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鎌倉街道 を探そう! 鎌倉城と古代の東海道遺構 https://blog.goo.ne.jp/mementosmori

日本最大の鎌倉城とその遺構。頼朝に封印された古代東海道遺構の紹介!

国内の勢力争いの為の城郭とは異質な、、 日本の存亡を賭けた、フビライハンのモンゴル帝国襲来に対抗する為の鎌倉城です。 世界最大の国力に対抗した 世界有数の巨大な城跡となり、当然全国の武士を総動員して守る城となった。

ぼ輔
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藤沢市
出身
藤沢市
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2018/05/31

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  • 篠窪から関本へ5

    篠窪の富士見塚を矢倉岳に向かい降りていく場所ですが、、、この四角く青で囲った場所の話です。この地図は明治15年の作図で、江戸時代から引き継いだ矢倉沢裏街道と考えられます。国土地理院の空中写真と傾斜地図の合成です。赤丸の場所が富士見塚で薄く紫色の点線で示したのが裏街道です。おなじ画面を傾斜の強い場所が黒っぽく示してあります。これが傾斜地図で富士見塚と、裏街道を示してあります。更に、古代東海道の痕跡と思われる幅広の帯状の平坦地を青と緑の点線で示しました。考えられる道が二筋有る訳です篠窪から関本へ5

  • 篠窪から関本へ4

    近代的な信頼のできる明治15年に作成された迅速図です。ほぼ江戸時代の状態を示した地図と考えられます。未だ小田急線や246号道路も無い時代です。問題は、紫色に示した矢倉沢街道です。江戸時代はこのルートと考えられます。赤色に示した道は栃窪の古老に聴くと大住郡の郡道で在ったと説明されました。地図の中央は渋沢村で、矢倉沢街道は四十八瀬川に降りていきます。この周辺の街道の道幅は、当時は一間程と伝え聞いています。渋沢村から四十八瀬川に降りる道は、途中に車止めがありその後は本来の道幅と考えられる一間幅の道と成ります。この川沿いの道の現状は小田急の路線上でったり、藪の中となる。更に四十八瀬川に降りる痕跡も消える廃道となります。地図の方位は、上が北です。次の図は、鎌倉方面から矢倉岳方面の西を向けた図面と成ります。詳細を解説すると...篠窪から関本へ4

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