【あらすじ】 とある砂漠の国の王家に仕えているベータのカシムは、ユセフ第一王子の側近武官。アルファの重臣が多い中、カシムは重臣たちからベータというだけで疎まれており、カシム自身も劣等感を抱いていた。 ユセフが地方の宮殿へ赴任が決まったある日、カシムとユセフは「忘れられた王の側妻(そばめ)」と呼ばれるオメガの青年を見かける。中庭で舞を舞っている姿をユセフが気に入り、離宮に連れて行くことに。 ゆっくり...
【あらすじ】 とある砂漠の国の王家に仕えているベータのカシムは、ユセフ第一王子の側近武官。アルファの重臣が多い中、カシムは重臣たちからベータというだけで疎まれており、カシム自身も劣等感を抱いていた。 ユセフが地方の宮殿へ赴任が決まったある日、カシムとユセフは「忘れられた王の側妻(そばめ)」と呼ばれるオメガの青年を見かける。中庭で舞を舞っている姿をユセフが気に入り、離宮に連れて行くことに。 ゆっくり...
*** キャラバンサライに空き部屋があったので、今夜はそこで寝ることにする。キャラバンサライは無料で宿泊できるありがたい宿だが、たくさんの商人が宿泊しているのでいつも満室なのだ。駄目元で責任者に聞いてみたらちょうど空いていると教えてくれた。大理石の大きな門をくぐると、だだっ広い中庭が広がっている。中庭には商品を管理する倉庫や小さな礼拝堂があり、市場ほどの活気ではないけれど、そこでも屋台商店が出て...
「姉ちゃん、これアンタに似合いそうだよ。今なら勉強しとくよ」 オアシスの市場の宝飾品を何気なく覗いたら、商人にブレスレットを勧められた。「それはいらない。あと、僕は男ですよ」「あんまり綺麗なもんだから、どこの貴族のお嬢さんかと思っちゃったじゃないか」 女に間違われるのは複雑だが、褒められているのだろうと思うとむやみに怒る気にもならない。ざっと商品を見てあまり気に入るものがないなと溜息をついたら、後...
*** 来世ではどこか辺境の村か小さなオアシスか、はたまたまったく別の国で静かに暮らしたかった。王族とはなんの拘わりもない平民で。目を開けたらきっと私は平和な世界に生まれ変わっていると、斬られた瞬間はそう思っていた。 けれども目が覚めてみたら私は相変わらずベータのカシムだった。親衛隊の訓練場にある医務室で寝かされていた。無機質な石造りの室内で、狭くて堅い寝台の上にいたのだ。全身に激痛が走る。どう...
*** 突き抜けるような晴天の、心地良い陽気の吉日。この日いよいよユセフ王子とアーディルが婚約する。本来なら王宮で盛大に祝祭をおこなうが、時間が限られていたこととアーディルの希望もあって地方の宮殿内で宴として開かれることになった。料理長はご馳走様を振る舞うために市場を行ったり来たり、女官は側妻たちの支度をして宦官は宴の準備とてんやわんやである。妊娠しているタイランを差し置いて跡継ぎが産まれてもいな...
*** ハマムで汚れた体を清潔にし、贅沢な食事を与えられ、一日養生したあとまた赤い軍服に腕を通すことになった。ユセフ王子の側近の武官として、仕事に戻ることを許されたのである。牢に入れられているあいだ、アーディルの言う通りユセフ王子はほとんどの政務を投げ出していたらしく、私はその巻き返しに尽力した。私のせいで遠征の指揮官を下ろされて一時期はこの宮殿からの立ち退きの話もあり、完全に王位への道が閉ざさ...
暗くて冷たい牢の中で、どうして私は彼に惹かれたのか何度も考えた。 ハレムの側妻など論外だと最初から分かっていたはずだ。ましてや主の寵姫に手を出すなんて不届き者にもほどがある。最初はそんなつもりはなかったのに。むしろアーディルはユセフ王子には釣り合わないとすら思っていた。確かに顔立ちは綺麗だし、立ち姿も美しい。舞を舞う姿には私も一瞬、釘付けになった。けれども美しい側妻はたくさんいる。もっと舞の上手...
