私の夫はアメリカ人で、重度のアルコール依存症。回復どころか、ゆっくりと破滅へ向かっています。
夫が回復したらやりたいと思っていたことの一つに、自宅でのカラオケパーティがある。 夫のアルコール依存症が酷くなってからは、人を家に呼ぶことができなくなっていた。 だから、人を家に呼ぶことができるようになる、ということが、一つの夫の回復の目安になっていた。 夫の断酒が2年経った頃、私は会社の同僚のカラオケ好きな女の子を一人、自宅に招いた。 お酒が大好きなその子には、「ウチは誰もお酒を飲まないから、飲みたかったら自分で持ってきて。」と伝えた。本当はウチの中にアルコールを置くことも嫌だったのだが、そんなことは彼女には関係ない。彼女は自分用に、ビールを4缶ほど持ってきた。 夫がアルコール依存症になって…
夫が断酒して3年が経った日、私は毎年そうしているように、家のリフォームや家具を作るのが好きな夫に、Home Depot (ホームセンター)のギフトカードをあげた。 AAに行っていない夫は、断酒記念のトークンや賞状を、どこかでもらえたりするわけではない。だから、Congratulationsと書かれたギフトカードが、私からのせめてもの記念品である。 そして義母や義父からもお祝いの連絡が。 これも毎年していることなのだが、私は当日、「今日は断酒して◯年ですよ」と彼らに伝えている。彼らも断酒開始日なんて覚えていないだろうし、そうすることによって夫の断酒を一緒に祝い、夫に「おめでとう!」と言ってもらう…
夫は、年に一度ぐらいの割合で「今年は仕事を見つける」と宣言していた。 それを適当に聞き流す私。 でも本心では、一刻も早く社会復帰をして欲しかった。 無職歴が長ければ長いほど、仕事につきにくくなる。 私だったら、こんな時間が無駄なことはしない。 私だったら早く仕事を見つける。 そんな気持ちとは裏腹に、夫の前では無関心を装っていた。 とにかく、ストレスを与えることだけはしたくなかった。 それでも夫の両親には本心をぶちまける。 「今すぐ仕事を見つけないなら、もう夫と一緒にはいられない。」 「どうか、夫に仕事を探すように言って下さい!」 私の必死の訴えに、義父は「息子は、働かないといけないことは十分分…
いつの間にか3年が経っていた。 その間、世間ではCovid(コロナ)が始まり、私は転職し、東京オリンピックが開催され、そしてロシアとウクライナは戦争を始めた。 夫の生活は変わらなくても、世の中は変動している。 この3年間は、平和で穏やかな日々ではあったものの、私の心は夫に対して、幾度となくざわついていた。 断酒してくれていることはありがたかったし、飲まないでいてくれるだけでいい、とさえ以前の私は思っていたものだが、それが当たり前になってくると、夫に対して更なる期待をしてしまう。 夫は働くこともなく、自由な時間を気ままに過ごしていた。 犬達を連れて自然が溢れた公園に行ったり、家のリフォームをした…
2022年、夏。 夫が断酒を始めてから3年が経ちます。 重度のアルコール依存症で、廃人だった夫。 あの頃は毎日が地獄で、夫を取り巻く人間みんなが病んでいた。 あの地獄から抜け出し、普通の暮らしがしたいと切望していた。 今のこのアルコールとは無縁の生活は、当時の状況から考えると、まさに奇跡としか言いようがありません。 そして、夫のような重度のアルコール依存症でも、失敗を繰り返し、時間をかければ徐々に回復していくんだ、と身をもって経験しています。
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