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ピリケンさんになかつ道寺。 https://blog.goo.ne.jp/fdfhm086---ybb

昔、アメリカから来た利根運河の福の神。ピリケンさん 40年前、西の国(和歌山)から流れてながれ流山

ソウダイさ〜ん
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2018/05/12

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  • 比叡山 【連載ー第548号】

    現在は、「信仰の自由」と憲法で保障されているので、信じようが信じまいが各自の勝手だ。世の中が、ここまでになるには、長―い年月と多くの人の知恵がはたらいている。人は病気にもなり、しわも出来、歳もとり、誰もが避けることができない死を迎える。友人から同窓会の集合写真を送っていただいたが、誰一人として面影がなく戸惑った。日本の3霊山は、青森の恐山・滋賀県の比叡山・和歌山県の高野山と知った。70年前から祖母の傍で木魚(もくぎょう)を叩いていたので仏様もお経も覚えている。遠い昔からみんなそうだと思っていたから、平安時代と言えば、みやこ京都だ。街あるく人は今も、お公家様に見える。平安時代の庶民は読み書きどころかお米づくりにせいをだし、信仰は許されなかった。そんな余裕もなかったかもしれない。そんな世に、最澄和尚は、中国の...比叡山【連載ー第548号】

  • 恐山(青森県) (連載―第547号)

    誰がなずけたのだろうか「おそれざん」と恐い名前だ。日本の三大霊場の一つに恐山がある。まさに、極楽と地獄を思わせる。それとも御殿場にある地獄谷のように実際の地獄模様なのか。恐山は活火山でカルデラ湖であり宇曽利山湖の湖畔には、日本三大霊場の一つである恐山菩提寺が存在する。霊場内に温泉が湧き、共同浴場としても利用されているらしい。そもそも、弘前をひろまえと読んでいた私がばかだった。ひろさきと聞いて感激した。今も、頭の中で回転させ「ひろさき」が出てくる。三途の川に赤い橋が掛かっている川幅が狭く、宇曽利湖に注いでいた。私が夢で三途の川をみた。川幅が広く中州もあった。ここには橋も掛かっているから、橋を渡った人も居たのだろう。尋ねると、急流に流されながらようやく向こう岸に泳ぎ着いた人。浅瀬を渡る人。橋を歩いて渡る人。の...恐山(青森県)(連載―第547号)

  • 色・色・空・空の旅 (連載―第546号)

    ある作家が、北鎌倉のお寺さんに入られたと伺ったが、てっきり仏門に入られてお坊さんに成られるのかと思った。ところが、お亡くなりになり、お墓に入られたらしく私が勘違いしたようであった。以前に、このお寺さんを知ったが、歴史を感じさせる静かなたたずまいだ。これは、お買い得ですよ。極楽浄土には、ふさわしい物件だ。だって、極楽浄土もあるかわかないのに投資と思えばあの世も金次第のようなだ。ところで、色(しき)ってなに?空(くう)ってなに?昔に亡くなったおばあちゃんから聞いたが、色は形あるものを表すし。空は無を表すと言う。幼い頃から、おばあちゃんの傍で木魚(もくぎょう)を叩いていたもので、耳からお経を覚えていた。その中に、色と空がでてきた。形あるものはいつか消えるものだと言う。立派な豪邸でもいつかは腐ってなくなる。人間の...色・色・空・空の旅(連載―第546号)

  • オッペケぺー (連載―第545号)

    ♪権利幸福嫌いな人に自由湯をば飲ませたい……♪という唄い出しで有名な「オッペケペー節」選挙制度を一つとっても長年、人のご努力で変わってきた。国は一部の人によって動かされてきた。清き一票さえも夢物語。国の制度は一長一短ではかえられない。一票を得るには、何十年も先人のご苦労を感じる。政治家に国民の血税を勝手にさせない、賢い国民でありたいが、政治家は、国民を将棋の駒のように扱うのが得意だ。引き金をひかされないように。現代の選挙は、18歳以上の男女であれば誰でも投票出来るが、以前は20歳だったが、最近の選挙制度の改正で18歳になった。社会科で習ったが、衆議院の任期は4年で解散のたびに選挙で改選される。参議院の任期は6年で、3年ごとに半数が入れ替わる。立候補できる年齢は衆議院議員は、満25歳。参議院議員は、満30歳...オッペケぺー(連載―第545号)

  • オッペケペー節

    ♪権利幸福嫌いな人に自由湯をば飲ませたい……♪オッペケペーオッペケペーオッペケペーポーペッポ・ポー1,かたい裃角とれてマンテルズボンに人力車いきな束髪ボンネット貴女に紳士のいで立ちでうわべの飾りはよけれども政治の思想が欠乏だ天地の心理がわからない心に自由の種をまけオッペケペーオッペケペーポーペッポ・ポー2,亭主の職業は知らないがおつむは当世の束髪で言葉は開花の漢語にて晦日の断り洋犬抱いて不似合いだおよしなさい何にも知らず知った顔むやみに西洋を鼻にかけ日本酒なんぞは飲まれないビールにブランデーベルモット腹にも馴れない洋食をやたらに喰うのも負け惜しみ内緒でそーっと反吐ついて真面目な顔してコーヒー飲むおかしいねおかしいねオッペケペーポーペッポ・ポー3,米価騰貴の今日に細民困窮省みず目深にかぶった高帽子金の指輪に...オッペケペー節

  • ジョン万次郎 (連載―第543号)

    私のあだ名はまんろうさん、時には、ジョン・まんじろうと同級生から呼ばれた。だから、詳しくは知らなかったが、親しんだあだ名だ。土佐(高知県)の貧しい半能半漁の家に生まれ、万次郎が9歳のとき父が亡くなり、また、母と兄が病弱であったため、幼い頃から働いて家族を養った。学校も行けず読み書きも当然出来なかった。ある日、いつものように、小船で仲仲間5人で漁にでた。ところが、途中、海が荒れてきて、港に帰ることが出来なく、10日間も漂流して、遥か南方の鳥島に流された。鳥島は、日本から南に約600キロの所にある島で、渡り鳥のアホウ鳥が生息していて水も多少でた。ジョン・万次郎の5人は、アホウ鳥の生肉を食べて、5ケ月間生き延びた。そんなところにアメリカの捕鯨船が通り、船長:ウイリアム・ホイットフィールド率いるアメリカの捕鯨船ジ...ジョン万次郎(連載―第543号)

  • 二宮尊徳 (連載―第542号)

    この人誰?と聞く耳をもたないだろうが、昔むかし私が小学生の頃、学校の門で薪(まき)を背負って、朝早くから立たされていた。触れて見ると、冷たく固まっていた。可哀そうにどんな悪いことをして立たされているのか、私も喧嘩(けんか)してイスをバラバラに壊して廊下によく立たされた。今に女の先生のお名前を憶えている。(ち・・・・・)とね。半世紀(50年)も過ぎると、少しは考える事を知ったのか、あの立たされている人を見ると「勉強しなさい」と言われているように感じる。「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」と誰かが言っていたが、てっきり、人は生まれながら平等だと言っていると思っていた。ところが、世は平等ではなく、学ぶことで平等を知ると言われた。忙しいのに、「そんな時間など無いよ」と聞こえるが、1秒の時間もやりくりして...二宮尊徳(連載―第542号)

  • 喜怒哀楽 (連載―541号)

    歌舞伎の役者のお名前か、浮世絵師の方のお名前のような、しなやかな風貌のようだ。喜怒哀楽(きどあいらく)、喜び、怒り、哀しみ、楽しみ、巷で流行っている4文字述語だ。私が情緒不安定だったころ、はじめて、小学6年生のころ、目にした漢字だ。私が遅れているのだろう。私にも、かわゆい子供のころもあった。72歳の子供だったら、ギネス入りだ。「喜」と「楽」よろこび、たのしみは同じ感情だと思うが違うという。前シャは、受験などに合格した喜び、後シャは、憧れの彼女とデイトしている楽しみのようだ。喜怒哀楽には、賞味期限もあるようだから、期限内にお召し上がりください。私の脳みその記憶では、365日前までは最近だ。後はみんな昔に、占拠されている。3日前の昼食に何を食べたかと聞かれると時間の猶予がほしい。今に、限ったことではなくて、二...喜怒哀楽(連載―541号)

  • 間宮林蔵 (連載―540号)

    むかし、昔、北の寒い寒いところのお話。シベリアと樺太(カラフト)が陸続きで繋がっているか、それとも樺太が単独の島なのか。樺太が幕府の管理に決まったもので、ロシアとの国境をはっきりする必要がおこりました。そのために、函館奉行所は、測量のできる松田伝十郎と間宮林蔵の二人に樺太の調査を命じた。世界中がどっちなのか、それをはっきりするために、1787年にフランスのラ・ペリーズが、1797年にイギリスのブロートンが、さらに、1805年には、ロシアのクルーゼンシュテルンが樺太の探検にやってきた。ところが、海峡近くまで、きながら、その地点を測量することなく、望遠鏡でながめて、「樺太とシベリアがつながっているようだ」と結論をだしてしまいました。そのため、ヨーロッパ人たちは、樺太はアジア大陸の一部であると信じていました。1...間宮林蔵(連載―540号)

  • 親鸞って、しんらん (連載ー539号)

    私が死んだら、どこに埋められるのか,どんなお経で葬られるのか念の為、兄に尋ねた。頼りの兄も判らない。答えは後日となった。兄は、5人兄弟で一番、美男子で成績も優秀だ。後日、兄がお寺に行ってお坊さんに聞いたようだ。法然の浄土宗と判明した。死んだら、どんな形式で葬式をするのか、どこのお墓に入れてくれるのか墓石の手配もしなければ、気になっていた。無宗教という人のお葬式に参列したがお坊さんも、いなく、お経もなく、ただ、荼毘にふされ、故人をふりかえる時間もなかった。極楽浄土も行ったことがないし、ワシャ、しんらん。「どなたか、この子を生き返らせて下さい」と死んだ我が子を抱いて町をさ迷っている母親。「私は、その子を生き返らせることができます」と、「ただし、死人をお一人も出していない家のケシの実を貰ってくるように」と見知ら...親鸞って、しんらん(連載ー539号)

  • 東海道線鈍行の旅 (連載―538号)

    「久しぶりだね。宇宙人になってもう何年過ぎた?」耳も宇宙人らしくバカでかく。昔の友はA型で、ボケは,もちろん友だった。「君は変わっていないね」変わっていないと言われた私は地球人。「変わったさ」町のウインドウにうつされる我が身を見て、嫌になることがある。この前までは水谷豊と思っていたのにこのザマ―だ。「奥様は、宇宙人」と話しかけても無反応だ。宇宙弁は話せない。UFOらしき円盤に乗って来たらしいが、スピードが速そうだ。「ところで、先の奥様はどうしたのかね?」「そうなんだよ、病気になって、アッと天国に行っちまって」あんなに、大柄で元気な人だったのに、人って、普段、どこが悪い、ここが悪いと医者通いの人ほど長生きする。「君は、宇宙を飛び回って、命をまっとうしている」4月に、生まれ故郷に帰る予定だがUFOに乗せてもら...東海道線鈍行の旅(連載―538号)

  • テイクアウトっていいじゃナ~イ (連載―537号)

    ゲッツ!いい人だったよなあ。まだ亡くなられていない。突然、あらわれて、「ゲッツ!」訳もなくGetOutする。いいじゃナ~イテイクアウトは、死語だと思ったが、今更、古―い人間が持ち出して新語にされた。「これ、テイクアウトして下さい」と言えばめだたない。これ、食べきれなくて、自宅に持ち帰りたいのですが。「お持ち帰りですか」と簡易な入れ物に移してくれる。「はははっはー~」これってマジ~和製英語ですか?25年ほど前、アメリカに行った時、近くのホテルで朝食を食べに行った時、バンキング(北欧に住んでいたノルマン民族が略奪した食料を船に並べて食べ放題で食べていた。その映像が私の脳裏に残っていて食べ放題となった。)ですかと尋ねたら無反応だった。私より、上手が居た。ある温泉ホテルで食べ放題のシステムを知って、ある団体客がビ...テイクアウトっていいじゃナ~イ(連載―537号)

  • おとぎ話 (連載―536号)

