searchカテゴリー選択
chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

カテゴリーのご意見・ご要望はこちら
cancel
プロフィール
PROFILE
ブログタイトル
仏教の最高峰 頂乗仏教学舎
ブログURL
https://bongteng.hatenablog.jp/
ブログ紹介文
純粋.真正.至高な仏教を追求する僧侶のブログ
ブログ村参加
2019/02/03
本日のランキング(IN)
フォロー

ブログリーダー」を活用して、路傍の如来 多々方 路傍石さんをフォローしませんか?

ハンドル名
路傍の如来 多々方 路傍石さん
ブログタイトル
仏教の最高峰 頂乗仏教学舎
フォロー
仏教の最高峰 頂乗仏教学舎

路傍の如来 多々方 路傍石さんの新着記事

1件〜30件

  • 祈 り

    日々是好日人々が良い一日を過ごしますように…世の中が平和でありますように…衆生(人々.生きとし生きるものたち)が、幸せでありますように…衆生(人々.生きとし生きるものたち)の、悩み苦しみが無くなりますように… 衆生(人々.生きとし生きるものたち)の、願い事が叶いますように… 衆生(人々.生きとし生きるものたち)に、悟りの光が現れますように… 私を嫌う人々が、幸せでありますように…私を嫌う人々の、悩み苦しみが無くなりますように…私を嫌う人々の、願い事が叶いますように…私を嫌う人々に.悟りの光が現れますように… 路傍の如来 多々方路傍石 🤗上野にお越しの際は、JR上野駅不忍口に是非お声掛け下さい……

  • 祈 り

    日々是好日人々が良い一日を過ごしますように…世の中が平和でありますように…衆生(人々.生きとし生きるものたち)が、幸せでありますように…衆生(人々.生きとし生きるものたち)の、悩み苦しみが無くなりますように… 衆生(人々.生きとし生きるものたち)の、願い事が叶いますように… 衆生(人々.生きとし生きるものたち)に、悟りの光が現れますように… 私を嫌う人々が、幸せでありますように…私を嫌う人々の、悩み苦しみが無くなりますように…私を嫌う人々の、願い事が叶いますように…私を嫌う人々に.悟りの光が現れますように… 路傍の如来 多々方路傍石 🤗上野にお越しの際は、JR上野駅不忍口に是非お声掛け下さい……

  • 祈 り

    明けましておめでとうございます…本年も宜しくお願い申し上げます…そして本年が良い年でありますように…日々是好日人々が良い一日を過ごしますように…世の中が平和でありますように…衆生(人々.生きとし生きるものたち)が、幸せでありますように…衆生(人々.生きとし生きるものたち)の、悩み苦しみが無くなりますように… 衆生(人々.生きとし生きるものたち)の、願い事が叶いますように… 衆生(人々.生きとし生きるものたち)に、悟りの光が現れますように… 私を嫌う人々が、幸せでありますように…私を嫌う人々の、悩み苦しみが無くなりますように…私を嫌う人々の、願い事が叶いますように…私を嫌う人々に.悟りの光が現れ…

  • 幸せとは…

    如来は路傍の幸せ売り…[麗らかな春の日差しに照らされて 歩くが如き 歓びの日々] 路傍の如来 多々方路傍石「愚か者は.幸福を願い求めながら、いつも幸福を取り逃がす…」[人の身に生まれるのは難しく…今.命あるは有りがたし…正しい法を聴くのは難しく…如来の出現は有りがたし…人間として生まれることは尊く、今.生きている事はもっと尊い、真理を聴き.如来に出会えるのは.更に得がたき幸せである…] 悦楽は悟りへの一歩悦楽の中で智慧の悟りを得る感覚を制御した平安こそ最高の快楽である幸せを理解する事こそ. 幸せでいられる秘訣…人間が生きていくためには空気、水、食料、住まい、衣類などは欠かせません…空気がなけれ…

