの植物の品種改良はここじゃないでしょうかね? 「いちご」や「ぶどう」など他の植物も根粒菌を利用できるように品種改良すること。 そうすれば、たくさんの肥料を撒く必要がなくなります。痩せた土地でも作物が育つようになります。
国際線特典航空券の渡航先。JALとANA、どちらのマイルをためた方がいいのか? 2023年現在、「JALマイルをためやすい人はJAL。条件が同じ人はANA」これが結論です。「提携社特典航空券」を使ってもしょせんはJALがANAに勝てる見込みはありません。
アンクルウェイトをつけて歩くと、負荷が軽すぎて退屈だった散歩が急におもしろくなりました。見慣れた散歩道がいきなりプレイフィールドに変わったかのようです。歩くことが人生に意味づけられるとしたら、それはアンクルウェイトで重さに耐えながらの足取りのときだけではないでしょうか。
「一般的な日帰り人間ドック」の検査で、脊髄腫瘍(ガン)が確認できるか、調べてみました。臓器のガンで死んでしまったら、坐骨神経痛がいくら治ってもまったく意味がありません。腫瘍マーカー検査や、アミノインデックス・リスクスクリーニング検査を受ければ、よりガンの可能性がはっきりします。
『八月の光』で主役をはれるのは苦悩があるクリスマスです。超克のあったハイタワーは批判者にすぎず、時代の評価に耐えられる生き方をしたリーナは主人公を張ることができませんでした。とっくに解決済みの問題を、避けようもない宿命だなんて大袈裟だ、というのが本作の大欠点だといえるでしょう。
専門家と議論するとき、自分に資格がないからといって怯むことはありません。相手の資格がプレッシャーに感じるなら、資格を持つ人が書いた書物を盾にたたかえばいいのです。資格を盾に議論する人間は、資格に弱いものです。業界の大家の意見に尻尾をまいて逃げ出すかもしれませんよ。
明確な手術ミスによって下半身不随などの重大な後遺症が生じた場合、医療過誤の損害賠償請求はできます。手術前にどんな契約書、同意書を取り交わしていようとも、それが憲法、法律に違反する内容であった場合、取り交わした内容はそもそも無効なのです。
結婚式の花嫁の介添え人は、幸せな気分をおすすわけいただけるでしょうが、結婚する本人ほど幸せではありません。旅はアテンドではなく、お客として行くのがいちばんいいのです。このことだけは覚えておいてほしいと思います。
坐骨神経痛には別の理由があるかもしれない。坐骨神経痛に悩まされています。お尻が痺れる症状、自分でわかる自己診断方法。坐骨神経痛か、梨状筋症候群か坐骨神経痛になる原因はいろいろなことが考えられます。もっとも有力なのは脊柱管狭窄症、およびその一
椎間板ヘルニアも脊柱管狭窄症のひとつです。椎間板ヘルニアというのは、背骨の椎骨と椎骨のあいだにあるクッションである椎間板の中身である髄核(ゼリー状のゲル)が、椎間板の繊維輪が破れたことにより外に飛び出して、脊髄神経を圧迫することで坐骨神経痛を引き起こすという病気です。
小説『ムグケノ花ガ咲キマシタ』を読むかぎり、統一韓国は核保有国になるのではないか、という気がします。「アメリカなど強国の意志に屈服するな、韓民族よ誇りを持て。そのためには核保有国になるべきだ」というスピリットがこの小説を大ベストセラーにした要因だからです。
賞するならば、賞にあたいする人物を。将来、ノーベル文学賞は廃止され、その代わりに「ノーベル・イノベーション賞」「ノーベル・テクノロジー賞」のようなものが創設されるだろう。作家よりも、社会をよく変えた人のほうがはるかに賞に値いすると思いませんか?
『ローマの慈愛』という絵画のモチーフがあります。餓死刑に処された父親を救うために、娘が母乳を飲ませるという作品です。スタインベックは『怒りの葡萄』という物語のラストに現代アメリカの「ローマの慈愛」を持ってきました。
生きることが意味を持っていないならば、たとえ無限に子孫を残し得ても何の意味も持っていない。子どものいない女性が無意味であるとするならば、人間はその子供のためにのみ生き、その実存の意味はもっぱら次世代のうちに存ずるということであるが、各世代はこの問題を解決せずに次の世代へ押しやるに過ぎない。
死ぬ直前の文豪にしかわかりえない人生の秘儀、そんなものは「ない」のです。文豪にしか書けない「命の結論」「人間の生き方の隠された秘密」みたいなものは何もありません。それを知るために、本を読むのです。自分の死に自分が納得するために。
「イエスが裏切られて十字架の上で死ぬ」というのは定められた神の計画の一部です。そういう意味ではユダに自由意思はありませんでした。だって神の計画を実行した駒に過ぎないんですから。だれが神のプランに逆らえるでしょうか。むしろ選ばれた人だともいえます。
バックパッカーの場合、パスポートや税関、検疫、為替などに関する理解の他、出入国手続きなど得意分野が試験科目に入ってくる総合旅行業務取扱管理者の試験を受けた方が、国内旅行業務取扱管理者試験よりも合格率は上がるんじゃないでしょうか。
「高額紙幣強奪事件」海外では相手の商売人の目の前で財布を広げてはいけません。せっかく貧乏人のふりして長時間かけて値切り交渉したのに財布の中身は高額紙幣がずらりとならんでいたら相手商人に対して失礼ですし、値段交渉が振り出しに戻る可能性がありますぜ、ダンナ。
楽聖耳朶の英語学習が実を結んでいないのは、日本の英語教育が「読む」「書く」偏重で、「聞く」「話す」に重きを置いていなかったからだと思います。日本の英語教育の失敗ではないでしょうか?
「駐車の用に供する部分の面積が五百平方メートル以上ある駐車場」かつ「都市計画区域内にある」かつ「不特定多数が利用する時間貸し駐車場」これらすべてを満たす場合には、駐車場の届出がいるということでした。規制がゆるくてホッとしました。
語り継ぐにふさわしいストーリーをもつ男。劇的な生涯。その姿を見てようやくここにきてようやく男の偉大さにわたしは気づいたのです。燃える闘魂は偉大でした。みごとな生き様だったと思います。