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  • いつだって「ご機嫌」に過ごす方法

    いつだってご機嫌に過ごしたいですよね。 ちょっとしたコツでいつだって「ご機嫌」に過ごすことは可能です。 いつでもご機嫌に過ごすコツ そのために必要な二つのことをご紹介します。 1.「ご機嫌に生きる」と決める。 当たり前じゃん!!って思うかもしれないけど、多くの場合「決めていない」ことが多いんです。 「決める」ってめちゃくちゃ大事 「わたしはいつだってご機嫌に生きる」と決める。 毎日宣言する。 毎日いろんなことが起きる中で「ご機嫌」を保ってられない出来事はたくさんあります。 でも「ご機嫌に生きる」と決めていると、すぐ戻ることが出来るんです。 不愉快なことがあっても「あっ。違う違う。ご機嫌に生きるんだった」ってホームポジションに簡単に戻ることが出来ます。 だからまずは「ご機嫌に生きる」って決める。 2.自身の課題と、他人の課題をわけて、自分自身の課題に集中する。 アドラー心理学ってご存知ですか。 「嫌われる勇気」という本でアドラー心理学がクローズアップされるようになりました。 アドラーが提唱していることの中で「課題の分離」という概念があります。 多くの場合、他人の問題まで自分の課題として、コントロールしようとしてしまっている。 だから苦しくなるし、ストレスもたまる。 他人の課題は他人の課題ときりわけて、自分の課題に集中する。 このアドラーさんの概念を取り入れると、周りに影響されることが少なくなっていきます。 例えば わたしはよく、他人とお話をしている中で、「○○の本勧めたらこの人の役にたちそう」と浮かぶことがあるので、人によく本を紹介します。 勧める本は相手にぴったりな内容だなと思う本。 でも、その本を読むかどうかは相手の課題。 私の課題は「本を勧めたいと思ったから勧めた」ことのみ。 わたしが勧めた本を相手が読むことまでは、わたしがコントロールできるところじゃないんです。 だから相手が読まなかったからといって怒ったり、悲しんだり、「せっかくいいと思って勧めたのに」って憤る必要もまったくないってこと。 本に限らず「このお店の○○美味しいよ」とお店を紹介することも日常的によくあるけど、行くかどうかは相

  • 今日のブログはお休みします。

    と、書いたらどれくらいの方が見に来てくれるかな? と遊び心でタイトルを付けてみました。 「こら~!!!!!」 と思われた方、ごめんなさい。 人間観察って好きですか。 人見知りアルアルかもしれないけど、「はじめまして」の時は観察するところから始まります。 そのクセなのか、何でも観察するというクセがついてます。 観察することってすんごく良いことがたくさんあります。 人間観察に限らず、何か新しいことに取り組むとき。 職場で新しい仕事を任されたときも含めて、何か新しいことを始めようと思った時。 この仕事(やろうと思っていること)をうまくやっている人は誰だろう。とまず観察する。 うまくやっている人を見つけて、その人を観察する。 これだけで、不安が少なくなります。 さらにいうなら、うまくいっている人とうまくいっていない人を比較して、どの部分がうまくいくコツなのかを観察する。 こうすることで、「試行錯誤」という余計な時間をショートカット出来るんです。 「面白そう!!」と飛びついて、わき目も振らず始めてみるという勢いも大事。 考えるより一歩まず進んでみると、先延ばしクセは格段に少なくなります。 そのうえでただやみくもに進むんじゃなく、うまくいっている人を観察する。 そうすると進む道に灯りがともって、先に進みやすくなるんです。 最初から「これ。やろう!!」と決めてうまくいっている人の話を聞きにいく。というのもありですよね。 モノによっては聞きながら、実践してしまう。 スピード感ってめちゃくちゃ大事。 迷ってる間に、機会を逃してしまう。 次に同じ機会がやってくることはない。 それくらい急速にモノゴトの展開が早くなっていると感じています。 まず決める。 そして観察する。 この2ステップ意識すると、ほんの1か月でも、めちゃくちゃ先に進んでいるのが実感できます。 毎日記事を書く中で、その時感じていることを表現しているのですが、なんだかそれではもったいないな。と思ったのです。 NLPや引き寄せなどの学んできたことやサイト運営を通じて、もっと役に立てる方法をもうちょい深掘りして

  • 自分自身と「調和」するために後押ししてくれる「シンクロ星人」

    先日「シンクロちゃん」の著者である佐藤由美子さんの講演会に行ってきました。 その日は「即位礼正殿の儀」の日 東京では、朝からの雨が13時前には、雲間から青空が見え始め、皇居をまたぐように虹がかかっていた。と話題になっていましたね。 めちゃくちゃ神話チック。 【令和】 愛と調和の時代 慈愛に満ちた国造りが原点にある、そんなスピリットが前提の日本に、この時代に生まれてこれたことに感謝と誇りを感じました。 で、佐藤由美子さんの講演会 1冊目の著書「世界にひとつ あなただけの魔法の言葉」が出版される前から存じていたんですが、今に至るまでの人生遍歴を今回初めて聞いたんです。 一言でいうなら山あり、谷あり、そしてまた谷あり、、、。 佐藤由美子さんの「10秒スイッチ」は、追い込まれてどうしようもない状況から偶然に生まれたとお話されていました。 講演の中で、 ずっと、自分のほんとうの気持ちに蓋をして生きていた。 ということをお話されていました。 わたしもずっとそうだったから、痛い位よくわかる。 本心とは真逆の行動をとってしまって、ますます自己嫌悪に陥る。 そして表面的に、そんな行動をとった自分に「思考」で言い訳をして言い聞かせる。 何度もそうしているうちに、本当の気持ちを箱に入れて、鍵を閉めて、どんどん奥の方に追いやってしまう。 そうすると、益々自分の気持ちに気がつけなくなっていく。 そんな悪循環に陥って、苦しい想いをしてました。 人目を気にしたり、親の顔色を見たり、期待に応えようとして、本来の自分の気持ちよりも周りを優先して生きていく 日本人は特に多いんじゃないかな。 幼い時から空気を読んだり、周りに気を使うように強制されられて育ってしまっていること、多いように思います。 「わがままを言ってはいけない」という教えも潜在意識に刻み込まれている。 「わがまま」は決していけないことではない。 「わがまま」ではなく「あるがまま」の自分を取り戻すと、封印していた自分の檻から解放される。 自由になれる。 自分らしくあるがままでいられるようになると、ものごとの判断基準が自分に取り戻せる。 だから周りがどうとか、どんどん気

