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ピリケンさんになかつ道寺。 https://blog.goo.ne.jp/fdfhm086---ybb

昔、アメリカから来た利根運河の福の神。ピリケンさん 40年前、西の国(和歌山)から流れてながれ流山

ソウダイさ〜ん
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2018/05/12

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  • まち (連載―第557号)

    保護者が同伴でないと、割引が受けられない。と駅員に言われ、私の試しの旅がはじまった。それもそうだ。一人で出来る人に特典を与える。「町は甘くない」ど暗黙の助言を受けた。57歳の時に、まさか、脳出血で倒れ、半身不自由になり、運転免許も一部取り消しになった。それもそうだ。今日は、15年ぶりに町の雑踏にでた。リハビリも今も続けているが、今日は、自己責任で内緒で町にでた。妻も私を川に放り込むように私を手放した。「行って来るね」「おだいじに」込み入った文言もなく一人旅が始まった。杖を持っているから町は、やさしい。電車に乗っても、若者が席を立ち、言葉もなく別車両に移った。ドアが開き、何秒で閉まるのか、10秒の駅も、15秒の駅もある。ラッシュ時は、避けたいが乗車、下車はタイミングだ。本流の街に着いた。壁に寄りかかることが...まち(連載―第557号)

  • B29爆撃機【アメリカ】 (連載―第556号)

    B29をご存じの方は、ぎりぎり昭和人だ。私の年齢が73歳だとすると昭和26年生まれをプラスすると73+26=99となり、昭和に換算すると来年で昭和100年となる。洗濯物を川に持って行き、足で踏みながら汚れを落とし、河原の石の上で乾燥させた。洗濯物をコインランドリーに持って行き、漫画を読んでいる間に乾燥まで終わっている。比較はしたくはないが両方のことがわかるから幸せだ。灯油とガソリンは色と臭いで違いがわかる。灯油はジワーと火がまわる。ガソリンは一瞬に火がつく。石油ストーブに、まちがえてガソリンをいれて爆発して火事になった。という話は聞かない。ところで、B29爆撃機の本題に戻すと当時の最先端の爆撃機として、第二次世界大戦の後半から、日本の各都市を爆撃し広島、長崎に原子爆弾を投下したアメリカの爆撃機だ。高度1万...B29爆撃機【アメリカ】(連載―第556号)

  • ひとりごと (連載―第555)

    広島、長崎に原子爆弾が落とされ日本は戦争に負けたのが昭和20年だ。戦争を始めたのが昭和14年だから、6年も戦争をしていた。多くの兵隊さんが帰国して多くの子供が誕生した。村には子供が溢れていた。近所には8人兄弟もいる人がいた。野球をするにも、赤、白にわかれて、子供があつまり、すぐ対戦出来た。昭和22年~昭和24年の生まれの世代を「団塊(だんかい)の世代」と故、堺屋太一さんが言われていた。戦後世代、焼け跡世代などと言われていた。大学受験、就職には苦労した連中だ。他人事のようだが、私は2年後の昭和26年生まれだから難を逃れた。文化的な面や思想的な面で共通している。大学進学した人は、学生運動が最も盛んな時期に相当する。私も、先輩に言われ代々木公園から日比谷公園まで町を練り歩いた。陸橋から明るい光が光っていた。腕を...ひとりごと(連載―第555)

  • 明治100年、昭和100年 (連載―第554号)

    昭和になって明治百年目はいつ頃だろう。江戸時代は長―い鎖国の時代が過ぎ、ペリーの黒船来航は1853年、浦賀に来航して、日本が欧米諸国に遅れをとっていることに気づき、近代国家、明治維新が始まった。岩倉具視を団長に伊藤博文、大久保利通、木戸孝允(剣豪:桂小五郎)、山口尚芳ら総勢百名を超える使節団でしかも、2年余りも国を開け、西郷隆盛、板垣退助、大隈重信らが日本を守った。江戸時代の幕末に結んだ欧米の国々との不平等条約の改正が目的だった。一行は欧米との文明の遅れを痛感したのだろう調査の旅となった。薩長の重心を中心として2年も日本を開け、海外視察に出かけられたのも他国から侵略されないだろうと確信したのか西郷隆盛に任せたのだろうかそれとも他国は、日本を侵略する価値もないのだろうかと私は思った。日本の留守をまもった西郷...明治100年、昭和100年(連載―第554号)

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