    お父さんの田舎は、おとぎの国のようなところだ。海を初めて見たのが小学生の遠足だ。広―い広―い海、塩辛―い海水、こんなに塩辛ーいと台所の塩をいくらふりかけても足りない。こんなに海が大きいと、よその国には行けない。関所は、なかったが、村ごとにガキ大将の砦(とりで)があった。大人の自転車を横乗りして、冒険というか海を見に行った。砦を何箇所か通過するのに御代官様にお菓子の手土産が必要だった。港には、貨物船が横づけされており、忙しく大人が行きかっていた。赤色と青色が目に残っている。この船に乗れば、よその国に行ける、塩の香りも漂っている。帰りは、途中、食堂に寄って、キャベツとメリケン粉(小麦粉)だけのお好み焼きを食べた。ソースが美味しかった。帰りの関所はスムーズに帰れた。天気予報は、雲の動きを見て、雲が北から南に流れ...おとぎ話(連載―536号)

  • 勝 海舟 (連載―535号)

    「海から来る敵は、海でふせがなければなりません。そのためには軍艦が必要です。軍艦が必要です。軍艦をつくる費用は、外国との貿易で利益をあげれば・・・・・」勝海舟の父は旗本で、旗本の中でも低い身分であまり、裕福な家庭ではなかったようだ。その点、私と同じだ。違いを見つけているのだが、勝さんは都会育ち、私は山奥育ち。肉体は田畑山、村の駐在所の巡査に柔道を習って鍛えているから私の方が勝っているようだ。脳みそは根本的に違うし鍛えていないから勝さんが勝ちのようだ。しかし、勝さんは剣道場で厳しい修行に耐え、真剣勝負の世界で鍛えられているし、その過程において人を見る目がやしなわれたのだろう。幼い頃、犬にも噛まれあまりの傷口の大きさに医者もタジタジ、父親は刀を抜いて「さあ、医者なら肝っ玉を据えて傷口をぬうのだ。麟太郎(勝さん...勝海舟(連載―535号)

  • ある会社のカレンダー (連載―534号)

    「ニャンとすてきな一日だ」日めくりカレンダーは今もあるのか日本の旗は簡単に書ける。白地にうめぼしの紅色をまん丸に書けば出来上がる。遠くから見てもめだつ。昔、聞いたところによりますと、ある国が日の丸を譲ってほしいと言う。飛行機の機体に丸い赤をえがけば、遠くからで自国機とわかるからだそうだ。アメリカの国旗をTシャツにデザインして描けば街中でも着れる。日の丸をデザインしなくてもTシャツに描いて街中をかっ歩すれば人は変なめつきだ。昔、日めくりは、一日の長さがながい時に重宝した。お風呂を沸かすのも井戸から水をバケツに汲み、お風呂に入れた。新聞紙をお年寄りのしわのように丸め、小枝を上にかぶせ、牧に火が移れば、しばらく火の見て、いい湯加減になれば完了だ。もちろん五右衛門風呂だ。サツマイモがあれば灰に中に入れ、焼く。兄弟...ある会社のカレンダー(連載―534号)

  • 安珍・清姫物語 (連載―533号)

    むかし、紀ノ國(和歌山県)のある宿屋に、それはそれは奇麗な娘(清姫)がいた。毎年、奥州(岩手県)白川からくる若い山伏(お坊さん)(安珍)にひとめ惚れでもしたのだろう。今年も、那智大社に参詣の為、清姫の宿(紀州牟妻群の真砂、庄司清重の家)に宿泊する。安珍も若いイケメンだ。器量のいい清姫に、将来は妻として白川に連れて行こうと言ったもんで、若い清姫は信じていた。確か、昔は、お坊さんは一生独身であり続けなければならない。今は変わって、結婚もok、肉も魚もokのようだ。安珍は、例年のように、清姫の宿に泊まった。その夜は長旅で疲れて、早く眠りについていた安珍が、芳ばしい香りと衣擦れの音で、目をさました。ほのかな灯りに目をこらすと、清姫が枕元に座っていた。「清姫さま、どうなさいました」「安珍さまに、あいとうて、お傍にい...安珍・清姫物語(連載―533号)

  • 人生って 不思議なものですね (連載‐532号)

    小澤征爾さんの、訃報に、心からご冥福をお祈りいたします。お顔の表情と体の動きが、オーケストラと一体となって、まるで、自ら、楽器を演奏しているかのように、音を表現しておられた。命のリレーなんだろう。シャンソン歌手、日高なみと40年も、銀座6丁目でシャンソンの店をお手伝いをさせていただいた。最期は、2回目の脳梗塞でお亡くなりになった。幼い頃から芸事が好きで、宝塚出身の先生の影響でシャンソンとのであいで歌手になった。一曲の譜面を持って、シャンソンの登龍門のオーディションにでかけて、銀巴里のオーナーの直々の審査に合格して、その日から唄へと言われ、その日は同じ歌を歌ったようだ。当時、銀巴里では、丸山明弘さん、フランス人と間違えた故高野圭吾さん、津軽なまりでシャンソンを唄っておられた故工藤勉さん、の指の先まで表現して...人生って不思議なものですね(連載‐532号)

  • 北条時宗 (連載―531号)

    北鎌倉の円覚寺では鎌倉時代に元寇で戦死した日本の武士と元軍(モンゴル・高麗等)の戦士が、分け隔てなく供養されている。北鎌倉の円覚寺は、作家;開口健(かいこうけん)が永眠しておられるお寺だ。亡くなられて久しいがまたお目にかかった気分だ。鎌倉幕府第五代執権(将軍の補佐をし、幕府政治のすべてをきりもりをする最高位の役職)の北条時頼の子の北条時宗は、17歳の時に第八代執権職になつた。鎌倉幕府も将軍との確執で北条時宗も鎌倉を離れられなかった。そんな時に、モンゴル(元軍)と高麗軍が二度にわたって日本に攻めてきた。チンギス・ハンの孫のフビライ・ハンが朝鮮の高麗を征服して、モンゴルも中国との南宋と戦っており、火薬の原料の硫黄(いおう・火山があったので硫黄がとれた)が日本からに輸入していることもあり、日本を征服の必要性もあ...北条時宗(連載―531号)

  • 千 利休 (連載―530号)

    千利休は戦国時代から安土桃山時代にかけて活躍した茶人とある。下剋上の世の中、誰にも天下人になれる機会もないだろう。それが堺の豪商に生まれ、「富と空」をすなわち天と地をあじわった青年。わび茶という世界を造った茶人であると解釈している。近くの公園に茶室があり、はじめてお茶を頂いた。茶室はシンプルで何の飾りもなく、可愛い女の子が床屋の使っているような茶筅で泡立ててお茶を頂いた。泡をすするようにのんだ。苦いと思ったが美味しかった。帰りリサイクルショップで900円の茶碗を買った。これが私の「わび茶」だ。私は徳川御三家の徳川吉宗とは今のところなんの関係もないただの紀州人だった。堺は商人のたまり場、おおきに、の言葉に堺商人の魂が籠っていた。紀の川を渡れば岸和田も大阪や。江戸時代、大坂の浮世草子・人形浄瑠璃で有名らしい井...千利休(連載―530号)

  • 江戸時代のお医者さん 杉田玄白 (連載―529号)

    江戸時代が、なかったら日本は、どうなっていたのだろう。と漠然と思わせてくれる。政治は不平等条約を結ばされて、軍事も経済も医学も西洋に遅れをとっている。西洋から見ると日本は野蛮な国、国の体をなしてはいないのだろう。江戸時代は徳川幕府265年も続いた。1639年、ポルトガル船の来航禁止から鎖国がはじまった。長崎の出島にオランダの商館が移された。鎖国は、1853年、ペリーの浦賀に来航で終焉を迎えて、1867年、徳川15代将軍の徳川慶喜の大政奉還と新明治政府の王政復古の大号令で幕末となった。蘭学(らんがく)は、西洋の学術、科学、文化を研究する学問で、徳川第8代将軍徳川吉宗が鎖国にもかかわらず蘭学書の輸入を解禁してから、蘭学が盛んになった。従来、中国から伝わった漢方が日本の医術で主流だった。杉田玄白は、西洋医学書を...江戸時代のお医者さん杉田玄白(連載―529号)

  • 日本各地を歩いて、日本地図の完成をめだした江戸時代の地理学者(連載ー528号)

    「50歳から学問はじめ、日本各地を歩いて、日本地図の完成をめざした江戸時代の地理学者、伊能忠敬」と書かれているが、このような方は子供の頃から秀才と決まっている。72歳の私も、まだ20年の後に気づいても、・・・・・手遅れだ。やっぱり、算数も出来、ソロバンもでき、商才にたけていた。18歳のころ、傾いた大きな造り酒屋の伊能家の養子に入り、伊能家をたてなおし、1782年の天明の大飢饉に遭遇しても伊能の住む村は1名の犠牲者を出さなくてすませた。伊能さんの功績だったのだろう。私も、今は千葉県に住んでいるから伊能忠敬さんとは同県人だ。学生時代、測量のアルバイトに千葉県柏の山に出かけた。大鷹の鳴き声もする田舎だ。測量の望遠鏡を覗いている人はいいか、私は望遠鏡を覗くのに邪魔をする範囲の竹藪や木々を伐採する仕事だ。柏も今は、...日本各地を歩いて、日本地図の完成をめだした江戸時代の地理学者(連載ー528号)

  • ウクライナ、ロシア同じ国だったのに (連載―527号)

    つくづく日本は、温暖で海に囲まれ島国に生まれてよかった。海にも川も魚が獲れるし、山には山菜も木の実も採れる。水は豊富で新鮮だし、お風呂も毎日入れる。国民は、大和民族で、アイル、琉球とがいらっしゃるが、ほぼ単一民族だ。地球上は、凍り付く寒さの場もあれば、熱い砂漠の場もある。食料も豊富に収穫できる土地もあれば、輸入に頼らないと生きてゆけないところもある。その住む条件で人の性格も違うようだ。戦争の時は、勝っているとフェイクを流し、勝っているのに空襲警報が毎晩のようにある。逆らえば非国民とヤジられる。地球の大きさも百年前から変わっていないのに、地球が小さくなったのかもしれない。海は広いな大きいな、行ってみたいなよその国。画用紙に舟を浮かべて夢見た地球は大きかった。相変わらず人間同士が争いをしている。こんな狭いとこ...ウクライナ、ロシア同じ国だったのに(連載―527号)

  • イスラエルとパレスチナ (連載―526号)

    イスラエルとパレスチナを国家として承認してイスラエル軍が占領しているガザとヨルダン川西岸の両地から暫定的に撤退し、5年にわたって自治政府を認める。ノルウェー・オスロで合意した。(1993・8・20)ラビン首相とPLOアラファト議長とで合意された。ところが、アラファトはアラブ人に暗殺され合意は守れず、現在、ガザ地区とヨルダン川西岸地区には8mの壁が作られ、ガザ地区には、200万人、ヨルダン川西岸には100万人のアラブの人が押し込まれ劣悪な環境にいる。食料は国連が援助している。ガザの広さは、日本の種子島の広さらしい。西は、地中海だが、イスラエルの警備船が見張っている。壁を越せないように兵士が見張っている。所詮、共存は無理なようだ。現在の中東で何千人と亡くなられている。紀元前13世紀のエジプトは大国で各地から奴...イスラエルとパレスチナ(連載―526号)

  • 噓とホント (連載―525号)

    私は、今までうそをついたことがない。それはうそだ。5分間ほど考えるとあれもうそ、これもうそ、と出るわ出るわ、そんなつもりはないが白状するように、うそをついていた。私は、72年間の内、1回ぐらいのうそは、いいだろうと弁解したいようだが、1回ぐらいだと社会は許されるだろうと思っていた。日本の人口は1億だとして、日本には、1億回の、うそがうごめいている。「うそも方便」とも入れると世の中、うそだらけだ。ちょっと歩けば、道端にうそが転がっている。ついこの前も、うそに騙されそうになった。これは、うそ?と相手に聞いても、うそと応える筈がなく、電話を変わった子供にばかにされ、うそを教わった。世の中も多様化してうそと気づかない。うそのことを、巷では「フェイク」「フィクション」というらしいが、世の中の価値観も多様だし、昭和生...噓とホント(連載―525号)

  • River(ミシシッピー) (連載ー513号)