  • 「宇宙時間」って何?~誰もが経験している大事な時間。

    時間を忘れて没頭することってないですか? 没頭している間って「時間」という概念がぶっ飛びます。 没頭している間に限らず、夢中で遊んでいたり、または「ぼぉ~」としている間って、「時間」を忘れている。 「時間」という概念から離れた空間にいるような感覚になります。 「宇宙時間」と言ったりもします。 夢中になれることの中に、本来の自分らしさが隠れていると思ってます。 一般的に言われる「才能」とか「天分」みたいなもの。 一時期、自分のやりたいことを見失っていた期間があります。 結構長い期間・・・ わたしは何をしたいんだろう??と思いを巡らせて、とりあえず興味を持ったものを調べてみたり、ちょっとかじってみたり。 それまで知らなかったことを新たに取り入れるのは新鮮で世界が広がります。 こういうことを学ぶ人ってこんな感覚なんだな~と、新しい出会いもあり、それはそれで楽しいのです。 何にもしないよりも、とりあえずやってみると得るものってたくさんあります。 でも、「面白い」し「わくわく」するけど、なんか違う。 ワクワクもするし 始めたら楽しいし でも、自分らしさを表現できるものでもないし、居ても経ってもいられないほど熱中もしない。 そしてまた元に戻る。 「わたし何がしたいんだろう」の繰り返し・・・ こんな感じで数年間過ごしていました。 方向性を見失って、さまよっていたんです。 で、ついに、ずっと気になったまま放置していたことに、重い腰を上げて着手してみたんです。 10年ほど前に作ったサイトがスマホ対応してなくて、おまけに写真が何だか暗いし画素数も低く綺麗じゃない。 喉の奥に刺さった小骨みたいにずっと気になってはいたけど、気持ちが向かないし、面倒だからと見て見ぬふりしてたあるサイト。 仲間からの提案もあり「よっしゃ~。やり直すか!!」と取り掛かっているうちに、だんだん楽しくなってきた。 新しいアイデアも出てきた。 で、思ったのです。 「なんだ、答えはここにあった。」 外に何かを求めていたけど、全部自分の中にあったんです。 今もし自分のやりたいことが見つけられないとしたら

  • 人生RPG~次のステージに進むために必要なアイテムを手に入れろ。

    決めることって勇気が必要だな。と感じています。 決めない方が楽なときが多いから。 でも、実は「決めない」というのは、「決めない」ということを「決めてる」んだよね。 一見リスクを回避しているように見えるけど、決めない限りどこにも進めていない。 とりあえず「決めて」進むと、何かしらのフィードバックはあるものだもの。 本当は「決めない」方がリスクが高いんだけど、「決めること」って怖いんだよね。 今までと違う選択肢をしようとするのって、ものすごく「勇気」が必要。 どんな些細なことであっても。 ある日突然人生が変わることを期待している人って多い。 宝くじが当たったら・・とか 運命的な出会いがあって・・とか わたしの隠されたポテンシャルを見つけてくれる運命の出会い。とか(笑) すんごくわかる。 以前のわたしもそんな風に夢見がちだった。 でも夢見ているうちに少女じゃいられなくなった・・・(笑) 「お金があったら」とか 「時間があったら」とか 今ないものにフォーカスを当てて、理想の自分ではないことの言い訳にしていた。 現状が変わらないのは「○○がないからだ」「○○さえあれば、、、」という具合に。 変われないことを自分以外の環境や人のせいにして、そこに留まり続けるのって「楽」だし、脳は現状維持が好みだし。 今までと違うことをやろうとしたり、違う価値観を身に付けようとすると、脳がブレーキを掛けてくる。 「あぶない!やめろ!!!」って。 だから、変われないのはある意味仕方ない。 だからこそ、「変わろう」とすることはめちゃくちゃ「勇気」が必要になってくる。 「怖い」という感情がやってくるのは仕方がないこと。 今までと違う価値観を受け入れることで、180度考え方が変わるから。 変化すると今までの自分ではいられなくなるから。 自分の価値観を疑うところから始めるのは、めちゃくちゃ勇気を振り絞る必要がある。 なによりも自分に言い訳したくなる。 次のステージに進むために必要な「アイテム」が勇気なのかもね。 だから、次に進むために自分の人生がRPGだと思って日々遊んでみると楽しくなってくる。 頭

