プロフィールPROFILE

家庭連合‐聖典を訓読するさんのプロフィール

住所
未設定
出身
未設定

自由文未設定

ブログタイトル
家庭連合‐聖典を訓読する
ブログURL
https://blog.goo.ne.jp/masahisa777
ブログ紹介文
深く真理を悟り、永遠の生活に備えましょう。
更新頻度(1年)

30回 / 365日(平均0.6回/週)

ブログ村参加:2018/02/05

家庭連合‐聖典を訓読するさんのプロフィール
読者になる

家庭連合‐聖典を訓読するさんの人気ランキング

  • IN
  • OUT
  • PV
今日 12/07 12/06 12/05 12/04 12/03 12/02 全参加数
総合ランキング(IN) 43,682位 45,150位 44,239位 43,914位 43,588位 33,615位 33,786位 980,064サイト
INポイント 0 0 0 0 0 0 10 10/週
OUTポイント 0 10 0 10 20 20 50 110/週
PVポイント 0 0 0 0 0 0 0 0/週
哲学・思想ブログ 759位 780位 772位 767位 758位 534位 532位 13,141サイト
家庭連合 39位 39位 39位 40位 39位 30位 30位 586サイト
今日 12/07 12/06 12/05 12/04 12/03 12/02 全参加数
総合ランキング(OUT) 33,914位 36,126位 36,061位 34,673位 33,496位 36,223位 39,601位 980,064サイト
INポイント 0 0 0 0 0 0 10 10/週
OUTポイント 0 10 0 10 20 20 50 110/週
PVポイント 0 0 0 0 0 0 0 0/週
哲学・思想ブログ 379位 395位 393位 385位 352位 401位 444位 13,141サイト
家庭連合 40位 41位 41位 41位 40位 42位 45位 586サイト
今日 12/07 12/06 12/05 12/04 12/03 12/02 全参加数
総合ランキング(PV) 27,313位 圏外 27,313位 27,322位 27,332位 27,280位 27,265位 980,064サイト
INポイント 0 0 0 0 0 0 10 10/週
OUTポイント 0 10 0 10 20 20 50 110/週
PVポイント 0 0 0 0 0 0 0 0/週
哲学・思想ブログ 320位 圏外 320位 315位 317位 316位 316位 13,141サイト
家庭連合 14位 圏外 14位 14位 14位 14位 14位 586サイト

新機能の「ブログリーダー」を活用して、家庭連合‐聖典を訓読するさんの読者になりませんか?

ハンドル名
家庭連合‐聖典を訓読するさん
ブログタイトル
家庭連合‐聖典を訓読する
更新頻度
30回 / 365日(平均0.6回/週)
読者になる
家庭連合‐聖典を訓読する

家庭連合‐聖典を訓読するさんの新着記事

1件〜30件

  • 新聞の摂理(25)副社長に任命される

    新聞は印刷されるが、そのあと配達が必要だ。むろん、ニューススタンドにも出すし、立って街頭プロモーション(販売促進)もする。しかし、脚で稼ぐ戸別訪問販売、そして配達も大切だ。一般的に言って、コツコツと脚で回り、顧客を獲得して、配達するのが一番確実であり読者も定着する。ある日ニューヨーカーの本社に、お父様が突然姿を現された。例によって、その虎のように素早い歩き方で、各部を回って歩かれたのち、日本人を集められて、み言葉をくださった。細かいことは記憶していないが、新聞社と言えども教会の伝道と同じであって、要は忠孝の情をもって、人を想い、天に忠誠を尽くしながら、感謝をもって歩むこと。これをアジア人を通してアメリカ人を積極的に後援したという伝統を立てなければならないこと、そのためにアジア人の中で誰を選ぶかと言えば、先生は日...新聞の摂理(25)副社長に任命される