*** ユセフ王子、上奏文が山のように届いております。 王子、重臣たちが市場で賄賂を受け取っているとか。 税金が高すぎると民から苦情が来ております。 ユセフ王子、どうかお聞き入れ下さい。 王様が見ておられますぞ。母后様も悲しまれます。 王子、王子、ユセフ王子!「やめてくれ!!」 僕の部屋のベッドでうたた寝をしていたユセフ王子が、いきなり大声を上げて飛び起きた。いつものようにソファでぼんやりしていた...
――― 深夜、側妻たちもダムラもみんなが寝静まった頃、僕はこっそり部屋を出た。 離宮のハレムは二階構造になっていて、一階は側妻みんなが寝る大部屋、二階は王子の寵愛を受けた側妻が入る個室が並んでいる。そして二階の通路は内廷へ続く通路と繋がっている。不用意に出入りができないよう内廷への入口には見張りの槍持ちがいるが、「ユセフ王子に呼ばれています」 と言えば大抵は通してくれる。こういう時、寵姫という立場は...
―――「見てくれ、アーディル。美しいだろう」 そう言ってユセフ王子に見せられたのは、真っ赤な布地と大きなルビー。ルビーの周りにはギラギラとメレダイヤが敷き詰められていて、もう綺麗というよりえげつない。「婚約式できみが着る衣装を仕立てようと思う」 誰もユセフ王子と結婚するとも婚約するとも言っていないのに、先走った提案にユセフ王子の目を見据えた。王子はそんな僕をふふっと笑ってあしらう。「時間がないから...
鳥籠ってなに? とダムラに訊ねると、僕の髪を梳いていたダムラは手を止め、少し間を空けたあと「王族が入る牢よ」と答えた。「牢なの? 王族だけ?」 ダムラは再び僕の髪を梳かす。「側妻が産んだ御子が男の子のオメガだった場合、その子は鳥籠と呼ばれる小屋に幽閉されるの。成人して発情期が来るようになると政務ができないでしょ。だからオメガの王子には王位継承権はなく、宮廷の秩序を守るために鳥籠に入れられるの」「...
*** 薬が効いて発情が治まった頃、ユセフ王子の言いつけで迎えに来たダムラとハレムに戻った。僕は罰として自室から出ることを禁止された。期限はいつまでかは分からない。ダムラと女官長以外の人との会話もできず、稽古にすら行けなくなった。他の側妻たちと会わずにすむのはよかった。別に稽古に行きたいわけでもないし。陰ではベルナを始め、みんなが僕を笑い者にしているだろうが、それも見たり聞いたりしなければ問題な...
「アーディル!」 駆け込んできたのはカシムだった。あとから遅れてダムラがやってくる。現れたカシムに驚いたのは僕だけではなかった。 カシムはユセフ王子を押しのけて、僕を抱き起すとスプーン二杯分の抑制剤を口に流し込んでくれた。発情で働かない頭で、あれほどユセフ王子に忠実なカシムが、王子の寝所に飛び込み、王子を押しのけてでも僕に薬を飲ませてくれたと思うと感動してしまった。「か、しむ」 ホッとして名前を呼...
―――「アーディル、ハマムに行って。王子がお呼びよ」 いつの間にか眠ってしまっていたらしい。目が覚めた時にはもう夜になっていて、夕食の時間も過ぎていた。ひと騒動を起こした挙句、寝過ごして稽古もサボってしまったので軽くお仕置きを食らったようだ。夕食を逃した。どうせユセフ王子のところに行ったら珈琲とお菓子を出されるだろう。 行きたくない。最近、そればかり思う。以前はユセフ王子の寝所が逃げ場所だったから...
今日は稽古のあとに側妻たち全員でハレム内の掃除をすることになっている。各自雑巾を持って大部屋の床を無言で磨き続け、その様子を女官長が見張る。磨きすぎて腕が痛い。女官長が別の場所へ移動したのを見届け、僕は雑巾を放り投げてひと息ついた。 カシムと最後に話してから姿を見ることがなくなった。今までは寝所の前に立っていたり、王子と一緒に宮中を歩いているのをよく見かけたのに、最近ではそのポジションは他の官人...
――― ユセフ王子の寝所からハレムに戻る日の朝、ダムラが寝所の前まで来て上手く理由をつけてエルバンを連れ出してくれた。代わりにカシムに僕をハレムまで送るようお願いしてくれたので、僕はその日半月ぶりにカシムと二人きりになれたのだ。ハレムまでのアーケードを、カシムは気まずさからか足早に歩く。僕は小走りで追い掛けて呼び止めた。振り返ったカシムは眉間に皺を寄せていた。最小限の小声で叱責する。「勝手な真似は...