  • 祈 り

    日々是好日人々が良い一日を過ごしますように…世の中が平和でありますように…衆生(人々.生きとし生きるものたち)が、幸せでありますように…衆生(人々.生きとし生きるものたち)の、悩み苦しみが無くなりますように… 衆生(人々.生きとし生きるものたち)の、願い事が叶いますように… 衆生(人々.生きとし生きるものたち)に、悟りの光が現れますように… 私を嫌う人々が、幸せでありますように…私を嫌う人々の、悩み苦しみが無くなりますように…私を嫌う人々の、願い事が叶いますように…私を嫌う人々に.悟りの光が現れますように… 如来品正師 多々方路傍石

  • 涅槃(ニルヴァーナ)への道

    ●涅槃(ニルヴァーナ)への道欲望や不満.愚痴.憂い.哀しみ.怒り.苦悶といった煩悩は、自分の利得を渇望する処から生じているのです…それを正しい修養を通じて[諸行無常]の真理を覚り.この大宇宙には永遠普遍の実体も[私]という実体的存在もない事を覚らるべきなのです…そのような自覚を以って内面や外界と向き合うならば、意のままにならない世の中や思うようには運ばない人生に苦しむ事もなくなり、[自分が.私は.]といった自我意識(エゴ)は次第に影を潜めて.安らかな心が現れてくるはずなのです…正しい人生観.正しい生活.正しい修養などにより、誰でもが苦しみ(ドゥッカ)と縁を切り、安らかで悦楽に満ちた境地へと到達…

  • 一水四見

    [釈迦尊(ブッダ)の言葉] 物事は心に基づき.心を主とし.心によって造り出される…もしも汚れた心で話したり.行ったりするならば.苦しみはその人に付き従う.荷馬車を引く牛に.車輪が付いてるゆく如く… 物事は心に基づき.心を主とし.心によって造り出される…もしも清らかな心で話したり.行ったりするならば.福楽はその人に付き従う.影がその身体から離れない如く… 苦しみや悩みから脱却する為に必要なのは、対象の排除などではなく、物事を正しく見ることが大切なのですが… しかし人間にとって.物事を正しく見る事が案外と難儀であり、中々出来ないものなのです… 社会にあっても学校の中でも或いは仲間達との間に於いても…

  • 欲望の充足.心の充足

    世俗の人が喜びだと言うものを、真理を見透した如来は苦しみと言う…世俗の人が苦しみだと見るものを、真理を見透した如来は喜びと言う…どちらも.充足(満足.喜び)を求めてゆく道なのに[心の充足]と[欲望の充足]とは.実は真逆の方向の道であり、しかも[心の充足]は無明の闇を晴らしてゆくと現れる堅固な実相なのですが、[欲望の充足]は永遠に到達できない夢の国なのですから…人は誰もが充足を求めて生きています…この求めている充足とは.言い換えれば幸せ.満足.喜び.安らぎ.安定…など[スカ]への欲望ですから、通常はドゥッカ(不安定.不完全.不満.苦.悩み.心痛.迷い.悔い.憂い.哀しさ.儚さ.弱さ.脆さ.虚しさ…

  • 負のスパイラル

    ●負のスパイラル 人生とは平坦な道ばかりではなく.山もあれば谷もあるものですね…折角の人生.平坦な道ばかりを歩いているのも又.苦(ドゥッカ)なのであり、それは飽き.変化のなさ.刺激のなさ.感動のなさ.顕貴(ときめき)のなさなども苦(ドゥッカ)に他ならないのですから、例えば人が無刺激な状態に置かれた時に.果たして人間はどうなるのかという実験を過って科学者がした時に、約そ一ヶ月の内に気が狂ったり.死んでしまったそうですし、また宇宙飛行士が至極.負担のない数日間の無重力状態の時に負荷運動を欠かすと帰還し地上に降り立った時に足腰が立たなくなるそうです…例を挙げれば切りがない話なのですが、要は[苦(ドゥ…

  • 祈 り

    日々是好日、人々が良い一日を過ごしますように…世の中が平和でありますように…衆生(人々.生きとし生きるものたち)が、幸せでありますように…衆生(人々.生きとし生きるものたち)の、悩み苦しみが無くなりますように… 衆生(人々.生きとし生きるものたち)の、願い事が叶いますように… 衆生(人々.生きとし生きるものたち)に、悟りの光が現れますように… 私を嫌う人々が、幸せでありますように…私を嫌う人々の、悩み苦しみが無くなりますように…私を嫌う人々の、願い事が叶いますように…私を嫌う人々に.悟りの光が現れますように… 如来品正師 多々方路傍石

