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  • 天動説

    コペルニクスやガレリオ.ガレリイやケプラーなどにより、地動説が説かれ太陽系の中心には太陽が座し、地球はその周りを廻っているという事実は、21世紀の世の中では子供でも知っていることであり.今更[天動説]など論議に値しないと思っているでしょうが、世の中を見渡せば天動説支持者が今でも溢れているのではないでしょうか、ましてカソリックが正式に地動説を認めたのも21世紀に入ってからであり(進化論はまだ認めてないみたいですけど.)単なる感覚的表現としての[日はまた昇る]ではなく、自分達を中心とした他力の運行現象により、災厄や御利益がもたらされると説く信仰宗教や新興宗教などは自分達や得体の知れない神仏や霊力を…

  • 心の栄養素

    心の栄養素一切皆苦他の宗教.信仰と言われるものが、恩恵.幸福.救済.守護.愛やら欲望や願望の成就を主張して説いているのに対し、何故、仏教だけは生きるとは苦しみ(ドゥッカ)である…と、人が忌み嫌う苦(ドゥッカ)を掲げて説かれているのか…それは苦も楽も実は一如なものであり、ただ捉え方の問題なのだよ…と説いているのだと言え、感覚的な楽とは、心は汚し.直ぐに飽き.更なる刺激を求めて苦しみと不満の中を暮らす事となる酔っ払いの酒や中毒患者の麻薬のようなものであり、真に自分を高め.育てる[心の栄養素]でもあり智慧の泉でもあるものは苦(ドゥッカ)なのだから…世間では、心の栄養素とは知識や情報とか教育や経験だと…

  • 色々在ってそれでいい

    出世した宗教者が、多少とも俗世の政治っぽい話題を取り上げるのは躊躇われたが、まあ.たまには良いかと上程しましたが、国民性を見て、悪意など微塵もなくとも、付和雷同しやすい質は歪めないと思っている…生命も微生物から人間までの各階層(六界)という多様性に担保されているのです…人間界の中でも、汎ゆる心処という多様性に担保されていて、必ず極悪な人から.強欲な人.愚かな人.暴力的な人.小賢しい人.理性的な人.慈悲深い人など各階層(六界)の人が一定割合で存在するのですから…もし微生物でも.植物でも.動物でも.何れかが滅べば、我々人類も他の生命も存在できずに滅びる運命の下に生きているのであり、他の生命、他の要…

  • 依り処(精神的支柱)

    世における、無数なる形態あるものとしての、諸々の苦しみは、心の依り処(依存の対象)という因縁から発生する…彼が正に[在るがままに]知ることなく、心の依り処を作るなら、彼は愚か者であり、繰り返し、自ら苦しみへと近づき行く…それ故に[在るがままに]覚知している者となり.苦しみの出生の起源を随観する者となり.無常な心の依り処を作らないように在れ… 人間は本質的には無明(盲目的.無知)な状態でに生まれついているのです… 生存の素因でもある煩悩(存在欲)は、盲目的に、生きていたい.存在し続けたいと、無常なものにも三毒(貪嗔痴)を伴って依り処(精神的支柱)として依存したいと渇望するのですから… 成長するに…

  • エネルギーの流れ

    私.自分という意識により心は汚れ…私.自分という意識が心を貧しくさせてゆく…私.自分という意識により人は争い…私.自分という意識により世界を分断する…私.自分の絡まない善こそが真の善であり…私.自分の絡んだ善とは偽善なのだから…私も自分を指すのに、自分は.私は.と言うが、そこに自我意識は存在しない…自我の妄想に侵されない為には、心を統制して.一瞬々々.物事に没入してゆくだけ…自我の妄想に誑されないためには、自分とは変化しながら移ろいゆくエネルギーの流れに過ぎないのだと気付くだけ…昨日、私の皮膚としてあったものは既に流れ去り、今日は今日の皮膚がここに在り…昨日、私の心としてあったものは既に朽ち果…

  • 大法輪

    仏教の象徴として[大法輪]があります…そして多くの仏教宗派でもよく描かれたり用いられ.新興宗教や今も世間を騒がしているカルト集団の鸚鵡系や、法輪の言葉から連想されるのが大法輪は掲げてませんが気功集団からカルト仏教集団へと変節した中華系の法輪功などがありますね…では何故、大法輪を仏教の象徴的シンボルとするのかと言えば、色々な見解はあるでしょうが、中でも確かなものとしては①に人間というものを荷馬車に喩えて説く処から象徴化された…②に仏の教えの実践に於いて欠かす事が出来ない八正道を象徴化している…③に仏教で涅槃(ニルヴァーナ)へと至る修養項目(七科三十七道品)を法輪に擬えて、大悟(涅槃)と絶対真理の…

  • 最新 如来品語録

    ■暑中お見舞い申し上げます…毎日.暑い日が続きますが、皆さん.無理をなさらずに熱中症にも気を付けて元気にお過ごし下さることを願って居ります…托鉢僧は、雨安居.雪安居はしますが、夏安居.冬安居はしませんから、拙僧も相も変わらず上野不忍口にて.辻に立ち托鉢して居ります…諸行無常な世の中なれば…燃え立つようなこの暑さも、今の一時期しか味わえない大切な瞬間なれば.味わい尽くさんとぞ心は踊り、湧き出る汗に生を実感し.頬うつ風に涼を味わい感謝しながら、立って居ります…この夏の暑さが秋の収穫へと繋がり、美味しく食を紡ぐことが出来ることに感謝しながら、季節の寒暖などに捉われることもなく、天空を風の如く流れそよ…

