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ピリケンさんになかつ道寺。 https://blog.goo.ne.jp/fdfhm086---ybb

昔、アメリカから来た利根運河の福の神。ピリケンさん 40年前、西の国(和歌山)から流れてながれ流山

ソウダイさ〜ん
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2018/05/12

  • トルコ人は中央アジア から来たの? (連載―471)

    アジアとヨーロッパとあわせて、ユーラシア大陸という。ウラル山脈、ウラル川を境にアジアとヨーロッパの東西に分かれる。昔から、シルクロードと言ってアジアとヨーロッパを結ぶシルクロードを通じて、お互い貿易をしている。ちょうどトルコはアジアとヨーロッパの中間点で、アジアはアジアのにおいがする。ヨーロッパはヨーロッパのにおいがするのだろう。東西の珍しいにおいのする中間点、いいところのようだ。トルコ人は中央アジア(ウズベキスタン、カザフスタン、キルギス)から来た、遊牧民と聞く。それでお顔立ちもアラブ系ではなく、アジア系でロシア人にも日本人にも似ている。彼らは中央アジアからやって来てトルコのアナトリア地方に住みつき、小国からのスタートだったがもともと住んでいたビザンツ帝国の領土を奪って勢力を拡大していった。キリスト信者...トルコ人は中央アジアから来たの?(連載―471)

  • サンタクロース (連載―470)

    北欧神話などに空を駆ける神話など元になったと思われる民間信仰で語り継がれているうちに今の形になったようです。サンタクロースの赤い服の色は、カトリック教会の祭服の赤色に由来するそうです。まだ、クリスマスではないが夢のあることはいつも幸せ。4世紀に東ローマ帝国小アジアのシュラ(現在のトルコ、イタリアのローマではないようだ)に実在したカトリック教会司教セントニコラウスというのが一般的のようだ。彼は貧困のために苦しむ娘たちの家に煙突から金貨を投げ入れ、それが暖炉脇に干してあった靴下の中に入ったということです。へ~心温まるお話ですサンタクロース(連載―470)

  • 大都会 (連載―469)

    50年ほど前に西の国からいくつもの山を越え、川をくだり目的もなく大都会東京に出てきた。都会人は間違いなく私より賢い。日比谷公園内には、有名な歌手が歌ってた煉瓦づくりの日比谷公会堂を見つけた。その隣に日比谷図書館があった。名前さえ書ければ入れそうな田舎の高校を出て兄弟を頼って東京に出てきたばかり。勉強するために図書館に入ったがあまりの静寂に圧倒され、地下の食堂でスーうどんを食べて4畳半の共同アパートに帰った。翌日、対策を練って少年漫画の厚い本に表紙をかけて再び図書館に行った。隣の学生との間にその厚本をドテンと壁のように置き賢そうに勉強する振りをした。新宿の街に行った。人混みについて行ったが、どこにも、たこ焼きもお面も刀もおもちゃの拳銃を売っている露店も見当たらない。田舎では人混みと言えばお祭りで街は毎日お祭...大都会(連載―469)

  • もったいない (連載ー468)

    ものをこぼすと、死んだおばあちゃんが「もったいない」と言うから拾って食べた。私は子供の前で、ごはん粒をこぼして(落として)拾って食べた。何するんだろうと驚いていた。ごはん一粒でも無駄にすると、おばあちゃんが現れ、怒られた。「もったいない」ある日、子供も土をはらって食べていた。「もったいない」そもそも、賞味期限など見て食べたことがないが、巷では賞味期限切れの物を食材に使ったとか売ったとか大問題になった。賞味期限は、食べごろですよ。消費期限は、食べてはいけませんよ。もったいない。食べ物を捨てるなんて。もったいない。私の子供の頃は、茶粥(ちゃがゆ)ってあってな、おとぎの国の話ではなくて、紀州(和歌山)では、山と海で平地が少なくお米が多く取れなく、大きな鍋にバケツ一杯の水を入れて、牧を燃やして沸騰させ、茶袋に番茶...もったいない(連載ー468)

  • 地球の裏側 (連載ー466)

    地球儀が横の目に映ったから、覗いてみると、地球の裏側がサッカーの強いブラジルだ。遠いと~い昔に、村ごとアメリカに行ったという伝説のような話を聞いていた。私が、子供のころとと言えば半世紀(50年)以上昔だ。今が72才だから以上に間違いない。私には大半が昔だ。古―い人間だとお思いでしょうが古い。近くに、「アメリカ村」という名前のバス停があった。今はワンマンバスだろうが、首から黒い小さなバッグをかけて車掌がデコボコ道をおライおライと車掌が誘導した。海に沿って日本一長い松林をぬけると赤や黄色のカラフルな洋館が目に飛び込んできた。アメリカ村とバス停に書いてあった。アメリカに来た覚えはないが、まるで陽が燦々と照るハリウッドのようだった。ハリウッドに行ったことがないが。日本の家屋にはない色だ。これが憧れってもののようだ...地球の裏側(連載ー466)

  • 地球の裏側 (連載ー466)

    地球儀が横の目に映ったから、覗いてみると、地球の裏側がサッカーの強いブラジルだ。遠いと~い昔に、村ごとアメリカに行ったという伝説のような話を聞いていた。私が、子供のころとと言えば半世紀(50年)以上昔だ。今が72才だから以上に間違いない。私には大半が昔だ。古―い人間だとお思いでしょうが古い。近くに、「アメリカ村」という名前のバス停があった。今はワンマンバスだろうが、首から黒い小さなバッグをかけて車掌がデコボコ道をおライおライと車掌が誘導した。海に沿って日本一長い松林をぬけると赤や黄色のカラフルな洋館が目に飛び込んできた。アメリカ村とバス停に書いてあった。アメリカに来た覚えはないが、まるで陽が燦々と照るハリウッドのようだった。ハリウッドに行ったことがないが。日本の家屋にはない色だ。これが憧れってもののようだ...地球の裏側(連載ー466)

  • 寺田政明 生誕111年展 寺田農(天空の城ラピュタの声優、ナレーター・声優・俳優)さんの父

    東京も随分行っていないが変わっただろう。一人ではどこもいけない身、強がっているが出かけるのも妻が頼りだ。字が書けないがパソコンが私の友だ。寺田農さんのお父さんの絵画展があるらしいが勝手に報じさせていただいている。明治の男児で北九州八幡に生まれ、16才で上京。激動の時代を生き抜きよく画家でいらした。もう30年ほど前から、寺田農さんもカントリーの歌をお好きと聞いてよくしていただいた。怖い方だと思っていたら気さくでジェントルだ。お父さんのお写真を検索したらあったので載せさせていただいた。へ~!初めて拝顔させていただいたが寺田農さんに似ている。77歳でお亡くなりになったようだが、寺田農さんも80歳前だろう。子供は親の姿を見ているのか寺田農さんの生き様のようである。絵があったから生きてこられた「絵が描くゆえに我あり...寺田政明生誕111年展寺田農(天空の城ラピュタの声優、ナレーター・声優・俳優)さんの父

  • 「知恵のかなしみ」 (連載―464)

    世界を渡り歩き、釣りをしたり、美味しい物を食べ歩いたようだ。ようだ。というから詳しくはわかっていない。ただ、「知恵のかなしみ」の言葉に引き寄せられた。開口健さんは大阪に生まれ、茅ケ崎に住み、30年ほど前に亡くなり、お墓は鎌倉の円覚寺に埋葬されているそうだ。円覚寺は鎌倉時代に創建された禅宗(臨済宗)寺で、写真を見た感じでは、北鎌倉の山寺でモミジとこけが合いそうな静かなたたずまいだ。この寺で座禅をすると、すぐに無になれそうだ。座禅は目を開けてすると聞いたことがあるが、私のような邪悪のかたまりの人間には相応しくない。開口健(かいこうたかし)と読むらしいが(かいこうけん)の方が健康的だ。野ネズミの大発生を題材にした「パニック」でデビユゥー作で「裸の王様」で芥川賞を受賞なされていた。大学時代に洋書の輸入会社にいたこ...「知恵のかなしみ」(連載―464)

  • 紀州の国(和歌山) (連載―462)

    現代は病院でオギャーと産まれる。71年前に私は産婆(さんば)さんのお世話になってたらいの湯で、産湯(うぶゆ)を使って家で産まれた。天井から吊るされたクルクルまわるメリーゴーランドのようなおもちゃを眺めながら育った。娘が言う、お父さんの田舎はおとぎの国の田舎で、夏には岩の上から川に飛び込んだ。妻は私を、山奥の田舎者だという。そういう妻は田んぼの田舎者だ。二人は田舎者どうし。紀州は陸の孤島というイメージらしいが、新幹線にしても高速道路にしても置いてきぼりという。陸の孤島は、いつまでもつづいてほしいがだめかなあ。18歳になって、大阪の梅田駅から東京駅まで夜行機関車で12時間をかけて来た。ホームには弁当~弁当~と売り歩くおじさんもいた。おじさん、弁当とお茶ください。汽車の窓を開け、わずかな汽車の停車時間にすませた...紀州の国(和歌山)(連載―462)