  • 新聞の摂理(24)第一号が印刷される

    それは1976年の12月の31日だった。色々とあったが、どうにか全ての問題を乗り越えて、第一号紙印刷にこぎつけたのだ。社長とアメリカ人のM兄弟と、そして私が、マンハッタンのニューヨーカー・ホテルから、自動車で小一時間かかる、郊外の住宅街にあるイースト・ガーデンにおうかがいした。お父様は、地下の一室で理髪をされていた。神の日の準備をされていたのだろう。私たちが駆け込んだのを、理髪の最中であったが迎えて下さった。理髪をする姉妹以外には誰もいなかったと記憶している。早速、出来立てホヤホヤの新刊をお見せして、基本的なことをご報告した。お父様は特別に何も言われなかったが、本当に嬉しそうな表情をされて、ページをめくり、色々と見られていた。この様に小さな新聞社で、未経験の者達が集まって発刊した新聞であったが、カラー印刷の記念...新聞の摂理(24)第一号が印刷される

  • 新聞の摂理(23)霊的な激戦の中の御方

    今考えれば、想像もできないほど頻繁に、お父様は現場に来られ、いろいろとみ言葉を下さった。それは、人間の生き方、アメリカが現在、精神的・霊的に如何なる危機に陥っているか、み言葉をもってアメリカに来た者の心得、お父様が如何にしてアメリカを愛しているのか、精誠とは何か、こうしてはるばると太平洋を渡ってきて、かつて(第2次大戦時)の怨讐であるアメリカに来たその感慨、等々、挙げればキリがないほど多くの教えだった。あの時、お父様のその心情の一片も理解していなかった自分を、今ながら恥じ入るものである。こうして回顧して自分の未熟さを懺悔する以外に何もできない自分が情けない。でも、考えてみれば今だって、当時と大して変わりがない自分だろうなと思う。再度深い悔い改めの思いを取り戻し、再決意する日々である。それで、痛いほど解ったのは、...新聞の摂理(23)霊的な激戦の中の御方

  • 新聞の摂理(22)アメリカ人の英語は、英語でない?

    イギリス人の誇りの高さ、というか気位の高さは、聞きしに勝るものだった。イギリス人に言わせれば、英語だけの話しではない、例を挙げれば、アメリカのジョークたるや、イギリス人にとっては何も可笑しくないどころか、“次元が低い”か、良く言っても“幼稚すぎる”ということだ。アメリカのドタバタ喜劇などは、イギリス人にとってはバカバカしくて見てはおれん、というところらしい。でもこの辺にまで話しが来ると、私も賛成できる。あるいは少なくともイギリス人の気持は良く理解できる。私だって、アメリカ人の大笑いしている喜劇など、笑う気にもなれない場面がたくさんある。例えば、大きなケーキをひっくり返してしまって、服がメチャメチャに汚れてしまった、などという、ギャグのクライマックス場面を、観衆が喜んで大笑いしているが、イギリス人にとっては可笑し...新聞の摂理(22)アメリカ人の英語は、英語でない?

  • 新聞の摂理(21)国際協調の難しさ

    新聞の摂理(21)国際協調の難しさ怨念清算、心情復帰、、言えば簡単であるが、、、。国際色豊かな従業員構成であったが、実態をいえば、その従業員たちは基本的に国ごとに固まって話したり、付き合ったりしていた。でもそれは仕方がない。お互いに全く知らない相手と、そうそう仲良く打ち解け、心を通じることはできない。でもいつも将来の理想、それに向けての努力ということで理解する。私は、イギリスから派生したアメリカとイギリスなどは、壁も何もない、同じ仲間であろう、などと想像していたが、それがそう簡単ではないようだった。言葉の壁がないアメリカ人とイギリス人も、仕事以外の時間は、やはり国ごとに分かれて、夫々の国に固まっていた。それは、私より3年も前からアメリカに来て、活動していた日本のメンバーから説明されて、なるほどとわかったことだが...新聞の摂理(21)国際協調の難しさ

