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場面緘黙症 https://www.bamenkanmoku.work/

学校で話せない場面緘黙症の子供の気持ちや出来事を書いています。先生へのメッセージ:子供に無理に人前で話させないでください。自信を持たせてください。信頼関係を築いてください。

Selective mutism
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2019/02/27

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  • 中学、発言が消える

    中学校はうちの小学校と隣の小学校が合体してできている。友達ができた。何人もできた。なぜか隣の小学校出身の女の子たちばかりである。皆、とてもいい子たちだ。もしかしたら、最初から隣の小学校に通っていたら、順風な小学校時代を過ごせたんじゃないかと思う。確かに、うちの小学校出身の奴は意地悪な女、男が多かった。 今まではクラスの友達から名字で呼ばれていたが、初めて名前で呼ばれるようになった。 それよりも、なんと言っても、発言というシステムが無くなっているではないか! 授業は先生に指されて、答えればいいので、自ら手をあげて発言する必要はなかった。 発言さえなければもうこっちのもんだ。 ストレスの無い学校生…

  • 完全に心閉ざした小6

    6年生はクラス替え無し。先生も発言カードのK先生に受け持たれる。6年生になっても、発言カードは続いたが、そのうち、発言しなくても帰りの会でどうせ一言いうのだから、と発言する努力さえしなくなってしまった。先生は私の考えに気づいたのだろうか。6年生の時は発言カードをやめてしまう。そして、とんでもないものを持ち出してきた。 表を貼り出した。クラス全員の名前が書いてある。1日1回発言した人は自分の欄に丸いシールを貼る。 公開処刑か! 今度はかなりヤバい。今度は発言しなかったという歴史が毎日貼りだされる。 なんということだ。 私は先生に腹が立っていたので、これ以降授業中の発言を一切しなくなった。他の子は…

  • 暗黒の小5 緘黙また始まる

    5年生はクラス替えがあったので、新しいメンバーからのスタートである。担任は恐怖の「発言カード」を考案した先生だ。この時に、もし他の先生に受け持たれていたら、私は自分が緘黙症であるとのちに自覚することもなく、またクラスで意地悪されることもなく、心に傷を負うこともなかっただろう。 5年生授業初日は、あたらしいクラスメイトの視線が気になってしまい発言できなくなってしまう。そして、発言できなかった人は私一人だけ。1日1回発言をしないといけない。これを効率よくするためにK先生は発言カードを考案したのだ。自分の名前が書いてある細長いカードが壁にかかっている。最初は黄色であるが、発言をすると、それをひっくり…

  • 2年生 まだ緘黙続く

    やっと慣れてきた男の先生から離れ、2年生は新しい小学校で始まる。今度の担任は般若のお面をかぶったような、威圧感のある顔をしている30代半ばの女の先生だ。また、名簿順で私の席は先生の真ん前だった。ある日、般若先生は生意気なことを言った男の子を思いっきりビンタしてしまい、私は恐怖のあまりたじろいでしまった。そうなったらもうダメである。とてもこの先生には、なつかない。 家庭訪問の日、般若先生は母に、 「美代さんは人形のような子です。みんなが笑っている時でも、一人笑っていません。」 母はそうとう腹立ったらしい。今になってもまだ言う。 「2年の時のあの先生だけは嫌い。」と。 ちょっとしたハプニングがおこ…

  • なんとか過ごした4年生

    3年から4年に上がる時は、クラス替えは無かったので、4年生には同じメンバーのまま進級した。だが、先生は変わった。大学卒業したての女の先生がやってくるとみなソワソワしていた。K先生は若くて、明るくて、よくしゃべり、すぐにみんなの人気者になった。クラスの子とは3年生の時からのメンバーで、おばあちゃん先生が私を上手くクラスに溶け込めるように仕組んでくれていたため馴染んでいた。おばあちゃん先生は私を皆の前で発言させることを全くしなかったため、クラスの皆も私が緘黙ということに気づいていなかったに違いない。それどころか、おとなしく努力家の私を皆の前でよくほめてくれた。3年生3学期にはクラスの女子半分以上と…

  • 教室から忽然と消える。

    ある日、教室から急にいなくなり、それはそれは先生を驚かせてしまった。 朝登校し、教室についてランドセルを開けたら、なんと給食セットがないのだ。給食セットとはマスクとプラスチックのコップが巾着袋の中に入っているものである。私は、マズイと思い、そのまま家に取りに行った。学校から家は遠い。子供の足で30分はかかる。私は半べそかきながら、家へ向かった。 「教室に行ったら、ランドセルだけあって、本人がいないんですよ。クラスの子が、栗林さんは帰ったと言ってるんです。」 そう先生から母に電話が来たらしい。 家に着いたら、母が「どうしたの?」 「マスク忘れた。」 大人たちは私が何で家に帰ったのかわからないでい…

  • 普通になれた3年生

    3年生に上がるときに、クラス替えがあり、担任の先生も変わった。 今度の先生は斉藤先生と言って、定年間近のおばあちゃん先生だ。 国語の時間、朗読をするのに、立ち上がったのはよいが、頭がパニックになってしまい、 (あれ、読むのはここからでいいんだっけ?どうしようどうしよう。)と思っていった。(よし、読むぞ。よし、読むぞ)自分を勇気づけていたが、そうしているうちに斉藤先生は「いいよ。座りなさい。」とやさしく言ってくれた。それ以降、先生に大勢の前で本を読むように言われたことはない。先生は私の病気をきっと感づいていたのだろう。 自由学習を採点してもらうために斉藤先生の机まえで並んだとき。 先生は私のノー…

