若松城下への乱入会津古城研究会長石田明夫戊辰戦争のあった1868年8月23日の天気は、明治天皇昭憲(しょうけん)皇太后のロシア語とフランス語の通訳だった山川健次郎の姉操(みさお)が、明治42年『婦人世界』七月号に「その日は朝から雨が降って、何となく肌寒いやうな日でございました。」と雨が降る寒いひとあり、そして城に入る時間は「まだ朝飯前でございました」とあります。会津藩士の妻、間瀬みつは、若松城の鐘が鳴ったのが「朝六ツ半頃」とあることから朝七時過ぎのことでした。新島(山本)八重は『婦人世界』十一月号の「男装して会津城に入りたる当時の苦心」で「着物も袴も総(すべて)男装して、麻の草履を履き、両刀を把(たば)さんで、元籠七連発銃を肩に担いで参りました。他の婦人は薙刀(なぎなた)を持っておりましたが、家が砲術師範で、私...戊辰・会津戦争36若松城下への乱入
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