季語は・・・余花 行きつけに 傘を忘れて 余花の雨 【去年の今日】握話§昨今の“高級”寿司屋は・・・・・・
季語は・・・九月尽 マイルスで ついぞ夜長や 九月尽 【去年の今日】辞話§四十五歳定年?
十月大歌舞伎第一部に神田松鯉口演で赤穂義士外伝『荒川十太夫』という芝居が出る。それに先立って、歌舞伎座特撰講談会と銘打たれた会が歌舞伎座で催された。折しも神田松鯉傘寿の誕生日だそうである。 元より講談を聞いたことはほとんどないが、松鯉に加えて神田伯山も出演するというところに喰いついた。こんなことでもなければ伯山の高座に接することはできそうにない。 さて当日。開口一番は女性講談師神田鯉花の『柳沢昇進録・将軍饗応』から始まった。前座から二つ目に上がったばかり……舞台度胸はともかく、さすがにあれもこれもまだまだとしか言えず。 そうしてお目当ての伯山が花道から本舞台へと登場。まさに“講談の今”を象徴化するような存在と感じた。盛りだくさんなマクラは、あたかも落語を聞いているようで、アップル・ウォッチに装備されているSiriが熱演している伯山の叫び声に反応して..
10月に入れば、残暑もあと少し。ようよう秋らしい世間になってきた。 時に、薄手でも上着が必要なこともあって、そこそこ寒さに強いとはいっても、そこはやはり着るべきものは着たほうがよくなってきている。 東京の日没時刻は17時半よりさらに早まり、寂しい夕暮れが眼の前に拡がってくるのだ。 時折だが“鍋”の季節も近いように感じて、そろそろ食べてもいいのかなと思ったりしないでもない……もっとも、9月中に食べてしまったこともないではないのだが。 《日常のトピックス一覧》
季語は・・・桜紅葉 枝道は 桜紅葉や 御坂路 【去年の今日】辞話§四十五歳定年?
ロンドンでオリンピックが行われたのは2012年のことだったか。その時の開会式のハイライト映像を見て、何度ものけぞった。 最初は、エリザベス女王御本人がジェームズ・ボンドにエスコートされて、ヘリコプターに乗って、開会式の会場にパラシュート降下(スタントですよ)するという……まあ、日本で同じことをやろうとしたら「不敬である!」とか何とか騒ぐ冗談のわからない輩が湧いて出てくることだろう。 それから、登場したのはミスター・ビーン(ローワン・アトキンソン)で、電子ピアノに向かって、サー・サイモン・ラトル指揮するロンドン交響楽団と一緒に『炎のランナー』のテーマを演奏……退屈になったビーンが居眠りを始めると夢の中で炎のランナーよろしく海辺を走っていくという場面。 さて、今の日本で、ここまで互角に勝負できるキャラクターが存在するだろうかと冷静に考えても、かくまで世界に轟きそうな知名度の王..
電話のダイヤルを回し、テレビのチャンネルを回していた時代があった。 電話のほうは、1970年代に入る頃“プッシュホン”がスタートしてテンキーを押す電話の先駆けとなり、1980年代にはダイヤル電話はほぼ駆逐されてしまったのである。 確か結婚した1982年の電話は黒いダイヤル式だったが、既にその頃から演奏会のチケットの電話予約が始まっていて、リダイヤルが必須アイテムであるがゆえに、プッシュホンに替えたのだ。 それにしても、ずいぶん後になるまで長いこと、上のダイヤル式のアイコンが主流で使われていたのだったが、子どもたちや若い世代には何がなんだかわからなかったのではないか。 そして、テレビのチャンネルである。1960年代の頃には有線や超音波のリモコンはあったが、普及することはなく、改めてテレビのリモコンが一般的に普及しだしたのは2000年代前後ではなかったか。そこか..
季語は・・・龍淵に潜む 龍淵に 潜みて今日の 空碧し 【去年の今日】蹴話§人間は二通り~長友と内田~
嫌韓を煽ってはばからない政権党が、韓国由来のカルト宗教統一教会と…… ……手を組んでいたという事実があからさまになったが、どこをどうすればそんな繋がりが生じたものか、利害関係が明確だからそうなったと思われるにしても、党の方針と韓国のカルト宗教の思想がほとんど一致するなど、なぜ韓国のカルト集団に日本全体が支配されなくてはならないのか、愛国心を謳いながら、売国奴的行為をするという発想は何なのか、誰か教えて! 《つぶやきのトピックス一覧》
秋分の次候“蟄虫培戸(むしかくれてとをふさぐ)”である。 10月も近づいて、秋の虫の鳴き声が心なしか弱々しくなってきたと感じる。 何となくだが、11月頃まで鳴いているような気がしていたのは、けっこうな勘違いだが、けっこう長いことそう思っていたようだ。 9月も終わり近くなると、東京の日没は17時半頃となり、いよいよ釣瓶落としを痛感する。せめては18時頃まで明るくあってほしいと思うが、容赦なく太陽は南下を続け、冬至を過ぎるまで北上することはない。 8月一杯くらいは何となく明るさを保っていた夕方が、いよいよ暗さを増す時期となってしまった。 《七十二候のトピックス一覧》
季語は・・・新蕎麦 新蕎麦を 待つ小上がりの スポーツ紙 【去年の今日】動話§高速道路の渋滞
1989年9月27日、横浜ベイブリッジ開通。 横浜ベイブリッジは一度だけ渡ったことがある。 いつのことだったかは忘れたが、雨降りの日に横浜側から湾岸線を東京へと走らせた時のことで、まだ偉そうなドイツ車を運転していた時のことだ。 首都高速道路だが、制限速度は80km/h(最初は70km/h)というもので、走ってみればわかるとおり、3車線ながらそれ以上の広さを感じ、実際のスピードと見た目のスピード感がまるで違っていた。 80km/hちょっとで走っていたら、普通の道路の40km/h程度としか感じられず“内緒”でアクセルを多めに踏んでみても、道の広さとスピード感覚の差異に戸惑った記憶がある。 その後、一度も走ることはないままにきてしまったのは残念といえば残念であろうか。 《歴史のトピックス一覧》
六十代半ばを迎えた頃から、病院通いが始まった。月一回程度出向いては、薬を処方してもらう。 イレギュラーに“偽痛風”の発作が出た時は、鎮痛剤をもらいに行く。薬だけを出すわけにはいかないから、軽い問診でお茶を濁すわけだが、勝手にかかりつけ医と呼んでいる医師は「どうですか調子は?」と尋ねつつ、偽痛風の時は患部を触ったりする程度で終わり。その後は、薬を処方してもらっておしまい……それが3年ちょっと続いているだろうか。 この先、七十代、八十代と進むにしたがって、さらに病院通いの頻度が増えることは間違いないし、入院する可能性も覚悟しておかなくてはならない。 はてさて、我が身体のどこに大きなガタがきていて、しかるべくメンテナンスが必要なものか、我が身体なれど、それがまったくわからないというのも歯痒い話である。 《健康のトピックス一覧》
季語は・・・秋日傘 影伸びて 赤信号や 秋日傘 【去年の今日】週話§日曜粛々~世間は日曜日~
ポイントが貯まるTカードが、せっせと集めた個人情報を“販売する”という記事を見つけた。 そりゃあ、電子マネーだったりクレジットカードを利用すれば、その都度その都度履歴は残るわけで、カード会社にしてみれば“宝の山”で、それらを利用しない手はないと考えるのも当然のことなのだろうが……我々の個人情報を勝手に売買されることには異議を唱えたい。 カード業者は「利用規約で説明し同意をとっている」と言うが、無理があるとの論調もある。 個人的に、現在利用しているのは何枚かのクレジットカードと電子マネーのパスモとスーパーマーケットのそれ。クレジットカードについては、利用履歴が蓄積されていることは承知しているが、もっと身近な電子マネーについては、交通機関とスーパーマーケットという限定的ゆえに、それほど個人情報の心配はしていない。 利用するというメリットにつけ込んでの利敵行為は十分以上に..
老人介護施設からと思われる映像を時折見ることがあって、その中に娯楽の時間と思しき映像で、集まった老人たちが昭和歌謡を聴かされたり、何やら他愛のないお遊戯らしきものをしていたり……個人的にはまったく好みでも何でもなかったりする。 と思っていたら、老人福祉施設が「大音量でツェッペリンを聴く」会を催すという記事を読んだ。あまりにも当然に過ぎる催しで、驚くにはあたらない。 それこそ、ビートルズが結成されたのは、およそ60年前のことで、その頃に二十歳だった人間は八十路に達しようとしているではないか。ロック世代の先陣を切っていた人間が最早80歳なのだ。 彼らが、この60年の間も連綿とロックを聴き続けてきたかどうかはわからない。途中で演歌に転向した人間だっているだろう。 だが、介護施設で童謡だの懐メロだのが流れているような様子を見るにつけ介護する側とされる側の乖離が大きいことに気..
