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2018/07/29

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  • 悪魔の辞典(新編)

    『悪魔の辞典(新編)』(岩波文庫・1997/1/16・アンブローズ・ビアス著),''1911年に発刊された本書は、容赦ない毒舌ジャーナリストにして、米文学史上もっとも有名な失踪事件でも知られる著者による辞書パロディ本です。以下抜粋です。安心隣人が不安を覚えているさまを眺めることから生ずる心の状態。祈願する取るに足らない存在、と自ら認めているたった(人の嘆願者のために、宇宙の全法則が廃棄されることを願う。幸福他人の不幸を眺めることから生ずる気持のよい感覚。好み一つのものが他の一つのものよりも優っているという、誤った信念から生ずる感情、もしくは気分。自尊(沼弓詬芯の日り・)誤った評価。信仰(「巴弖り・」類例のない物事について、知りもしないくせに語る者の言うことを、証拠がないにもかかわらず正しいと信ずること。聖...悪魔の辞典(新編)

  • 生きづらさの民俗学⑤

    『生きづらさの民俗学――日常の中の差別・排除を捉える』(2023/11/4・及川祥平編集,著,川松あかり編集,著,辻元侑生編集,著)からの転載です。好井が構想する「排除と差別の社会学」が目指すのは、加害者と被加害者を明確に分けて「告発」を試みるものとは少し異なる。彼が提案するのはむしろ、誰からも告発されなくても、自分の中に宿る差別する可能性を、自分で意識化することである。同書の中で好井は、たとえばバラエティ番組やニュースなどでわたしたちが日常的に触れ、“普通”だと考えている物物事や知識には、すでに差別を成りたたせる過剰な決めつけや歪められた思い込みが仕組まれていると述べる。わたしたちの多くは“普通”でありたいと思うものである。だから、わたしたちが“普通”であろうと日々身に付けつくり上げていく知識もまた、差...生きづらさの民俗学⑤

  • 生きづらさの民俗学④

    『生きづらさの民俗学――日常の中の差別・排除を捉える』(2023/11/4・及川祥平編集,著,川松あかり編集,著,辻元侑生編集,著)からの転載です。〈わたし〉自身の「生きづらさ」を認めることは、〈わかし〉の弱さや負けを認めることでも、〈わかし〉の生きづらさを他の誰かのせいにすることでもなく、〈わたし〉自身が身につけさせられてきた“普通”が<わたし>と同時に<わたし>以外の様々に異なる「生きづらさ」を抱えた人びとを疎外する可能性に気が付くことである。そしてそのとき、〈わたし〉の「生きづらさ」は、たくさんの他者とつながっていく結び目となりうるのである。〈わたし〉の「生きづらさ」やあの人の「生きづらさ」の背景に何かあるのか。その背景にある構造的な問題や、わたしたちの中に染みついた“普通”や当たり前、良いものや悪...生きづらさの民俗学④

  • 現代社会をめぐる状況

    「令和6年版厚生労働白書(令和5年度厚生労働行政年次報告)厚生労働省―こころの健康と向き合い、健やかに暮らすことのできる社会に―」が公表されました。大部の情報量ですが、「現代社会」の部分のみ転載します。現代社会をめぐる状況ここまで、ライフステージごとにみられるストレス要因について整理してきたが、本項では、デジタル化の進展、これらに伴う孤独・孤立の深刻化など現代社会に特徴的な側面や、近年社会的関心の高まりがみられる事象について、こころの健康に対するリスクという観点から取り上げる。(1)急速なデジタル化の進展とSNSの利用拡大(デジタル化の進展により私たちの生活様式は大きく様変わりした)デジタル化の進展やネットワークの高度化、スマートフォンなどのIoT関連機器の小型化・低コスト化により、私たちの生活様式は大き...現代社会をめぐる状況

