《皆様へ最後のお知らせ》 YAHOOブログはいよいよ八月いっぱいで記事の投稿は出来なくなり、以後は閲覧のみ可能となります。 従って、当ブログも今回の記事で最後になります。以後は以下のブログへの投稿となります。 「真実の日本史」...
白村江で負けたのは百済 多武峰(とうのみね)の歴史 平安京になってからも現在の京都は、表面では京は、大陸勢力の四十六坊の寺の多い仏教の都だった。 が、それなら藤原氏は何処に実力を蓄えて当時の日本を、武力で支配していたかという謎が今まで隠さ...
煽り運転犯、宮崎文夫の「ミ」姓の考察 先頃「あおり運転」の犯人男女、宮崎文夫と喜本奈津子が逮捕された。 連日のテレビ報道で、宮崎の凶暴性がお茶の間には強烈な印象だったろう。 姓の法則を研究している私にとっては、このミ姓の凶暴性は別に不思議で...
滝川クリステル嬢から見える「タ」姓の考察 前回は小泉進次郎からの「コ」の付く姓の考察をしました。 今回は彼の伴侶となった滝川嬢の姓を日本史から考察してみます。 先ず彼女はフランス人の父を持ち、母親は「滝川」姓の日本人である。 滝川の「タ...
徳川家康が作った「鎖 国」の真実 元和元年五月八日に、かねて懸案の大坂城を、どうにか仕末して豊臣家を滅亡させた徳川家康は、当時江戸中納言から征夷大将軍になっていた伜の秀忠をよびよせると、 「長年の宿願をとげ、やっと握った天下の権ぞ。孫...
宮迫博之と吉本興業のドタバタから聞こえる 日本衰退の序曲 連日ニュースや情報番組で、これでもかというほどテレビは取り上げている。 識者やコメンテーター連中はここぞとばかり、尤もらしい大衆受けのする解説をしている。 こうしたテレビ業界に蔓延っ...
小泉進次郎に見る「コ」姓の考察 先頃、小泉進次郎と滝川クリステルの結婚が発表された。しかもやることも素早く彼女は妊娠中だというから誠に大慶。 フライデーや文春などの「暴露週刊誌」は何をしていたのか。こんな大物の結婚を見逃すとは大失態で、溜飲...
「韓民族こそ歴史の加害者である」 この本はテレビ解説でお馴染み、元中国人で今は日本人となった「石平」氏、渾身の一冊である。 以下に氏が参考にした文献の画像をUPしておいた。私も早速アマゾンより購入し読破した。 これらの書物の特徴...
姓の法則から見える日本史の深奥 オ列の女は良妻賢母の見本 海外からの渡航者にも人気のあったオ列 オ姓の代表「織田信長」の考察 オ姓は昔は神職に多かったという。 これは猿女族とよばれた原住系が、小野の野主の率いる小野族の男をことごとくたら...
「長文なるも面白く書いてます」 世耕弘成経済産業大臣から見える「エ横列」の考察 何しろ彼は安倍政権の当初から、 内閣府特命担当大臣、原子力経済被害担当大臣、産業競争力担当大臣、ロシア経済分野協力担当大臣、 国際博覧会担当大臣。 自民党政務調...
姓の法則による、日本史の真実 第二次大戦とイ姓列の考察 忠義一途のア列、オ列 さて、同じ日本人でも、「歴史が好き」というのと、「歴史なんか嫌いだ」というのがいる。 おかしな話だが、歴史好きという人に、名前を聞いてみると百発百中、アカサタナ...
姓の法則による日本史の真実を考察する。第二次大戦とイ姓列勃興の関係
姓の法則による日本史の真実を考察する。 第二次大戦とイ姓列勃興の関係 第二次大戦に脈うつ<血>の方則 ヒトラーはマイン・カンプ『わが闘争』の中で、 「わが民族の歴史を振り返ろう。かつての神聖ローマ帝国を、西暦四七年に滅ぼ...
