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  • 応急処置と根治治療

    これは言い換えれば.宗教と信仰との関係性と本質についての正しい理解でもあると言えるのです…それを認識して頂くためには.先ず現在の多くの日本人が持っている[宗教]の概念を.改めさせて頂かねばならないのですが.現実を直視すれば.多くの方がお持ちの宗教イコール如何わしい信仰という概念を否定する事は到底.困難であろうとも思えるのです… どういう事なのかと言えば.宗教という言葉の.本当の語意は[宗ねとなる教え]という意味であり.皆さんが抱いている得体の知れないものへの信仰とか宗教とは異質な別次元なものなのです… そして宗ねとなる教えとは.人間が正しく.そして幸せに生きる為に.必要となる[第一の教え][核…

  • 向上一路千聖不伝学舎労形如猿捉影

    依り処 アーナンダよ、今でも、私の死後でも、此の世で[自らを島とし.自らを頼り(依り処)とし他人を頼り(依り処)とせず、法を島とし.法を拠り処として他のものを拠り処としないで在る人々がいるなら彼らこそ修行者として最も涅槃(ニルヴァーナ)に近い境地にある者である...大切なもの 自覚と感性と直感 智慧 意志 信念、啓発 克己 努力 精進 皆 既に己に具された能力権威、親愛の情、従順、協調などより、仏教真理この世界は美しい、人生は甘美である 向上一路千聖不伝学舎労形如猿捉影 真如の悟境は仏祖千聖も説きつくし伝えることができない。学者が能力をいろいろ働かせてその様子を現わそうとするのは猿が水に映る月…

  • ■ - 路傍の如来 頂乗なる仏教 多々方路傍石

  • ■ - 路傍の如来 頂乗なる仏教 多々方路傍石

  • ✨路傍の如来✨ https://lineblog.me/bongteng/

  • ✨路傍の如来✨ https://lineblog.me/bongteng/

  • 祈 り

    日々是好日人々が良い一日を過ごしますように…世の中が平和でありますように…衆生(人々.生きとし生きるものたち)が、幸せでありますように…衆生(人々.生きとし生きるものたち)の、悩み苦しみが無くなりますように… 衆生(人々.生きとし生きるものたち)の、願い事が叶いますように… 衆生(人々.生きとし生きるものたち)に、悟りの光が現れますように… 私を嫌う人々が、幸せでありますように…私を嫌う人々の、悩み苦しみが無くなりますように…私を嫌う人々の、願い事が叶いますように…私を嫌う人々に.悟りの光が現れますように… 路傍の如来 多々方路傍石 🤗上野にお越しの際は、JR上野駅不忍口に是非お声掛け下さい……

  • 祈 り

    日々是好日人々が良い一日を過ごしますように…世の中が平和でありますように…衆生(人々.生きとし生きるものたち)が、幸せでありますように…衆生(人々.生きとし生きるものたち)の、悩み苦しみが無くなりますように… 衆生(人々.生きとし生きるものたち)の、願い事が叶いますように… 衆生(人々.生きとし生きるものたち)に、悟りの光が現れますように… 私を嫌う人々が、幸せでありますように…私を嫌う人々の、悩み苦しみが無くなりますように…私を嫌う人々の、願い事が叶いますように…私を嫌う人々に.悟りの光が現れますように… 路傍の如来 多々方路傍石 🤗上野にお越しの際は、JR上野駅不忍口に是非お声掛け下さい……

  • 祈 り

    明けましておめでとうございます…本年も宜しくお願い申し上げます…そして本年が良い年でありますように…日々是好日人々が良い一日を過ごしますように…世の中が平和でありますように…衆生(人々.生きとし生きるものたち)が、幸せでありますように…衆生(人々.生きとし生きるものたち)の、悩み苦しみが無くなりますように… 衆生(人々.生きとし生きるものたち)の、願い事が叶いますように… 衆生(人々.生きとし生きるものたち)に、悟りの光が現れますように… 私を嫌う人々が、幸せでありますように…私を嫌う人々の、悩み苦しみが無くなりますように…私を嫌う人々の、願い事が叶いますように…私を嫌う人々に.悟りの光が現れ…

  • 幸せとは…

    如来は路傍の幸せ売り…[麗らかな春の日差しに照らされて 歩くが如き 歓びの日々] 路傍の如来 多々方路傍石「愚か者は.幸福を願い求めながら、いつも幸福を取り逃がす…」[人の身に生まれるのは難しく…今.命あるは有りがたし…正しい法を聴くのは難しく…如来の出現は有りがたし…人間として生まれることは尊く、今.生きている事はもっと尊い、真理を聴き.如来に出会えるのは.更に得がたき幸せである…] 悦楽は悟りへの一歩悦楽の中で智慧の悟りを得る感覚を制御した平安こそ最高の快楽である幸せを理解する事こそ. 幸せでいられる秘訣…人間が生きていくためには空気、水、食料、住まい、衣類などは欠かせません…空気がなけれ…

  • 祈 り

    日々是好日人々が良い一日を過ごしますように…世の中が平和でありますように…衆生(人々.生きとし生きるものたち)が、幸せでありますように…衆生(人々.生きとし生きるものたち)の、悩み苦しみが無くなりますように… 衆生(人々.生きとし生きるものたち)の、願い事が叶いますように… 衆生(人々.生きとし生きるものたち)に、悟りの光が現れますように… 私を嫌う人々が、幸せでありますように…私を嫌う人々の、悩み苦しみが無くなりますように…私を嫌う人々の、願い事が叶いますように…私を嫌う人々に.悟りの光が現れますように… 如来品正師 多々方路傍石

  • 涅槃(ニルヴァーナ)への道

    ●涅槃(ニルヴァーナ)への道欲望や不満.愚痴.憂い.哀しみ.怒り.苦悶といった煩悩は、自分の利得を渇望する処から生じているのです…それを正しい修養を通じて[諸行無常]の真理を覚り.この大宇宙には永遠普遍の実体も[私]という実体的存在もない事を覚らるべきなのです…そのような自覚を以って内面や外界と向き合うならば、意のままにならない世の中や思うようには運ばない人生に苦しむ事もなくなり、[自分が.私は.]といった自我意識(エゴ)は次第に影を潜めて.安らかな心が現れてくるはずなのです…正しい人生観.正しい生活.正しい修養などにより、誰でもが苦しみ(ドゥッカ)と縁を切り、安らかで悦楽に満ちた境地へと到達…

  • 一水四見

    [釈迦尊(ブッダ)の言葉] 物事は心に基づき.心を主とし.心によって造り出される…もしも汚れた心で話したり.行ったりするならば.苦しみはその人に付き従う.荷馬車を引く牛に.車輪が付いてるゆく如く… 物事は心に基づき.心を主とし.心によって造り出される…もしも清らかな心で話したり.行ったりするならば.福楽はその人に付き従う.影がその身体から離れない如く… 苦しみや悩みから脱却する為に必要なのは、対象の排除などではなく、物事を正しく見ることが大切なのですが… しかし人間にとって.物事を正しく見る事が案外と難儀であり、中々出来ないものなのです… 社会にあっても学校の中でも或いは仲間達との間に於いても…

  • 欲望の充足.心の充足

    世俗の人が喜びだと言うものを、真理を見透した如来は苦しみと言う…世俗の人が苦しみだと見るものを、真理を見透した如来は喜びと言う…どちらも.充足(満足.喜び)を求めてゆく道なのに[心の充足]と[欲望の充足]とは.実は真逆の方向の道であり、しかも[心の充足]は無明の闇を晴らしてゆくと現れる堅固な実相なのですが、[欲望の充足]は永遠に到達できない夢の国なのですから…人は誰もが充足を求めて生きています…この求めている充足とは.言い換えれば幸せ.満足.喜び.安らぎ.安定…など[スカ]への欲望ですから、通常はドゥッカ(不安定.不完全.不満.苦.悩み.心痛.迷い.悔い.憂い.哀しさ.儚さ.弱さ.脆さ.虚しさ…

  • 負のスパイラル

    ●負のスパイラル 人生とは平坦な道ばかりではなく.山もあれば谷もあるものですね…折角の人生.平坦な道ばかりを歩いているのも又.苦(ドゥッカ)なのであり、それは飽き.変化のなさ.刺激のなさ.感動のなさ.顕貴(ときめき)のなさなども苦(ドゥッカ)に他ならないのですから、例えば人が無刺激な状態に置かれた時に.果たして人間はどうなるのかという実験を過って科学者がした時に、約そ一ヶ月の内に気が狂ったり.死んでしまったそうですし、また宇宙飛行士が至極.負担のない数日間の無重力状態の時に負荷運動を欠かすと帰還し地上に降り立った時に足腰が立たなくなるそうです…例を挙げれば切りがない話なのですが、要は[苦(ドゥ…

  • 祈 り

    日々是好日、人々が良い一日を過ごしますように…世の中が平和でありますように…衆生(人々.生きとし生きるものたち)が、幸せでありますように…衆生(人々.生きとし生きるものたち)の、悩み苦しみが無くなりますように… 衆生(人々.生きとし生きるものたち)の、願い事が叶いますように… 衆生(人々.生きとし生きるものたち)に、悟りの光が現れますように… 私を嫌う人々が、幸せでありますように…私を嫌う人々の、悩み苦しみが無くなりますように…私を嫌う人々の、願い事が叶いますように…私を嫌う人々に.悟りの光が現れますように… 如来品正師 多々方路傍石

