昨26日から29日迄、築地本願寺において「親鸞聖人誕生850年、立教開宗850年記念慶讃法要」です。昨日、10人で団体参拝、庭儀があり荘厳さな法要でした。満堂で700人といった参会者でした。記念冊子が無料で配られましたが、その冊子の中に、当日、ライブ配信されているE映像を参拝しながら見られるようにQRコードでも印刷してあれば、ラジオを聴きながら野球観戦するように楽しめたと思いました。築地の慶讃法要
『読売新聞』夕刊(2023.7.29)に、―桜井義秀・北大教授『統一教会』刊行―という記事が出ていました。後半部分だけ転載します。旧統一教会の問題に関連して高額寄付被害を救済・防止する新たな法律が成立し、全国霊感商法対策弁護士連絡会(全国弁連)や宗教研究者らが声明を出した。2世信者も意見を発信するなど、大きな動きが続く。一方で、文部科学省の宗教法人法に基づく質問権行使は長期化している。「宗教不信は深刻なほど高まっている。オウム真理教事件の時は十分な批判ができなかったからこそ、旧統一教会問題では宗教者や宗教学者が社会との関係について声を上げ続けてきた」と語る。戦前の国内では、新宗教に対する大弾圧が起こったこともある。時間がかかっても、様々な手続きは法律にのっとる必要があると説く。30年以上にわたって旧統一教...宗教への期待感
『心理療法の精神史』(2023/5/10・山竹伸二著)のつづきです。二〇世紀前半に精神分析が飛躍的な発展を遂げたのも、自由に生きる可能性が大衆に広まり、多くの人が無意識に関心を向け、自分自身のことを知りたい、と望んでいたからだ。自由に生きる可能性が生まれると、私たちは自分がどうしたいのか、どうすべきなのか逡巡し、自らの内面を見つめようとする。社会に過剰適応し、同調した自分か偽りのように思え、「ありのままの自分」を受け容れてほしいと望むのだ。そして、過度に自分の感情を抑えるのではなく、「本当の自分」の人生を生きたい、そう思うようになる。心理療法が次第に「本当の自分」の発見、自己理解、自己実現を重視するようになったのも、社会の中で自由に生きるための条件が整い、自由に生きたいと感じるようになった半面、社会や世間...『心理療法の精神史』3
『中外日報』(2023.7.21日号)に「新しい領解文連続講座始まるーオンライン全8回を予定」という記事が掲載されていました。以下転載浄土真宗本願寺派で発布された新しい「領解文」(浄土真宗のみ教え)に関する情報を発信する「フエイスブック」上のグループの「新しい領解文を考える会」は14日から全8回のオンライン連続講座を開始した。勧学・司教らを講師に迎え、新しい「領解文」の問題点を共有して浄土真宗の教えを学ぶことを目的としており、約400人が受講している。14日は井上見淳司教を講師に「領解文とは何か?」をテーマに開かれた。井上司教は、門信徒らが自身の信心を述べて宗主がそれを裁断する改侮批判が始まりで、人々が模範的な述べ方を求めて改悔文(頌解文)が生まれ、様々な改悔文がある中、1787年頃に現在も用いている領解...領解文連続講座始まる
『心理療法の精神史』(2023/5/10・山竹伸二著)のつづきです。近代以前の心理療法の特質を、もう一度振り返ってみることにしよう。レヴィ=ストロースによれば、患者と治療者、周囲の人々が共同で、「原因がわかった」「元凶となるものが取り除かれ、解決された」と信じることが、治療効果を生み出している。シャーマンなどの治療者は、理由のわからない苦しみに対して、神話に基づいた言葉を与え、思考可能なものにする。それによって、患者の苦痛は理解できるものとなり、緩和され、耐えられるものとなる。原因不明の苦しさに対して原因を指し示すこと、言葉で言い表すことで、苦しみは大きく改善されるのだ。レヴィ=ストロースはこれを「象徴効果」と呼んでいた。この場合、神話に基づく治療者の解釈が真実かどうかは問題ではなく、患者がその神話を信じ...『心理療法の精神史』2
「山びこ学校」編者で僧侶、無着成恭さん死去…96歳の記事が、朝刊に掲載されていました。以下記事転載。文集「山びこ学校」の編者で僧侶の無着成恭(むちゃく・せいきょう)さんが21日午前、敗血症性ショックのため千葉県多古町の病院で亡くなった。96歳。山形県出身。葬儀は27日午前11時、多古町一鍬田292の福泉寺で。喪主は長男の成融(せいゆう)さん。無着さんは戦後まもない1948年、山形県山元村(現・上山市)の山元中学校(廃校)に教員として赴任し、中学生たちに綴(つづ)り方を指導。51年には、綴り方をまとめた文集「山びこ学校」を世に出した。作品は、自分の考えをしっかりと生徒へ書かせる手法をとるという当時としては画期的な教育方法として、戦後の教育界に大きな影響を与えた。また、ラジオの「全国こども電話相談室」の回答者...無着成恭さん死去
『心理療法の精神史』(2023/5/10・山竹伸二著)、興味深い本です。その時々の時代性が苦しみを生み出し、その苦しみの応じた精神療法が発達していくというものです。あとがきに、その当りをまとめて書いてあるので、まずは、あとがきを転載します。古来、心理的な治療者たちはこの不安や症状を解消するために、患者の属する集団の社会規範、価値観に準じた解釈、儀礼によって治療を行ってきた。解釈された物語が関係者や周囲の人々の間で共有されると、集団における患者の立ち位置が明確になり、承認不安は緩和されることになる。それが多様な症状の解消につながってきたのだろう。しかし、近代になって生きられる可能性が拡がると、私たちは社会規範や他者の承認に強い重圧を感じるようになった。いざ自由に行動したいと思っても、その行為が周囲の期待や要...『心理療法の精神史』1
『危機の時代の宗教論:ヒューマニズム批判のために』(2021/1/27・冨岡幸一郎著)の「あとがき」に「クライシスの本質」と記し、次の様にある。「患者」となるとそうした主体性を奪われてしまう。それは身体性の次元だけでなく、精神の、心の領域においても、受動的であるように主体は強いられる。つまり、内面の危機であり、ここにクライシスの本質がある。今われわれが体験しているコロナ禍は、ある意味ではたまたま感染していない人間もふくめて、全ての人間の主体性を奪っているといってもいい。ワクチンが開発されても、新たに到来する監視社会は、これを日常化するだろう。しかし、ここでより根本的な問いが浮上する。それは、「みずからの力を完全に掌握した主体である可能性」とは、そもそも何であるのか。われわれは、この言葉の意味を理解している...危機の時代の宗教論
『日本の死角』(講談社現代新書・2023/5/18・現代ビジネル編集)から、もう一題。「死んでまで一緒はイヤ…」日本の死後離婚を夫婦別墓が増えた理由-井上治代。姻族関係終了届冒頭でも触れたが、近年「死後離婚」と呼ばれるもう一つの現象が顕著になっている。それは「姻族関係終了届」の提出によって、配偶者の死後、配偶者側の親族(姻族)と縁を切ることである。親族の中でも「姻族」は、もともと何ら関係のない人たちだったのが、婚姻によって親族になった人たちである。配偶者の死後も、何もしなければ姻族関係は続くが、「姻族関係終了届」を提出することによって、姻族と縁を切ることができる。近年まで「姻族関係終了届」の存在を知る人はごく少なかった。法務省の統計によれば、2006年度の届出件数は1854件で、それが10年後の2016年...死後離婚