薩摩隼人の語源 江戸時代の諺から見える真実の日本史 「テ行の諺に、捕まれば慰みもの」というのがある。これは現代の義務教育で毒された頭ではさっぱり理解不能だろう。 この「te」という発音は「古代朝鮮半島言語史」という大正十一年刊行本の分類に拠...
日本原住民アテルイの隆起 (阿弖流為と当て字がされる) アテルイという名は「悪露王」とも当て字されて日本史に出て来る。別名を大墓王(たものきみ)モッコともいう。 大陸勢力に、東北へ追われた我らがご先祖、日本原住民を率いて果敢に戦い、北上...
「姓」の法則から見える日本史の深奥「ウ」姓列の考察 「処女荒らし」はウ列の男 《精力絶倫、昔も今もモテるのはウーサマ》 <ウ>という発音そのものが梵語なのである。 仏教用語では優婆夷(うばい)、優婆塞(うばそく)が善男善女のこ...
《再々のお知らせ》 ライブドアブログ「新令和日本史編纂所」 http://taiichirekishi.blog.jp/archives/16388761.html Fc2ブログ「大日本歴史大義」 https://nihonr...
石破茂に見える「イ」姓列の考察。 自民党の安倍一強が続いている。色々批判もあるがこう長く続いた政権も珍しく、次期総裁総理の候補者は鳴りを潜めているのが現状。 名前が挙がっている岸田文雄政調会長と石破茂氏が居る。2019年7月14日の街頭演説...
幻想の源氏と平氏 第一部 間違った歴史学のとらえ方 江戸時代系図屋が作った「清和源氏」 以前、教科書裁判の論争が烈しい時期があったが、その当時、東京新聞で、日教組書記長と自民党文教族議員の対談がのっていて、 「『日本書紀』や『...
勇敢だった日本原住民 姫、神、女将(おかみ) 日本原住民群と外来軍(中国や朝鮮)との壮列な戦いには、きまって女将が現れ、見せしめに殺されているのは日本古代史には散見される。 この慣習が後には戦国期になっても女性を人質にとり磔にするようにな...
吾ら日本原住民 (第一部) 当ブログでは、日本原住民史を連載している。 日本史の不可解を解明し、見逃されがちな手掛かりを掘り起こして矛盾を解きほぐし、虚偽や体制側の宣伝や神話の正体を暴きだしている。 歴史家と称する人たちは、原住民史にはまる...
イロハ歌留多から見える日本史の真実(第六部) 仏の顔も日に参度
イロハ歌留多から見える日本史の真実(第六部) 西は、「仏の顔も日に参度」という。 浄瑠璃の演目に「冥途の飛脚」というのがある。その中の一節に、「親の心や仏の顔も、三度飛脚の江戸の左右」に使われている文句である。 つまり、ぐうたら息子に育...
イロハ歌留多から見える日本史の真実(第五部) 骨折り損の、くたびれ儲け
イロハ歌留多から見える日本史の真実(第五部) 「骨折り損の、くたびれ儲け」 故事ことわざ辞典では「苦労するだけで結果が報われないことを「骨折り損」とし、「草臥れること」だけが儲けだと比喩している。 「骨を折る」は、苦労するという意味...
異聞 七夕祭り 七夕祭りの誤った理解 現在七夕はウイキペデアに拠ると以下のような説明になっている。 七夕(たなばた、しちせき)は、日本、台湾、中国、韓国、ベトナムなどにおける節供、節日の一つ。 旧暦の7月7日の夜のことであるが、日本では明治...
いろは歌留多から見える日本史の真実(第四部) 花より団子 現在の理解では、お花見なんかするより団子をくった方が腹の足しになる、という実利的なものに関東ではされている。 しかし関西では、同じ「は」がついても「針の穴から天をのぞく」と昔からされ...