  • 如来の出世

    私たちの生活を大きく一変させて、社会.経済.娯楽.教育.文化.芸術.思想に至るまで深刻な影響を与え続けています…当たり前にあったものが脆くも崩れていくような怖さ.不安.ストレスを多くの人達が強く感じながら毎日を過ごしています…社会的距離を保つことは大切ですが、心の距離までもが離れていくとエゴと怒りと心の貧しさに監視された生きづらい世の中を造り出していく事とも成りかねません… 今はそういう[大きな選択]の時を迎えたのです 邪教が世に栄えると…大災害は頻発し.疫病は蔓延し.社会が破壊されてゆく.悪が世に蔓延ると…人心は荒廃し.社会は乱れ疲弊してゆく.騙る如来を崇め、真の如来を謗るは…運気尽きて.世…

  • 承認と期待

    最大の味方であると共に…最大の敵でもあるもの…それは自分なり…世の中の毀誉褒貶に、塗れず.気を取られず.惑わされず.捉われず.拘らず.執着せずに.在るがままに.善の法香を放ち続ける… 多くの人は毎日の生活の中で.或いは仕事の中で[私のこの努力を人に認めて欲しい]と他人からの承認を欲したり期待したりしながら[貪瞋痴思考]で生きているのですが、それは期待が外れたり、理解が得られないと、[自分はこんなに頑張っているのに人は何で解ってくれないんだ]とか[こんな筈じゃないのに…]とか、ドゥッカ(苦しみ.不満.怒り.哀しみ.悩み.虚しさ.憂い...)を生み出し続け.しかもそんな思いを積み上げながら生きてい…

  • プラパンチャ(戯れ言)

    仏陀の前に仏陀なく、仏陀の後に仏陀なし…真理の法は一法なれば...一因に縁らず.一法に立せず、然し明々歴々、一因一法を晦まさず...仏教とは偏った極端な修行を避けるよう戒めています…その一端は怠惰な道であり、もう一端は苦行の道です…しかし中道とは苦行と怠惰の中頃と言う意味ではなく、それは両極を乗り越え超越した究極の道の存在を示しているのです…その為には釈迦尊(ブッダ)は、実践に依らない[プラパンチャ]という単なる論理.能書き.戯れ言.観念論.空論.綺麗事に陥らないよう注意するよう仰ったのです…それは世の中と言うものは実践による事実を素直に受け入れて認める性格を有して居ないものであり.論理.観念…

  • ドゥッカ(不安定)とスカ(安定)

    生きるとは不安定さ(ドゥッカ)からの安定化(スカ)運動であると言え、この不安定さ(ドゥッカ)からの安定化(スカ)運動が、幸せや喜びを欲するのです…この安定.幸せ.安楽.喜びを意味するスカ(sukka)とは、車輪(チャクラ)の軸穴を意味し、良く造られた軸穴(スカ)によって回転してゆく車輪は、円滑に.そして快適に自分を運んでいってくれるのです… 例え、ためになる事を多く語るにしても、それを実践しないならば、その人は怠惰な愚者に過ぎない…牛飼いが他人の牛を幾ら数えても、自分の牛とはならないように、その人は修行者の部類にも入らない…いくら修行を積んだ徳の高い僧侶と尊称され徳の高い説法をしていても、その…

  • 宗教と宗教観

    宗教と宗教観言うなれば.ここが仏教の真骨頂でもあり.仏教を仏教たらしめている処でもあるのですが、ここが一番.理解し辛い処でもあると言え、その為に多くの仏教を名乗る異端の教えを生み出してきた所縁でもあるのです…宗教と宗教観とは本質的には天と地ほども違うものなのです…それは[拠り処]の章でも述べている通り、神や仏とは人間の持つ根深い生きていく事への恐れ.不安.虚しさ.無明さが、子供が親に縋るように保護.安全.安心.恩恵を求めて妄想したものであり、そんな妄想的な物への信仰.崇拝を否定した宗教こそ仏教なのですが、それは仏教の成立当時に於いて迷信的.隷属的に人々を脅しこみ.縛りつけていたバラモン教の神々…

  • 拠り処(精神的支柱)

    人は自らが.自らの主人であり.それより高い処から人の運命を差配したり審判するような神.仏などの絶対的な存在や力などなく…人は自らが自らの拠り処となり、他のものを拠り処とするなかれ…法(真理.法則.仏法)を自らの拠り処とし、他のものを拠り処とするなかれ…人は自らの努力と知性によって、汎ゆる束縛や無明やドゥッカ(苦)から自分を解放することが出来るのであり、自己解放は人が自ら真理を実現することにより得られるものであり、神や仏や外的な力から、その従順な信心.信仰.崇拝に対する報いとして与えられるものではないのですから…例えば、教師や反面教師から何かしらを学ぶとき.自分の主人は自分であるが、神や仏やその…

  • 今も昔も.そして将来も、社会には.汎ゆる罠が張り巡らされていて、そうと気付かずに無闇.迂闊に近づくと、騙されたり.大切なものを搾取されたりする事になるので、気を付けてなければいけないと、お釈迦様も仰っています… お釈迦様が説かれた十二因縁(十二縁起)も或る意味に於いて、騙されたり.搾取されたりしない為に、因果律に従った物事の道理に沿った在りようの洞察力の開発と言えるのです…先ず、社会の中で生まれ育って来た[自分]というものを冷徹にそして客観的に観察して見れば、人それぞれに物事に対して色々な見方.考え方.見解.認識がありますが.果たして.それが本当に自分の見方.考え方.見解.認識であると言えるの…

  • 末法思想

    仏教の[末法思想]について.どう読み解くかが重要なのではなかろうか… 世の中で盛んに末法思想を叫ぶ人達は、釈迦尊(ブッダ)の教えはもう古臭くて時代にそぐわないものだから.何たらと[あっちの水は苦いぞ.こっちの水は甘いぞ-]と末法思想を歪曲して捉えながらも.釈迦尊(ブッダ)の権威にはしっかりと阿っている感が否めないが、真の意味は釈迦尊(ブッダ)在世当時でも優れた弟子もいれば.愚かな弟子もいただろうし、教えを理解できるものも理解できない者もいだろう、そして理解できない者に限って欲望や自我意識などか強いものであり、そのような者達が.やがては仏の教えを大衆迎合的に捻じ曲げたり変質させていき仏法も堕落し…

  • 妄想癖

    人がもし妄想から離れることが出来たならば、苦しみはその人から離れ去る… 莫妄想(まくもうぞうー妄想するな)という禅語もあるように、妄想とは今という大切な時間を浪費させてしまったり、今やるべき事.今考えるべき事を蔑ろにしてしまったりするものなのです… まして知識や情報は湯水の如く溢れ返り、人の欲望を刺激して止まず、何かしらに追われ急かされているような現代社会では、何時もゴチャゴチャと雑念していたり、妄想へ陥ってる人達も多く、それが為に尊大であったり.心を貧しくさせたり、我欲に翻弄されて苦しみや不満を造り出し、却って満たされる事がない人が多いのです… 人間とはその卓越した思考力で物事をアレコレと想…

  • 輪廻の替歌

    [千の命になって] 千の風になって 替歌 私のお墓の前で 泣かないでくださいそこに私はいません 成仏なんかしてません輪廻の流れを 因果律に沿って激しい流れの中を 転生しています 秋には虫になって 畑を食い荒らし冬は腹を空かせた 小さな猫になる朝は鳥になって 餌を探しまわり 夜は猿になって 森で騒ぎたてる 私のお墓の前で 泣かないでくださいそこに私はいません 成仏なんかしてません千の命に 千の命になってこの無常な世界に 繋ぎとめられてます 千の命に 千の命になってまた人の身となる日を 夢見て生きてる また人の身となる日を 夢見て生きてる ⬛原曲 千の風になって 私のお墓の前で 泣かないでください…

  • 四苦八苦

    釈迦尊(ブッダ)は人生とは四苦八苦の中にあることを直視され、何故苦があるのか.どうすれば苦から脱却できるかを追求された方でもあり…世の中には苦が確かにある…しかし苦があるからこそ楽もある…それに明確に気付いた瞬間から.今まで怖れ.忌み嫌って自らが造り出していた妄想に過ぎない苦は消え去り、堅固な平安.悦楽.歓喜.静逸が顕現したのです…つまりは苦を直視し、苦を理解し.苦を乗り越え.苦から解き放たれるのが仏の教えなのですから… 生きるとは苦(ドゥッカ)の中に存在する事であり、言い換えれば空(中道)という安定状態から.対称性(安定性)が破れた不安定状態こそが苦(ドゥッカ)の本質であり、仏教では肉体的な…

  • 祈 り

    皆さんが良い一日を過ごしますように…世の中が平和でありますように…衆生(人々.生きとし生きるものたち)が、幸せでありますように…衆生(人々.生きとし生きるものたち)の、悩み苦しみが無くなりますように… 衆生(人々.生きとし生きるものたち)の、願い事が叶いますように… 衆生(人々.生きとし生きるものたち)に、悟りの光が現れますように… 私を嫌う人々が、幸せでありますように…私を嫌う人々の、悩み苦しみが無くなりますように…私を嫌う人々の、願い事が叶いますように…私を嫌う人々に.悟りの光が現れますように… 如来品正師 多々方路傍石