  • 新聞の摂理(20)社長をイギリスから迎える

    この新聞社は、全世界の組織から従業員を募った。その結果、英、独、仏、墺、香港、中南米、、、等々、きわめて国際色豊かな従業員構成となった。社長に選ばれたのはイギリス人だった。なかなか恰幅のよい人物だったが、新聞業には経験がなかったようだ。早速事務所にやってきたが、その挨拶その他、だいぶ昔のことなのでよく覚えていない。というよりも、彼が何か言ったのだが、私には聞き取れていなかったのである。彼は、奥のスウィート・ルームをにわか改装した社長室の主となったわけだ。日本人がたくさんいるので、彼は特に日本人に気を使った様子だった。それもそうだろう。十分に英語のできない、黄色の肌の日本人を扱うのは、やはり大変だったろうと思う。40年以上も前の事である。日本人と言えば、良い噂も沢山あったが、不気味なイメージもあったことは間違いな...新聞の摂理(20)社長をイギリスから迎える

  • 新聞の摂理(19)イーストサン・ビル界隈

    その地区は、クイーンズ・ボロウ・ブリッジを渡ってすぐのロング・アイランド・シティーであったが、この地域たるや、大変な地域であった。スラム街のように汚いのは我慢するとしても、大変に危険な地域だったのには当惑した。町はすさび、アパート群は荒れていて、至る処に落書きが描かれ、まともな服装で歩いていたら間違いなく襲われるだろうという恐怖感が漂う場所だった。事実、私はサブウェイ(地下鉄)でそのビルに行ったのであるが、駅からビルまでの間を5分ほど歩くのが、恐ろしかった。それは相棒のM兄弟が、アメリカは恐ろしい所だよ、ということを繰り返し説明してくれていたためでもある。アメリカが怖い所だなどとは、実感していなかった我が身であるが、Mによれば、ミスター・コバヤシは、“盲人蛇に怖じず”だよ、というのである。その日早速、サブウェイ...新聞の摂理(19)イーストサン・ビル界隈

  • 新聞の摂理(18)印刷所候補のビル

    新しい新聞の印刷所は、クイーンズ地区にあるイーストサン・ビルに印刷機を設置して行なうという方向であった。このビルは、その当時、教会が多くのビルを購入したなかの1つである。製菓工場であったが、廃業して売りに出されていたものである。前にも述べたが、当時のアメリカの景気は沈滞しており、多くの企業が倒産へと追いやられていた時期である。そのビルに行ってみると、たしかに倒産した工場という氣色で、巨大な空間が空しく広がっていた。それだけでない。ここは製菓工場だったので、空虚な空間ではあったが、甘いクリームのような匂いが依然として、ビル内の隅々に淡く漂っていた。いくらお菓子の匂いとは言っても、荒れ果てた工場跡で、埃の積もった部屋のなかを漂う匂いなど、決して氣持ちの良い香りではない。ビルを視察して歩くに、大きな部屋とか作業場が次...新聞の摂理(18)印刷所候補のビル

  • 新聞の摂理(17)お父様のご指導

    お父様は、たびたび現場巡回に来られた。ニューヨーカー・ホテルの本社にも、幾度となく巡回に来られた。ニューヨーク(マンハッタン)には、摂理のための機関が集中していた。例えば、ニューホープ・シンガー、ニューヨーク・シティー・シンフォニー、ニューヨーク教会、MFT、一和人参等々、実に胸のすくほどに、迅速に回られ、しかも必要な場合には丁寧な霊的指導を下さり、み言葉を与えられて、疾風のように去って行かれる、ということである。新聞のために働くメンバーたちも多くの恵みを賜ったわけである。特に、ニューヨーカー・ホテルには、多くの機関の本部があった。新聞の摂理に従事する日本食口を集めて語られたこともある。たった20人にもならない我々に対して多くを語られ指導された。そのご指導の中心は、日本人はコツコツと働き、み旨を愛し、誠意を尽く...新聞の摂理(17)お父様のご指導

  • 新聞の摂理(16)本社の体裁を整える

    話を元に戻す。ニューヨーカー・ホテルに本社を置くとの決定と共に、多くのアメリカ人メンバーが、この新しい新聞発刊に関心をもち、集まってきた。といっても若くて経験不足の人ばかりだった。みな教会活動をしていた兄弟姉妹たちだが、学生時代にキャンパス新聞をはじめ、それなりの新聞経験をもっている人が何人かいただけだ。経験のあるDという兄弟が、頭を抱えていたのを思い出す。それは、話の通じる人が1人もいない、全てイロハから説明しなければならないということだった。それほど、新聞の素人ばかりの集まりであったのだ。でもそのなかに、新聞学科を専攻して卒業したメンバーが2人いた。その2人は、実践経験はないけれども、知識・判断力に優れ、大変に頼りになったものだ。この2人は、今でも立派に言論関係の仕事をしており、摂理に役立っている。日本人も...新聞の摂理(16)本社の体裁を整える