季語は・・・秋うらら 秋うらら 靴擦れをする おろし立て 【去年の今日】週話§土曜粛々~九月間もなく終了~
この先、10月に入っても前半は25度超の夏日が続くので、今年も残すところ3か月だとはとても思えない。 そろそろTシャツとはお別れ……さすがにそんな季節になった。Tシャツだけでは心もとなくて、軽く一枚羽織るが吉のようだ。 10月10日、かつての体育の日が我が家の夏物から長袖物への入れ替え初日。半袖シャツを何枚か残して長袖に入れ替える。 9月の終わりは、いささか微妙な時節が続いていく。 《日常のトピックス一覧》
季語は・・・望月 影二つ 多摩丘陵に 望の月 【去年の今日】穀話§食欲が緩やかに
もう30年以上前、新宿のデパート催場で恒例の北海道展が行われていたので出かけていった。 店を冷やかしつつ、ちょっと冷たいものでもと“搾りたて牛乳のバニラアイス”でも舐めようと、列が短かったので並ぶことにした。自分たちの番がきて注文しようとしたら、一つ前でアイスを受け取った夫婦が戻ってきて…… あのぅ、アイスの中にゴミがあるのですが ……と言いながら、おずおずと、アイス売り場の人にアイスを差し出した。売り場の人は困ったような顔をしながら「お客さん、これはバニラの粒なんですよ」と。夫婦はちょっとバツの悪そうな顔をしたが、納得してその場を去っていった。 かつては“バニラエッセンス”なる、小瓶に入った液状の物が使われていたので、黒い小さな粒がバニラであるとわかったのは、昭和の終わり頃あたりではなかったか。 そのことがあって以来、バニラアイスを食べながら「あのぅ、アイス..
季語は・・・秋分 秋分けて 山々徐々に 鎮まるか 【去年の今日】瞬話§水平をとるのが下手
秋分の初候“雷乃収声(かみなりすなわちこえをおさむ)”である。 さて、秋分である。 30度を超える真夏日も週に一日くらいとなり、朝夕もめっきり涼しくなってきた。 そして、秋分の日が朝と夜の時間が同じになるとあるが、今年の場合、秋分から4日後の27日が、日の出5時32分、日没17時32分と、ぴったり12時間ずつとなるのだ。 素人としては、まさに“その日”なのに、なぜに27日を秋分としないのか、そのあたり、暦の規則はわからない。 さすがに蝉の姿はなく、コオロギなど秋の虫たちが賑やかな夕方である。 《七十二候のトピックス一覧》
ロシアのウクライナ侵攻このかた、円安の勢いが止まらない。そして対策をまともに取ることなく“静観”を決め込んでいる政府と日銀の無策である。 9月に入った頃、対ドル、対ユーロのキャッシュ交換レートは百四十円台と久々の超円安を記録した。 自動車を中心とする輸出産業などは、円安のおかげで好調なようだが、様々な原材料を輸入するのに円安は不利でしかなく、あれやこれやが値上げする要因となっている。 輸出と輸入と、どちらか一方だけがいい思いをするような状況は決して好ましいわけではなく、きちんとバランスを取ってしかるべく収支に収めなくてはならないはずが、この無策をどう理解したらいいのだろうか。 そういえば“リーマン・ショック”が起きた2008年に3週間の長期休暇旅行をした時、ユーロのキャッシュ・レートは百六十円台までになっていたことがあって、よりにもよって長い休みの時に円安かよと嘆い..
季語は・・・秋彼岸 似た墓を 迷い歩けり 秋彼岸 【去年の今日】鋏話§キッチンばさみ~結婚以来の~
国技館の大相撲九月場所も大詰めが近づいた。今日はもう十二日目である。 おおよそ十両あたりからテレビ中継を眺め始める。テレビのメイン画面は、言うまでもなく正面から土俵を映して、正面の行司を挟んで左右に東西の力士がという、テレビ中継が始まって以来、変わらない構図であろう。 そして土俵の奥が向正面である。モノクロの時代から、カラーを経てハイビジョンへと移る中で、映像の質が飛躍的に向上したことで、向正面のお客さんの顔が鮮明に見えるようになった。 考えるまでもなく、向正面は行司が後ろ姿で見える、まさに向こう側というポジションで、正面からのテレビカメラに、お客さんの顔がもろ映り状態になる。 そうすると、どこかで見たような芸能人であるとか、何だかお騒がせな輩が雁首を並べているのがよく見える。正面よりは条件がやや悪いと思われる席だが、顔を売ることができると考えてのことかどうかはわか..
先週土曜日から、ドイツはバイエルン州ミュンヘンでオクトバーフェストが行われている。さぞや現地は阿鼻叫喚のカオス状態であろう。そんな祭にちなんで“ビール”というアルコール飲料についてのエントリーである。 ビール以上に陽気で明るい酒は存在していないのではないかと考えたのだ。まずもって、しんねりした顔でビールを呑む人間がいるだろうか。あの黄金の液体を前にすれば、人間誰でも口元をほころばすのは当然のことではないか。 ぐびぐび呑める、それができる程度のアルコール度数だから、みんな明るい顔でビールを酌み交わせるのだ。 しんねり呑みたいのであれば、薄暗い照明のバーのカウンターでスコッチのストレートをしかめっ面でちびちび呑んでいればいい。 だから、最初に書いたオクトバーフェストは、数千人が収容できる巨大テントのビアホールで、呑み、歌い、そしてまた呑み、歌いが延々と繰り返されているの..
季語は・・・月今宵 路地裏に 見え隠れする 月今宵 【去年の今日】銭話§電子マネー
運転免許を取得したのは1984年。当時はまだオートマ教習はなかったので、マニュアル車で運転を覚えた。 だが、元よりマニュアル車を運転するつもりはなかった。東京のような細かい道路が縦横かつ複雑に通っているところで、マニュアル車を動かそうとは考えなかったのである。 教習所を無事に卒業しそうなタイミングで、ディーラーでおめあての車を買い求め、免許取得とほぼ同時に納車して運転を始めた。 その時、既に考えていたことを実行に移した。左足でブレーキ操作をすることで、マニュアル車を運転する場合、左足でクラッチ操作をするのに、思い切り踏み込んでクラッチを切るから、左足を使って同じ動作でブレーキを踏もうとしたらとんでもないことになってしまう。 だからいきなり路上では操作せず、まず最初は駐車場での入庫操作で試すことにして、バック時に左足をブレーキペダルに置いてコントロールすることを努めた..
味がわからないだけで、普通程度にはワインは呑んでいる。赤ワインや白ワインではなく、ゼクトやプロセッコ、カヴァといった発泡ワインが好物で、1000円凸凹の安いやつを買ってきてがぶがぶ呑むのが楽しみだったりする。 白ワインも、もっぱら辛口を選んでおけば間違いないとか思っているレベルなので、一向にその先に進んでいってくれない。 もっとだめなのが赤ワインである。1000円でお釣りがくるような赤ワインと2000円を超えるような赤ワインを比べても味の違いが、まったくわからず、お手上げになって終わり。 2000円のワインと書いたのは、それ以上数千円もするような赤ワインなど、買ったことも呑んだこともなく、ましてや1万円を超えるヴィンテージ系の赤ワインなど眼にしたこともないのだ。 まあ、辛うじてボージョレ・ヌーヴォーがいかにも若々しいその年にできた新酒ということくらいはわかるけれど、..
季語は・・・虫の夜 長湯して つい聞き過ごす 虫の夜 【去年の今日】下話§ベッドから落ちた件
[承前] そして、1981年5月。ゴールデンウィークに北海道旅行をするのに、往きは飛行機を選んで国鉄周遊券を利用した。行き先は旭川で、乗ったのはYS-11。 プロペラ機だったので、それほど高く飛んでいなかった記憶。国鉄旭川駅に着いたら、最初に来た電車に乗るという決め事をしていて、後は気まぐれな道中となった。結局、初日は知床、翌日は根室と、道東の端っこまで行ってしまったのだ。 最終日は早朝に根室を出発。延々と北海道を横断し、札幌を経由して深夜の函館から青函連絡船で本州は青森に渡り、半日ほどを八甲田にある酸ヶ湯温泉で過ごし、夜行寝台で帰京したというもの。 最後に国内線に乗ったのは1999年12月。親類の葬儀に参列するために全日空で札幌を往復してきた。この時、札幌はけっこうな積雪で、札幌駅からホテルに行くまでにも、滑って転びはしないかと恐々と歩いたことを思い出す。 ..
秀山祭を主宰していた二代目吉右衛門が逝去して、間もなく一周忌。今年は“二世中村吉右衛門一周忌追善”と銘打たれて、播磨屋、萬屋、高麗屋、そして中村屋といった親類筋が総集合しての賑やかな興行となった。 第三部はパスして一部と二部を一日で観るという……けっこう疲れたのだ。 【第一部】 『白鷺城異聞』は松貫四(吉右衛門の歌舞伎作者の筆名)が構成・演出し、姫路城の野外特設ステージで上演されたものの再演。播磨屋、萬屋、中村屋と親戚が揃っての舞台。宮本武蔵(歌六)が姫路城の妖怪(勘九郎、七之助)を退治する、他愛ないといえば他愛ないストーリーだが顔触れは豪華である。 菅原伝授手習鑑『寺子屋』は、幸四郎と松緑が松王丸と源蔵を日替わりで務めるという趣向。この日は松緑の松王丸に幸四郎の源蔵。二人とも吉右衛門の持ち役を慎重かつ丁寧に演じていた。 松緑は、時折だが感情が先走るところ..