  • 小1 緘動 再び

    小学校へ上がり、事もあろうに担任は男の先生だった。私は男の人とは絶対に話せなかった。そして、席は先生の真ん前だった。たまたま名簿順でその場所になってしまった。小1の1学期はなぜか粘土の制作が多かった。図工の時間だけではなく、自由時間にも粘土制作をしていた。私は男の先生の目の前の席で、また緘動状態。粘土を机の上に置いたまま、身動き取れないでいる。しかも1回だけではない。毎回毎回何もせず、粘土の目の前でじっとしている。ある日、「先生、栗林さんが何もしてません。」と席の近くの男児が言った。こういう余計なこと言うのはいつも男児である。そしたら、先生は、「いい、いい。」と返事していた。先生は毎回何もしな…

  • 幼稚園卒業式 ハプニング

    とうとう幼稚園の卒業式だ。その日は卒業する年長全員が体育館に椅子を運んで、卒業式のリハーサルをしていた。120人ほどの児童は皆椅子に座っている。卒業証書授与の練習で、名前を呼ばれたら返事をし、ステージに上がり、証書を受け取る真似をし、終わった人から教室へかえるということをやっていた。 「栗林美代」 「.......」 またしても声が出ない。 先生は3回程私の名前を呼んでくれただろうか。近くの児童も男の子も、「栗林、呼ばれてるぞ。」と言っている。そのうち、先生は諦めて、次の人の名前を呼んだ。終わった人から教室へかえるので、当然私一人だけ体育館にポツンと残されてしまった。 「何やってんのよ!ギャァ…

  • 疑問。

    初めて、アレ?と思ったのは、19歳の時。当時の友人が 「わたしのいとこが幼稚園で全然しゃべらないんだって。家では普通にしゃべるし、私にも普通に話す。この子の親は明日、心配だから児童心理学センターへ連れて行くんだって。」 まさに私。世の普通のお母さんたちは心配するものなのか。 児童心理学なんてさすが東京だ。 生まれ育った地方都市から出てきて、1年ほどたったとき、そんな話を聞いた。 そこで「私も同じだったよ。」と言えばよかったのだろうか。その時の私はカミングアウトする勇気がなかった。やはり変な人と思われたくなかったからだ。 それまで自分のことを「極度の恥ずかしがりや」だと思っていた。緘黙、緘動の理…

  • 学芸会も喋れず。

    もうすぐ学芸会である。配役を決めるのに、先生を中心に皆の目は輝いていた。劇は「シンデレラ」だ。王子様やシンデレラ、継母などなどだんだんと役が決まっていた。その間にも先生は 「美代ちゃんは何の役がやりたい?」と何回か聞いてくれたが、私は答えられなかった。 (お姉さんの役をやりたい。)何回も言いたかったが、言えなかった。 だけど、ちょうどベルが鳴る前に、先生がもう一度聞いてきたので、 「お姉さんがいい。」と答えた。 先生は「えーっと、お姉さん役はもう決まっちゃているね。」と言ったが、 お姉さん役2人のところを、3人に変更してくれて、私はお姉さん役になれた。 教室での練習。お姉さん3人が登場。私は3…

  • 家では普通。

    幼稚園の中村先生は本当に本当にやさしい先生だった。幼稚園で話さない、動かない、友達もできない私を心配して、ある日、クラスの女の子を一人家に連れてきてくれた。 私は若干緊張したが、家にあったおもちゃをその子に「こうやって遊ぶんだよ。」などと言って、妹と一緒に3人で遊んだ。中村先生は「少し安心しました。」と言った。母も「そうでしょう。家では話すんですよ。」と少しも私の幼稚園での態度を心配しない。「家でできるんだから、学校でもできるはず」これが私の母のスタンスだ。 母の日間近。幼稚園では「お母さんの似顔絵を描いて、母の日にプレゼントする」というイベントのため、皆一生懸命お母さんの似顔絵を描いていた。…

  • 緘黙人生のはじまり。

    幼稚園年中の入学式。この日がこれから長く続く緘黙人生の初日だ。入学式が終わった後、園児と保護者達はそれぞれの教室へ移動した。そこで、担任の先生のお話。そのあと、「むすんでひらいて」を手遊び付きで皆で歌うことになった。 できない。手が出ない。動かない。歌なんてなおさら歌えない。 私以外の園児は皆「むーすーんーで、ひーらーいーて」元気よく歌い、手遊びをしている。 私は、教室の横にズラーっと並んだ保護者達の視線が気になり(皆が私を見ているようで)、緘黙どころか緘動状態になってしまった。 そのうち、先生がやってきて、私の手をつかみ、グーをさせたりしたが、私の手はグーになったら、グーになったで、そのまま…

  • 小5の担任 恐怖の2年間。

    ふと、思い出す。あの小5、6年生の2年間は何だったのだろうと。幼稚園入学当初から、幼稚園では話せない子、小学校へ入学しても話せない子として、静かに学校生活を送っていた。たまにクラスの男の子から「こいつ、しゃべんねー。」など言われることはあっても、傷つくほどではなかった。それが小5から変なあだ名をつけられ、クラス全体が敵に回ったよう。それまでたまに話していた友達も話してくれなくなり、消しゴムにいたずらもされた。なんで、この時期だけ?小5、6なので、難しい年ごろというのもあるが、実はこの時の担任が、「発言カード」というものを考案し、その日1回でも発言したら、カードを裏返して、発言できなかった人は帰…

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