「第一次世界大戦はどうしても避けられなかったのか?」/ロジェ・マルタン・デュ・ガール著『チボー家の人々(9)一九一四年夏Ⅱ』
ロジェ・マルタン・デュ・ガール著『チボー家の人々(9)一九一四年夏Ⅱ』(山内義雄訳) この本を読むと、どうしてもこう問いかけずにはいられない。第一次世界大戦はどうしても避けられなかったのだろうか。避けられたとすれば、どのような手立てがあったのだろうか。『チボー家の人々』は常に民衆目線で当時の様子が書かれている。彼らは「戦争なんて起きるわけないじゃないか」とかなり楽観的だった。戦争なんて他人事だった。おまけにフランス人の多くは戦争を望んでいなかった。 そんな彼らがいつの間にか戦争に巻き込まれてしまう。巻き込まれてしまったら出られない。「戦うのは国民の義務だ」と気持ちを切り替えるしかない。戦争を望…
「なぜ第一次世界大戦は起きたのか。当時のヨーロッパの雰囲気がわかるノーベル賞受賞作品」/ロジェ・マルタン・デュ・ガール著『チボー家の人々(8)一九一四年夏Ⅰ』
ロジェ・マルタン・デュ・ガール著『チボー家の人々(8)一九一四年夏Ⅰ』(山内義雄訳) 『チボー家の人々』の「一九一四年夏」シリーズは、1937年にノーベル文学賞が与えられた作品だ。これを読むと、民衆目線でとらえた第一次世界大戦前前夜の雰囲気がわかる。「オーストリアとセルビア?勝手に喧嘩してろ」と、まるで他人事のようにのんびり構えていた一般市民がとても多かったことがわかる。そして気が付いたときには、自分たちが巻き込まれているのだ。 1914年6月28日サラエボで、オーストリア次期皇帝フランツ・フェルディナントがセルビア人青年に暗殺された事件。この事件がなぜ、どのようにして人類史上初の世界大戦へと…
「死ぬのはこんなにも大変なことなのか?」/ロジェ・マルタン・デュ・ガール著 『チボー家の人々(7)ー父の死ー』
ロジェ・マルタン・デュ・ガール著『チボー家の人々(7)ー父の死ー』(山内義雄訳) 人は誰でも死ぬ。死ぬときは安らかに眠るように死んでいきたいものだが、思い通りにいくとは限らない。チボー氏の最期は苦痛に満ちた地獄絵そのものとなってしまう。周囲の人間は「はやく終わって!」と祈るばかりだ。これは本音だろう。ところが人はなかなか死ねないのだ。 7.父の死『チボー家の人々』第7巻のあらすじを紹介する。チボー氏は尿毒症の発作に襲われ、耐えがたい激痛に七転八倒する。ヴェカール司祭は死の恐怖を和らげようと穏やかに話をするが、チボー氏の頭の中は「生きていたい!」という思いしかない。利己主義と虚栄心の中に生きてい…
「人は、すべての過去に結びつけられている。」/ロジェ・マルタン・デュ・ガール著 『チボー家の人々(6)ーラ・ソレリーナー』(山内義雄訳)
ロジェ・マルタン・デュ・ガール著『チボー家の人々(6)ーラ・ソレリーナー』(山内義雄訳) 行方不明のジャックは、「ラ・ソレリーナ」(イタリア語で「妹」)という小説を変名で雑誌に発表していた。その雑誌からアントワーヌはジャックがスイスのローザンヌにいることをつきとめる。ジャックが行方不明になってからすでに3年の月日がたっていた。アントワーヌ32歳、ジャック23歳だ。 6.ラ・ソレリーナ『チボー家の人々』第6巻のあらすじを紹介する。チボー家の大黒柱チボー氏は、癌のために激痛に苦しめられ、次第に気弱になっていく。権力と名誉と金を手に入れ傲慢だった以前の面影はなく、今では家政婦のおばさんに、子供のよう…
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