季語は・・・獺祭(だっさい)忌 謹みて 餡パン一つ 獺祭忌 【去年の今日】週話§日曜粛々~嗅覚が鈍い人~
国内旅行をあまりしないこともあって、国内線の飛行機にはほとんど乗ってはいない。ゆえに、乗ったすべての行き先といつ乗ったかまで覚えている。 一番最初に乗ったのは1979年7月。旧羽田空港から伊丹の大阪国際空港だった。交通費先方持ちという関西への出張で、はみ出た分は自己負担で飛行機で行こうと考えた……まだ一度も旅客機に乗ったことがなかったのである。 乗ったのは全日空のトライスター……あの“ロッキード事件”で話題になった飛行機で、予約のしかたを失敗して、窓側ではなく、センターブロックに座ることになってしまったので“ただ乗っただけ”でしかなかった。 2回目も会社の出張で1981年2月に長崎に行った。飛行機の機種は覚えていないが、往復のフライトとも東亜国内航空。この出張は、長崎県観光協会がクライアントを招待するという“ごっつぁんツアー”で、五島列島の福江島まで足を延ばしたのである。..
下は、先々月7月の卓上カレンダーに記された予定である。こうしてみると意外とあれこれしているものだと思うのだが。 そのうち歌舞伎やコンサートなどで4回ほど都心に出向いているし、会社のOB会の事務仕事で出て行ったりしている。 そんなところに、通院なるものが2回あるのは“高齢者”ならではのことであろう……2回の内の一回は歯医者での治療なのでイレギュラーなのだが。 定年退職したら“毎日が日曜日”状態になって、家の周りをうろついている程度ではないかと想像していたが、何やかんやとやることはあったりして、月に十日ほどは家を出たり入ったりしているようだ。 さすがに宮仕え時代のように、月曜から金曜まで万遍なく出かけるなどとはあり得ないことだが、ただし一日おきくらいに近所のスーパーマーケットへせっせ食料の買い出しに出かけている。 もちろん買い物の行き来まで卓上カレンダーに..
季語は・・・名月 羽田発 名月を切る 機影あり 【去年の今日】週話§土曜粛々~えーと・・・・・・67歳~
白露の末候“玄鳥去(つばめさる)”である。 誕生日が、必ず白露の終わり頃と重なる。残暑とはいえ、秋の兆しも感じられるようなタイミングでこの世に生まれ出てきた……といえば、何がなし穏やかな雰囲気だと思われるかもしれないが、生まれて3日後に発生したのが洞爺丸台風で、8日後には青函連絡船洞爺丸が遭難している。 9月といえば台風の季節で、洞爺丸台風の一つ前の12号は、強大な勢力で九州を南から北に縦断して大きな被害をもたらしたのだった。 なのでむしろ、世情が騒がしい時に出てきてしまった気がしないでもなく、68年をさしたる波風も立つことなく過ごしてこられたのは、生を享けた時の騒々しさが取って代わってくれたのだと思いたい。 《七十二候のトピックス一覧》
68年を生きてきたってどういうことだろうと思う。 でまあこういうことかなとは、来し方を振り返って考えることなのだ。もう少し、何かこう(たぶん)余っていた力を活かしてやれば、などとは考えもしない。既にして身の丈以上の何かを得させてもらっているので、さらに欲を張ることなどしようなどと考えるはずもない。 そもそも、自分にとって“何が欠けているか”わかり過ぎるくらいわかっているつもりだし。 もちろん“ああすれば、こうすれば”と考えないでもないあれこれはあるかもしれないが、ここまで来てしまったら、いちいち後悔するなど罰当たりでしかなく、これで十分ではないか。 それがまあ、誕生日を迎えた感慨らしきものか……来年は69歳、そして再来年は70歳……古希を迎える。 《私事のトピックス一覧》
季語は・・・虫時雨 通り雨 ひとしきり後 虫時雨 【去年の今日】進話§山靴のこと
イタリア語の“料理”を意味する“Cucina(クチーナ)”に917の語呂合わせをして、本日“イタリア料理の日”だそうである……語呂合わせも極まれりということか。 海外旅行中、ドイツ料理よりは軽めなので、しばしばイタリアンの店にお世話になる。生ハムとかカプレーゼ(トマト&モッツアレラ)をつまんだり、そしてパスタを注文するのだが“アルデンテ”に当たったことが一度もない。 どこをどう茹でれば、かくのごとくフニャヘニャパスタが供されるものか、ミュンヘンのような南ドイツからイタリア国境までは、車で2時間少々しかかからない立地――東京から長野の松本あたり――なのに、哀しいパスタが出てきてしまうのである。 それでも、大きな皿にドーン!と肉の塊が盛大にのっかって出てくるよりは精神衛生にはよさそうな気はしているしているのだけれど。 《日常のトピックス一覧》
季語は・・・秋日和 壬生菜買う 京や錦は 秋日和 【去年の今日】舌話§アスリートと語学
あまり気にしていなかったのだが、けっこう胡瓜が好きなことに、ひそかに気がついた。 夏になると、何くれとなく胡瓜を口にしているのである。適当に切ったやつに味噌の類をちょいとつけて“もろきゅう”にしたり、浅漬けも箸休めとしてポリポリ食べている。野菜サラダに入っているのも好きだし、なかったらどこか寂しい気がするに違いない。 そんな胡瓜の中で、時折だが無性に食べたくなってしまうものに、カッパ巻がある。そもそも生のままの胡瓜はご飯と合うわけではないのだが、なぜかわからねども、カッパ巻が食べたくなってしかたがなくなってしまうのだ。 それもまあ、細巻の2本も食べれば満足するのだから世話はなく、不思議なことは、根っからのマグロ好きなのに、それじゃあ鉄火巻をとはいかないのである。 とかく世間では“世界で一番栄養がない”とか言われて、軽んじられている節がある胡瓜だが、栄養がないとは言い..
グーグル翻訳やDeepL翻訳など、翻訳アプリの性能がかなり向上しているのは事実だ。とはいえ、まだまだ日常で不安なく使えるレベルに達しているなどと自信をもって太鼓判を押せるわけでないのは言うまでもないことである。 文法的な翻訳機能は何とかなるのだが、やはり問題になるのは名詞の翻訳で時にはとんでもない誤訳が飛び出してきてしまう。 ドイツ語の“Janitscharenmusik”を調べようと、最初にDeepL翻訳に単語を突っ込んでみた結果が下の写真である。 どこをどう訳せば“ジャニーズ系音楽”という訳が出てくるものだろうかと思いそうになって、それではとグーグル翻訳にお願いしてみたら、ちゃんと正解が出てくれたのだ……グーグル先生、偉いっ! そして文法的問題はかなり改善されてきているにしても、名詞をどのように処理していくものかという、大きな課題が残っているよう..
季語は・・・新月 新月が 上りかかって 始発バス 【去年の今日】秋話§九月も半ばと~シルバーシート~
ビッグイシュー439号は9月15日から発売されています。お買い求めできる場所はこちらを参照。毎月1日、15日発売。一部450円。230円が販売員の収入に。ミューズ/マット・ベラミーが表紙。 表紙&スペシャルインタビュー ミューズ/マット・ベラミー リレーインタビュー 柳美里(作家) 特集 コロナ禍、医療崩壊と再生 新型コロナに感染、重症化しても治療を受けられない。2020年コロナ禍の発生以来、私たちは医療崩壊の現実にくり返し直面、実感してきた。その大きな原因は「医師不足」と「公立・公的病院の不足」であるという。 病院勤務医の約4割の人は過労死ラインを超え勤務している。日本 の人口あたりの医師数をOECD 平均のレベルにするには10万人以上の増員が必要となっている。また、コロナ禍で最も多くの病床を確保してきた公立・公的病院は、日本ではわずか20%しかない..
携帯電話は苦手である。そもそも、携帯電話を使ってやり取りをする頻度はとても少ないので、それが携帯電話を苦手とする理由の一つであるかもしれない。 定年退職した今はもちろんなのだけれど、宮仕えしていた時でも、携帯電話で通話することは一日に一度か二度程度……それも同居人に帰宅時間を伝えるといったことで、第三者とどうこうすることはまったくないと言ってもいいだろう。 携帯電話以前の、固定電話からでも知り合いと会話することは少なかった。記憶を大雑把にたどっても、20世紀のあたりでは、まだまだ電話での頻繁なやり取りは普通に行われた。 今さら調べることはできないが、確か我が家の固定電話料金が1万円を超えていたのではなかっただろうか。 結局、インターネット以前の世間における、直接に顔を合わせることができない、第三者相手のコミュニケーション手段の中心は電話だったのである。 話が変..
季語は・・・夜長 うとうとと チック・コリアを 聴く夜長 【去年の今日】穀話§硬めご飯が好きです
1968年9月14日、広島東洋カープの外木場義郎が完全試合を達成。 言うまでもなく、塁上に一人の走者も出すことなく、1イニング3人ずつ、9イニング21人をアウトで片づけることが完全試合である。 1968年のこの日、広島東洋カープの外木場が完全試合を達成した。日本プロ野球10人目の快挙だった。 完全試合がいかに達成困難な記録であるか……外木場が達成した後、1994年に巨人の槙原が達成したものの、そこから達成する投手が出てきてくれず、今年4月、ロッテの佐々木朗希が達成するまで、実に28年もの巨大な空白があったのだ。 昨今、9回最後まで完投してというシステムではなく、一定の投球数で交代するのが常識になってきている今日、完全試合への関門はいよいよ狭く狭くなってしまっているのである。 《歴史のトピックス一覧》
一部でラジカセ人気が復活していると聞いて驚いている。リアルタイムで流行していた頃は、ラジカセを持っていなかった。 コンポーネントでオーディオを組んでいたので、ラジカセまで持つのは余分なことと、最初から買うこともしなかったのである。 コンセントで繋げば室内でも、そして電池を使えば戸外でも使用することができる。原宿~代々木公園のホコ天で竹の子族あたりが使っていたのが、まさにラジカセだったのだ。 それにしても40年前は、一抱えもあるようなラジカセを持ち歩いていたとはである。しかもさらにカセットテープを複数個用意しておかねばならない。 この間、テレビでラジカセ再流行の話が放送された時、好き者が「カセットをセットしてスタートボタンを押してからの間の長さがいいんです」などと言っていたが、確かに今のCDはたちどころに音楽が流れてきてくれる。 自分としてはカセットテープよりも..