『日本の死角』(講談社現代新書・2023/5/18・現代ビジネル編集)、新刊本コーナーにあった本です。何人かの著名な方が、色々なテーマで書いています。いまの若者たちにとって「個性的」とは否定の言葉である。土井隆義(筑波大学教授)「個性的だね」は差別語なのか?以前、毎日新聞記者の小国綾子さんからこんなエピソードをうかがったことがある。LINE株式会社の出前授業に付き添い、中学校を訪問した時のことだそうだ。「友だちから言われて最もイヤな言葉は?(1)まじめだね(2)おとなしいね(3)天然だね(4)個性的だね(5)「マイペースだね」との問いかけに対し、一番多かった回答は「(4)個性的だね」だったという。「まさか!」と耳を疑った彼女に向かって、生徒たちは口々にこう語ったそうだ。「個性的と言われると、自分を否定され...「個性的」とは否定の言葉である
『RE-END死から問うテクノロジーと社会』(2021/10/編著塚田有那 編著高橋ミレイ・巻頭マンガ五十嵐大介)葬儀のゆくえー日本人の宗教間と未来の葬送ー岡本亮輔仏教を信じない檀家そもそも現代の日本人のうち、仏教を信じている人はどれくらい存在するのだろうか。この点を考えるうえで参照したいのが、各宗派による自宗の実態調査である。たとえば2012年の曹洞宗の調査では、寺院の各種行事への一般信徒の参加率は次の通りである。盂蘭盆会(59.3%、春と秋のお彼岸(それぞれ43.1%と41.1%)といった先祖供養に関わる行事には比較的多くの信徒が参加している。一方、釈迦降誕会(23.5%)、涅槃会(18.6%)、成道会(9.6‰)といった仏教信仰と深く関わる行事、さらに坐禅会(8.8%)という曹洞宗の根幹に関わる行事...死者供養仏教
『九条武子―その生涯とあしあと』籠谷真智子著2002(平成14)年1月刊この本は、88年同朋舎刊の新装版です。著者は、京都女子大学名誉教授、本のまえがきに次のように記している。昭和六十二年(一九八七)は九條武子の生誕百年であった。また武子は昭和三年二九二八)数之歳四十二歳という短命さで還浄した。それゆえ、昭和六十二年は六十回忌を迎えていた。はからずも生誕百年と六十回忌が重なるこの記念すべき年に、できることなら武子の伝記を完成させたいと望んでみた。ところが、もとより遅筆な私の努力もむなしく、記念すべき年を越えてしまい、ようやく今春(昭和六十三年)刊行の運びと相成った。これまでフィクションを含めた、いわゆる小説の九條武子は幾冊か著わされている。だが歴史学の立場から武子の伝記を著わしたものはなかった。(注力)だ...九条武子―その生涯とあしあと
『九条武子の生涯』末永文子著1995(平成7)年5月刊『まぼろしの柱ありけり―九条武子の生涯』(1986/7/1)の新装版です。過去に出版された武子に関する小説等の内容も取り入れ、読みやすう文章で綴られている。図書内容に次のようにある。憂愁の歌人・九条武子の多彩な生涯を描く。西本願寺に生れ、貞明皇后の弟・九条良致男爵に嫁しながら何故か忍従の日々を強いられた。才色兼備、一世の麗人と謳われた武子は歌人佐々木信綱に師事、多くの歌を残し社会事業に献身した。42歳の短い人生と文筆活動、そして与謝野晶子・柳原白蓮との交流を描き、忍従の謎に迫る。目次第1章本願寺「北のお方」第2章百華園の春第3章儀丈兵の哀譜第4章錦華殿の人第5章華燭の典第6章籌子逝く第7章本願寺疑獄事件第8章歌集『金鈴』第9章筑紫の女王第10章11年目...九条武子の生涯
『無憂樹(あそか)ー九條武子全歌集)』大谷嬉子編1983(昭和58)年4月刊本願寺派の仏教婦人会総連盟から刊行されたもので、連盟の総裁であった大谷嬉子は本願寺代23代大谷光照宗主の裏方です。「序にかえて」に次のように記されている。「私共の仏教婦人会は、尼講として発足しからかぞえて、今年(1982)で百五十年になります。早世した大谷籌子裏方の志をついで、実際に仏教婦人会連合本部長として働かれたのは武子夫人であります。今日の仏婦会員の方がたに、夫人の気持ちを歌集を通して昧わっていただきたいと思います。短歌や詩には、古語や背景の歴史などにわかり難いものがありますので、浅学を承知で私が注を入れさせていただきました。また、かな遣い等、原本に忠実に従いましたか、誤字の訂正と、かなの連続した部分を読みやすくするために、...無憂樹(あそか)ー九條武子全歌集)
『共苦共楽:九条武子の生涯と歌集』(東京親鸞会編)1972(昭和47)年10月刊前半、九條武子の生涯と歌集が収められ、後半に『無憂華』がそのまま全編納められている。巻頭に「おもかげ」と題して当時、東京教区仏教婦人会連盟会長であった三宅富子は次のように記している。「伯母がなくなったのは私の15の年で、はるかにへだたった年月はその記憶もさだかではありがせんが、伯母のことというと美しさと一種のちかより難さをもって脳裏に甦ってきます(中略)現代では九條武子の名を知っている方はごく少なく、この度の御縁により少しでも多くの方々に理解して頂けるなら、不肖の姪としてこれに過ぎる喜びはないと思います。」本願寺の関係者は、九條武子の名を知っている人は多い。しかし一般の人となると、知る人も少なくなっていった。そうした状況の中で...共苦共楽:九条武子の生涯と歌集
『九条武子の生涯戯曲白孔雀』田中澄江著1969(昭和44)年10月刊著者の田中澄江は、数多くの小説や脚本を手掛けた方で、数々の文学賞を受賞されている。著書の前半は、九条武子の一生を小説風に紹介し、後半は戯曲『白孔雀』が収まられている。白孔雀は、九条武子の生涯を明治42年2月から死に至るまで四幕・九場でまとめたもので、初演は、昭和42年11月、新橋演舞場で水谷八重子一座が演じたもので、水谷八重子の依頼によって書いたとある。「九条武子の生涯」から、一部転載します。「九條さん、いつもいただく餅や着物は、本当にありかたいんですけれど、どうせくださるなら現金がおりがたいんですよ」手鼻をかんだその指先を前掛けにこすりつけて言い出す老女もいる。「あたしゃいつも餅は餅やに着物は古着やに売っているよ。餅を食わなくても正月は...九条武子の生涯戯曲白孔雀
『九條武子―北の無憂華』谷川美津枝著2001(平成13)年2月刊九條條武子は、明治39~昭和2年の間、北海道を5度訪れている。昭和2年は樺太の地へ。その一部始終を記した本です。本の中に「船底説法」というかくれ念仏で本願寺派の法灯が守られていたことが記されている。九條武子とは直接ないが、北海道へ5度訪問することになった当時の本願寺の開教意欲がこの逸話から読み取れる。その部分だけ転載します。北海道に、本願寺派の寺院が正式に創立されたのは、安政四(一八五七)年である。しかし、真宗でも東本願寺派(大谷派)の寺院は早くから建てられていた。松前には、四百五十年も前から、専修寺という真宗の寺院がおり専修寺は慶長七年、本願寺が東西に分かれたとき、東派に属した。これは、当時の松前藩が、権勢を誇った徳川幕府の治下にあったこと...九條武子―北の無憂華
伝記叢書147『麗人九條武子』佐々木信綱著(1994年5月刊)この本は昭和9年2月刊行の復刻版です。九條武子に関する伝記としては、一番古い書籍だろう。昭和3年2月武子逝去、その6年後、昭和9年2月の出版です。武子没後に行われた追悼会や一周忌法要、当時の有名人による追悼文、昭和4年7月明治座で上演された『戯曲九條武子夫人』(北村小松作)なども掲載されている。著者の孫に当たる佐佐木幸綱(1938年~、現代歌人協会前理事長)が「解説」を次のように記している。「洋行帰りの与謝野晶子の写真を見ると、洋装に靴、派手な帽子をかぶっている。一方、武子の場合はヨーロッパから帰ったのちの写真でも和服を着でいる。古くて新しいと言ったが、別の旨い方をすれば、武子の新しさには、冒険、危険、毒の要素がほとんどなかったのだ。だから、人...『麗人九條武子』