    幼い頃、田舎の川底に潜れば、流れは岩にぶつかり渦を巻く。渦が巻いていると川面に上がろうと、あたふた、もがく。こんな時は、渦に逆らわずいったん川底に潜って、渦から逃れれば、浮くように川面に出られる。「運命の別れ」川は、静かな流れで厄介だ。ミシシッピー川とは、山奥育ちの私とは出会う機会がなかったのが、カントリー・ミュージックとの出会いで太平洋を渡った。幼い頃、画用紙に描いたヨットに乗って、よその国に渡った。テネシー州ナッシュビルに着いた。まさか、広い遠い海を渡ってアメリカに来ようとは、思わなかった。「シェナンドー」とアメリカの民謡がある。約、200年前の1848年、カリフォルニア州で起きたゴールドラッシュの時に、ある男が一攫千金を狙って川で懸命に金を探すのに夢中でシェナンドーという名の娘をミズリー川で亡くした...River(ミシシッピー)(連載ー513号)

  • リンカーン (連載―522号)

    アフリカ大陸から大西洋の向こうはアメリカだ。コロンブスがアメリカを発見した。本人はインドだと思って死んだ。私も、世界地図を見ているとアメリカは広いインド洋と太平洋を越してやっとアメリカに着いた。なんだ、欧州からすると、アメリカは、すぐ、お近くだ。世界地図の見方で遠くにも、近くにも見えたりもする。船底に家畜以下に、足は鎖でつながれ、汚物は垂れ流し、異臭が、死ねば海に捨てられ、着いても南部の広い農場で奴隷として使われ夜も鎖に繋がれやっと雨をしのげる家畜小屋に押し込まれた。私も、南部のニューオリンズで黒人が住んでいた小屋を見たが酷いものだ。北部は、比較的裕福で鮭を取って暮らしていた。南部は、広い農場で綿畑のコットンを欧州に売って生活していた。そのためにアフリカの黒人奴隷が必須だ。リンカーンは北部のケンタッキー州...リンカーン(連載―522号)

  • ダーウィン「進化論」 (連載―521号)

    「人間はサルから進化ものだ」昔から、「人間は神がつくったものだ」と信じていた方には許せないないのだろう。動物も初めは、一緒だったのに、長い間、自然環境の違いで生きていくのに一番適したものに変わり、時間をかけ動物は進化してきた。これが、ダーウィンの言った進化論か。すっぱいミカンも私は好きだが、甘―い皮のうすいミカンでないと食べてくれない。品種改良で甘いミカンと掛け合わせて甘いミカンを作った。品種改良のおかげでミカンが生き残これた。人間は万物の優秀な象徴である。ということが根本にあり、進化は、同じ種が、よりいいものに変化していく。サルが二足歩行になり人間と暮らしていると言葉も話だし字も書ける、ハンバーグもから揚げも大好物、恋も出来、人間様に進化した。進化途中の人間様も町にいてもおかしくはない。人間様は宇宙人に...ダーウィン「進化論」(連載―521号)

  • スチーブンソン (連載―520号)

    木のレールで、その上を木の車輪をつけた箱をのせ、それを人や馬で引いた。そのうち、鉄のレール、鉄の車輪に変わった。子供の頃、川が氾濫するので、堤防を補強するため、土や石を運ぶのにトロッコが使われたので河原にトロッコが錆びて置かれていた。レールの上をトロッコを押す感触は、重厚で重い荷物でも軽々と運べた。蒸気といえば、鍋の重い蓋(ふた)を沸騰したお湯が蒸気になって、軽々もちあげていた。50年以上前だろうか、東京に来るときに、大坂の梅田駅の停車場で白い蒸気をはいて夜空に汽笛が鳴り響いた。汽笛も笛と同じく人間の口で吹くのとおなじように蒸気で汽笛を吹いているんだろうと思いつつ聞いていた。汽笛は都会の音のようで悲しかった。その頃は、新幹線は開通していたが蒸気機関車で12時間もかかって東京に来た。シュシュポッポと蒸気機関...スチーブンソン(連載―520号)

  • 百年前のライト兄弟 (連載―519号)

    私は田舎育ちだったので、広い田んぼで凧(タコ)を上げていた。そよ風だと、風に乗って空高く、凧が小さく見えなくなるまで飛んだ。強風だと凧がぐるぐる回転して、頭から強いよく地面に墜落した。凧糸を引いたり緩めたりして風のご機嫌をうかがった。鳥は優雅に羽を伸ばしてとんでいる。風の強い時はバタバタ羽でバランスをとっているようだ。時には、上昇気流に乗って空高く昇り、上に上がれば下降気流で下に下りてくる。田んぼで凧を上げていると陽だしがぽかぽかしていると凧も高くあがる。空気が温まると上昇気流がうまれ、凧が高く上がれば、空気が冷やされ下降気流が発生する。凧の上げていると大気は生き物だ。町の自転車屋の兄弟は、来る日も来る日も空を飛ぶことを考えていた。周りから見ると、変わり者の兄弟に見えたのだろう。今から、100年以上前の1...百年前のライト兄弟(連載―519号)

  • 文句を言うために (連載―518号)

    投票に行くよ。最初は、寒いし、面倒だし、誰も知らないし、たかが私の一票を投票しても、問題は起こらないし、とにかく、面倒だ。妻に誘いを受けるが、私の普段の主張をしたいがために、妻からの信頼を得るために、自分のケツを叩いて投票所に出かけた。情けないと言われそうだが、とにかく、投票所に行った。あれから、30年も過ぎたか、面倒でも行けば何か気づくことがあった。お年寄りの、お仲間入りは嫌だったけど近頃は若く見える方もふえてきた。私の子供の脳のキャパが狭いのに気付いた。あんなこともこんなことも、また、あんなこともこんなことも話すとパニックを起こすようだ。さらに、あんなこともこんなことも話をしたいのに、空きがないようだからやめた。私の脳みそは、手つくりの味噌だから最後の一滴まで飲める。市販の味噌だと辛い。脳みそが、フリ...文句を言うために(連載―518号)

  • 世界最悪の旅 (連載―517号)

    世界最悪な旅と言えば、旅ではなく、冒険家・探検家の旅だろうと思う。温泉の旅と言えば私でも参加したい。いつかこんな旅が来るだろう。試される旅になるだろう。と思いつつ、ひめくってみた。出来るだけ短くと思いますが、長くなったらお許しください。ノルウェーの探検家アムンゼン、英国の軍人スコット隊長、日本の植村直巳さんを思い起こす。南極物語の兄弟犬のタローとジローを思い出す。忘れてはならない、「リキ」という名の犬なのか。そんな方は、知らんとおっしゃるが、私にとって今の世に生きている、新発見の人だ。七大陸と言えば、ユーラシア大陸(アジアとヨーロッパ)・北米大陸・南米大陸・アフリカ大陸・オーストリア大陸・南極大陸がある。わだわだ、寒いところ、高いところにいかなくてもよかろうに、北極も南極も、極楽ではなく極寒だ。さて、北極...世界最悪の旅(連載―517号)

  • ナイチンゲール (連載ー516号)

    イギリスの恵まれたお城に住み、そこのお嬢様がナイチンゲールのようだ。200年ほどの前の1920年に生まれた。ナイチンゲールはイギリスの看護師であり、世界初の看護学校の設立に貢献した。ところが、働き続けた寒い冬がすぎるころ、とうとう病気で倒れてしまいました。ただ、学校の勉強は、責任感の強い看護婦を育てるために、大変きびしいものだったそうでした。「看護婦という仕事に、誇りを持てるようにならなければなりません」この教えを守った生徒たちは、学校を卒業し一人残らず優秀な看護婦になり、看護婦という仕事の大切さと立派さを、世界じゅうの人々に認めさせました。陸軍病院も徐々に改革され、傷病兵も人間らしい治療や療養が受けられるようになった。1853年から1856年の間に行われた「クリミア戦争」でナイチンゲールと看護婦団の働き...ナイチンゲール(連載ー516号)

  • 一休宗純より (連載―514号)

    とんち話で有名な一休さんは、本当にいたの?それが、いたんだって。およそ、600年以上、昔の京都に生まれ、お父さんは、後小松天皇というから、とても身分の高い人だそうだ。室町時代の禅のお坊さんだ。それでいて、権力が大嫌いで、持ち前の頭の良さで、権力者をやりこめます。遊郭にも通い、肉も食い、酒も飲み、型破りのお坊さんだったそうだが、自殺も2度ほど図り、己をみつめ真面目なお坊さんだった。京都にくねくね曲がった七曲がりの松の木の傍に立て看板をした。この松の木を真っすぐ見たものには100万円を与える。一休と立てかけた。人々は何とかして100万をゲットしようと、この松の木を真っすぐ見ようと遠くからみたり、はしごを使って屋根の上からみたり、試みるのだがどうしても曲がった松の木を真っすぐ見ることが出来ません。さて、皆様に質...一休宗純より(連載―514号)

  • 右利き、左利き (連載ー514号)

    箸は、右手。お碗は、左手。テレビを見てたら、反対の持ち方で食べていた。私の体調が悪いのか、めまいがする。字を書いていても、鉛筆を左手に持って書いていた。左手利きで、左から右に線を書く時、鉛筆を押していた、書きづらそうで、これは、右利きの私の言い分だ。右利き、左利きは、専門家でも説明のつかないものらしい。統計では右利きは9割で、左利きは1割の確率のようだ。右手は左脳で、左手は右脳が携わっているようだ。右利き、左利きは、先祖から伝わっているものだから不思議とも考えなかった。説明が出来ないが、習慣とはこんなものか。商売をやっていて、招き猫の右手を上げている猫は、お金を招くという。逆に、左手を上げている猫は、人を招き入れると言うことらしい。いずれにしても、商売にはなくてはならない猫だ。故祖母から、箸は右手と注意は...右利き、左利き(連載ー514号)

  • 熊さん (連載―513号)

    はっつぁん、くまさんと落語でおなじみの登場人物だ。慌て者でオッチョコちょいの人気者だ。知り合いにヒグマさんがいた。30年前に、北海道出身のヒグマさん、少年野球のコーチをしていて、お互い息子も入っていた。ここのところ、熊に襲われて人間様も亡くなられたり、怪我をなすっているニュースを聞くが、熊出没に注意!となにげなく見て居たが、熊も熊の親子も腹を空かしているのか山から降りてきて民家の柿の木に登って、柿を食べている。山には栗の木も少なくなってなっているのか人間様も山の下狩りもしないから雑草も木々も伸び盛りで、また、猟師も高齢ですくなくなっているのだろう。山育ちの私は容易に想像がつく。相田みつをさんの句「いのち」を見つけた。「あのね自分にとって一番大切なものは自分のいのちなんだよだからすべての他人のいのちがみんな...熊さん(連載―513号)

  • ガリレオ・ガリレイって誰? (連載ー512号)

    地球は動かず、太陽や他の星(水星、火星、木星、金星、土星)が、地球を中心に回っている。「天動説」は古代の昔から定説とされてきた。私の幼い頃、どういう訳か、天体望遠鏡が流行って、月のデコボコしたクレーターが見ることが出来、月がま近に見えた。ガリレオのトレードマークの手作りの長い望遠鏡もオランダの眼鏡職人から教わったそうだ。あるとき、教会のランプが揺れているのをみていて、大きくゆれても、小さくゆれても、揺れる時間が同じことに気がつきました。家に帰りさっそく実験にとりかかりました。同じ長さのひもを,なん本も天井からつるし小石を結び付けて、なん回もなん回もゆらしてみました。自分の手首の脈で、時間をはかり、どのふりこも、ゆれかたが小さくなっていきますが、左右にゆれる時間は、ゆれかたが大きい時も小さい時も、かわりあり...ガリレオ・ガリレイって誰?(連載ー512号)

  • 地球はまるいよ (連載ー511号)

    私が生まれた時から、地球がまるいと聞いている。30年前だろうか流星群が見えると聞くから、子供を連れ布団を持って、筑波に行った。子供には明日、学校を休んでいいからと深夜まで星をみていた。寒いから温かいおでんを買って筑波の暗闇を探して布団をしいた。ぼそぼそ周りから話声が聞こえるのできっと流れ星を見に来たのだろう。白い煙を吐きながら流星があっちもこっちに見えた。宇宙は明るく輝き宇宙船から宇宙飛行士、毛利さんが手を振ってくれた。地球のまるを感じながら夜空をみていた。地球は卵のようにまるいというからまるいんだろう。もし、引力がなかったら木につかまっていないと、滑り落ちる角度だ。地球が円盤形であったら、一番端は、日光の華厳の滝のようで、滝壺に真っ逆さま。水は雨となって循環するのだろう。アメリカ大陸はコロンブスが発見し...地球はまるいよ(連載ー511号)