季語は・・・虫の音 虫の音の 音塊こだまして闇夜 【去年の今日】相話§神奈川フィル第371回定期演奏会
白露の次候“鶺鴒鳴(せきれいなく)”である。 あっという間に9月も中旬。日の出は5時半近くまで遅く、日没は5時台に入ってしまった……さすがに夕暮れが早くなった気がする。 蝉の勢力は衰え、薄暗くなったところで風呂に入っていると、コオロギなど秋の虫が賑やかに鳴くようになった。まだまだ残暑は厳しいが、確実に秋が近づいているということだ。 おおよそ、5時から6時の間に起き出して活動を開始する。起きるのが5時に近かったりすると、ようやく明けかかる東の空を目にして、夏至の頃の朝の早さに、改めて驚かされる。 春、春分に向って世間はどんどん明るくなっていくことがうれしかったりするが、秋の秋分に向かって日の出が遅く、日没が早まっていく様には、一抹の寂寥感を覚えてしまう。 昇る春と、下る秋ということだろうか。 《七十二候のトピックス一覧》
結婚して40年、キッチンに置かれた冷蔵庫も三代目である。それぞれ12年、15年、13年と使ってきた。今使っている13年ものは、2009年にキッチンのリフォームをした時に買い替えたものである。 どれも3段構造で、上から冷蔵室、野菜室、冷凍室という設定は同じだが、肝は冷凍庫が最下段にある製品を選んでいるということだ。 大雑把に利用頻度を考えるなら、一番に開け閉めしているのは、当然ながら一番上の冷蔵室で、その次が野菜室であろう。当然ながら冷凍庫の使用頻度は一番低いと思われる。 冷蔵庫が並んでいるのを見ると、意外にも冷凍室が中段で、下段に野菜室がというレイアウトが少なくないことに気がつく。野菜室が最下段だと、野菜を取り出す時に腰をかがめたりすることが多く、それなら野菜室が中段にあるほうが負担が少ない。 最近はどういう冷蔵庫事情になっているのかわからないが、最後2009年に購..
季語は・・・露けし 木洩れ日の 中の峠の 露けしや 【去年の今日】週話§日曜粛々~ふりかけとかお茶漬け~
1952年2月6日、父王ジョージⅥ世の死を受けて即位。在位70年という長きにわたってイギリス、英連邦の君主として生きてきた。 逝去と同時に、女王の長男チャールズ皇太子がチャールズⅢ世として即位。 我々には窺い知れない強い意志で国と国民のために奉仕してきたのであろうとは想像しかできない。死の2日前、9月6日には、ジョンソンの後を担うトラス新首相任命を行ったばかり、まさに大往生である。享年九十六 合掌 《追悼のトピックス一覧》
最近は尾瀬の山小屋には泊まるが、旅館の類に泊ったのは、かなり昔の話になってしまう。そして旅館の食事の話である。 いかなる理由によるものかはわからないが、旅館が提供する食事の量が多いとは、いつの時代までたどればいいことなのだろうか。 ずいぶん前、そこそこな設えの旅館に泊まった時の夕食が、いつ果てるとも知らず、延々と料理が出てきて、とうとうギブアップしたことがあった。 老若男女の別を問わず、華麗に並んだ料理に、ファイトを燃やす人もいれば、うへっ!とうんざりする人もいる。そしていつも思うのだが、食事を出す前に、料理の選択をさせてくれないかということがある。 そうでもしないと、間違いなく大量の料理が食べられないまま廃棄されてしまう。昨今の“食品ロスをなくす”からは真逆の存在ではないか。 もう一度繰り返すが、料理を選ばさせてほしい。コースの流れがということもあろうが、目..
季語は・・・水澄む 水澄むや 流れ千年 社家の町 【去年の今日】週話§土曜粛々~九月も中旬へ~
アニメと合わせて縁遠いものがテレビゲームである。ファミコンもプレステも我が家にはない。 だから、スーパーマリオもドラゴンクエストもファイナルファンタジーも、何が何だかまったく知らない……スーパーマリオのBGMくらいは聴いたことがあるけれど、その程度である。 ゲームをしないわけではない。仕事待ちで持て余した暇な時間をゲームセンターで遊んだりしたことはあるが、結局ははまらず、テレビゲームなども買い込んで家でということはなかった。 ちょっとだけ困るのは、稀に会話の中でそうしたゲームの話題が出ることで話の中身がまるでチンプンカンプン。話している人たちからしたら、まるでボーっとした表情をしているのは間違いない。 それに、今さら始めようを目論んだとしても、ゲームをコンプリートする気力などは持ち合わせていないのだ。 《日常のトピックス一覧》
季語は・・・蚯蚓(ミミズ)鳴く 神の国 あるはずはなし 蚯蚓鳴く 【去年の今日】世話§九月大歌舞伎第三部~エクモカーと四谷怪談~
ほとんど、というかまったくアニメ映画は観ない。だから宮崎駿作品の類も一度も観たことがない。テレビで放送しているのをちらりと観たことはあるが、どうやら自分たちとは合わないようで、チャンネルを替えてしまった。観続ける根気がなさそうで、それは同居人も同じであるようだ。 何事も最初が肝腎だから、もしも一作目から律義に観ていたら、あるいは愛好家になっていたかもしれない。 ある日、遠く遠くへと車を走らせていたら、どうってことのないところを、何組ものカップルが仲良く歩いているところに出くわし、何だ何だと思い、帰って調べてみたら、そのあたりがアニメの“聖地”で、彼らが“巡礼者”だとわかり、熱心なものだと感心したのだった。 相変わらずアニメの人気は高いが、すっかり取り残されてしまった人間もいるのである。 《日常のトピックス一覧》
季語は・・・秋澄む 秋澄みて 脱原発の デモの列 【去年の今日】港話§都心から羽田へ着陸する航路
9月3日……道端にヌスビトハギ(盗人萩)が咲き始めていることに気がついた。 通常より一週間くらい早く咲き出したようだ。いつに変わらぬ、可憐で小さなピンクの花が楚々と咲いている様は、とても野草とは思えない。 だが、これが種子となると“ひっつき虫”と呼ばれる、ちょっとやっかいな存在となる。おそらく微細なマジックテープ状の表面のおかげで、種子が衣類にくっついて、どこかへと運ばれて、それらがまた、別の場所に落とされて翌年の秋に再び花を咲かせるのだ。 9月6日……台風11号(ヒンナムノー)が通り過ぎていった。発生から数日は太平洋をゆっくりと西進していたが、突然にV字回復よろしく北上を始め、日本海を縦断して温帯低気圧に変わった。 対馬海峡の韓国寄りコースだったので、むしろ大きな被害が出たのはお隣の国……死者まで出たのだ。 《日常のトピックス一覧》
[承前] 日帰りで尾瀬ヶ原往復をするツアー客が主流になったおかげで、尾瀬ヶ原と尾瀬沼の連絡ルートである段小屋坂がかなり寂れてしまったような気がしてならない。 ↓イヨドマリ沢の橋の状況 緩やかな山道にところどころ敷かれている木道は管理不十分。あちらこちらで朽ちたりして不安定な状態になってしまっている。交換の作業も行われているが、遅々として進んでいないのが現状だ。 そうして、個人的には尾瀬の登山ルート最大の悲惨な状況は、大清水から三平峠を越えて尾瀬沼に下り立つ“メインルート”の管理である。特に一ノ瀬休憩所から岩清水を経て三平峠への道が悪い。十二曲がりあたりは最悪で、路肩が崩れそうになっていたり、ハイカーは登り下りに苦労している。 ↓三平峠のあたりでこれ そんな状況をせめても改善しようと数年前から、大清水から一ノ瀬休憩所の間を低公害車がシャトル運行する..
季語は・・・残り蚊 残り蚊や 今日ワクチンの 四回目 【去年の今日】愉話§ゲームの類にはまることなく
白露の初候“草露白(くさのつゆしろし)”である。 季節を表す節気や候は順調に進んでいくが、残暑はチョー厳しく、いつ果てるともなく延々と続いている。まあ、朝晩は少しくらい涼しくなってきたと思わないでもないが、実際はほとんど夏のそれでしかない。 日中は、相変わらずTシャツとハーパンで過ごしているし、エアコン様々と感謝しての睡眠である。 小学生の頃は、夏休みが明けても、まだまだプール三昧の日々だし、それが9月一杯は続いていたはずだ。 結局、弱まったとはいえ蝉時雨は変わらないし、どこをどうこねくり回しても“夏”であることを改めて渋々確認するのである。 《七十二候のトピックス一覧》
[承前] “尾瀬登山”の出入口が鳩待峠に偏重している弊害は、木道の管理に如実に表れている。 この数年、尾瀬に入っての印象だが、利用者数と木道の状態が比例しているのだ。前回書いたように、鳩待峠から尾瀬ヶ原中田代あたりを日帰りで往復するハイカーが圧倒的だから、山ノ鼻の上田代から牛首、龍宮小屋が建つ中田代の竜宮十字路までの木道は丁寧に整備が行われているのだ。 ↓上田代の木道はしっかりした構造でハイウェイだ 具体的には、龍宮小屋の裏を流れている沼尻川拠水林の西側、群馬県側全般は良好に整備されている。ところが、沼尻川の橋を渡って福島県側の下田代に入ると、木道のコンディションが何とも悪い。 ↓それに比べて下田代十字路近くの木道は・・・・・・ 単純に導かれた結論として、鳩待峠からの日帰り客で下田代まで足を延ばす人は少なく、結果として整備のローテーションが遅れて..