  • 「明けの明星」 (連載460)

    トイレに行こうと立ち上がった。小窓にお月さまが輝いて見えた。これは明星の月と思ってカメラを取り出しパチリ。明けの明星を見ると、いいことがあると先祖から聞いていた。寝静まった空に誰かが明りを灯したように、まるで天使のようだった。夜が明け尋ねると、明け方の空は金星だという。「明けの明星」と呼ばれると言う。太陽から水星があって、金星の次に我が地球が回っている。しかし残念だ。せっかく明星と思って、良いことがあると思っていたのに。良いことは忘れたころにやってくる。というから忘れよう。「明けの明星」(連載460)

  • 甲斐(山梨県)の国 (連載―459)

    山がいっぱいあるのに山梨県と妻が孫に教えていた。ここは何処ってね。山梨と言えば甲斐の国、戦国武将、武田信玄で有名だ。噂では信玄餅を袋に詰め放題で有名らしいが、甲斐の国を治め、世が世であれば天下人だったかもしれない。風林火山、と四字熟語で有名な戦国武将と言えば?武田信玄。武田信玄の戦いの旗に書いていた「風林火山」(はや) きこと風の如く、徐 (しず) かなること林の如く、侵 (おか) し掠 (かす) めること火の如く、動かざること山の如し」の略で、中国の孫子の句らしい。さっそく、武田神社が実在していると言うので向かった。武田神社に通じる武田道りがあった。山梨大学があり、さすが両側は武田家ばかり、不動産、公園とみんな武田さんだ。本殿までは長い階段だったが手すりがあったので自力で上った。父親の武田信虎、おじさん...甲斐(山梨県)の国(連載―459)

  • 富士の山いいなあ! (連載―458)

    日本に生まれてよかった。寒い寒いと言っていたら、ポカポカさくら日和、富士の山とは30年ぶりにお目にかかったが、いいなあ!子供が連れてきてくれたが冥土のみやげのようだ。富士の山を眺めたり、桜を花を眺めたり、楽しみが盛り沢山だ。菜の花のおひたし摘みも、田舎ものの妻が得意だ。妻が都会の人と結婚したつもりが、まさか、おとぎの国の田舎者の私と結婚したと嘆く。昔は良かった、昔はよかった。とご年配の口から耳にする。だったら、昔に戻ればと思うのだが進歩は許してくれない。進歩が常に影のようについてくる。今日の夜空を見たら、お月様が満月のように丸く見えた。ところが、月の裏側の顔を見たことがないと言う。ということは私が生まれて71年間、見た月の顔は表側の顔で裏側を顔を見たことがない。月は1回転するあいだに、地球に対して常に同じ...富士の山いいなあ!(連載―458)

  • SUKIYAKI (連載―457)

    SUKIYAKIという曲が世界に大ヒットした。実は、この歌の曲名が「上を向いて歩こう」だ。1961年の曲で、飛行機事故で亡くなった坂本九さんが歌った。「ウエヲムーイテ」が「ウへホフイテ」と聞こえる。坂本九さんの母が小唄や清元などの邦楽の歌い方が影響したのではと。「何だその歌い方は!」と作詞家の永六輔さんが坂本九に激怒したらしいが、作曲の中村八大さんが、遊び心で九さんの歌い方も面白くアレンジをその場で書き直す柔軟な人のようであった。私も有楽町マリオンで中村八大さんがピアノの音が大き過ぎませんかと言われてやさしいかただとの印象だった。アジアの端の小さな国の日本など、当時は芸者、侍、腹切り、などと印象だったのだろう。あるイギリスのレコード会社社長が、土産にもらった数枚の日本のシングルレコードの一枚に大変気に入っ...SUKIYAKI(連載―457)

  • 上り、下り (連載ー456)

    話は本題から外るが、おのぼりさん、って田舎者のことで、田舎出身の私はバカにされたようでいい気持はしなかった。江戸時代、徳川第3代将軍、徳川家光が地方大名が江戸におのぼりして、1年江戸の将軍様に仕え、1年を終えたら地方の地元に帰れた。2年は人質に奥様かお世継ぎを江戸に置かなくてはならなかった。これを「参勤交代」という政治制度だった。「参覲交代」で、「参っ」て「覲(まみ)える(目上の人に会う)」本来は、参覲交代と書くらしいが、役人が間違って「参勤交代」と書いた。仕方ない今更直せなかったのだろう。聞くところによると、東京日本橋が起点で、日本橋に向かうのが上りで、日本橋から遠ざかるのが下りと呼ぶらしい。日本橋(東京)を起点にして、「上り、下り」と呼んでいる。東海道、日光街道、甲州街道、水戸街道、奥州街道、中山道、...上り、下り(連載ー456)

  • 車は左、人は右、逆走は事故の もと (連載―455)

    日本では、車が左側通行と私が生まれた頃から決まっている。アメリカに戦争に負けたから左側通行になったと思ったが、アメリカは右側通行だ。私が生まれた頃から「車が左、人は右」と決まっている。田舎の道は砂利道だった。しかも道幅が狭い。車と車が行き交うときに、法律で車は左側通行と決めてあるからスムーズに通行できる。途中に障害物があっても、水たまりがあってもお互い譲り合って通行した。車が左側通行で右ハンドルだと左側の視野が広く見える。反対に車が右側通行で左ハンドルだと右側の視野が広く見える。日本のように、車は左、人は右となれば車と人が対面通行となって、お互い認識して安全だ。人は右とルールを認識していれば、山道で行き交う時も「こんにちわ」と挨拶を交わす余裕も出来、右側が危険であれば、危険情報を知らせられるし、安全を確認...車は左、人は右、逆走は事故のもと(連載―455)

  • ひな祭り (連載ー454)

    ひな祭り(連載ー454)

  • くびき(首木) (連載―453)

    ロシアは隣国と思わなかったが、遠い国のモスクワは知っている。モスクワはヨーロッパの方にある。そう言えばロシアの国土はでかい。北海道の上にオホーツク海があり、ハバロフスクはロシアの国だ。ここまでヨーロッパからのびてきている。ロシアもソ連も同じと思っていた。(ソ連)ソビエト社会主義共和国連邦はロシア、ベラルーシ、ウクライナ、モルドバ、ジョージア、アルメニア、アゼルバイジャン、カザフスタン、ウズベキスタン、トルクメニスタン、キルギス、タジキスタン、エストニア、ラトビア、リトアニア。以上15か国バルト三国(エストニア、ラトビア、リトアニア)はソ連の憲法で認められ独立した。よって、12か国になった。1991年ソ連の崩壊によって、それぞれ12か国は独立した国家に分かれた。ロシアの国の首都はモスクワだ。ローレライ、とも...くびき(首木)(連載―453)

  • 日高なみは私の実姉でした (連載―452)

    まったく、身内には評判の悪い人だった。過去形ですが、記憶では5年前に亡くなったろくでなしの女でした。フランスのシャンソンの曲に「ろくでなし」という曲があった。それはそれは厳しい方で「かんけいないね」というものなら大変だった。私は日高さんのマネージャーからはじめて銀座にシャンソンのライブハウスの手伝いを40年ほど手伝った。高校時代、宝塚の出身の音楽の先生にシャンソンと出会って、卒後、東京銀座の銀巴里のオーデイションに受かりその日から歌った。当時、丸山明弘(美輪明弘)さんも歌われていた。私も銀巴里でフランス人の日本人にあった。日高を見るたび丸山明弘を思い出す。日高は世間知らずでお人よし、世間を知りすぎて厳しい人。だから、脳梗塞で延命処置を取らず天国に召された。美輪明弘さんは三島由紀夫を日高さんは柴田錬三郎と人...日高なみは私の実姉でした(連載―452)

  • 隠者文学(いんじゃぶんがく) (連載―451)

    歴史の大好きなあなた!ところで、隠者文学ってなに?優れた才能と教養を持ちながら、出世を望まない。ひとりひっそり暮らし日常の出来事を日記や随筆に書いた文学をいう。随筆は今風にBlogのようなもの。1000年ほど前の中世の頃に書かれた随筆で鎌倉時代の吉田兼好の「徒然草」、鴨長明の「方丈記」、平安時代の清少納言の「枕草子」。これが日本の三大随筆という。徒然草、方丈記、枕草子の作者は誰だ?までは試験に出るから覚えたが今更、内容を尋ねられてもチンプンカンプン。あ!そうだ。尾張の大うつけ、これは、織田信長のあだなのようだ。大うつけとは、大馬鹿野郎とのことらしい。紀州の方に申し訳ないが私は紀州の大うつけのようだ。紀州、尾張、は徳川御三家。水戸の大うつけは誰だろう。織田信長は幼い頃から奇抜な衣装を着たり突拍子もない行動を...隠者文学(いんじゃぶんがく)(連載―451)

  • 般若心経と方丈記 (連載―450)