  • 与謝野晶子 (連載―510号)

    昭和39年は、第1回目東京オリンピックが、東京で開かれた。オリンピック景気と日本では景気がよかった。白と赤のお揃いのベレザーを着て、国立競技場を一糸乱れず行進する日本選手。正面に来ると、右手をかかげてハツラツと行進する光景は私の目に焼き付いている。私は、田舎育ちで、その当時、女性と並んで歩いていると不良と白い目でみられた。明治37年と言えば、日露戦争の当時、与謝野晶子が「みだれ髪」を世に出した。晶子が、不倫の末、与謝野鉄幹と結ばれた。今の世でさえも、週刊誌のネタに大きく取り上げられるのに、恋は女は強い。なんとかなるだろう!「君、死にたもうことなかれ」24歳の弟を戦争に向かう、姉の気持ちを詩に発表した。全文を紹介しよう。ああ、おとうとよ、君を泣く君、死にたもうことなかれ末に生まれし君なれば親のなさけはまさり...与謝野晶子(連載―510号)

  • 一休さんとひとやすみ (連載ー509号)

    へーそう!一休さんは、お坊さんだったんだ。とんち話でユーモラスにまんが、アニメで有名な一休さん。お坊さんの、立派なお名前が、あったのじゃ、その名は、「一休宗純」という。今から、600年ほど前の、室町時代の禅宗のお坊さんだと。20歳の頃、師匠を亡くし、自殺をはかったことのある。という。ご自分を見つめるまじめなお坊さんだったようである。また、50歳の頃にも自殺を図ったらしいが、それだけ真面目だったのだ。晩年は、目のご不自由な50歳年下の女性と同棲したとか聞くと、私にしてみれば、22歳のギャルと同棲することになるがうらめしや。酒も肉もたばこも、遊郭にも出入りするホストクラブでも遊んでいるお坊さんを想像する。座禅をしたことはないが、壁に向かって悟りの境地をひらこうとする禅宗は、栄西、道元によって、もたわされたそう...一休さんとひとやすみ(連載ー509号)

  • 天下3分の計 (連載―508号)

    世界地図を開くと、私の両手を開くと手の中に納まった。何だ、ちっぽけだな。こんな中で怒りもしたり、泣きもして笑ったりもしている。空が、こんなに青いのに、空は下を見てみるふりをしても私は騙されない。さっそく、昨夜、詐欺の鳥にだまされそうになったが、私も寝ぼけていたので相手もダメダこりゃと諦めたのだろう。わだわだ遠方からの電話だった。その日は、妻は、私を気分転換で近くの公園に連れ出した。手作りのソースの染みた焼きそば弁当2つとお茶を持ってピクニックにでかけた。車椅子から眺める景色は映画監督の視線のように緑を眺めた。その日は家に帰り寝た。起きたら朝だ。朝にしては外が暗かった。脳溢血の後遺症でパソコンが友達だ。日本人ではなく、片言の日本語で、話しかけて来た。女性にはめっぽう弱い者で子供を呼んで話を聞いてもらって難を...天下3分の計(連載―508号)

  • 土用の丑の日にうなぎと 平賀源内 (連載―507号)

    私は、西の国から来た。いい臭いのする煙に誘われウナギを炭で焼いていた。階段をのぼってテーブルに通された。かば焼き下さい。東の国では、ウナギを蒸して焼くそうだが初体験でウナギの蒲焼を食べた。歯にはとてもやさしく、ごはんとタレが絡んでおいしかった。西の国では、うなぎを串に差してタレにつけ炭で焼いていた。蒸さない。蒸すのは、川魚の臭みとウナギの弾力の歯ごたえをなくするのだろうか、東の国のウナギの蒲焼きを知った。ウナギは海で産卵、ふ化して川に上ってくる。川育ちの私は、夜、電灯を持って川に潜りに行った。ウナギは夜になると岩場の外に出てきて寝ている、そこを捕えた。調べますと、日本では奈良時代の『万葉集』に「武奈伎(むなぎ)」として見えるのが初出で、これがウナギの古称である。ところで、うなぎ屋さんに源内は相談されたよう...土用の丑の日にうなぎと平賀源内(連載―507号)

  • とおい昔、遠い日本 (連載―506号)

    今から、およそ2000年前のおはなし、何年のお話とわかっているから神話のはなしではなくて、歴史だ。私にとっては、おとぎ話のようだ。何を言いたいの?イエス様のことだ。きっかけになったのが、今月、お近くの奥様の歌の発表会を聞きに行った。ドイツ語かな、歌われている内容が日本語でステージのバックに流れていた。神は、イエスさまに、っていうからお二人の神が登場するんだろう。30歳になってイエス様が洗礼を受け、神の子として語った言葉を、弟子が書いたそうだが、お釈迦様でもお亡くなりになって、弟子がお書きになったと聞くが、客観的でいいがお釈迦様もイエス様も天で、そんなことは、言っていないなどと文句も言っていないか、心配だ。2000年前のイエス様の言葉が世界の多くの方を引き付けておられることに感激する。人間様も2000年前か...とおい昔、遠い日本(連載―506号)

  • 私と3人の女性+1人 (連載―505号)

    お近くの女性の歌を聞こうと、あるコンサートホールに行こうと、この日の白紙の日が、はじまった。何日か前から、お近くの男性を私の車にお乗せして、運転手は50年前から知っている女性だ。私の運転で行きたいのだが許可が下りていない。4日前に、目的の場所への下見に、つきあってほしいと頼まれた。心の中では、便利なナビが付いているので簡単にガイドしてくれるのにと思ったが、その女性にはその女性の事情があるんだろう。おはようございます。同乗してきたのは、女性だった。てっきり、男性と思っていたが女性であった。当車にご指名を頂きありがとうございます。とは気持ちだけで感謝した。混むだろうと予想してたところが順調に流れた。到着は予想より早く着き、それでも、1時間がかかった。係の誘導で地下の駐車場に止められた。ホールには女性が多く、男...私と3人の女性+1人(連載―505号)

  • 仏教、ぶっきょう、インド、India (連載―504号)

    今から、2500年前、インドの北部の釈迦国に、あまり大きくもない国に王子が生まれた。ヒマラヤのふもとで、農民たちが牛にスキをつけて土を掘り起こしていました。土の中から小さな虫がでてきた。どこからか鳥が飛んできて、その虫を飲み込んだ。それを見た王様の家来が鉄砲で鳥を撃ち殺した。王様は家来を褒めた。その様子を見ていた王子は、折角、冬眠からでてきたばかりの虫が、鳥に食べられた。鳥は鉄砲で撃たれた。王子は生きているものどうし、どうして、あんなことをするのか、心優しい王子の名前はシッダッタと言い、後のお釈迦さまです。誰か、グループバンドで「ガンダーラ」という曲を歌っていた。それがインドの北部の地名だ。「どなたか、この子を生きかえらせてください。と町をさ迷っている母親がいた。私はその子を生きかえらせることが出来る。誰...仏教、ぶっきょう、インド、India(連載―504号)

  • 赤身と白身 (連載―503)

    食べられるものであれば、何でも食べる、雑種な私は、中学の時は3年間、駅伝マラソンの選手をやらされた。本来は、短距離に向いている。80メートルハードルや卓球やテニスの前衛が得意で瞬発的なスポーツが好きだった。成果がでないから、試しに、マラソンにかえられた。なんでも、やってみるもんでマラソンには不向きと思っていたが、取り柄(とりえ)があるもんで、最後のラストスパートでライバルの選手を抜いて選手になった。ラストスパートの男として自信をもった。陽が沈んでも山を走っていた。やはり、茶粥(ちゃがゆ)では持続力が足りないのか、ラスト100メートルにかけていた私はラスト20メートルで燃料切れでライバルに逃げられた。ライバルに勝たないと選手になれない我が身の上、ライバルもいつも腹を空かせていた。チャンス!速い選手は、私が、...赤身と白身(連載―503)

  • 生きた実績 (連載―502)

    実績は、「糸をつむぐ」ということから、業績をあげる。つまり、手柄を挙げることらしい。とはわかっていても私の使い方が間違っている。娘が、どういうことか、難しい試験にトライするといって1年前から試験を受けるために勉強をはじめた。お父さん、お母さんが勉学のことに無頓着で勉強しろとか何かにトライしろとか言わないから勉強に縁遠くなったという。それはそうだ、お嬢さん高校に入っても何回も先生から呼び出しをいただき、反省をうながされた。そのうち呼び出される前にこちらから学校に出頭するタイミングもわかって来た。将来、何をしたいのか、自ら選択をして、家をでていった。ただ、私は部屋を借りる保証人のハンコをついた記憶が残っている。デカい冷蔵庫と、当面、腹を空いてりゃ戦はできないだろうから、食料を中にいれておいた。小さな店の売り子...生きた実績(連載―502)

  • ディズニー (人物・連載―501)

    銀座で店をやっていて、仕事も終え、ラーメンを食べようと、暗い狭い路地裏の先にラーメンの看板が見えた、すいませんあなたが最後尾のお客様ですかと尋ねたが、近視の私は、うなずいた様子だったのでその方の後に並んだ。随分、色黒で毛深く猫背なお人だ。気がつけばいなくなっていた。あれは、ネズミだよ。誰かが教えてくれた。銀座のネズミは太っていてでかい。休みの日のこと、電車で親子の会話を聞いていたら。パパー、ディズニーランドに連れていってよ。嫌だよ!ネズミがいるんだろう。ミッキーマウスだよ。お前ネー、マウスはネズミのことだよ。だって、ミッキーマウスは可愛いいスターだよ。ダンスも歌もうまい。そんなに見たいのだったら町の暗い路地裏に行けばあえる。あの臭いあの独特な透明な液をだして、きれいな提灯(ちょうちん)のような赤い花がお墓...ディズニー(人物・連載―501)

  • ガンジー (人物・連載―500)

    モハンダス・カラムチャンド・ガンジーと呼ぶという。随分、ながい名だ。ガンジーと昔から呼んでいたので戒名のように聞こえる。インドの人はマハトマ・ガンジーと呼んでいるようだ。マハトマは、インド語で「偉大な魂」と呼ぶらしい。ガンジーはインドで裕福な家庭に生まれ、カースト制度のヴァイシャに属していた。インドは、カースト制度で親が代々、大工であれば、子供も大工になるようだ。職業の選択はできない。インドがITがすごく盛んなのは、今までなかった職業なので、どのカーストにも当てはまらない。だから、若者がITを選択する。いまや、ますます、IT社会に転化している。放送もITの音声に、ところどころなっている。アナウンサーもかわるんだね。話はそれましたが。ガンジーは、イギリスのロンドンに留学をして弁護士の資格を取り、インドに帰る...ガンジー(人物・連載―500)

  • ノーベル賞 (人物・連載―499)

    えー!私がノーベル賞に選ばれた。という連絡もなく平凡な日暮し生活。その年の物理学、化学、生理、医学、経済学で大切な発明や発見をした人、優れた文学を文学を書いた人、世界の平和に尽くした人に贈られる。2023年度には、日本人が選ばれなかったようだ。ノーベルは1833年、スウェーデのストックホルムで生まれた。父は優秀な建築家であったが、機雷をつくり成功した。機雷は、戦争で敵の船を沈める武器で、奥様はよく思ってもいなかった。機雷は戦争に使われる武器だと知っていた。いずれ、平和になり会社は倒産した。ノーベルは詩人になることも考えていたが、父親の影響だろう。火薬を発明しダイナマイトを考案してトンネルや石炭の掘削に寄与した。ダイナマイトと聞くと幼い頃、映画で観た観たトンネルの発破に使われ、人が何日もかけ掘っていた岩盤を...ノーベル賞(人物・連載―499)

  • どうしてだろう (人・連載―498)

