なるほどー。光秀はまだ本当に「世を変える」って思想に気が付いてもいなかったわけか。第一回で「このままでは美濃にも京にも麒麟はこない」って言ったときに気が付いていたのかと思いました。今頃になって信長の「我らも変わらねば」という言葉をかみしめています。麒麟の斎藤道三にはそういう改革思想ってのはほとんどなかったから、まして叔父上はああいう一所懸命の方だし、本当にノンポリで「誇り高く」だけを目標に生きていたわけか。だからどうも光秀の今までの行動が分からなかったのです。天下国家に全然関心を持たないのです。さて帰京した将軍、足利義輝、随分と気弱になっています。斎藤義輝も気弱で、とうとうナレーション死になってしまいました。すると時代は桶狭間から一気に美濃盗りへの飛ぶのかも知れません。感想にもなってませんが、三好長慶、松永久秀...麒麟がくる・第十九回「信長を暗殺せよ」の感想
足利義昭さん。向井さんじゃないですよ。弟です。滝藤さん。織田信長がこの義昭さんを奉じて上洛するのは、1568年の末です。10月。そしてその翌年の1月には殿中御掟というのを義昭さんに認めさせています。ここで「信長は初期から義昭を傀儡にしようとしていた」とか書くと、間違いだと言われます。「信長の心は分からないから間違いじゃなくてもいい気もします」が、将軍として守るべき心構えのようなものだと言われれば、そう読めるのも確かです。信長は幕府に対して「こうあるべきだという理想」があったことにいつの間にかなってます。しかし、そもそも足利幕府の中に信長は入っていきません。そんなに高い理想があるなら、内部から改革すればいい。でも「実際の行動では」やってません。建前と実際は違います。さて問題はその一年後に出した殿中御掟追加5か条①...麒麟がくる・信長と足利義昭・殿中御掟追加5か条
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