    2022年の暮、外ではクリスマスソングが流れている。般若心経と方丈記と謳ったもので天才が悩んでいる。アインじゃなくて、アインシュタインというノーベル賞の科学者が光の速さを発見した。へーえ!光にも速さがあるんだと気付かなかった私は天災だ!幼いころ宇宙と聞いて夜が怖かった。宇宙人に聞かないと宇宙の広さもわからない。人と付けたのも宇宙人だ。なぜ、夜が怖かったかというと人が死んだら宇宙の無限の闇に放り出され闇を無限に浮遊すると聞いた。幼いころ、お葬式の静寂な儀式が好きでよくお墓に見に行った。当時、土葬だったので人が埋葬されるまで見た。へーえ!人って死んだらあの土の中に埋められるんだ。雨など降ったら川のように水が土の中を流れる。和尚様のお経と小僧さんのシンバルが小刻みに触れる音があの世に誘(いざな)っていた。宇宙の...般若心経と方丈記(連載―450)

  • 日本人サポーターに ブラボ―! (連載―447)

    ワールドカップサッカーの試合の後、スタンドを奇麗にお掃除しているサポーターにブラボ―!(素晴らしい、良くやった)を贈りたい。ピッチでは勝った負けたと一喜一憂してシナリオどおりだが、ピッチの外ではサポーターは、すでに、黄金のトロフィを獲得している。シナリオでは3戦は2-0で勝つらしいが、ワールドカップサッカー・サポーター物語が書けそうだ。もちろん、選手はピッチで必死になって戦っているのだがシナリオどおりにはいかない。戦う相手もシナリオを書いている。私の心も揺れている。思いどうりにことが運ばない。試合後にお掃除しているサポーターはどんなお気持ちで一つ一つのゴミを拾っているのかサポーターの若者に聞いてみたい。日本人に生まれてよかったと思うが世界の方々に表の顔、裏の見えない努力に気づいていただきたいものだ。あくま...日本人サポーターにブラボ―!(連載―447)

  • 宇宙ってロマンだ! (連載―446)

    私は水を売っていたのではないのだが、水商売を40年ほど花の東京でやっていたが、病気で辞めざるを得なくなって6年前だろうか辞めた。1951年に生まれ、すつかり経験豊かそうな高齢になっている。お日様が東の空から出て、西の空に沈む、50年ほど前に東京にでてきた時から変わっていない。私は、天文科学者でもないが、おばあちゃんから聞いた。夜空を見上げれば天の川が流れている。そこに恋物語があった。愛し合った二人が広い川を渡って年に一度再会できるという。一人は織女星(おりひめ)と相手が牽牛星(ひこぼし)。夏の七夕の時だけ会えるという。七夕になると、色紙に願い事を書いて、笹の木にぶらさげて川に流した。天の川かもしれない。空を見上げれば、昼も夜も羽田空港、成田空港から人々の願いを込めてルンルンと飛んでいる。カメラに収めようと...宇宙ってロマンだ!(連載―446)

  • なんだって 私が古い人間だって やっぱり。 (連載―445)

    古い人間と新しい人間の境は、私が1951年から生きているから、目出度く結婚も出来て子供が43歳になる。子供が物心がついて世を見られるようになったのが15年前だとして、私が57歳になる。57歳と言えば、私が脳溢血で倒れた時だ。昔であれば死んでいるのだろうがここまでは、古い人間だとしても、それ以降は新しい人間の部類に入る。と決めている。田舎の山の分校のある先生からトイレの裏の草取りをいわれた。肉体労働に関して自信があったので、臭いトイレの裏の草取りなど、サーと済ませて帰宅した。翌日、その先生から呼び出しがあって、おそらく、昨日の草取りの文句を言われると思って職員室の重い扉を開けた。ところが、意外にも機嫌よくその先生から白い封筒を渡された。最後に「合掌」と書かれてあったので意味がわからず秀才の兄に見せた。先生が...なんだって私が古い人間だってやっぱり。(連載―445)

  • 東の国、西の国 (連載―444)

    はい!質問?お宅の家紋、見たことある。カモンって何。15年前に初めて知った。こんなに長く生きているのに家紋を知らない。私は1951年生まれだが初耳だ。神頼みで、秀才の兄に尋ねても知らない。誰かが、信じられないという目付きで呆れたまなだしだ。だって、家系も調べた形跡もなく疑問すら起きなかった。家の宗派すら知らなかった。今さらお坊さんに聞いたらしい。これで安心して葬式ができる。徳川紀州御三家のお膝元に生まれながら家紋を知らないとはなにごと。と暴れん坊将軍にバッサリ切られそうだが縁がない。私は50年ほど前に、西の国から来た。前世から来ることが決まっていたのか、花の東京に来た。岡本太郎の太陽の塔の大阪万国博覧会の当時だ。そういえば、数寄屋橋公園には小さな太陽の塔があったが、皆さん気づいていた。大阪の梅田駅を夜行列...東の国、西の国(連載―444)

  • 余の辞書に 不可能という文字がない (連載―443)

    不可能という言葉は、愚か者には妄想。臆病者には逃げ口上、権力者には自ら無能を語る言葉である。誰だと思ったら幼いころ世界史で習ったらしいがお名前はおぼえている。高級ウイスキーのナポレオンは知っているが私がお恥ずかしいが、71歳になってどんな人となりかを知った。1769年に地中海に浮かぶコルシカ島にナポレオンが生まれた。イタリア領だったのにフランスに併合されて、本人はイタリア人なのにフランス人と呼ばれるのに抵抗があった。その名はナポレオン・ボナパルトと世界的に有名人だ。彼は、イタリア、派遣軍の総司令官として、フランス革命1793年、国王ルイ・16世と王妃マリー・アントワネットの処刑で4年に渡ったフランス革命の終わりをつげた。途端に革命による王政打倒の思想がヨーロッパ全土に広がるのを恐れた、英国、プロイセン(ベ...余の辞書に不可能という文字がない(連載―443)

  • ハロウィーン やってみなけりゃ (連載ー442)

    誰もが半年で終わると思った第一次世界大戦、4年も続いた。4,5日で終わると思った侵略戦争がもう1年も続いている。思った側はいかなる手段を使っても勝つまで止められない。侵略された方はいかなる手段をとっても相手をギャフンとした顔を見るまで止められない。今まで、2国間で終わった戦争が、世界を巻き込む戦争になった。戦争に勝つのに同盟を組んだり、場当たりで約束をしたり、反対させないように恐怖で脅した。批判する人は殺される。戦争は国が勝つまで、勝って相手から賠償金なりを取らなければならない。ところが、個人的に恨みつらみで互いにあいつの泣く顔を見るまでは止められん。どんなに死人を出しても、勝つまでは汚い手段を使っても負けるわけにはいかない。「彼はやるだろう」必ず。そのうち一人で可哀そうだからと味方も増えてくるだろう。戦...ハロウィーンやってみなけりゃ(連載ー442)

  • ホンネとタテマエ (連載―441)

    「本音」はホンネでわかりそうだが、日本ではホンネを言えば話がこじれて先に進まないことがある。「建前」は直接相手に本心を言わないで遠回しにやさしくオブラートに包んで伝える。※オブラート昔、にがい薬を飲む時ビニールのような飲みこんでも害にならない小さな包むシート+家を建てる前に、その土地の神様に感謝し、お祓いをする意味で「地鎮祭」を行い、棟上げが済むと上棟式を行い無事に骨組みができあがったお祝いをする。「建前」に際して行われる上棟式、大工さんや地域の方へのご挨拶とこれからの人間関係を大切に行われる式で、建前の時、和歌山の田舎ではご近所の方を集め餅牧し、赤飯で祝った。日本ならではの「相手の気持ちを察する」という文化から生まれた本音と建前。アメリカにはないようだ。英会話にしても、主語・動詞・目的語の順番で成り立っ...ホンネとタテマエ(連載―441)

  • 閑 古 鳥 (連載―440)

    雨続きの日が多かったので、今日は久しぶりに、まぶしい太陽だ。病院に行く途中、妻の運転で助手席に乗っていた。あれ!この前オープンして店が混んでいたのに、駐車場に一台も車がとまっていない。今日は閑古鳥だ。ほんとだあ。商売って難しい。ところで閑古鳥って言うからどんな鳥なんだろう。知っている?病院で聞いてみれば。閑古鳥ってどんな鳥?お店にお客様が来なくてヒマなことの例えで、私もそんな鳥見たことないです。とのある白衣の答えだった。例えにしては、断りもなく鳥の名前を勝手に使っては鳥に失礼で、きっと実在しているのだろう。男の人は私の話題に入ろうとしないが、おばさんは横やりをいれてくる。「閑古鳥が鳴く」って意味は知っているが、どんな鳥なのか見たことがないという。待合室はざわめいたが、これ以上、おばさんの答えに期待できそう...閑古鳥(連載―440)

  • 昔むかしのお話 黒四 (連載ー439)