  • 如来の出世

    私たちの生活を大きく一変させて、社会.経済.娯楽.教育.文化.芸術.思想に至るまで深刻な影響を与え続けています…当たり前にあったものが脆くも崩れていくような怖さ.不安.ストレスを多くの人達が強く感じながら毎日を過ごしています…社会的距離を保つことは大切ですが、心の距離までもが離れていくとエゴと怒りと心の貧しさに監視された生きづらい世の中を造り出していく事とも成りかねません… 今はそういう[大きな選択]の時を迎えたのです 邪教が世に栄えると…大災害は頻発し.疫病は蔓延し.社会が破壊されてゆく.悪が世に蔓延ると…人心は荒廃し.社会は乱れ疲弊してゆく.騙る如来を崇め、真の如来を謗るは…運気尽きて.世…

  • 承認と期待

    最大の味方であると共に…最大の敵でもあるもの…それは自分なり…世の中の毀誉褒貶に、塗れず.気を取られず.惑わされず.捉われず.拘らず.執着せずに.在るがままに.善の法香を放ち続ける… 多くの人は毎日の生活の中で.或いは仕事の中で[私のこの努力を人に認めて欲しい]と他人からの承認を欲したり期待したりしながら[貪瞋痴思考]で生きているのですが、それは期待が外れたり、理解が得られないと、[自分はこんなに頑張っているのに人は何で解ってくれないんだ]とか[こんな筈じゃないのに…]とか、ドゥッカ(苦しみ.不満.怒り.哀しみ.悩み.虚しさ.憂い...)を生み出し続け.しかもそんな思いを積み上げながら生きてい…

  • プラパンチャ(戯れ言)

    仏陀の前に仏陀なく、仏陀の後に仏陀なし…真理の法は一法なれば...一因に縁らず.一法に立せず、然し明々歴々、一因一法を晦まさず...仏教とは偏った極端な修行を避けるよう戒めています…その一端は怠惰な道であり、もう一端は苦行の道です…しかし中道とは苦行と怠惰の中頃と言う意味ではなく、それは両極を乗り越え超越した究極の道の存在を示しているのです…その為には釈迦尊(ブッダ)は、実践に依らない[プラパンチャ]という単なる論理.能書き.戯れ言.観念論.空論.綺麗事に陥らないよう注意するよう仰ったのです…それは世の中と言うものは実践による事実を素直に受け入れて認める性格を有して居ないものであり.論理.観念…

  • ドゥッカ(不安定)とスカ(安定)

    生きるとは不安定さ(ドゥッカ)からの安定化(スカ)運動であると言え、この不安定さ(ドゥッカ)からの安定化(スカ)運動が、幸せや喜びを欲するのです…この安定.幸せ.安楽.喜びを意味するスカ(sukka)とは、車輪(チャクラ)の軸穴を意味し、良く造られた軸穴(スカ)によって回転してゆく車輪は、円滑に.そして快適に自分を運んでいってくれるのです… 例え、ためになる事を多く語るにしても、それを実践しないならば、その人は怠惰な愚者に過ぎない…牛飼いが他人の牛を幾ら数えても、自分の牛とはならないように、その人は修行者の部類にも入らない…いくら修行を積んだ徳の高い僧侶と尊称され徳の高い説法をしていても、その…

  • 宗教と宗教観

    宗教と宗教観言うなれば.ここが仏教の真骨頂でもあり.仏教を仏教たらしめている処でもあるのですが、ここが一番.理解し辛い処でもあると言え、その為に多くの仏教を名乗る異端の教えを生み出してきた所縁でもあるのです…宗教と宗教観とは本質的には天と地ほども違うものなのです…それは[拠り処]の章でも述べている通り、神や仏とは人間の持つ根深い生きていく事への恐れ.不安.虚しさ.無明さが、子供が親に縋るように保護.安全.安心.恩恵を求めて妄想したものであり、そんな妄想的な物への信仰.崇拝を否定した宗教こそ仏教なのですが、それは仏教の成立当時に於いて迷信的.隷属的に人々を脅しこみ.縛りつけていたバラモン教の神々…