  • 神秘と不思議

    不思議(ワンダー)と神秘(オカルティズム)という言葉は混同して捉えられがちですが、似て非なる真逆で対極的ものなのです…不思議(ワンダー)とは不可思議の略語であり人間が[思議し得ない]ことを指すのであり、つい近代に至るまでは.生命を生み出した大いなる力である光も.水も.電気なども.無知で未開だった人類にとっては.不思議な力でしたが、その知性と努力と探究心や知的好奇心で開拓し.開明して思議できるようになったのです…それでもこの世界は.まだまだ通常の人間には思議し得ない不思議(ワンダー)で溢れてもいるのです…そしてそんな人類を覚醒させ超越させ解放させ幸せをもたらす超現実的とも言える不思議(ワンダー)…

  • 教祖と信者

    宿したる真夏の日差しを温もりに無明の闇を 晴らすが仏道 作為的なマスゴミの情報に翻弄されぬよう日頃あまり気にもしないのだが、[教祖と信者]という関係性を女性アナウンサーと按摩師の夫の関係性とに重ねた記事見出しに目を止めた…何かとストレスが掛かるだろう芸能界の多くの人は現実逃避欲求からか、スピリチュアルとか非現実世界へ心が惹かれるようで鸚鵡教祖と同じインチキ按摩師の夫に染脳(洗脳)されて教祖と信者関係を築いて迷惑の種になっているらしい…仏教で言えば、多くの人が誤解しているのですが釈迦尊(ブッダ)は決して教祖などという類の方ではなく.御自身も教祖だとは考えてもいなかったようであり、釈迦尊(ブッダ)…

  • 価値観

    心の中を探してごらん…仏も住めば、鬼も住む…極楽浄土も.地獄の闇も.心の中に啓くもの… 人それぞれに価値観があり、人それぞれに生き方があります…民主社会である日本でも.男であれ女であれ.それは法治や公序良俗を侵さない範中において何を信じ.何を嫌い.何を求め.どんな生き方をしようが.自由なのです…しかし自分が信じ.好み.価値観を見い出すもののみが優れたものであり、他は間違ったもの.劣ったものだと主張することは了見の狭い自我(エゴ)の捉われに他ならないのです…仏教思想の根幹も、こうしろ.ああしろという人様を型に嵌めるような物ではなく、まして他の宗教がもつ罪科とか罰というものとも無縁であり、ただ自業…

  • 祝福の啓示

    【 祝福の啓示 】 如来品正師 多々方路傍石 伝説 諸国を行脚し、猛暑の夏.寒中の冬も厭わず托鉢.辻立ちの幾星霜の日々…縁あって上野不忍口を[心の沐浴場]と定め、右方には暮らし貧しき者達が群れ、左方には心の貧しい者達が行き交う.辻に立ちて凡そ十年の時が過ぎし夕刻、天空.俄かに明らみ、世界はその動きを止め.光音天の妙なる調べと.法華の芳しき香りに我れ包まれたりし時…天上界より大梵天は緒天を随え勧請賜えり…「嗚呼、今のままでは此の世は終わってしまう…、今のままでは此の世は壊れてしまう…汝、完成者よ、清浄なる梵天界にまで達したる其の成道を天と神仏は祝福するだろう…大地は喜びに打ち震え、海は大波となっ…

  • 三学と三毒

    仏教で自ら修めてゆく三学を戒定慧(自戒.禅定.智慧)と言い、自ら拭ってゆく三毒を貪瞋痴(貪欲.瞋恚.痴愚)と言います…この二つは功徳と苦毒という真逆な果報へと通じてゆく重要な項目なのです…両者の関係性は、煩悩(存在欲)の渇望により生じる三毒(貪瞋痴)を滅却し解き放たれてゆく為の三学(戒定慧)であり、貪欲は戒めによって抑え、瞋恚(激しい怒り)は禅定によって抑え、愚痴(愚かさ)は智慧によって抑えてゆくのです…[戒定慧]と[貪瞋痴]を説かない仏教は[仏教]ではない!と言い切ってしまえる程.仏教の核心でもあり、仏教とは呪文や真言やお題目を唱えることでも.得体の知れない神様や菩薩や如来に縋る事でも讃え.…

  • 神秘主義(オカルティズム)

    身を慎み 言動を慎み 平和に在れしかして 過ちを改むるに憚る事なかれ 迷信と無知とに覆われた暗黒時代を抜け出しても尚、神秘主義(オカルティズム)という盲目的な観念から解放される事が出来ないのは、カルティズムの語源でもある[隠れてる力]が天地自然の理法に反することを証明しようとする時、不毛な悪魔の証明(~項目参照)に迷い込んでしまうからなのです…例えば.有るという証明は眼前に事実を実証すれば良いだけの話なのですが、本当には無い妄想的なものでも.有るという主張を否定して無い事を証明する為に.世界中探し.全宇宙を探して何処にも無かったとしても[隠れている力]を見つけられなかっただけに過ぎないという詭…

  • 学者と修行者

    [向上一路 千聖不伝 学者労形 如猿捉影] 中国中唐の人 盤山宝積禅師(解説は下段) 何事につけ.知識や情報や観念を幾ら蓄積したとしても.決して覚ることも.大悟することも.まして涅槃(ニルヴァーナ)を体現することも叶わず、幾ら知識や情報や観念を蓄積しても無明の闇を晴らす事もなく煩悩と渇望に翻弄されながら盲目的に彷徨いながら輪廻の理法に流されてゆくのです…知識や情報や観念を蓄積して.アーダ.コーダと見解を宣うのは.修養者でも菩薩(ボディ.サットバー・真理へと向かう者)でもなく、それは学者か評論家かお宅の仕事でしかないのです…知っているという事と、理解しているという事は違うのですが.自分は知識とし…

  • 信仰と宗教

    世の中では.宗教と信仰とは混同され.宗教も信仰も同じ類のものだと受け止められています…宗教と信仰には確かに重なる面は有るのですが、本質的には信仰と宗教とは真逆な性質のものだと言えるのです…世界には宗教に分類されている幾多の信仰が存在していますが、その中にあって.得体の知れない神仏や精霊およびその使徒などから啓示を受けた存在であるとか自分は聖人の生まれ変わりである特別な存在だと主張しなかった唯一無二のマトモな人間が釈迦尊(ブッダ)なのです…つまりは信仰とは[一切衆生を救う]とか[大宇宙の意志]とか耳障りの良い言葉を並べたてながら、人々の無明の闇を深めさせ盲目的に酔生夢死させてゆく麻薬のようなもの…

  • 吝嗇(もの惜しみ)

    倹約.節約と吝嗇(もの惜しみ)とは似て非なるものであり、無駄を省くのが倹約.節約であるならば.吝嗇(もの惜しみ)とは.無明な無駄や身の丈を違えた生活による不満や怒りを活力として生じるものなのです…吝嗇(もの惜しみ)を戒めるのは.それが良い悪いと言うのではなく、心を貧しくさせてゆく事.つまりは人を欲深くさせて不満や怒りや嫉妬などドゥッカ(本質苦)の中を生きてゆく事となるからなのです…何故、吝嗇(もの惜しみ)になるのかと言えば、それは煩悩(存在欲)によって現れる自我意識.は幸せになりたいと所有欲を貪ろうとするのですが、所有欲とは真に満たされる事がないものですから、一時の小さな[快感]と引き換えに.…

  • 勝儀諦(時空の諦観)

    世の中には世俗諦(人間存在の諦観)を説くアビダルマ(教説)やドグマ(教義)は溢れ返るほど在るのですが、釈迦尊(ブッダ)が到達された勝儀諦(涅槃.ニルヴァーナ)への道は.その難解さ故か.歴史の中に埋ずもれ、各部派.各宗派ともが世俗諦を以って涅槃(ニルヴァーナ)の完成だと錯覚して今日を迎えているのです…(もし世俗諦が涅槃への到達であるのならば、仏の教え(大悟)は別段に難解でも.微妙でも.深淵でもないのですから…それに気付き嘆いた龍樹(ナーガルジュナ)は、世俗諦と言う[人間の存在性]と大宇宙との関係性と、[大宇宙の存在性]から導かれる生命の存在性(勝儀諦)の存在を見出したのではないでしょうか…仏教で…

  • 脳内快楽物質

    釈迦尊(ブッダ)は仰っています…「愚かなる者達は、日々の世俗的な満足を幸福だと思い込んでいる。本当の美味なる御馳走に気付くことなく、雑草を美味しいと食べている家畜の如き存在に過ぎず、彼らの満足は真理を実践する智者のそれとは比ぶべくもない。」人は皆んな喜びや幸福を求めて生きている。一部の偏屈な嘘つきを除いて、喜びや幸福を求めずに生きている者など一人も居ないのであるが、本当に愚かな人とは自分が愚かで無明だとは思わず自惚れているから、喜びも幸せも外世界から与えられるものだと錯覚して外世界に意識を盲目的に向かわせるが、思うように得られないと愚痴ったり怒ったり不満を感じて、外世界にその原因や責任を転化す…

  • 相対的幸福と絶対的幸福

    幸福には[相対的な幸福]と[絶対的な幸福]とがあります…多くの人は幸福は所有(所有の次元の事物)の所有量に依ると勘違いしてますが、真の幸福とはその愚かさや無明さ(無知)を捨てていった先に在るものなのです… 相対的な幸福とは.他と比較して自分のほうが優れているとか.今のほうが恵まれているというような主観的.感覚的.感情的.記憶.情報.知識.妄想による喜び.快感.幸福感などを味わう本質的には無常な苦(ドゥッカ)が.喜びや幸せという姿や形をとって現れる一時的なものに誑かされているに過ぎない短命な幸福であり、苦(ドゥッカ)という本質から逃れている訳ではなく、相対的である限り楽苦の間を振れ動きながら苦(…