    何かの巡りあわせなのか、60年ぶりにお目にかかった。私は1951年に期待もされず生まれた。小学校の時、学校で見せられた1本の映写機に写された過酷な水を浴びながらトンネルを掘り続けた人の顔が浮かんでくる。まったく、人間の考えることなのか、富山の雪が吹き荒む険しい山に、道さえもなく地下に発電所を作ろうと穴掘りの戦士たちの物語だった。富山の薬売りが大きな荷物を背負って今年もお馴染みのお爺さんが昔色した薬の包みと紙風船のお土産を持って訪ねてくる。私も山育ちだけれど山に水が多量に抱えているなんて、ある程度、想像できたが、それよりもきびしい自然に立ち向かった命知らずの人間を見た。黒部ダムは雄大で観光客も多く訪れている。黒部ダムの下流の地下に水力発電所が作られているようだが。それが黒部第4発電所と呼ばれるから黒四と呼ぶ...昔むかしのお話黒四(連載ー439)

  • ツイ昔むかしのお話 (連載―438)

    電気自動車(EV(ElectricVehicle)の時代にまして自動運転にもなればハンドルを握らなくても目的地に行ってくれる。私も運転免許証の自主返納を勧められたが技術の変化も著しく未来になって免許の取り直しを言われたって面倒なので保留した。そんな時代にエンジンがかからない寝言のようなお話だ。昔むかし、凍りつくようなシベリアの非常に寒いところでは戦車のエンジンがかからないと言う。どこかの国がシベリアに戦車で行ったがエンジンがかからなかつたので目的が果たせなかったと聞いて驚いた。へえ!寒いところではエンジンがかからないんだ。昔は、水冷式のエンジンだったので、よく、オーバーヒートでエンジンが止まった。車の前部の方から白い蒸気を吹いて車が止まっていた。ことをよく目撃した。内燃エンジンは熱との戦いで、いかに冷やす...ツイ昔むかしのお話(連載―438)

  • 新しい歴史が (連載―437)

    撤退「焦土作戦」って聞いたことないし、戦いに撤退とは私の辞書にはなかった。攻められたら、逃げて、逃げるところの建物、燃料、食料をみな焼き野原に焦土にしてすべて無くしてしまう。いい気になって追いかけて来た敵は食べる物もなく、弱り切ったところに戻ってきて、敵をせんめつするという戦いの作戦らしい。「人海戦術」の言葉は知っていたがこれも知って私の脳みそにはなかった。人の命をなんと軽く扱われたのか信じられない。例えば、敵の弾が100発あったとしたら味方の100人の兵士が突撃し、敵が100発の弾を使い切ったところに攻めて敵をせんめつする作戦と聞く。味方の兵士の数が100人以上でなくてはならない。「特攻作戦」は、旧日本軍が使った作戦と聞いていたので知っていた。第二次世界大戦の終わりの頃、捨て身の作戦だ。飛行機に爆弾を抱...新しい歴史が(連載―437)

  • 新しい人間、古い人間 (連載―436)

    私は1951年生まれだから、見た目でも古い人間を担当している。産まれたばかりの赤ちゃんを古い人間とは言わない。ホカホカの新しい人間だ。誰もが新しい人間から古い人間に変化する。私が新しい人間から、古い人間に変わったのは還暦の60歳の頃だと思う。「歴史の年表」を見なかったら、意地でも新しい人間で通したが、それを見てしまった。歴史は年小の頃から大が付くくらい苦手で面白くなかった。おまけに、妻にも子供にもバカにされるほど算数が苦手だ。歴史は年代を覚えればいいんだろう、簡単だ。ところが、項目が多すぎる。だけど大丈夫何も知らなくても生きて来た。57歳の時、脳溢血で倒れ、昔だとハイ・ソレまーでよ!のところ、歩だけ手はいないんだけれどあの世から拒まれた。歩くことも字も書けなかったが、まだ、幸いに耳が聞こえたのでウオークマ...新しい人間、古い人間(連載―436)

  • ひま人の脳みそ❶ (連載―435)

    脳―1、ブタ―とタブー太っている方にブタ―と言うのがタブーらしい。脳―2、神はダレ私の中の神は、髪、紙、でもないしダレなの?おばあちゃんから知ったお天とう様かも脳―3、おばあちゃんが正しい母が5歳の時、おばあちゃんの夫を亡くした。おばあちゃんは2人の子供をかかえ、いつから信じるようになったのか仏様神様に手を合わせていた。私も早朝必ず、神だなと仏殿にお茶を上げ合掌していた。いつもおばあちゃんの傍でカネを叩いていたのでお経は覚えていた。蔵にお米がいっぱい入っているのに白いご飯を食べさせてくれないし、おかいさんをすすっていた。すぐ、腹がへった。夜は麦ごはんだ。※おかいさん(紀州の茶粥・鍋に溢れるほど水を入れ1合のお米を入れ、そこに、番茶の入った茶袋を入れ、それを8人家族で食べた)忘れもしない、小学2年生までは茶...ひま人の脳みそ❶(連載―435)

  • あそび(連載ー434)

    あそびと聞くと人によっては、浮かぶものがまちまちだ。私はあそびと聞くと「ハンドルのあそび」を浮かぶ。車のハンドルにあそびがないと怖くて運転ができない。ハンドルにあそびがないとハンドルの少しの動きで車が角ばって右左に動く。一般の道路で、ハンドルに多少のあそびがあると交通規則を守りながら余裕をもって運転できる。もし、カーレースでハンドルのあそびが大きいとスピードが速くカーブを曲がり切れずコース内から外れる。機械のことはよくわからないが、歯車によゆうを持たせているのだろう。一般車とレーシングカーとはハンドルのあそび違うのだろう。レーシングカーのハンドルにあそびがなかったような気がした。人にも言えることだが、遊びがまったくない人と、遊びだらけの人の生き方にしても、コースから外れる人、決まったコースを走る人もいる。...あそび(連載ー434)

  • 未来・現在・過去 (連載ー433)

    今何時だ?午前5時8分、起さないでよ、冬眠してるのに。10年ひと昔と言うから、未来は10年先、過去は10年昔、現在は10年前後となる。家の前の空き地の林を33年も自由に使わせていただいた。ここに引っ越して来た時は木が蔽い茂って、近くの子供や大人も石焼き芋をして食べた。そこ頃の子供が大人になり子供もいる。私も世間でいう高齢者になっている。考えなくても、70年昔を過ぎている。まだ生きてんの?と言われそうだ。何を考えるにしても昔を思い出す。「赤穂浪士の討ち入り事件」って知らないだろうが、私も最近になって、約300年前の江戸時代の話だと知った。当初は約800年前の鎌倉時代の話だと思った。暮れの紅白歌合戦で三波春夫さんの歌を聴いて年を越した。わからないだろ~なあ。そんな昔は知らないのは当たり前。現在は便利だ。何千年...未来・現在・過去(連載ー433)

  • 憎めない人 (連載ー433)

    これ、漬け込んで、一工夫したものだが、どう思う?・・・と、もっともらしいことを述べないとニコ~と笑顔を見せない。世間では嫌われるタイプな人である。ピンポーンとチャイムがなった。こんな早朝から誰だろう?車から大きな、まな板と包丁と、諸々のものが運びこまれた。私が蕎麦(そば)を打ち始めたことを聞いて来たようだ。頼みもしないのに、蕎麦打ち道場の自宅番だ。蕎麦粉、打粉もすべてととのっていた。この方らしく、湿気による水の分量表までつくってあった。とにかく、蕎麦打ちはやったことはあるが諦めていた。なんだか理屈っぽい人だけど憎めない。恐らくながれているものもまったく違うのだろうが嫌いではなかった。鍋に熱湯と氷とたっぷりな水と下準備をして舌づつみをして眺めていた。お言葉でございますが、あなたに教えに来たのにあなたが眺めて...憎めない人(連載ー433)

  • 上を向いて (連載ー432)

    上を見ていると気象予報士になったようで明日の天気が予報できた。子供が今から帰るというから、この雨が小降りになったらと言うとスマホを出してきて雲の流れを見ていた。10分後には,この雲が通り過ぎるからと言う。ほんとだ、雨がやんだ。私の場合、あくまでも感予報だから外れる場合だってある。暇だから、上ばかり見ていたら、空にも東西南北があるようだ。高気圧は時計の針と同じ周りの右回りの渦。低気圧は左回りの渦巻きで、今日本に上陸している台風14号は920の低気圧で血液型は、大型らしい。私は、紀州出身で紀伊水道とか大阪湾を通る台風は風も雨もすごかった。台風の右側があれた。幼いころは紀伊半島によく上陸した。今は千葉県に住んでいるから、台風14号の雲の流れは南から北に急ぎ足で流れていた。上を見ていると昼の白い月もみえたし、夜の...上を向いて(連載ー432)

  • 昭和・平成、令和 (連載―431)