  • 効果的な受け取り方~学びに費やした時間とお金を回収する方法

    本を読んだり、講座で学んだり、自分を成長させてくれるツールってたくさんあります。 成長することへの貪欲さって、すんごく好きです。 にんげん、いくつになっても成長していけるもの。 知識欲や成長欲って、どんどん螺旋状に増えていくような気がする。 わたしも、講座を受講したり、スンバらしい人の話を聴いたり、本を読んだりして新しい知識を得るのは大好きです。 とはいえ、せっかく受けてもちっとも身にならない。なんてことないですか? せっかくいい話を聞いても、家に帰ると綺麗さっぱり「あれ?なんだっけ」な~んて。 聴いている間は「うん。うん」「すご~い」「そうやったらいいんだ」とか「わたしにも出来そう」とか いろいろ思うし、ワクワクしていたにも関わらず、24時間経たないうちにすっかり忘れてる。 「あの時間、なんだったんだ!」ってなること・・・ 講演会とはセミナーとか、始めて聴くような新鮮な内容であればあるほど「へ~」で終わってしまう。(笑) 聴いただけで、わかった気になってしまう。 アルアルですよね。 数年経って、改めて誘われた時に「そういえば、わたしその人のセミナー行った事ある」って思いだす。 で、「そこでの人とのご縁が良かったから・・」なんていう言い訳をして自分を納得させる。 ご縁も確かに「かけがいのない」ものですし、後に繋がっていることもたくさんあるので、それはそれで貴重です。 が、肝心の講座自体が、ぜ~~んぜん、何にも活かされていない。 つい最近までわたしはこのパターンでした。 でも、めちゃくちゃ日常で活かされている講座やら本もたくさんあるんです。 その違いって何だろう?と思い返してみました。 決して、講座の内容だけの問題ではないことに気がつきました。 (全然役に立たない講座もあるにはありますが・・・) 「アウトプット」の量の違い。 受取るだけではなく、どれだけアウトプットしたかによって、身につき方が全然違うんです。 アウトプットの方法は大きくわけて次の二つ 一つは、講座で学んだことや役に立ったことや感じたことを表現する。 誰かに話すこともアウトプットだし、例えばブログなどで表現することもア

  • 「片付けの心理法則」~整理整頓よりも先に必要なこと。

    モノって勝手に増えていきませんか? お店で購入するときに選んで、厳選して買ってきているはずなのに、 もう使わなくなったモノは処分しているはずなのに、 なぜだかモノが減らない。 何かひとつ購入してきたら、何か一つ処分するようにはしていたんです。 なのに、なぜだかモノが増えている様な気がする。 その理由がわかりました。 意識していないモノたちを、結構家の中に取り入れていたんです。 プレゼントやお土産で頂いたモノとか(嬉しい) 日用品だからと気軽に買ってきたものとか 「本」と「布」に関しては気軽にどんどん取り入れているし。 意外にも意識せずに家の中に入っているモノたちが、思っている以上にあることに気がついた。 これじゃあ、減るどころか増えていくのは当然。 だって均衡を保ててないんだもの。 「ミニマリスト」ではないので、モノが少なければいいとは思っていないんです。 快適に暮らせて、必要なモノがすぐ取り出せて、作業するときには作業しやすい環境があるのが理想 気付きのきっかけになったのはこの本。 「人生を想い通りに操る 片づけの心理法則」 表紙をめくるとこう書いてあります。 「本書は部屋がきれいになることをゴールにした本ではありません。片づけで人生を最大化し、幸福を手に入れるための本です。」 この考え方すんごく好きです。 自分にとって快適に暮らすことが目的だから、極端なことを言うと綺麗な部屋でなくても、どこに何があるのかわかっていればいいのかもしれないな。と思うのです。 自分にとって居心地よく過ごせるためのアイテムを排除してまで、ミニマムに暮らすことが、イコール幸福とは限らない。 なのでわたしの場合は「ミニマム」に暮らすことが本意ではないんです。 片付いている空間の方が好きだけど、機能的過ぎるのは、わたしにはちょっと違う。 自分の価値観や何のために片付けをするのか。から言及している本です。 片付けをする前に必要な自分自身の在り方 片付けひとつとっても、生き方がベースにないと、その時の流行に振り回されてしまう。 どんなに収納術の本を買っても、 どんな

  • https://takekomiku.com/exciting-pursuit/

    夢中でやってしまうことって何ですか? 最近なんだか楽しくないな~ 不満はないんだけど、わくわくしない・・ なんてことないですか? わたしは結構そんな時期を長く過ごしてました。 で、とりあえず、興味を持ったものを片っ端からやってみた。 ちょっと興味が沸いた講座もとにかく行ってみた。 で、 「あっ。そうそう。数年前にこんなことやりたいって思ってた。」 とか 「ここに行ってみたい。って以前思った事あった。」 とか なんだか、忘れてたけど「過去に思った事結構叶ってる~」って思ったのです。 で・も、 それでも何だか物足りない。 それは、自分にとっての「一番」に向かっていなかったからでした。 自分にとっての一番 夢中になって時間を忘れて、お腹が空いてても気にせずやってしまうこと。 人それぞれあると思う。 つい夢中になって、「はっ!!!」と気がついたら「こんなに時間が経ってた」というモノゴト 自分にとっての「一番」に向かう時、最初「怖い」んだけど、いざ始めると楽しくて、楽しくて、時間を忘れて没頭してしまう。 わたしにとっての「一番」は「モノを創り出すこと」でした。 もともとわかっていたけど、なんだか随分遠回りしてました。 しかも色々やってはみたんだけど、アプローチが違っていたって気がつきました。 ほんとうは随分前からアドバイスも頂いてはいたんだけど、自分自身で「あっ!」と思わないと先に進もうと思えないもんです。 でもこれもタイミング。 機が熟すのを待ってたのかも。 ただただ創ることが好きなんじゃなくて、頭の中で思い描いたことを見える形にしていくことがすんごく好き。 そして、その創りだしたもので、どこかの誰かが喜んでくれている。ってわかった時にすんごい!すんごい!!!「幸せだな~」と思うのです。 こうして文章を書いてると、「この記事すっごく心に響いた」というコメントをいただくことがあるんです。 ブログを見てくださった上にコメントもいただけて、すんごく嬉しくて「幸せ~」って感じる瞬間です。 文章を書くことも、頭の中の思った事を「文字」という形にしていくことのひとつ。 外に