  • 施与の功徳

    高度に発達して快適な生活をもたらすはずの現代社会は、却って人々に苦しみや哀しみや怒りや欲望を増やしたのではないでしょうか? 凡そ全ての苦しみの原因は自分(自我意識)への捉われ.拘り.執着であり、存在欲.所有欲など汎ゆる欲望に煽られ、社会も人々の欲望を刺激しながら自意識を高めさせ取り込もうと大きな口を開いて待ち構えているのですから… ​施与の功徳①施与の功徳②托鉢行③運 気④心が軽くなってゆく詩⑤福徳を招き寄せる唱文①施与の功徳「一切の生きとし生けるものは.幸福であれ.安泰であれ.安楽であれ」邪道が蔓延る世の中に.如来は.憐れみ辻に立つ邪法が蔓延る世の中に.如来は憐れみ辻に立つ衆生…心.浄めたも…

  • 無常の劫火

    世界は何処も堅固ではない…どの方向もすべて動揺している…私は自分が依るべき処を求めたが、既に死や苦しみなどに取り憑かれていない処を見つけられなかった… これはスッタニパータに遺されたブッダの御言葉であり、自分の依るべき処(つまり帰依すべき真理を伝える教え)を求めたが、真に苦悩や心痛(ドゥッカ)から脱出させて平安と幸せへ導いてくれる処を見つけ出せなかった…という無常の劫火に苛まれたブッダご自身が、自ら悟りの道へと踏み出された所縁であり、ブッダの教えとは.つまりは生存苦.無明苦.欲望苦を種火とする無常の劫火に焼き尽くされている人間という存在にとっての唯一無二の脱出法(解き放たれ解放される道)なので…

  • 木を見て森を見ず

    仏教を森に例えれば、釈迦尊の教えという大樹を、囲むように.各宗派.各部派という木々が繁り.下生えに仏教系新興宗教が生えているという系統図となるだろう…仏道を道に例えれば、釈迦尊という偉大な方が引かれた大道から、枝分かれるように各宗派.各部派という道が延び、その脇道として仏教系新興宗教の小道が延びているという系統図となるだろう…しかし各宗派.各部派.新興宗教という色の付いたメガネを掛けて、この系統図を見れば他宗派.他部派は雑木の類の如く映すでしょうし、劣ったものとも映すでしょう…色付きメガネを外し、木々に捉われず、道に拘らず、仏教、仏道という深淵な森、偉大な大道を見る時、そこには大原則が横たわっ…

  • 自己探求

    無理に自分を愛そうとする必要などありません、だって皆んな世界中で一番自分を愛しているのだから…もしそうじゃないと思っている人がいたら、その人は.もっと自分の心に素直になればいいだけの話し…人は皆んな幸せ探しの旅をしているのです…ただ人それぞれに探す方向が違うだけ…[青い鳥]のチルチル.ミチルも.[幸せの青い鳥]を探して世界中を旅して周ったけれども見つける事が出来ずに…失意のまま帰り着いた我が家の軒先に幸せの青い鳥がとまっていましたね…幸せとは実はそんなものであり、それを無明という[無知さ]が無常な本質である欲望の充足に幸せがあると錯覚させたり.魅入らせたりするのです…べつに欲望を否定している訳…

  • 大慈悲

    自分に執着して自分の事ばかり考えて生きている人に、慈悲と喜捨(四無量心)の心などあろう筈もなく、そこには辛うじて世間を憚った偽善のみがあることだろう…何故ならば慈悲を施す心や喜捨する心とは、自分の心の充足度(満足)の如何に従って生じる性質ものであり、例えば無常な欲望の充足に忙しい[地獄心]や[餓鬼心]や[畜生心]という貧しい心には、本当の慈悲や喜捨の心は現れないのだから…しかもそれがドゥッカ(毒華・苦しみ)を生み出している事に気付くこともなく…その毒華(苦しみ.ドゥッカ)から逃れようと、欲望の充足へと向かい、無常の波に翻弄されるのですから…ドゥッカ(毒華.苦しみ)に打ち勝つには、無明の闇を晴ら…

  • 如来の嘆き

    人間は誰でもが、幸せに成りたいと願いながら生きているのです… これから自殺しようとする人でさえ.消滅(死)中にドゥッカ(苦しみ.悩み.不安定さ.不完全さ.心痛.憂い.恐怖.悲しみ.悔い.儚さ.弱さ.脆さ.不満.空しさ.欲望.無常さ.無明さ…) などからの解放される喜び.幸せ.安心を見い出しているからに他ならず、多くの人が所有の次元の事物(お金.財産.物欲.地位.名誉.称号.権威.権力.勢力.健康.長寿.承認.理解…)に魅入られるのも幸せに成るために必要だと錯覚してるからであり…つまりはそれらは目的物ではなく幸せに成るための便宜的な手段(アイテム)であり付随物に過ぎないのです…それを実践的に証明…

  • 真逆の道

    あーだ、こーだ…あーじゃない、こーじゃない…と色んな人間が.色んな事を言うけれど、それらの殆どは.単なる観念.戯れ言.能書き.主観.空論.根拠の乏しい推測(プラパンチャ)に過ぎないのではないでしょうか…それらは実践や体現や実現を伴わない妄想にすぎないもの…そうした溢れ返った不毛な思想の荒野と紡がれた無明の系譜により、真の幸福への道が閉ざされてゆくのです…如来達の到達された深淵なる涅槃(ニルヴァーナ)は.遥か彼方に仰ぐものでも.拝むものでも.語るものでもなく、自らが実現し.体現するものなのに…その道は決して茨の道などではない、悦楽の中に智慧の覚り(覚醒)を啓くだけなのです… 例え、ためになる事を…

  • 主観

    己れの愚を知るは賢者なり、己れの愚を知らぬ者こそ真の愚か者… 最近.特に著しい精神的劣化の最大原因は妄想的思考であり、その妄想的思考へと陥らせているのが[主観]なのですが、その主観とは.五集合要素(五蘊)により形成される感覚的.感情的.妄想的な概念と意識なのです…本来は五集合要素(五蘊)により生じた主観(概念)を.表層域(思考域)に於いて客観的な思考(理性)を加えて一つの見解(ドグマ)を造っているのですが.その客観的な思考(理性)を加えることなく、感覚的.感情的.妄想的な単なる主観を.真実.事実.と錯覚したり.思い込んでいるような人は、根拠も.証拠も.証明も.事実関係もないまま.自分の考えは正…

  • 所有の次元

    人は皆、幸せになりたい.幸せでいたい.と懸命に生きているのです…そして自分を幸せにしてくれるのではないかと錯覚して、[所有の次元の事物]への欲望に血眼になっているのです…しかし[所有の次元の事物]の.お金も.財産も.持ち物も.地位も.名誉も.権威も.権力も.家族も.伴侶も.子供も.健康も.寿命も.他人の評価や承認も、決して目的物などではないにせよ、幸せになるため.幸せで在るため、便宜的に必要な手段(アイテム)の一つであり、大切な付随物にですから…上手に用いれば幸せにもするし、下手に用いれば不幸にもするものなのですから… お金持ちになって.幸せになるのも喜ばしい事ですし、王様になって幸せになるの…

  • 全体主義

    全体主義思想 お釈迦様は、自分を正しい方向へと運ぶための教えを.乗り物に喩えて.筏(いかだ)により、彼岸(ニルヴァーナ.涅槃・大悟)へと渡れと説かれました…それは教えも必要が無くなれば打ち捨て.捉われて重荷にしない為なのです.つまりは教え自体が宝というよりは、教えにより血肉となった境地こそが宝なのですから…大乗思想とは.ある意味.全体主義思想だと言えると思っている…権威や空論や得体の知れない神仏への信仰により.全体の利益を個人の利益より優先するという全体主義思想だけではなく、個人の私生活や心情までも積極的に.また強制的に全体を従属させようとするものであるのだが、凡そ全体主義が人々に自由と解放と…

  • 天動説

    コペルニクスやガレリオ.ガレリイやケプラーなどにより、地動説が説かれ太陽系の中心には太陽が座し、地球はその周りを廻っているという事実は、21世紀の世の中では子供でも知っていることであり.今更[天動説]など論議に値しないと思っているでしょうが、世の中を見渡せば天動説支持者が今でも溢れているのではないでしょうか、ましてカソリックが正式に地動説を認めたのも21世紀に入ってからであり(進化論はまだ認めてないみたいですけど.)単なる感覚的表現としての[日はまた昇る]ではなく、自分達を中心とした他力の運行現象により、災厄や御利益がもたらされると説く信仰宗教や新興宗教などは自分達や得体の知れない神仏や霊力を…

  • 心の栄養素

    心の栄養素一切皆苦他の宗教.信仰と言われるものが、恩恵.幸福.救済.守護.愛やら欲望や願望の成就を主張して説いているのに対し、何故、仏教だけは生きるとは苦しみ(ドゥッカ)である…と、人が忌み嫌う苦(ドゥッカ)を掲げて説かれているのか…それは苦も楽も実は一如なものであり、ただ捉え方の問題なのだよ…と説いているのだと言え、感覚的な楽とは、心は汚し.直ぐに飽き.更なる刺激を求めて苦しみと不満の中を暮らす事となる酔っ払いの酒や中毒患者の麻薬のようなものであり、真に自分を高め.育てる[心の栄養素]でもあり智慧の泉でもあるものは苦(ドゥッカ)なのだから…世間では、心の栄養素とは知識や情報とか教育や経験だと…