  • 新聞の摂理(15)米國の景氣はどん底だった

    余談になるが、当時は泥沼に陥ったベトナム戦争から、アメリカが撤退して、3年経つが、その後遺症を患っていた時期だ。50万人以上の兵士と、天文学的な数字の軍事費を投入しても、戦況は混乱するばかりで、「偉大なる」はずのアメリカがそれを解決することができなかったのだ。そのため、国家財政は疲弊しきっていて、ビジネスも振るわず、不況のどん底であった。ジョンソン大統領は2期目の大統領選に立候補をあきらめた。新聞摂理開始から7年ほど遡るが、ベトナム戦争の膠着状態から「名誉ある撤退」する事を公約にして、当選したのが第37代大統領のリチャード・ニクソンである。彼は早速、奇想天外な手を次々と打つ。これがニクソン・ショックと言われるものだ(1971~2年)。ここでは、本論を外れるので、これ以上は言わないが、例を挙げれば彼の打った経済政...新聞の摂理(15)米國の景氣はどん底だった

  • 新聞の摂理(14)ニューヨーカー・ホテルに本社

    新聞社はニューヨーカー・ホテルに本社を置くことに決定された。40階建て、マンハッタンのミッドタウン。これだけ聞くと華やかに聞こえるが、現実はなかなか大変だった。まずミッドタウンといっても、ニューヨーカー・ホテルのあった8番街34丁目界隈は、ウェスト・サイドで場末だった。売春婦が立ち、古びたビルは、コンクリートの覆いが剥げて赤レンガが丸出しになっていて、修復もしていない、などというビルはいくらもあった。危険で、夜の一人歩きは恐ろしかった。ビルは、たくさん売りに出ていた。摩天楼の立ち並ぶマンハッタンではあったが、そのビルは灰色にくすみ、古いビルが立ちならぶ。それでも、「腐っても鯛」というか、高層ビル群が圧倒的な存在感だったことには間違いはない。アメリカの経済は停滞していた。マンハッタンはまさに、その経済の大変な状況...新聞の摂理(14)ニューヨーカー・ホテルに本社

  • 新聞の摂理(13)ニューヨーク・タイムズに勝て

    先回の投稿で引用させてもらった聖句のように、凄まじい闘いをされていたご父母様であられたが、いつも訪問するイースト・ガーデンは、外的には限りなく美しく平和で、四季折々に美しさを見せる平和の園(のように見えた)であった。その霊的闘いの激烈さ、それに対する外的空気の平和な美しさの落差といったら、これも想像を絶する違いであった。お食事も、いつも美味しいお食事をいただいた。そんな外的な平和と幸せに酔ってしまって、親の苦しみには絶えて思いの行かない、幼く愚かな我々であった。でも今にして思う、お父様の激しい闘魂と直面することも、毎度であった。お父様の穏やかで、優しいご指導と、その激しい内容とは、確かに極と極をなしていた。たとえば、「新聞社の印刷機は、どのような機械、サイズを注文しようか」、などという話題になれば、必ず“ニュー...新聞の摂理(13)ニューヨーク・タイムズに勝て

  • 新聞の摂理(12)アメリカの地に、独り立たれ闘われたお父様の御心情

    お父様の肝いりで始まった新聞の摂理である。実際のビジネスは、むろんのこと実務者に委ねられているが、そのインスピレーション(アメリカ人は、この言葉を使う)というか、基本的な動機、方向性は創始者であるお父様そのものである。そんな事情で、私も何回もイースト・ガーデンにお伺いして、新聞に対する熱意に満ちたご指導を賜ったものである。お父様が新聞摂理を打ち上げられた目的というか、その理由は、悪意に満ちたメディアの事実に反した報道に対して、正しい立場を説明することであるが、言うまでもなく新聞摂理の本当の意義は、事実アメリカ社会を侵食している共産主義、唯物思想を糺し、アメリカ国民、ひいては世界を思想的に啓蒙するという事であるのは言うまでもない。お父様がどれほどの苦しい闘いをされていたか、その御心境は下の者がいくら理解しようとし...新聞の摂理(12)アメリカの地に、独り立たれ闘われたお父様の御心情