  • 「以前ダメだったからまた次も・・・」と思ったら、まずは自分に聞いてみる。

    また失敗した。 次も絶対うまくいかない。 と、いう思考に捉われてしまうことないですか? 取組んだモノゴトの規模に関わらず、何かを経験すれば「失敗」はつきものだと思う。 失敗した時に「やっぱりね」と思うなら、次に挑戦しても結果は多分また「やっぱりね」になる可能性の方が高い。 だって「失敗する」という前提が引き寄せるのは「やっぱり失敗した」だもの。 心の奥底で「やっぱりね」の波動を出して入れれば、ほ~らちゃんと「お望み通り」がやってくる。 そんなマイナスな思考に捉われた時には、「うまくいかなかった原因」を洗い出してみるといい。 わたし自身、ものごころついた時から洋裁をしているけど、いまだに失敗はします。 「あっ!やっちゃった~」って仕方なく、一度縫ったところをほどいて縫い直し。割とよくやります。 で、失敗した原因をちゃんと確認して、次にはその検証した「同じ過ち」を繰り返さないでもう一度やってみる。 成功率は間違いなくあがる。 それでもうまくいかなかったとしたら、もう一回どこに原因があったのかを検証する。 ひとつひとつつぶしていけば、どんどん精度はあがる。 そもそも挑戦しない限り「失敗」も出来ない。 自分の望む結果に到達したら成功。 望む結果にならないと失敗という定義でしょ。 望む結果に辿りつきたいのに、心の中で「うまくいかない」って最初から決め込んでたら、いつまでたっても「望む結果=成功」には届かない。 「次も絶対うまくいなかい」って決めつけてしまう思考のクセ できない方に焦点を当てている限り、焦点をあてているものが拡大しちゃうんだな。 極端なこというと、うまくいくか。いかないかは本来50:50の割合のはず。 次に挑戦するときに、な~んにも学ばず「一度ダメだったから次もだめ~」という意識でいる限り、同じことの繰り返し。 もったいない。 とはいえ、「前それやってうまくいかなかったな~」と考えてしまうことは多々あります。 そんな時は一旦自分に聞いてみる。 「それやりたい??」って。 本当のところ「やりたくない」ことなのに、心は嫌がっているのに、外向きな色んな事情でやっていた

  • 現実にくっつける解釈次第で、出来事は180度違ったものになる。

    断ったら悪いかな。 こんなこと言ったら傷つけるかな? いつもそんな風に相手に気を使って、自分の本心からかけ離れた行動をしていないだろうか? 気が進まないお誘いに対して、 前回も断ったし、その日は空いてるし、また断ったら二度と誘ってもらえないかもしれない。とか。 はたまた グループラインなどで、自分の意見を言いたいけど「これ言ったらなんて思われるかな」と躊躇していつも言いたいことが言えない・・とか。 相手がどう解釈するのかは、相手の世界のこと。 いくら気をつかったところで、相手がどう受け取るのかまでは、コントロールできる範囲ではない。 どんな発言をしようと、 どんなに気を使おうと、 どんな風に受け取るのかは、あくまでも相手の中で起きていること。 相手の中で起きていることに、介入することはできない。 「こんなこと言ったら傷つけるかな?」といくら思ったところで 「傷つく」という選択をするかどうかは相手が決めること。 な~んとも思ってないかもしれない。 同級生と想い出話しをしているのに、まったく違う出来事について話しているような感覚になったことってない? 同じ空間・同じ場所で同じ経験をしているはずなのに、それぞれの記憶が全然違うものになっている。 記憶はただのフィルム。 そのフィルムを収納するときにどんな解釈をくっつけているのかは、人によって違う。 だからいくら同じ想い出を共有していても、人によって記憶されているモノゴトが違うものになる。 今目の前で起きている現実にしても全部そうかもしれない。 体験はすべてわたしたちの心の中で起きていることであって、事実とは異なることってよくある。 出来事にどんな感情をくっつけて記憶しているのかによって出来事の意味合いは変わってくる。 「マトリックス」の世界みたいに。 わたしたちの周りで起きていることも、本当はすべて「マトリックス」の世界のように仮想現実なのかもしれないな。って思った。 気を使ってとった行動に対しても、もしかしたら相手の中では「負」の感情をくっつけているかもしれない。 相手の世界の中で起きていることまで、介入することはどうしたってでき

  • 近づき過ぎるから「ストレス」になる。ならば自分から離れてみる。

    誰もが認められたいイキモノなんだ。 「愛の反対は憎しみではなく無関心」 マザーテレサの言葉だとか、いや違うとか諸説ありますが・・・ そもそも「好き」と「愛情」と「愛」は違うものだけど いずれにしても、やっぱり「無関心」って「愛」の対局にあるもののような気がします。 「嫌い」とか「憎しみ」って、「認識」という前提があるからこそ。 「認識」していなければ「嫌い」にもならないし、憎しみも生まれない。 少なくとも関心を持っているから「嫌い」になったり、「憎む」になったりするもんね。 よくいう「アンチ」って、多大なる関心を持っているひとたちのことだよね。 今読んでいる本「アルフレッド・アドラー 人生に革命が起きる100の言葉」の中に 「人は正しいことをして注目されないと時に「負の注目」を集めようとする。それに失敗すると今度は自分の無能さを見せつけるようになる。」 って書いてあるんです。 人間の行動のひとつひとつって、 誰かに認められたい。 自分は特別な存在なんだ。 って示したいというのが大前提に在るような気がします。大なり小なり。 マズローの5段階欲求でも、4段階目の欲求は「承認欲求」 今この時代では、その前の段階の欲求は満たされている人が多いから「承認欲求」を満たしたいのかも。 自慢話をしたがる人も、 人を貶めて自分を優位に立とうとするのも、 やたらと周りの世話を焼きたがるのも、 お店に行って店員に土下座をさせたがるクレーマーも、 ネットで炎上させるのが好きな人たちも、 根本は他者に認められたい。 関心を持ってもらうためにあの手この手と手法を変えているんだな~。 周りと比較して自分は特別な存在なんだ。って示したい。 外を向いているから、認められたいんだと思う。 この中にいると、人間関係で煩わしさを感じてストレスもたまることあるよね。 合せようとするからストレスがたまる。 起きてることに反応するから解決しない。 表面的なものばかり拾うから「イラっ」としたり振り回されたりする。 そういうの一切やめて、自分の内側で感じていることに目を向け始めると、だんだんそ