  • 色々在ってそれでいい

    出世した宗教者が、多少とも俗世の政治っぽい話題を取り上げるのは躊躇われたが、まあ.たまには良いかと上程しましたが、国民性を見て、悪意など微塵もなくとも、付和雷同しやすい質は歪めないと思っている…生命も微生物から人間までの各階層(六界)という多様性に担保されているのです…人間界の中でも、汎ゆる心処という多様性に担保されていて、必ず極悪な人から.強欲な人.愚かな人.暴力的な人.小賢しい人.理性的な人.慈悲深い人など各階層(六界)の人が一定割合で存在するのですから…もし微生物でも.植物でも.動物でも.何れかが滅べば、我々人類も他の生命も存在できずに滅びる運命の下に生きているのであり、他の生命、他の要…

  • 依り処(精神的支柱)

    世における、無数なる形態あるものとしての、諸々の苦しみは、心の依り処(依存の対象)という因縁から発生する…彼が正に[在るがままに]知ることなく、心の依り処を作るなら、彼は愚か者であり、繰り返し、自ら苦しみへと近づき行く…それ故に[在るがままに]覚知している者となり.苦しみの出生の起源を随観する者となり.無常な心の依り処を作らないように在れ… 人間は本質的には無明(盲目的.無知)な状態でに生まれついているのです… 生存の素因でもある煩悩(存在欲)は、盲目的に、生きていたい.存在し続けたいと、無常なものにも三毒(貪嗔痴)を伴って依り処(精神的支柱)として依存したいと渇望するのですから… 成長するに…

  • エネルギーの流れ

    私.自分という意識により心は汚れ…私.自分という意識が心を貧しくさせてゆく…私.自分という意識により人は争い…私.自分という意識により世界を分断する…私.自分の絡まない善こそが真の善であり…私.自分の絡んだ善とは偽善なのだから…私も自分を指すのに、自分は.私は.と言うが、そこに自我意識は存在しない…自我の妄想に侵されない為には、心を統制して.一瞬々々.物事に没入してゆくだけ…自我の妄想に誑されないためには、自分とは変化しながら移ろいゆくエネルギーの流れに過ぎないのだと気付くだけ…昨日、私の皮膚としてあったものは既に流れ去り、今日は今日の皮膚がここに在り…昨日、私の心としてあったものは既に朽ち果…

  • 大法輪

    仏教の象徴として[大法輪]があります…そして多くの仏教宗派でもよく描かれたり用いられ.新興宗教や今も世間を騒がしているカルト集団の鸚鵡系や、法輪の言葉から連想されるのが大法輪は掲げてませんが気功集団からカルト仏教集団へと変節した中華系の法輪功などがありますね…では何故、大法輪を仏教の象徴的シンボルとするのかと言えば、色々な見解はあるでしょうが、中でも確かなものとしては①に人間というものを荷馬車に喩えて説く処から象徴化された…②に仏の教えの実践に於いて欠かす事が出来ない八正道を象徴化している…③に仏教で涅槃(ニルヴァーナ)へと至る修養項目(七科三十七道品)を法輪に擬えて、大悟(涅槃)と絶対真理の…

  • 最新 如来品語録

    ■暑中お見舞い申し上げます…毎日.暑い日が続きますが、皆さん.無理をなさらずに熱中症にも気を付けて元気にお過ごし下さることを願って居ります…托鉢僧は、雨安居.雪安居はしますが、夏安居.冬安居はしませんから、拙僧も相も変わらず上野不忍口にて.辻に立ち托鉢して居ります…諸行無常な世の中なれば…燃え立つようなこの暑さも、今の一時期しか味わえない大切な瞬間なれば.味わい尽くさんとぞ心は踊り、湧き出る汗に生を実感し.頬うつ風に涼を味わい感謝しながら、立って居ります…この夏の暑さが秋の収穫へと繋がり、美味しく食を紡ぐことが出来ることに感謝しながら、季節の寒暖などに捉われることもなく、天空を風の如く流れそよ…

  • 世の潮流

    貴方の幸せとは何ですか?何に喜びを感じているのですか?人生を.煩悩(存在欲)の欲望が引き起こす衝動に従って、貪瞋痴(三毒・貪欲.瞋恚.痴愚)の炎に焙られながら、無明という暗黒の闇の中を手探りで盲目的に恐怖と迷いと儚さに抗いながら、所有により感じる.一時的で短命で無常な喜びや幸せを救いとして、膨大な苦と不満の中を生きてゆく事が、果たして本当に価値ある生き方なのでしょうか?…本当に幸せな人生なのでしょうか?…皆もそんな潮流の中を生きているのだから、しかたのない事なのでしょうか?その方向には本当の喜びや幸せなど無いのではないか?と、思いませんか?所有する事により得られる一時的で短命で無常な喜びや快感…

  • 三大本質

    [仏教(仏の教え)とは何か?]という言語では語り切れず…感覚でも捉え切れず…思考でも認識し得ないテーマを.少しでも仏教の本質を理解して頂こうと敢えてしたためてみた…それは言語というものも感覚というものも思考というものも、本質的には.世界(全体性)を分断化.部分化して断片化したものに焦点(フォーカス)を当てたものに過ぎず、決して世界や実相や真実は言語や感覚や思考では捉え難いものであり、表現し難たいものなのです…故に最終的には.自分にとって世界とは.実は色受想行識(五集合要素)であると気付くのです…それは[味覚]で言えば、その味わいを表現し得る言葉も感覚も思考もなく、ただ旨いか.不味いか表現するし…

  • 悪貨は良貨を駆逐する

    [グレジャムの法則]とも言われる[悪貨は良貨を駆逐する]とは、社会に於いて[名目上の価値]が同等と受け取られる場合、悪がはびこってゆき、善は駆逐されてゆく現象を言います。例として…[金の含有量が高い金貨]と.[金の含有量が低い金貨]とが同じ額面通貨として流通した場合、実質的価値のある[金の含有量が高い金貨]は手元にしまい込まれて、[金の含有量が低い金貨]が社会を流通するようになり.市場を支配するようにさえなってしまうという現実であり、悪が栄えると.善は滅ぼされてしまうものでもあり…まったく悪の力は侮れないものなのです…また[安物買いの銭失ない]という言葉がありますが、これは価格重視で物事を選ぶ…

  • 存在の次元

    幸せの三要素(三階建構造)でも説明しているように、堅固で安定的な幸せを実現する為には、先ず土台ともなる一階部分を頑丈に構築してゆく事が重要なのであり、一階部分(存在の次元)がしっかり構築されていれさえすれば、二階部分(絆.関係性)や三階部分(所有の次元の事物)が.たとえ無いとしても堅固で安定的な幸福(しあわせ)を得る事は出来るのです…堅牢な一階部分をもつ人が二階部分のない状態は孤独ではなく孤高であり、三階部分のない状態は清貧なのですから…逆に二階部分や三階部分をどれ程持っていようが、堅固で安定的な幸福(しあわせ)を得ることが出来ず、気を紛らわすように欲深く所有の次元の事物に執着したり魅入られた…

  • 奴隷解放

    幾度も説いて来た事ではありますが、改めて[所有の次元の事物]と[存在の次元の事物]について.お話しする必要があり.詳細は再下段↓に記載しますが、[所有]の次元の事物とは決して目的物ではなく、目的へと向かう為の便宜的な手段としての価値(付随物)に過ぎないものであり、必要以上の[所有]の次元の事物とは、恰もそれが目的物であるかのように魅入られ.錯覚させ.ある日.それに気が付いた時には、その為に失った[時間]と[存在]の次元の事物に、悔い.嘆き.哀しみ.忸怩して大切な一生を終える事ともなるものなのです… 人は誰しも幸せになりたいと渇望しながら生きています…その為に.金があれば…財があれば…と、ある意…

  • 染脳と洗脳

    洗脳と染脳とは似て真逆な性質のもの…洗脳とは、その字の如く.汚れ染まった心を洗い浄める事を言うのだが、社会では偏った知識や情報で染め上げる事を洗脳と呼んでいる…もし清き心を.たとえ偏り.邪な色であっても一色で染め上げたならば、人それぞれ.色々あってそれでよく、それも又.風情ある趣きを醸すもの…しかし現実には欲望に塗れ、煩悩(存在欲)の要求に応えながら、混濁した不浄な暗色に染め上がってゆく人が絶えず…染脳された心を洗い浄めるものは. 真実により洗い浄める洗脳である…人の心を征服するものは染脳であり. 人の心を解放するものは洗脳である. 社会ではマインドコントロールやプロパガンダにより迷信的.妄想…

  • 平安

    欲望に支配され安らぎのない心に[他人と分かち合おう]とする精神性を求める事は不可能であり、自利.見栄.傲慢.嫉妬.憎しみ.怒り.不満により.貧しい心を醸成してゆくのです…それによって業(カルマ)も深めているのです… 幸福(しあわせ)になることを望まない人など居ないにも関わらず、本当に幸せだと言える人が少ないのも、逆に言えば自分の幸福(しあわせ)を追求するあまり、却って幸福(しあわせ)を取り逃がしているからだと言えるのです…それは幸福(しあわせ)を願い.探し求めながら、幸福(しあわせ)とは何なのかさえ理解する事が出来ないからでもあるのですから…■安堵 話を別の角度から照らして見れば、当たり前の話…