本棚に九條武子に関する書籍が8冊ある。別に収集した本でないので、武子さまに興味のある人であれば手元にある本ばかりです。その本の内容を紹介し、興味のある本があれば入手して読んで頂きたい。『無憂華』九條武子著(1927年7月5日刊)昭和2年7月、父明如(本願寺第22台宗主)の二十五回忌を記念書して出版したものです。私の手許にある『無憂華』の奥付には「昭和3年1月29日43版」とある。武子没後、更に版を重ね刊行後わずか4年間で383回も重版された一大ベストセラーとなった。序に次のようにある。風に吹きよせわれた、落葉のひと片ごとにも、思ひ思ひなごりはこもる。この書は、芽ぐみ、そだち、かつ散った私の心の落葉をかきあつめたにすぎぬ。あまりにも価(あたい)もなく美しさもない、ささやかな姿である。ただ私の心を知る人が、も...無憂華
『最新科学でわかった「人の心」のトリセツ世界の心理学者が研究していること』(2023/5/10・内藤誼人著)からの転載です。自分で体をくすぐっても、くすぐったくない理由他の人から、脇をくすぐられると、ものすごくくすぐったく感じるのに、自分で同じことをしても、まったくくすぐったくはありません。同じ刺激を体に与えているというのに、これはいったいどういうことなのでしょう。私たちの身体はとても不思議です。実は、くすぐったく感じるかどうかには、「私たちの予想」が関係しています。自分で自分の体をくすぐる場合には、どこに、どれくらいの強さの刺敵が加えられるのかが予想できます。そのため、くすぐったくないのです。他人にくすぐられる場合には、その予想ができないため、くすぐったいのです。英国ロンドン大学のサラ・ブレイクモアは、...自分で体をくすぐっても、くすぐったくない理由
『最新科学でわかった「人の心」のトリセツ世界の心理学者が研究していること』(2023/5/10・内藤誼人著)からの転載です。私たちが考えるお金持ちのイメージは古い米国マサチューセッツ工科大学のドラ・コスクは、時代によってお金持ちが働く時間の変化について調べてみました。すると、とても面自いことがわかったのです。今から、100年以上も前、1890年代には、もっともお金を稼ぎ出す人たちは、もっとも働く時開か短かったのです。「お金持ちは、働かないもの」という時代があったのです。ほとんど働かずに、お金だけがじゃんじゃん入ってくる。それがお金持ちというものでした。私たちが考えるお金持ちのイメージは、実は100年以上も前の古くさいイメージだと言えるかも知れません。コスタが調べたところ、1973年になる頃までには、お金持...お金持ちは忙しい
『最新科学でわかった「人の心」のトリセツ世界の心理学者が研究していること』(2023/5/10・内藤誼人著)からの転載です。私たちは、偉い人が不幸に遭っていると嬉しドイツ語には、日本語でいうところの「他人の不幸は蜜の味」をあらわす単謡があります。「シャーデンフロイデ」といいます。他の人が失敗しらり、不幸な目に遭ったりしていると、私たちはその姿を見て、心の中で気持ちがよくなるのです。これがシャーデンフロイデ現象です。米国マサチューセッツ工科人学のミ-ナ・シカラは、数多くのスライドを見せて、そのスライドを見たときにどういう感情を持つのかを調べてみました。スライドには、おいしそうなサンドイッチを食べている人や、走っているタクシーに水しぶきをかけられている紳士など、さまざまな揚面が用意されていたのですが、地位の高...偉い人が不幸に遭っていると嬉し
『最新科学でわかった「人の心」のトリセツ世界の心理学者が研究していること』(2023/5/10・内藤誼人著)からの転載です。時代とともに人はナルシストになっていく私たちは、昔の人に比べると、少しずつナルシストの度合いを高めています。米国サンディエゴ州立大学のジーン・トゥエンジは、全米から85の大学を選んで、ある調査を行ってみました。この85の大学では、1979年からずっと大学に入学した一年生を対象にして、ナルシストの度合いを測定する性格テストを実施していたのです。トゥエンジは、1979年から2006年までに入学した学生の、ナルシストのテストを受けた1万6475人分のデータを使い、その変化を分析してみました。するとどうでしょう。1982年から、ナルシスト得点はずっと上がり続けているではありませんか。2006...人がワガママになっていく
『最新科学でわかった「人の心」のトリセツ世界の心理学者が研究していること』(2023/5/10・内藤誼人著)からの転載です。見慣れたものでも正しく答えられないたいていの建物には、通路や階段脇に消化器が設置されています。法律で設計が義務づけられているので、消火器がどこにも見当たらないということはありません。みなさんの会社にも、おそらくは消火器の1つ、2つは置いてあるはずです。さて、ここで問題です。みなさんは、みなさん自身のオフィスにある消化器の場所を性格に思い出せるでしょうか。おそらく、4人か5人に1人くらいしか、正しリ設置煬所を思い出せないのではないかと思います。普段、見慣れているはずのものも、いざ思い出そうとすると、意外に思い出せないものなのです。米国カリフォルニア大学ロサンゼルス校のアラン・キャステル...見慣れたものでも正しく答えられない
『旋回する人類学』(松村圭一郎著)のつづきです。ケアの視点病いは突然、私たちの身に降りかかる。それは文字どおり、世界を一変させる。医療人類学を牽引してきたクラインマンは、二〇一九年の新著『ケアのたましい』で、妻ジョーンの病気とケアの経験を赤裸々につづっている。二〇〇九年の夏、二七年も暮らした自宅の寝室で、ジョーンは「出て行って?」と叫んで、ベッドにいたクラインマンを叩きはじめた。恐怖に震え、はげしく動揺する妻に「夫のアーサーだよ。落ち着いて」と冷静に呼びかけても、妻は「違うわーアーサーなんかじゃない!偽者よ!」と叫びつづけた。ジョーンは非定型の早期発症型アルツハイマー病を患っていた。身近な人や場所のことを偽物だと誤認する妄想状態が典型的な徴候だ。翌日、ジョーンは起こったことすべてを一笑に付して否定した。ク...旋回する人類学2
『旋回する人類学』(松村圭一郎著)からの転載です。同じ人間であること世界中でヨーロッパ列強の植民地が急速に拡大した一九世紀、そこで西洋人が出会った人びとは、そもそも同じ人間とはみなされなかった。当時、人間は起源の異なる複数の人種からなり、その人種間の能力や身体機能には絶対的な違いがあると信じられていた。それは一九世紀から二〇世紀初頭にかけて、欧米各地辛日本でも生きた人間を標本として「展示」する「人間動物園」が開かれていたことからもわかる。人類には複数の種がある。この信念こそが、異なる劣った人種に対する奴隷制令植民地支配を正当化してきた。人類学がかたちづくられる一九世紀後半、この学問に最初に課された使命は、人類が一つの種だと証明することだった。一八九六年に英国オックスフォード大学で初代の人類学教授に就任した...旋回する人類学1