日本の司法制度の歴史的考察 以前、寺西判事補の分限裁判抗告審で最高裁は「自由の制約容認」の判断を示した。 マスコミに大きく報道されたので、詳細は割愛するが、私が興味を持ったのは、裁判官、検察官、行政官出身の十人の判事が「裁判官の中立...
イロハ歌留多から見える日本史の真実(第三部) 「論より、証拠」 現在この意味として、故事ことわざ辞典などには次のような解釈がなされている。 「論より証拠とは、口先で議論を重ねるよりも、証拠を出したほうが物事は明確になるということ。」...
いろは歌留多から見える日本史の真実 尾張いろはかるた(第二部)
熊沢蕃山 いろは歌留多から見える日本史の真実 尾張いろはかるた(第二部) 下駄のほう歯がカルタ札になった 「文字」を使うのを追補の手掛りになると警戚し、怖れていたサンカ達の命令伝達は口頭であって、これを「コトツ」...
尾張「いろはかるた」の考察(第一部)いろはかるたから日本史の「闇」を考究する
尾張「いろはかるた」の考察(第一部) いろはかるたから日本史の「闇」を考究する 「序」 「尾張名古屋は芸どころ」と昔から言われ、下手くそな芸は受けつ...
いにしえの奈良の都の八重桜・・・・・・ 記紀は藤原氏によって捏造された 西暦8世紀の人皇43代元明帝の710年から、784年の人皇50代の框武帝の延暦三年までをさし奈良時代とします。しかしナラはクダラ語で言う処の国の意味なのです。 西暦...
イロハカルタに隠された日本史の闇 「一寸先は闇」「命あってのものだね」 (注)文中「サンカ」という意味を簡単に説明しておく。日本史では士農工商と江戸時代の国民を分類する。が、学校歴史では教えないが、まず、江戸浅草の弾佐衛門を頭とする ...
安土桃山時代 日本最初のルネッサンス 愛知県出身の織田信長と豊臣秀吉、が天下をとった時代は、当然その時代の公用語は「おきやあせ」「あかんでよう」の名古屋弁だったのである。 北は東北、南は九州まで、日本は六十余州というぐらいだから、様々な言葉...
世界を航海した 葦 舟(あしぶね) 「姪児を葦舟に入れて大海に流す」という神話から想像して、太古は人間を水葬にしたのかともする。 しかしこれは違って、アラブのナイル河のパピルス舟と同形の前部三角形、後部が角ばった扁平型の舟は、オーストラ...
再度ご愛読下さっている皆様にお知らせ致します。 ライブドアブログへ移転しておきました。ブログ名も「日本史編纂所」と同じです。 http://taiichirekishi.blog.jp/archives/16388761.html 現在のと...
敬語を使う不思議な日本人 隠されている「日本原住民史」 占領軍最後の将軍マッカーサー 世直し(革命)の出来ない日本 庚申(こうしん)待ちとは何だったのか 日本には尊敬語の一分類で、謙譲語がある。 これは尊敬語のいわば裏返しとなる形をしていて...
山里亮太と蒼井優の結婚を慶ぶ。 日本原住民の勇敢な親衛隊 先ず、彼の経歴は関西大学教育学部教育学科卒、専攻は心理学で文学士を持っている中々のインテリでもある。 一方彼女は芸能人御用達し、偏差値の高くない堀越高校のトレイトコースに進んでいる。...
続 「八」の考察集大成 藤吉郎の素性 木下藤吉郎は「八」の部族の出身 (注)徳川家康は純血日本民族の内、サンカ葵族の出身で、秀吉もやはり、サンカ木の陰族出身という説(鹿島 昇氏)もある。従って、天下取りは、同じ純血日本原住民系の内ゲ...
板倉家の家紋 九曜巴紋 「板倉勝該はサンカ」 加賀騒動 大槻伝蔵 江戸城の刃傷史料として残されているのは七件となっている。 現代でも有名な浅野長矩が吉良義央に斬りつけ、殺人未遂となった事件...