  • 生きづらさの民俗学②

    『生きづらさの民俗学――日常の中の差別・排除を捉える』(2023/11/4・及川祥平編集,著,川松あかり編集,著,辻元侑生編集,著)からの転載です。「現代の病理のデパート」という雨宮とその周囲の若者たちの人生史からも見えてくるように、2000年代後の「生きづらさ」をめぐる著名人の議論は、戦後日本の経済成長とその後の不況を背景として、生きることへの精神的・社会的困難を抱える人びとを次々に発見し、それらに様々な名づけてきた。いじめ、受験競争からの敗北、アダルトチルドレン、毒親、不登校、ひきこもり、自殺、非正規雇用やフリーター・ニード、そしてパラサイトシングルや高齢者の孤独死まで……。今日では、子どもがけ親の胎内に宿った瞬問から高齢者が亡くなるまで、人生の過程をどこで切り取っても「生きづらさ」を指摘することがで...生きづらさの民俗学②

  • 生きづらさの民俗学①

    『生きづらさの民俗学――日常の中の差別・排除を捉える』(2023/11/4・及川祥平編集,著,川松あかり編集,著,辻元侑生編集,著)からの転載です。1。現代日本における「生きづらさ」とは何か実際、「生きづらい」とか、「生きにくい」などという言い回しは、現代社会や現代人を論じる際に多用されている感じがする。みなさんもどこかしらで見聞きしたことがあるのではないだろうか。そんななかで、「生きづらさ」を自分事として実感している人も、少なからずいよう。それにもかかわらず、「生きづらさ」は、現代に近づくほどますます多くの人びとの心を蝕みっつあるようだ。「死にづらい」現代日本における「生きづらさ」とはいったい何なのだろうか。全国紙の新聞記事データベースを使って、「生きづらさ」を調査した藤川奈月によると、1980年代には...生きづらさの民俗学①

  • 『宗教を「信じる」とはどういうことか』③

    『宗教を「信じる」とはどういうことか』(ちくまプリマー新書・2022/11/10・石川明人著)からの転載です。宗教を信じることは非科学的な態度なのかアンブローズービアスの『悪魔の辞典』という本をご存知でしょうか。いろいろな単語を皮肉な文言で辞典風に解説してみせることで知られているものです。例えば、「外交」という言葉については「自国のために嘘をつく愛国的な技術」であると言い、「運命」という言葉については「暴君が犯罪をおかす際の根拠、および愚者が失敗をおかす際の言い訳」であると説明するといった具合です。この本には、宗教に関する項目もいくつかあります。例えば「祈り」という言葉について、ピアスは、「一人の取るに足らない請願者のために、宇宙の法則を無効化するよう求めること」と説明しています。これは要するに、「祈り」...『宗教を「信じる」とはどういうことか』③

  • 『宗教を「信じる」とはどういうことか』②

    『宗教を「信じる」とはどういうことか』(ちくまプリマー新書・2022/11/10・石川明人著)からの転載です。よくわからない「信仰」という言葉これまで宗教学者たちは、こうした傾向をどのように理解すべきか、さまざまに議論してきました。ある宗教学者は、日常的に心から信じているわけではないけれどもゆるやかな情緒や関心から伝統的宗教と関わり続けることを、「信仰のない宗教」と表現しました。また別の宗教学者は、特定の示教団体には所属しないけれども広い意味での宗教的関心はあるといった状態のことを指して「所属なき信仰」と呼びました。また逆に、厳密な意味での信仰すれも「信じる」という言葉で代替することが可能な場合が多いと思われます。しかし、「信じる」の方は、必ずしもそれらと置き換えられるとは限りません。日本語の「信じる」と...『宗教を「信じる」とはどういうことか』②

  • 願寺フアンの創出?

    『宗教を「信じる」とはどういうことか』(ちくまプリマー新書・2022/11/10・石川明人著)からの転載です。これまで宗教学者たちは、こうした傾向をどのように理解すべきか、さまざまに議論してきました。ある宗教学者は、日常的に心から信じているわけではないけれどもゆるやかな情締や関心から伝統的宗教と関わり続けることを、「信仰のない宗教」と表現しました。また別の宗教学者は、特定の宗教団体には所属しないけれども広い意味での宗教的関心はあるといった状態のことを指して「所属なき信仰」と呼びました。また逆に、厳密な意味での信仰的動機ではなく、もっぱら音楽や歌などと関わることを求めて教会とつながり続けるなどのあり方を指して「信仰なき所属」と呼んだ人もいます。岡本亮輔は「宗教と日本人葬式仏教からスピリチュアル文化まで」とい...願寺フアンの創出?