季語は・・・秋の気 秋の気と 水の出入りや 尾瀬竜宮 【去年の今日】無話§ふるさと納税の愚
7月から8月にかけて、天気予報の精度が落ちていたような気がする。6月中の梅雨明けという、稀有な事態に“勘ピューター”が狂いまくったとしか思えなかった。過去データが活かされないとも思えたし、そんなこんなで、天気予報が当たらないなあと感じた夏だった。 笑い話の一つに“絶対当たる天気予報”みたいなのがあって「晴れ時々曇りところによりにわか雨」などと、どこをどう転んでも当たるようになっているものだ。まさか冗談だろうと思っていたら、何度かそのような予報の類を見かけたことがあり“これが仕事ですってか!”と突っ込みを入れ続けたのである。 競馬の馬券だったら、単勝を一頭ずつ全部買ってしまうようなものではないか。ギャンブルの場合は、よほどの超大穴でもない限りは大赤字になってしまうが、天気予報とは何ともお気楽なものではないか。 ……というのは半ば冗談でもある。気象庁やピンポイントの天気予報な..
定年退職このかた、尾瀬に入ったのは、2015、2018、2019×2、2021×2の6回、今年はまだ入れないでいる。 宮仕え時代に尾瀬に入ったのは確か3回くらいで、山小屋でアルバイトしていた大学4年間(1974~1977年)の比ではなかった。アルバイトをしていた頃に尾瀬を訪れた人たちと、今の尾瀬を歩く人たちの動向が顕著に変わったことに気がつく。 ↓群馬県側の登山口戸倉。ここから大清水や鳩待峠へ かつて、尾瀬を訪れるメインルートは、大清水から三平峠を越えて尾瀬沼に向かうというものだった。その他に群馬県側からは戸倉から富士見峠を経て尾瀬ヶ原に下るコース、鳩待峠から尾瀬ヶ原に下るコース、そして福島県側からは御池から沼山峠を越えて尾瀬沼と、裏燧林道を歩いて尾瀬ヶ原に向かうコースがあった。 ↓福島県側、沼山峠へ向かうバス それがすっかり様変わりして、今は鳩待峠か..
季語は・・・秋の蛇 木道を跨いで 秋の蛇の痕 【去年の今日】熟話§かくして高齢化は進んでいく
コロナ禍が続く今、劇場やコンサートホールの開場は開演の40分前と以前の30分前から10分早まっている。できるだけ分散してお越しくださいということだろう。 元より、開場時刻に合わせて会場に到着するようにしているので、慌てずにゆっくりと開演までの時間を過ごしている。意外と時間はさっさと過ぎていくようだ。 歌舞伎座の場合、開演30分前に簾内からのお囃子が一番太鼓を演奏する。およそ2分ほど、笛や太鼓が芝居が始まることを告げるのである。 それからすると、クラシックのコンサートは風情に欠ける……それこそ何もないと言っていい。客はプログラムでもぼーっと眺めるしかない。 風情ある開演時間が近づくことを知らせてくれるのは、バイロイト音楽祭のファンファーレだろう。その日上演される演目のモチーフを、開演15分前から10分前、5分前と、最初は1回、それから2回、3回と繰り返すのだ。 ..
海外旅行をしていて、最低でも一泊はしたことのある国は、合わせて5か国しかない……オーストリア、ドイツ、イタリア、スイス、台北だけである。 一つの場所を気に入ったら、何度でも訪れてしまうのが我々の旅行で、だから、滞在国はこの程度でしかなく、それ以外に訪れた国はというと、ドイツ東端の町ゲルリッツから、徒歩でナイセ川の橋を渡って、ポーランド領ズゴジェレツに瞬間移動したのと、オーストリアから車で、リヒテンシュタイン公国に小旅行したくらいだ。 リヒテンシュタインはドイツ語圏だが、ズゴジェレツはポーランド領で、店の看板などもまったく読めないポーランド語ばかり、ほんの数十mの川を挟んで見事に異なる言語が使われていることに、地上の国境線を持たない我々日本人は驚くしかなかった。 ↓右がポーランド、左がドイツ ズゴジェレツは観光地でも何でもない、ドイツ国境に接した小さな町で、訪れた..
季語は・・・白露 岩清水に 贅ひそみけり 白露の日 【去年の今日】週話§日曜粛々~秋らしくはなれど~
大学で学んだことと、社会人になっての仕事がリンクしてはくれなかった。 よほど専門性の強い専攻でなかったら、それをそのまま活かすことなどできようはずもないだろう。まあ、文系であれば商学部とか経営学部あたりであれば、社会に出ても学んだことが活かせる可能性は高い。 大学で“勉強”したのは教育学であるとは、何度か書いている。専攻コースによっては、卒業後は教員になる人間が半数はいたので、専攻どおりだとは思うが、教育職を目指すことなく4年まで教育学を学び続けても、それを社会で活かす術などあるはずもなかった。 大学で何を学んで、さらにその先にそれを活かしてやろうという発想自体を持ち合わせていなかったのは、明らかに自分自身の認識不足でしかない。そのあたりの連携など、まるでできてなどいなかったのだ。 とにもかくにも、宮仕えの端っこに辛うじて引っかかって37年半勤めあげたのは僥倖である..
いかなる動機があったのか今となっては記憶の外となってしまったのだが、上京して下宿暮らしを始めた最初の2年間くらいは、朝食にスパゲッティ・ナポリタンを作っては食べていた。 親が送ってくれた仕送りは月2万円。そこから家賃と交通費を引いた残りは1万円かそんなもので、そこから食費を捻出していたのだ。下宿近くの食料品店やスーパーマーケットを回って導き出されたのが、朝はスパゲッティ・ナポリタンだったのである。 とにかく、できるだけ安い食材を使って簡単に満腹できるのが、乏しい頭で考えついたナポリタンだったということだろう。 パスタ以外に使った具はウィンナソーセージかベーコン、それに玉葱。それからケチャップを使うのだが、ベタベタ真っ赤のケチャップ大量は口に合うことがなく、味がついて軽く色づく程度が好みの仕上がりだった。合わせて牛乳をグラスに1杯……それで食い繋いでいたのだ。 今だっ..
季語は・・・夜長 行く末は すぐ眼の前の 夜長かな 【去年の今日】週話§土曜粛々~ちょっと前の夢~
この2、3年くらいだろうか、食べる量がめっきり減っている自覚がある。 定年退職直後、宅配野菜のオプションで一週おきに2kgの白米が届いていたのが、まだまだ食べられたということだろうで、足りなくなることがしばしばとなったので、一か月に5kgに変更した。しばらくはそれでちょうどいい塩梅で推移していたのだが、少しずつ余り出してしまったので、去年の秋に再び2kgに戻した。 そうして今年あたりになったら、白米の減るペースがさらに遅くなってきてしまったのだ。 夕食時に炊くのは一回二合、それを夫婦で一合くらい食べて、残りは冷凍にする……その在庫が増えつつある。それらを昼や夜に解凍して食べるわけで時折けっこうな量が冷凍庫に残ってしまう。 そうこうしているうちに、2週間が過ぎて新しい2kgが届く……それが繰り返されて白米が徐々に余るという状態になった。 それなりに食べているつも..
季語は・・・秋の朝 他人事の 政治いつまで 秋の朝 【去年の今日】蛋話§そういえば生卵~いわゆるTKG~
日々、一応だが家庭内でやるべきあれこれは、それなりに律義にこなしている……つもり。 室内の掃除、風呂の掃除、ゴミ出し、買い物、食事の支度などなど。十分かどうか、自信はなけれど、まあまあ何とかこなしている。 定年退職後の生活の中で、そうした家事の類を分担してお互いに負担のないよう“ルーチンワーク”として日々の営みは欠かさない。 これを外してしまうと、エントリー・タイトルのごとく“グダグダ”になって収拾がつかなくなってしまう。 まあ、一番にグダグダになりがちなのは昼食で、昼食当番としては、色々と目先を変えて、といえば聞こえはいいが、時に……十日に一度くらいは、出来合いの弁当の類でお茶を濁してしまうこともあることはある。 ただ、それくらいのことはやらないと、一年三百六十五日を淡々と過ごしていくことなどできようはずなどない。 何から何まで、丁寧に自力でなどと力こ..