お盆についての原稿です。お盆は、故人と出会う時節だ。往生された人との出会いの機縁は、思い出の場所であったり、お墓であったり、また出来事であったり、色々とある。浄土真宗では、その機縁の一つにお念仏がある。父が往生して十数年になる。往生した父に、生前「浄土へ往ったら何がしたいか」と訊ねたことがある。父は僧侶で、食道がんを患い、治癒の見込みもない状態だった。浄土真宗では往生成仏して、阿弥陀仏のはたらきに乗じて、自由自在に人々を摂化する仏に成ると説く。そのような思いがあったので、父に「浄土へ往ったら何がしたいか」と聴いたのだった。父は、少し沈黙があって「ん、南無阿弥陀仏の念仏になる」と言った。そのときその言葉の真意は問わなかったが、今では、有り難い言葉を頂いたと思っている。南無阿弥陀仏…と称えるなかに、この念仏の...出会いの機縁
大乗へ掲載と書いていましたが、会報ビハーラ52号「編集後記」へ掲載します。以下転載性的少数者に対する理解を広げるための「LGBT理解増進法」が成立した。性の多様性に配慮し、同性カップルや友だちカップルであっても結婚を認め、異性カップルと同等の権利を与えるという動きが世界的に広がっている。多様性といえば『阿弥陀経』にも「青色には青光が、黄色には黄光が、赤色には赤光が、白色には白光が」とあることからして、浄土真宗のみ教えから言ってもジェンダー平等社会の実現は望むべき方向だろう。しかしここに大きな繋念がある。それは浄土真宗をはじめ既成仏教教団は、門徒(檀家)制度に支えられているという点だ。法律学者の川島武宣氏は『日本社会の家族的構成』に、「家」制度を支える意識を次の様にまとめられている。①血統連続に対する強い尊...質的転換
大乗へ掲載と書いていましたが、会報ビハーラ52号「編集後記」へ掲載します。以下転載性的少数者に対する理解を広げるための「LGBT理解増進法」が成立した。性の多様性に配慮し、同性カップルや友だちカップルであっても結婚を認め、異性カップルと同等の権利を与えるという動きが世界的に広がっている。多様性といえば『阿弥陀経』にも「青色には青光が、黄色には黄光が、赤色には赤光が、白色には白光が」とあることからして、浄土真宗のみ教えから言ってもジェンダー平等社会の実現は望むべき方向だろう。しかしここに大きな繋念がある。それは浄土真宗をはじめ既成仏教教団は、門徒(檀家)制度に支えられているという点だ。法律学者の川島武宣氏は『日本社会の家族的構成』に、「家」制度を支える意識を次の様にまとめられている。①血統連続に対する強い尊...質的転換
昨日、お通夜へ出勤。私が住む柏市は東京圏内ですが、通夜を勤める回数は、全体の2割と成っています。80%は一日葬です。昨夜の通夜、40日ぶりに声が出ました。長かったです。この3.4日前は、声は出るのですが、少し発声していると、声がれ状態でした。それ以前は、最初から駄目でした。やれちれです。通夜は全体の2割
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昨26日から29日迄、築地本願寺において「親鸞聖人誕生850年、立教開宗850年記念慶讃法要」です。昨日、10人で団体参拝、庭儀があり荘厳さな法要でした。満堂で700人といった参会者でした。記念冊子が無料で配られましたが、その冊子の中に、当日、ライブ配信されているE映像を参拝しながら見られるようにQRコードでも印刷してあれば、ラジオを聴きながら野球観戦するように楽しめたと思いました。築地の慶讃法要
『思考停止という病理:もはや「お任せ」の姿勢は通用しない』(平凡社新書・023/5/17・榎本博明著)からの転載です。アメリカの教科書の209篇、日本の教科書の211篇を分析の対象としているが、「強い個人」というテーマはアメリカでは53篇もあるのに対して、日本ではわずか7篇にすぎなかった。細かく見ていくと、「自己主張」というテーマはアメリカの7篇に対して日本では皆無、「自立心・独立心」というテーマもアメリカの7篇に対して日本では皆無、「強い意志」というテーマはアメリカの15篇に対して日本ではわずか1扁であった。アメリカの教科書で多く取り上げられている「自己主張」というテーマが、日本の教科書ではまったく取り上げられていない。このように、「自己主張」をよしとするアメリカ文化と「自己主張は慎むべし」:とする日本...思考停止という病理②
『思考停止という病理:もはや「お任せ」の姿勢は通用しない』(平凡社新書・023/5/17・榎本博明著)からの転載です。相手を信頼すぺきで疑うのは失礼だ、と思う心理日本で生まれ育つと、当たり前のようになっており、とくに意識しなしことも、海外の人と接すると強烈に意識せざるを得なくなるということがある。その一つが、人を疑ざず信頼しようとする心理傾向だ。私たちは、生まれ落ちた社会の文化にふさわしい人間につくら行く。これを社会化と言うが、日本に生まれれば日本人らしく自己主張を慎み、謙虚さを身につけ、相手を尊重し、思いやりをもって相手の気持ちを汲み取ろうとするようになるとともに、信頼すれば相手ば必ずこちらの気持ちに応えてくれるはずと信じ、人を疑うのは失礼だといった感覚を身につけてしく。アメリカに生まれれば、アメリカ人...思考停止という病理①
『パラサイト難婚社会』(朝日新書・2024/2/13・山田昌弘著)からの転載です。古くを振り返れば、平安時代の貴族階級は紫式部の『源氏物語』に見られるように、女性は親元に住み続け、そこに夫が通ってくる「妻問」、いわゆる「通い婚」が一般的でした。男性が3日問続けて女性のもとに通い続けると、4日口に女性の両親も含めて会食をし、それで「結婚が成立した」とみなされる時代だったのです。実際に、『源氏物証』のストーリーの核ともなる男女の恋愛模様は、(主に貴族階級に限ってですが)1人の夫に複数の妻という「一夫多妻」の慣習があったればこそ。あの時代に現代的一夫一婦制が確立されていれば、日本文学の革たる名作もこの世には生まれなかったはずです。光源氏は、葵の上という正妻がいながら父の後妻と関係を持ち、のちに正妻格となる紫の上...パラサイト難婚社会
本日、午前11時から西方寺本堂・庫裏建設の起工式です。設計は長野県の中村建築研究所、施工は松井建設です。設計に3年かけて、本日に至りました。表白(起工式)敬(うやま)って光(ひか)りといのちきわみなき、阿弥陀(あみだ)如来(にょらい)のご尊前(そんぜん)に申(もう)し上(あ)げます。如来(にょらい)は、われら凡夫(ぼんぶ)を、無量(むりょう)の智慧(ちえ)と慈悲(じひ)とをもって育(はぐく)み、金剛(こんごう)不壊(ふえ)の信(しん)を恵(めぐ)んで無明(むみょう)の長夜(ちょうや)に、無碍(むげ)の一道(いちどう)をお示(しめ)しくださいました。いまここ柏市(かしわし)布施(ふせ)の地(ち)に、諸(しょ)縁(えん)ととのい、法(ほっ)照山(しょうざん)西方寺(さいほうじ)、本堂(ほんどう)建設(けんせつ...西方寺本堂・庫裏建設の起工式
この3月まで「本願寺派仏教婦人会総連盟講師」でしたが、定年です。この2年間は、各教区への研修会出講が、コロナのため少なく、西方寺にとってが、助かりましたが、個人的には、燃焼不足でした。この4月からは「本願寺監事」に就任しています。本日が、初会合で京都出張です。本願寺派の監事は、「宗派監事2名」「本願寺監事2名」「築地本願寺監事2名」おり、指名されて初めて、そのような事後とがあることを知りました。本願寺監事