  • 新聞の摂(11)アメリカでの宣教活動の基礎

    苦労してその時学んだものは、すべて生きて、それ以後40年以上にわたって、私がアメリカにおける摂理に携わるに決定的に役立っている。アメリカでの私のミッションおよび信仰生活は、おおかたビジネスと切っても切り離せないものだったが、そんな生活の基礎はこの時期に培われたといってもよい。むろんこれは、私の専門的に学んだのが、経営・経済学であるが、そのような教育背景も、神様が私を訓練された賜物であることも自覚している。学生時代に専門書を原語(英語、ドイツ語)で読んだのも、アメリカでミッション活動に従事してゆくために、有難い助けとなっている。だからといって、私はビジネスマンでもなく、それほどの専門的経験・能力を持つものでもない。天一國時代に日本からアメリカに遣わされた海外宣教師である。ビジネスもビジネスだが、このミッションを与...新聞の摂(11)アメリカでの宣教活動の基礎

  • 新聞の摂理(9)弁護士を訪問

    弁護士が説明する内容は、M兄弟が訊き、ノートを取り、会社設立要領を学ぶ。この程度の話が、今は問題ないどころか当たり前の手続きだ。でも当時はM兄弟も私もすべてが新しく、学ぶことばかりだった。まずは、弁護士の言っている事、私は100%解らない。ただ意味のないペラペラという英語が響いているにすぎない。弁護士との話のあと、事務所に帰りM兄弟から、噛み砕いた易しい英語で、その内容を説明してもらう。いやはや手間のかかる、気の遠くなるような話である。当時は、日本経済が登り龍のようで、テレビ、テープレコーダー等々、日本製品がアメリカ市場を席捲し始めていた時期である。私もその恩恵に与かったといえばその通り、マンハッタンの日本書店に行けば、あらゆる種類の日本書籍を売っていた、特に初心者が「アメリリカでビジネスを始める手引き」、「ア...新聞の摂理(9)弁護士を訪問

  • 新聞の摂理(8)会社設立

    名前は決まった、事務所も決まった。手探りだが、いろいろと調査を始めた。会社形態も、ふつうの営利法人か、いや宗教団体の傘下にして、非営利で教会の思想を伝えるのが理想ではないか等々、基本的なことを検討した。しかし、原点に立ち戻り、発起人、理事会の意向を分析すると、営利会社が良いという結論に達した。M兄弟だけが頼りだった。アメリカ社会のこととなれば、私は盲人・唖のようであった。M兄弟だけが頼りといっても、彼は大学を出て間もなかったので、社会経験も少なかったし、ましてや新聞業などではズブの素人であったが。会社設立手続きのために、弁護士を雇わなければならない。私はアメリカに来た当時、自分の英語は単なる会話でなくて、ある基準をもったビジネスなり、法律なりを十分に理解し、また自分でもしゃべれるようになる事、という自己の目標を...新聞の摂理(8)会社設立

  • 新聞の摂理(7) マンハッタンに事務所をかまえる

    先輩方の助けでもって、マンハッタンの事務所を作った。国連渉外チームの事務所の空き部屋を使わせてもたったのだ。むろん家賃を払ったので、彼らとしても有難かったかもしれない。場所は、マンハッタンの真ん中、グランドセントラル・ターミナルの傍、44丁目だった。さて、この何も知らないアメリカで新聞を出すなど、狂気の沙汰かも知れない。アメリカの兄弟Mが、新聞摂理に配置されていたので、大いに助かった。彼がいなかったら何もできなかっただろう。彼だって新聞業など何も知らないが、ともかく言葉ができて、アメリカの大学を卒業して、アメリカ社会を知っている。それだけで、私にとっては救い主のようだった。イーストガーデンには、何回かお伺いして、御指導を賜った。行けば必ずダイニング・ルームのテーブルを囲んで、幹部たちが真剣にみ言葉を受けていた。...新聞の摂理(7)マンハッタンに事務所をかまえる