    私が生まれた昭和の時代は、満州事変があったり、日中戦争があったり、第二次世界大戦が広島長崎に原爆が投下され日本が敗戦した。大国が核実験競争でよく放射能の雨に濡れた。濡れると頭の毛が抜けると言われて警戒した。それで、私もハゲているようだ。60年前の1962年、キューバに旧ソ連の核ミサイル基地の建設がバレ、アメリカとソ連が核戦争の瀬戸際まで追い込まれた。翌年の1963年、ケネディがアメリカのテキサス州ダラスで暗殺された。私も暗殺された現場に30年前に訪ねることができた。初の日米宇宙中継に、ケネディ大統領暗殺の悲報を聞いた。忘れもしない。日米の宇宙放送が深夜の1時ごろの放送予定だったが、始まったのが4時頃のようだった記憶するが家族みんな起こして衝撃を伝えた。ラジオだった気がする。1956年頃から日本経済成長が始...昭和・平成、令和(連載―431)

  • 昼の月 (連載ー430)

    暇だね。バカじゃないの!そうです、暇です。下を見れば彼岸花にバッタリあうし、上をみれば昼でも白いお月様にお目にかかる。私が暇だから、白い月をみつけられた。気が付かなければ見過ごしていた。午前9時頃だと思う。先日、夜に中秋の名月のお目にかかって、満月ではなかったが、昼間でも白いお月様にお目にかかった。飛行機が分感覚で飛んでいた。北海道でも行くのかなあ!と思いつつ眺めていた。ヘリもお昼前ごろ飛んでいた。カメラに収めようと思っても音が遅れて聞こえるので気づいた頃にはそれまでよ。普段は気づかないが空も忙しい。羽田空港発、成田空港発とか。東北大震災の時は、自衛隊のへりのコースも決まっていて、音でも選別できた。幼いころ、雲の流れで明日の天気が分かった。北の空から南の方に雲がゆったり流れると明日は晴れだった。逆に、南の...昼の月(連載ー430)

  • 彼岸花 (連載―429)

    こんなところに彼岸花が咲いていた。田舎の田んぼの畔に赤く咲いていた。そういえばお墓にも咲いていた。それぞれ訳があるんだろう。彼岸花を提灯のように遊んだ記憶があるが近くの空き地も宅地造成で家が建つ。4,5、日後には木も雑草も刈られるのだろう。ふと、こんなところに彼岸花が咲いている。珍しいからカメラに収めた。後、4,5日の命を惜しんでるかに見えた。彼岸は春の彼岸、秋の彼岸と年に2回ある。今年の秋分の日は、9月23日だから、前後3日を含め7日間が彼岸のようだ。渋滞が予想されるがお墓参りの方が多い。彼岸花は赤く奇麗だが、茎を折ると嫌なニオイがする。有毒らしい。誰も食べないだろうが食べると死に至るようだ。それで、疑問が解決した。田んぼの畔に生えているのは米を守るためモグラなどの害虫よけに生えている。お墓に咲いていた...彼岸花(連載―429)

  • 画用紙の旅(海) (連載―428

    幼いころ画用紙にヨットをかいたら、その絵のヨットに乗って海の向こうの外国に行けた。ヨットも見たことないのに、親父が子供用の自転車買ってくれた。初ドライブで海を見たかったので、100円をもらって出かけた。川を下れば海に出る筈だから地図もなく感でペダルをこいだ。途中、塩の香が風に乗って方角を教えてくれた。これが海だ。大きな鉄の船が旗を掲げて海に浮いていた。外国の臭いがする。夢でも見ているようだった。海水をなめると塩辛い、随分、塩をばら撒いたようだ。打ち寄せる波を見ているとあきない。魔法に掛けられたのか段々眠くなってきた。潮風が心地よい。船員になれば外国に行ける夢を抱いて母の待つ田舎に帰った。帰りは上りだ。画用紙の旅(海)(連載―428

  • 中秋の名月 (連載ー427)

    ラジオで今日は中秋の名月と言っていたが、幼いころ、ススキを取ってきて瓶にさし、まん丸なお団子をお皿のもってまん丸なお月さんを眺めながらおふくろとおばあちゃんが作ってくれた、米団子を食べた。縁側から眺める黄色い卵のようなお月様が今も目に焼き付いてる。団子もお月様も丸いのはすべてのものが、まーるくおさまる様に願っているんだね。この風習は、平安時代に中国から伝わったらしいが中国にもいい風習があったんだね。秋と言えば、新米の季節、農繁期でお米の収穫に忙しい。田んぼにおにぎりとたくわんとおちゃを持っていき、稲刈りカマで田んぼの中央を刈り、そこでみんなで食べたおにぎりが美味しかった。今日、9月10日は、中秋の名月らしいが、早朝は曇っていたが秋晴れになってきた。えいこさん(妻)は団子を買ってくると言っていたが楽しみだ。...中秋の名月(連載ー427)

  • つるし雛 (連載―426)

    Tsurushi-binaisatraditionalJapanesedollculturethatdatesbacktotheEdoperiod.is.Sincethehinadolls'tiereddecorationswereexpensive,itisalsocustomarytogivethemhangingdecorationsthatareauspiciousaccessoriessewnfromscrapsofcloth.つるし雛は、3月3日にお雛様の段飾りの脇におばあちゃんやお母さんが子供の幸せを願って、ひとつ、ひとつ丁寧に編んだ人形を吊るす習慣で、江戸時代からの日本古来の人形伝統文化なのです。お雛様の段飾りは高価だったので、手持ちのハギレで縁起の良い小物を縫いつけたつるし飾りを贈る習慣...つるし雛(連載―426)

  • 見 方 (連載―425)

    「先生は、いつお仕事するの?だって、いつも僕と遊んでいるんだもの」保育園に通う2歳の孫の言葉らしい。子供の目から不思議なことかもしれない。こんな子供の見方に驚く。大人と見える世界が違うのだろう。45年前に外国のホテルに泊まったが浴槽の隣に便器があったのには驚いた。外人はほとんどシャワーらしいが、私はやっぱり湯に浸かりたい。お湯に浸かっていて、隣に便器が見えると違和感をおぼえる。外人にトイレはどこですか尋ねるときBathroom,と言えばいいのかRestroomと言えばいいのかどっちだろうね。Bathroomは浴槽と便器が同じ部屋だからBathroomでもいいのか、お風呂はシャワールームでいいのだな。Restroomはトイレのことだから、これで解決!日本は雨が多く山にたっぷり水を溜めているから1年じゅう水が...見方(連載―425)

  • あのよ (連載―424)

    あのよ、なによ。わかった、これは西の国の方の会話だ。私も東の国にやってきて、もう50年余りにもなる。大阪万国博覧会が始まるころ、芸術は爆発だ!故岡本太郎さんの太陽の塔が有名で、数寄屋橋公園にも小さめの塔があった。2025年にも大阪万博があるという。東京に来たときは女性にモテた。と思ったら、何だ?西の国の言葉が面白いらしい。「あのよ」と言えばあの世。奥様は東の国のお方だ。西の国の私とは生まれも育ちも天と地。もちろん、私が地の方だ。私は賽の河原でバーベキューで見知らぬ方と盛り上がり、三途の川を渡り切れず出戻り人生。三度トライしたが線状降水帯で川が増水していた。私より健康で若い方がスイスイ渡る方もいらっしゃる。三途の川(さんずのかわ)のこちらがこの世で、あちらがあの世(あのよ)です。この川を渡り切って、またこち...あのよ(連載―424)

  • ありがとう (連載―423)

    ありがとう」ってなんてここちのいい言葉なのだろう。おやすみ!明日、あなたに逢えるといいね!おはよう!今日、あなたに逢えてよかったね!こんなふうに、一日一日を言葉に出して生きられたら、いいだろうな~と思う。私の一人娘が小さいころから何になるのか、何をしたいのかはっきりしていた。そんなこと言ったって子供の言うことと思っていたが高校に入っても考えは変わっていなかった。そのうち変わるだろうとほっといていたら、自分で働き口を探して家を出て行った。かあさん(妻)と娘の仕事場所を見に行ったがざわざわがやがやと曲も流れ人も流れていた。これが娘のやりたいこととわかり賛成はできないがいうこと聞かないから傍観した。アパートに入るからと保証人にならされたり、引っ越しの手伝いをさせられたり親を何と心得ているのか何か所か働く場所も変...ありがとう(連載―423)

  • 過去 (連載―420)

    私は1951年の生まれでB型で、うさぎ年のさそり座という。巷の女性の評価は芳しくない。幼いころは、チャンバラごっこ、戦争ごっこで遊んだ。皆様もご存じない、赤胴鈴之助、トントンとん馬の天狗さん、鉄人28号、思い起こせばキリがない。戦艦大和、ゼロ戦などの模型も木で作った。少し成長して、段ボールでドラムスをエレキギターを木で弦は針金でそれらしく楽しんだ。18歳になって、東京に来る定めで、田舎者が来た。都会人がみんな賢く見えた。実際、筆記試験でもしたら絶対私が最低だろうと自信を持って言える。6年バイトしながら運よく社会勉強をした。それから、サラリーマンも5年間経験できた。姉が銀座にシャンソンの店を出すのでビズリーチで手伝わされた。それはそれは強い我儘な人で世間知らずで、弱音を見せない,昔だったら女性にしておくのが...過去(連載―420)