『親鸞に秘められた古寺・生涯の謎』(山折哲雄編者)からの転載です。鎌倉での一切経校合に参加する関東時代の親鸞の行実としては、鎌介での一切経校合もしばしば注目される。覚如撰述の『囗伝鈔』によると、北条時氏が鎌倉で政治を執っていた頃、北条氏が願主となって一切経(大賊経)の書写が行われた。このときテキストの校合のために学僧を招請することになったが、そこで親鸞が尋ね出されて推挙され、親鸞は招請に応じて一切経の校合を行ったのだという。『親鸞正明伝』には、親鸞は六十余歳のとき相模国江津(神奈川県小川原市出府津)にしばらく滞在したが、ちょうどこのとき北条泰時(時氏の父)が鎌介で一切経書写の校合慶讚の怯要を催していて、優れた利者ということで親鸞はその法要に招かれ、校合の責任者(京匠)になった、と書かれている。『親鸞伝絵』...鎌倉での一切経校合
『親鸞に秘められた古寺・生涯の謎』(山折哲雄編者)からの転載です。坊守のモデルとされた玉日姫親鸞と玉日姫の結婚については、あくまで伝説とみて、そもそも玉日姫の実在を疑う研究者も多い。たしかに、法然が親燃の六角堂夢告のことをあらかじめ知っていたというくだりなどは、できすぎた話であるように思える。また、下級貴族出身の遁世僧と摂関家の娘では身分が違いすぎて結婚することなどありえない、という見方もある。江戸時代には、玉日姫の法名が恵信尼だとされて、両者が同一人物と考えられたこともあった。だが、親鸞と玉日姫の結婚譚は、関東門徒系の親鴬伝である『親鸞因縁』にも、『親鸞正明伝』とほぼ同じような内容をもって書かれている。しかし結局、『親鸞正明伝』が語る親鸞とに玉姫の結婚譚がなによりも興味深いのは、親鸞がなぜ妻帯に踏み切っ...坊守のモデルとされた玉日姫
『親鸞に秘められた古寺・生涯の謎』(山折哲雄編者)からの転載です。『親鸞正明伝』が記す九条兼実の娘玉日姫との結婚譚現代では親鸞の妻というと忠信尼のイメージが根強いだろうが、「親鸞は恵信尼と一緒になる前に別の女性と結婚していた」とする伝承も真宗教団では古くからみられた。その女性というのが、第1章でも言及した、関白九条兼実の娘とされる玉日姫だ。親鸞と玉日姫の結婚について詳述するのはり「親鸞正明伝」である。親鸞は法然の門下に入っておよそ半年後の建仁元年(1201)十月、すなわち二十九歳のとき、法然の指示によって玉日姫と結婚したのだという。同書のそのくだりを、要約して記してみよう。〈建仁元年十月上旬、九条兼実が法然の吉水の禅房を訪ね、仏法談義をかわした。そのとき、兼実が「出家の念仏と、私のような在家の念仏とでは、...玉日姫との結婚譚
『親鸞に秘められた古寺・生涯の謎』(山折哲雄編者)からの転載です。親鸞の師、慈円次は親鸞出家の師となった天台憎慈円である。慈円は摂政・関白を務めた藤原忠通の子で、久寿二年(1155)の生まれ。源平合戦期に政界の中枢に身を置いて摂政(1186~91)・関白(1191~96)を歴任し、かつ政界引退後は法然に深く帰依した九条兼実は、同母兄である。慈円は永万元年(1165)、十一歳のときに比叡山延暦寺に入り(入室)、覚快法親王(鳥羽天皇皇子)の弟子となる。仁安二年1167)に出家し、当初は道快と袮して密教を学んだ。養和元年(1181)に慈円と改名。建久三年(1192)、三十八歳のときに天台座主(延暦寺のトップ)に就任し、後鳥羽都連の優の護持僧となった。関白兼実の後押しもあったのだろう。この後にも、慈円は三度、天台...親鸞の師、慈円
『親鸞に秘められた古寺・生涯の謎』(山折哲雄編者)からの転載です。日野範綱は親鸞の父有範の兄、つまり親鸞の伯父であった。後白河法皇の近臣であったので、平清盛が後白河を制して覇権を握っていた時期は苫渋をなめたとみられるが、治承五年閏二月、つまりちょうど親鸞が出家した「春」(旧暦で1~3月)に含まれる時期に清盛が没し、後白河の院政が再開されている。この時期の範綱の眼前には久々に光がさしていたのではないだろうか。その範綱が親鸞の養父となっていたのはなぜか。かつては、「親鸞の実父有範が早世したため、範綱が父親代わりとなっていたのだ」と考えられていて、『親鸞正明伝』は有範だけでなく親鸞の母親も早世したと記している。しかし、近年ではこの見方は支持されていない。昭和戦後に、親鸞の弟で、僧侶になっていた兼有が有範の中陰の...有範の中陰の供養
『親鸞に秘められた古寺・生涯の謎』(山折哲雄編者)執筆者は古川順弘氏、小本ながら内容のある本です。からの転載です。たとえば、西本願寺が所蔵する親鷺自筆の六字名に、「康元元年十月二十八日」という揮毫した年月日と、「八十四歳」という当時の年齢(数え年)が明記されたものがある。六字名号とは「南無阿弥陀仏」と書かれた掛軸のことで、真宗教団ではこれが本尊となる。康元元年は西暦一一五六年にあたるので、ここから逆算すると、承安三年(一一七三)という生誕年が導かかる。誕生日を四月一目とする伝承があり、現在の西本願寺はこの日を新暦に換算した五月二十一日に親鷺降誕会を行っているが、四月一口生誕は江戸時代に広まったものであり、確たる根拠があるわけではない。(以上)(つづく)親鸞聖人の誤誕生日は、歴史的には定かではありません。親鸞聖人の誕生日
本願寺出版社刊『大乗』に、この4月号から「なるほど仏教ライフ」を、署名入れで連載することとなりました。2024.4月号連載原稿です。能登半島地震から三か月が経過した。「今日、交通事故で死ぬかもしれない命」。法座で良く聞く言葉だが、聴衆に、災害で肉親を失った方がおられたら、その言葉は重すぎて説くことができないだろう。本来、諸行無常は、自分を安全な場所におきて語ることできないみ教でもある。元本願寺派総長で故豊原大成氏(2022.1.23亡)は、阪神・淡路大震災(H7.1.17)で三人の肉親を失われる体験をされた。その豊原氏がNHKテレビ『宗教の時間』(「この命を未来につないで。阪神・淡路大震災から22年」)に出演され、次のように語っておられた。「諸行無常はいわば建前、涙こそ本音。私は今もこの建前の無常と本音の...なるほど仏教ライフ①
本願寺出版刊月刊誌『DAIJO』に2022年4月号から毎月、執筆者無記名のコラムに執筆しています。出版社から三か月は掲載しないでとのことで、期限切れから掲載しています。24年12月号掲載文です。現状維持バイアス言葉には、人間の性質や情念、社会のあり様などを可視化するはたらきがある。三十数年前、幼稚園の講演会に児童精神科医の佐々木正美(1935~2017)先生をお招きしてお話を伺ったことがある。講演の中で、文化人類学者の我妻洋氏(1985年没)の話を引用しておられた。それは「他罰化」のことで、地球上、どのような民族であっても、経済的、物理的に豊かな地域や文化圏に住んでいる人間ほど、外罰性とか他罰性という感情を強くもつ。豊かさと外罰性、他罰性、貧しさと内罰、自己罰という感情は結びつきやすい。これは、人類として...現状維持バイアス