  • 「制限」を掛けているのは自分自身だってわかっているのに・・・

    人間は「思考」で作られてる。 思った通りの人間になるし、思った通りのことが起きる。 と昨日ものすごく強く思ったのです。 人間って本来とってもパワフルなのですよ。 「う~~ん、こんなことやりたいな」って思ったとしても、心の奥で「いやいや無理でしょ」ってつい否定する声がする。 そうすると、ちゃ~~んと「無理でしょ」と思った通りのことが起きてしまう。 つい最近、もうこれめちゃくちゃ行きたい!!と強く心を動かされるイベント情報があったんです。 そのあとの意識の中の葛藤がすんごいの。 「いや、でも現実問題無理っぽくない??」 「何とかなるんじゃないかな?」 「いつも何とかなるさって軽すぎない?ちゃんと状況を把握しようよ」 と・・・ これ全部私の心の中で起きてる対話です。(笑) ああでもない。 こうでもない。と 二人の自分が喧々諤々。 頭の中をぐるぐるぐる。 気になり過ぎて、瞑想にも集中できないくらい、思考に支配されてました。 で、今朝になって気がついた。 思いっきりぶれている。 思った通りの現実がやってくるんだから、いったん思考を止めてクリアにしよう!!と思ったのです。 出来ない。やれない。というネガティブ側の思考を全部一旦手放してみた。 で、達成したときの感情にフォーカスすることにしてみた。 「行く」前提に思考を切り替えてみた。 どうなるかはわからないけど、 物理的なことは全部宇宙に丸投げして、行くことを前提にほかのものごとを選択してみる。 さて、どうなるか? ここで出てくるのが自分自身を閉じ込めている「制限」とか「固定概念」 そして「恐怖心」 「めちゃくちゃ怖い!!どうしよう」と思ったら、なんだかわくわくしてきたのです。 なんだか真剣になっている自分を眺めて面白くなってきたんです。 経験上「怖い」と思うときは本当は進みたい方向 本当に行きたい方向に向かおうとすると、無意識さんが「だめだめ。やめときなさい」ってストップをかけにくる。 恐怖心に向かおうとする時、目の前の「恐怖」にフォーカスすると足がすくんで「やっぱりやめよ」ってなってしまう

  • https://takekomiku.com/develop-information-literacy/

    インターネットって知りたいことをすぐ検索できてほんとに便利 でも、よく観察しないと、結構嘘っぱちの情報も多い。 何かを比較対象として自分の売りたい商材に結びつけるような情報とか。 情報商材系は、対象となる物をこきおろして、自分の宣伝するものに誘導するもの結構多くありますね。 有名な方の名前で検索すると、検索ページの上位に出てくるのは、ほとんどがそんなネガティブキャンペーン。 便利な反面、その情報が真実なのかどうか。ってまた別の問題。 ここを正しく判断できるリテラシーを育てていきたいな。といつも思っています。 全てを鵜呑みにするのはとっても危険です。 にんげんは基本的に聞きたいことしか聞かないし、見たくないモノは見ない。 同じ情報を受け取っていても、解釈は人によってそれぞれ 全ての情報を100%受け取ってしまうと、脳は優先順位を付けられないからパンクしちゃうから仕方がないの。 自分にとって知りたい情報、優先度の高いものしか受け取らない。 だから、意識が変わると過去に一度見たものであっても、次に見た時には受け取る物が変わってくる。 どんなものでもいいから試してみるといいと思う。 1年位まえに観た時と今改めて観た時の受け取る物の違い。 たとえば「映画」ひとつにしても同じ 短い動画でもいいと思う。 アニメーションなどの娯楽映画でも、その柱にあるメッセージが素晴らしいものってたくさんあります。 アニメーションこそ、誰にでも受け入れられやすいようにエンターテイメントが前面に出てるけど、その奥にあるメッセージは深いものが多い。 「楽しい」だけで以前は観ていたけど、自分の意識が拡大してくるとその背景のメッセージに気が付けたりします。 まったく成長していなければ、受け取る物は変わらないかもしれないけど。 昨日の記事でも書いたけど、人間は「経験」するためにこの世に生まれてきている。 経験すればするほど、成長していく。 毎日の小さな成長には自分ではあまり気がつけないものだけど。 振り返ってみると「あら意外、結構遠くまで歩いてきたな~」って気がつけることあります。 その目安としても、以前観たものをもう一度観てみる。 本で