日本民族「はち族」の考察 幕末に流行し、現在、誰でもが知っている十返舎一九の「東海道中膝栗毛」がある。 二人の主人公、弥次郎兵衛と、喜多八の名前は実に意味深で、このヤの意味は、「八」ヤで海洋民族を指し、喜多八のキは、北を意味し、つまり北方か...
鉢合わせの意味 現在この言葉は、ばったり知り合いや仲間どうしが逢ったり、暗闇で突然突き当ったりする表現に何気なく使われているが、実際はまったく意味が違う。 何故なら鉢が八の当て字だからなのである。 騎馬民族の四つどうしが顔をつき合せても「ハ...
日本民族は「蛮族」ではない 百済人が唐国の傭兵となる 薩摩と琉球、唐国の関係
日本民族は「蛮族」ではない 「サンカ解釈の間違い」 百済人が唐国の傭兵となる 薩摩と琉球、唐国の関係 掲載の地図を見て頂ければ解るように、近頃何かと日本に対して問題を起こしている韓国の古代は三韓に分かれて、激しく対立していた歴史がある。 朝...
吾ら日本原住民 初札の意味を探る 王朝時代の庶民の暮らし向き
初札の意味を探る 関連して「かいと」とは? (王朝時代の庶民の暮らし向き) 今はすっかり廃れてしまったが、東京でも昭和四十年代までは「鉄火場」というやくざの博打場が盛んだった。 そこではサイコロの目を当てる単純な「丁半博打」の他に、玄人筋の...
桶狭間後の丹羽長秀 第三部 信長、美濃で敗戦する 火皿が濡れて、撃てぬ鉄砲 「それッ、進めや進めッ」と信長は、単騎に小姓の佐脇藤八ら五人だけを率いて桶狭間へうちこみ、それで勝をしめてからというもの、戦は自分一人でゃるものと考えているらしく、...
丹羽長秀 第二部 藤吉郎とねね、信長の関係 「何んなりと、望んでよろしゅうござりまするか」愚図といわれる割りには、丹羽五郎左は珍しく、てきぱきものをいった。 だから信長も(ほうッ)といった顔をみせたが、なにしろ濡手で粟の膕みどりで、一挺買...
日本の悪女とは、誰に対して悪い女かという事がまず命題になる。 男と女はまるで違うのであるから、男にとって思うようにならぬ存在と して見れば女で悪女でないのは珍しいくらいのものである。 ではその女自身にとって悪いのが、それでは悪女かと云えば、...
桶狭間の後の丹羽長秀(第一部) 「に」の付く姓の特色 この「に」の付く姓の中で丹羽というのは、戦国時代にも非常に少ない。 秀吉の馬回りの丹羽源太夫、丹羽五平次、丹羽正安、と散見される程度で、いちばん有名なのは信長の臣「丹羽長秀」であろう。 ...
「兼見卿記」と「多門院日記」から見える信長殺しの真相 嗚呼忠臣 明智光秀 吉田兼見といい、吉田神道で神祇大副の位を持つ。 信長が本能寺で爆殺された後、略奪や暴動が激しくなった京の治安を守り、御所の安寧に尽力が在った光秀を評価した御所が、 明...
源平男性史 第二部 南北朝時代 茶は博打 シャクティ信仰のシバ神の流れをくむ宗教をもつ北条氏に対し、「立正安国」の教えを唱え、日本を救うために立ったのが日蓮上人で、そのため上人は北条氏から反体制として弾圧されたのである。 さて上人の亡った...
源 平 男 性 史 (第一部) 「マロ」は公卿言葉 「マラ」は男性自身
序に代えて 本編も長文のため、二部に分けてある。 歴史屋や学者の説とは大きく違うが、どちらを信じるかは読者の自由である。 史料文献の解釈の思考方法や分析は書いておいたので、どうぞじっくり読んで判断して頂きたい。 源 平 男 性 史 (第一部...
