chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
arrow_drop_down
  • 尺度(心の物差し)

    ■諸行無常この世界は全てのものが常なく刻々と変化と生滅してゆき、変化生滅しないものは存在出来ないのですが、本質的無知(無明)であったり自分が実体的存在だと勘違いして自我意識に捉われたりしていると、自分にとって都合の悪い変化に苦しみ、自分にとって好都合な変化に喜ぶという、現象の変化と生滅に喜怒哀楽しながら翻弄されて生きる事になります(苦楽とは現象の捉え方なのです…)苦から目を背けず、楽にまどわされず、苦楽を共に受け入れて、智慧の糧としてください…■依り処(精神的支柱)本質的に不安定さとドゥッカ(苦)によって成り立ち、煩悩(存在欲)に支配される人間というものは、何かしらを依り処(精神的支柱)としな…

  • 超越

    [超越]と聞くと、大概の人はスーパーサイヤ人になる方法を教えてるように勘違いするでしょうが、要は[乗り越える]ことであり、[超越]という刺激的な言葉を使ってますが、生憎とカメハメ波は教えられません…しかしある意味、それ以上に価値ある教えだと自負しています…笑人は、苦しみとか不浄なもの事から目を背け、陰に追いやろうとして、直視しようとはしませんね… それは苦しみや不浄なもの事を.直視したり.考えたりする事は、苦しみや嫌悪感がつのってゆくと勘違いしているからに他なりません…それは言い換えれば、酔生夢死の人生を歩む事を肯定する事に他なりません…それは苦しみから逃れようと酒や薬物に手を出し、一時的に苦…

  • ガラパゴス化と美学

    ガラパゴス化した観念を奉じ、偏った美学に支えられながら、取り残されてゆく姿は憐れでもある…硬直した社会からは、新しいものは生まれない…本来、2番煎じ.3番煎じの強みは価格という競技に於いてのみ発揮されるものだが、過っての日本の強みは.そこに高付加価値を具えさせた事であったのだか、国の安定と進歩に伴って価格競争では新興国に太刀打ち出来なくなった時、ガラパゴス化した観念と偏った美学に支えられた無思考な指導者達は残りの高付加価値に活路を託し、自ら衰退していった様は、まさしく驕れるものは久しからず.ただ風の前の塵に同じ…それは仏教世界にも通じる事で.普遍な絶対真理に支えられて居ながら、、無常を説きなが…

  • 大悲観

    心 悠久の時の流れに溶け込み.安らいの園に憩いて. 歓喜の泉に依りて.甘露なる法水で喉を潤し.真理の美味を食む…言葉にする間さえ与えられずに.智慧は滾々と湧き出で. 叡智は自ずと啓かれる…無明を晴らし.カルマを浄め.根源なるものと合一する時.森羅万象は 掌の中を流れ.人の世の行く先を憐れむ…

  • 如来の心は如来のみぞ知る

    如来の法(真理)は、憐れみにより…憐れむものは、無明なり…如来の法(真理)は、苦しみの消滅であり…苦しみの根源は無明なり…如来の法(真理)は、堅固な幸せ.涅槃であり…涅槃の道を閉ざすは、無明なり…如来の法(真理)は、覚醒(目覚め)であり…如来の法(真理)は、超越(乗り越え)であり…如来の法(真理)は、解放(解き放ち)であり…如来の願いは、厭離(捨て離れ)であり…覚醒.超越.解放.厭離の道を阻むは無明なり…如来が嘆息するは、無明の闇の中を.手探りで盲目的に暗夜行路を歩くが故に、行き当たる悩み.苦しみ.心の痛み.生きる空しさ.怒り.不満…が、自分自身の無明が引き起こしている事実を愚かな人達は、気付…

  • 功徳と苦得(苦毒)

    六界を 絵空世界に擬えて 稚児の脅しか区差別か 心は儘に 六道を彷徨う托鉢で辻立ちしていると、物事を感覚的.感情的.主観的.自我意識で捉える人から話しかけられて、その人の意に染まぬ時…地獄へ堕ちろ!と嘯かれることもある…笑単なる知的好奇心で質問している人…礼を欠いた人…根拠のない自分の主観や観念を押し付けようとする人…染能(洗脳)されていて邪見な人…無明な自己に気付かぬ人…小賢しい人.論争など有り様もなく、かと言って真実をオブラートに包んで綺麗事や詭弁を弄して迎合的に諂う事もなく、貧しい心を浄めなさい…無明な心に気付きなさい…自分を真に幸せにしてくれるものは、この二つだけなんですよ…と語るだけ…

  • 皆んな頑張れ

    私にとってブログとは、頑張って生きている皆んなの姿に触れて.励みとし.歓びともする為でもあり、時たま.以前の相談者から元気や幸せを取り戻した近況報告を頂くと[幸せの三要素]の一階部分の存在性と.二階部分の相補性の多いなる多幸感に包まれます… コロナ禍と梅雨の長雨も重なり何かと憂鬱に成りがちな時期ではありますが…多少.躊躇しながら[皆んな頑張れ]と題名したのですが、それは今の社会では[頑張れ]という言葉が否定的に捉えられ[皆んな頑張れ]などと言えば[お前が頑張れ]と揶揄されるのが落ちであったり、ストレス社会とも言われる社会に於いて増え続ける現代病とも言える躁.鬱症(統合失調症)とかパニック障害と…