  • 世の潮流

    貴方の幸せとは何ですか?何に喜びを感じているのですか?人生を.煩悩(存在欲)の欲望が引き起こす衝動に従って、貪瞋痴(三毒・貪欲.瞋恚.痴愚)の炎に焙られながら、無明という暗黒の闇の中を手探りで盲目的に恐怖と迷いと儚さに抗いながら、所有により感じる.一時的で短命で無常な喜びや幸せを救いとして、膨大な苦と不満の中を生きてゆく事が、果たして本当に価値ある生き方なのでしょうか?…本当に幸せな人生なのでしょうか?…皆もそんな潮流の中を生きているのだから、しかたのない事なのでしょうか?その方向には本当の喜びや幸せなど無いのではないか?と、思いませんか?所有する事により得られる一時的で短命で無常な喜びや快感…

  • 三大本質

    [仏教(仏の教え)とは何か?]という言語では語り切れず…感覚でも捉え切れず…思考でも認識し得ないテーマを.少しでも仏教の本質を理解して頂こうと敢えてしたためてみた…それは言語というものも感覚というものも思考というものも、本質的には.世界(全体性)を分断化.部分化して断片化したものに焦点(フォーカス)を当てたものに過ぎず、決して世界や実相や真実は言語や感覚や思考では捉え難いものであり、表現し難たいものなのです…故に最終的には.自分にとって世界とは.実は色受想行識(五集合要素)であると気付くのです…それは[味覚]で言えば、その味わいを表現し得る言葉も感覚も思考もなく、ただ旨いか.不味いか表現するし…

  • 悪貨は良貨を駆逐する

    [グレジャムの法則]とも言われる[悪貨は良貨を駆逐する]とは、社会に於いて[名目上の価値]が同等と受け取られる場合、悪がはびこってゆき、善は駆逐されてゆく現象を言います。例として…[金の含有量が高い金貨]と.[金の含有量が低い金貨]とが同じ額面通貨として流通した場合、実質的価値のある[金の含有量が高い金貨]は手元にしまい込まれて、[金の含有量が低い金貨]が社会を流通するようになり.市場を支配するようにさえなってしまうという現実であり、悪が栄えると.善は滅ぼされてしまうものでもあり…まったく悪の力は侮れないものなのです…また[安物買いの銭失ない]という言葉がありますが、これは価格重視で物事を選ぶ…

  • 存在の次元

    幸せの三要素(三階建構造)でも説明しているように、堅固で安定的な幸せを実現する為には、先ず土台ともなる一階部分を頑丈に構築してゆく事が重要なのであり、一階部分(存在の次元)がしっかり構築されていれさえすれば、二階部分(絆.関係性)や三階部分(所有の次元の事物)が.たとえ無いとしても堅固で安定的な幸福(しあわせ)を得る事は出来るのです…堅牢な一階部分をもつ人が二階部分のない状態は孤独ではなく孤高であり、三階部分のない状態は清貧なのですから…逆に二階部分や三階部分をどれ程持っていようが、堅固で安定的な幸福(しあわせ)を得ることが出来ず、気を紛らわすように欲深く所有の次元の事物に執着したり魅入られた…

  • 奴隷解放

    幾度も説いて来た事ではありますが、改めて[所有の次元の事物]と[存在の次元の事物]について.お話しする必要があり.詳細は再下段↓に記載しますが、[所有]の次元の事物とは決して目的物ではなく、目的へと向かう為の便宜的な手段としての価値(付随物)に過ぎないものであり、必要以上の[所有]の次元の事物とは、恰もそれが目的物であるかのように魅入られ.錯覚させ.ある日.それに気が付いた時には、その為に失った[時間]と[存在]の次元の事物に、悔い.嘆き.哀しみ.忸怩して大切な一生を終える事ともなるものなのです… 人は誰しも幸せになりたいと渇望しながら生きています…その為に.金があれば…財があれば…と、ある意…

  • 染脳と洗脳

    洗脳と染脳とは似て真逆な性質のもの…洗脳とは、その字の如く.汚れ染まった心を洗い浄める事を言うのだが、社会では偏った知識や情報で染め上げる事を洗脳と呼んでいる…もし清き心を.たとえ偏り.邪な色であっても一色で染め上げたならば、人それぞれ.色々あってそれでよく、それも又.風情ある趣きを醸すもの…しかし現実には欲望に塗れ、煩悩(存在欲)の要求に応えながら、混濁した不浄な暗色に染め上がってゆく人が絶えず…染脳された心を洗い浄めるものは. 真実により洗い浄める洗脳である…人の心を征服するものは染脳であり. 人の心を解放するものは洗脳である. 社会ではマインドコントロールやプロパガンダにより迷信的.妄想…

  • 平安

    欲望に支配され安らぎのない心に[他人と分かち合おう]とする精神性を求める事は不可能であり、自利.見栄.傲慢.嫉妬.憎しみ.怒り.不満により.貧しい心を醸成してゆくのです…それによって業(カルマ)も深めているのです… 幸福(しあわせ)になることを望まない人など居ないにも関わらず、本当に幸せだと言える人が少ないのも、逆に言えば自分の幸福(しあわせ)を追求するあまり、却って幸福(しあわせ)を取り逃がしているからだと言えるのです…それは幸福(しあわせ)を願い.探し求めながら、幸福(しあわせ)とは何なのかさえ理解する事が出来ないからでもあるのですから…■安堵 話を別の角度から照らして見れば、当たり前の話…

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