  • 拠り処(精神的支柱)

    人は自らが.自らの主人であり.それより高い処から人の運命を差配したり審判するような神.仏などの絶対的な存在や力などなく…人は自らが自らの拠り処となり、他のものを拠り処とするなかれ…法(真理.法則.仏法)を自らの拠り処とし、他のものを拠り処とするなかれ…人は自らの努力と知性によって、汎ゆる束縛や無明やドゥッカ(苦)から自分を解放することが出来るのであり、自己解放は人が自ら真理を実現することにより得られるものであり、神や仏や外的な力から、その従順な信心.信仰.崇拝に対する報いとして与えられるものではないのですから…例えば、教師や反面教師から何かしらを学ぶとき.自分の主人は自分であるが、神や仏やその…

  • 今も昔も.そして将来も、社会には.汎ゆる罠が張り巡らされていて、そうと気付かずに無闇.迂闊に近づくと、騙されたり.大切なものを搾取されたりする事になるので、気を付けてなければいけないと、お釈迦様も仰っています… お釈迦様が説かれた十二因縁(十二縁起)も或る意味に於いて、騙されたり.搾取されたりしない為に、因果律に従った物事の道理に沿った在りようの洞察力の開発と言えるのです…先ず、社会の中で生まれ育って来た[自分]というものを冷徹にそして客観的に観察して見れば、人それぞれに物事に対して色々な見方.考え方.見解.認識がありますが.果たして.それが本当に自分の見方.考え方.見解.認識であると言えるの…

  • 末法思想

    仏教の[末法思想]について.どう読み解くかが重要なのではなかろうか… 世の中で盛んに末法思想を叫ぶ人達は、釈迦尊(ブッダ)の教えはもう古臭くて時代にそぐわないものだから.何たらと[あっちの水は苦いぞ.こっちの水は甘いぞ-]と末法思想を歪曲して捉えながらも.釈迦尊(ブッダ)の権威にはしっかりと阿っている感が否めないが、真の意味は釈迦尊(ブッダ)在世当時でも優れた弟子もいれば.愚かな弟子もいただろうし、教えを理解できるものも理解できない者もいだろう、そして理解できない者に限って欲望や自我意識などか強いものであり、そのような者達が.やがては仏の教えを大衆迎合的に捻じ曲げたり変質させていき仏法も堕落し…

  • 妄想癖

    人がもし妄想から離れることが出来たならば、苦しみはその人から離れ去る… 莫妄想(まくもうぞうー妄想するな)という禅語もあるように、妄想とは今という大切な時間を浪費させてしまったり、今やるべき事.今考えるべき事を蔑ろにしてしまったりするものなのです… まして知識や情報は湯水の如く溢れ返り、人の欲望を刺激して止まず、何かしらに追われ急かされているような現代社会では、何時もゴチャゴチャと雑念していたり、妄想へ陥ってる人達も多く、それが為に尊大であったり.心を貧しくさせたり、我欲に翻弄されて苦しみや不満を造り出し、却って満たされる事がない人が多いのです… 人間とはその卓越した思考力で物事をアレコレと想…

  • 輪廻の替歌

    [千の命になって] 千の風になって 替歌 私のお墓の前で 泣かないでくださいそこに私はいません 成仏なんかしてません輪廻の流れを 因果律に沿って激しい流れの中を 転生しています 秋には虫になって 畑を食い荒らし冬は腹を空かせた 小さな猫になる朝は鳥になって 餌を探しまわり 夜は猿になって 森で騒ぎたてる 私のお墓の前で 泣かないでくださいそこに私はいません 成仏なんかしてません千の命に 千の命になってこの無常な世界に 繋ぎとめられてます 千の命に 千の命になってまた人の身となる日を 夢見て生きてる また人の身となる日を 夢見て生きてる ⬛原曲 千の風になって 私のお墓の前で 泣かないでください…

