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鎌倉街道 を探そう! 鎌倉城と古代の東海道遺構 https://blog.goo.ne.jp/mementosmori

日本最大の鎌倉城とその遺構。頼朝に封印された古代東海道遺構の紹介!

国内の勢力争いの為の城郭とは異質な、、 日本の存亡を賭けた、フビライハンのモンゴル帝国襲来に対抗する為の鎌倉城です。 世界最大の国力に対抗した 世界有数の巨大な城跡となり、当然全国の武士を総動員して守る城となった。

ぼ輔
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藤沢市
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藤沢市
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2018/05/31

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  • 鎌倉時代の波打ち際 29

    由比ヶ浜に元寇坊提に相応する崖が存在した!逗子の海岸にも同様な元寇坊提に相応する崖が在り、更に七里ヶ浜にも元寇坊提に相応する崖が存在し、明治の時代まで残り、写真に捕らえられている。では、鎌倉城を外れた海岸はどの様でしょうか?江の島の砂州は片瀬川ですが、片瀬山迄切岸が存在する事から、片瀬川までが鎌倉城の範囲と考えられ、片瀬川西側の鎌倉城から外れた砂浜(鵠沼海岸)はどの様か?ご覧のように片瀬川一つ隔てると、普通の砂浜と成ります。結果は鎌倉城の範囲に防塁は造られたと考えられる。鎌倉時代の波打ち際29

  • 鎌倉時代の波打ち際 28

    由比ヶ浜の元寇坊提に相応する遺構は鎌倉考古学研究所に依ると由比ヶ浜南遺跡は「東と西には鎌倉石を使った大規模な土塁か築地があります。」っと発掘状態を語っている。四角い鎌倉石で積み上げられたモノと考えられる。その土塁を西へ延長させると坂ノ下で、関東大震災で崩れた状態が下の写真です。四角い石材が散乱しているのが確認できる。同様に関東大震災で崩壊した七里ガ浜の道路と崖の状況は?下図の状態です!小動岬が写る崖が崩壊した写真です。如何でしょうか?四角い鎌倉石が散乱した状態は、由比ヶ浜(坂ノ下)の画面と同じ状態です。由比ヶ浜南遺跡と同じ考えで作られた「鎌倉石を使った大規模な土塁」と考える根拠の写真です。鎌倉時代に造られた道路は総て細い道です。広かった化粧坂の道も狭く作り直した痕跡が在り、朝比奈の切通お同様に狭く作り直した。七...鎌倉時代の波打ち際28

  • 鎌倉時代の波打ち際 27

    江之島には灯台(昭和20年代に建設)がありません。江ノ電は1910年(明治43年)開業。依って、この画像は明治43年から大正12年の間と考えられる。下の写真は、道路脇の崖の状態です。下の写真は江ノ電が無い時代ですが、注目は道の広さに有ります。・化粧坂より葛原ヶ岡神社に向かう旧道、・大仏切通より手広に下る道、・銭洗弁天から葛原ヶ岡神社に向かう山道(山崩れで通行禁止)、・名越の切通の道、これ等は、皆細い道です。例外は、化粧坂の道や朝比奈の道が広いのですが、、、鎌倉時代より以前の道と考えられます。これ等の道と崖の作られた時代は、、、これ等の重機の無い時代の道路整備は、鎌倉時代以外は考えられない訳です。更に、鎌倉時代には、広い道路を狭めて使う時代でこの広さは矛盾です。これは、道路として考えると矛盾しますが、、元寇防塁と...鎌倉時代の波打ち際27

  • 鎌倉時代の波打ち際 26

    鎌倉の由比ヶ浜には元寇防塁と考えられる遺構が在った。鎌倉城の切岸は、片瀬山にも存在するので、境川の際迄鎌倉城が存在すると考えられる。依って七里ガ浜に元寇が上陸する事を考慮すれば、元寇防塁が有るハズです。下の写真は江の島から見た七里ヶ浜で、砂浜は国道134号線の崖に囲まれています。ご覧のように国道134号線の崖が、元寇防塁状態です。下の写真は、その一部を拡大しました。写真に写るのは、国道のコンクリートの壁ですが、、国道が出来る前は、この崖の場所はどの様で在ったのでしょうか?下は「今昔マップ」と言うアプリケーションです。明治の地図ですが、既に江の島電気鉄道の文字が在り、七里ガ浜に道が在るだけでは無く鉄道が脇に在ったのです。この道路の記号は、一、道路の記号二、鉄道の記号緑色の枠内三、崖の記号赤色の枠内の三要素で依り成...鎌倉時代の波打ち際26

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