  • 葬式用写真撮影

    6月頃であったか。長男に第三子が産まれ、その初参式でお寺に参拝に連れてきました。カメラマンも同行していたので、70歳になったら葬式用の写真をと思っていたので、その願いが実現しました。丁度、8月に、本堂建設特集の冊子を出し、その冊子の巻頭に掲載された住職挨拶の写真にも利用出来ました。葬式用写真撮影

  • 「コーダ」のぼくが見る世界③

    『「コーダ」のぼくが見る世界――聴こえない親のもとに生まれて』(五十嵐大著/文)からの転載です。「ふつうの家族ではない」という世間の眼差し世間一般の物差しで測ったとき、どうやらぼくの家族はふつうではないようだ。そんな事実に気がついたのは、小学生の頃たった。ぼくの祖父は元ヤクザで、気が短く、酒に酔うと手がつけられないほど暴れる人だった。そのパートナーだった祖母は穏やかな人ではあったものの、とある宗教に心酔し、人生のすべてを神様に捧げるかのように暮らしていた。そして両親はふたりとも耳が聴こえない、一般的には「聴覚障害者」と呼ばれる人たち。こんなちょっと変わった大人たちに囲まれて育つぼくには、いつからか偏見がぶつけられるようになっていった。「大ちゃんも大変よね。でも頑張るんだよ」「本当に可哀想に、なにかあったら...「コーダ」のぼくが見る世界③

  • 「コーダ」のぼくが見る世界②

    『「コーダ」のぼくが見る世界――聴こえない親のもとに生まれて』(五十嵐大著/文)からの転載です。そしてもうひとつ、感動的な出来事があった。先日、ぼくの手話を見たろう者から、こんなことを言われた。〈五十嵐さんの手話って、お母さんの手話なんてすね〉女言葉、男言葉と表現するのが正しいかどうかはわからないけれど、手話にも女性が使いがちなもの、男性が使いがちなものかあるらしい。また、指先を繊細に使っているかどうか、あるいは豪快な動きをしているかどうかによっても、印象が変わる。その人はぼくの手話を見たとき、やや女性的であることに気づいた。それはすなわら「母親の手話を見て育った」ということではないか。そう思ったという。それを指摘されたとき、目頭が熱くなった。これまで親のことを散々傷つけてきたし、手話を毛嫌いして遠ざけて...「コーダ」のぼくが見る世界②

  • 「コーダ」のぼくが見る世界

    月に一度くらい、アマゾンで本を購入することがあります。あとは図書館です。下記の本は、図書館になく購入しました。『「コーダ」のぼくが見る世界――聴こえない親のもとに生まれて』(五十嵐大著/文)、コーダとは「CODA」と書き、チャイルド・オブ・デフ・アダルト、耳の聞こえない親の子という意味です。以下転載です。ラベルがもたらす安堵感「ラベリング」という言葉がある。これは特定の属性を持つ人物を類型化し、「あなたはOOだから」とそのラベルをもって仕分けてしまう行為を指す。ラベリングは「レッテルを貼る」とも言い換えられ、ここ最近は否定的な意味合いを持つ言葉として使われている。もちろん、それは当然だろう。人にはそれぞれにバックボーンがあり、考え方や価値観はグラデーションのようになっていて、同じ人なんて誰ひとり存在しない...「コーダ」のぼくが見る世界

  • 世界一清潔な空港の清掃人と日本一のごみ清掃員をめざす芸人が見つけた「ごみと掃除と幸せな人生」

    『世界一清潔な空港の清掃人と日本一のごみ清掃員をめざす芸人が見つけた「ごみと掃除と幸せな人生」』(新津春子・滝沢秀一著)からの転載です。では、ここでみなさんへ質問です。「高級住宅街」と「それ以外の地域」では、どちらのほうがごみが少ないと思いますか?正解は「高級住宅街」です。これ、意外しゃないですか?高級住宅街に住んでいるお金持ちのほうが、好きなものを好きなだけつかって、いらなくなったらさっさと捨てちゃいそうだからごみの量が多くなる。そう思いますよね。でも実際は違うんです。その理由はふたつあって、ひとつがお金持ちは、いいもの(長持ちするもの)を使っているということ。そして、もうひとつが、お金持ちは使い捨てのものを買わないということ。高級住宅街で出されるごみを見ていると、そこに住む人たちが「小さな消費」「ムダ...世界一清潔な空港の清掃人と日本一のごみ清掃員をめざす芸人が見つけた「ごみと掃除と幸せな人生」