  • 新聞の摂理(7)ニューヨーカー・ホテルで、日本人の性格を知る

    天國といったのは、2つ目の重要な理由がある。それは、ホテルが世界各國から集まった兄弟姉妹たちで満ち溢れているということだ。これは、日本にいては絶対に味わえないことであり、そこに住むだけで視野が広まり、心も大きくなる。ロビー、食堂、エレベーター、、、、等々、いたるところで色々な國籍の人と会う。語られている言葉は基本的には英語だが、むろんそれだけでない。英語以外で圧倒的に多いのは日本語だ。言い換えれば、日本から来た食口がたくさんいるという事だ。でも、数が多いからだけでない、日本人は英語が全く苦手なのだ。日本という國は、英語教育は良くなされているし、日本には英語が満ち溢れている。でもその英語は、単語だけの場合が多い。それだけではない、日本人が英語だと思って使っていても、本場のアメリカでは全く使われていないどころか、そ...新聞の摂理(7)ニューヨーカー・ホテルで、日本人の性格を知る

  • 新聞の摂理(6)ニューヨーカー・ホテルの日常

    天國といっても、ホテルだから普通の生活をするアパートとして設計されているのではない。そこにはいろいろと問題もある。まず、大切な「食」はどうなるのか?朝食はみな2階の大食堂に行って食事していた。むろん、ホテルの食事ではない。このビルの管理責任者が、入居者のための食事を準備する。時間になればみな降りてきて、兄弟一同大ホールで食事するのだ。日本人が多かったので、日本食を準備してくれた時も多い。何も知らない外国人が料理する日本食なので、ふしぎな味がするが、セリアル類、PBJ(パンにバターとジェリーを塗って挟んだもの)、コーヒーとジュースを基本とした朝食に閉口している日本人にとっては、味噌汁とご飯、梅干しがでてくれば、人心地が付き、一日の励みとなろうというものだ。管理者の心遣いに、心から感謝したものだ。朝食の準備が不要な...新聞の摂理(6)ニューヨーカー・ホテルの日常

  • 新聞の摂理(5)ニューヨーカー・ホテルに住む

    詳しい経緯は覚えていないが、ニューヨーカー・ホテルに住むことになった。当時は、日本から宣教に来た777双家庭のなか、ニューヨークでみ旨に歩む家庭は、大体においてここに住んだ。古いホテルでも、ちゃんと冷房まで正常に機能する、暑い夏などはきわめて快適だった。日本にいた時には、冷房の効いた涼しい部屋で、蒸し暑い夏を過ごせるということは、考えられなかった(50年前である。今のように冷房が一般化してはいなかった)。日本では、初期の献身生活の時代であり、地方の地区長をしていた時も、家庭をもたない独身の地区長だ。子供を産んで育てるという、そういう段階ではなかった。前線々々の活動だったから、結婚して家庭を持つなどという事は、まったく新しい世界だった。つまり、アメリカに来たという事と、新しいけ家庭生活を出発する、という全く異なっ...新聞の摂理(5)ニューヨーカー・ホテルに住む

  • 新聞の摂理(4)ジェコブ・ハウスに住む

    私と妻は、ジェコブ・ハウスでもって新しい結婚生活をはじめた。それは、イーストガーデンから車で5分ほどのところにある家だ。昔の大きな屋敷であって、教会が買い取って、当面アパートのようにして使用していたのだ。日本の777双家庭が何家庭か新居をもっていた。イーストガーデンを中心に、近辺(車で5~10分圏内)に、いくつかの家があり、あたかも城下町のような感じで、食口達が住んでいた。この辺に住めば、日曜の礼拝(ベルデベア)に行くのも近いし、ご父母様の愛の主管圏内にいるというような、一つの霊的安心感があった。私は、その“新居”からニューヨーク、マンハッタンの事務所に通っていたのだ。通勤電車で、約45分ほどだった。通勤電車といっても、東京のそれとは天地の差だ。ご存知、東京の通勤電車のラッシュ・アワーは文字通り、動物輸送車と大...新聞の摂理(4)ジェコブ・ハウスに住む