    針に糸を通しなさいと言われれば、近視の私だが時間を頂ければ通すことができる。今は、糸通しの便利な小物を使えば簡単に通せる。ところが、両手、両足がなかったら、どうして、針に糸を通すのだろうと暫く考えても思いつかない。私に教えてくれたのが中村久子さんだった。しかし、教えられても無理だ。幼い頃、中村久子さんは、ご病気で手と足を切断されてご不自由な身であった。母親は娘に、古着の着物を解(ほど)くようにと、つきつぎ難題を出すが、手を緩(ゆる)めない。父親は見守っていた。近所の同じ年ごろの娘さんにお人形を作って渡したが唾液が臭くて汚いと突き返された。生活に困窮して、娘をリアカーに乗せられ見世物小屋に売った。見世物小屋ではダルマ娘と口で針に糸を通したり、口で筆をかんで字を書いたりと珍しかったのだろう各地に巡業した。ダル...どうしてだろう(人・連載―498)

  • チャンスは災難から (連載―495)

    幼い頃、砂場で磁石で砂鉄を集めた。砂鉄は磁石にくっつくから鉄の仲間だ。どうしたら鉄のかたまりになるのか昔の人から教わった。粘土の窯(かま)をつくり、炭に火をつけ、風をおくったら炭は赤々と燃え上がる。その炭の上に砂鉄を放り込む、絶えず隙間の穴から窯の中に風を送り、赤々と燃やし続ける。暫くして、窯の底に穴を開け、穴から炭と溶けた鉄が赤々と流れてくる。溶けた鉄を型に流して、村の鍛冶屋のように叩けば不純物も剥がれ包丁になる。水にさっとつければ切れる刄金(はがね)になるという。日本の製鉄は「たたら」と呼ばれる製鉄技術を用いた。タタール人に伝えられたというから「たたら」と呼ばれたのだろう。タタール人を日本では「韃靼」(だったん)と呼ばれた。日本に鉄が伝わったのが3000年前のことというから、おかしいな、鉄は1500年...チャンスは災難から(連載―495)

  • きのうのつづき (連載―492)

    わいは暴れん坊将軍の吉宗と同じ紀州だ。幼い頃は子供だった。屋根の上から餅まきで村ごと祝った。紀州と言えば、紀伊國屋文左衛門が有名だ。私の本家から、関所を超え自転車で2時間はかかる湯浅の出身だ。湯浅は醤油の発祥の地でもあり、白いご飯と金山寺味噌を葉っぱに巻いて食った。文左衛門は江戸時代の商人で大金持ちになったというがあまり好きくないが実在の人物かも定かでない。舟いっぱいにみかんを積んで嵐の海を乗り越え江戸にはこんだ。江戸でも鍛冶屋の祝い事で屋根の上からみかんを撒いた。ミカンは高値で売れた。帰りは空の舟で帰るだけ、商売人、文左衛門は大阪が洪水で伝染病が流行っていることを聞きつけ、その病には、塩サケがいいと噂を流し、帰りは舟に塩サケを満載、結局、行きかえり儲けた。喧嘩と火事は江戸の華と言われるが紀伊国屋文左衛門...きのうのつづき(連載―492)

  • 新大陸発見 (連載―491)

    私は、生まれも育ちも日本人、71年も人間やっていると、びっくりすることもある。先日、デッカイ変電機を解体している映像を見た。厚い鉄板を切断するのに水で切っている。ガスバーナーで切ればいいのに、変電機にオイルが内部にあるから使えないらしい。水で厚い鉄板を切るなんて信じられない。やっている責任者を見たが、まだ若そうだ。彼を見る間もなく私と頭脳が違うのを感じた、大したものだ。へー!水でね。だから、人間止められない。実績を挙げろと言われても子供をつくることに専念した。実績にあぐらをかくつもりはないが、実績は成果が付きものだが、私にはその成果は、どこに付いているのか70歳を過ぎても判明しない。とりあえず、経験としてしまっておこう。103歳のお年寄りは知っているが110歳の青年は知らない。この7歳の差が、また驚きだ。...新大陸発見(連載―491)

  • 姥捨て山とハイゼン婆 (連載―488)

    昔むかしのお話し、あるところに貧しい村があった。食べる物も少ないのに、子供は宝と産むや増やせと家族が増え、「口減らし」のため、年老いて働けなくなった老人を山に遺棄していたという。食糧難解消で食べる家族を減らそうと考えたのか殿様が非情なお触れをだした。60歳になった老人は山に遺棄されたと言う民話だ。私の幼い頃、ある山の一か所にハイゼン婆と言われる場所があった。よく、おばあちゃんとその場所を横目で過ぎた先の神様にお参りに行った。あそこが、年老いた婆がはっているハイゼン婆と呼ばれる場所と聞いて怖かった。今に、その場所を覚えている、ハイゼン婆とね。どの家でも殿様のお触れに逆らえず、息子は泣く泣く老親を背負って山に捨てようとする。親は息子の帰りの道を迷わずに帰れるように枝をポキ・ポキと折って目印をつけた。親はこれか...姥捨て山とハイゼン婆(連載―488)

  • 江戸時代がなかったら載(連載― (連載―487)

    江戸時代の265年がなかったら、明治・大正時代がなかった。明治・大正時代がなかったら、昭和の戦争もなかったし、広島・長崎に原子爆弾も落とされることもなかった。昭和の東京大空襲の時、10万人も犠牲になったことも知らなかった。へー!そうだったの。ついでに、昭和時代がなかったら、私の80パーセントは昔だ。残された20パーセントも昔のような気がする。昭和時代がなかったら、そんなバカな、私が存在しないことになる。昭和時代がなかったら、平成も令和もないことになる。古(いにしえ)の人間と言われようが時代はつながっている。徳川家康が湿地帯で荒れ果てた地に江戸の町を築き、徳川の太平の世を265年。鎖国もあり、ペリーの来航もあり、ペリーが沖縄に行っている7ケ月で、三田の山を削って江戸湾を埋め立て砲台をつくった。砲台はペリーの...江戸時代がなかったら載(連載―(連載―487)

  • 鳴かぬなら鳴くまで待とう ホトトギス (連載ー486)

    徳川家康は言う「人生は、重い荷物を背負っている状態で急ぐと転んでしまったり、人より早く歩くと疲れることもあるから慌てなくていい」1590年、豊臣秀吉は後北条氏の小田原城を陥落させ、天下統一に成功しました。秀吉は、小田原城攻めに功労のあった家康に、それまで後北条氏の所領だった関東8か国を与え、家康に江戸の領地替えを命じた。事実上、左遷であった。家康は突然の領地替えを言い渡されしかも西国、京都の都から遠く離れた辺ぴな東国に追い遣られた。この時点で、豊臣秀吉との確執が決定的になっていた。家康が、江戸に入ったが見渡すかぎりスズキの生えた湿地帯だった。江戸城はあったが100年前、太田道灌が築城した城はあったが新しく江戸城を造ることから始めた。関ケ原の戦いに勝ってすぐ徳川幕府を開けたのに、3年後、武士の最高位の初の征...鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス(連載ー486)

  • 敵は本能寺にあり 【連載―485】

    57年前、花の東京に出てきた。名前を書ければ入れた学校を卒業して東京に来た。史上最低の学力と自負しながら来たが、案の定、現状に間違いはなかった。日本人も遠い昔に倭寇(わこう)倭人(わじん)と言われていた海賊だった。ヨーロッパでは同じ意味のバンキングと呼ばれていた。健康が一番、性格が一番。武田信玄、上杉謙信、織田信長、豊臣秀吉。織田信長が暗殺され、後3人は病魔に倒れた。越後の上杉謙信はお名前からしてお坊さんだという話を誰かから昔に聞いた。村上義清が、信玄に追われて、本領を失い上杉謙信に救いを求めたこと。また、奥信濃の高梨・井上氏らが不安を感じ、上杉謙信に助けを求めたことにより、武田信玄と上杉謙信とは5回も川中島で戦った。武田信玄も川中島地方の豊かな穀倉地帯を押さえることが目的だったらしい。そんな敵に塩を送っ...敵は本能寺にあり【連載―485】

  • 私としらけ世代 (連載―484)

    君は「しらけている」と私はしらけ世代と分類される。しらけ世代は、1950年~1964年に生まれた世代で、私が1951年生まれだから、今の歳が辛うじて71歳に留まっている。しらけてはいないのだが、先輩(団塊世代)は学生運動でプラカードを持ってデモの盛んな時代に育ち政治を変えようとしたが何の変化ももたらさなかった。それで、次の世代の私を「しらけ世代」と呼ばれた。世代には、団塊世代―しらけ世代―新人類―バブル世代―就職氷河期世代―団塊ジュニア世代―つくし世代―ゆとり世代―ミレニアル世代―さとり世代―Z世代―a世代(アルファ世代)等があるようだ。名前が書ければ入れそうな田舎の学校を卒業して東京に来た頃は学生運動のピークが過ぎ、それでも学校の試験は、ロックアウトでレポート試験で苦学の難を逃れた。東京・東京と呼ぶよう...私としらけ世代(連載―484)

  • 夏は来ぬ (連載―483)

    1896年の日清戦争後の私はまだ生まれていない時、あるところに、作詞の佐佐木信綱、と作曲の小山作之助の二人がいた。まるで、武将と小作人のコンビがこの唱歌を作ったり。「夏が来ぬ」というから、夏が来ないと思った。言葉は古いが田舎の風景を思い起こす。71歳になる爺さんが小さな庭先に座って、唯一知っているユリの花が咲いていた。ユリの花の香は65年前と同じだ。「夏が来ぬ」現代訳があったので掲載させていただきます。1、“初夏に白い花を咲かせるウツギの花の香りが漂う垣根にホトトギスが早くも来て今年の初鳴き(忍び音)の声が聴こえている。あぁ夏が来たんだなぁ”2、梅雨の雨が降りしきる山の田んぼで、若い女性が衣類の裾を濡らしながら稲の苗代を田に移し植えている。あぁ夏が来たんだなぁ3、ミカン科の“橘”の花の香りがする軒下の窓の...夏は来ぬ(連載―483)

  • お隣さんだったウクライナ (連載―482)

    ウクライナの国を知ったのが1年前のことで、ロシアという大国が隣国のウクライナに侵攻した。ロシアの戦車が数珠のように連なっていた。これでは、手向っても一たまりもなかろう。と思った。ところが、無人のドローンがハチのように戦車を襲っていた。一本道で行き場のない戦車は次々に燃え広がっていた。昔の戦争映画では戦車の下にもぐって通り過ぎるのを待って、後ろからハッチを開け手榴弾を放り込む映像を見た。戦争自体根本的に変わっていた。あれじゃ戦車が何百輌あっても駄目だ。逃げれば味方に殺されると聞いた。戦争を知らない子供たちを戦車に乗せパレードでもするかのように乗せてきた。まったく鉄砲も撃った経験もない若者に何が出来よう。ウクライナはロシアから独立出来た。昔は核も持っていたがロシアに手放した。そのかわりロシアから経済援助を受け...お隣さんだったウクライナ(連載―482)

  • お隣さんだったウクライナ (連載―482)

    ウクライナの国を知ったのが1年前のことで、ロシアという大国が隣国のウクライナに侵攻した。ロシアの戦車が数珠のように連なっていた。これでは、手向っても一たまりもなかろう。と思った。ところが、無人のドローンがハチのように戦車を襲っていた。一本道で行き場のない戦車は次々に燃え広がっていた。昔の戦争映画では戦車の下にもぐって通り過ぎるのを待って、後ろからハッチを開け手榴弾を放り込む映像を見た。戦争自体根本的に変わっていた。あれじゃ戦車が何百輌あっても駄目だ。逃げれば味方に殺されると聞いた。戦争を知らない子供たちを戦車に乗せパレードでもするかのように乗せてきた。まったく鉄砲も撃った経験もない若者に何が出来よう。ウクライナはロシアから独立出来た。昔は核も持っていたがロシアに手放した。そのかわりロシアから経済援助を受け...お隣さんだったウクライナ(連載―482)

  • ヤバイ (連載―481)