  • 日本全国ゴミ清掃員とゴミのちょっといい話③

    『日本全国ゴミ清掃員とゴミのちょっといい話』(滝沢秀一著)からの転載です。徳島県上勝町は、65歳以上の大が50%以上を占める人口約1500人の町である。このデータだけを客観的に見れば、決して元気があるようには思えない自治体だが、とても活気がある。ここの自治体もまた右ページで挙げた問題点を抱えた町たった。予算がない。これは地方の自治体の永遠のテーマである。お金がないので、焼却炉を建てられないから、どこかでお金を工面して焼却炉を建てよう、と考えないで、焼却炉なしでどうやってゴミを処理していこうかということを考え、全国で最も早く「ゼロウェイスト宣言」をした自治体である。具体的には、燃やさなければならないゴミを極端に減らし、おむつやゴム、塩化ビニルなど以外は全て資源として考え、13品目45種類のゴミ分別をしている...日本全国ゴミ清掃員とゴミのちょっといい話③

  • 日本全国ゴミ清掃員とゴミのちょっといい話②

    『日本全国ゴミ清掃員とゴミのちょっといい話』(滝沢秀一著)からの転載です。美しすぎるゴミ工場広島市街から車で20分ほどの場所に美しすぎてまるで美術館のようなゴミ処理場があるらしい。もう一度言うけど、美しすぎるゴミ処理場だ。ゴミ十処理場=美しすぎる。こんな計算成り立つわけがない。だってゴミなんだよ。けれどこのゴミ処理場は観光地になるほど、美しいらしい。しかもゴミ処理場とは呼ばず、カッコイイ呼び名がついているらしい。一体、どんなゴミ処理場なんだろヤ広島環境局中工場という清掃工場がイカしているらしい。僕も実はネットでしか見たことがないので、機会があれば実際、足を運びたい。携帯の画面の中では近未来的な映像が映し出されている。アニメの中にいるようだった。エヅアングリオンのネルフの中?と携帯の画面に向かってつぶやいて...日本全国ゴミ清掃員とゴミのちょっといい話②

  • 日本全国ゴミ清掃員とゴミのちょっといい話①

    『日本全国ゴミ清掃員とゴミのちょっといい話』(滝沢秀一著)からの転載です。集積所をやまたらゴミが減った品川区は2005年7月から東京23区で初めて区内全域で戸別回収を導入した。それまでは他の区と同様、集積所にゴミを集めて、収集員がゴミを回収していたが、有料袋ではない都市部において区内全域で、戸別回収というのは、当時とても画期的なことだった。狙いはゴミ出しマナーの向上だった。確かにそうだろう。それまでは集積所に出すのであれば、夜中に捨てれば誰が出したかわからない。誰が出したかわからなければ、大に迷惑がかかっても、関係ないと言わんばかりに、毎回同じようなルール違反のゴミを出す。得てしてゴミというのは、伝染する。適当なゴミを見ると、このくらいの分別でよいのかと悪い人の真似をするのが、人間である。マナー違反という...日本全国ゴミ清掃員とゴミのちょっといい話①

  • お盆法要

    14.15日、拙寺お盆法要。9時.11時.13時30分から、入れ替え制にてのお勤めです。おそらく、3座の間に2座ほど、臨時のお勤めが入ります。コロナのため人を分散させるためです。お盆法要

  • ケンカをしていた

    柏市に長男夫婦が子ども三人と暮らしている。小3と小1の姉妹が、富山に住む娘のところに、子どもたちだけで4泊5日で遊びに行った。娘のところには男子のになる一人っ子(小3)。5日も親と離れるのは初めのとことだ。どうしているとか気になっていたが、娘から次のような報告があった。「長男の小1の次女と、娘の小3の息子がケンカをしていた」とのこと。学校で別だが、いつもひとりなので家の中でケンカをしたことがないのCで、ケンカが珍しかったようだ。「なるほど。一人っ子とは、そういうものか」と、改めて感心しました。ケンカをしていた

