内地、台湾、満韓、南洋など日本列島とその周辺に遺る、帝国版図の歴史的・技術的・文化的価値のある土木構造物や公共建造物を訪ね歩く。
今日 | 05/05 | 05/04 | 05/03 | 05/02 | 05/01 | 04/30 | 全参加数 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
総合ランキング(IN) | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 1,034,602サイト |
INポイント | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0/週 |
OUTポイント | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0/週 |
PVポイント | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0/週 |
科学ブログ | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 2,691サイト |
技術・工学 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 288サイト |
歴史ブログ | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 4,535サイト |
近代 明治・大正・戦前 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 146サイト |
近代化遺産 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 5サイト |
今日 | 05/05 | 05/04 | 05/03 | 05/02 | 05/01 | 04/30 | 全参加数 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
総合ランキング(OUT) | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 1,034,602サイト |
INポイント | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0/週 |
OUTポイント | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0/週 |
PVポイント | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0/週 |
科学ブログ | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 2,691サイト |
技術・工学 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 288サイト |
歴史ブログ | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 4,535サイト |
近代 明治・大正・戦前 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 146サイト |
近代化遺産 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 5サイト |
今日 | 05/05 | 05/04 | 05/03 | 05/02 | 05/01 | 04/30 | 全参加数 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
総合ランキング(PV) | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 1,034,602サイト |
INポイント | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0/週 |
OUTポイント | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0/週 |
PVポイント | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0/週 |
科学ブログ | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 2,691サイト |
技術・工学 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 288サイト |
歴史ブログ | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 4,535サイト |
近代 明治・大正・戦前 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 146サイト |
近代化遺産 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 圏外 | 5サイト |
明治23年(西暦1890年)に竣工した舟運昇降用の傾斜鉄道。京都と大津を直結する琵琶湖疏水の重要な交通施設である。大津・山科方面へのトンネル坑口前の蹴上船溜りと市内の南禅寺船溜りの間で、蹴上発電所から給電される巻揚機を動力として運転されたが、昭和23年(西暦1948年)に運航は休...
明治17年(西暦1884年)に竣工した本邦最古の鉄骨造灯台。「日本灯台の父」リチャード・H・ブラントンにより設計された平面六角形の灯台である。明治4年(西暦1871年)に築造された木造灯台に代わり、兵庫港の和田岬に設置された。昭和38年(西暦1963年)に廃灯となり、翌年に須磨海...
明治32年(西暦1899年)に竣工した本邦初の鉄道可動橋。兵庫運河に架かる旋回式の上路式プレートガーダー橋であり、山陽鉄道(山陽本線)の和田岬支線に設置された。
明治5年(西暦1872年)に竣工した煉瓦造の下水渠。慶応3年(西暦1868年)の兵庫開港に合わせて神戸に開設された居留地に敷設された、本邦最初期の近代下水道施設である。居留地整備の一貫として英国人技師ジョン・W・ハートにより設計された。国産煉瓦による円形管と卵形管から成り、居留地...
昭和8年(西暦1933年)に竣工した黎明期における都市高速鉄道(地下鉄)の地下駅舎。大阪市高速電気軌道(Osaka Metro)第1号線は、大阪市の都市計画事業として拡張整備された御堂筋の直下に建設された、本邦初の公営地下鉄でもある先進的な地下線であり、ヴォールトアーチ構造の高い...
明治19年(西暦1886年)に竣工した天井川と交差する旧東海道の道路トンネル。花崗岩の切石積みによる欠円アーチ断面を持つ構造物である。
昭和6年(西暦1931年)に竣工した西日本初の地下鉄道の構造物。開削工法が用いられ、RC造ラーメン構造のトンネルが埋設された。防空上十分な土被り厚が取られた。コンクリート道床の直結軌道に加え、架空電車線方式が採用された初の地下線であり、昭和恐慌の煽りを受ける中で最新技術が導入され...