    「やばい」と聞いて、その筋の方が使われる言葉のように思うが今は誰でも使われている。あいつはヤバイ、これはヤバくなった、Policeに追われてここはヤバイ、・・・・・と私の記憶ではいい印象の言葉ではない。そう思うあんたはヤバイ。時代遅れの言葉も今に蘇ってハシャイデいる。私は71歳の古い人間ですか、ヤバイと聞けばヨバイの言葉を思い出す。「夜這い」(よばい)という言葉は昔に聞いたことがあるけれど、意味は知らない。辞書で調べますと、だいたい「夜、恋人のもとへ忍んで通うこと。特に、男が女の寝所に忍び入って情を通じること。」「結婚を求めて言い寄ること。求婚すること。」と書いてあった。女性の寝床に忍び込むと言うイメージが強いですが、現代において「夜這い」は、もはや存在せず、かつての文化と言えます。だそうだ。平安時代に紫...ヤバイ(連載―481)

  • 乗車券の旅 (連載―480)

    55年ほど前、憧れの東京に来た。今度は、故郷に帰る旅を企画した。55年の歳月は国鉄からJRに変わった。東京駅から新大阪駅まで、2.5時間、新大阪駅から故郷への最寄駅、紀伊御坊駅まで2.5時間かかる。個人情報で明らかに公表出来ないそうだから、これが限界。日々、頑張っていらっしゃる方々には申し訳ないが71歳の私は時間に余裕も出来、お金持ちではないがこんな旅を企画した。スピード化で新幹線を利用すれば、短時間であ!っという間に行けるのに困ったものだ。55年前からの変化を知るために大阪まで10時間、紀伊御坊まで13.5時間はかかるようだ。石炭を燃料で蒸気機関車だったので、白い蒸気と黒い煙が目と鼻を楽しませてくれた。歌にも唄われるくもりガラスを見ると君の名を指でなぞっていた。床に新聞紙を敷き、床に横になってコールター...乗車券の旅(連載―480)

  • 「ローマは一日にして成らず」 (連載―479)

    地球儀をまわしてみると、ローマは、日本の札幌に位置している。ロンドンなど更に北海道の上の寒そうなサハリンに位置している。海流とか偏西風によって気温も違ってくるらしいがいずれにしても寒いと思う。「ローマは一日にして成らず」「大事業は長年の努力なしに成し遂げることはできない」ということわざだ。人類史上最大最強の反映を遂げたローマ帝国も、築くまでは約700年もの歳月を費やし、長い苦難の歴史があった。私も71歳にもなって、ローマを学ぶとは長い歴史にもなかった。もっと若い時に知っておくことかもしれない。日本では同じ意味だと思うが「千里(せんり)の道も一歩から」のことわざもある。(一里は4キロ)小学生の同級生で、往復5里と、とつけもない通学距離を歩き続けた6年間雨の日も雪の日も休まず。一度、私も彼の道を歩いてみた。曲...「ローマは一日にして成らず」(連載―479)

  • ゲルマン諸族の 西ローマ帝国への移住 (連載―478)

    私は、アメリカでの朝食で、これは「バイキングですか」と聞いた私がバカだった。てっきり、食べ放題と思ってお腹を空かして、breakfastに行ったが何を言っているんだろうと、ホール受付の女性は一瞬しらけ鳥だ。テレビの画面では、舟にのり、髭もじゃの裸の男たちがカイを漕ぎ、他の舟に乗り移り、物などを略奪して骨付き肉を豪快に食べていた。バイキングをそんな風に理解していた。50年前、西の国から上京したので「おのぼりさん」と呼ばれた。北の国の入り口は上野駅、西の国は新橋・東京駅だ。大阪の梅田駅からSLに揺られ12時間で東京に着いた。梅田駅の夜空に響く汽笛がオレンジ色に染まり、もう引き返せない寂しさを知った。農家だった私は、作物を栽培するのも土に肥料をやり、土地を休ませることをしないといい作物が収穫出来ない。ゲルマン人...ゲルマン諸族の西ローマ帝国への移住(連載―478)

  • 無印「むじるし」 (連載―477)

    足ざわりがよくて、水流が足の指間をかけぬけて、ころころとした石が布とすれ合って、水虫の足には、たまらない快感だ。えー!こんなに洗濯物を溜めて、今日は、まとめて川で洗濯じゃ~、パンツ、ももひき、ひとりはぐれた靴下、シーツと抱えられる物すべてをハグして川に投げ出し白い粉洗剤をふりかけて、阿波踊りのように足を交互に布を踏んだ。布から出る汚れは川の流れと共にして汚れが落ちてゆく、全自動ではないが洗濯とすすぎが一緒だ。乾燥は河原の熱い石の上に洗濯物を並べ、風に飛ばされないように適度な大きさの石をのせて天日干しだ。泳ぎに疲れて原場に戻れば、さわやかな乾きになっていて洗濯物もダイエットで軽くなっていた。弁当~べんとうーとおじさんが首から紐をかけて弁当とお茶を売っていた。座席の下からあたたまった空気が窓ガラスを白く曇らせ...無印「むじるし」(連載―477)

  • フクロウ 「不苦労」 (連載―476)

    母を産んで、まもなく未亡人になったおばあちゃんの傍でお経を聞きながら木魚(もくぎょう)を叩いていた。今でも、お経を覚えている。昭和26年生まれの私はほとんどの出来事が昔だ。現在人に話しても、つまらない話だ。藤井聡太とは比較にならないだろうが、AIと将棋の対決をした。AIのレベルを初心者にセットして挑戦した。1,2戦は勝つことが出来たが3戦目からは、相手も私の攻め手を覚えていて勝たしてくれない。AIは「人間の知識の集約」だ。私の脳みそでは、とても太刀打ち出来ない。50年前、山奥から史上最低の知識で都会に出てきた。姉の引き立てもあり、40年間、銀座で暮らしてきた。当時はスマホもなく検索もできない。史上最低の知識は、すべての階層の人の話を聞くことで都会を人を知った。57歳の時に倒れ、今も何とか生かされている。姉...フクロウ「不苦労」(連載―476)

  • 一神教 (連載―475)

    人間には、善人も悪人もいるといるという。私は善い心も、時には悪い心も大ありだ。誰かに嫌われて、はじめて気づく悪人だったと。世界には、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、仏教、ヒンズー教と宗教があるが、今回はユダヤ教、キリスト教、イスラム教の3教について忙しいだろうから簡単に書けたらトライしてみる。3教の内、ユダヤ教が一番古くて原点になっている。神様は3教とも同じで、聖地もパレスチナの「エルサレム」と同じだ。神はユダヤ教の旧約聖書に書かれている約束事を人々は守らず、神の子イエスに託したキリスト教の新約聖書に書かれていた約束事も守れず、神はたまりかねて、最後に預言者ムハンマドにイスラム教のクルアーンに書かれている約束事を人間様に守らせるように託した。ユダヤ人だったイエスが従来のユダヤ教に不満もあり、ユダヤの司祭...一神教(連載―475)

  • 私は多神教かも、 あなたは? (連載―474)

    あなたは誰?私は、名のるほどの者でもなく、地球の日本に生まれ、もう72年も日本に暮らしている。金持ちでもなく、人に恵まれ、奇跡にも助けられ生きてこられた。昔、兄から聞いたのは死んだらお前の葬式は仏教の・・・と教えてくれた。子供のころから、おばあちゃんの傍で木魚(もくぎょう)を叩いていたので、般若心経は自然と今でも覚えている。無宗教の方のお葬式に参列させていただいたが、お坊さんの念仏も説法なく寂しい思いを感じた。お葬式は残された方の儀式だろうが、お坊さんのお経も説法も聞きたかった。最近は、小さな小さな家族葬らしいが、私の若い時の目標は、お葬式は華やかで何千人も参列者がいれば、とそんなこと考えていた。山に登れば、木の神様、岩の神様、水の神様、おてんとう様と私は多神教のようだ。木のみどりは目にやさしく、おいしい...私は多神教かも、あなたは?(連載―474)

  • 「パレスチナ」ってなーに? (連載ー473)

    全国放送のアナウンサーがそんなになまっていては「アメダス」とはね。私の学校の成績を今更、尋ねられても優秀だったとは胸を張っても言えない。世界の三大宗教はキリスト教、仏教、イスラム教と習っている。私は生まれた時からおばあちゃんからの影響で、仏さま、神さまだ。朝起きたら仏さまにお茶を上げて合掌し、神さまにかしわ手を打って、一日のはじまりだ。キリスト教はヨーロッパ、仏教はインド、イスラム教は中東の砂漠地帯。と67歳まで考えていた。ところが、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教は中東でうまれ、同じ神であり、聖地も同じエルサレムと知った。わたしにしては人生の大転換だ。山には木の神様、水の神様、岩の神様と空にはおてんとう様と私を取り巻くところに神様が住んでいる。時には仏様といい、神様という。しんじんをすることは自分を高め...「パレスチナ」ってなーに?(連載ー473)

  • 一人で出来ることは一人で 一人で出来ないことは二人で (連載―472)

    土仕事をして、ジーパンも砂と土と小石が下着にまでも土まみれのようだから、シャワーを浴びて汚れを落とさないと妻にまた言われる。洗濯物ものも家族で一緒にしているもので、下着に砂がくっついて気持ちが悪いとね。お風呂に行き、シャワーでよく洗った。からだが不自由だから、立って出来なく、ひざを使ってはっているから、当然、ズボンは汚れる。昨年は足がパンパンにはれてきてお医者様に見て頂いたら、足から菌が入ったのではないかと言われ薬でももらって帰ろうと気軽に思っていたら、入院だと言われた。先生、それはないよ!何とかしてとお願いしたら、1週間通院して頂いて点滴で経過をみましょう。との診察結果だ。早速1時間ほどベットに寝がされ点滴だ。まるで重病扱い。1週間後、足のむくみもほとんどとれたので解放された。こういう前科もあるので土の...一人で出来ることは一人で一人で出来ないことは二人で(連載―472)

  • トルコ人は中央アジア から来たの? (連載―471)

    アジアとヨーロッパとあわせて、ユーラシア大陸という。ウラル山脈、ウラル川を境にアジアとヨーロッパの東西に分かれる。昔から、シルクロードと言ってアジアとヨーロッパを結ぶシルクロードを通じて、お互い貿易をしている。ちょうどトルコはアジアとヨーロッパの中間点で、アジアはアジアのにおいがする。ヨーロッパはヨーロッパのにおいがするのだろう。東西の珍しいにおいのする中間点、いいところのようだ。トルコ人は中央アジア(ウズベキスタン、カザフスタン、キルギス)から来た、遊牧民と聞く。それでお顔立ちもアラブ系ではなく、アジア系でロシア人にも日本人にも似ている。彼らは中央アジアからやって来てトルコのアナトリア地方に住みつき、小国からのスタートだったがもともと住んでいたビザンツ帝国の領土を奪って勢力を拡大していった。キリスト信者...トルコ人は中央アジアから来たの?(連載―471)

  • サンタクロース (連載―470)

    北欧神話などに空を駆ける神話など元になったと思われる民間信仰で語り継がれているうちに今の形になったようです。サンタクロースの赤い服の色は、カトリック教会の祭服の赤色に由来するそうです。まだ、クリスマスではないが夢のあることはいつも幸せ。4世紀に東ローマ帝国小アジアのシュラ(現在のトルコ、イタリアのローマではないようだ)に実在したカトリック教会司教セントニコラウスというのが一般的のようだ。彼は貧困のために苦しむ娘たちの家に煙突から金貨を投げ入れ、それが暖炉脇に干してあった靴下の中に入ったということです。へ~心温まるお話ですサンタクロース(連載―470)

  • 大都会 (連載―469)

    50年ほど前に西の国からいくつもの山を越え、川をくだり目的もなく大都会東京に出てきた。都会人は間違いなく私より賢い。日比谷公園内には、有名な歌手が歌ってた煉瓦づくりの日比谷公会堂を見つけた。その隣に日比谷図書館があった。名前さえ書ければ入れそうな田舎の高校を出て兄弟を頼って東京に出てきたばかり。勉強するために図書館に入ったがあまりの静寂に圧倒され、地下の食堂でスーうどんを食べて4畳半の共同アパートに帰った。翌日、対策を練って少年漫画の厚い本に表紙をかけて再び図書館に行った。隣の学生との間にその厚本をドテンと壁のように置き賢そうに勉強する振りをした。新宿の街に行った。人混みについて行ったが、どこにも、たこ焼きもお面も刀もおもちゃの拳銃を売っている露店も見当たらない。田舎では人混みと言えばお祭りで街は毎日お祭...大都会(連載―469)

  • もったいない (連載ー468)