――― ハレムの自室に戻ったらダムラがいて、僕の短くなった髪の毛を見てひどく驚いていた。「アーディル!? どうしたの、その髪!」「ユセフ王子に切られた」「どうして!?」 ダムラは僕の不揃いの毛先を触り、ひどい、と繰り返した。 ダムラはエスキサライでできた、僕の唯一の友達だ。一緒に働くうちに仲良くなった。エスキサライを去る時、もう会えないと思って別れを惜しんだけど、ダムラを付き人にしてもらえというカシム...
***「――……じゃないのか! お前はいつも準備が遅すぎる!」 ある朝、ユセフ王子の怒鳴り声で目が覚めた。部屋の外で誰かと喋っているようだが、ベッドの中まで聞こえるほどの声で叱責している。怒鳴り声から始まる朝は嫌だな、と僕はストールを羽織って大理石のテラスに出た。うららかな晴天と鳥の鳴き声。テラスからは宮殿の中庭が見渡せる。手摺りに腕をついてぼんやり景色を眺めていたら、中庭の側廊にカシムとダムラの姿...
「アーディル殿、口の中にものを入れたまま歩きますな」 わざと口を開けて舌の上に載っているブドウの皮を見せつけてやった。エルバンは汚いもの見るような軽蔑した眼で僕を睨む。「なぜユセフ王子はこんな側妻を寵愛なさるのか」「そんなの僕が知りたいから、今度聞いてみて下さい」 僕はエルバンを置いてさっさと歩き、一人でハレムに戻った。 宮殿の人間は側妻に多くを求めすぎだし、夢を見過ぎだ。王や王子の前では叩き込ま...
村が襲撃されて王宮のハレムに来たのは十八の時。貧しくものびのびと暮らしていた僕には地獄のような場所だった。 昼は家畜の世話や農業をしてオアシスから水を運び、夜は砂漠の上に広がる満天の星空を眺めながら家族と一日を振り返る。そんな自由な日常から、窮屈な宮殿で舞と刺繍の稽古に、語学や礼儀作法の勉強を強いられる日常に変わる。自分から望んだわけじゃないのに「側妻」と呼ばれて、宮殿の奥にある後宮に閉じ込めら...
【あらすじ】指定暴力団二次団体「野村組」で本部長を務める真鍋恭一は、ヤクザ者が生きづらいこの時世に己が暴力団員であることに嫌気がさしている。組織から脱退したいと願いつつもズルズルと過ごしていたある日、恭一は一人の青年、雨宮祥平と出会う。車に乗っていたところにいきなり飛び出してぶつかってきた祥平に車の修理代と治療費を要求するつもりだった恭一だが、恭一がヤクザであると知った祥平に修理代と治療費の引き換...
「お前は本当に綺麗な体してるよなァ」 直後に胸の先を摘ままれた。思わず腰がビク、と跳ねる。恭一の指は遊ぶように捏ねたり押したり、優しく手の平で撫でたかと思えばいきなり強くつまんだりする。ちょっと体を弄られただけなのに簡単に理性を失ってしまった。「……きょういち、下も脱ぎたい……」「腰、浮かせろ」 言う通りにすると下着ごとハーフパンツを膝までずらされた。期待で完全に起き上がっているそれを、優しく握られる...
ソファの隅で膝の上にノートパソコンを広げたまま、何をするでもなくボーッとしていた。それだけで時間は流れて気付けば夕暮れ時になっている。窓から橙色の夕陽が入り込み、ソファと祥平を照らした。眩しくてようやく顔を上げる。いつの間に買い物から帰ってきたのか、恭一が真横に立っていた。テーブルにプリンを数個、置かれる。「プリンが好きなら早く言えよ」「……ベトナムのプリンじゃなくて、日本のプリンがいい」 オーソ...