  • 自分に意識を向けていると、内側からやってくる「恐れ」に気付く

    気づくべきは、自分自身の内側 他人にどう思われるかという視点から、自分がどう思うか?という視点に戻すことでどんどん自由になれる。 って昨日の記事でも書きました。 何かを表現しようとしたり 何かをだれかに伝えようとしたり または、何かやってみようと意を決したり そうすると、自分自身の内側から出てくるものが必ずある。 ゾクゾクしたり わくわくしたり そわそわしたり この感覚ものすごく大切です。 毎日をとにかく、なにごともないように平穏無事に過ごすのもとってもいいんだけど、 わたしたちは「経験」をするためにこの世に生まれてきている。 「成功」したり「お金」を稼ぐためではない。 いくらお金を稼いでもあの世までは持っていけない。 持っていけるのは「経験」だけ。 成功の定義だって同じ。 何かに挑戦して、自分の望む結果になれば「成功」 自分の望まない結果であれば「失敗」 どっちも「経験」であることに変わりはない。 経験するから「学べる」 経験するから「成長」する。 だから、何かにトライしようとして、自分の内側から出てくるなんとも言えない感覚 ゾクゾク・そわそわ・わくわく・・・ 心臓がキュンとなったり、背筋がぞくぞくしたり、、、 この感覚を捉えると、自分が何に対して「恐れ」を持っているのかがよくわかる。 何に対して「心躍る」のかもよくわかる。 一番やりたいことをやろうとした時にこそ、強烈な「恐れ」がやってくる。 一番やりたいからこそ「失敗したくない」という想いがブレーキになってるような気がするな。 はたまた、「この先に進んだら戻ってこれない」と無意識からの働きかけ この無意識からのブレーキ 結構強烈なんです。 だからこそ「試されてる」。無意識のやつブレーキ掛けに来てる。って思うことにしています。 この「恐れ」に向き合って、先に進むとどんどん本来の自分に近づいて行ける。 無意識がブレーキをかける なんにもやらない方が安全地帯にずっと居られて「のほほん」と過ごせるもの。 安心安全だよね。 でもずっと安全地帯にいて「のほほん」って

  • 「表現」することで得られる自由~「表現」することは「生きる」こと

    自分自身を表現していますか? アウトプットという言い方もあるけど「表現する」の方がしっくりくる。 なのであえて 「表現」してますか? 自分自身を表現する。 自分の想いを表現する。 学んだことを自分自身のフィルターを通して表現する。 この「表現」することって、ものすごく受け取る物が大きいと感じています。 こんなこと言ったらどう思われるかな?とか こんなこと言ったら場の雰囲気壊すかな?とか こんなこと言ったら恥ずかしいな。とか 感じたことをそのまま表現する。 慣れないうちは、すっごく抵抗感があったり、怖かったりすると思うんです。 でも、一回やってみるとわかる。 自分が感じていることをそのまま表現することはとっても自由だ。 ということに。 表現するから自分自身に落とし込める。 表現するから確認できて次に進める。 他人にどう思われるかという視点から、自分がどう思うか?という視点に戻すことでどんどん自由になれる。 「見られている」ではなく「見てる」ことに意識を向ける。 そうするとだんだん「どう思われるか」は気にならなくなってきます。 以前のわたしであれば、明らかに躊躇して表現していなかったようなことも、最近はほとんど気にすることなく、感じた通りに表現してます。 自分が表現したいことに従ったのであれば、反応がなくても気にならない。 周りの目を気にして、自分自身が感じていることと違う表現の仕方をすることは自分に嘘をついてることになる。 周りの目を気にして、自分に嘘をつき続けて苦しくなるのは自分自身 つい最近「わたしは自分のことを宇宙人だと思うことにしたんです」と表現してみたんです。 ずっと周りに馴染めず生きづらさを感じてたけど、自分が宇宙人だと思うと妙に腑に落とせたから。 なんの根拠もないけどね。(笑) そうすると「わかる~~」という声がものすごく多くてびっくりしました。 こんな突拍子のないことを言っても共感してくれる人がちゃんといるんだな。と嬉しくなりました。 自分のありのままを表現して、理解されないとしたら、そこはあなたの居場所ではないのかもしれない。 恐れを手放して、自分

  • フィードバックは、豊かな恩恵が潜んでいる成長の機会

    情報を発信していたり、価値や商品を提供していると 時には気に入らないフィードバックをいただくことがある。 一瞬「ムっ」としたり、「うっ」ってなったりすることもあるかもしれない。 いただいたフィードバックに、主観を交えてしまって、自己弁明をしたくなる時もある。 反発したくなる時もある。 でも、これって、すっごくもったいないこと。 主観を交えて、自分の正しさを主張したくなるときこそ、ぐっと我慢して一歩引いて見てみる。 そうすると、そのフィードバックの中にものすごい恩恵が隠れていることに気がつく。 聞きたくない意見かもしれない。 目を背けて向き合いたくない意見かもしれない。 だとしたら、益々恩恵が隠れている。 だって、向き合いたくないことだとしたら、本当のことを言ってくれているってこと。 主観を交えるから、自分の感情を伴って「うっ」となるけど、客観的に見るとフィードバックはただの意見。 以前も書いたけど、よっぽどのクレーマーでない限り、改善すべきことを教えてくれるただの意見 以前こんなことがあった。 タイトルに惹かれて参加したあるセミナー 受講してみると「タイトル」で謳っている部分は全体の15%程度で、残りはほとんどメンタルに関しての内容だった。 「う~~ん、ちょっと想像してたのと違うな~」と思いながらも、2回目に期待してもう一度参加。 う~~ん。やっぱり「タイトル」で謳っていることは全体の15%あるかないか。 わたしには必要なかったな。と判断して、アンケート用紙に、その旨を記載。 夜に主催者さんからお礼のメッセージがきたんです。 「どうしようかな?」「余計なお世話かな??」と思いながら、それこそ「意見」を伝えてみたんです。 批判とか批難のつもりは全くなく「今後のためにタイトルを工夫してみると私みたいに勘違いする人いなくなると思います。」みたいな感じで・・・ とっても丁寧な返信をいただきました。 ただすっごくビジネスライクな返信だな。ってわたしは感じたんです。 女性通し、しかもセミナーの雰囲気はアットホーム。にも関わらず・・・ 主催者と受講者という関係性がある以上、あまりにもフランクな返信は出来ないとは思うけど