    ものをこぼすと、死んだおばあちゃんが「もったいない」と言うから拾って食べた。私は子供の前で、ごはん粒をこぼして(落として)拾って食べた。何するんだろうと驚いていた。ごはん一粒でも無駄にすると、おばあちゃんが現れ、怒られた。「もったいない」ある日、子供も土をはらって食べていた。「もったいない」そもそも、賞味期限など見て食べたことがないが、巷では賞味期限切れの物を食材に使ったとか売ったとか大問題になった。賞味期限は、食べごろですよ。消費期限は、食べてはいけませんよ。もったいない。食べ物を捨てるなんて。もったいない。私の子供の頃は、茶粥(ちゃがゆ)ってあってな、おとぎの国の話ではなくて、紀州(和歌山)では、山と海で平地が少なくお米が多く取れなく、大きな鍋にバケツ一杯の水を入れて、牧を燃やして沸騰させ、茶袋に番茶...もったいない(連載ー468)

  • 地球の裏側 (連載ー466)

    地球儀が横の目に映ったから、覗いてみると、地球の裏側がサッカーの強いブラジルだ。遠いと~い昔に、村ごとアメリカに行ったという伝説のような話を聞いていた。私が、子供のころとと言えば半世紀(50年)以上昔だ。今が72才だから以上に間違いない。私には大半が昔だ。古―い人間だとお思いでしょうが古い。近くに、「アメリカ村」という名前のバス停があった。今はワンマンバスだろうが、首から黒い小さなバッグをかけて車掌がデコボコ道をおライおライと車掌が誘導した。海に沿って日本一長い松林をぬけると赤や黄色のカラフルな洋館が目に飛び込んできた。アメリカ村とバス停に書いてあった。アメリカに来た覚えはないが、まるで陽が燦々と照るハリウッドのようだった。ハリウッドに行ったことがないが。日本の家屋にはない色だ。これが憧れってもののようだ...地球の裏側(連載ー466)

  • 地球の裏側 (連載ー466)

    地球儀が横の目に映ったから、覗いてみると、地球の裏側がサッカーの強いブラジルだ。遠いと~い昔に、村ごとアメリカに行ったという伝説のような話を聞いていた。私が、子供のころとと言えば半世紀(50年)以上昔だ。今が72才だから以上に間違いない。私には大半が昔だ。古―い人間だとお思いでしょうが古い。近くに、「アメリカ村」という名前のバス停があった。今はワンマンバスだろうが、首から黒い小さなバッグをかけて車掌がデコボコ道をおライおライと車掌が誘導した。海に沿って日本一長い松林をぬけると赤や黄色のカラフルな洋館が目に飛び込んできた。アメリカ村とバス停に書いてあった。アメリカに来た覚えはないが、まるで陽が燦々と照るハリウッドのようだった。ハリウッドに行ったことがないが。日本の家屋にはない色だ。これが憧れってもののようだ...地球の裏側(連載ー466)

  • 寺田政明 生誕111年展 寺田農(天空の城ラピュタの声優、ナレーター・声優・俳優)さんの父

    東京も随分行っていないが変わっただろう。一人ではどこもいけない身、強がっているが出かけるのも妻が頼りだ。字が書けないがパソコンが私の友だ。寺田農さんのお父さんの絵画展があるらしいが勝手に報じさせていただいている。明治の男児で北九州八幡に生まれ、16才で上京。激動の時代を生き抜きよく画家でいらした。もう30年ほど前から、寺田農さんもカントリーの歌をお好きと聞いてよくしていただいた。怖い方だと思っていたら気さくでジェントルだ。お父さんのお写真を検索したらあったので載せさせていただいた。へ~!初めて拝顔させていただいたが寺田農さんに似ている。77歳でお亡くなりになったようだが、寺田農さんも80歳前だろう。子供は親の姿を見ているのか寺田農さんの生き様のようである。絵があったから生きてこられた「絵が描くゆえに我あり...寺田政明生誕111年展寺田農(天空の城ラピュタの声優、ナレーター・声優・俳優)さんの父

  • 「知恵のかなしみ」 (連載―464)

    世界を渡り歩き、釣りをしたり、美味しい物を食べ歩いたようだ。ようだ。というから詳しくはわかっていない。ただ、「知恵のかなしみ」の言葉に引き寄せられた。開口健さんは大阪に生まれ、茅ケ崎に住み、30年ほど前に亡くなり、お墓は鎌倉の円覚寺に埋葬されているそうだ。円覚寺は鎌倉時代に創建された禅宗(臨済宗)寺で、写真を見た感じでは、北鎌倉の山寺でモミジとこけが合いそうな静かなたたずまいだ。この寺で座禅をすると、すぐに無になれそうだ。座禅は目を開けてすると聞いたことがあるが、私のような邪悪のかたまりの人間には相応しくない。開口健(かいこうたかし)と読むらしいが(かいこうけん)の方が健康的だ。野ネズミの大発生を題材にした「パニック」でデビユゥー作で「裸の王様」で芥川賞を受賞なされていた。大学時代に洋書の輸入会社にいたこ...「知恵のかなしみ」(連載―464)

  • 紀州の国(和歌山) (連載―462)

    現代は病院でオギャーと産まれる。71年前に私は産婆(さんば)さんのお世話になってたらいの湯で、産湯(うぶゆ)を使って家で産まれた。天井から吊るされたクルクルまわるメリーゴーランドのようなおもちゃを眺めながら育った。娘が言う、お父さんの田舎はおとぎの国の田舎で、夏には岩の上から川に飛び込んだ。妻は私を、山奥の田舎者だという。そういう妻は田んぼの田舎者だ。二人は田舎者どうし。紀州は陸の孤島というイメージらしいが、新幹線にしても高速道路にしても置いてきぼりという。陸の孤島は、いつまでもつづいてほしいがだめかなあ。18歳になって、大阪の梅田駅から東京駅まで夜行機関車で12時間をかけて来た。ホームには弁当~弁当~と売り歩くおじさんもいた。おじさん、弁当とお茶ください。汽車の窓を開け、わずかな汽車の停車時間にすませた...紀州の国(和歌山)(連載―462)

  • 「明けの明星」 (連載460)

    トイレに行こうと立ち上がった。小窓にお月さまが輝いて見えた。これは明星の月と思ってカメラを取り出しパチリ。明けの明星を見ると、いいことがあると先祖から聞いていた。寝静まった空に誰かが明りを灯したように、まるで天使のようだった。夜が明け尋ねると、明け方の空は金星だという。「明けの明星」と呼ばれると言う。太陽から水星があって、金星の次に我が地球が回っている。しかし残念だ。せっかく明星と思って、良いことがあると思っていたのに。良いことは忘れたころにやってくる。というから忘れよう。「明けの明星」(連載460)

  • 甲斐(山梨県)の国 (連載―459)

    山がいっぱいあるのに山梨県と妻が孫に教えていた。ここは何処ってね。山梨と言えば甲斐の国、戦国武将、武田信玄で有名だ。噂では信玄餅を袋に詰め放題で有名らしいが、甲斐の国を治め、世が世であれば天下人だったかもしれない。風林火山、と四字熟語で有名な戦国武将と言えば?武田信玄。武田信玄の戦いの旗に書いていた「風林火山」(はや) きこと風の如く、徐 (しず) かなること林の如く、侵 (おか) し掠 (かす) めること火の如く、動かざること山の如し」の略で、中国の孫子の句らしい。さっそく、武田神社が実在していると言うので向かった。武田神社に通じる武田道りがあった。山梨大学があり、さすが両側は武田家ばかり、不動産、公園とみんな武田さんだ。本殿までは長い階段だったが手すりがあったので自力で上った。父親の武田信虎、おじさん...甲斐(山梨県)の国(連載―459)

  • 富士の山いいなあ! (連載―458)

    日本に生まれてよかった。寒い寒いと言っていたら、ポカポカさくら日和、富士の山とは30年ぶりにお目にかかったが、いいなあ!子供が連れてきてくれたが冥土のみやげのようだ。富士の山を眺めたり、桜を花を眺めたり、楽しみが盛り沢山だ。菜の花のおひたし摘みも、田舎ものの妻が得意だ。妻が都会の人と結婚したつもりが、まさか、おとぎの国の田舎者の私と結婚したと嘆く。昔は良かった、昔はよかった。とご年配の口から耳にする。だったら、昔に戻ればと思うのだが進歩は許してくれない。進歩が常に影のようについてくる。今日の夜空を見たら、お月様が満月のように丸く見えた。ところが、月の裏側の顔を見たことがないと言う。ということは私が生まれて71年間、見た月の顔は表側の顔で裏側を顔を見たことがない。月は1回転するあいだに、地球に対して常に同じ...富士の山いいなあ!(連載―458)

  • SUKIYAKI (連載―457)

    SUKIYAKIという曲が世界に大ヒットした。実は、この歌の曲名が「上を向いて歩こう」だ。1961年の曲で、飛行機事故で亡くなった坂本九さんが歌った。「ウエヲムーイテ」が「ウへホフイテ」と聞こえる。坂本九さんの母が小唄や清元などの邦楽の歌い方が影響したのではと。「何だその歌い方は!」と作詞家の永六輔さんが坂本九に激怒したらしいが、作曲の中村八大さんが、遊び心で九さんの歌い方も面白くアレンジをその場で書き直す柔軟な人のようであった。私も有楽町マリオンで中村八大さんがピアノの音が大き過ぎませんかと言われてやさしいかただとの印象だった。アジアの端の小さな国の日本など、当時は芸者、侍、腹切り、などと印象だったのだろう。あるイギリスのレコード会社社長が、土産にもらった数枚の日本のシングルレコードの一枚に大変気に入っ...SUKIYAKI(連載―457)

  • 上り、下り (連載ー456)

    話は本題から外るが、おのぼりさん、って田舎者のことで、田舎出身の私はバカにされたようでいい気持はしなかった。江戸時代、徳川第3代将軍、徳川家光が地方大名が江戸におのぼりして、1年江戸の将軍様に仕え、1年を終えたら地方の地元に帰れた。2年は人質に奥様かお世継ぎを江戸に置かなくてはならなかった。これを「参勤交代」という政治制度だった。「参覲交代」で、「参っ」て「覲(まみ)える(目上の人に会う)」本来は、参覲交代と書くらしいが、役人が間違って「参勤交代」と書いた。仕方ない今更直せなかったのだろう。聞くところによると、東京日本橋が起点で、日本橋に向かうのが上りで、日本橋から遠ざかるのが下りと呼ぶらしい。日本橋(東京)を起点にして、「上り、下り」と呼んでいる。東海道、日光街道、甲州街道、水戸街道、奥州街道、中山道、...上り、下り(連載ー456)

  • 車は左、人は右、逆走は事故の もと (連載―455)

    日本では、車が左側通行と私が生まれた頃から決まっている。アメリカに戦争に負けたから左側通行になったと思ったが、アメリカは右側通行だ。私が生まれた頃から「車が左、人は右」と決まっている。田舎の道は砂利道だった。しかも道幅が狭い。車と車が行き交うときに、法律で車は左側通行と決めてあるからスムーズに通行できる。途中に障害物があっても、水たまりがあってもお互い譲り合って通行した。車が左側通行で右ハンドルだと左側の視野が広く見える。反対に車が右側通行で左ハンドルだと右側の視野が広く見える。日本のように、車は左、人は右となれば車と人が対面通行となって、お互い認識して安全だ。人は右とルールを認識していれば、山道で行き交う時も「こんにちわ」と挨拶を交わす余裕も出来、右側が危険であれば、危険情報を知らせられるし、安全を確認...車は左、人は右、逆走は事故のもと(連載―455)

  • ひな祭り (連載ー454)

    ひな祭り(連載ー454)

  • くびき(首木) (連載―453)

    ロシアは隣国と思わなかったが、遠い国のモスクワは知っている。モスクワはヨーロッパの方にある。そう言えばロシアの国土はでかい。北海道の上にオホーツク海があり、ハバロフスクはロシアの国だ。ここまでヨーロッパからのびてきている。ロシアもソ連も同じと思っていた。(ソ連)ソビエト社会主義共和国連邦はロシア、ベラルーシ、ウクライナ、モルドバ、ジョージア、アルメニア、アゼルバイジャン、カザフスタン、ウズベキスタン、トルクメニスタン、キルギス、タジキスタン、エストニア、ラトビア、リトアニア。以上15か国バルト三国(エストニア、ラトビア、リトアニア)はソ連の憲法で認められ独立した。よって、12か国になった。1991年ソ連の崩壊によって、それぞれ12か国は独立した国家に分かれた。ロシアの国の首都はモスクワだ。ローレライ、とも...くびき(首木)(連載―453)