  • 思想の荒野

    社会というものは嘘や虚構を段階的.階層的に各集団.各組織に組み込み.振り分ける事により、一貫性を保とうとするものなのです…そしてそれを安定社会と命名してもいるのです…未だ過って.真実(真理.事実.現実.実相)を核心とした社会が築かれた例などなく、完全.安心.守護.恩恵という幻想に彩られた虚構の世界を社会と呼んでいるのですが、この虚構社会は現実そのものを直視させられる世界よりも、人間的心情.人間的欲求には適っているようで.各階層.各組織の為政者や指導者が用意するものとは、無明な人々が[信じたい嘘]を用意してやる事に他ならないのですから…ですから社会には感覚的.感情的.主観的.観念的.妄想的な嘘が…

  • 心境

    元気が一番…平和が二番…三、四がなくて…お金は五番(御飯)…仙人様では無かりせば、飯を食べねば生きられず…話は変わるが、普段は食に関しては殆ど拘りがなく、幼稚園児ではないが. 海のもの.山のもの位を心掛けている…笑ら滅多にない事ではあるのだが、今日.辻立ち中に.妙に一蘭の豚骨ラーメンが食べたくなり、[食べたい時が美味い時]とばかりに、久しぶりに一蘭の豚骨ラーメンを美味しく頂きました…が、ここからが本論…拙僧.生まれ育ちが東京都下の西八王子でありまして、少しは有名な八王子ラーメンの内でも、西八王子には満福亭というラーメン屋があり(多分.今はないと思うが随分と最近まであった筈)、拙僧の学生時代には…

  • お互い様とお陰様

    世の中、政治家が選挙時には無責任に魅惑的な公約を掲げ、当選すれば忘れてしまう公約という[絵に書いた餅]のように、やがて金を儲けて金持ちになる事を夢見ながら[アスナロ]で現実には何ら実行しようとしない自覚のない人のように、自らは出来もしない欲望の滅尽やら利他やら慈悲やらと.プラパンチャ(戯れ言.能書き.空論…)を他人様に解きながら、自らは我欲と自利と経済行為に余念ない僧侶のように、如幻如露の中を生き、得るものなくして、激しき流れ(輪廻)を繰り返すは、憐れなり…■名色あまねき.名(ナーマ)と色(ルーパ)にも、我心なく、無所有を憂うることもなし…げに彼れこそは沙門とぞ呼ばれる…名色(ナーマルーパ)を…

  • トレジャー.ハンティング

    仏教とは[トレジャー.ハンティング]…つまりは土中に埋もれてる本物の黄金、大粒ダイヤモンドの原石を探しだす財宝探しだと思うんですよね…よって仏教徒とは[トレジャーハンター]なんです…人は皆んな.心の奥底に[本物の幸福(しあわせ)]という黄金が埋もれているのです…そしてそれを発見する為のアイテムも能力を具しているのです…しかし大抵の人は目の前を行き交う.耳目に入り易い物事や.感覚や感情に掛かる刺激や.人様の心を取り込んでやろうと作為的に張り巡らされた知識.情報.プロパガンダに踊らされ.直ぐに色あせたり.剥がれたりしてしまう金メッキを施された.本当はガラクタに過ぎない物質や所有の次元の事物に対し、…

  • 頂乗仏教学舎

    頂乗仏教学舎 霊験灼然 (れいげんいやちこ) (れいけんあらたか) 路傍の如来 如来品正師 多々方 路傍石 頂乗仏教学舎ブログへはこちらから 頂乗仏教学舎ブログ https://bongteng.hatenablog.jp ラインブログ https://lineblog.me/bongteng.jp 如来品正師.多々方路傍石です貴方の幸せ.平安.安楽.静逸のお役に立てる事を心掛け本欄とブログを作成していますご意見.ご質問.ご相談など有りましたら是非お気軽にご相談下さい。 「如来とは神でも救世主でも妄想的な仏でもなく、真理と智慧に基づき人々を真の幸福、真に価値ある人生へと導く正しい師である。聖な…

  • 仏教の教えとは.

    毎度おなじみのフレーズではありますが、皆、幸せになりたくて生きています…不幸になりたくて生きている人など居ないのですから…。世の中には[俺なんか幸せになんてなれないし.別に幸せになりたいとも思わない…]と言う天の邪鬼な人でも、苦行してる自分を誇りにしてる愚かな人でも、これから自殺しようとする頑迷な人でも、その中に[幸せ.幸福]を見い出して居るからに他ならないのです…そして[仏教とは何なのか?]と言えば、第一には[人々を堅固で実存的な幸せへと導く]世俗諦への道であり、第二には此の世界の本質と実相を見透し理解する勝儀諦への道であると言え、得体の知れない神仏や怪しげな力など眉唾な他力に縋り.救われよ…

  • 幸福(しあわせ)の三要素

    世の中、何処を眺めて見ても.この幸福(しあわせ)という言葉で溢れ返っているが、凡そ真に幸福(しあわせ)という人は出逢わない… 貧しい人は自分が幸せでないのは、お金がないからだと誤解しているし、お金持ちは.お金持ちで.金の事を始めとして汎ゆる物事に縛られ却って多くの苦悩と不幸を背負ってさえいる…この幸福(しあわせ)の三要素さえ、自覚できるようになれば、皆んな幸福(しあわせ)になる事が出来るのです…しかし社会には人の幸福(しあわせ)を謳いながらも、その実は自分の幸福(しあわせ)の実現の為に邁進している者達や、得体の知れない神仏の力や眉唾な超能力を持ち出して幸福(しあわせ)を商品化しようとする者達が…

    地域タグ:台東区

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、路傍の如来 多々方 路傍石さんをフォローしませんか?

ハンドル名
路傍の如来 多々方 路傍石さん
ブログタイトル
仏教の最高峰 頂乗仏教学舎
フォロー
仏教の最高峰 頂乗仏教学舎

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用