「清和源氏」はありえない 平家は源氏を奴隷として輸出していた
「清和源氏」はありえない 足柄山の金太郎は源氏 平家は源氏を奴隷として輸出していた 「足柄山の山奥で‥‥」の童謡で名高い坂田の金時は、子供の頃に絵本で散々眺めさせられたが、マサカリ担いで本当に獣を集めて相撲をとらせたり、馬の代わりに熊にのっ...
日本武道史 吉岡憲法 鬼一法眼吉岡流 −−さて、俗に、「京八流・鹿島七流」と世にいわれる。 関東の刀流は鹿島神宮の禰宜から出たものが七派に分かれたが、関西では京の鞍馬山の衆徒八人が伝えたものであり、義経が牛若丸といったころに鞍馬山で天狗に習...
芸者と遊女 関西では芸子と呼ぶ。 この職業は日本原住民の内の騎馬民族系、即ち源氏系の女に限られていた。 現代でも水商売の女達は本名で張っているのは居ない。 飲み屋の女も、ソープもデリヘルも全て店での偽名を使っていて、 「ユカ」だの「ミド...
足利時代に見る、日本と中国の深い関係 元、明、高麗、日本との関係
足利時代に見る、日本と中国の深い関係 歴史の間違い 元、明、高麗、日本との関係 平安時代が終わり、鎌倉時代の源平の後の室町時代とよばれる足利期ほど近世で中国と交流の多かった時期はなかろうと想う。 当時、安徽省からたった朱元璋が燕京を落し、...
古代シャモロ国地図による日本人ルーツ 中近東→インド→マレーシア→ベトナム→日本 これからの中国との関係 二階幹事長の無様な姿 タイのバンコック博物館には、秘蔵古代シャモロ国地図がある。 それによると、現在でこそメコン川上流のケンカン市の先...
日本茶にまつわる考証 茶博打の発祥 茶道、茶の湯、茶博打、茶筅 裏千家の大恩人吉良上野介 現在、コーヒーや紅茶は言わないが、日本茶を出す時には「カラ茶ですけど・・・・」という事がある。 田舎では「お茶うけ」として漬物を出すところもあるが、今...
ブログ移転のお知らせ ライブドアブログへ移転しておきました。ブログ名も「日本史編纂所」と同じです。 http://taiichirekishi.blog.jp/archives/16388761.html 現在のところ、古い記事を転載してお...
白村江で負けたのは百済 多武峰(とうのみね)の歴史 平安京になってからも現在の京都は、表面では京は、大陸勢力の四十六坊の寺の多い仏教の都だった。 が、それなら藤原氏は何処に実力を蓄えて当時の日本を、武力で支配していたかという謎が今まで隠さ...
奴隷日本人秘話 織田信長は奴隷を売らなかった 日本人が戦国時代に奴隷に売られて、男は印度から馬来半島方面のポルトガル領の植民地に、容色のよい女は、魔女裁判によって多くの女性を焚殺したヨーロッパへ送られていたことは、あまり知られていない。 ...
切腹の美学は血の美学 乃木大将殉死 壮烈無比な大将の最後 【東京赤坂警察署、乃木大将切腹状況報告書】 「私(署長)は役目としてあの偉人の最期の実況を見た。これまで永い間自殺は見たが、乃木将軍ほどの武士的の割腹は初めてである。 実に模範的の殉...
鈴木一郎と菅官房長官 鈴木、菅「ス」姓の考察 先ごろ、野球の鈴木一郎選手が引退した。国民栄誉賞を二回も辞退した立派な男で、努力型の天才である。 この、ウクスツヌフムユル横列の「ス」のつく姓を考察してみたい。 現在有名で馴染みの深い人では、鈴...
ピエール瀧に見える芸能界 ヤクザとタレントの発生史 このところ立て続けに役者タレントの犯罪が続いている。その代表格が「ピエール瀧」のコカイン事件だが。 テレビのワイドショーでは「水に落ちた犬は棒で突っつけ」とばかり連日の賑わいで誠に結構であ...