  • 日高なみは私の実姉でした (連載―452)

    まったく、身内には評判の悪い人だった。過去形ですが、記憶では5年前に亡くなったろくでなしの女でした。フランスのシャンソンの曲に「ろくでなし」という曲があった。それはそれは厳しい方で「かんけいないね」というものなら大変だった。私は日高さんのマネージャーからはじめて銀座にシャンソンのライブハウスの手伝いを40年ほど手伝った。高校時代、宝塚の出身の音楽の先生にシャンソンと出会って、卒後、東京銀座の銀巴里のオーデイションに受かりその日から歌った。当時、丸山明弘(美輪明弘)さんも歌われていた。私も銀巴里でフランス人の日本人にあった。日高を見るたび丸山明弘を思い出す。日高は世間知らずでお人よし、世間を知りすぎて厳しい人。だから、脳梗塞で延命処置を取らず天国に召された。美輪明弘さんは三島由紀夫を日高さんは柴田錬三郎と人...日高なみは私の実姉でした(連載―452)

  • 隠者文学(いんじゃぶんがく) (連載―451)

    歴史の大好きなあなた!ところで、隠者文学ってなに?優れた才能と教養を持ちながら、出世を望まない。ひとりひっそり暮らし日常の出来事を日記や随筆に書いた文学をいう。随筆は今風にBlogのようなもの。1000年ほど前の中世の頃に書かれた随筆で鎌倉時代の吉田兼好の「徒然草」、鴨長明の「方丈記」、平安時代の清少納言の「枕草子」。これが日本の三大随筆という。徒然草、方丈記、枕草子の作者は誰だ?までは試験に出るから覚えたが今更、内容を尋ねられてもチンプンカンプン。あ!そうだ。尾張の大うつけ、これは、織田信長のあだなのようだ。大うつけとは、大馬鹿野郎とのことらしい。紀州の方に申し訳ないが私は紀州の大うつけのようだ。紀州、尾張、は徳川御三家。水戸の大うつけは誰だろう。織田信長は幼い頃から奇抜な衣装を着たり突拍子もない行動を...隠者文学(いんじゃぶんがく)(連載―451)

  • 般若心経と方丈記 (連載―450)

    2022年の暮、外ではクリスマスソングが流れている。般若心経と方丈記と謳ったもので天才が悩んでいる。アインじゃなくて、アインシュタインというノーベル賞の科学者が光の速さを発見した。へーえ!光にも速さがあるんだと気付かなかった私は天災だ!幼いころ宇宙と聞いて夜が怖かった。宇宙人に聞かないと宇宙の広さもわからない。人と付けたのも宇宙人だ。なぜ、夜が怖かったかというと人が死んだら宇宙の無限の闇に放り出され闇を無限に浮遊すると聞いた。幼いころ、お葬式の静寂な儀式が好きでよくお墓に見に行った。当時、土葬だったので人が埋葬されるまで見た。へーえ!人って死んだらあの土の中に埋められるんだ。雨など降ったら川のように水が土の中を流れる。和尚様のお経と小僧さんのシンバルが小刻みに触れる音があの世に誘(いざな)っていた。宇宙の...般若心経と方丈記(連載―450)

  • 日本人サポーターに ブラボ―! (連載―447)

    ワールドカップサッカーの試合の後、スタンドを奇麗にお掃除しているサポーターにブラボ―!(素晴らしい、良くやった)を贈りたい。ピッチでは勝った負けたと一喜一憂してシナリオどおりだが、ピッチの外ではサポーターは、すでに、黄金のトロフィを獲得している。シナリオでは3戦は2-0で勝つらしいが、ワールドカップサッカー・サポーター物語が書けそうだ。もちろん、選手はピッチで必死になって戦っているのだがシナリオどおりにはいかない。戦う相手もシナリオを書いている。私の心も揺れている。思いどうりにことが運ばない。試合後にお掃除しているサポーターはどんなお気持ちで一つ一つのゴミを拾っているのかサポーターの若者に聞いてみたい。日本人に生まれてよかったと思うが世界の方々に表の顔、裏の見えない努力に気づいていただきたいものだ。あくま...日本人サポーターにブラボ―!(連載―447)

  • 宇宙ってロマンだ! (連載―446)

    私は水を売っていたのではないのだが、水商売を40年ほど花の東京でやっていたが、病気で辞めざるを得なくなって6年前だろうか辞めた。1951年に生まれ、すつかり経験豊かそうな高齢になっている。お日様が東の空から出て、西の空に沈む、50年ほど前に東京にでてきた時から変わっていない。私は、天文科学者でもないが、おばあちゃんから聞いた。夜空を見上げれば天の川が流れている。そこに恋物語があった。愛し合った二人が広い川を渡って年に一度再会できるという。一人は織女星(おりひめ)と相手が牽牛星(ひこぼし)。夏の七夕の時だけ会えるという。七夕になると、色紙に願い事を書いて、笹の木にぶらさげて川に流した。天の川かもしれない。空を見上げれば、昼も夜も羽田空港、成田空港から人々の願いを込めてルンルンと飛んでいる。カメラに収めようと...宇宙ってロマンだ!(連載―446)

  • なんだって 私が古い人間だって やっぱり。 (連載―445)

    古い人間と新しい人間の境は、私が1951年から生きているから、目出度く結婚も出来て子供が43歳になる。子供が物心がついて世を見られるようになったのが15年前だとして、私が57歳になる。57歳と言えば、私が脳溢血で倒れた時だ。昔であれば死んでいるのだろうがここまでは、古い人間だとしても、それ以降は新しい人間の部類に入る。と決めている。田舎の山の分校のある先生からトイレの裏の草取りをいわれた。肉体労働に関して自信があったので、臭いトイレの裏の草取りなど、サーと済ませて帰宅した。翌日、その先生から呼び出しがあって、おそらく、昨日の草取りの文句を言われると思って職員室の重い扉を開けた。ところが、意外にも機嫌よくその先生から白い封筒を渡された。最後に「合掌」と書かれてあったので意味がわからず秀才の兄に見せた。先生が...なんだって私が古い人間だってやっぱり。(連載―445)

  • 東の国、西の国 (連載―444)

    はい!質問?お宅の家紋、見たことある。カモンって何。15年前に初めて知った。こんなに長く生きているのに家紋を知らない。私は1951年生まれだが初耳だ。神頼みで、秀才の兄に尋ねても知らない。誰かが、信じられないという目付きで呆れたまなだしだ。だって、家系も調べた形跡もなく疑問すら起きなかった。家の宗派すら知らなかった。今さらお坊さんに聞いたらしい。これで安心して葬式ができる。徳川紀州御三家のお膝元に生まれながら家紋を知らないとはなにごと。と暴れん坊将軍にバッサリ切られそうだが縁がない。私は50年ほど前に、西の国から来た。前世から来ることが決まっていたのか、花の東京に来た。岡本太郎の太陽の塔の大阪万国博覧会の当時だ。そういえば、数寄屋橋公園には小さな太陽の塔があったが、皆さん気づいていた。大阪の梅田駅を夜行列...東の国、西の国(連載―444)

  • 余の辞書に 不可能という文字がない (連載―443)

    不可能という言葉は、愚か者には妄想。臆病者には逃げ口上、権力者には自ら無能を語る言葉である。誰だと思ったら幼いころ世界史で習ったらしいがお名前はおぼえている。高級ウイスキーのナポレオンは知っているが私がお恥ずかしいが、71歳になってどんな人となりかを知った。1769年に地中海に浮かぶコルシカ島にナポレオンが生まれた。イタリア領だったのにフランスに併合されて、本人はイタリア人なのにフランス人と呼ばれるのに抵抗があった。その名はナポレオン・ボナパルトと世界的に有名人だ。彼は、イタリア、派遣軍の総司令官として、フランス革命1793年、国王ルイ・16世と王妃マリー・アントワネットの処刑で4年に渡ったフランス革命の終わりをつげた。途端に革命による王政打倒の思想がヨーロッパ全土に広がるのを恐れた、英国、プロイセン(ベ...余の辞書に不可能という文字がない(連載―443)

  • ハロウィーン やってみなけりゃ (連載ー442)

    誰もが半年で終わると思った第一次世界大戦、4年も続いた。4,5日で終わると思った侵略戦争がもう1年も続いている。思った側はいかなる手段を使っても勝つまで止められない。侵略された方はいかなる手段をとっても相手をギャフンとした顔を見るまで止められない。今まで、2国間で終わった戦争が、世界を巻き込む戦争になった。戦争に勝つのに同盟を組んだり、場当たりで約束をしたり、反対させないように恐怖で脅した。批判する人は殺される。戦争は国が勝つまで、勝って相手から賠償金なりを取らなければならない。ところが、個人的に恨みつらみで互いにあいつの泣く顔を見るまでは止められん。どんなに死人を出しても、勝つまでは汚い手段を使っても負けるわけにはいかない。「彼はやるだろう」必ず。そのうち一人で可哀そうだからと味方も増えてくるだろう。戦...ハロウィーンやってみなけりゃ(連載ー442)

  • ホンネとタテマエ (連載―441)

    「本音」はホンネでわかりそうだが、日本ではホンネを言えば話がこじれて先に進まないことがある。「建前」は直接相手に本心を言わないで遠回しにやさしくオブラートに包んで伝える。※オブラート昔、にがい薬を飲む時ビニールのような飲みこんでも害にならない小さな包むシート+家を建てる前に、その土地の神様に感謝し、お祓いをする意味で「地鎮祭」を行い、棟上げが済むと上棟式を行い無事に骨組みができあがったお祝いをする。「建前」に際して行われる上棟式、大工さんや地域の方へのご挨拶とこれからの人間関係を大切に行われる式で、建前の時、和歌山の田舎ではご近所の方を集め餅牧し、赤飯で祝った。日本ならではの「相手の気持ちを察する」という文化から生まれた本音と建前。アメリカにはないようだ。英会話にしても、主語・動詞・目的語の順番で成り立っ...ホンネとタテマエ(連載―441)

  • 閑 古 鳥 (連載―440)

    雨続きの日が多かったので、今日は久しぶりに、まぶしい太陽だ。病院に行く途中、妻の運転で助手席に乗っていた。あれ!この前オープンして店が混んでいたのに、駐車場に一台も車がとまっていない。今日は閑古鳥だ。ほんとだあ。商売って難しい。ところで閑古鳥って言うからどんな鳥なんだろう。知っている?病院で聞いてみれば。閑古鳥ってどんな鳥?お店にお客様が来なくてヒマなことの例えで、私もそんな鳥見たことないです。とのある白衣の答えだった。例えにしては、断りもなく鳥の名前を勝手に使っては鳥に失礼で、きっと実在しているのだろう。男の人は私の話題に入ろうとしないが、おばさんは横やりをいれてくる。「閑古鳥が鳴く」って意味は知っているが、どんな鳥なのか見たことがないという。待合室はざわめいたが、これ以上、おばさんの答えに期待できそう...閑古鳥(連載―440)

  • 昔むかしのお話 黒四 (連載ー439)

    何かの巡りあわせなのか、60年ぶりにお目にかかった。私は1951年に期待もされず生まれた。小学校の時、学校で見せられた1本の映写機に写された過酷な水を浴びながらトンネルを掘り続けた人の顔が浮かんでくる。まったく、人間の考えることなのか、富山の雪が吹き荒む険しい山に、道さえもなく地下に発電所を作ろうと穴掘りの戦士たちの物語だった。富山の薬売りが大きな荷物を背負って今年もお馴染みのお爺さんが昔色した薬の包みと紙風船のお土産を持って訪ねてくる。私も山育ちだけれど山に水が多量に抱えているなんて、ある程度、想像できたが、それよりもきびしい自然に立ち向かった命知らずの人間を見た。黒部ダムは雄大で観光客も多く訪れている。黒部ダムの下流の地下に水力発電所が作られているようだが。それが黒部第4発電所と呼ばれるから黒四と呼ぶ...昔むかしのお話黒四(連載ー439)

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