  • 新聞の摂理(3)ニューヨーカー・ホテル界隈

    何よりも、不思議であり、運命の神秘を感じたのは、「いま私は子供のころから、憧れというか手の届かなかった偉大なるアメリカに来ている」という事だった。しかも、憧れていたアメリカの、その衰退しているように見える姿を訪ね、昔の繁栄の痕跡を見るという、、、、何とも感慨無量というか、言葉で表現しづらかった。子供の頃から、ディズニーの漫画映画、そして中学からの英語の教科書、愛唱歌「オールドブ・ラック・ジョー」、「トムソーヤの冒険」などに親しみ、学生時代には専門のビジネスを学び、IBM、GM、フォード、等々圧倒的な実力とスケールの世界を教材として、私の専門の学習をしたものだ。そのように、アメリカには親しんできたし、手の届かない素晴らしい國というイメージが固定していた。私は一世代若いので、“敗戦國日本”という一種のコンプレックス...新聞の摂理(3)ニューヨーカー・ホテル界隈

  • 新聞の摂理(2)ニューヨーカー・ホテル

    当時、教会はニューヨーカー・ホテルを買った。ホテル業ではなく、建物を買ったのだ。そこを世界宣教本部として使うためだった。私はそのビルに行ってみたが、ホテル業はすでに閉鎖して久しく、巨大なビルが空虚に立っていた。当時、景気が沈滞していて市自身が大変な不況に苦しんでいたのだ。だからホテル業も例外ではなく、ビジネスを続けることができなったのだろうか。住人のいないビルディングは至るところに立っていた。ニューヨーカー・ホテルの界隈の8番街は、売春婦が立っていて、しかも犯罪も多い、まともに歩くのも怖い所だった。世界の中心であるニューヨークでもって、そのビルディングの中は、洞窟のような感覚があり、その中を歩くのが、何かジャングルの中を探検するような感があったのを覚えている。ロビー、種々の会議室、大宴会場、、等々、どこへ行って...新聞の摂理(2)ニューヨーカー・ホテル

  • アメリカにおける、新聞の摂理開始 (1)

    私は、天命により、新聞の摂理に従事することとなる。何もない所から新聞社を設立して、日刊新聞を発行するのだ。新聞社といっても、これから設立して、すべて作り出さなければならない。その時は6月であったが、12月31日には完了して、1月1日には創刊号を発行せよ、と言うのが天の願いである。ちょっと無茶な命令に思えるが、天の摂理は、何としても達成しなくてはならない。なぜ新聞を始めるのか、その摂理的意義は、「攻撃と、防御」である。当時、新聞テレビその他のメディアは、文字通り連日、お父様(レバレント・ムーン)に対する批判、悪口の記事で、お父様および統一教会は徹底的に迫害されていた。先回も述べたが、お父様はお独りで、すさまじい迫害の中で闘っておられた。新聞は言論面から、その宣教活動の防衛と共に、正義の言葉によって相手を攻撃し、社...アメリカにおける、新聞の摂理開始(1)

  • 私がアメリカに来た頃(16)知らない国を開拓する、その悲壮なる決意

    人事配置もおわって、最後のみ言葉をいただいて、いよいよ任地へと出発することになる。まったく知らないアメリカで、言葉も不自由な状態で、ともかく開拓に出るのである。ご父母様のおられる、イーストガーデンに来れば、美しく、全て守られていて、安心して大船に乗った気持でいたが、いざ夫婦2人で開拓ともなれば、その心細さは尋常ではない。でもこれはお父様も同じであって、数年前にアメリカに来られた時は、何もなかった。お父様の場合、我々と立場が違う。神と約束して、この強大な国家を復帰するという、途轍もない使命を神様から受けておられるのだ。天聖経の「真の父母の祈祷、4章6」に、“アメリカは、荒地のようであり、自分が砂粒のように感じたが、必死にやってきました。、、、”というみ言葉がある。そのような深刻なご心情で、独り闘って来られたお父様...私がアメリカに来た頃(16)知らない国を開拓する、その悲壮なる決意