  • 四苦八苦

    釈迦尊(ブッダ)は人生とは四苦八苦の中にあることを直視され、何故苦があるのか.どうすれば苦から脱却できるかを追求された方でもあり…世の中には苦が確かにある…しかし苦があるからこそ楽もある…それに明確に気付いた瞬間から.今まで怖れ.忌み嫌って自らが造り出していた妄想に過ぎない苦は消え去り、堅固な平安.悦楽.歓喜.静逸が顕現したのです…つまりは苦を直視し、苦を理解し.苦を乗り越え.苦から解き放たれるのが仏の教えなのですから… 生きるとは苦(ドゥッカ)の中に存在する事であり、言い換えれば空(中道)という安定状態から.対称性(安定性)が破れた不安定状態こそが苦(ドゥッカ)の本質であり、仏教では肉体的な…

  • 祈 り

    皆さんが良い一日を過ごしますように…世の中が平和でありますように…衆生(人々.生きとし生きるものたち)が、幸せでありますように…衆生(人々.生きとし生きるものたち)の、悩み苦しみが無くなりますように… 衆生(人々.生きとし生きるものたち)の、願い事が叶いますように… 衆生(人々.生きとし生きるものたち)に、悟りの光が現れますように… 私を嫌う人々が、幸せでありますように…私を嫌う人々の、悩み苦しみが無くなりますように…私を嫌う人々の、願い事が叶いますように…私を嫌う人々に.悟りの光が現れますように… 如来品正師 多々方路傍石

  • 神秘と不思議

    不思議(ワンダー)と神秘(オカルティズム)という言葉は混同して捉えられがちですが、似て非なる真逆で対極的ものなのです…不思議(ワンダー)とは不可思議の略語であり人間が[思議し得ない]ことを指すのであり、つい近代に至るまでは.生命を生み出した大いなる力である光も.水も.電気なども.無知で未開だった人類にとっては.不思議な力でしたが、その知性と努力と探究心や知的好奇心で開拓し.開明して思議できるようになったのです…それでもこの世界は.まだまだ通常の人間には思議し得ない不思議(ワンダー)で溢れてもいるのです…そしてそんな人類を覚醒させ超越させ解放させ幸せをもたらす超現実的とも言える不思議(ワンダー)…

  • 教祖と信者

    宿したる真夏の日差しを温もりに無明の闇を 晴らすが仏道 作為的なマスゴミの情報に翻弄されぬよう日頃あまり気にもしないのだが、[教祖と信者]という関係性を女性アナウンサーと按摩師の夫の関係性とに重ねた記事見出しに目を止めた…何かとストレスが掛かるだろう芸能界の多くの人は現実逃避欲求からか、スピリチュアルとか非現実世界へ心が惹かれるようで鸚鵡教祖と同じインチキ按摩師の夫に染脳(洗脳)されて教祖と信者関係を築いて迷惑の種になっているらしい…仏教で言えば、多くの人が誤解しているのですが釈迦尊(ブッダ)は決して教祖などという類の方ではなく.御自身も教祖だとは考えてもいなかったようであり、釈迦尊(ブッダ)…

  • 価値観

    心の中を探してごらん…仏も住めば、鬼も住む…極楽浄土も.地獄の闇も.心の中に啓くもの… 人それぞれに価値観があり、人それぞれに生き方があります…民主社会である日本でも.男であれ女であれ.それは法治や公序良俗を侵さない範中において何を信じ.何を嫌い.何を求め.どんな生き方をしようが.自由なのです…しかし自分が信じ.好み.価値観を見い出すもののみが優れたものであり、他は間違ったもの.劣ったものだと主張することは了見の狭い自我(エゴ)の捉われに他ならないのです…仏教思想の根幹も、こうしろ.ああしろという人様を型に嵌めるような物ではなく、まして他の宗教がもつ罪科とか罰というものとも無縁であり、ただ自業…