季語は・・・白秋 白秋や 午前六時の 通り雨 《俳句のトピックス一覧》
処暑の末候“禾乃登(こくものすなわちみのる)”である。 9月最初の候である。 気がつけば、空はずいぶんと高くなっていたし、瑞々しかった樹々の葉は、すっかり緑の色が褪せてきてしまった。 窓の外に見る季節の移ろいと我が身を重ね合わせると、今はおおよそ五十代半ば頃といえるだろうか。人生の終盤を直前にした、最後の緑の季節にあるようだ。24時間にあてはめると、陽が傾いた夕方近くの15時頃であろうか。 傾いた太陽は赤みを帯びて、午前中のナチュラルな光線とはまったく違った雰囲気を醸し出している。 我が身もいわばそんな時間帯にあって、夏を越してくたびれた緑の葉のようだ。一時、サーっと通り雨が来て生気を取り戻すのは、さしづめ週に4日の飲酒日のようなものか(笑 《七十二候のトピックス一覧》
2022年8月の東京の天気がどうであったのか、振り返っておこうと思う。 このリンクの日付をクリックすることで、各々の日のアメダスが確認でき、より詳細な気象状況をチェックできる。 8月初日から35度超の猛暑日である。しかも晴れではなく、雲がちの日だったにもかかわらずの気温なのだった。 30度を切る日もあるにはあったが、まあとにかく暑かった。節電をせねばと考えはするものの、暑さには勝てずで、除湿を緩く動かしてしのいだのだ。 一か月を眺めてみると、丸々一日きれいに晴れ上がった日はほとんどなく、曇りがちの日が多かったのは、カレンダーを見ればわかることである。 8月も終わりに近づいた数日ほどは、蝉時雨の鳴りを潜め、代わって秋のコオロギたちが涼やかな音色を聞かせてくれるようになった。 《天気のトピックス一覧》
季語は・・・秋の朝 秋の朝 天気予報の 空模様 【去年の今日】長話§2021年9月の予定あれこれ
ビッグイシュー438号は9月1日から発売されています。お買い求めできる場所はこちらを参照。毎月1日、15日発売。一部450円。230円が販売員の収入に。眺め食べる「庭」時間が表紙。 スペシャルインタビュー 岡本太郎の沖縄 リレーインタビュー 斉藤由貴(俳優) 特集 眺め食べる「庭」時間 眺めて楽しく、かつ食べられる植物が育つ、良原リエさんの“庭”。小さな生き物が集まる“ビオトープガーデン”です。 もともと植物が好きで、最初は育てることだけで満足していた良原さん。やがて食べられる植物を農薬や化学肥料を使わずに、できるだけ自然に育てたいと思うように。庭に巣箱をかけて鳥を呼び、棲みついているカエルの力を借り、水辺をつくってトンボを招き、“雑草”を残す。植物を種や苗から育て、花が咲いて枯れるまで見守り、必要な種を採取したら、残りの種は庭にまく……。 「小..
月初めにつき、東京の一か月間の日の出&日没時刻を。 9月1日の日の出は5時12分で日没は18時9分、月末の日の出は5時34分で日没は17時27分。とうとう日没が17時台に入ってしまった。 今月のお楽しみだが、歌舞伎座は秀山祭九月大歌舞伎が“二世中村吉右衛門一周忌追善”なので、行かずばならない。 第一部に菅原伝授の『寺子屋』が幸四郎と松緑が日替わりで源蔵と松王丸を務めるという趣向。第二部は白鸚の『松浦の太鼓』と『揚羽蝶繍姿』という取り合わせ。というわけで第一部と第二部を観る。 第三部は仁左衛門の由良之助で仮名手本忠臣蔵の『一力茶屋』の場で、これも観ておきたいのだが、平右衛門が……なので、実に不本意ながらスルー。 もう一つ“十月大歌舞伎『荒川十太夫』上演記念「神田松鯉・神田伯山歌舞伎座特撰講談会~神田松鯉傘寿を祝って”という会があり、せっかくなので..
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季語は・・・余花 行きつけに 傘を忘れて 余花の雨 【去年の今日】握話§昨今の“高級”寿司屋は・・・・・・
今週のはじめだっただろうか。アクセスが若干だが好調に転じていることに気がついたのは。 青息吐息で3ケタに届く一日のアクセスが、日によって200とか300とかを記録するようになっていた。特定のテーマを持つことなく、徒然に思いついたことを淡々と書いてアップしているだけなので、元より固定客もいないし、どどーん!とアクセスが増えるようなこともなかった。 何とも不思議なことだなあと思っていて、それで管理ページを眺めたら…… ……ブログのランキング(ブログテーマ:blog)が18位になっていて驚いた。ランキングページに掲載されるのは1位から25位までである。当然ながら、手が届くとはとても思えないランキング上位である。長いこと4ケタだったSSブログ全体では3ケタの758位まで上がっていたのだ。 いくらブログというコンテンツがオワコンの類で、ブロガーの数も間違いなく減ってい..
我が大相撲事始めは、たぶん保育園に通っていた頃、テレビはなかったのでラジオからの音声中継を聴いていた。それは栃若時代の末期のことで、すぐに柏鵬時代が到来するタイミングなのだった。 我が家で聴いていた以外に記憶にあるのは、すぐ近くの銭湯に行くと番台の上にあるラジオから、決まって大相撲中継が流れていたことである。銭湯で相撲や野球のナイター中継を聴くのは当時のお約束のようなものだったのである。 小学校に入った年に大鵬と柏戸が横綱に同時昇進、その翌年には我が家にもテレビがやって来て、国技館(当時は蔵前)3場所に加えて、大阪、名古屋、九州の年6場所の興行が確立していたのだ。 一か月おき、小学校から帰ってくればテレビにかじりついて大相撲中継を観ることが日課のようなもので、それはもうせっせと観ていたのだった。 それが途絶えたのは、中学に入って放課後の部活をやっていた頃で、帰宅する..
季語は・・・春窮(しゅんきゅう) 満腹の 吾や春窮の 語彙を知り 【去年の今日】知話§“観光旅行”はやめようか
穀雨の次候“霜止出苗(しもやんでなえいずる)”である。 さて、ゴールデンウィークである……といっても年金生活者には何の関係もない。そして毎度ながらそんな休みの間に外出するなど考えもしないのだ。 もっとも、宮仕えしていた時でも、無用な外出をすることはなかった。そもそも混雑が嫌いな性分なのである。 ゴールデンウィークに出かけたのは数えるほど。宮仕えになって2年後くらいだったか、小屋開けのタイミングで尾瀬に入った時だった。 4月末の尾瀬沼はまだまだ凍結していて、尾瀬沼畔の山小屋まで氷と雪に覆われた沼の上を歩いていったのだ。小屋には一週間ほど居候して、雪かきを手伝ったり、クロスカントリースキーを借りて尾瀬ヶ原の山小屋まで届け物をしたりと……まあ遊ばせてもらったようなものだが。 というわけで、ゴールデンウィークは自宅周辺をうろうろして、混雑する観光地とか渋滞の高..
エクセルを使っているといっても、簡単な表組で中に数字を入れるとか、その程度で、そこにあれやこれやを仕込んで作業をする……というところまで自分としては必要がなかったのである。 ところが、会社OB会でエクセルを使った名簿等管理の後を引き継ぐことになったのは数年前。引き継ごうとしたところで、前任者が急病で倒れ、何も引継作業をしないまま、全部任されてしまった……事務局の自分より高齢者の人間たちはパソコンに手を出すことができないのだ。 まあ、何とかなるだろうと作業を始めたら、前任者がエクセルの表組に様々な仕掛けを入れ込んでいて、そのたびに調べて修正することになった。 原形を尊重してそのまま使っていくことを大原則にしているものだから、時に頭を抱えるような事態が起きたりして、だから思ったこととしては、あまり“技”は使わずにプレーンなスタイルで推移していくほうが、先々に人が変わってもスム..
季語は・・・土筆(つくし) 菩提寺の 土手に土筆の 日の盛り 【去年の今日】費話§電化製品の買い替え
物心ついた頃から“狂信”とは無縁な中で生きてきた。それはおそらく、自分の中に、確固とした価値観を持ち合わせていなかったからではないか……もしも中途半端に持ってしまってしたら、あるいは引きずられかねないと考えたからかもしれない。 自分に自信がないゆえに身についた自己防衛なのかもしれない。そう思って見ていると、むしろ自信を持ち合わせている人のほうが狂信に陥りやすいのではないかという、そんな節が見受けられるような気がする。 改めて狂信とは何なのだろう?そして狂信が生み出すものは、決まって破滅という結末ではないだろうか。おそらく“狂信”はわかりやすく、耳にも優しく響いて聞こえるのだろう。そしていつしか気がつかないうちに取り込まれてしまうのだろう。 70年に及ぶ人生の中で、そうした狂信に巻き込まれなかったのは、不思議な危険回避能力があったからだろうか。最初に書いたように、自分自身の..
去年が上京して五十周年だった。 何の意味もなく、漠然と東京へ東京へと目指すことになったのは、いかなる内的理由があったものかと今さらながら思うのであるが、おそらくは小学校高学年になっていたであろうかつての自分に聞いてみたいものである。 そしてたぶん“東京には何かがある”と、何の確証もなく言い張ったことは間違いない。 結果として我が意志は貫かれて、東京で学び、職を得て、同居人と暮らし、定年を迎え、いずれ遠くないいつかお迎えがやって来る。今、東京に行こうと思い定めた小学生の自分に問うてみたい……君が思い描いていた東京での日々はこういうことだったのか?と。 幼い発想しかなかったにしても、その当時既に、東京にあって地方にはないあれやこれやを敏感に感じとっていたのかもしれないが……。 中央集権の象徴のような東京という都会のメリットを自分なりに享受した。特に文化面においては..