  • 気楽にいこう (連載ー417)

    都会の人、みんな賢く見えた。みんなと言うから、私が最低だ。忘れもしない、日比谷図書館に行ったとき、腹が空いているから臭いに敏感だ。入ると下からカレーのにおいがプーンと鼻をついた。何をするために来たのを忘れ、臭いのする方に引き寄せられた。ふと気づいたら、持ち合わせもないし、2階の自習室に階段を上った。シーンと物音一つも聞こえない賢そうな人が厚い漫画の本をひろげて読んでいた。よーく横目で見ると、象形文字のようなものを読んでいた。腹が空いたので、臭いのした地下に降りて行ってかけうどんを七味をいっぱいかけて食べた。その日は、帰った。今度は少年漫画にカバーをして難しそうな秀才に見せることを考えていた。私は、西の国から来たもので東京の味はみんな辛い。駅構内の立ち食いうどんでも醤油味で辛い。西の国は昆布味で薄い。ある店...気楽にいこう(連載ー417)

  • シブトキ者たち (連載―416)

    100万円を目標に、もし貯めたら、何かが出来るかもと思って考えていたこともあった。しかし、いつの間にか何兆円という単位で話がされている。何千万、何億、何千億円は、はした金なのかある企業の売り上げは30兆と聞くと0がいくつなのか、イチ、ジュ、ヒャク、セン、マン、10万、100万、千万ここまでは数えられるが「兆」となると未知の世界だ。ヨーロッパの遠い世界の戦は、ちょっと巷の話題から外れたが。今から100年前の当時の世界はお国の領土も広くなったり無くなったり、生きていくのにいい加減なその場しのぎの約束をしたり、密約は当たり前のようだ。条約は相手に守らせるために結ぶのが条約だ。と聞く。100年前のことだが今に通じる。日本の奈良時代から人間は私を含め考える葦が短くなっていると感じる。高齢者と呼ばれて第一次世界大戦を...シブトキ者たち(連載―416)

  • 夏の空 ! (連載―415

    市役所の有線放送で、高齢者は出来るだけ外にでないようにと言う放送があった。妻は高齢者は何歳からなのと私に質問してきた。私は、70歳からでしょうと。後で自信がなかったので、検索したら、65歳から74歳まで前期高齢者。75歳以上は後期高齢者と判明した。空を飛んで歩いていた青春時代、当時のジャケットは妻が保存していた。今は成長したのか入らない。昨日、4回目のコロナワクチンの注射をして、した方の手が痛くて今日は安静にしていたら治った。もう14年間もハンドルを握ってなかったので車の運転が怖かった。免許証の更新で妻に自主返納するよう勧められたが、こんな私にも目的があった。私が80歳には山と古民家を買って、補助金付きも、あれば利用して妻と一緒に山暮らしをしたい。街では気にしなかったが、トイレの問題があり、下山して買い物...夏の空!(連載―415

  • おばあちゃん (連載―414)

    昔、むかしの話。おばあちゃんの傍で、薄ぺらい綿の座布団の上に正座して、木魚(もくぎょう)を叩いていた。はじめは足がしびれて痛かったが何回かするうちに慣れた。毎朝の日課は家の仏様と神様にお茶、お水と塩を上げて手を合わせた。続いて近くのお堂に米を上げ、山の上のお薬師様にお参りした。おばあちゃんから、くれぐれも、人様の土を踏まないように言われていた。夏はラジオ体操で夏の終わりにはハンコの数が多い人は、鉛筆とノートをいただいた。いつも村のお堂で大きいお兄ちゃんたちとふたチームに分かれて野球の試合をしていた。ちょうどピッチャーマウンドの近くに樫の木の大木が聳え立っていた。打った打球はその大木の枝の葉っぱに絡みつき落ちてくることが大半だ。それをキャッチすればアウトだ。ボールは柔らかいものだった。木をすり抜けて、立派な...おばあちゃん(連載―414)

  • こんにちは! (連載ー413)

    私は山育ち、娘に言わせれば,とんでもない山奥らしい。お父さんは、おとぎの国の田舎もの、岩の上からドブーンと飛び込んで川遊び。夏は学校からもらう肝油(栄養補助食品)をもらう頃には、川開きで家にカバンを放り投げて川に走った。山に囲まれた、まるで原始人のようだ。低い山には登ったが、海抜1000mの以上の山には登ったことがない。ちょうど高野山が約1000mらしい。春先で車で行ったことがあるが若い坊さんが鼻を真っ赤にして🤧をしていた。義理の兄と姉が登山家で日本のいろいな山に登ったらしい。尾瀬に行く誘いしてくれた。義理の母(昔に亡くした私の実母代わりの母)が夜の暗い内から、おにぎりを握っていた。それは、それはでっかい。兄と姉について行くのが精いっぱいで何とか妻と尾瀬に着いた。こんにちは!山に登って、向こうから歩いてく...こんにちは!(連載ー413)

  • 風が吹けば桶屋が儲かる (連載―412)

    紀州に住んでいた頃(60年前)は、台風がよく来た。瓦屋根で、紐を引っ張れば屋根が開き、光が射す、昔ながらの釜戸も懐かしい。もう古い家だった。台風が来るたびに納戸(ナンド・狭くて薄暗い物置き)の戸がはずれ懸命に支えていた記憶がある。伊勢湾台風(いせわんたいふう)の、1959年9月26日。どでかい台風が和歌山の最南端の潮岬(しおのみさき)に上陸して三重、愛知、東海地方に被害をもたらし、死者行方不明者、約5000名の甚大な被害を出し歴史に残る台風となった。子供心に、紀伊水道を抜けられたら更に和歌山の被害は凄かったろう。台風の渦巻きが左周りで台風の右側が雨風が強い。これも毎年上陸する台風が教えてくれた。台風も最近は九州地方に上陸することが多くなった。いつからだろうか、気象予報士も「想定外」という言葉を連発するよう...風が吹けば桶屋が儲かる(連載―412)

  • メダカの井戸端会議 (連載ー411)

    音の速さは、一秒間に340.29mの速さのようだ。なぜか音の速さだけ覚えている。今から約60年前、アメリカと旧ソ連がキューバ危機で核戦争の寸前までになった。田舎の空に轟音が響いた。その時教わった。飛行機の速さが、音速を超えるときに発する音らしい。すっかり核のボタンを押されたものだと空を見上げて覚悟した。飛行機がマッハ2で飛んでいるとしたら、一秒間に680mの速さで飛んでいる。光にも速さがあるらしい。宇宙で一番早いものを見つけたのが、あのノーベル科学者のアインシュタインと聞く。アインシュタインはドイツからアメリカに逃れて原爆を考案したことは聞いている。マンハッタン計画に参加したのだろう。光の速さが一秒間に地球7周半進む、光速で太陽から地球まで8分かかるらしい。てことは光速はアッと驚くタメゴロウと思ったが実に...メダカの井戸端会議(連載ー411)

  • なんだか波乱バンジョー進行中! (連載―410)

    幼いころ(7歳)、勉強が大好きでみんなが放課後校庭でドッチボールで遊んでいるのに、私は教室で算数の問題を解いていた。早く解いて校庭に出たいのに出れない事情がある。生まれた頃は天才と、もてはやされていたのに地獄に落ちそうだ。思えば、簡単そうだが敵はきびしい。同じ天才仲間の回答を写したら、間違っていた。相手も地獄の入り口でさ迷っている。時間切れでも閻魔様が目の前で監視していた。もう勘弁してヨお。と泣きをいれたら閻魔様は優しく宿題をたっぷりくれた。4,5年前に、その時の天才仲間とパッタリ、スーパーで出くわした。私は、別名:介護老人だ。彼は、奥様とご同伴らしく立派な高齢者だ。二人は山奥から出てきて、こんな大都会で会うとは奇跡だ。よくわかったね?田舎のニンニクの臭いでもしてたのだろう。1+1=さすが天才バカもん。お...なんだか波乱バンジョー進行中!(連載―410)

  • こうげんびょう (連載ー409)

    私の小型電話機に、若い高齢者の女性からの呼びベルが鳴った。男女の関係はないと思うのだが、私が頭を洗っているときに、頼みもしないのに風呂場に入ってくる痴女からである。電話機の向こうで、突然、高原びょうになったとわめく。何のことかもわからず、高原だけが私の耳にのこった。私も高原らしき山に登ったことがない。そもそも高原はヨーロッパのスイスを連想する。山びこにのってヨーデルが聞こえる。日本ではウイリー沖山さんがヨーデルで有名だ。細い奇麗な声、私も自慢の声で本場テネシーの酒場で歌ったらばか受けした。雪崩(なだれ)を起こさないように遠くに響く裏声(ヨーデル)で広々とした高原の牧場で働く乳搾の牧どうに今日の終わりの時間を知らせたのだろう。小坂一也の青春サイクリング(作詞:田中喜久子さん)を思い出した。1,みどりの風もさ...こうげんびょう(連載ー409)