「真鍋さんにとって祥平はなんなんですか?」 すると恭一は渋い顔をして考え、斜め上の答えを出した。「……ボス。かな」「ボス!? 祥平が!?」「だって、あいつの指示がなけりゃ喧嘩のひとつもできねぇんだぜ!?」「いい年して喧嘩しないで下さいよ」「あいつ、けっこううるさいし、どうでもいいとこで細かいからなァ」 それは同感である。基本的に大雑把だしがさつなのに、算数のノートだけは小さな字で、数字を綺麗な列に並べて書...
心身ともに疲れているのに、疲れすぎて深夜になっても眠れなかった。いっそ眠くなるまで起きていようと決め、修也はペットボトルの水を持ってホテルのロビーに下りた。ショップは閉店していて昼間ほどの賑やかさはないが、それでもまばらに人はいる。カフェテラス横のソファに座ってひと息ついた。 結局、騒動のあと恭一にホテルまで送り届けられ、祥平とも恭一とも肝心な話はできないまま解散した。明弘に夕食を一緒にどうかと...
「Japanese?」「……Year」 不良たちはニヤニヤと薄気味悪い笑みを浮かべて修也と明弘を囲んだ。筋肉質の大きな男が三人。これはかなりまずい状況なのでは、と不安がよぎったところで「金を出せ」と要求された。「I…… I don’t have any money」 すると今度は体をベタベタ触ってくる。それまでずっと黙っていた明弘が「やめて下さい」と堂々とした日本語で遮った。明弘は不良たちとは変わらないほどの体格だが、顔つきが穏やかなの...
陽が落ちて空が紺色になった夜の街を、修也は一人肩をいからせて歩いていた。あのまま説得しても平行線で喧嘩になるだけだ。祥平は何年もあの男と一緒にいたから好きだと思い込んでいるのだ。力づくでも引き離せばきっと目が覚めるに違いない。「あの、すみません」 一度、恭一ともきちんと話をしなければ。そもそもあの男から話すべきことなのに隠しているなんてどういうつもりだ。「あの、修也さん」 深呼吸をして立ち止まっ...
「ここまできたら全部話せ」「牛田さん……明弘くんのお兄さんも、親父とお袋を陥れた奴らの仲間だったから……。親父の会社が倒産したのは闇金に騙されたからだったけど、もともと倒産まで追い詰められたのは、地面師グループが親父を騙して土地を買わせたからだった。……兄ちゃん、知ってた?」 修也は静かに首を横に振る。「その地面師たちと一緒に親父を騙したのが、……恭一だったんだ。牛田さんは親父を騙すための書類や身分証明書...
翌日、祥平がホテルの部屋にやってきたのは夕方になった頃だった。恭一は仕事があるらしく、明弘と三人で食事に行こうと誘われた。けれども修也はそれを断った。「祥平に聞きたいことがあるんだけど」 声に怒気がこもってしまい、修也の機嫌に悪さに祥平は戸惑っている。祥平をベッドに座らせ、出し抜けに聞いた。「明弘くんのお兄さんが捕まったのは、お前の身代わりになったからなのか」 祥平はぎょっと目を見開いたあと、決...
「修也さんが刑務所に入ったから、祥平さんは今まで無事でいられたんでしょう。弟の人生を守ったんだから、無駄じゃないです」 そういう考え方もあるのかと新鮮に感動した。濡れ衣とはいえ殺人罪で刑務所にいたなんて汚点でしかないと思っていたが、弟を守ったと考えれば幾分誇らしい気さえする。少しだけ泣けた。涙で滲んだ目を指先でぐいっと拭ったのを、明弘が気付いているのかいないのかは分からなかった。「明弘くんって落ち...
まだ陽が高い時間帯にホテルに届けられ、まだ観光したいかと聞かれたが、とにかくヘトヘトで一刻も早く横になりたかったので断った。祥平も今夜は仕事があるらしく、明日また来ると残して恭一と去った。部屋に戻ってからは泥のように眠った。 目が覚めた時にはすっかり夜になっていて、部屋の中も外も真っ暗だった。腹は減っていないが喉が渇いたので、飲み物だけでも調達しようと部屋を出た。ちょうど隣の部屋のドアが開き、明...
「……祥平と恭一って、どういう関係なんだろうな」 と、無意識に口にしていた。明弘が「え?」と細い目を開く。「あ、いや。昨日、祥平は友達とか言ってたけど、友達ではないよね。仕事仲間……とか」 それにしては仲が良すぎるが。「恋人でしょう」 想像もしていないことを明弘が当たり前に言う。「……えっ??」「だから、恋人同士なんでしょ、あの二人」 なんでそうなるんだ、と修也は明弘の思考回路が理解できなかった。「えっ、...