鎌倉時代の刀鍛冶に関連して、再掲載です。 武士の表道具は槍が正しい 今日では誤られていて、戦国時代にも剣客や剣豪がいたというように伝わっている。 そして映画、テレビ、小説に剣豪が出てきて大活躍の物語が氾濫している。 だが、幕末天保時代から始...
シメシメしめこの〆兎 鎌倉時代の刀鍛冶 「あかねさす紫野ゆきシメ野ゆき、野守は見ずや君が袖ふる」は万葉集の一句だが、 文中の、シメ野という意味は、一般人立ち入り禁止の禁野の意味なのである。シメは現代で言う、被区別用語で、 シメシメも日本原...
火縄銃と弓の関係 スペインのセビリア市に「ビブリオテーカ・インダア」と呼ぶ東洋史料を専門に保管している図書館がある。 そこの17世紀の綴りの中に「1610年6月20日(当時の日本は大陰暦なので慶長15年4月29日にあたる)J...
「最強の狙撃者」 この本は伝説の狙撃者、ドイツ陸軍第六軍、第三山岳猟兵師団、百四十四連隊 ヨーゼフ・アラーベルガー(通称ゼップ)上級兵長の実録実名物の叙述であり、美化することの無い兵士の伝記でもある。 主人公のヨーゼフは、その卓越し...
織田信長異聞 被衣(かつぎ)という日本の風習を知っている人も多いと思うが、 これは各地お祭りなどでよく見られる。まあアラブの女達の風習にも見られる 女人風俗であるが、この女が顔を隠すチャドルを日本に広めたのはこれもまた知られていないが織田信...
何故に首を斬るのか 斬った首利用法 『戦国武家事典』という本によれば、「首実験」は、「大将右の手に扇子を持ち床机に腰かけ、その背後に弓持ちやその他の役人が立ったり列座している。首を持参してきた奏者は、すこし離れて右の方に座す。 その座り方は...
新元号「令和」を新天皇陛下と歩む 万葉集の原点は 新羅郷歌 (注)郷歌(きょうか)とは、新羅時代の朝鮮語の歌謡の事。 新元号「令和」の出典は、日本最古の歌集「万葉集」から採用された。元号は記録に残る限りすべて中国の古典(漢籍)から採って...
白虎隊異聞 フライパン鶴が城 猪苗代湖の青々とした水面に影を落として鶴ガ城の遺跡がある。昔は栄えた城下町の会津若松だが、今では一地方の観光都市として、関西や東京からの観光客も多い。 しかし鶴ガ城は、古くは芦名氏が700年前に築城して...
下司の勘ぐり バテるの意味 現在この言葉は、一般には「下司」と書き「ゲスの勘ぐり」等と使われ、バカほど変に気を回して疑い深いと言った意味に使われている。 下司を下役人ともしているが、そもそもはそんな意味ではない。江戸時代の農業は、まだ化学肥...
天皇論 前説 「綸言、汗の如し」という雄渾な言葉がある。 これは至上の仰せられたことは、流された汗のようなもので、もう取り返しがつかず、仰せられたままに臣下は従って、直ちにそのように行うべきであるという...
女の魔性を衝く 世に恐ろしきは・・・歴史を作った悪魔のごとき女たち 大友宗麟の母 継母妬婦 ——今でこそ九州女は情があってよいとされる。しかしそれは、 「女は三界に家なし」とか「女は幼は親に従え、嫁しては夫に従い、老いては子に従え」と徳川...
昭和の回顧談 キャバレーのお話 男のお洒落 私は戦前生まれの世代だから、餓鬼の頃欲しかった憧れの時計といえばセイコーやシチズンは眼中になく、スイス製の「オーデマビゲ」だった。大人になって、稼ぎが出来るようになり、さらに手に入れたい物と言えば...