  • 戦争のない世界 (連載―408)

    病院から出てきて、最初に聴いたサッチモ(LouisArmstrong)のWhatawonderfulworldを聴いて、気持ち的に私にあった曲だったのか神様のように聴いていた。サッチモと呼ばれたのが、彼の口が大きいかららしい。アームストロングが生まれ育ったのは、ニューオーリンズのアフリカ系アメリカ人が多く住む比較的貧しい居住区であった。彼は子供の頃、祭りに浮かれ、ピストルを発砲してしまい、少年院に送られた。その少年院のブラスバンドでコルネットを演奏することになったのが、楽器との最初の出会いとなる。その後、町のパレードなどで演奏するようになり人気となったようだ。1971年69歳でニューヨークで亡くなられた。私も3回ニューオーリンズにもいかしていただいたが、酒に酔ってフレンチクオウ—ターを横切り、ルイ・アーム...戦争のない世界(連載―408)

  • 平和ボケのすすめ (連載―407)

    私は、1951年の昔に生まれ、世の中から、すっかり高齢者と、古い人間と呼ばれている。昔に死んだ可愛い少女は土になって奇麗な花を咲かしている。命を懸けた戦争の経験はないが、子供ごころに、大人の世界を見てきた。暗殺、大量殺りく、戦争とチャップリン、キューバ危機、核実験、放射能、おしん、鉄人28号、学生運動、などなど挙げれば印象に残ることばかり。平和ボケと外人に言われたくないが、日本は戦国の昔から内外と戦いばかりだった。平和ボケを築くには、平和な世の中を長く続ける努力をし続けなければならない。徳川の世を265年も長きにわたり平和であった。15代の将軍に引き継がれたが、中には50年も将軍の座に治まった人もいる。中断!だから、古い人間と言われるんだよ?古い人間は、新しい人間にとってすべて昔のことで、古い人間にとって...平和ボケのすすめ(連載―407)

  • ある男の物語 (連載―406)

    今から40年ほど前にさかのぼり、ある男は、人も好きずきと言われる女性を好きになった。彼女から一枚の写真を見せてもらった。バイクの方が大きいのだろうか、バイクをついた、ポッチャリと可愛い女の子。彼女は歌も上手かったが、ピアノも上手かった。学校の先生も2年ほど経験もあり、とても真面目で好かれるタイプだ。酒が好きだった。私の銀座の店で出演するようになって、彼女が出演の時は、いつもご来店いただいた。いわゆる彼はおっかけだった。座る席も彼女のすぐ近くの席に決まっている。来れない時は決まって連絡をいただける。私ではあり得ないことなんだが、彼が彼女を好きになった。このままの間柄でいいのだが、結婚したって旨くいく筈がないのに、恋は盲目だ。彼女は、男の存在を、いちファンとして見てきたが、男は呆気なく失恋した。34年目にして...ある男の物語(連載―406)

  • 3D(スリーディー) (連載―405)

    下からみたり、上から見たり、右から見たり、左から見たり、右に傾けたり、左に傾けたり、物でもいろんな角度から見えたら物の形が見えてくる。丸いのか、とがったものか。四角いものか。三角のものかも。わかってくる。3D(スリーthree-dimensional」あるいは「threedimensions」の略語であり、「3次元」を意味するらしい。テレビでも物の価値を鑑定するにしても、鑑定人が白い手袋をしていろんな角度から見て判断しているが世の中には見世物も多く出回っているようだ。私は64歳になって、かつて、手を付けなかった歴史を知ろうと年表を見た。石器時代から縄文時代、弥生時代と私の昭和時代に来るまで100年は係りそうだから、興味のある人とか出来事を飛び石で知ろうとした。織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の戦国の武将から手...3D(スリーディー)(連載―405)

  • 読み書きそろばん (連載―404)

    村にたった一軒の塾、大きなそろばんがどこからも見えた。もう使わなくなった建物にゴザ(畳のようなわらの入ってない薄っぺらな敷物)を敷いて教室らしく見立てていた。長いこと、座っていると足が痛くなる。村の寄り合いで大人たちは難しいことを話し合っていた。私の明治生まれのおばあちゃんも大正生まれの父も筆で几帳面に書いていた。ところが、私には達筆すぎて読めない。大人は読み書きそろばんと言われるが、農家でも肥料の量とか、反あたりの収穫量を計算していた。昔は、雑貨屋さんの商売している方も多く、おばあちゃんが、そろばんを使って商売していた。本来の意味は、「読む」とは、相手の伝えたいことを正確に読み取ること。「書く」とは、自分の伝えたいことを正確に表現すること。「そろばん」とは、数字をきちんと把握し、正確な答えを出すことだそ...読み書きそろばん(連載―404)

  • Hey, You Know What? I started studying English conversation (連載ー403)

    バカだなあ、今は日本語をフランス語でもドイツ語でも通訳してくれる便利なアプリがあるの知らないの?ほんとだ!便利どころか私よりはるかに賢い。外人だけなら、知っている単語をならべて身振り手振りで意思疎通も出来ると思うのだが、その中に、一人でも日本人がいればテストされているようで萎縮する。「外人」という言葉も戦後アメリカ兵を屋根裏から覗いていた私だけの、なごりのような気がする。現在は、英国、ドイツ、フランス、アジア、インド、アフリカ、の方々も身近に見られる。私の外人はアメリカ兵だ。かつて、アメリカに、なんども行く機会をいただいたが言葉が話せない聞き取れない。なんだ,ほとんどが簡単な単語で話されている。サッカー選手でもイタリア語でインタービューに流暢に話されている。かつては、通訳を介して話されていたが、さすが、生...Hey,YouKnowWhat?IstartedstudyingEnglishconversation(連載ー403)

  • 近江商人の「三方良し」 (連載―402)

    長男が42歳、私が70歳。見て見てと新築を建てている現場を見に行った。天井が高くて最初に気に入った。目的は今は使っていないピアノをリビングに運んでやりたくて床の補強をする工事の打ち合わせに来た。今は重いピアノは要らないだろうと判断した。鍵盤は同じだが電気で音がなる。便利でもっと軽いピアノがある。長男の携帯に担当者が書類を渡したいので40分ほどお待ち願いたいと連絡だ。私は孫と遊んでいるので待つことは問題なかった。あっという間に時間が過ぎ、途中、担当者から車の渋滞の報告もありお会いできた。お歳は50半ばに感じた。地味な様相で、黒いカバンの中から書類をとりだした。名刺も妻と2枚頂いた。目線も商売気もなく一連の仕草は地味に感じた。後で、長男から聞けば、この会社のレジェンドだそうだ。昔、浅草の寅さんの映画で観た近江...近江商人の「三方良し」(連載―402)

  • 赤穂浪士、忠臣蔵(連載―401)

    古い、ふるい、実に古い。私が和歌山の山奥から東京に来た頃は東京にもよく雪が降った。1969年ころだ。みんな生まれていないようだが、私の田舎にも雪が降った。東京の暮れともなれば、忠臣蔵を思い出す。大石内蔵助47義士の仇討ちで、三波春夫さんの歌を聴いて満足して、除夜の鐘で暮れた。赤穂浪士の討ち入り事件は、ず~と昔の話と思っていたが、320年前の江戸時代の話のようだ。昔の話は誰も聞きたくないだろうから、江戸時代にこんなことがあったんだって。兵庫の赤穂藩主浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)が江戸城の松之廊下で愛知の吉良上野介(きらこうずけのすけ)に斬りかかった事件だそうだが。徳川第五代将軍の徳川綱吉が浅野内匠頭の所領を没収し即日切腹を命じたが、吉良上野介はおかまいなかった。1年後、大石内蔵助率いる47義士たちが吉良...赤穂浪士、忠臣蔵(連載―401)

  • こんな筈じゃ (連載―400)

    机の前に小さな地球儀を置いてある。物事の見方のヒントを地球儀に教わっている。「こんな筈じゃ」は、自分の意図したことと逆な結果が出る時に私は使っていた。それが自分にとって、悪かったのか良かったのかは別物だ。地球儀を見ていると、いろんな見方ができる。昔からお日様が東の空に出て、西の空に沈む。気分次第で、地球儀を反対にまわしたら、お日様が西の空に出て東の空に沈む。都会に住んでいると西も東もわからない。来年は、お日様が西の空に出て東の空に沈む年だったら、夏の東日が射して、反対の部屋が暑いだろうに。世界は小麦が不足して食糧危機で、特にアフリカの子供たちの命がひっ迫していると聞く。そんな時に、日本では小麦粉の代用として米粉のパンを作っていた。米粉のパンは昔に聞いたことがあったような気がしたが、米粉の方がアレルギーとか...こんな筈じゃ(連載―400)

  • おたまじゃくしはカエルの子 (連載―399)