『WEIRD(ウィアード)「現代人」の奇妙な心理上:経済的繁栄、民主制、個人主義の起源』(2023/12/20・ジョセフ。ヘンリック著),今西康子翻訳)からの転載です。ウォーミングアップのためにまず、紀元後第二千年紀にヨーロッパで確立された公式制度に多大な影響を及ぼした可能性の高い、WEIKD心理の四つの側面について考えよう。①分析的思考密接な社会的つながりを欠いた個々人からなる世界をうまく渡っていくために、人々はしだいに、関係性を重視して包括的に考えるのではなく、もっと分析的に世界を捉えるようになっていった。分析的にものを考える人は、個人と個人、あるいは事例と事例などの関連性に焦点を当てるのではなく、個人、事例、状況、あるいは物体をそれぞれ別個のカテゴリー(たいてい独特の性質をもっている)に割り振ること...WEIRD(ウィアード)「現代人」の奇妙な心理上:経済的繁栄、民主制、個人主義の起源④
『WEIRD(ウィアード)「現代人」の奇妙な心理上:経済的繁栄、民主制、個人主義の起源』(2023/12/20・ジョセフ。ヘンリック著),今西康子翻訳)からの転載です。これは、次のような三要素をもつ宗教団体の出現をほのめかすものだ。①互助を提供する相互依存ネットワーク、➁聖なる規範への献身の共有、そして③実存的不安や人生の無常に対処しやすくしてくれる儀式や超自然的信念。戦争やその他の災難が絶えない世界では、集団間競争の作用を受けて、この三要素を備えた宗教パッケージが普及していく。なぜなら、こうした宗教こそが、この重要な特質を欠く宗教との競争に勝利するからである(こうした宗教が「真実」だからではない。実際に、自然災害や戦争はいずれも、人々の宗教的信仰心を深め、儀式への参加を促すことを示す多数の証拠が得られて...『WEIRD(ウィアード)「現代人」の奇妙な心理上:経済的繁栄、民主制、個人主義の起源』③
『WEIRD(ウィアード)「現代人」の奇妙な心理上:経済的繁栄、民主制、個人主義の起源』(2023/12/20・ジョセフ。ヘンリック著),今西康子翻訳)からの転載です。一例を挙げよう。ネパール内戦が終結してから10年後に実施された調査では、多くの戦争関連の暴力にさらされた共同体ほど、(共同体の成員同士で行なう)公共財ゲームで協力行動が多く認められた。また、選挙で投票する人達、地域団体に加入している人の割合も高かっか。実際のところ、戦争の被害を受けていない共同体には、任意団体が全くなかったのに対し、戦争の被害を受けた共同体の七〇%に、農業協同組合、婦人会、青年団のような組織が設立されていた。ここでもやはり、戦争が、任意・体に加入しようとする人々の動賺づけを高めていた。戦争がなぜ、ヒトの心理にこのような効果を...『WEIRD(ウィアード)「現代人」の奇妙な心理上:経済的繁栄、民主制、個人主義の起源』➁
『WEIRD(ウィアード)「現代人」の奇妙な心理上:経済的繁栄、民主制、個人主義の起源』(2023/12/20・ジョセフ。ヘンリック著),今西康子翻訳)、英語タイトルの『WEIRD』は、「奇妙な」という意味であるとともに、W:Western(西洋の)/E:Educated(教育水準の高い)/I:Industrialized(工業化された)/R:Rich(裕福な)/D:Democratic(民主主義の)次の言葉の頭文字を取ったものとあります。世界16ヵ国で刊行されているそうです。以下転載です。翻訳者のあとがきからの転載です。ヒトにはもともと、他の霊長類と同様に、子どもを養い、配偶者と絆を形成し、近親個体を助けようとする本能が備わっており、人類社会の最も基本的な諸制度は、はるか昔からずっと、血縁関係やその拡大...WEIRD(ウィアード)「現代人」の奇妙な心理上:経済的繁栄、民主制、個人主義の起源
『ホモ・サピエンスの宗教史-宗教は人類になにをもたらしたのか』(中公選書・2023/10/10・竹沢尚一郞著)からの転載です。ところで、集団規模を拡大することは、危険な敵からの防御や食物獲得の観点では有利だが、集団内の緊張を増加させるという点ではマイナスに作用する。そのことは、うまく対処できなかったなら集団の分裂につながる危険かあるだけに重大な課題といえる。ヒトの先祖とおなじように集団で生きる類人猿はそれに対処する手段を講じており、チニパンジーの場合には、緊張緩和の手段は複数の個体が接触しておこなう毛づくろいであり、これによって脳内に「脳内麻薬」と呼ばれるエンドルフィンが分泌され、幸福感が増大ことが確認されている。しかし、ヒトの先祖のように集団規模がさらに拡大されたケースでは、これだけでは緊張緩和の手段と...ホモ・サピエンスの宗教史③
『ホモ・サピエンスの宗教史-宗教は人類になにをもたらしたのか』(中公選書・2023/10/10・竹沢尚一郞著)からの転載です。ヒトのつかい、つまり婚姻関係の形成についてのモリスの解釈が妥当か否かは不明だが、チンパンジーは雑婚をするのに対し、すべての人間社会は婚姻制度をもつことが確認されているので、社会が生物学的な適応の過程で生じたことは確実だろう。つがいの形成の問いは別にして、ここで確認しておきたいことは、ヒトの固有の特徴である乳幼児期の引き延ばしと母親や周囲の人間に対する依存関係の延長が、ヒトが進化する過程で生じた生物学的適応にほかならないということだ。私たちは先に、二足歩行を始めたヒトの先祖が、ぶざまで、脆弱で、無防備な身体をもっていたことを見てきた。そして、ヒトがそれほど脆弱で無防備な身体をもつ存在...ホモ・サピエンスの宗教史➁
『「ココロ」の経済学:行動経済学から読み解く人間のふしぎ』(依田高典著)からの転載です。内的動機の持続性人間の内的動機に訴えかけて、節電のような、社会的行動を促進させることが、行動経済学の分野ではよく知られています。しかし、どの程度、その効果が長続きするものか、完全には分かっていません。そこで、私と共同研究者は、1012年夏、東日本大震災後の京都府南部で、経済産業省プロジェクトの一環として、一般家庭に、節電をお願いする介入と電気料金を1㌗あたり25円から最大100円程度まで時間帯別に変動させる介入の2種類を導入して、その持続効果を比較検討しました。その結果は、とても興味深いものでした。平均的な節電効果は、節電要求が3%、変動型電気料金が20%と大きく開きましたが、最初の数日に限れば、節電要求も8%とそれな...内的動機の持続性
『「ココロ」の経済学:行動経済学から読み解く人間のふしぎ』(依田高典著)からの転載です。幸福度研究の可能性経済的富と幸福の直接的関係に対する興味関心が高まったからでしょう。幸福調査で観察される定型的事実があります。国のなかでは所得と幸福の間で相関関係が見られますが、異なる国の間の比較では所得と幸福の間に相関関係がみられません。これを発見者の名をとって、「イースタリン・パラドックス」と呼びます。イースタリン・パラドックスを考えてみると、2つの説明が可能です。第一に、人間が気にするのは自分の絶対所得ではなく、他人との相対所得である。第二に、所得が上がれば、一時的に幸福度は増すが、すぐに慣れて幸福は元に戻る。そのように考えると、パラドックスをうまく説明できます。幸福調査で得られたデータをつぶさに検討することで、...イースタリン・パラドックス
『中外日報』(2023.4.19日号)新しい「領解文」の続報です。新しい「頷解文」本願寺派新しい「領解文」の問題点下新しい「領解文」(浄土真宗のみ教え)に関する多岐にわたる問題点について、今回は拝読・唱和の問題と背景にある組織的課題について取り上げる。(渡部梨里)総局は2023年度宗務の基本方針にのっとり、新しい「領解文」の拝読・唱和を進めている。第321回定期宗会で「理解か深まるまで拝読・唱和を待ってほしい」との請願書が提出されたり、これまで関係諸会議で出席者から現場の拝読・唱和に対する違和感や再検討を求める声が幾度も直接総局に伝えられたりしてきたが、施策に反映されていない。新年度を待たず早急に拝読・唱和を進めた背景には3月29日から始まった親鷺聖入御誕生850年・立教開宗800年慶讚法要での全体唱和を...新しい「領解文」の問題点下