  • 尺度(心の物差し)

    ■諸行無常この世界は全てのものが常なく刻々と変化と生滅してゆき、変化生滅しないものは存在出来ないのですが、本質的無知(無明)であったり自分が実体的存在だと勘違いして自我意識に捉われたりしていると、自分にとって都合の悪い変化に苦しみ、自分にとって好都合な変化に喜ぶという、現象の変化と生滅に喜怒哀楽しながら翻弄されて生きる事になります(苦楽とは現象の捉え方なのです…)苦から目を背けず、楽にまどわされず、苦楽を共に受け入れて、智慧の糧としてください…■依り処(精神的支柱)本質的に不安定さとドゥッカ(苦)によって成り立ち、煩悩(存在欲)に支配される人間というものは、何かしらを依り処(精神的支柱)としな…

  • 超越

    [超越]と聞くと、大概の人はスーパーサイヤ人になる方法を教えてるように勘違いするでしょうが、要は[乗り越える]ことであり、[超越]という刺激的な言葉を使ってますが、生憎とカメハメ波は教えられません…しかしある意味、それ以上に価値ある教えだと自負しています…笑人は、苦しみとか不浄なもの事から目を背け、陰に追いやろうとして、直視しようとはしませんね… それは苦しみや不浄なもの事を.直視したり.考えたりする事は、苦しみや嫌悪感がつのってゆくと勘違いしているからに他なりません…それは言い換えれば、酔生夢死の人生を歩む事を肯定する事に他なりません…それは苦しみから逃れようと酒や薬物に手を出し、一時的に苦…

  • ガラパゴス化と美学

    ガラパゴス化した観念を奉じ、偏った美学に支えられながら、取り残されてゆく姿は憐れでもある…硬直した社会からは、新しいものは生まれない…本来、2番煎じ.3番煎じの強みは価格という競技に於いてのみ発揮されるものだが、過っての日本の強みは.そこに高付加価値を具えさせた事であったのだか、国の安定と進歩に伴って価格競争では新興国に太刀打ち出来なくなった時、ガラパゴス化した観念と偏った美学に支えられた無思考な指導者達は残りの高付加価値に活路を託し、自ら衰退していった様は、まさしく驕れるものは久しからず.ただ風の前の塵に同じ…それは仏教世界にも通じる事で.普遍な絶対真理に支えられて居ながら、、無常を説きなが…

  • 大悲観

    心 悠久の時の流れに溶け込み.安らいの園に憩いて. 歓喜の泉に依りて.甘露なる法水で喉を潤し.真理の美味を食む…言葉にする間さえ与えられずに.智慧は滾々と湧き出で. 叡智は自ずと啓かれる…無明を晴らし.カルマを浄め.根源なるものと合一する時.森羅万象は 掌の中を流れ.人の世の行く先を憐れむ…

  • 如来の心は如来のみぞ知る

    如来の法(真理)は、憐れみにより…憐れむものは、無明なり…如来の法(真理)は、苦しみの消滅であり…苦しみの根源は無明なり…如来の法(真理)は、堅固な幸せ.涅槃であり…涅槃の道を閉ざすは、無明なり…如来の法(真理)は、覚醒(目覚め)であり…如来の法(真理)は、超越(乗り越え)であり…如来の法(真理)は、解放(解き放ち)であり…如来の願いは、厭離(捨て離れ)であり…覚醒.超越.解放.厭離の道を阻むは無明なり…如来が嘆息するは、無明の闇の中を.手探りで盲目的に暗夜行路を歩くが故に、行き当たる悩み.苦しみ.心の痛み.生きる空しさ.怒り.不満…が、自分自身の無明が引き起こしている事実を愚かな人達は、気付…

  • 功徳と苦得(苦毒)

    六界を 絵空世界に擬えて 稚児の脅しか区差別か 心は儘に 六道を彷徨う托鉢で辻立ちしていると、物事を感覚的.感情的.主観的.自我意識で捉える人から話しかけられて、その人の意に染まぬ時…地獄へ堕ちろ!と嘯かれることもある…笑単なる知的好奇心で質問している人…礼を欠いた人…根拠のない自分の主観や観念を押し付けようとする人…染能(洗脳)されていて邪見な人…無明な自己に気付かぬ人…小賢しい人.論争など有り様もなく、かと言って真実をオブラートに包んで綺麗事や詭弁を弄して迎合的に諂う事もなく、貧しい心を浄めなさい…無明な心に気付きなさい…自分を真に幸せにしてくれるものは、この二つだけなんですよ…と語るだけ…

  • 皆んな頑張れ

    私にとってブログとは、頑張って生きている皆んなの姿に触れて.励みとし.歓びともする為でもあり、時たま.以前の相談者から元気や幸せを取り戻した近況報告を頂くと[幸せの三要素]の一階部分の存在性と.二階部分の相補性の多いなる多幸感に包まれます… コロナ禍と梅雨の長雨も重なり何かと憂鬱に成りがちな時期ではありますが…多少.躊躇しながら[皆んな頑張れ]と題名したのですが、それは今の社会では[頑張れ]という言葉が否定的に捉えられ[皆んな頑張れ]などと言えば[お前が頑張れ]と揶揄されるのが落ちであったり、ストレス社会とも言われる社会に於いて増え続ける現代病とも言える躁.鬱症(統合失調症)とかパニック障害と…

  • 思想の荒野

    社会というものは嘘や虚構を段階的.階層的に各集団.各組織に組み込み.振り分ける事により、一貫性を保とうとするものなのです…そしてそれを安定社会と命名してもいるのです…未だ過って.真実(真理.事実.現実.実相)を核心とした社会が築かれた例などなく、完全.安心.守護.恩恵という幻想に彩られた虚構の世界を社会と呼んでいるのですが、この虚構社会は現実そのものを直視させられる世界よりも、人間的心情.人間的欲求には適っているようで.各階層.各組織の為政者や指導者が用意するものとは、無明な人々が[信じたい嘘]を用意してやる事に他ならないのですから…ですから社会には感覚的.感情的.主観的.観念的.妄想的な嘘が…

  • 心境

    元気が一番…平和が二番…三、四がなくて…お金は五番(御飯)…仙人様では無かりせば、飯を食べねば生きられず…話は変わるが、普段は食に関しては殆ど拘りがなく、幼稚園児ではないが. 海のもの.山のもの位を心掛けている…笑ら滅多にない事ではあるのだが、今日.辻立ち中に.妙に一蘭の豚骨ラーメンが食べたくなり、[食べたい時が美味い時]とばかりに、久しぶりに一蘭の豚骨ラーメンを美味しく頂きました…が、ここからが本論…拙僧.生まれ育ちが東京都下の西八王子でありまして、少しは有名な八王子ラーメンの内でも、西八王子には満福亭というラーメン屋があり(多分.今はないと思うが随分と最近まであった筈)、拙僧の学生時代には…

  • お互い様とお陰様

    世の中、政治家が選挙時には無責任に魅惑的な公約を掲げ、当選すれば忘れてしまう公約という[絵に書いた餅]のように、やがて金を儲けて金持ちになる事を夢見ながら[アスナロ]で現実には何ら実行しようとしない自覚のない人のように、自らは出来もしない欲望の滅尽やら利他やら慈悲やらと.プラパンチャ(戯れ言.能書き.空論…)を他人様に解きながら、自らは我欲と自利と経済行為に余念ない僧侶のように、如幻如露の中を生き、得るものなくして、激しき流れ(輪廻)を繰り返すは、憐れなり…■名色あまねき.名(ナーマ)と色(ルーパ)にも、我心なく、無所有を憂うることもなし…げに彼れこそは沙門とぞ呼ばれる…名色(ナーマルーパ)を…

  • トレジャー.ハンティング

    仏教とは[トレジャー.ハンティング]…つまりは土中に埋もれてる本物の黄金、大粒ダイヤモンドの原石を探しだす財宝探しだと思うんですよね…よって仏教徒とは[トレジャーハンター]なんです…人は皆んな.心の奥底に[本物の幸福(しあわせ)]という黄金が埋もれているのです…そしてそれを発見する為のアイテムも能力を具しているのです…しかし大抵の人は目の前を行き交う.耳目に入り易い物事や.感覚や感情に掛かる刺激や.人様の心を取り込んでやろうと作為的に張り巡らされた知識.情報.プロパガンダに踊らされ.直ぐに色あせたり.剥がれたりしてしまう金メッキを施された.本当はガラクタに過ぎない物質や所有の次元の事物に対し、…

  • 頂乗仏教学舎

    頂乗仏教学舎 霊験灼然 (れいげんいやちこ) (れいけんあらたか) 路傍の如来 如来品正師 多々方 路傍石 頂乗仏教学舎ブログへはこちらから 頂乗仏教学舎ブログ https://bongteng.hatenablog.jp ラインブログ https://lineblog.me/bongteng.jp 如来品正師.多々方路傍石です貴方の幸せ.平安.安楽.静逸のお役に立てる事を心掛け本欄とブログを作成していますご意見.ご質問.ご相談など有りましたら是非お気軽にご相談下さい。 「如来とは神でも救世主でも妄想的な仏でもなく、真理と智慧に基づき人々を真の幸福、真に価値ある人生へと導く正しい師である。聖な…

  • 仏教の教えとは.