    オタマジャクシって知っている?知ってるさ!カエルの子でしょう。よくそんなことで、36年間も銀座で人が歌う伴奏やってこられたね。本人もごもっともと感じている。54年程さかのぼり、私が確か、中学の頃、ブルーコメッツのブルーシャトーという曲が流行っていたころ、🐔小屋だったのを私の匠で作った私の部屋に大小の段ボールで集めてドラムらしきものを作った。その頃、親父が全財産を集めて観音開きのステレオを買ってくれた。ベンチャーズのエレキギターの音にしびれた。あんな田舎にエレキバンドが出来た。窓越しに練習を聞いていた。リードギター、サイドギター、ベースギター、ドラムスと音が重なり合って心地良い夢の世界だ。家に帰り、親父が買ってくれたステレオをガンガンならし、大小の段ボールで音の再現だ。周りのものをみれば、なんでも楽器になる...おたまじゃくしはカエルの子(連載―399)

  • 19世紀(1801~1900) 20世紀(1901~2000) 21世紀(2001~2100) (連載―398)

    私は1951年生まれだから20世紀に生まれて21世紀は進行中。20世紀の戦争の体験はないが、見るものすべて珍しく印象的だ。「おしん」ではないが、真珠の白玉に糸を通す内職でこずかいを稼いだ。鉄くずを集めて売ったがこずかいにもなった。土方も、重いコンクリートのブロックも一輪車に乗せて運んだ。足で踏んだ洗濯から洗濯機、テレビも2チャネルしか映らなかったが東京オリンピックも見た。大阪から東京駅まで3時間のひかり号。電話も手で回して交換台の人を呼び出して相手に繋いでいただき話が出来た。アメリカとの衛星放送の始まりにケネディ大統領の暗殺報道。旧ソ連とアメリカ合衆国とのキューバ危機などと私のちっぽけな脳みそに収まっている。放射能の雨にもあった。20メガトンの原子爆爆の威力。みんな珍しいから今もはっきり覚えている。私の2...19世紀(1801~1900)20世紀(1901~2000)21世紀(2001~2100)(連載―398)

  • 19世紀(1801~1900) 20世紀(1901~2000) 21世紀(2001~2100) (連載―398)

    私は1951年生まれだから20世紀に生まれて21世紀は進行中。20世紀の戦争の体験はないが、見るものすべて珍しく印象的だ。「おしん」ではないが、真珠の白玉に糸を通す内職でこずかいを稼いだ。鉄くずを集めて売ったがこずかいにもなった。土方も、重いコンクリートのブロックも一輪車に乗せて運んだ。足で踏んだ洗濯から洗濯機、テレビも2チャネルしか映らなかったが東京オリンピックも見た。大阪から東京駅まで3時間のひかり号。電話も手で回して交換台の人を呼び出して相手に繋いでいただき話が出来た。アメリカとの衛星放送の始まりにケネディ大統領の暗殺報道。旧ソ連とアメリカ合衆国とのキューバ危機などと私のちっぽけな脳みそに収まっている。放射能の雨にもあった。20メガトンの原子爆爆の威力。みんな珍しいから今もはっきり覚えている。私の2...19世紀(1801~1900)20世紀(1901~2000)21世紀(2001~2100)(連載―398)

  • 19世紀(1801~1900) 20世紀(1901~2000) 21世紀(2001~2100) (連載―398)

    私は1951年生まれだから20世紀に生まれて21世紀は進行中。20世紀の戦争の体験はないが、見るものすべて珍しく印象的だ。「おしん」ではないが、真珠の内職でこずかいを稼いだ。鉄くずを集めて売ったがこずかいにもなった。土方も、重いコンクリートのブロックも一輪車に乗せて運んだ。足で踏んだ洗濯から洗濯機、テレビも2チャネルしか映らなかったが東京オリンピックも見た。大阪から東京駅まで3時間のひかり号。電話も手で回して交換台の人を呼び出して相手に繋いでいただき話が出来た。アメリカとの衛星放送の始まりにケネディ大統領の暗殺報道。旧ソ連とアメリカ合衆国とのキューバ危機などと私のちっぽけな脳みそに収まっている。放射能の雨にもあった。20メガトンの原爆の威力。みんな珍しいから今もはっきり覚えている。私の20世紀は繁栄と変化...19世紀(1801~1900)20世紀(1901~2000)21世紀(2001~2100)(連載―398)

  • 小さなメダカ(連載―396)

    見えてきた。いるんじゃないか。水の中をしばらく見ていないとピントが合わないのか小さなメダカに会えない。こんなにたくさん生まれてどうするのか、長男の嫁が「お父さんメダカの商売でもするんですかと昨年言われたことをおもいだした。一匹で何万もするめだかもいるようだ。2年前に妻が12匹のメダカを貰ってきた。子供の頃、川で見たことがあるが一緒に暮らすとは思いもしなかった。メダカの平均寿命は1年と調べた。金魚のように水を綺麗にする機材と貯槽でも必要だろう。面倒だ。水の取り換えは、水道の水をバケツに汲み置き一日ほど寝かす、その水を補充するようにしている。2,3日に一度程度だ。妻は一年と寿命を聞いて、大切にしなけりゃと私にも責任をもたせた。もう、メダカの腹も膨れているし、みんな妊娠しているようだ。ジイジ一匹のメダカが鬼のよ...小さなメダカ(連載―396)

  • 考える葦 (連載―397)

    葦は田んぼに水を引くための貯水池に生息していた。ススキのようで水を綺麗にしてくれている茎がツルツルして硬かった。背が高くてしぶとい。17世紀、フランスのパスカルの「考える葦」の言葉らしいが、最近になって私も考えることを知った。葦は弱そうだが集団となってかかってくる。これで考えることを知ったら自然界でも逞しく生きていける気がする。私も子供の頃から数えて70年も生きているが山奥の田舎から東京に出たが都会人はみんな賢く見えた。分厚い漫画の本に表紙を変えて持ち歩き賢そうに見せた。「資本論」と言えばドイツのどいつだ。160年程前、カール・マルクスが書いたらしい。お父さんが会社を経営して立派な資本家だった。フリードリヒ・エンゲルスの協力で「資本論」を完成させた。最初はあまり売れなかったらしい。マルクスの資本論は世界の名著の...考える葦(連載―397)

  • へ~え❣ (連載―395)

    山奥の村から東京に出てくる運命だったのか何も考えずに汽車に揺られて大都会東京に来た。銀座は海を埋めたてて作った町と聞いているが昔に生まれていないから諸説がある。歴史によりますと徳川家康は豊臣秀吉に領地換えをさせられ静岡の駿府から葦(アシ)の生えた辺ぴな江戸に来た。家康は怒った素振りを見せず一から江戸の町を作った。今は東京の街も大都会だが、町は水の確保から人を住ませるようにそれはそれは大変だったようだ。江戸城も作らなければならないし家康は貧しい漁村であったところを大そう気に入っていた。海の沿岸には日比谷の入江もあった。船が航行できるように海を深く掘り、材木を運んで築城したようだ。江戸の町を東京湾や房総半島を縮小した地図を描けば意外と分かり易い。日比谷の入江も神田(駿河台)の山の土を埋め立て、銀座も突き出た半島を京...へ~え❣(連載―395)

  • プーチンと黒田官兵衛 (連載―394)

    今、世界の目がプーチン大統領に向けられているのに私のような若造がとやかくいう知識もないのにおこがましいが片隅にきいててください。ロシアに行ったことはないが寒い所のようだ。白い北極クマが毛皮のコートを着て現れそうだ。人口は日本とほぼ同じで、昔からロシアは広い国土である。万里の長城のような壁をつくって国を外敵から守りたいが広すぎる。ふと、黒田官兵衛を思い出した。日本の戦国時代、今から550年程前、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、この3人に最も頼りにされ、最も恐れられた軍師だった。姫路に生まれた黒田官兵衛孝高という軍師は東に織田信長、西に毛利輝元のどちらが天下人になろうかの選択の判断は天性のもののようだ。プーチン大統領は元スパイと聞く。007の登場だ。どんな教育をされたのだろう。プーチンに睨まれたら恐ろしい。一方、ウク...プーチンと黒田官兵衛(連載―394)

  • 歴史は繰り返される(連載―393)

    私がまちがっているかもしれない。何回も書き直した。その日によって思うことが違う。70才のおじいさんがさまよっている。妻と3人の子供と嫁さん2人と婿さん1人、孫3人の私と含めて11人。今は妻と二人暮らしだ。今日は長男から夕食を何処かで食べようと電話があったようだ。近くにオープンした焼肉店らしい。お父さん口にいっぱい入れて喋らないでくれると注意された。肉が堅くて最初に口に入れた肉が飲み込めなくている。妻は孫には小さく切って食べさせていた。周りは若い家族づれで外まで並んでいた。ソフトアイスが美味しかった。ごちそうさまでした。ここだけの話ですがあんな硬い肉ははじめてだった。長男は私がよく連れて行った焼き肉店の名前をちらっと口に出していたが、若い家族づれは一生懸命生きている子育てしている。心の中で応援したくなった。突然、...歴史は繰り返される(連載―393)

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