  • 祝福の啓示

    【 祝福の啓示 】 如来品正師 多々方路傍石 伝説 諸国を行脚し、猛暑の夏.寒中の冬も厭わず托鉢.辻立ちの幾星霜の日々…縁あって上野不忍口を[心の沐浴場]と定め、右方には暮らし貧しき者達が群れ、左方には心の貧しい者達が行き交う.辻に立ちて凡そ十年の時が過ぎし夕刻、天空.俄かに明らみ、世界はその動きを止め.光音天の妙なる調べと.法華の芳しき香りに我れ包まれたりし時…天上界より大梵天は緒天を随え勧請賜えり…「嗚呼、今のままでは此の世は終わってしまう…、今のままでは此の世は壊れてしまう…汝、完成者よ、清浄なる梵天界にまで達したる其の成道を天と神仏は祝福するだろう…大地は喜びに打ち震え、海は大波となっ…

  • 三学と三毒

    仏教で自ら修めてゆく三学を戒定慧(自戒.禅定.智慧)と言い、自ら拭ってゆく三毒を貪瞋痴(貪欲.瞋恚.痴愚)と言います…この二つは功徳と苦毒という真逆な果報へと通じてゆく重要な項目なのです…両者の関係性は、煩悩(存在欲)の渇望により生じる三毒(貪瞋痴)を滅却し解き放たれてゆく為の三学(戒定慧)であり、貪欲は戒めによって抑え、瞋恚(激しい怒り)は禅定によって抑え、愚痴(愚かさ)は智慧によって抑えてゆくのです…[戒定慧]と[貪瞋痴]を説かない仏教は[仏教]ではない!と言い切ってしまえる程.仏教の核心でもあり、仏教とは呪文や真言やお題目を唱えることでも.得体の知れない神様や菩薩や如来に縋る事でも讃え.…

  • 神秘主義(オカルティズム)

    身を慎み 言動を慎み 平和に在れしかして 過ちを改むるに憚る事なかれ 迷信と無知とに覆われた暗黒時代を抜け出しても尚、神秘主義(オカルティズム)という盲目的な観念から解放される事が出来ないのは、カルティズムの語源でもある[隠れてる力]が天地自然の理法に反することを証明しようとする時、不毛な悪魔の証明(~項目参照)に迷い込んでしまうからなのです…例えば.有るという証明は眼前に事実を実証すれば良いだけの話なのですが、本当には無い妄想的なものでも.有るという主張を否定して無い事を証明する為に.世界中探し.全宇宙を探して何処にも無かったとしても[隠れている力]を見つけられなかっただけに過ぎないという詭…

  • 学者と修行者

    [向上一路 千聖不伝 学者労形 如猿捉影] 中国中唐の人 盤山宝積禅師(解説は下段) 何事につけ.知識や情報や観念を幾ら蓄積したとしても.決して覚ることも.大悟することも.まして涅槃(ニルヴァーナ)を体現することも叶わず、幾ら知識や情報や観念を蓄積しても無明の闇を晴らす事もなく煩悩と渇望に翻弄されながら盲目的に彷徨いながら輪廻の理法に流されてゆくのです…知識や情報や観念を蓄積して.アーダ.コーダと見解を宣うのは.修養者でも菩薩(ボディ.サットバー・真理へと向かう者)でもなく、それは学者か評論家かお宅の仕事でしかないのです…知っているという事と、理解しているという事は違うのですが.自分は知識とし…

  • 信仰と宗教

    世の中では.宗教と信仰とは混同され.宗教も信仰も同じ類のものだと受け止められています…宗教と信仰には確かに重なる面は有るのですが、本質的には信仰と宗教とは真逆な性質のものだと言えるのです…世界には宗教に分類されている幾多の信仰が存在していますが、その中にあって.得体の知れない神仏や精霊およびその使徒などから啓示を受けた存在であるとか自分は聖人の生まれ変わりである特別な存在だと主張しなかった唯一無二のマトモな人間が釈迦尊(ブッダ)なのです…つまりは信仰とは[一切衆生を救う]とか[大宇宙の意志]とか耳障りの良い言葉を並べたてながら、人々の無明の闇を深めさせ盲目的に酔生夢死させてゆく麻薬のようなもの…

カテゴリー一覧
商用