染井吉野と徳川綱吉 柳沢の陰謀 (日本各地に桜が絢爛と咲き誇る三月。染井吉野にまつわる、権力者の爛れた欲望に翻弄された哀しくも憐れな女「染子」と、権力の陰謀に加担し、利用された松前伊豆守。 そして柳沢大老一味による贋金造りの発覚を恐れて殺さ...
未だ決着を見ぬ邪馬台国論争 献上したのは奴婢なのか 松本清張氏の『古代史疑』 「耶馬台国は何処なのか?」この論議はいまだに決着していない。ここで一応の考究はしてみたい。 そこは、かつて九州にあったのか、それとも本州の奈良県の辺りなのか、い...
最終回になりましたが、一部から良く読んで、 はてしなき不毛の人間関係はその人の持って生まれた姓に深く関係するものです、貴方の姓を調べて実生活におおいに役立てて貰えれば幸いです。 〝姓〟を無視した人間関係は失敗す...
YAHOOさん。有難う。 ブログ閉鎖から見える、悲喜こもごも YAHOOのブログは現在四つを運用させてもらっている。12月閉鎖は残念だが、YAHOOには感謝している。 四つのブログを合わせると記事数は千を超える膨大な数になる。(HPは200...
〝女ならでは世も明けぬ国〟日本列島 それでは、かつて六世紀や七世紀から始った敵対する二つの部族の争い(すなわち、大陸から渡来してきた部族と日本に前から住んでいた部族)が、どのようにその反撥さを増長させたのか、と...
絆を生んだ姓のリズム もちろん、この姓の方則には種本などはありません。いうなれば前人未踏の研究です。 そして先にも述べましたように、戦国の人名カード三千枚を作っているうちに必然的に出来上がってきたものを、さらに、裏付けを探し、それを...
異民族との争いは日本だけではない ローマのテイトウス皇帝によってBC七十年に流浪の民とされたユダヤ民族も、その後二千有余年経った二十世紀においてさえ、神聖ローマ帝国の後継者と自負するナチスがドイツに現れてくるや、彼らユダヤ人はヒットラーの...
易占い、星占術の考察 そもそも、易とは中国から伝来したもので、エジプトの星占術と共にその歴史は古く、後漢の時代から易経と四書五経の中に含まれ、経典とされたので、 秦の始皇帝の焚書にも免れたと云われるほどである。 今に伝わっているのは上下二...
日本史から見える運勢判断 第一部 『あなたの名前の一番上についている姓のイニシャルこそ、あなたの体内に流れている先祖からの血の系列を示す記号である・・・・・』 とか 『あなたの性格や,その行動が,目に見えぬ糸で操られているごとくに、姓のイニ...
姓の法則から、北川景子とDAIGOの結婚を占う 北川景子、本名内藤景子、DAIGO、本名内藤武宣という。 北川は明治大学商学部卒業の誰が見ても美人で才女である。一方のDAIGOは三流の小中高一貫校の玉川大学である。義祖父が元総理大臣の竹下登...
桶狭間合戦異聞 第二部 桶狭間合戦の犠牲者 この、世にいう桶狭間合戦の影響で、えらい目にあわされる事となったのが、頭陀寺城の松下加兵衛一族であった。というのは、 「わが父今川義元公が、まんまと瞞し討ちにあわれ、信長ずれに首を授けたもうたは…...
桶狭間合戦異聞 第一部 桶狭間は信長の裏切りで騙し討ちだった
桶狭間合戦異聞 第一部 桶狭間は信長の裏切りで騙し討ちだった (世上「桶狭間合戦」を信長の奇襲戦法の大勝利だったと称賛の声が多い。だから旧日本陸軍参謀本部も「小にして大に勝つ方法」としてこれを取り上げ、 「奇襲」を作戦の基本方針としてしまっ...