季語は・・・花冷え 花冷えて 読みかけのまま 深夜二時 【去年の今日】週話§日曜枯寂~ビール純粋令五百七周年!~
五百周年から毎年書いているが、ドイツのビール純粋令発布記念日である。 このお触れのおかげで、21世紀の我々もおいしいビールをいただくことができるのだ。 もちろん基本的にはビールの原材料には、麦芽、ホップ、水だけでなくてはならないという制約はなく、ドイツでビール純粋令を発布したのは、制約を施さなければ、どんどん品質が落ちていう状況が起きていたであろうことは想像に難くない。 ベルギーでは、ビールに果実を入れたり、日本で醸造されるビールの多くは米やコーンスターチを混ぜ込んでいて、それらが愛飲されているのが現状である。 まあ、それほどビール純粋令に拘っているわけではないが、日頃から自宅で呑むのはヱビスビールで、神保町のランチョンで呑むのはアサヒのマルエフ生。それらは言わずもがなながら、ビール純粋令とは無関係にきちんとしたビールなのだ。 さて、古稀を前にして、す..
すっかり桜も散って、今年の我が家周辺は花水木(ハナミズキ)が期待外れの咲き具合。という4月下旬が始まったところで歌舞伎座に行ってきた。四月大歌舞伎夜の部である。 お目当ては2018年、2021年に続いて三度目となる仁左衛門&玉三郎コンビによる『於染久松色読販』と『神田祭』の二本立て。 もう、何も言うことはなく、仁左玉が持てる魅力を振り撒き尽くした贅沢な時間だった。とにかく仁左衛門の“悪”の凄みは比類なく、それが玉三郎と共演することで魅力が二倍にも三倍にも膨らんでいく。脇を固めた橘太郎の久作、錦之助の清兵衛、彦三郎の太郎七などなど、手堅くまとまっていた。 そして“お口直し”に置かれた『神田祭』の贅沢なこと。二人が“じゃらつく”様子は、まさに恋仲の二人の濃密さで、ほぼ満員の客席の喜ぶまいことか。 1970年に始まった孝玉から仁左玉へと、半世紀以上続いた稀有なコン..
季語は・・・菜の花 菜の花や 終着駅は 閑散と 【去年の今日】週話§土曜枯寂~ラグビーシーズン終了~
[承前] そして、この同期が外せない。ここから4日間に及ぶ奮闘が始まった。自分の手には負えそうにないと、まずはODのサポートセンターにメイル。状況を説明して対処法のアドバイスを求めた。 担当者は実に人柄がよく、丁寧なアドバイスを指示してくれた。だが、手順どおりに進めても、OD内部の問題なのかどうか、一向に事態が好転しない。 何度かサポセンとやり取りをした結果、金曜日に導かれた結論は“もう一度最初から式年遷宮”をやり直すということだった。前週の半ばあたりには、そうするしかないと考えていて、サポセンに具体的な対処方法を教えてもらい、[再]式年遷宮を始めたのは土曜日早朝のこと。 まず、これだけはしっかりしなければと、新しパソコンからODをアンインストールし、それを確認したところで、再度引っ越しソフトを立ち上げて、作業開始、と思ったら「新しいパソコンのハードディスク容量が足..
さても、これまでで最も手間暇がかかったパソコンの引っ越しだった。以下はその顛末。 前週月曜日、9時過ぎには到着してくれた新しいパソコン。午前中は荷解きと設置をした。既報のとおり、梱包していた段ボールの処理だけでもけっこうな手間だった。荷解きから設置まで一時間以上はかかったのではないか。 そうして午後から式年遷宮に取りかかる。新旧2台のパソコンを立ち上げ、引っ越しソフトの取説を“簡単”にチェックしてソフト起動。そこからは、お任せで“遷宮”を見守るだけである。 睡眠中も遷宮は進み、夜明け近く12時間半を要し、翌朝、古いパソコンから新しいパソコンへとデータ移行が完了。さあ、新しいパソコンで快適に過ごしましょうと思ったら何やらデスクトップ上のファイルの様子がおかしい。 ↓いやもう、参ったの何の ご覧のように、ファイル名の前に赤丸×印や、矢印が丸く上下に重なっている..
季語は・・・かぎろひ かぎろひて 手のすぐ先や ユーラシア 【去年の今日】熱話§温泉と鉱泉と
またぞろ選挙だそうだ。補選とやらがたけなわのようである。候補者が乱立している中に“有名人”と思しき姿も見える。 だが、有名人だからと安易に投票するのは愚の骨頂でしかないと、これは選挙権を手にした半世紀前から変わっていない、自分への戒めなのだ。こと選挙に関して、有名人を選ぶというのは、単なる数合わせに加担する以外の何物でもない。 それは正しい投票行動などでも何でもなく、ただのイメージに眼を眩まされているだけの話ではないか。 きちんと見渡してみれば、有名人を隠れ蓑にして、過去の行状が何とも疑わしい人間がゴロゴロ現れてくるのだ。今回だってその例に漏れてはいない。 昔から言われている当たり前のこととして、選挙は“人気投票”などではないということを、もう一度頭に刻み込んで、投票券を手に投票所に足を運ぶことこそが重要なのである。 《日本のトピックス一覧》
季語は・・・日永 ひょっこりと 鼬(イタチ)現るる 日永かな 【去年の今日】貪話§欲望と節制と
昨年12月9日に開幕したジャパンラグビーリーグワンのシーズンも、今週を入れて残り三節となってしまった。 今季は最終節まで合わせて12試合(同居人は+1)と、クロスボーダーを2試合観ていて、なかなかの精勤ぶりである。しかも、川崎の等々力陸上競技場や東大阪の花園ラグビー場と初見参&遠征したところが2か所あって、存分にラグビーを満喫したと言えるだろう。 残念なことは、推しチームの成績がなかなか上がってくれず、芳しいものではなかったことで、これはチームのメンバーのほうがより切実に感じているのは言うまでもない。 リーグが終われば、6月から10月にかけて代表戦が行われる。今年は、代表4試合とJAPAN XV(ジャパン・フィフティーン)2試合が予定されているので2試合くらいは観に行ければいいのだが。 そして来年は、ラグビー観戦歴50年を迎える。最初に観たのは、1975年9..
季語は・・・陽炎(かげろう) 陽炎や ゆらりゆらりと 幸の神 【去年の今日】払話§現金と銀行振込と電子マネー
昔々、少年漫画週刊誌に短編SFが連載されていたことがある。小学生にもわかりやすく書かれていて、漫画の合間の佳き読み物になってくれていた。 そんなSF小説の中に“色のない世界”をテーマにした一作があって、これはなかなかによくできていた作品だったと思う。 ある日、我々の世界から色が消滅して、何もかも真っ白になってしまったというストーリーだが、その中で強調されていたのが食べ物に関する記述で、何もかもが白いがゆえに“食べ物の味が感じられない”とあって、子ども心に「そりゃそうかもしれない」と納得したのだ。 それこそ、真っ白い海苔、真っ白い(当たり前だ)ご飯、真っ白いマグロの鉄火巻ってどうよ?ではないか、そして醤油も白いときたもんだ。そして……真っ白いほうれん草のお浸しだったり、真っ白いさくらんぼやブルーベリーなどなど、ちょっと想像をするのが難しくなっていった記憶がある。 現実..
季語は・・・ふらここ(ブランコ) ふらここや 独りで乗ると 言い張る子 【去年の今日】飽話§食べ歩きの旅は・・・・・・
身長は171cmあるのに、足のサイズは24cmなのだ。 靴を探す時にはけっこう難儀する。スニーカーの多くは25cmからしかなく、辛うじて24.5cmからというのがあって、今は24.5cmをもっぱら履いている。 靴下はもっと悲惨で、24cmというのは完全に空白状態にあり、25~27cmからしか店には並んでいない。よほど探して回らないと24cmは見つからない。 それほど足のサイズが24cmに満たない人は少ないものなのだろうか。そんなはずはないだろうと思うので、そのサイズを設定しないのは、メーカーがネグっているからとしか考えられない。 そういえばと思い出したのは、海外旅行中に靴を探してみた時のことで、ドイツあたりだと「24cm?何それ?」でけんもほろろ状態だったのが、あーら不思議……イタリアはヴェローナの靴屋に入ったら、24cmサイズがいくらでも選び放題で置かれていること..
久しく回らない寿司屋の暖簾をくぐっていない。数年前、こんな田舎に……という稀な寿司屋が閉店してこのかたである。 本当にいいネタが使われて、しかも値段はリーズナブルというものだった。おまかせもあったが、もっぱらお好みでマグロや穴子をつまみにビールと日本酒をいただいて、最後に握り数貫と巻物をもらっておしまい。好き勝手で楽しませてもらった。 それが、世間で言うところの“高級”と思われる、とても恐ろしくて暖簾をくぐることなどできない店はというと、これほとんどすべてが、お決まりのコースで供されているようだ。 作る店の側にしてみれば、お決まりの寿司を出すのは“楽”なことかもしれない。だが、客のことを考えているかといえば、店の都合であるとしか思えないと考えるのは僻目であろうか。 そういえばフレンチやイタリアンなどでも、コースで出されるよりは、アラカルトをいただきたいと思うのだが、..