  • 「恥をかくのが怖い」から解放される本③

    『「恥をかくのが怖い」から解放される本:自己肯定感を高めて、自分らしく生きるレッスン』(2024/4/3・イセル・サン著)からの転載です。子どもを受け入れ、ミラーリング(注・好きな相手の仕草や声のトーンなどを無息識的に真似すること。翻って、相手に安心感を与えるために、声のトーンなどをわざと真似する心理テクニックが用いられる場合もある。同調効果とも言われる)することができない親もいます、そういう親は癒やされないトラウマを抱えていて、感情面でストレスを感じているのかもしれません。もしくは彼ら自身、ミラーリングが上手くできず、自分らしくいることや自分自身を偸やすのに、感情的なエネルギーを使い果たしてしまっているのかもしれません。子どもは自分自身をはっきりと認識したくて瞳を探します。その時に親が愛情深く寄り添って...「恥をかくのが怖い」から解放される本③

  • 参拝者の中身が問題

    『週刊新潮』(2024.8.15.22日号)に、「開発途上国型の観光から先進国型に転換」という記事が掲載されていました。本願寺も「おまえりしたくなる本願寺へ」という目標を掲げているので、清水寺のように人が多く集まれば良いのではなく、そこに質をどう入れこんでいくか、参考になるので、一部転載して、記憶に留めます。「2030年に(年間)訪日客6000万人を目指す」今年4月、政府は改めてこうした方針を打ち出しました。訪日外国人観光客の数が増え、日本の素晴らしさが多くの人に伝わり、そして日本経済が潤うことは、観光に関する研究を続けてきた私としても大いに歓迎するところです。しかし一方で、こうも感じました。「政府はどれだけ。本気”なのだろうか」こう話すのは、九州大学アジア・オセアニア研究教育機構准教授の田中俊徳氏だ。環...参拝者の中身が問題

  • 「恥をかくのが怖い」から解放される本②

    『「恥をかくのが怖い」から解放される本:自己肯定感を高めて、自分らしく生きるレッスン』(2024/4/3・イセル・サン著)からの転載です。恥と罪悪感の違い罪悪感が自分のしたことに対して感じるものである一方、恥は自分の存在に対して感じるものです。あなたが罪悪感を覚えたとすれば、罪悪感を呼び起こすような何をしたのか、何かを怠ったのかを大抵は言えるはずです。しかし恥はそうではありません。何を恥じていいかわからなくても、恥を感じることはあるのです。恥ずかしいと思っていることを誰にばらされるかもしれないとか、仲問外れにされるかもしれないとかいった恐怖にさらされながらも、自分は問違っているかもしれないという感覚にさいなまれているのかもしれません。罪悪感と恥が同じ行動から生まれることがあります。たとえばあなたが恋人を罵...「恥をかくのが怖い」から解放される本②

  • 「恥をかくのが怖い」から解放される本①

    『「恥をかくのが怖い」から解放される本:自己肯定感を高めて、自分らしく生きるレッスン』(2024/4/3・イセル・サン著),阿弥陀仏を私の関係を考えるのに、参考になります。以下転載します。恥というのは、「愛されていない」「問違っている」という感情です。デンマークのオーフス大学コミュニケーションと文化学部のカーステン・ステーエ博士が自著『恥』の中で考察したように、語源となっている「隠す」という言葉通り、恥は何かを、もしくは誰かを見えなくしてしまいます。博士の説明は、あなたが感じているのが恥かどうかを判断する有力な手がかりになります。つまり、他人の視線から身を隠したいと思うのなら、あなたは恥を感じていると言えるのです。誰しもが多少なりとも恥を感じたこと、あるはずです。最悪の場合、恥の感情により、自分自身への共...「恥をかくのが怖い」から解放される本①

  • ありがとうの奇跡

    『ありがとうの奇跡』(2016/11/26・小林正観著)からの転載です。人生の前半は「手に入れていく時間」、人生の後半は「手放していく時間」私の高校の同級生は450人ほどいるのですが、その出世頭ともいえる男性がいます。彼は、あるシンクタンクに勤めていて、「日本政府が、海外で行ったプロジェクトをたくさん手伝った」と言っていました。あるとき、彼から電話があり、「相談したい」と言うので会ってみると、彼は、次のように話を切り出しました。「大学病院の検査で、肺ガンが発見された。それも、かなり悪い。夢にも思っていなかったので、大変うろたえていて、頭の整理がつかない。三次元的な話はともかくとして、四次元的な生死の世界については、あなたにしか相談することができない」私は彼に、「戦うこと、争うことを捨てることができるか?」...ありがとうの奇跡