YAHOOブログの閉鎖まで、あと十か月程である。従ってできる限り多くの人に読んで頂きたいので、 当ブログの深いところ(過去の記事)までは中々読んで貰えないようなので、従ってこれからは再掲載も致します。 それにしてもYAHOOブログは、他のブ...
はじめに。 従来の俗説になじまれている向きには、このブログに書かれている様々な歴史上の記事を珍しがり、読んで驚かれるだろう。 しかしデカルトが、すべては疑え、それこそ知識であるといったのをとれば、今までの既成概念を捨てて、調べられるだけ調べ...
群馬県不思議考 縁切り寺「満徳寺」由来 群馬県の榛名神社に元享三年に作られたという鉄燈に<車馬の郡〉との文字が彫られている。 〈本国神名帳 〉 にも〈群馬西部従五位上車持大明神、正五位車持若御子明神〉とあるゆえ、 群馬の古名は、車馬と...
真相・鳥羽伏見戦争敗戦の訳 幕末、「御用盗」の名で江戸八百八町を公然と荒し廻っている強盗団の巣窟が三田の薩摩屋敷、と証拠をつかんだ江戸市中取締りの庄内藩は、慶応三年十二月二十三日夜、 己が屯所へまで鉄砲を打ちこまれたのには立腹した。そこで、...
女に虐められて大名になった 蜂谷頼隆 拙のブログ 2018/10/15 「戦国法螺貝論考・ラッパ、スッパの違い」で、信長麾下の大名蜂屋頼隆を解明したが、 以下は女権の強かった「八」の部族ではいかに男が虐げられていたかという実態を小説風に描...
発掘出土品の謎 イアリングは日本風俗ではない 日本では、何か出土品が見つかると全てを日本人の先祖が造ったものと決めつける傾向が多い。 何しろ、明確に朝鮮半島製と判る七支剣でも、また中国の物でも日本で発掘されると、みな日本人の先祖の物ときめつ...
江戸の実相 八と四っと呼ばれた民族 先ず、この日本列島には、日本人を構成する二大民族が居る、と云う事を念頭に入れておきたい。 大和民族単一説は、軍部が国民を戦争に駆り立てるための宣伝である。 八っあん(八、鉢、蜂、と当て字はあるが、アラブや...
江戸の実相 江戸の警察と庶民生活 テレビのチャンバラ時代もので、騎馬民族末裔の飼戸の民、即ち旧源氏の民で馬方は白褌である。一方、馬の扱えぬ海洋系らはカゴかきや車力人足では赤褌である。 だから、川越え人足が赤褌で民族別に色分けされ、カラーテ...
江戸の実相 すりは立派な職人だった 〈武道初心集〉の著者大道寺友山のスリ大将を召捕りの一件が〈落穂集〉にでている。 江戸時代、天保の頃では人口も増え、市中取り取締りは、町方同心7人では取締りきれずに、奉行所は、下っ引きを増員するに当たって、...
(注)本文は前記(2月4日)掲載した「三河の一向一揆は家康排斥運動だった 三河が家康を排斥したわけ」と併読していただければ、 賢明な読者には、如何に世情流布している「徳川史観」が欺瞞に満ちているかが理解できると思います。 無宿人とは 徳川家...
三河の一向一揆は家康排斥運動だった 三河が家康を排斥したわけ
三河の一向一揆は家康排斥運動だった 一向宗 一向一揆とは 三河が家康を排斥したわけ そもそもこの一向宗というのは、日蓮宗と同じように日本人の手によって作られ、広められた後進宗派である。 従って、中国人が漢字と一緒に持ち込んできた仏教の既存の...
由比正雪(慶安の変) 以下の文は柴錬の小説ではない。 慶安四年四月二十日。徳川三代将軍家光が亡くなると、その四日後。 「もはや御局(春日局)さまの時代ではない。改めて、大奥の女共の内で不用の者はお役を御免」大老酒井忠勝の命令で、三千七百四十...
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