  • 何のために「学び」「経験」するのか?~出口があるから自由になれる。

    感情を押し殺していませんか? チクっとした感情 モヤっとした感情 ワクワクした感情 生きていると、瞬間瞬間いろ~んな感情が出てくると思うんです。 ワクワク・ドキドキという好ましい感情ばかりだといいんだけど・・・ チクチクしたり、モヤモヤしたり、という居心地の良くない感情を捉えるときもあります。 なんとなく居心地悪い感情が浮いてきているのに、スルーしてしまうことってありませんか。 ワクワクやドキドキは思いっきり味わうのに、好ましくない感情は「気のせい」にしたり、理由付けをしてみたり、はたまた外部(他人)のせいにしてみたり。 ワクワク・ドキドキと同じように、好ましくない感情も自分自身の内側から出てきたもの。 居心地が悪いからと言って、スルーしてしまうのは、とってももったいない。 自分にとって居心地がよくないものを捉えたなら、その感情の元になっている解釈を書き換えてしまうチャンス。 解釈・フィルター・思い込み いろんな表現があるけど、どれも一緒 イラっとしたり、モヤっとしたり、チクっとしたりするときは、そう感じるフィルターを自分が持っていると気付くチャンスなんです。 最初からフィルターを書き換えることは難しいかもしれない。 でも感じている感覚を見逃さないで、理由づけしないで、素直に捉えてみることは出来ると思う。 その感覚ってすごく大事。 その感情のもとになっている自分自身の思い込みや、過去の出来事と紐づいている黒いフィルターに気がつくと、その意味付けを変えることが出来るんです。 自分で勝手につけている意味づけなんだもの。 過去にこんなことがあったから、このパターンはこう!!とか。 こういう場面ではいつもこんな結果になる。とか 「頑張らないと認めてもらえない」という思い込み だから自分ひとりで頑張る。 一人で頑張り過ぎて人にものを頼めない。 「大丈夫です」って条件反射的に言ってしまう。 そして自分の首を絞める。 こんなパターンを持っていたんです。 そして「なんでわたしばっかり大変な想いをしなきゃいけないの」って周りのせいにしてたんです。 自分で作っていた思い込み(制限)の中に自分

  • ネコ好きの、ねこ好きによる、猫好きのための、癒しのパワーチャージ

    猫好きですか? 子どもの時、猫も犬も亀もひよこも家にいました。 猫派・犬派とかで、どっちが賢いとか、どっちが可愛いとか争っているのを見かけたことがあるけど わたしはどっちもいいんじゃない派です。(笑) 猫も犬も動物みんなも人間も植物も鉱物も含めてみ~~~んな地球の生命体 ペットとして飼われている動物は、人間に近くて波動が高いらしいです。 それに、犬も猫も癒しのパワーって半端ないですよね。 犬や猫に限らず生命体にはそれぞれもっている波動があって、 我が家は賃貸なのでペットは飼えないけど、たくさんの観葉植物と石(パワーストーン)からエネルギーもらってます。 で、たまにキュン死しそうなペット動画を観て「ホコっ」と癒されています。 昨日の記事でも書いたけど「いつも自分自身をいい気分」にすることはとっても大事 何かを愛でるとき 自分の中にある見返りを求めない無償の愛に気付くとき 見ているだけで癒されるなんて、こんなに気分がよくなることってないですよね。 そんな癒しのパワー絶大で、見ているだけで気分が上がる。 おともだちが、今回猫好きのための写真集を出版しました。 【愛しの猫たちへ ニャンズ・メモリーズ Vol.1】 キュン死間違いなしの写真集です。 この猫好きさんによる猫好きのための写真集、今日から二日間限定で無料でダウンロードできます♪ 無料でダウンロードできる期間は、10月3日(木)16:00~10月5日(土)15:59。 しかも今日10月3日(木)22:00~24:00は2時間特別キャンペーンですって。 この2時間の間にダウンロードするともっと、オ・ト・ク 詳細はこちらで確認してみてください。 【Vol.1】ということは第二弾・第三弾も期待できます。 我が家の可愛いにゃんこちゃんも、次の写真集に仲間入りできるチャンス この機会にぜひ著者さんとも繋がってみてください。 写真集を手に入れて、ニヤつき過ぎていないか、たまに自分を振り返ってみてくださいね。(笑) ブログランキングに参加しています。ポチっとしてくれるとめちゃくちゃ喜びます。いつもありがとうございます。 にほ