  • 「自己決定権」という罠②

    『【増補決定版】「自己決定権」という罠:ナチスから新型コロナ感染症まで』(2020/12/25、小松美彦・今野哲男著)以下転載です。▼自己決定権と、新自由主義という国家意思さて、ここで、自己決定権の考え方が、なぜ九〇年代の日本に広まっていったのかという話も戻り、私か考えるもう一つの要因とは、新自由上義の問題です。新自由主義とは、基本的には、国家経済が逼迫する昨今の大状況を背景に、個人の自由を前面に強く押し出す一方で、これを自己責任とセットにして事に当たろうとする考え方のことでしょう。たとえば出生前診断との絡みでいうと、障害やある種の遺伝病とされるものが出生前に判明した場合、それがわかった状態で産む産まないを決めるのは個々人の権利だが、いったんその決断をしたならば、その後に起こるさまざまな問題についても、個...「自己決定権」という罠②

  • 「自己決定権」という罠①

    『【増補決定版】「自己決定権」という罠:ナチスから新型コロナ感染症まで』(2020/12/25、小松美彦・今野哲男著)、中々興味深い本です。以下転載です。九○年代になってから広まっていったのはどうしてなのでしょうか。私は、その理由にも、大きく分けて二つあると思います。一つは、脳死・臓器移植の問題です。この問題に関する基本的なプロセスを簡単に押さえておくと、まず八〇年代の前半になって、当時の指導的な移植医たちの間で、六八年の札幌医科大学の和川有郎教授による心臓移植以降、長い間夕ブー状態に置かれてきた日本の脳死・臓器移植を、何とか解禁したいという動きが出てきました。先端医療という場所で、長年眠っていた脳死・臓器移植の問題が、議論の中心として復活したわけです。この事態には、脳死判定基準の作成や、効果的な免疫抑制...「自己決定権」という罠①

  • 三浦明利さん41の記事

    『読売新聞』朝刊(2024.8.4)「顔」に、三浦明利さん41の記事が掲載されていました。ベストアルバムを出した奈良・光明寺住職奈良県出身。大学在学中に結成したバンド「MogaHoop」はコンテストでグランプリを獲得。寺では、子供や地域住民らが芸術文化を学べる「光明寺子屋」を開いている。メジャーデビューから13年。シンガー・ソングライターとして、ペストアルバム「月愛三昧」を出した。住職に就いた際に一度は音楽の夢を諦めた。「ここまで続けさせてもらえた。数え切れない方にありがとうを伝えたい」幼少期からピアノを習い、中学2年でギターを始めた。大学時代に結成したバンドが人気を集め、事務所と契約。3枚目のCDリリースを控えた2008年、奈良・吉野の実家「光明寺」を継がなければならなくなった。メンバーは「明利の役割だ...三浦明利さん41の記事

  • 目的に向かうことを手放す

    本3日は、拙寺法話会、熱暑の中、参拝者は20数名でした。少ないと嘆くよりも、よく暑さの中、お出かけくださいました。という思いでした。挨拶ででの一コマです。以前、お話をしたことがありますが、人には、目的に向かって生きる生き方と、すでに恵まれていることへの感謝の生活とがあります。目的に向かって生きる生き方は、死は、目的に向かって生きる時間がなくなる時なので破綻します。…東京オリンピックの時に気づいたことで死が、金メダルを取った人が、一応に感謝の言葉を述べていました。金メダルを取るということは、目的に向かって努力する必要がなくなったときです。つまり目的に向かって生きる事を手放したとき、自ずから感謝の思いが湧き出てきたのです。この度のオリンピック、そうした視点で観戦していくと、人間の心の有り様が見えてきて、興味が...目的に向かうことを手放す

  • 安永氏の記事が掲載

    先ほど届いた『読売新聞』夕刊(2024.8.2)に、本願寺執行長の安永氏の記事が掲載されていました。内容は、築地の改革が中心で、転載するまでもないものでした。安永氏の記事が掲載

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