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  • 木を見て森を見ず

    仏教を森に例えれば、釈迦尊の教えという大樹を、囲むように.各宗派.各部派という木々が繁り.下生えに仏教系新興宗教が生えているという系統図となるだろう…仏道を道に例えれば、釈迦尊という偉大な方が引かれた大道から、枝分かれるように各宗派.各部派という道が延び、その脇道として仏教系新興宗教の小道が延びているという系統図となるだろう…しかし各宗派.各部派.新興宗教という色の付いたメガネを掛けて、この系統図を見れば他宗派.他部派は雑木の類の如く映すでしょうし、劣ったものとも映すでしょう…色付きメガネを外し、木々に捉われず、道に拘らず、仏教、仏道という深淵な森、偉大な大道を見る時、そこには大原則が横たわっ…

  • 自己探求

    無理に自分を愛そうとする必要などありません、だって皆んな世界中で一番自分を愛しているのだから…もしそうじゃないと思っている人がいたら、その人は.もっと自分の心に素直になればいいだけの話し…人は皆んな幸せ探しの旅をしているのです…ただ人それぞれに探す方向が違うだけ…[青い鳥]のチルチル.ミチルも.[幸せの青い鳥]を探して世界中を旅して周ったけれども見つける事が出来ずに…失意のまま帰り着いた我が家の軒先に幸せの青い鳥がとまっていましたね…幸せとは実はそんなものであり、それを無明という[無知さ]が無常な本質である欲望の充足に幸せがあると錯覚させたり.魅入らせたりするのです…べつに欲望を否定している訳…

  • 大慈悲

    自分に執着して自分の事ばかり考えて生きている人に、慈悲と喜捨(四無量心)の心などあろう筈もなく、そこには辛うじて世間を憚った偽善のみがあることだろう…何故ならば慈悲を施す心や喜捨する心とは、自分の心の充足度(満足)の如何に従って生じる性質ものであり、例えば無常な欲望の充足に忙しい[地獄心]や[餓鬼心]や[畜生心]という貧しい心には、本当の慈悲や喜捨の心は現れないのだから…しかもそれがドゥッカ(毒華・苦しみ)を生み出している事に気付くこともなく…その毒華(苦しみ.ドゥッカ)から逃れようと、欲望の充足へと向かい、無常の波に翻弄されるのですから…ドゥッカ(毒華.苦しみ)に打ち勝つには、無明の闇を晴ら…

  • 如来の嘆き

    人間は誰でもが、幸せに成りたいと願いながら生きているのです… これから自殺しようとする人でさえ.消滅(死)中にドゥッカ(苦しみ.悩み.不安定さ.不完全さ.心痛.憂い.恐怖.悲しみ.悔い.儚さ.弱さ.脆さ.不満.空しさ.欲望.無常さ.無明さ…) などからの解放される喜び.幸せ.安心を見い出しているからに他ならず、多くの人が所有の次元の事物(お金.財産.物欲.地位.名誉.称号.権威.権力.勢力.健康.長寿.承認.理解…)に魅入られるのも幸せに成るために必要だと錯覚してるからであり…つまりはそれらは目的物ではなく幸せに成るための便宜的な手段(アイテム)であり付随物に過ぎないのです…それを実践的に証明…

  • 真逆の道

    あーだ、こーだ…あーじゃない、こーじゃない…と色んな人間が.色んな事を言うけれど、それらの殆どは.単なる観念.戯れ言.能書き.主観.空論.根拠の乏しい推測(プラパンチャ)に過ぎないのではないでしょうか…それらは実践や体現や実現を伴わない妄想にすぎないもの…そうした溢れ返った不毛な思想の荒野と紡がれた無明の系譜により、真の幸福への道が閉ざされてゆくのです…如来達の到達された深淵なる涅槃(ニルヴァーナ)は.遥か彼方に仰ぐものでも.拝むものでも.語るものでもなく、自らが実現し.体現するものなのに…その道は決して茨の道などではない、悦楽の中に智慧の覚り(覚醒)を啓くだけなのです… 例え、ためになる事を…

  • 主観

    己れの愚を知るは賢者なり、己れの愚を知らぬ者こそ真の愚か者… 最近.特に著しい精神的劣化の最大原因は妄想的思考であり、その妄想的思考へと陥らせているのが[主観]なのですが、その主観とは.五集合要素(五蘊)により形成される感覚的.感情的.妄想的な概念と意識なのです…本来は五集合要素(五蘊)により生じた主観(概念)を.表層域(思考域)に於いて客観的な思考(理性)を加えて一つの見解(ドグマ)を造っているのですが.その客観的な思考(理性)を加えることなく、感覚的.感情的.妄想的な単なる主観を.真実.事実.と錯覚したり.思い込んでいるような人は、根拠も.証拠も.証明も.事実関係もないまま.自分の考えは正…

  • 所有の次元

    人は皆、幸せになりたい.幸せでいたい.と懸命に生きているのです…そして自分を幸せにしてくれるのではないかと錯覚して、[所有の次元の事物]への欲望に血眼になっているのです…しかし[所有の次元の事物]の.お金も.財産も.持ち物も.地位も.名誉も.権威も.権力も.家族も.伴侶も.子供も.健康も.寿命も.他人の評価や承認も、決して目的物などではないにせよ、幸せになるため.幸せで在るため、便宜的に必要な手段(アイテム)の一つであり、大切な付随物にですから…上手に用いれば幸せにもするし、下手に用いれば不幸にもするものなのですから… お金持ちになって.幸せになるのも喜ばしい事ですし、王様になって幸せになるの…

  • 全体主義

    全体主義思想 お釈迦様は、自分を正しい方向へと運ぶための教えを.乗り物に喩えて.筏(いかだ)により、彼岸(ニルヴァーナ.涅槃・大悟)へと渡れと説かれました…それは教えも必要が無くなれば打ち捨て.捉われて重荷にしない為なのです.つまりは教え自体が宝というよりは、教えにより血肉となった境地こそが宝なのですから…大乗思想とは.ある意味.全体主義思想だと言えると思っている…権威や空論や得体の知れない神仏への信仰により.全体の利益を個人の利益より優先するという全体主義思想だけではなく、個人の私生活や心情までも積極的に.また強制的に全体を従属させようとするものであるのだが、凡そ全体主義が人々に自由と解放と…

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