    毎度おなじみのフレーズではありますが、皆、幸せになりたくて生きています…不幸になりたくて生きている人など居ないのですから…。世の中には[俺なんか幸せになんてなれないし.別に幸せになりたいとも思わない…]と言う天の邪鬼な人でも、苦行してる自分を誇りにしてる愚かな人でも、これから自殺しようとする頑迷な人でも、その中に[幸せ.幸福]を見い出して居るからに他ならないのです…そして[仏教とは何なのか?]と言えば、第一には[人々を堅固で実存的な幸せへと導く]世俗諦への道であり、第二には此の世界の本質と実相を見透し理解する勝儀諦への道であると言え、得体の知れない神仏や怪しげな力など眉唾な他力に縋り.救われよ…

  • 幸福(しあわせ)の三要素

    世の中、何処を眺めて見ても.この幸福(しあわせ)という言葉で溢れ返っているが、凡そ真に幸福(しあわせ)という人は出逢わない… 貧しい人は自分が幸せでないのは、お金がないからだと誤解しているし、お金持ちは.お金持ちで.金の事を始めとして汎ゆる物事に縛られ却って多くの苦悩と不幸を背負ってさえいる…この幸福(しあわせ)の三要素さえ、自覚できるようになれば、皆んな幸福(しあわせ)になる事が出来るのです…しかし社会には人の幸福(しあわせ)を謳いながらも、その実は自分の幸福(しあわせ)の実現の為に邁進している者達や、得体の知れない神仏の力や眉唾な超能力を持ち出して幸福(しあわせ)を商品化しようとする者達が…

  • 真の仏教は廃れず

    日常から仏教はその姿を消しつつあり、今では仏教(=イコール)葬式と連想されるか、霊や超能力やご利益を謳う新興宗教劇団やカルト集団に都合よく摘み食いされたり、そんな中でもお釈迦さまの生の声を多く留める真聖な経典を保持する上座部仏教系の[スマナサラ教]は随分と頑張っていると思います…しかし日常世界から姿を消しつつあるのは.仏教を称する歴史と権威に辛うじて支えられて来た信仰集団(団体)であり、寧ろ現代科学(物理学.理論物理学.天文学.精神科学)や近代思想.最新哲学などの世界では、お釈迦さまが凡そ2500年前に実践的に発見され.実証され.説かれた仏教思想や仏教理論を核心とした真理(真実.事実.現実.実…

  • 如来降臨

    楽と不楽を共に捨ていと涼やかに依着(いちゃく)なし全ての世界に勝てる雄者(おさ)それを如来と我れは説く… 快と不快を共に捨て人間界の縛を捨て 天界の縛をも乗り越えて全ての縛から解き放たれしそれを如来と.我れは説く 四種の束縛 ①感覚による束縛(五欲)五欲 眼耳鼻舌身が色声香味触に触れる刺激(感覚)への欲望に束縛される(意欲による) 五つの感覚器官(眼耳鼻舌身)と意(心)が.六種の対象物[色(物質).声(聴覚).香(臭覚).味(味覚).触(触覚)]と[法(心処)]に対する欲望に束縛される※生きるとは何かに依存する事と言え、依存しなければ生存は成立し得ないのであり…生きるとは.即ち束縛である…他か…

  • 愚かさの根源

    全ての愚かさの根源は無明(無知)であり.誤解であり.錯覚である…自らが.自らの依り処となり、真理(真実.事実.現実.実相)を灯火とし、無明の闇を晴らして.愚かさの根源を打ち破ってゆきましょう…道は私達.一人々々が自ら歩まねばならないものなのですから…人間より高い位置から.人間を差配し.導き、時には手を貸してくれる存在など居ないのです(得体の知れない神仏)如来(タダーガタ)は、その道を指し示すだけ… 人は自らの努力と知性によって.汎ゆる束縛から自らを解き放ち、自らを自由で歓喜と幸せに満ち溢れた世界へと運ぶ事ができるのです… 自己解放は自ら真理を実現することによって得られるものなのです人々よ…貴方…

  • 生前取得と生後取得

    最近は世俗諦ばかりを取り上げて来たので、たまには久しぶりに勝儀諦(大悟)を取り上げて見ようと思い立った…お釈迦さまも勝儀諦に関しては苦しみの消滅や平安や幸福の生成に直接.役立つものではなく、聖者の教えは.その掌に何も隠すものはないと仰っては居ても、深淵で高度で難解で微妙な勝儀諦は無明の未だ残る未熟な者には混乱を来たすだけだろうから.普段は極力、説かれては居らず、世俗諦まで到達し.更なる向上(高見)へと向かう弟子達に説かれた真理こそ勝儀諦(大悟)という絶対真理なのです…この章の副題は[渇愛]であったが、一般論から踏み込んで渇望(渇愛)を解説する為には、先ず心的エネルギーの解説が必要と考え、生前取…

  • 仏心

    「人の心のその奥に 仏も住むが鬼も住む」仏心とは大慈悲心の表象であり、鬼心とは自我に捉われし煩悩(存在欲)の表象である…人はその努力.意志.信念.知性により、仏にも鬼にも変幻自在な存在なのです…無明の闇を抱えて生まれついたる身なれば、無明(本質的無知)の闇を晴らしてゆく道こそ[仏への道]であり、無明なままに.如幻如露なる我欲に魅入られ.拘り.捉われ.愛着してゆく道こそ[鬼への道]である…仏は天に住み.鬼は地獄に住む、何れ.それぞれの処へと赴く…在るかままに.成るがままに…輪廻の激流は果てしなく、渡り切る者は少し…■心の渇きを癒やそうと.思想の荒野を彷徨う愚か者は、救い難し…真正な仏教は無明な人…

  • 思考は苦を捏造する

    無明(本質的無知)の闇の中を.盲目的に.手探りで暗夜行路を歩くが如き[思考]は、先入観.思い込み.錯覚.感覚.感情.欲望.既成概念.通説.伝聞.自己暗示.染脳(洗脳).自我意識などにより、在りもしない苦(ドゥッカ)を.自ら捏造している…因みに、世の中で言う[無思考]とは、ゴチャゴチャと雑念や妄想に気を取られ、考えるべき事を考えていないような人をいうのであり、寧ろ無思考で居られる人とは、心が制御.統制され.感覚に虚を付かれず.無駄な事.つまらない事.下らない事.どうでもいい事に.あれこれと捉われず、拘らず、気を取られない人を言うのです…■精神作用の定義と認識【認知.認識.意識.思考】【認知】 あ…

  • 権威と風格

    日本人が[仏教]と聞いて先ず.思い起こすのが[死]であり、葬儀.法要.檀家などの葬式仏教ではなかろうか…しかし残念ながら.その何れも本地垂迹や神仏習合による汚染と民間習俗の影響であり、決して仏教の教えでも儀礼でもなく、また由緒と歴史を誇り.静かなたたずまいを見せる古刹も.ご利益を謳い信者を集め.威圧されるような大伽藍を備える大寺院も.権威と風格の為に成された文化的なものに他ならず、決して仏教の教えによるものではないのです…大乗にしろ日本仏教各宗派にしろ上座部派にしろ、お釈迦様が説かれた至高の教えを内包しながらも[我が宗派]という意識に蓋われる余り.保守的で内向きな集団となり.更には分裂を繰り返…

  • 仏教は超.現実主義

    真の仏教を理解する上で、先ず必要であるのが.お釈迦さまは現実主義者で在られたという事ではないでしょうか…現代でも多く見受けられますが、お釈迦さま在世.当時は無明と迷信が溢れ返り、中でもバラモン教という得体の知れない神仏への信仰が.権威と歴史を以って人々に服従を強いていた時代であり、そんな無明な闇の中を盲目的に.不安定に生きる民衆とバラモンと支配階級に、慈悲と憐れみの心を以って、目覚め覚醒し.乗り越え超越し.解き放たれ解放される事により誰でもが到達できる真実に依拠した歓喜と平安と静逸な安定的で堅固な超現実的な世界の存在と其処に至る道を唯一説かれた偉大な教えなのです…では何故、現実主義に超が付くの…

  • 目覚め.乗り越え.解き放て.

    目覚め.乗り越え.解き放て… 閃きとは、気付きを言い. 捨離とは、捨て離れるを言う… 目覚めるとは、覚醒を言い.乗り越えるとは、超越を言う… 軛(くびき)とは、束縛を言い.解き放たれるとは、解放を言う… 本質的無知とは、無明を言い. 無明の闇を照らすとは、灯明を言う… 欲望に執するを、愛着と言い.欲望の炎に熱せられるを、渇愛と言う… 欲望を制するを、無欲と言い.欲望に制されるを、貪欲と言う… 自分に拘るを、自我と言い.自分が脱落するを、無我と言う… 宗ねとなる教えを、宗教と言い.真理を伝え.かくの如く来たりて、かくの如く去りゆく尊者を、如来と言う… 目覚め、乗り越え、解き放て… 無明に阿り、無…

  • 当たり前田のクラッカー

    世間の人は[当たり前の事]を当たり前とは思わず…[当たり前でない事]を当たり前だと思って暮らしている…だから何時も[当たり前の事]で泣いたり.笑ったり.怒ったり.哀しんだり.苦しんだり.悩んだりしている…そうとは気付かずに、今日も[私は正しい][私の考え方は間違ってない]と錯覚しながら、無明(本質的無知)の闇の中を盲目的に彷徨っている…まさに暗夜行路を行くが如し… [一切の形成されたものは苦(ドゥッカ)であると真に理解できたならば、それによって人は一切の苦を乗り越える…これが聖なる道である]汎ゆる現象は苦(ドゥッカ)であると正しく理解する事により、汎ゆる現象に対する執着の空しさ(空虚さ)を理解…