翌朝、恭一は約束通り九時ぴったりに迎えに来た。朝食を食べ終えたのを見計らっていたかのようなベストタイミングだった。がっしりした男がロビーの真ん中で堂々と立っているとよく目立つ。「おはようございます、真鍋さん。すごい、時間ピッタリですね」 正確に動かないと気が済まないんだよ、と、祥平がうんざりした様子で後ろから口を出した。「よく眠れた? 朝食もちゃんと食えた?」 恭一は修也にはにこやかに言いながら...
いつのまに湯を沸かしたのか、ケトルがポコポコと音を立てている。祥平が手際よくコーヒーを淹れてくれた。我儘で自分勝手だった弟が人にコーヒーを淹れるなんて、そんな些細なことにすら感動してしまう。「俺が野村組に連れて行かれてから、どうだったんだ? 大変だったろ」「……大宮のおじさんのところとか、タカ子おばさんのところとか、交互に面倒見てもらってた。まあ、あんまり良い顔はされなかったよ。本当は高校くらいは...
日本を出る時は真冬だったのに、ホーチミンに着いたらそこはやはり南国で、射るような日差しに軽く眩暈を覚えた。当たり前だが、見渡すと外国人ばかり。看板はベトナム語。今更ながら不安になる。「えーと、この辺で待ってろって言われてたんですけどね」 自分より十歳も年下の牛田のほうがよほど堂々としている。そもそも見た目からして修也のほうが背は低いし、体も細い。かろうじて散髪はしてきたが、刑務所あがりとはいえあ...
とっくに諦めていた海外への夢が、まさかこの歳になって唐突に叶うなんて思いもしなかった。雲の海と手が届きそうな太陽を飛行機の窓から眺めては、雨宮修也は期待と不安で溜息をついた。 洋画好きの父の影響を受けて、海外留学や海外移住を夢見ていた幼少期。暴力団絡みのトラブルに巻き込まれて家族が崩壊してからは、そんな夢を見ることもできなくなった。借金返済のためにヤクザに連れて行かれ、濡れ衣を着せられて否応なし...
屋根の修理が落ち着いたら果物の収穫をするから先に帰れと言われ、日が暮れる頃に家に戻った。庭に立って西の空を見上げると、丁度太陽が沈もうとしている。一日を通して、夕方が一番好きだ。抗うように空を赤く染めて大きな太陽が燃え上がったかと思えば、今度は力つきたように紫色のグラデーションを彩りながら姿を消していく。どこの国にいても見られるけれど、いつ見ても瞠るほど美しくてそこはかとなく切ない。完全に燃え尽...
―― 一年後 ベトナム ハンモックに揺られているうちに寝てしまっていたらしい。木陰で風に当たりながら夢と現実を行き来する、そんなのどかな午後を過ごしていたら隣人が騒がしい声を上げながら敷地内に入ってきた。「タイン! ロンはいるか!? 昨日の大雨でナムの家の屋根が壊れたんだ。修理を手伝ってくれ!」 すぐにハンモックから飛び下りて、準備をする。二階の寝室に向かって叫んだ。「恭……ロン! 起きろ! ナムの...
「悪く思わんで下さい。組長に何かあったら本部長を殺せっていう命令だったんで」「なるほど、どいつもこいつもブタの言いなりってか」 互いに銃を持った状態で、一人で十数人を相手にするのはさすがに困難だ。詰みを覚悟した直後、いきなり事務所内の灯かりがすべて消えた。既に陽が落ちているせいもあって室内が暗闇に包まれる。組員たちは急な暗がりに視界を確保できずうろたえていたが、恭一は不測の事態にも対応できるように...
「……牛田がやったのは本当か?」「そのようです」「そのようです、だ? お前の側近だろうよ、牛田は。なに他人事のように言ってんだ」「牛田は片山を可愛がっていました。その片山がカシラに殺されて、牛田は片山の仇を討つためにカシラを殺した、と、俺は聞いています。何が原因で揉めたかは存じません」 しばらく二人は睨み合ったまま動かなかった。充血した秋元の目は恭一を疑っている。「だったら何故、葬式に来なかった? ...