『格差という虚構』(ちくま新書・2021/11/10・小坂井敏晶著)、一点だけ転載します。労働による収入を資本収益が上回り、金持ちがどんどんと富む。一方で庶民はますます貧しくなる。だから累進課税・富裕税・相続税などを通して富を財配分する必要があると論じる。だがメリトクラシーは正しいのか。米田の政治哲学者マイケル・サンデルが指摘する。メリトクラシーの思想は社会移動に関するのであり、平等ではない。それにます気づくべきだ。富者と貧者の深い溝が悪いとは言わない。金持ちの子も貧乏人の子も時問の経過とともに、能力に応じて地位が変わる、つまり彼らの努力と才能の結果て上昇下降も可能でなければならない。偏見や特権により底辺に折り付けられたり、頂上に安住できたりしてはならないと主張するだけだ。[……]メリトクラシーの究極の目...格差という虚構
21日、未明、深夜便「明日へのことば」を聴きながら、「やっぱりそうか」と思ったことがあります。ゲストは脚本家・東京芸術大学大学院映像研究科客員教授の大石みちこさん、「マダム・バタフライの「声」に耳をすませて」というテーマでのインタビュー形式のお話でした。大石さんは、映画が好きなこともあって39歳で受験、合格して映像研究科脚本構成一期生となり、2010年の映画「ゲゲゲの女房」の脚本を手掛けるなど、理論と実践を同時に学びながら後進に育成れている方のようです。お話の中で、次のような話がありました。大学に新しい映像研究科が設立されるという事を知って、入ることを決意しました。監督コース、脚本コース、プロデュースコース、技術パートがあり、撮影、照明、サウンドデザイン、美術、編集など7つのコース、7つの領域があって、監...結論から始まる物語
昨21日は京都、本願寺、前日から入りました。仏教婦人会総連盟の総会でしたが、私の仕事は、2時間、ひな壇の上で座っているだけでした。あたらめて「こんな仕事もあるよなー」と思いました。連盟講師は7名ですが5人参加で、一緒にひな壇の上に坐っていて、連盟講師○○さんと紹介されたとき、立って頭を下げる。それが唯一の役割でした。ネット配信での総会なので、現地参加者はほとんどが役員の人だけです。仕事としては、講師がひな壇にすらることによって「総会の権威付け」と、何か突発的な質問があったときに受け答えることです。無駄なようにも思えますが、考えてみると、自分の人生は大方、無駄なことに喜びを感じたり生き甲斐を感じたりしているので、これも良いかなと思った一日でした。無駄なこと?
『ポジティブ病の国、アメリカ』(バーバラ・エーレンライク著)、「ポジティブシンキングについては、アメリカ独特の無邪気な考え方だと思われがちだが、アメリカ独特とはいえないし、無邪気などという可愛らしいものでもない。アメリカとは大きく異なる環境でも、ポジティブシンキングはさまざまな国で政治的抑圧の道具になっている。」(本文より)本書は、19世紀からキリスト教の一別派として生まれ、20世紀にじょじょに浸透し、大衆化し、今やアメリカ合衆国の国民的強迫観念になり、現在の経済恐慌の要因のひとつでもあるpositivethinkingの弊害を論じています。ポジティブシンキングという心的態度が、人々に期待され押し付けられる「規範」となると、それは抑圧となり、現実把握の失敗、現実遊離、現実逃避へと導かれていく。本書の最初に...ポジティブ病の国、アメリカ
『中外日報』(2023.4.14日号)に「新しい領解文」問題をまとめています。その「上」です以下転載。本願寺派新しい「領解文」の問題点を探る上浄土真京本願寺派で1月16囗に発布された「新しい『領解文』(浄土真宗のみ教え)についての消息」に対し、これまで勧学や司教、宗会議員や布教使、一般寺院僧侶、門信徒らから様々な声が上げられてきた。それらの声から、教学面、制定の経緯・手続き、拝読・唱和の推進など多岐にわたる問題点と、背景にある組織的な課題が浮かび上がってきた。上下2回の連載で今回は教学面と制定経緯について取り上げる。(渡部梨陽)法義大きく誤る懸念石上総長は発布経緯を説明新しい「領解文」は、2021年4月に大谷光淳門主が示した親教「浄土真宗のみ教え」に師徳の内容を加えた形で発布された。当初から教学面で疑問視...新しい「領解文」の問題点を探る上
「新しい領解文」(浄土真宗のみ教え)に対する声明(二)過日、勧学・司教有志の会は、このたび「ご消息」として発布された「新しい領解文(浄土真宗のみ教え)」(以下、「新しい領解文」)について、その文言全般を通じて、宗祖親鸞聖人のご法義に重大な誤解を生じかねないものであることを「声明(一)」において指摘した。この「新しい領解文」の文章表現について、石上智康総長の著書のなかに酷似する表現が多数見出されることは、すでに宗会等で指摘されているように周知の事実であるが、制定の経緯についても、宗会の質疑その他を聞く限り、極めて透明性を欠いている。そして総局の強引な方針によって、全国の僧侶・門信徒は困惑し、混乱は広がり続けている。ことに三月二九日から始まった親鸞聖人御誕生八五〇年・立教開宗八〇〇年慶讃法要では、「新しい領解...「新しい領解文」(浄土真宗のみ教え)に対する声明(二)
『中外日報』(2023.4.12日号)に「本願寺派聖教に基づく伝道をー新しい領解文勧学.司教ら声明第2弾」という記事が掲載されていました。以下転載します。浄土真宗本願寺派の学階最高位の勧学とそれに次ぐ司教ら19人が8日、新しい「領解文」(浄土真宗のみ教え)に対する第2の声明を発表した。総局が、伝統的に定められた「聖教」ではない新しい「領解文」に基づく法話や唱和を要請していることや、現代版「領解文」制定方法検討委員会の答申と反する名称を定めたことなどに対して「宗門の根幹を突き崩すもの」と強く批判し、新しい「領解文」の取り下げと、聖教に基づく伝道に立ち戻るよう求めた。声明は「勧学・司教有志の会」から出され、深川宣暢勧学を代表に、森田眞円氏、普賢保之氏、宇野恵教氏の4人の勧学と15人の司教か名を連ねる。(勧学と...勧学.司教ら声明第2弾
金の価格が高騰しているという。金Ⅰグラム9,406円とあり、1970年代以前における金の価格は、現在価格の7分の1程度とある。先般、たまに線香を購入する京都のお香の老舗から、「特価販売」というカタログが届いたので、拙寺報恩講導師用、また正月に供える線香を頼みました。30年前に伽羅を購入したときは、1グラム何千円だったかと思います。この度、購入したら品は伽羅1グラム30.000円、2グラム届きました。伽羅の線香は10本27.000円、線香は1本で充分、本堂を香りで満たします。沈香でもピンキリで、最近は法事に行った折、そのお宅にある抹香ではなく、自分で持参した沈香を使っていただいています。伽羅が高くなった