  • 私がアメリカに来た頃(15)任地を与えられる

    「各州においてアベルの立場に立つように」、というのが神のみ旨である。お父様は我々を並ばせて、任地を割り当てられた。それは祝福のときのマッチングと同様であった。並んで立っているわれわれを見られ(我々の霊的基準と、その州の因縁との関係を、深く霊的に観られていたであろう)、君はXX州、君はxx州、、と次々に決めてゆかれる、まさに祝福のマッチング、つまりは任地とのマッチングである。いよいよ私の番が近づく、むろん祝福マッチングの時ほど深刻な状況でもない。まずアメリカというものを良く知らない。どこの州と言われても、好きでも嫌いでもない、イメージも湧かない、要するに知らないのだ。だから却って気は楽である。私の番が来た時にお父様は私を列の外に出て待つように言われた。一体何だろうという、却って心配の気持が襲う。、、、それから、よ...私がアメリカに来た頃(15)任地を与えられる

  • 私がアメリカに来た頃(14)再びイーストガーデン

    カルチャー・ショックというほどの“ショック“でもないが、初めてのアメリカを味わわせていただいて、再びイースト・ガーデンに招待していただいた。今度は、み言葉の会議である。会議と言っても、我々が意見を出して、討論して、採決するという性格のものではない。そもそも、我々はご父母様から呼ばれて、アメリカに来たのだ。自分の目的で来たのではなく、神の召命で来たのである。そうであるなら、神のみ旨、神のアメリカに対する願い、アメリカに対する摂理について、篤と学ぶことから始めなければならないのは当然である。神のアメリカに対する願いについては、すでにヤンキー大会でもって、ハッキリと知らせていただいた。その他にもご父母様のメッセージはすでに数年間、豊かにアメリカ全土にわたって語られている。それらを精読すれば、神の願いはよくよく理解でき...私がアメリカに来た頃(14)再びイーストガーデン

  • 私がアメリカに来た頃(13)グレート・アドベンチャー(続)

    スリル満点の乗り物は、むろんこの施設の主役であるが、一方それを支える敷地内の雰囲気が非常に印象に残った。懐古趣味に満ちたデザイン、つまりレストラン、みやげ店、その他の商店街など、敷地内を歩きながら、楽しく、退屈しないように作られている。日本の美しさに比較すると、アメリカの美しさは、その性格が全く違い、「ああ自分もついに日本から離れたのだな」、と実感する。一言でいえばアメリカ人の精神世界は、幼な児のように純粋で無垢な、お伽噺のように美しい世界に憧れているのだ、と強く感じだ。この大冒険というテーマに対して、極にあるような、楽しい、お伽の国の園を歩き回って楽しむ、という設定である。それは、私が子供のころ感動したディズニーの世界と同質のものだった。“アメリカ“というと、冷酷な金融テクニック、世界の覇権主義、粗暴な西部劇...私がアメリカに来た頃(13)グレート・アドベンチャー(続)

  • 私がアメリカに来た頃(12)グレート・アドベンチャー

    ご父母様のつれていってくださったのは、通称「グレート・アドベンチャー」(正式には、「シックスフラッグス・グレート・アドベンチャー」)という、巨大なスケールの、スリルに富んだ遊戯場である。それは大自然の中にあり、そこに昔風の木造の家を基調とした、みやげ物店、レストランなどが並び、お伽噺の世界で、楽しく食べ、買いものし、遊べるようにできていた。目玉は、もちろんスリルに満ちたいろいろの遊戯施設(乗り物)である。これが開園されたのが1974年なので僅か2年しかたっていなかったことになる。当時としては、とんでもない企画であり、アメリカ社会でも、大きな話題になっていたようだ。乗り物は、全てスリルに満ちていて、みな恐怖の叫び声を出すようなものばかり。みな楽しみながら恐怖を味わう、まさにアドベンチャーである。今ならそれをまねて...私がアメリカに来た頃(12)グレート・アドベンチャー

カテゴリー一覧
商用