季語は・・・余花 余花落花 烏諍(いさか)う 日の盛り 【去年の今日】酔話§チェーン系の居酒屋考
穀雨の次候“霜止出苗(しもやんでなえいずる)”である。 気持ちのいい気候である。表に出て行くのがまったく苦にならない、一年のうちでもそんな時季にあたっている。 4月のはじめ、桜の盛りが終わるのと入れ替わりに吹き出した若い新緑も、あっという間に緑の濃さを増してきた。 若い芽が出てきた頃は、桜にかまけてしまっていて、そんな隙にほんの数日ほどで木々に新緑が出そろった時には、自然の営みのスピードに舌を巻いたのだ。 老境の身には、そんな様子が何とも慌ただしいと感じられ……「そんなに急ぐことはないだろう」と呟くしかなかったのである。 それにしても今年の緑のスピードは速いと感じる。例年であれば、もう少しじわじわと2週間くらいかけて樹々の緑が出揃うのだが、それはもう温暖化のゆえということだろうか。 《七十二候のトピックス一覧》
その場所を旅行するのは一回限りというのであれば、外から著名建造物の類ばかり見て回るのは、ある意味しかたないと言えるかもしれない。 だが、同じ場所に複数回通っても、相変わらずそんな観光旅行でお茶を濁すのであれば、それはやめておいたほうがいいだろうし、よく飽きないものだとも思う。 もちろん、それなりに由来については調べての上だとは思うけれど、表からだけ見物してはいおしまいというのは、天麩羅やフライの衣だけ食べているような気がしないでもない。 よもや、美術館の建物の外観だけを見てそれでよしとする人はさすがにいないとは思うが、旅行記みたいなブログの中に、オペラハウスのガイドツアーに行ってきた様子を書いている人がいて……いや、それだったら、やっぱりオペラやバレエの公演を観てほしいのだ。 我々が何度も何度も繰り返して同じところばかりに行くのは、そこで行われているオペラやコンサー..
季語は・・・春の風邪 長寝の朝 老いの微熱や 春の風邪 【去年の今日】週話§日曜有閑~他人様に金は貸さない~
そろそろパソコンの買い替え時期が近づいている。前回は2018年のことで、その一つ前のパソコンが2年ほどでお釈迦さまになってしまい、データ救出に苦労しつつ、買い替えを余儀なくされたのだ。 これまでのローテーションであれば、5年をめどに買い替えていて、だからそろそろなのである。 もうとっくに、電源を入れてからパソコンが使えるようになるまで10分以上を要していて、その遅さにはほとほと閉口している。そして、買い替えするには“資金”が必要になるし、買い換えたら買い替えたで、新しいパソコンの設定あれこれ、データ移行などが実に煩わしい。 かつては、淡々と作業をこなしていたが、寄る年波には勝てず、そうした作業が面倒と感じてしまった。いずれは買い替えるのだからとは思いつつも、その時が来たら渋々ながらでもやるしかないのは決まっているのだが……。 というわけで、パソコンの5年使用はまだま..
ちょっと不思議(変)なゲームを観たような……ジャパンラグビーリーグワン最終節、えどりく(江戸川陸上競技場)14時キックオフで行われたスピアーズ対サンゴリアスの一戦。観客は5,651人、芝生席も盛況の入りだった。 前半はまだよかった……堅調というか、もう少し点が入ってもよかったかという印象だったが、後半は蛇口がぶっ壊れたかのようなトライ大放出大会となってしまったのである。しかも、両チームそれぞれ2人ずつシンビンを出すという賑やかさ。 シーズン順位も決定した、いわゆる“消化試合”であるはずだったのだが、それが最後は壮絶な打ち合いになろうとは……である。 まあ、観ている側からすればちょっと笑ってしまうような試合展開だったがそれ以上に試合時間の長さが半端ないものだった。休憩を挟んで、ノーサイドの笛が鳴ったのは16時5分。通常であれば2時間超えすることはなく..
季語は・・・日永 ぐびぐびり ビール寿ぐ 日永かな 【去年の今日】週話§土曜有閑~ビール純粋令五百六周年!~
2016年の五百周年の記念年以来、この日が来るたびにビール純粋令を寿いでいるが、それも8年目となった。 ドイツ・ミュンヘンあたりを旅行している日々は、至福の時を過ごしていたが、ワタシ的にはこれすべてビールのおかげである。 食べ物の持ち込みが自由なミュンヘンのビアガルテンに日本そのままのつまみである、枝豆や葱チャーシュー、そして締めの巻き寿司を持ち込んだのは2008年のことだった、以来数回ほどミュンヘン中央駅近くのビアガルテンであるアウグスティナーケラーで“寿司パーティー”を行った。 ↓日独混在之圖 まあ、大げさに言えば“本懐を遂げた”だろうか。そして彼の国の人たちが日本人のように何かをつまみつまみ呑むなどとはせず、ひたすらちびりちびりとジョッキを傾けていたのだ。 ↓ビール純粋令が発布されたインゴルシュタットの記念マグ 旅行することで、常に..
季語は・・・陽炎(かげろう) 陽炎や 裏浅草の 人力車 【去年の今日】復話§尾瀬のシーズン始まる
かつて、大学ラグビーと社会人ラグビーが日本選手権を戦っていた時、日本のラグビーシーズンは1月で終わっていたのである。 今のリーグワンのシーズンは12月に始まり、4月までリーグ戦が争われて、5月にプレーオフの準決勝と決勝が行われるから、およそ半年近いシーズンとなった。 それゆえ日本選手権も消滅し、大学ラグビーとの接点もなくなってしまったのだ。もっとも、日本選手権の運営形態も変化して、社会人1位と大学1位が選手権を争ったのは1996年まで。 1997年からは、社会人3位までと大学2位までの5チームでトーナメントを行うようになったが、さらに運営形態はだらだらと紆余曲折が続いたのだ。 リーグワンが軌道にのってくれれば、この状態がそれなりに続いてくれるとは思うが、まだまだ試行錯誤も続きそうではある。 そして、リーグワンは今週の第16節でリーグ戦が終了し、5月半ばに上位4..
季語は・・・春風 春風や 金剛杖の 減り具合 【去年の今日】面話§地続きのヨーロッパ
一般的に“天下り”とは、公務員が出世レースから外れたことで、関連外郭団体や民間企業に職を得てというものである。 もちろん好ましいものなどではなく、体のいい食い扶持探しなのは言うまでもないことだが、つい最近もそうした天下りをゴリ押しするような事例が発生した……国交省の元次官が、航空会社に対して人事を押し付けたのだ。 こうした事例は珍しいことではないかもしれないが、明らかにお上意識に基づく権力の濫用ではないだろうか。 そうして結果的に、民間企業や関連団体が官僚の手に落ちることになるのである。 自分について振り返ってみるなら、定年退職後は65歳まで会社に嘱託として残って、別セクションで仕事をすることもできたが、高校同期の人間からの頼まれ仕事を引き受けることに決めた。ところがその彼が急死してしまい、先々続けることを断念したのだ。 その時、先々の生活がどうなるかと考えた..
温泉法なる法律があって、水温25度以下の冷泉を鉱泉と呼ぶようになっていたが、もう最近は湧き出ているものであれば、これすべて温泉と呼んでいるようだ。 とすると、鉱泉は火力を使い一定の湯温まで沸かさなくてはならず、それはそれで燃料代が必要となり、温泉と比べたら割高ではないかと感じるのだがいかがなものか。 かつては、温泉と鉱泉の表示がきちんと分けられていたので、選ぶにしても自分なりの基準で選べたが、今はそのあたりの線引きが曖昧なのである。 二十代前半の一時期、山奥にある鄙びた温泉に行くことを楽しんでいたが、その時も鉱泉の沸かし湯などは選ばず、温泉であることを確認して出かけていた。もっとも、山奥の山小屋同然の旅館に湯を沸かすような費用がかさむ設備など置けるはずもないが。 中には湯温が40度を少し切るような温湯に出くわすこともあったが、その手の温泉は、長時間じっくり入っている..
季語は・・・長閑(のどか) 長閑(のど)けきや 欠伸伝染りて 蔵の町 【去年の今日】呆話§夢見ること多く
穀雨の初候“葭始生(あしはじめてしょうず)”である。 季節は進む、どんどん進む。もう春分から一か月が経ってしまう。 ほどほどの気温とほどほどの湿度が気持ちいい。前に書いたとおりで、腕を出すにはまだ心もとなく、半袖でもいい気温なのだが、ちょっとひんやりとして、肌のほうがまだ慣れてくれない。 とはいえ、我が家では衣類の入れ替えで半袖物を取り出していて、いつでも半袖を着ることができるように準備は怠りないのである。 まあ、もう着てもいい気温には十分上がってきてはいるのだが。 《七十二候のトピックス一覧》
味にうるさいとか、グルメだとか……そんなのは微塵もない。そして、食い意地が張っているわけでもない。 若い頃はそれなりの量を食べていたが、たぶん四十代の終わり頃から食欲は順調に落ちていって、五十代には“それなり”の量に落ち着いてくれた。 酒量に関しては五十代に入ってもまあまあいけていたと記憶しているが、酒に関しては、定年まであと数年という頃から意識して減らしていった。もちろん、呑めば呑めたところを、意識して休肝日を設定して絶対量を減らしていったのだ。 五十代に入った頃、思い立って週一日からスタートし、2009年には週二日に増やした。それでしばらく推移していたが定年退職の一年後、2016年11月から週三日を始めたとあった。 かつて一日1リットルのビールを呑んでいたのが、缶ビール350ml1本と日本酒だったら二合……つまり一週間にビール1400mlに日本酒八合まで落とした..