  • 十二因縁

    資本主義社会.物質文明の真っ只中を生きている現代人は.好むと好まざるとに係わらず、感覚.感情.情緒.主観.自我意識につけ込む.所有の次元の事物への欲望(金欲.財欲.物欲.色欲.知識欲.情報欲.地位欲.権威欲.名誉欲.権力欲.健康欲.長寿欲.…)を煽る.偏り.如何わしく.作為的で不善な情報.媒体.知識.染脳(洗脳)に満ちて溢れた社会に晒され翻弄されながら豊かな社会の中で貧しい心を育んでいる事に気付く事も.疑う事もなく苦悩と不満を深めている…そんな社会には自分の意見を持たぬ依存的無思考な人達が増え.多数意見には無抵抗に賛同し.少数意見には耳を塞ぐような偏った人達が主流を形成するようになったり、[自…

  • 承認欲求

    大衆や社会から承認されたい.認めて貰いたいと過度に思うのは、本当は自分に自信がない証であり、他人や社会からの承認や是認により不安を取り除きたいと欲しているのである。しかしそうした無明の闇を、無明(本質的無知)な大衆や.偏り.歪んだ社会から承認され.認められる為に、大衆迎合的に社会迎合的に自分の信念や存在感を緩やかに殺して他人の尺度で生きてゆく事を選択する事に等しく、真理(真実.事実.現実.実相.本質)から遠ざかってゆく事に他ならない…まして奥深く微妙で難解なこの大宇宙の真理を説いている仏の教え仏教を大衆や社会に理解させるのは実に困難で骨が折れるものであり、何しろ世間と言うものには、事実を素直に…

  • 存在

    存在何れは朽ち果て、消え去る我が身かな…笑って生きるも一生ならば、泣いて生きるもまた一生なり…諸行無常を覚り.欲望から離れ自由と喜びに満たされて生きるも一生ならば、欲望に身を焦がし.空しさと失望の内に消え去るもまた一生なり… 何れは朽ち果て、消え去る我が身かな… 無明の闇を打ち払い.目覚め乗り越え生きるも一生ならば、無明の闇の中を手探りで.盲目的に生きるもまた一生なり…自分という存在を探求し続け.見い出すも一生ならば、世間という存在を探求し続け.見い出すもまた一生なり…歴史に名でも残さんと.生きるも一生ならば、路傍で民草に寄り添って.生きるもまた一生なり…芭蕉は、船の上に生涯を浮かべ、馬の口を…

  • 運不運

    世界は常なく変化生滅しながら流れゆく…そこには幸運も不運もなく、ただ捉える者が.その都合によって分別しているに過ぎない…万事は.そうそう何時々々も思い通りに運ぷべきもないものであるのに、それを受け入れる事が出来ない無明さが不運なのであり、そうした負のエネルギーを連鎖させてゆく人を不幸な人というのです…重要なのは何が生じ、何が滅し、何がどう変化してゆこうとも現実を正面から受け入れて前向きに智慧を働かせて対処してゆく事が、運気を上げてゆく秘訣なのです…本当の幸運とは.励んだ努力の運気が積み上がってゆき、その努力が報われる事であり、その一方.一生懸命に努力を重ねても運気が積み上がらすに途中で崩れてし…

  • 一信懸命

    それが例え.愚かな先達が興した偏った信仰であったとしても盲信することなく、信念を以って懸命に一信するならば心の平安を得ることが出来る…それが.無明の闇を晴らし、目覚め覚醒し、乗り越え超越し、解き放たれ解放され、真理を依り処(精神的支柱)とする頂乗仏教であったとしたら尚更、堅固である…懸命とは命懸けの意味でありますが、一生を命懸けで生きるのは些か骨が折れそうであり、一処で懸命に生きるのも狭っ苦しそうでもあり、人間、自由に.自分の信念に殉じて懸命に生きてこそ報われるのではないでしょうか…人間は.無明(本質的無知)に生まれ付いている…それに気付かず煩悩(存在欲)が創り出す自我意識(エゴ)に翻弄されて…

  • 自業自得と因果応報

    一切万象 自業自得一切万法 因果応報実は[運不運]を書いている途中だったのだか、今回のコロナ禍に関連した記事の中に.看過出来ない記事を見つけたので急遽、[自業自得と因果応報]に付いて記そうと思いたった次第である…それは自粛警察と揶揄される人達がコロナ風邪の罹患者を間違った正義(本当は不満の解消)で.非難中傷したり攻撃したりする時の論拠が[自業自得]という自己責任論であり、諸外国と比べて突出しているという記事である…何を言いたいのかと言えば、コロナ禍を含めた全ての現象(結果)には原因があり、自業自得とは[偶然による発生][原因もなく突然に生じる事][神仏の意志による現象]などないのだという否定と…

  • ホームページ

    ♥うつ病.パニック障害などで苦労されていた方々から、依存症や副作用もない頂乗仏教の超越瞑想(安寧の瞑想)が、最良だという報告を多数.頂戴しています。 メンタルの悩みを抱えていらっしゃる方は是非、お気軽にご相談下さい。 如来品聖師 多々方路傍石 純粋仏教ブログへはこちらから 頂乗仏教学舎ブログ https://bongteng.hatenablog.jp ラインブログ https://lineblog.me/bongteng.jp 如来品正師.多々方路傍石です貴方の幸せ.平安.安楽.静逸のお役に立てる事を心掛け本欄とブログを作成していますご意見.ご質問.ご相談など有りましたら是非お気軽にご相談下…

  • 生命は死なず

    お米はいつ死んだの?秋に実って.頭を垂らした稲穂から刈り取られたとき…?玄米から精米されたとき…?研がれて炊飯されたとき…?食され消化されたとき…?汚物として排泄されたとき…?でも食した人の生命力となり生きていたし…地の縁.水の縁で.土壌を肥やしたり.やがて新たな生命となり生きている…お米の姿は滅しても生命は確かに生きている.見えるから[有る]ということならば、見えなければ[無い]ということになる…見えずとも今まさに土中では実りの秋に向かって稲籾が発芽し始めている頃だろうが、見えなければ[無い]とい思う人は、たぶん夏の終わり頃になると稲穂がポン!と無から生じたと思うのだろう…空とは絵空事を説く…

  • 俯瞰と大観

    人は自分を基準とした尺度でしか物事を見ることが出来ず、その尺度に沿った物事に対して感覚.感情.主観は興味を抱いたり.気に入ったり.捉われたり.無闇に信じたりしながら.自分の認識.判断は正しいと思い込んでしまい.一歩下がって.一歩離れて客観的.理性的に俯瞰し大観することが不得手なのです…人間とは、多くの先入観.思い込み.錯覚.誤解.自己暗示.染脳(洗脳).固定観念.既成概念.迷信.妄想.仮説.偏った情報.知識.記憶の残滓に晒されているのです…無常な現象でしかない感覚.感情.主観を尺度として物事を測れば、視野の狭い自我意識に翻弄されることとなり、それが苦を造りだすのだから…喩え金財に満たされようと…

  • 酔生夢死

    幸も不幸も.その人の満足度しだいであり、満足も不満も.その人の納得度しだいなのである… 例え.酔っ払らったように生き.夢想.妄想の中に死ぬような酔生夢死な人生であったとしても.その人自身が.真に満足し.真に納得して死ぬるのであれば、それはそれで幸せな人生だとも言えるのだが、現実はそうは問屋が卸さないものであり、煩悩(存在欲)の要求に従い.生へ執着.愛着しながら.尽きぬ欲望に真の満足を知らず… 自我の妄想に誑かされ.単なる五蘊作用(精神作用・現象)過ぎない感覚.感情.主観に翻弄されながら、自分勝手な自分は正しく.自分は特別な存在だという妄想により真に納得する事を知らず… 渇愛の衝き動かされ.もっ…

  • チチンプイプイ

    真理の布施に勝る布施なし 仏教の本質とは.真理(真実.現実.事実.摂理. 実相)の発見と理解する事であり、私が真理に(真実.現実.事実.摂理.実相)と.一々.書き加えるのは、真理という言葉は.正義を振りかざす悪人達の如く.カルト集団や新興宗教に汚され.毀損され.真理の本来的意味(ダルマ.ダンマ.自然法則.理法.存在の構成要素)とは異質な認識を生じてさせているからでもあるのです… 人は無明に生まれついています… 無明な存在の本質とは、不安定.不安.恐怖.不満.迷い.欲望.渇き.無知(ドゥッカ)であり、何かしら依存する依り処(精神的支柱)を必要とし、依り処に支えられて辛うじて安定(スッカ)を得てい…

  • 如来の教えに宗派なし

    慈雲尊者飲光の遺訓に[釈尊在世に宗派なし]という言葉があります… 真に仏道を歩まんと欲するならば、宗派などというものに捉われ.拘り.愛着していては到底、自分自身ばかりか衆生を堅固で実存的な幸せ.平穏.安楽.歓喜.静逸へと導く事など不可能であり、妄想的な得体の知れない神仏や他力などからの救済を空約束するか、愚かな民衆を染脳(洗脳)して無明(無知)の闇を深めさせ盲目的に無思考に隷属的に追随する事が幸せだと錯覚させ、折角の人生と金財を無価値に浪費させ、因縁深く輪廻を継続させてゆくのです… 弓矢の喩えに説かれる如く、先ず.心に刺さった矢(苦)を抜いてあげる事こそが第一なのですが、それは飽くまで応急処置…

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