『アニミズム時代』(法蔵館文庫・岩田慶治著)、は、ほとんど読んでいませんが、ふとアニミズムと一切草木悉皆成仏は似ていると思いました。一切悉有仏性でもそうですが、「仏」という理想的世界によって統一されているが、アニミズムは、いのちのありようがバラバラになっているので、そのいのちに接する人の情念によって、悪になった善になったりするのかも知れません。以下、少しですが本から転載します。朝、庭におりたって木々にあいさつする。「今口は、木蓮さん」、「今日は、泰山木さん」。もちろん、木は返事をしない。しかし、泰山木の枝にぶらさがり、木蓮の肌に触れていると、ゴツゴツした、ザラザラした肌ざわりをとおして、木々の返事がかえってくる。自然のなかの応答、感覚のやりとり、そこにアニミズムの出発点があるのではなかろうか。あの枝にカミ...アニミズム時代
宗派から『新時代の浄土真宗』(浄土真宗本願寺派総合研究所編集、浄土真宗本願寺派情報メディアセンター本部編集)が送られてきました。PHPからの発刊です。ざっと目を通しましたが、みな宗報に掲載されていたことで、そう目新しいものがありませんでした。目新しいと言えば、読者「この商品をレビュー」つ次のようにありました。言い得ています。有難い指摘です。本願寺派は歴史と信用のある組織。ゆえに、親鸞の説く教義をもとに、時代に合う理念や行動が語られる本だと想像して、購入。しかし、読んでみると、社会経験が少ない教団のトップが、時代に合うわけでもない、仏教でもない事を語っている内容だと感じました。教団としては、行動理念を大谷光淳門主説かれる各言葉とし、念仏者の社会活動を模索したいようです。社会活動の内容として、地球温暖化、孤独...新時代の浄土真宗
土門拳の埋葬されている八柱霊園のお墓にご縁を頂いている。墓碑に「昭和22年8月土門真菜」とあり、それから浄土真宗とのご縁が出来たのではないかという話を書いた。土門拳は滅多にわが子のことを記していない。そのような興味から図書館から『土門拳のこどもたち』という写真集を借りてきた。以下、二つのことが記されていた。土門拳と「こども」の写真岸哲男(写真評論家、二松学舎大学名誉教授)の最後に、次の様にある。終戦直後の昭和21年-もう遠いむかしのことになったから、書いてもよかろう。当時6歳のかわいいさかりだった上門拳の次女の真菜ちゃんが、築地明石町の自宅近くの防火川水池で、あやまっておぼれ死んだ。その忘れようにも忘れられない不幸な思い出が、こどもにカメラを向けずにはいられない土門拳の深層意識下にきっとあるにちがいない。...土門拳のこどもたち
引き続き『悪さをしない子は悪人になります』(新潮新書・2023/1/18・廣井亮一著)からの転載です。子どもの攻撃性を肯定的行動につなげるそれでは、子どもの攻撃性を肯定的行動につなげていくためには、親や教師の関わりとして何か求められるのでしょうか。子どもの攻撃性の肯定的側面をもっとも強調したストー「『人間の攻撃心』は、親は子どもが外界の危険や内部の攻撃的感情を適切に処理することができるという確信を持って養育すべしと述べています。つまり、子どもを「信じている」かどうかということです。これらの学説を一言でくくれば、家裁調査官と非行少年との関わりをテーマにしたNHKドラマ『少年たち3』(2002年8月放送)で上川隆也演じる家裁調査官が語った、゛”信じること、希望を持つこと、人間はつながっている”という台詞に集約...悪さをしない子は悪人になります④
4月9日(日)、中仏通信の講義で築地本願寺へ行くと「今日は花まつりで駐車できません」とのこと。何とか入れて貰いましたが、境内は1000位の人がいて、出店も「広島お好み焼き」など、屋台の出店と違って、本格的な店が20店舗くらい出店していました。大型の消防車も2台来ていて、お子さんを運転席に乗せて写真を撮るコーナーが人気でした。30年前の築地本願寺の「花まつり」は、銀座三越から築地本願寺まで、作り物の像を引いてのパレードと、子ども向けイベントをしていましたが、人を集めるのには、今の様な飲食を提供することが一番効果的なようです。「やっぱり人は、飲食など煩悩を満たしてくれるものが流行る」と思いながら境内をウロウロしてきました。築地本願寺の花まつり
引き続き『悪さをしない子は悪人になります』(新潮新書・2023/1/18・廣井亮一著)からの転載です。「悪」と攻撃性子どもの「悪」は、やんちゃ、いたずら、わるさ、反発、反抗などの攻撃性として表れます。ここで、「悪」と攻撃性について説明します。「攻撃」は意図的になされる危害行為で観察可能であり、「攻撃性」はその行動が生じる心理的な過程であると説明されることがあります。このように定義する限り、攻撃性は「悪い行為を生じさせる心的過程または心的エネルギー」となります。値かに、凶悪事件、粗暴事件などの反社会的非行は他者に危害を及ぼす攻撃行動であり、自傷、薬物乱用、援助交際などの非社会的非行は自分を傷つける攻撃行動です。非行、犯罪やいじめなどの問題行動のほとんどは、攻撃性の歪んだ発動によるものです。そして、それぞれの...悪さをしない子は悪人になります③
『悪さをしない子は悪人になります』(新潮新書・2023/1/18・廣井亮一著)からの転載です。悪理学「悪」について説明します。動物行動学、生態学をもとにしながらさまざまな観点から「善」と「悪」について考察したL・ワトソン(『ダーク・ネイチャー悪の博物誌』は、善良なものが腐敗して邪悪なものに転じる契機を「悪理学の三原理」として次のように提示しています。第1原理一よいものは、場所を移されたり、周囲の文脈からはずされたり、本来の生息環境からはずされりすると悪いものになりやすい。どのようなことであれ、もっともよく生きられる場所から移動させられたり切り離されたり遠ざけられたりすると、よいものの安定性が乱され悪くなりやすいのです。そし、元の場所にも移された場所にも問題が生じてきます。ものにはそれぞれに応じた「居場所」...悪さをしない子は悪人になります②
『中外日報』(2023.3.31日号)に本願寺前執行長の武田昭英しが「新しい領解文」について、問題点を投稿していた。新しい「領解文」が全の僧侶・門信徒の間で念が沸き起こっています。宗会でも議論になったようですが、将来の本願寺教団の法義相続に大きな禍根を残すことに気いていたのは、一部の議員のみだったようです。いや、気付いていても、人事権を持った総長の気配りがあったのでないかと思われます。しかし、宗祖親鸞聖人のみ教えが捻じ曲げられることこそが一大事であり、浄土真宗にとって致命的なことです。宗会がこれを座視したことは今後の宗門の衰退に拍車をかけることになる可能性を危惧します。新しい「領解文」の問題点を簡潔に指摘してみます。「後生の一大事」という響きがない。「後生の一大事」は浄土真宗の要です。る。②機の深信が欠如...「新しい領解文」について、問題点
『悪さをしない子は悪人になります』(新潮新書・2023/1/18・廣井亮一著)、興味深いタイトルの本です。図書案内に次の様にあります。「悪」は排除するべきものではない。悪と善は相対的なものに過ぎない。大事なのは、総体としての生身の人間の中に「悪」を正しく位置づけることだ。罪を犯し、非行に走った少年であっても、「悪」を正しくその子の中に位置づけてやれば、それは人生をプラスの方向に導くためのエネルギーともなるのだ以前、このブログで〝ハトの喧嘩〟について紹介したことがあります。http://satukirou.hatenablog.jp/entry/2013/10/03/202215転載。鳩を籠に入れて喧嘩させると、際限なく殺し合う。相手が無様に倒れ伏してもその皮を剥ぎ続け、容赦のない追撃を加える。これが平和の...悪さをしない子は悪人になります①