  • ネコ好きの、ねこ好きによる、猫好きのための、癒しのパワーチャージ

    猫好きですか? 子どもの時、猫も犬も亀もひよこも家にいました。 猫派・犬派とかで、どっちが賢いとか、どっちが可愛いとか争っているのを見かけたことがあるけど わたしはどっちもいいんじゃない派です。(笑) 猫も犬も動物みんなも人間も植物も鉱物も含めてみ~~~んな地球の生命体 ペットとして飼われている動物は、人間に近くて波動が高いらしいです。 それに、犬も猫も癒しのパワーって半端ないですよね。 犬や猫に限らず生命体にはそれぞれもっている波動があって、 我が家は賃貸なのでペットは飼えないけど、たくさんの観葉植物と石(パワーストーン)からエネルギーもらってます。 で、たまにキュン死しそうなペット動画を観て「ホコっ」と癒されています。 昨日の記事でも書いたけど「いつも自分自身をいい気分」にすることはとっても大事 何かを愛でるとき 自分の中にある見返りを求めない無償の愛に気付くとき 見ているだけで癒されるなんて、こんなに気分がよくなることってないですよね。 そんな癒しのパワー絶大で、見ているだけで気分が上がる。 おともだちが、今回猫好きのための写真集を出版しました。 【愛しの猫たちへ ニャンズ・メモリーズ Vol.1】 キュン死間違いなしの写真集です。 この猫好きさんによる猫好きのための写真集、今日から二日間限定で無料でダウンロードできます♪ 無料でダウンロードできる期間は、10月3日(木)16:00~10月5日(土)15:59。 しかも今日10月3日(木)22:00~24:00は2時間特別キャンペーンですって。 この2時間の間にダウンロードするともっと、オ・ト・ク 詳細はこちらで確認してみてください。 【Vol.1】ということは第二弾・第三弾も期待できます。 我が家の可愛いにゃんこちゃんも、次の写真集に仲間入りできるチャンス この機会にぜひ著者さんとも繋がってみてください。 写真集を手に入れて、ニヤつき過ぎていないか、たまに自分を振り返ってみてくださいね。(笑) ブログランキングに参加しています。ポチっとしてくれるとめちゃくちゃ喜びます。いつもありがとうございます。 にほ

  • 今すぐ出来る!!「自分自身をいい気分」にする方法

    笑いながら怒る人 という竹中直人さんの名人芸ありますよね。(笑) メラビアンの法則 人って視覚から入ってきた情報から受ける影響が、聴覚や言語情報よりも、はるかに大きい。 話し手が聞き手に与える影響のうち「視覚情報」は55%!! なんと半分以上は目からの情報に影響されてる。 ちなみに「聴覚情報:38%」「言語情報:7%」 つまりね ものすごくお得な情報を話していても、話し手が、どよ~んと暗い小さな声でぼそぼそと背中を丸めて話していると、ぜっんぜん「お得」に聞こえない。ってこと。 先の、笑いながら怒る人は「笑っている」方の情報を優先しちゃう。 逆に言うと、めちゃくちゃつまらない話でも、身振り手振りを大きくして、明るい大きな声で話してると、なんだか楽しそうな話に聞こえる!!かも。(笑) 以前書いた「珍獣図鑑」という本の中で 「クレーム目的で電話を掛けてくる人で、物静かに良識ある人ぶって掛けてきたとしても、第一声でピンとくる」と書いたんです。 このことを、知人に「えっ!!本当にわかるの?なんで??」とすごく聞かれたことがあります。 元々直感力が高いというのもあるにはあるんだけど、視覚情報がないと聴覚情報の精度がものすごくあがるんです。 やってみるとわかります。 目から入ってくる情報を遮断すると、感覚がものすごく研ぎ澄まされる。 オモシロいので機会があったらやってみてください。 だからこそ、わたしたちは日常の中で頻繁に目にするものから、ものすごく大きな影響を受けてるんです。 特に自宅 自宅がごちゃごちゃしていると、その視覚情報に影響されて、疲れやすかったり、落ち着かなかったり、いつも思考もごちゃごちゃしたり。 逆に、すっきりと片付いているお部屋にいるとリラックスできる。 いつも頻繁に目にするところにお気に入りのものを置くと、気持ちが上がります。 すごく影響を受けていることがわかります。 最近見つけた天使の置物があるんです。 今までの人生で「天使」を自宅に置くという選択肢がなかったんですが、天使と目があって気になったので買ってみたんです。 目に入るたびに「ほこっ」と嬉しい気分になります。 スマホの待ち受けも、最近キラキ

  • 不安や恐れや心配は、「今」にいると現れない。

    「今」この瞬間を常に意識する。 最近とくにこのことを意識して日々過ごしています。 ただね、気がつくと「しれ~っ」と「今」から抜け出していることが多々あるんです。 意識してないと、すぐさま「今」ではなく「過去」や「未来」に飛んで行ってしまっているんです。 今にいないことに気がついたらすぐに、「今」「今」と唱えて「今」の自分と一致させるようにしてます。 うっかり油断していると、過去の出来事を振り返って、憂いてみたり。 未来を想像(妄想)して、不安になったり心配したり。 「今」この瞬間から飛び出していったまま、妄想族になっていること、よくあります。 長い間に凝り固まった、とてつもない脳のクセです。 「はっ!」と気付いて、今この瞬間にだけ意識を集中することを意識すると、 今この瞬間には全てがあって完璧だ。って気がつきます。 今この瞬間だけにいると「不安」も「心配」も「憂い」もないんです。 本来わたしたちは完璧で豊かな存在であるはず。 それを忘れてしまいがちなのは、つい意識が過去にいったり未来にいったり「今」この瞬間から飛び出してしまうからかも。 今この瞬間、自分に集中していると必要なモノもコトも充分あることに気がつきます。 今この瞬間に常に意識を置いておくと、必要な情報はちゃんとやってきます。 次の瞬間に自由に自分が望む方に進むことを決めるのは自分自身なんだ。って気がつきます。 「今」にいないで、自分自身から飛び出しているから「周りの目」を気にしたり、世間体で選択してみたり・・・ 今この瞬間にいると「ないものねだり」も「他人と比較すること」もしなくなります。 今この瞬間には「全て」がある。って気がつきます。 そうわかっているのに、気がつくとすぐに「しれ~~っ」と「今」から飛び出してしまいます。 「今」にいることを常に意識する。 意識しなくても、常に自分自身の真ん中に!「今この瞬間のみ」にいることができるようになるまで、今日も意識し続けます。 「今」を意識すると、人生は完璧で豊かさに満ち溢れているって気がつきます。 ブログランキングに参加しています。ポチっとしてくれるとめちゃくちゃ喜びます。いつ

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