大正2年(西暦1913年)に竣工したRC造の5径間充腹式上路アーチ橋。鴨川に架かる最古の橋であり、黎明期のRCアーチ橋としては極めて大規模なものである。かつて京都市電の軌道が併設されていた。
大正2年(西暦1913年)に竣工した3径間2ヒンジ鋼アーチ橋。大阪市の都市計画事業による市電軌道の併設を伴う道路拡張に合わせて東横堀川に架設された、大阪市内に現存する最古の道路橋である。ルネサンス風の石柱を模した橋脚とその上に設けられたバルコニーには文化の厚みが感じられる。 ...
昭和19年(西暦1944年)に竣工した本邦初の沈理工法による道路用河底トンネル。両岸にはエレベータが設置され、RC造の建屋が坑口となっている。昭和52年(西暦1977年)に車道としての供用は中止され、以降は歩行者及び自転車通行用の歩道のみ供用されている。
明治31年(西暦1898年)に竣工した煉瓦造の橋台など鉄道構造物群。河陽鉄道の開業時に設置されたものであるが、現在も変わらず供用されている。
明治44年(西暦1911年)に竣工した複線下路式プレートガーダー橋。橋脚は珍しく鉄管柱であり、華奢な構造である。阪堺電気軌道の恵美須町-市ノ町(大小路)間の開業時に設置された。
大正6年(西暦1917年)に竣工した急速濾過池の煉瓦造上屋。河合浩蔵により設計された、両端にドーム屋根の塔屋を配したドイツ・ルネサンス様式の建築。奥平野浄水場は、明治33年(西暦1900年)に給水を開始し、烏原貯水池の水質悪化に伴い急速濾過場が設けられた。
大正8年(西暦1919年)に竣工した重力式コンクリートダム(石積み堰堤)。本邦最古の17門のスライドゲートを備えている。主任技師佐野藤次郎により手掛けられた。神戸市の水源不足を受け、布引、烏原の両水源池に次いで建設された。
明治38年(西暦1905年)に竣工した本邦で4番目に古い重力式コンクリートダム(石積み堰堤)。顧問技師として吉村長策、主任技師として佐野藤次郎が携り、神戸市の近代水道創設時、布引貯水池に次いで建設された。緩やかなアーチを描いており、堤頂中央部には4連アーチの架かる余水吐が設けられ...
明治33年(西暦1900年)に竣工した本邦初の近代的な重力式コンクリートダム(石積み堰堤)。神戸港に程近い六甲山麓の中で古典的な意匠を持ち、世界一の名水「KOBE WATER」として名高い布引の水を貯える。慶応3年(西暦1868年)に開港された国際港湾都市・神戸の水道計画は、明治...
明治初年(西暦1870年代)と明治31年(西暦1898年)にそれぞれ竣工した隠岐島後北西海岸沿いに位置する2本の素掘りトンネル群。離島隠岐の峻厳な地理環境の中で、時代に応じた掘削技術が用いられ、交通路の改良が施された。初代隧道では歩行者の通行が限界であったが、2代目隧道では車両の...
大正15年(西暦1926年)に竣工したRC造の6径間上路開腹式アーチ橋。増田淳により設計され、武庫川に架橋された。大阪-神戸間を結ぶ幹線道路として整備された阪神国道(国道2号)上の構造物であり、かつては阪神国道線の併用軌道も敷設されていた。意匠に富んだ高欄の他、橋の中央部にバルコ...
昭和7年(西暦1932年)に竣工した農業用の重力式コンクリートダム(石積み堰堤)。農業土木技師による初の粗石モルタル工法によるダムであるが、数少ない農業用の石積み堰堤の一つである。
大正4年(西暦1915年)に竣工した煉瓦壁石造の単径間アーチ橋。淡河川・山田川疏水事業の一環として整備された農業用水の水路橋であり、灌漑用溜池として造営された平木池への送水路として設けられたが、平木池は十分に機能することなく戦後まもなくその役割は失われた。後に赤煉瓦と御影石のコン...
「ブログリーダー」を活用して、Liokiさんをフォローしませんか?